ざんねんな鉄道車両事典/国鉄・JR

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電車[編集 | ソースを編集]

クモハ84形[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄分割民営化後にJR西日本で生まれた、JR史上最初で最後の旧型国電形式。
    • 故障頻発で123系に置き換えられたそうな。

103系1000番代[編集 | ソースを編集]

  1. 千代田線乗り入れ用として登場したが、その発熱量の多さに営団地下鉄からのクレームで撤退に追い込まれた。
    • 「鉄板焼き電車」と揶揄されたほど。
    • 電気代も高すぎて営団から電気代請求されてた。
    • その後105系に改造されJR西日本に引き継がれたグループは皮肉にも自身を追い出した203系よりも長生きする結果になった。
  2. 1500番台も故障の多さに福岡市営地下鉄からのクレームで撤退に追い込まれている。
    • こいつだけワンマン運転できなかった。

103系体質改善40N[編集 | ソースを編集]

  1. 当時走っていた103系をJR西日本の手によって車内は全くの別物になるほど大幅にリニューアル。
  2. そのため減価償却の対象にされかけたため次第に工事内容の簡略化が進んだ。

JR西日本に転属した113系[編集 | ソースを編集]

  1. 先頭車化改造で国鉄時代に見せなかった一面を見せてくれる。
    • 115系もね。
    • 4両以上の長編成にはそういう車両が組み込まれない。
    • 一方で117系にはそういうのがない。

113系1000番台初期型[編集 | ソースを編集]

  1. 総武・横須賀地下線乗り入れ用として登場したが、当該路線は見通しの悪さからATCが導入されることになり、ATCを設置した増備車が導入されることになり、地下に乗り入れることはなかった。
    • そういえば大半が房総西線房総東線にいたよな。JR化してすぐに1000番台の冷房車に置き換えられたけど。
    • 実は1両だけ関西にいたことがある。

サロ113形[編集 | ソースを編集]

  1. 横須賀線に配置されたが、定員が48名と少なく京阪神地区に転出した。
  2. しかし、京阪神地区快速のグリーン車は廃止になったので横須賀・総武快速線に戻った。

117系[編集 | ソースを編集]

  1. 新快速向けに投入されたが、2ドア転換クロスでドア間につり革がなく、ラッシュに向かない上、高速化も困難なため223系や313系の投入で新快速から撤退した。
    • そのためか、JR西日本お得意の体質改善工事も行われなかった。
  2. サハがないため、8両編成を組む際は6M2Tとなり余計に電気を食う羽目に。
  3. JR東海では、末期は日中ニートレインと化した車両が続出した。
  4. 空気ばね台車装備かつ地方ローカル線にはうってつけの仕様なのに、譲渡車どころか、先頭車化改造車がゼロ。
  5. JR西日本所属車両は地域色として黄色や緑色の1色塗装に塗られてしまっている。

119系[編集 | ソースを編集]

  1. 登場時は旧国を駆逐する存在だったため、身勝手な鉄ヲタに帯を剥がされるなどのイタズラを受けた。
  2. えちぜん鉄道への譲渡車が12両あるが、いずれも前面に当時の面影が全くない。

123系[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄最後の新形式である。
    • しかし郵便車などを改造した魔改造車。
      • 郵便車じゃなくて荷物車。
        • しかも超赤字路線で運用させられている。
          • 大阪府内でも運用されていた(阪和線羽衣支線)が、さすがに輸送力が足りないのか後に103系3連に置き換えられた。
  2. 登場したのが日航123便墜落事故の翌年。事故を起こしそうな縁起の悪さから125系になっていもおかしくないのに。
  3. 改造種車が後年枯渇し、宇野線向けには旧国改造のクモハ84が登場する羽目になってしまった。

157系[編集 | ソースを編集]

