ざんねんな野球チーム事典

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日本プロ野球[編集 | ソースを編集]

セ・リーグ[編集 | ソースを編集]

阪神タイガース[編集 | ソースを編集]

  1. 関西を代表する球団であるが、日本一になったのは(2リーグ時代に限れば)1985年の1回のみ。
    • 平成時代は広島や(球団消滅した)近鉄共々、一度も日本一を経験できずに終わった。
      • 特に2005年の日本シリーズは阪神ファンに癒えぬ傷跡を残した。
    • 観客動員は巨人よりも多いくらいだが、成績は悪い…。特に巨人には毎年のように負け越している。
    • それだけに一度優勝するとファンがお祭り騒ぎになる。
    • 2023年、ようやく2回目の日本一達成…。
  2. 大阪の球団と勘違いされることが少なくない (本来なら兵庫の球団であり、大阪の球団はオリックスである) 。
    • 甲子園は神戸市よりも大阪市の方が近いというのもあろう。
    • 昔は大阪タイガースだったのも影響しているだろう。
    • 他の在阪球団が全てパ・リーグ(南海・阪急・近鉄→オリックス)だからかも。
  3. オフのお家騒動は、もはや名物。
  4. バースやオマリーがすごく活躍したのでその再来を望んで外国人選手をスカウトしてくるがハズレを引きまくることが多い。
    • 下の巨人共々「外国人に対して我慢がない」のも関係している。
    • 近年阪神で成功した外国人選手はマット・マートンやランディ・メッセンジャーぐらいか。
  5. 何故かここのファンを公言している有名人の中に不倫騒動を起こす人物が目立つようになってしまった。(例:石田純一、遠藤章造、陣内智則、渡辺謙…)
  6. 2000年代以降、阪神の優勝を期待する本が出版されたり、同様にテレビ番組が放送されたりすると、そのあとリーグ優勝を逃す事例が見受けられるようになってしまった。
    • 著名な例では、2008年の『Vやねん!タイガース』、2021年の『あかん阪神優勝してまう』が挙げあれる。
  7. 1991年のファン感謝祭で行なわれたエキシビションマッチで、当時草野球日本一と称されたビートたけし率いるたけし軍団と対戦。
    • 事もあろうに、2-4で敗戦。翌日のスポーツ新聞に「阪神、13位!」とネタにされてしまったことは、言うまでもない。
  8. 暗黒時代真っ只中の1998年のエイプリルフール、「阪神が優勝した」という嘘のもとに優勝記者会見を開催してしまうというヤケクソっぷりをみせた。

読売ジャイアンツ[編集 | ソースを編集]

  1. 今も昔も球界の盟主のはずだが、アンチも多い。
    • カネに物を言わせて他球団の4番を強奪してきたりするため。
      • FAで獲得した選手も思ったほど活躍しないケースの方が多い。
        • 権利の取得時期が大体20代後半になるので、その辺からパフォーマンスが落ちてくるのも関係してはいる。
          • FAで獲得した選手が他のFA選手の人的補償にされたケースが複数(江藤・工藤・藤井)存在する。
      • 読売本社の脱税行為による裏金が流れているとの噂も。
    • 最近は阪神の方が球界の盟主になってきているかも。成績はともかく、観客動員では既に阪神に抜かれている。
      • 満員でも1試合あたり1000人キャパシティに差があるし……。
  2. 優勝しても今ひとつ盛り上がりに欠ける。
    • 勝って当たり前、という認識が強いので。
    • そのため、他のチームならリーグ優勝程度でもできる「優勝記念パレード」だが、巨人だけは日本一にならないと行うことができない暗黙の了解がある。
    • 今や系列の日本テレビですら、本音では(セ・リーグ主催の試合が第1戦になる)西暦が偶数の年は日本シリーズに出てほしくないかもしれない(視聴率の高い日曜の番組が放送できないから)。
  3. クロマティは相当活躍したものの、他の外国人選手はハズレが多い。
    • 投手はそこそこの頻度で当たるようになってきたが、野手はまだ全然。
    • 上記の阪神の「バースの再来」であまり目立たないが、こちらも助っ人外国人の当たり外れが激しく当たりのハードルが高い。
  4. いつまで経っても二塁のポジションが埋まらない。自前・外国人・FAなど色々使ってもダメ。
  5. 「湯口敏彦」は完全なるタブー。これはざんねんを通り越している。
  6. 江川事件(いわゆる空白の1日)のおかげでダーティなイメージというかヒール役のイメージがついてしまった。