  1. 登場時は非冷房だったため、下降窓を採用したが、雨水が侵入して腐食が進行し、保守に手を焼いた。以来、205系が登場するまでは下降窓の採用に消極的になったとか。
    • 元々は準急用だったため、冷房は準備工事に留めていた。
  2. 運用開始から17年で、クロ157を除き引退したが、これは161系の編入改造までの3年に次いで2番めに短い。

JR西日本183系[編集 | ソースを編集]

  1. 特急「雷鳥」用485系から交流電化区間運転設備を113系に譲り渡した残り。
  2. 北近畿方面で気動車急行を電車特急に大量に置き換えた。

185系[編集 | ソースを編集]

  1. 自称特急型車両。
    • 正体は大阪鉄道管理局で新快速として運転していた117系に特急ヘッドマークをつけお情け程度にデッキを付けただけの実質快速型車両である。
      • サイコガンダムならぬサイコ新快速。
        • 117系1850番台と揶揄される。
    • 本来は急行形電車として開発されていたのを、国鉄の営業部門が、投入先の「急行伊豆」を格上げして「特急踊り子」として使いたいと言い出したせいで、こんなことになってしまった。
  2. 特急「踊り子」や各種新特急として使用されたが、他の線区になかなか進出できない。
    • いつまでも東海道線に居座っているので、ここ10年くらいJR東日本東海道線の旅客列車で最古の車両の座についている。
      • ついには251系の方が先に引退してしまうことに。
  3. プラレールでは165系の車体を185系のカラーリングにした代物を発売していた。
    • これは阪急電車にも同じことが言える。
  4. 以前1本だけ送り込み運用で東海道線普通に使われていた、よりによって朝ラッシュ中だったので、いくら下りとはいえ混雑度がめちゃくちゃで嫌がられた。

205系600番台[編集 | ソースを編集]

  1. 京葉線のメルヘン顔の205系を栃木で再雇用するも、日光線の急勾配が仇となり故障が続発
  2. 種車にしてもメルヘン顔を先に2本スクラップにしていたのが仇となり慌てて他から原型顔を車両を出す羽目に

207系900番台[編集 | ソースを編集]

  1. 地下鉄千代田線用直通用に造られた先行車。
    • しかし大量導入されることなく1編成のみの導入となった。
    • 実は国鉄で唯一のVVVFインバーター制御車だった。
      • 量産も考えられていたが、301系と同じくコストが問題になり、これ以上は作れなかった。
  2. 207系という称号をほぼJR西日本に取られた。
  3. 205系と区別がつきにくいほどよく似ており、一般の人には当時の山手線と同じ車両が入ったという感覚でしかなかった。

301系[編集 | ソースを編集]

  1. 地下鉄東西線直通用に、国鉄で初めてアルミを使った車両。
    • しかし当時財政難だった国鉄の出費は相当なものだったらしく、いくつか導入した後で鋼鉄製の103系の増備に変更した。
    • アルミ車体やら空気バネ台車を採用したりと、通勤形の割りに意欲的な車両だったが、製造コストが高くて大量生産できなかった。
  2. 1989年に中央・総武緩行線の地上用として205系が投入されたせいで、帯が黄色から水色に変更されてしまう。

213系5000番代[編集 | ソースを編集]

  1. 転換クロスシートを採用するも登場時はトイレがなく、2ドアだったので扱いづらい存在だった。
    • 後に飯田線に拾われるとともにトイレ設置。
  2. 金山駅などのホームドアには対応していないため、2019年以降は東海道本線での代走運用に就くことができない。
    • 当然、飯田線への送り込みの際も営業運転は行わない。

313系 神領所属の非ワンマン車両[編集 | ソースを編集]

  1. 4両固定のB0編成は2022年3月以降、朝夕の関西線の運用にしか入らなくなり、かつ予備車ゼロで回していたことから一時期日中ニートレインと化した。
    • ただし、2023年前半以降に大垣への転属が進められニートレイン解消の目処が立ちつつあるほか、下記2両固定のB400編成のグループが中央西線を撤退、さらに315系4連が運用を開始してからは中央西線の211系代走にも充てられるようになった。
      • このざんねんポイントは2023年11月末をもって完全解消した。
  2. 2両固定のB400編成は2023年4月の211系3両編成神領撤退以降、同様に日中ニートレインと化した挙げ句、2023年9月時点でもワンマン化等の改造が中途半端な状態で、QRコードも未貼付、スノープラウ設置も見送られたため転属先が大垣か、はたまた静岡か不透明となっている。
    • ついに静岡への転属が始まったが、身延線のワンマン化を見据えたものと推定され、8000番台転属に次いで混雑地獄が危惧されている。

313系1500・1600番台[編集 | ソースを編集]

  1. 2022年3月の大垣転属以降、3両単独の運用は一切なく、常に2本を併結した6両またはさらに2連を接続した8両のみで運用される。
    • 中間に挟まる運転台がデッドスペースとなるほか、運用上は飯田線にも入れないため極めて不便。

313系1700番台[編集 | ソースを編集]

  1. 飯田線への送り込みの際は3両単独、または213系を併結した5両であり、送り込みの際に営業運転ができず、効率が悪い。
    • しかも神領時代からこの送り込みがただの回送となっている状態が続いている。

313系8000番台[編集 | ソースを編集]

  1. 銭取らる、もといセントラルライナーに充当された当該車両。
    • セントラルライナー廃止後は他車と混用されたほか、ホームライナーへの充当も行われたのがまだ救い。
  2. 315系投入で静岡に転属し、18きっぱーからは喜ばれた他トイレ付き編成を増やしたが、地元民からはドア付近に乗客がたまることから厄介者扱いされている。
    • しかも神領時代にあったホームライナー運用は、静岡にはない。

E233系7000番台[編集 | ソースを編集]

  1. 埼京線に導入された新型車両だが、導入当初に車両LCD破壊、つり革盗難、車番ステッカー盗難が多発。今ではこそは警備を厳しくして、改善されたが…。
    • それもあってか相鉄JR直通線用増備車では全車に監視カメラが付いたぞ。

E331系[編集 | ソースを編集]

  1. 京葉線用として製造され、国鉄・JR通して旅客車としては初の連接台車が採用されたが、相次ぐ故障でニートレイン運用離脱を繰り返し、わずか8年強で廃車になった。
    • そしてその新基軸のほとんどは実用化されることが無かった。
  2. この車両でできた提唱がJR化ごに製造された新基軸の車両は失敗するである。

E351系[編集 | ソースを編集]

  1. JR東日本では初の振り子装置搭載車両だったが、揺れが多く中には酔う人もいたため、「失敗作」 と言われるようになった。
  2. 2018年に引退後は全車両が解体された。

E257系500番台[編集 | ソースを編集]

  1. 房総地区の特急で使用されていた183系・189系を置き換えるために19編成製造されたが、特急が大幅に減らされた結果余剰車が出る羽目に。
  2. 一部は書類上幕張車両センター所属のまま豊田車両センター常駐となり、中央線の臨時列車に使用されることとなった。
  3. ただ、一応余剰車が踊り子や波動用に改造されたのがまだ救い。

215系[編集 | ソースを編集]

  1. 湘南ライナーの混雑緩和を目的としてオール二階建てで登場したが、ドア数のせいで乗降に時間がかかり、遅延の原因になることから目の敵にされ、早々と撤退することとなった。
    • アクティーにも使用されていたがこれも撤退。
    • その後はおはようライナーや臨時快速に使用されている。
      • もともと東海道線のみの運用を想定しているために耐寒・耐雪構造ではないので冬になると中央本線の臨時快速には使えなくなる。
    • この失敗が都政に活かされなかったことが悔やまれる。
  2. グリーン車以外全席ボックスシートなので乗り心地は最悪。
    • 座席のフレームは無駄にフランスから取り寄せたようだ。
    • 湾曲したガラスとダブルデッカー車特有の横揺れのせいで進行方向逆向きの2階席は乗り物に強い人間でも確実に酔う(by普段は車酔いをしない自分)。
  3. 実は湘南ライナーは215系がいなくても、185系と251系だけで回せる。
    • とはいえ通勤客のライナー需要は高いので215系はもっぱらピーク時間の詰め込み要員として使われるが、リクライニング可能な上記の車両に比べるとグリーン車以外ボックスシートしかないこの車両の充当列車はハズレであると言わざるを得ない。
  4. そして2021年、湘南ライナーの特急化で全車解体へ。