東京ヤクルトスワローズ[編集 | ソースを編集]

国鉄スワローズ
  1. 国鉄時代は大エースの金田正一を抱えながらもとんでもなく弱かった。
    • 最下位こそ大洋より少ないがAクラスも15年間で1回だけ。
    • 金田はサンケイに身売りされるとあっさり巨人に移籍してしまった。
ヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズ
  1. 巨人と並ぶ東京の球団だが、人気は巨人の影に隠れがち。
    • 特に神宮での阪神戦の場合、ヤクルトファンよりも阪神ファンの方が多い。さながら東京甲子園球場と言った印象。
      • 同じようなことは横浜スタジアムにおけるDeNA×阪神戦にも言える。
    • というか、ファンの大半は巨人の逆張りでなってるという噂も。
  2. 黄金時代と言われる野村監督時代ではあるが、その実日本一とBクラスを交互に繰り返していた(93年日本一→94年4位→95年日本一→96年4位→97年日本一→98年4位、この年で辞任)。
  3. 球団創設から1978年に初優勝するまで29年かかった。
  4. とにかく怪我で離脱する選手が多い。「ヤ戦病院」と揶揄されることも。
  5. オフシーズンの注目がつば九郎ぐらいしかない。
    • かつて、90年代の野村監督時代には、古田・池山・広沢・高津・一茂などといったメンバーが、オフのテレビ番組を彩っていたことがある。

横浜DeNAベイスターズ[編集 | ソースを編集]

共通
  1. 通算勝利数は歴史の浅い楽天以外の現存球団では最下位である。勝率でも楽天を下回る。
    • 最下位になった回数も当然最多である。
  2. 平成時代にセ・リーグでは唯一ノーヒットノーラン達成者が現れなかった。
    • ちなみに最後の達成者は1970年6月9日(なんと横浜移転前の川崎時代)の鬼頭洋。
    • そもそも達成者自体セ・リーグでは最小(3人。パ・リーグでは楽天の0人が最小で、ロッテ・ソフトバンクの2人がそれに続く)。その代わり完全試合達成者は2人いる(島田源太郎・佐々木吉郎)。
大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ
  1. 最初は、下関にフランチャイズがあったがすぐに移転した。
  2. 1980年代は、他の5球団に勝利を献上する様から、「横浜大洋銀行」と陰口を叩かれたことがある。
  3. 最後は、親会社の大洋(マルハ)が、捕鯨を止めたことを理由にチーム名を「ベイスターズ」に変更した。
  4. 1960年に球団史上初の日本一を達成するも、翌年最下位転落した。日本一→最下位はプロ野球史上初。
横浜ベイスターズ
  1. 特に親会社がTBSだった2002年~2011年の間が悲惨だった。11年間で8度も最下位という悲しい結果に終わった。
    • この間にAクラスになったのは1回(2005年)のみ。
    • 前代未聞の3年連続90敗を達成し、チーム内もかなり悲惨な状況だったとされる。
    • TBS自身にやる気が無かったわけではないが、経営ノウハウが無さすぎて的外れな運営を続けていた。

中日ドラゴンズ[編集 | ソースを編集]

  1. 2011年に落合博満監督が退任して以降、2013年からここまでBクラスが続いている。
    • 特に2016年は谷繁元信監督がシーズン中に事実上の解任となり最下位、以降も2年連続で5位が続いた。
  2. 日本一になったのは1954年と2007年の2回のみ(後者は2位からの出場)。
    • すなわち、1954年に初めての日本一になってから2007年に二度目の日本一を達成するまで53年もかかってしまった。
  3. 実は、中日が優勝すると「日本に政変および重大な事件が起こる」というジンクスがある。
    • 2011年の東日本大震災・2006年の第一次安倍政権誕生・2004年のイラク日本人人質事件・1999年の東海村の臨界事故・・・etc

広島東洋カープ[編集 | ソースを編集]