E501系[編集 | ソースを編集]

  1. 常磐線中距離電車の増発に向けて製造されたが、たった4本60両で打ち切りに。
    • 正確には快速電車の土浦延伸を視野を入れたもの。
  2. 常磐線普通列車にグリーン車を設置することになり、E531系に置き換えられてしまった。
    • 拡張車体であったためグリーン車を連結できなかったらしい。
    • なおE501系より古い高崎線・宇都宮線211系はグリーン車を連結して継続運転した。
  3. 茨城県内運用が中心になったが、10両固定編成が輸送力過剰すぎる。
    • 10両編成は朝くらいしか運用しない。
  4. 交直流車であることから、水戸線で使えると思ったら、デッドセクションでの故障が頻発した。
    • これにより事実上の交流専用車となり、常磐線でひそひそと生きながらえている。

253系[編集 | ソースを編集]

  1. 座席を交換したら窓割りが合わなくなってしまった。
    • E257系2000番台にも言えるが。
      • E257系のほうは元サロハの普通半室だったほうのグリーン席の窓割りが合わなくなっただけでそれ以外の窓割りはあっている。
      • 一方の253系1000番台はもともと1,060mmシートピッチを1,100mmピッチに変えたために元クロの1,090mmピッチから10mm広げただけの6号車以外の5/6で窓割りが豪快にずれる。
  2. グリーン個室もついていたが後継車であるE259系には引き継がれなかった。
  3. NEX時代の普通車の座席はまさかのボックスシート。しかもA特急料金をとってたのだからたまったもんじゃない。
    • そしてさすがにこれはいけないと思ったのか後にボックスシート編成に対して行なったサービスアップは集団見合い式への変更。
    • シート自体はそのまま流用しているために背面の華奢な部分が丸見えになったり、後付け感満載な背面折り畳みテーブルだったり、そのうえリクライニングも無しともはやどうしてこうなった?と言わんばかりの状態に…。
  4. VVVF全盛期に界磁添加励磁制御の新車を作る羽目になった。
    • 一応言っておくと、W杯の時に205系の足回りを流用して作った。

457系[編集 | ソースを編集]

  1. 3電源方式を採用したが、3電源方式を活かせる運用に就くことはなかった。

201系[編集 | ソースを編集]

  1. 製造費用が高すぎて、中央線快速線、中央・総武緩行線、京阪神緩行線にしか投入できず。
    • 後期には「軽装車」と呼ばれるコストダウン仕様車が登場するも、それでも高かったので、他の路線へはもっとお安い205系が投入されることになった。
  2. 大阪環状線にも入ったが、新車ではなく京阪神緩行線のお下がり。
    • ただ環状線こそ201系の条件に合っていたように思う。
  3. 103系共々可哀想な通勤車の例だな。国鉄にもう少し良識人がいて、界磁チョッパ制御を103系高運転台車新製時から採用してれば201系は界磁チョッパ制御だっただろうに。
  4. 界磁チョッパ制御を使えば成功作。というか103系も途中から界磁チョッパ制御にしとけよなって思う。なに労働組合にビビってんだよ本社

271系[編集 | ソースを編集]

  1. インバウンド需要により「はるか」の編成を増車するために登場したのだが、デビュー早々新型コロナのせいで乗客が激減し、編成から外される事態になり、デビュー後1ヶ月足らずでニートレインになってしまった。

281系[編集 | ソースを編集]

  1. クハ281には、京都駅構内の京都シティエアターミナル(K-CAT)で預かった客の手荷物を収容する荷物室があったが、K-CAT閉鎖後は需要が無くなってデッドスペースと化している。
    • 走行中に荷物室扉の外板パネルが落下する事故も起きたので、扉の閉鎖工事が行われた。
  2. 登場して25年以上経つのに未だにリニューアルがされず、中も外もボロボロの状態。
    • リニューアルはせずに、キティちゃんのラッピングを貼ってお茶を濁している。

283系[編集 | ソースを編集]

  1. 「くろしお」のみならず「やくも」へも投入される予定だったが、実際は18両で生産終了。
    • 381系の車齢からして時期尚早だったらしい。
  2. 振り子も使用停止となってしまい、更に2024年の北陸新幹線延伸開業で683系の玉突きによる置き換えが噂されている。
    • やくもへの転用も不可能ではないが果たして…?

105系[編集 | ソースを編集]

  1. 最初は完全な新車として登場したが、時代が進むと国鉄改革の煽りでローカル線向けに新製することを許されなくなり、203系投入で余剰化していた103系1000番台と一部の0番台を改造して増備することになった。
  2. 3扉新製車には中間車モハ105・サハ105が存在していたが、運用に柔軟性を持たせるため、登場から5年以内に先頭車化改造されて形式消滅した。

121系[編集 | ソースを編集]

  1. 高松都市圏電化に合わせて国鉄が最末期に投入した新車だったが、台車や搭載機器は廃車発生品を流用しまくっていた。
    • 補助電源装置として、サシ481形の廃車発生品でのMGを搭載していたが、トラブルが多発したので後年にSIVへ交換されている。
  2. コスト削減で、窓の開閉方式を1段上昇式にしたせいで、側面幕板部に行先表示器を設置できず、行先標(サボ)を使っていた。
    • 前面の行先表示器については、電動ではなく手動式。
      • 後にLED式になり、側面にも客窓の一部を埋め立てて、無理矢理LED方向表示器を付けた。
  3. 民営化後に色々と魔改造を受けて、最終的には別形式の7200系になった。

6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 老朽化した111系を置き換えるために登場したが、お金がなくて2編成6両しか造れなかった。
    • そのためJR東日本から113系を購入し、魔改造を施して置き換える羽目になった。
  2. 製造コストをケチるために既存形式の設計を流用した結果、1995年登場にも関わらず国鉄臭いデザインに。
  3. 「だんご3兄弟」にあやかって「3兄弟電車」と書かれたヘッドマークを付けてたことがあったが定着しなかった。
  4. 登場時は運転士側の窓下に「JR SHIKOKU SERIES 6000」、側面に「SERIES 6000 JR四国」の文字を入れてたが 、経年劣化でひび割れて解読不能になったので消された。

E257系2000番台[編集 | ソースを編集]

  1. 「あずさ」から「踊り子」へ転用するため、0番台からリニューアル改造されたが、細かい部分の仕上がりが雑で、やっつけ仕事だと騒がれている。
    • サロハは全室グリーン車へ改造されたが、旧普通室の座席の窓割りが合わない。

E131系600番台[編集 | ソースを編集]

  1. 2022年のダイヤ改悪で宇都宮線・日光線にて205系4連から本系列の3連に減車され積み残しが常態化した。
    • しかも改善策を考えることなく「奥に詰めない乗客が悪い」と責任を乗客に擦り付けたと揶揄される始末となった。
    • ちなみに、オールロングだと一部で叩く論調もあったが、それを言い出したら同じ時期に競合路線に投入された車両はもはや走ることすら許されないレベル。
      • なお、下手にボックスシートにでもしたら混雑が(略)。
    • 日光線でも107系・165系での実績を踏まえると6両編成の運用は可能だが、2023年現在はE131系にて全く設定されていない。

701系[編集 | ソースを編集]