  1. 平成時代は阪神や(球団消滅した)近鉄共々、一度も日本一を経験できずに終わった。
    • 特に2000年代は一度もAクラスになれなかった。
      • 度々惜しかった時はあったが、順位集計方法の違いでAクラス入りを逃したり(2005年)と運もなかった。
        • それは2001年。2005年は1993年以来の最下位だった。
    • 2016~2018まで3年連続で優勝し、日本シリーズに出場するも三回全てで敗北してしまった。
      • 特に2017年は日本一どころか、レギュラーシーズン3位のDeNAに日本シリーズ出場を許してしまった。しかしそのDeNAも…。
  2. 球団創設から1975年に初優勝するまで26年かかっている。
    • おまけに初出場の日本シリーズでは阪急ブレーブスに1勝もできなかった。
  3. 創設当時は「セ・リーグのお荷物球団」と呼ばれ、セ・リーグ連盟からも「お金のない球団は、野球をする資格がない」とまで言われていたらしい(それが樽募金誕生のきっかけとなった)。
  4. 実績を上げた有力選手に流出されることが多い。金本や丸やのちに出戻ってきたが新井や黒田とか。
    • 一応広島を擁護しとくと、実績を上げる→年俸を上げたいが上げると赤字になるので上げれない→リリースするしかない という事情がある。親会社が補填してくれる他のチームと違い、独立会計なので赤字に出来ないのである。
  5. セ・リーグ6球団で唯一、日本シリーズでライオンズに勝った経験が無い。(中日は西鉄時代の1954年に勝利している。阪神、横浜はそれぞれ1985、98年に勝利)
  6. 12球団で唯一DAZNに配信権がない(2021年現在)。
  7. 近年交流戦にめっぽう弱くなってしまい、ついにDeNAに通算最下位回数のワースト記録を譲られることになった。
    • 2019・21・22年と3期連続最下位(2020年は交流戦中止)を記録。おまけに2021年は勝利数ワーストタイ(3勝)に加えて交流戦期間中の先発勝利なし、2022年は交流戦期間中の本塁打・得点のワースト記録を更新してしまった(2本・33得点)。
  8. 日本の12球団で唯一チアガールがいない(2024年現在)。

その他[編集 | ソースを編集]

松竹ロビンス
  1. セントラル・リーグの初代優勝チームだが、日本シリーズ中にチーム内で内乱が発生、毎日に2勝4敗で敗れ去る結果となった。
    • その後成績は低迷し1953年に大洋ホエールズと合併、「大洋松竹ロビンス」となるも、1954年に松竹が球団経営から撤退。再び「大洋ホエールズ」に戻ることとなった。
      • そのため現在の横浜DeNAの系譜にあたるものの、実質的に消滅球団扱いとなっている。
  2. 1952年の特別ルール「勝率3割を切ったチームを処分」に引っ掛かってしまった。
    • このルールは創設以来の経営難を引きずっていた広島カープをターゲットにしていたとも言われるが、広島は勝率3割を達成した。
西日本パイレーツ
  1. 福岡からセ・リーグに加盟した球団だが、8球団中6位に終わりわずか1年で西鉄クリッパーズに吸収される。
  2. 吸収合併の際に巨人が「西日本の選手の保有権はセ・リーグにある」という無茶苦茶な主張をして、西日本の南村侑広と平井正明を巨人に移籍させた。

パ・リーグ[編集 | ソースを編集]

オリックス・バファローズ[編集 | ソースを編集]