  1. ほぼロングシートなので18きっぱーの敵である。
    • しかしながら当の東北人はほとんど慣れているため、忌み嫌うのは大体関東人である。
    • なお、静岡地区の211系よりは、全編成にトイレがついているためずっとマシ。

813系座席撤去車[編集 | ソースを編集]

  1. 立席スペース設置のため4割の座席を撤去した結果、地元民からも厄介者扱いされた。
    • 下手をしたら戦前の3等車レベルに酷い。
    • 流石にやり過ぎたのか、後に全車ロングシート化される方針となった。

新幹線[編集 | ソースを編集]

100系新幹線[編集 | ソースを編集]

  1. 300系以降の車両と比べて最高時速が遅すぎたばかりに、東海道新幹線からは早期の引退を余儀なくされた。
    • 一部の車両は実働13年弱と、減価償却が終わる前に廃車になっている。
  2. 豪華な設備で有名だが、早々にこだまに転用されたため無用の長物になってしまった。
    • 100系の代名詞の2階建て食堂車も末期は休業状態に。
  3. 実はグランドひかり用の100N系は300系と同じ270キロ運転が可能だったが、騒音基準をクリアできず高速試験の時しか性能を発揮できなかった。
    • 250キロ程度での運転も検討されるも、信号装置を対応させるコストに見合わず営業運転での最高時速は普通の100系と10キロしか変わらない230キロに抑えられてしまった。

200系新幹線[編集 | ソースを編集]

  1. 1992年の山形新幹線開業により400系新幹線と増結するようになったが、連結器カバーが開く姿がエイリアンみたい…
  2. 登場時は0系新幹線と顔が殆ど同じだったので、「代わり映えしない」と叩かれていた。
    • 実際は車両設計自体は、0系よりも大幅に改良されてるんだけど、当時は国鉄叩きも酷かったもんで、一般人には理解されなかった。
      • 顔以外には製造費の高さも槍玉に挙げられていた。

300系新幹線[編集 | ソースを編集]

  1. 引退日が先輩の100系新幹線と同じ日になってしまった。
  2. 前期車は空気抵抗を減らす目的で高価なプラグドアを採用していたが、たいして効果がなかったうえに故障が多発したので、後期車からは安価な引戸に戻ってしまった。
  3. 車両設計技術が未熟だったので、走行中の空気の圧力で車体が揺れたり、冷房能力不足などの問題も露呈した。
  4. 運用初期はトラブルが絶えなかった。
    • 1992年5月6日には、走行中に主電動機を固定するボルトが折損するという、重大インシデントを起こしている。
  5. リニア鉄道館で保存・展示されていた量産車323-20は、700系試作車723-9001と入れ替えとなり、解体されてしまった。
    • 最初から723-9001が来るまでの暫定展示だったんだけどね。
  6. 高速性能と引き換えに居住性を犠牲にしたため乗り心地が悪かった。

500系新幹線[編集 | ソースを編集]

  1. 山陽新幹線で300km/h運転を行うために開発された車両。新大阪~博多間を300系と比べて15分も縮めた凄い車両。
    • 本当は320km/h運転したかったらしいが、ブレーキ力が足りずに立ち消えとなった。
  2. JR東海から目の敵にされる。
    • 座席数は確保したが、300系新幹線と座席配置が異なったり運転台の後ろに旅客乗降口がない、シートピッチが1,020mmと20mm狭いのが気に食わなかったらしい。
      • なおその後JR東海が導入したN700系の先頭車のシートピッチは1,023mmである。3mm広ければ良かったらしい。
  3. 2007年からのN700系の導入の際には、300系新幹線より先に500系新幹線が追い出された。
    • いまではひっそり山陽新幹線の「こだま」として活躍している。
      • それが幸いし、後輩の700系(7000番台除く)よりも長生きした。
  4. このことが教訓となり、700系以降は新幹線用車両はJR東海とJR西日本が共同開発することとなった。
    • しかしJR西日本は在来線でいろいろな事故を起こしたため、今では実質JR東海が新型車両を開発している。
  5. 断面が円形に近かったので、従来車に比べると車内空間が狭かった。
    • 「まるでコンコルドのようだ」と比喩されたこともある。
  6. 製造コストも高かった。
  7. ただかなりカッコよく、人気もかなりある。
    • 先行試作車であるW1編成の先頭車が京都鉄道博物館に1両保存されている。