大阪近鉄バファローズ
  1. 球団創設以来一度も日本一になれれないまま、2004年にオリックス・ブルーウェーブに球団合併された。
    • リーグ優勝した1979~1980年・1989年・2001年は日本シリーズに出場したものの、いずれもセ・リーグ球団(1979・1980年→広島(前者はあの『江夏の21球』)、1989年→巨人、2001年→ヤクルト)に日本一を献上している。
  2. あまりに「貧乏球団」だったことは後年、関西を中心によくテレビのネタにされることが多い。
  3. ホーム球場(藤井寺球場・日生球場)のオンボロぶりは川崎球場と双璧をなしていた。
    • 特に藤井寺球場は80年代半ばまでナイター設備がなかった。
      • 「球場のトイレが汚いから」という理由で、助っ人外人が帰国してしまったことがある。
阪急ブレーブス
  1. 1936年のプロ野球開幕当時からある球団だったが、戦前は優勝争いすらできない球団だった。
  2. 球団創設から1967年に初優勝するまで32年かかっている。
  3. 1970年代に黄金時代を迎えるも、人気は低迷し続けていた。
    • 競輪の開催のほうが1日あたりの入場者は多く、お盆の時はブレーブスより競輪の開催が優先されるようになった。
      • これが後年、ブレーブス(ブルーウェーブ)の神戸への本拠地移転の理由の一つにもなった。
  4. 1980年ごろにマスコットキャラクターのブレービーが登場、日本におけるマスコットキャラクターの先駆けになった……のはいいが息子の勇太が登場したのが1988年。つまりわずか1年で消滅。
オリックス・バファローズ
  1. 最近でこそファンクラブ会員は増加傾向にあるが、未だにメディアでは阪神タイガースの需要が高い。
    • スポーツ新聞といいテレビといい、オリックスの話題<阪神の話題になりがち。
      • その扱いの差への不満から、合併前も含めオリックスファンにはアンチ阪神が多い。
        • はっきり言って逆恨み以外の何物でもない。観客動員数では阪神にボロ負けしているのは事実なのだから、客が呼べない=人気がない=メディアで取り上げる価値が低いといえる。阪神に文句を言う暇があったらファンがもっと球場へ足を運ぶべきだろう。
  2. 2019年現在までリーグ優勝経験なし。
    • 最後の優勝はブルーウェーブ時代の1996年。
    • 2021年にようやく「オリックス・バファローズ」初優勝、2022年に「オリックス・バファローズ」初の日本一。
  3. クライマックスシリーズを勝ち抜いた経験がない。
    • 2回進出しているが、いずれもレギュラーシーズン2位で1stステージがホーム開催にもかかわらず敗退。
      • いずれも対戦相手は日本ハムである。
  4. 最近はセ・パ交流戦で好成績を残すことがあっても、その強さがパ・リーグ公式戦に生かせていない。
  5. 2016年に公式戦・オープン戦・交流戦・2軍すべて最下位という、悪夢のようなシーズンを経験した。
  6. バファローベルといいバファローズポンタといい、某ツバメや某コアラに負けず劣らずマスコットが選手よりも目立ちやすい。
    • それにつけても、バファローブルの影の薄さよ···。

北海道日本ハムファイターズ[編集 | ソースを編集]

東映フライヤーズ→東急フライヤーズ
  1. 張本勲・白仁天・大杉勝男といった、血の気の多い選手が多く、親会社・東映のヤクザ映画もびっくりのエピソードは今も伝説。
日拓ホームフライヤーズ
  1. 東映撤退後に日拓が参入したが、わずか1年(1973年)で日本ハムへ球団を売却。
  2. 7色のユニフォームが特徴的であった。
    • 但し選手・監督からは「ダブルヘッダーの第1試合で勝利したのでゲンを担いで着続けようとしたら『別のを着てくれ』と言われてしまった」(土橋正幸)「7種類のうち1種類は着た覚えがない」(新美敏)と、評判はあまり良くなかった模様。
日本ハムファイターズ(東京時代)
  1. 参入初年で前後期ともに最下位、総合最下位に終わった。
  2. 一度も日本一になれないまま(しかも東京ドーム時代に至ってはリーグ優勝すらできず)、2004年に本拠地を北海道へ移動した。
    • 唯一リーグ優勝した1981年は日本シリーズに出場したものの、同じく当時後楽園を本拠地とした巨人に日本一を献上している(北海道移動後の2009年・2012年にも巨人と対戦したが、いずれの年も巨人に日本一を献上している)。
    • 東京時代(前身含め)で唯一の日本一は東映フライヤーズ時代の1962年。
    • 東京ドーム時代には1996年・1998年にどちらも前半戦を首位で折り返したが、後半戦で失速し優勝を逃した。
  3. 後楽園→東京ドームでの試合日程は巨人中心で、日本ハムは8月を中心に他球場で試合を余儀なくされたり、ダブルヘッダーの場合はデーゲームが巨人であるのに対して日本ハムはナイトゲームでの開催を余儀なくされたりしていた。
  4. レジェユニデーでこの頃のユニフォームのレプリカを着ることがあるが、選手たちに「弱いイメージしか無いのであまり着たくない」とまで言われてしまう。
北海道日本ハムファイターズ
  1. 2003~2019年の間、パ・リーグで日本シリーズに進出して負けたのはここだけである。
  2. 本拠地球場の札幌ドームにいいように扱われている。
    • あまりにもあまりなので出ていくことになりました。

福岡ソフトバンクホークス[編集 | ソースを編集]