700系新幹線(16両編成)[編集 | ソースを編集]

  1. 500系より後に営業運転を開始し運転区間も変わらないのに、最高速度は500系より遅い。
    • 鉄道ファンの目の仇にされる。
    • 500系の最高速が実は出せる区間が少なすぎるので、加速性能を上げて実効速度を上げるというコンセプトだったから致し方なしな部分はある。でもスペック厨には理解されなかった(実際に最高速が275kmに制限される東京~新大阪は700系に切り替わって逆に2分速くなった)。
      • 他にも先頭車の先頭ドアが無いので客扱いに時間がかかる、アルミハニカムはコストが高すぎる等、運用面でも500系がアレだった。
  2. 東海道新幹線でのラストランは中止に追い込まれた。

新幹線E4系電車[編集 | ソースを編集]

  1. デビュー当初は輸送力を重視し、E1系に続く全車ダブルデッカーとなったが、現在JR東日本の新幹線は高速運転に注力するようになり、最高速度が低い (時速240キロ) E4系は2020年度までに引退することとなった。
    • 実際にはコロナ禍の影響で引退はやや遅れて2021年だった。
      • コロナというより、E7/W7を台風で大量に水没させてしまったツケもある。
  2. 一部編成は長野オリンピック対応による長野新幹線乗り入れのために複周波数対応(交流25kV50・60Hz両対応)にしたが、重すぎて営業運転で碓氷峠の勾配を登れなかったために下り勾配となる上り列車のみの運行にとどまった。
  3. 車体高が4485と限りなく限界に近いためパンタグラフはちょこんと小さくしか見えず、この状態を「デブの埋没チン●」と表現したyoutuberがいる。

E6系新幹線[編集 | ソースを編集]

  1. 高速化を図るために、空気ばね式車体傾斜装置を採用した車両。
    • これにより東北新幹線区間では「はやぶさ」と併結し、320km/h運転ができるようになった。
  2. しかし在来線の車両寸法ギリギリで製造したために、田沢湖線内で車体傾斜できず、スピードアップできなかった。
    • 車体傾斜装置があるのに在来線を制限65km/hで運転する始末。
  3. 結果、運用数を減らせなかった。
    • E3系6両編成は26本でE6系は24本だから2本減ってるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、この2本の製造削減分はE3系6両編成がE6系置き換え前から担当していた「やまびこ」「なすの」との併結列車運用を引き続き担当しているためで、実は26本のまま変えていない。

E7系・W7系[編集 | ソースを編集]

  1. 大半の編成が事故廃車となった。
    • せめて1両くらいは鉄道博物館に保存してほしかった...
    • 38編成中10編成が水没による廃車に…。
    • その結果E2系、E4系の引退が遅れた。

気動車[編集 | ソースを編集]

キロハ18[編集 | ソースを編集]

  1. 一般型気動車で唯一新製した優等車。需要が限られすぎて早々と荷物車に改造されてしまった。

キハ25形[編集 | ソースを編集]

  1. 国鉄車は片運転台ゆえJRに1両も引き継がれなかった。
  2. JR東海車はカミンズ製の環境対応型ディーゼルエンジンを搭載したが、同時期にハイブリッド車が東日本で投入されていたにも関わらず通常の液体式気動車となった。
    • しかもそのエンジンは異常発生時以外フルパワーで使用しない。
    • 最高速度は110km/hなのに、地方転用後は線区の関係で営業運用中に95km/hを超える速度を出さない。

キハ31形[編集 | ソースを編集]