南海ホークス
  1. 日本シリーズにおいて、巨人にめっぽう弱かった(通算1勝8敗)。勝ったのは杉浦忠が4連投4連勝した1959年のみ。ダイエーに売却された後の2000年にもON対決で敗戦。
    • 逆にソフトバンクに売却された後の2019・2020年には二年連続で巨人に4連勝して日本一になっている。しかし、裏を返せば未だに「巨人に一敗でもすれば日本一を逃す」というジンクスが継続しているということになる。
  2. 野村克也監督の辞任後がとにかく悲惨な成績だった。
    • (広瀬叔功)6位→5位→6位(ドン・ブレイザー)5位→6位(穴吹義雄)5位→5位→6位(杉浦忠)6位→4位→5位(福岡移転)。
      • それでも、当時の南海ホークスオーナー・川勝傳は「ワシの目の黒い内は絶対に(ホークスを)売らん!!」と言い続けていたが、1988年に川勝が亡くなるとダイエーへの球団譲渡へ。
福岡ダイエーホークス
  1. 1989年、南海ホークスをダイエーが買収したが、その後ダイエー本社の経営不振により球団を手放さざるを得なかった。
    • ただ、弱かった南海ホークスを強くしたのはダイエーの力というのもまた事実。
      • ダイエーというか、根本陸夫のお陰というか。一時期は巨人並みかそれ以上にヤバいドラフトを繰り広げてた。
  2. 南海時代から引き続いて20年連続Bクラスという不名誉すぎる日本プロ野球記録を持っている。
福岡ソフトバンクホークス
  1. 2019年9月6日に千賀滉大が達成するまで、実に76年間もノーヒットノーランが達成されなかった (ダイエー時代には1度もなし) 。
  2. 今でこそ常勝球団と言われているが、そのリーグ優勝・日本一までの道のりが長かった。
    • 2010年に初のリーグ優勝を達成するもCSでロッテに敗北、日本シリーズ出場&日本一に至っては2011年まで待たなければならなかった。
  3. 2016年に11.5ゲーム差と大量リードしていた日本ハムに逆転されてレギュラーシーズンの優勝を逃し、その後のCSでも日本ハムに敗れたという悪夢のようなシーズンを経験した。
  4. 同じく2016年から練習場、二軍・三軍使用球場が変わったが福岡ドームから遠くなったなど不満を訴える選手が多い。

千葉ロッテマリーンズ[編集 | ソースを編集]

毎日オリオンズ
  1. パシフィック・リーグの初代優勝チーム。初代日本シリーズ優勝チームとなるも、1952年7月16日の対西鉄戦において露骨な遅延工作でノーゲームを狙った結果西鉄ファンの怒りを買ったあげく暴動が発生(平和台事件)。
    • これで毎日新聞は球団経営に嫌気がさしたのか1958年毎日オリオンズは大映ユニオンズと合併し「大映毎日オリオンズ」となり、1960年には毎日新聞が球団経営から手を引くこととなる。
      • しかし大映側の永田雅一の意向により系譜自体は毎日が引き継いでいる。
ロッテオリオンズ
  1. かつて、本拠地が安定しなかった時期がある。
    • いわゆる「ジプシー・ロッテ」。
  2. 金田正一監督時代は、乱闘や金田監督のパフォーマンスなどで、オフの珍プレー番組の常連となってしまう。
  3. 川崎時代の観客の少なさ、川崎球場自体のオンボロぶりは今までどれほどネタにされたことか…。
千葉ロッテマリーンズ
  1. 現存するパ・リーグ6球団で唯一、平成30年間で1度も完全制覇(リーグ優勝→日本一)を成し遂げられなかった。
    • 2004年に消滅した近鉄を含む全13球団でも唯一、平成30年間で1度もレギュラーシーズン1位の状態でリーグ優勝をしなかった。
    • ただし、2005年では第2位の状態でプレーオフを制してリーグ優勝し、そのまま日本一となっている。
    • 実は前身球団も含めて現存する12球団で最も完全制覇(1年を通しプレーオフなど特殊ルールを除いてリーグ1位の状態で日本一)から遠のいている球団だったりする(唯一の完全制覇は毎日オリオンズ時代の1950年)。
  2. 私設応援団がたびたびトラブルを起こし、問題となっていた。
  3. 選手とコラボした弁当を発売すると高い確率でその選手や球団にとって良くないことが起こる「弁当の呪い」を生み出した。
  4. 2020年現在、「日本シリーズで4連敗」(大毎オリオンズ時代の1960年)、「日本一達成の翌年最下位転落」(ロッテオリオンズ時代の1975年前期・2011年)を両方やった唯一のチームである。
  5. 1998年にはプロ野球記録である18連敗を喫している。(ただし引き分けを挟んでおり、引き分けを挟まない連敗の記録は1970年と2019年にヤクルトが記録した16)
  6. ホエールズ・ベイスターズやホークスと同じく平成時代にはノーヒットノーラン達成者が現れなかった。
    • 最後の達成者は1973年10月10日の八木沢荘六(完全試合)。ちなみに成田文男(1969年8月16日達成、こちらはノーヒットノーランのみ)と計2人しか達成者がいない。合併球団の一つである大映ユニオンズでも1952年4月27日に林義一がノーヒットノーランを達成しているが・・・。
高橋ユニオンズ
  1. 1950年代中頃にパリーグの数合わせのため急造した球団。
    • 当初は急造球団のため、パリーグの各チームから若手を供出するよう申し合わせがされたが、実際に集められたのは扱いに手を焼く選手や、戦力外の選手が大半だった…。
  2. 一度もAクラスにすらなれず、たった3年で解散してしまった。
    • その弱さはネーミングライツをしていたトンボ鉛筆が1年で撤退してしまうほど。
  3. チーム内の雰囲気は暖かく、サヨナラエラーを犯した佐々木信也を誰も責めず、抱えあげてベンチに連れて行った選手もいたとか。
    • 佐々木は当時「なんていいチームなんだ」と思っていたが、後年「そんな高橋だから弱かったんだろう」と振り返っている。

埼玉西武ライオンズ[編集 | ソースを編集]

全般
  1. リーグ優勝したのに他の球団の選手にMVPを持って行かれた回数が最多。
    • 一人の突出した選手の活躍よりもチームとしての総合力で優勝したシーズンが多いせいだろうか。
西鉄ライオンズ
  1. なんと言っても「黒い霧事件」。
    • エース・池永正明を失ったのはあまりにも痛すぎた。同じく森安敏明を失った東映も大ダメージを受けたが。
太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ
  1. 西鉄の経営難からライオンズを引き取ったものの、あまりの弱さに短命に終わる。
    • 後に、西武に買われたものの、しばらくは「空白の期間」としてなかったことにされていた。
      • いわゆる「黒歴史」というやつだ。
  2. 「福岡は遠いから行かない」と、江川に断られたのはあまりに有名。
  3. 太平洋クラブ時代の、アメリカンフットボールよろしく胸番号が大きく書かれたユニフォームは、もはや伝説。
埼玉西武ライオンズ
  1. 2009年にユニフォームを一新したが、それ以来日本一から遠退いている。
    • 2018年・2019年にパ・リーグ連覇したが、どちらもCSファイナルステージでソフトバンクに敗退。
    • それどころかオリックスが2021年にリーグ優勝かつ日本シリーズに出場して以降は、現存するパ・リーグ6球団で最も日本シリーズ出場から遠のいている。
      • なお、2021年の西武は1979年以来42年ぶりに最下位に終わる。
  2. 2009~17年の9年間で6回も優勝球団の胴上げを見届ける羽目になっている。
    • この9年間で優勝決定日に西武の勝敗が全く関係なかったのは2014年のみ。2010年・12年も優勝球団との直接対決ではないものの西武の負けで優勝が決まった。
    • このうち西武ドームで負けて決められたのが4回ある。
      • そのため「優勝見届人」と言われることも。

東北楽天ゴールデンイーグルス[編集 | ソースを編集]

  1. 2005年、ロッテに勝利し開幕戦を白星で飾ったが、翌日、0ー26で大敗したことがある。
    • ヒットは1本(長坂健冶)・フォアボールも1つ(関川浩一)だけ。
      • そのランナーも併殺死したため残塁は0。
    • 5失点の有銘兼久・小倉恒・徳元敏は開幕2試合目にして二軍落ちを通告された。
    • 試合後田尾監督は「何ともなりませんでした。ファンの方に申し訳ない」「いろいろなことが起きると頭にあったが、想像を超えてしまった」とコメント。
      • 三木谷オーナーは5回の終了前に無言で球場を去った。
  2. 監督の移り変わりが激しいのも特徴。
    • 田尾安志(1年)→野村克也(4年)→マーティ・ブラウン(1年)→星野仙一(4年、ただし途中で病気休養)→デーブ大久保(1年と少し)→梨田昌孝(2年と少し)→平石洋介(1年と少し)→三木肇(1年)→石井一久
  3. トレードや現役ドラフト等で地雷を放出する
    • 被害を受けるのは大体巨人。トレードで借金持ちで窃盗犯の柿澤貴裕、現役ドラフトで反社と繋がりがあるオコエ瑠偉を押しつけられる。

その他[編集 | ソースを編集]

名古屋金鯱軍[編集 | ソースを編集]

  1. 戦前のプロ野球黎明期に存在。
    • あの読売ジャイアンツ(当時・東京巨人軍)の初戦の対戦相手である。
  2. しかし、名古屋の球団であることから、今日の中日ドラゴンズのご先祖であると思われがち。
    • ちなみにドラゴンズのルーツは、同時期に存在した「名古屋軍」である。
      • さらに、金鯱軍の方は1940年に解散。よって、現在のドラゴンズとの血縁関係は一切ない。

メジャーリーグ[編集 | ソースを編集]

アメリカン・リーグ[編集 | ソースを編集]

セントルイス・ブラウンズ(現ボルチモア・オリオールズ)
  1. 史上最弱の球団と呼ばれ、戦後は毎年最下位争いを演じていた。
    • 戦争中、あまりにも選手層が貧弱過ぎて大多数が徴兵免除を喰らう始末であった。
    • 一時期は観客が試合中のチームより少ないという珍事まで巻き起こしていた。
  2. あまりに弱すぎるので選手に催眠術をかけるという前代未聞の一手に出たが、それでも負け続けた。
  3. 結果的に53年に球団は消滅しボルチモア・オリオールズに改名となる。
シアトル・マリナーズ
  1. 2019年にワシントン・ナショナルズがワールドシリーズに進出したことにより、ワールドシリーズに出場したことがない唯一の球団になった。
    • 1995年・1997年・2001年は地区優勝、2000年はワイルドカードでプレーオフに進出したが、いずれもワールドシリーズ進出を逃している。
      • イチローが加入した2001年は116勝46敗という成績で地区優勝を決めたが、それでもワールドシリーズ進出はできなかった。
  2. 2000年代からずっとフロントが×××××。特にビル・バベシはダメフロントを象徴する存在。
テキサス・レンジャーズ
  1. 先代ワシントン・セネタースのミネソタ移転後に同名の球団名で発足。
  2. エンゼルスとともに最初のエクスパンションチームではあるが世界一はなし。

ナショナル・リーグ[編集 | ソースを編集]

マイアミ・マーリンズ
  1. 定期的に「ファイヤーセール」と称して選手を大放出するため、成績が安定しない。
  2. ワールドシリーズを二度制しているが、いずれもワイルドカードからの勝ち上がりで地区優勝は一度もない。
  3. デレク・ジーターがフロント入りしてからもなかなかアレな運営を続けている。
シカゴ・カブス
  1. 1907年、08年のワールドシリーズで史上初めて連覇するが、その次のワールドシリーズ制覇まで108年もかかってしまった。
  2. その108年の呪いを解呪するのに面白外人が必要だったが、無理をさせすぎたのかうつに近い状況にしてしまい、リリースするしかなかった。
モントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)
  1. カナダ発の球団として創設、当初のホームの収容人数が少ない中で発足。
  2. ストの年に好調であり、1994年にはシーズン打ち切り、ファイヤーセール敢行からのファン離れ、撤退の悪循環。
    • 最終的には新球場建設で揉めたこともあって、モントリオールを見切りワシントンへの本拠地移転まで発展した。
    • その時のオーナーは別の球団を買収。あろうことかエクスポズの球団職員(残ったのは7人だけ)や経営資料・機材一式を丸ごと引き抜いた。
  3. 野球帽を売ってる店がない、タクシー運転手でさえ球場の場所を知らないなど地元でも大変不人気で3連戦の合計観客動員が9000人を割り込むのも当たり前。
  4. 放映権料も最下位でブービーの1割という破格の安さ。テレビ中継も一時期フランス語のみ(モントリオールはフランス語が公用語のケベック州に属している)に縮小。
  5. チケットの総売上はチーム最高の選手と年棒と変わらないくらい少なかった。
  6. 本拠地の球場もボロボロで選手も入団拒否されることが度々あった。
    • 建て替えようにも地元は州立病院閉鎖が検討されるくらい財政が悪いと拒否。
  7. 結果、2005年にアメリカ合衆国のワシントンD.C.に移転し、球団名もワシントン・ナショナルズに改名。移転前に制定した永久欠番も42以外全て解除するなど黒歴史になりましたとさ。
ピッツバーグ・パイレーツ
  1. 選手を盗んだと非難されて改称。
  2. 長期の連続負け越し記録も。
ロサンゼルス・ドジャース
  1. LA移転時にオーナーは極悪人と糾弾される。
  2. 1988年以来世界一なし。
ミルウォーキー・ブリュワーズ
  1. シアトルで設立も1年で移転。
  2. リーグ転籍、ホームグランド建設遅れも。

ナショナルチーム[編集 | ソースを編集]

アメリカ合衆国代表
  1. 発祥の地であることから期待は高いがWBCは第4回にして初優勝。
パナマ代表
  1. WBC本大会では未勝利。予選導入となった2013年と2017年はともに予選から出場もそれぞれブラジル、コロンビアに敗れ予選敗退。
韓国代表
  1. 第一回・第二回WBCでは、日本のライバルとして活躍。さらにプレミア12の初代チャンピオンにも輝く。
    • WBCでは、日本に勝った際にピッチャーマウンドに韓国の国旗を立てるパフォーマンスで、日本チームを激怒させてしまう。
  2. しかし、WBCでは予選導入となった2013年と2017年はともに予選から出場も予選敗退。
    • 予選は免除されてる。一次リーグ敗退で日本と当たるところまで進めなかっただけで。

リーグ[編集 | ソースを編集]

プロ野球マスターズリーグ
  1. 2000年代後半辺りに始まったOBたちによるリーグ戦。
  2. しかし、いつの間やら消滅。一体なんだったんだろう?
四国アイランドリーグplus
  1. 2011年まで四国以外の球団が参戦していた時期があったがどの球団も長続きしなかった。
    • 長崎が3年、福岡が2年、三重に至っては1年しか参戦しなかった。
  2. 四国外で準加盟だったり準備室開設段階の球団があるが正式に参戦する動きがない。
    • かつて参戦していたが経営難で休止して準加盟扱いになった球団もあるが復帰の動きもない。
  3. 台湾の球団が参戦する動きもあったが音沙汰がない。
関西独立リーグ(初代)
  1. リーグ発足時から経営問題・観客動員で大苦戦。
    • 2010年6月22日のコリア・ヘチ対紀州レンジャーズ戦のダブルヘッダー第1試合(龍間ぐりーんふぃーるど)では、観客が僅か16人という事態に…。
      • リーグ発足の2009年から最終年まで所属していたのは紀州レンジャーズだけ。
  2. 結局最後まで残っていた3チームも2013年にリーグを脱退。
    • 兵庫ブルーサンダーズが高野連非加盟の芦屋学園高校野球部を3軍として設立したことにリーグの代表が反発したため全球団脱退となった。
関西独立リーグ(二代目)
  1. 兵庫ブルーサンダーズが初代から引き続き芦屋学園との提携関係を続けている故に日本野球連盟との関係が悪い。
    • 四国アイランドリーグplus、ベースボール・チャレンジ・リーグとの間で取り払われている制限がこのリーグとでは継続されている。
  2. 日本独立リーグ野球機構に加盟していなければグランドチャンピオンシップにも参加しておらず四国IL、BCリーグとの交流は全く無い。
    • 初代の時は四国ILの球団とオープン戦を行ったことがある。
  3. ドラフト指名は2019年現在兵庫の選手のみ。
    • リーグ所属選手自体への指名は2017年を最後に遠ざかっている。
ジャパン・フューチャーベースボールリーグ
  1. 関西独立リーグへの加入を予定していた三重スリーアローズと、関西独立リーグを脱退した大阪ゴールドビリケーンズの2チームで2010年に発足。
    • 当初はリーグの名称を「ジャパン・フューチャーリーグ」にする予定だったが、「サッカーのJFLと誤解を生じない為」という理由で、この名称に。
      • JFLの関係者から抗議があったという報道も。
  2. しかし2010年のシーズン中に大阪ゴールドビリケーンズ内で野球賭博問題が発覚し、賭博に関わった8人が解雇。
    • 選手不足の影響でコーチだった石毛博史・西浦克拓、更には監督の村上隆行(当時45歳)まで選手として復帰することに…。
  3. 2011年に大阪ゴールドビリケーンズが解散し、僅か1年で活動休止に。
    • 四国アイランドリーグplusに加盟した三重スリーアローズも1年で解散。
中華職業棒球大聯盟
  1. 台湾を代表するプロスポーツとして人気を持つが、とにかく八百長の呪縛から逃れられず、球団も増えたと思ったら減ったりと安定しない。

関連項目[編集 | ソースを編集]