  1. 車体が小型であり、床下機器も詰まりすぎてトイレすら設置することができず、中堅車でありながら見捨てられた。

キハ40系[編集 | ソースを編集]

  1. 大柄で頑丈な車体とは裏腹にエンジンが非力すぎた。
    • JR化後に高出力エンジンに取り替えた車両もある。
    • その頑丈な車体故に現場では厚遇されており、登場から40年経っても今尚主力形式である。

キハ120形[編集 | ソースを編集]

  1. 登場時はトイレがなく、しかも駅にトイレのないローカル線で運用されたため、×××××した利用客がいて新聞に取り上げられるほど問題になり、トイレ設置に追い込まれた。
  2. 同世代のタイプが置き換えられる中、ここは会社の都合で延命させられている。
  3. JR東日本キハ100系、まだバリバリだけど?
    • キハ100系に比べて明らかに耐用年数が短そうだが。

キハ130形[編集 | ソースを編集]

  1. 投入先が大誤算だった。日高本線でなければ塩害で寿命を縮めることもなかった。
    • その軽量車体故に寿命を縮めた。
      • JR化後の営業用車輌としては一番最初に形式消滅した。
        • しかも置き換えたはずのキハ40系に置き換えられた。
    • 一方、北海道ちほく高原鉄道の同型車は2006年の廃止まで使用された。

キハ181系[編集 | ソースを編集]

  1. 大出力化も本形式だけで板谷峠を越えることができなかった。
    • 正確には一応単独での板谷峠越えには成功したものの、夜間に臨時列車へ投入するなど酷使したためエンジンのオーバーヒートが多発し、補機の連結を再開せざるを得なかった。

キハ125形[編集 | ソースを編集]

  1. 車体が小型過ぎて大量投入には至らなかった。
    • その後大型のキハ220形に移行。それ以来、JR九州は小型車を異端視するようになり、中堅車のキハ31形ですら廃車にした。

キハE200形[編集 | ソースを編集]

  1. 量産先行車3両製造されているが、それ以降は増備には至っていない。
    • ただ派生形式は登場しているものの肝心の本形式の増備には至っていない。

キハ285系[編集 | ソースを編集]

  1. 世界初のハイブリッド車体傾斜システム搭載車両として試作された車両。だが、あまりの高性能に量産化されることも営業運転されることもなく解体された。開発費25億円。もったいねえ。
    • せめて「気動車」ではなくて「客車」として使って欲しかったような気が・・・。

キハ32形[編集 | ソースを編集]

  1. 2時間超の長距離運用があるのにトイレがない。

キハ35系[編集 | ソースを編集]

  1. 人口が多い近郊路線での運用を想定しており、電化されたらさっさと廃車にする予定だったが、のちに国鉄赤字が深刻になったので、ローカル線の旧型車を置き換えるべく、地方へ転用されることになった。
    • 両開き3扉やロングシートなど、ローカル線運用には向いていない車両設備が、転用先の乗客から不興を買ってしまう。

キハ81系[編集 | ソースを編集]

  1. 第2回アジア鉄道首脳者会議で御披露目するため、試験走行をろくにせずに突貫で開発した結果、エンジン関連の初期不良に悩まされる。
    • はつかりがっかり事故ばっかり」「特急がっかり」と、当時のマスコミから叩かれまくった。
  2. 先頭車のキハ81形は、非貫通だったので使い勝手が悪く、車齢20年も経たすに廃車となった。

キハ187系[編集 | ソースを編集]

  1. 切妻構造の前面デザインが原因で、トンネル微気圧波が発生する。
    • そのせいで智頭急行線内の一部の単線トンネルの手前では、この形式のみ速度制限が設けられている。

キハ201系[編集 | ソースを編集]

  1. 高性能な通勤型気動車だが、お値段も高かったので、4編成12両しか造れなかった。

GV-E400系[編集 | ソースを編集]

  1. JR東日本初の、蓄電池非搭載型電気式気動車。
  2. 当然回生ブレーキは持たないが、なんと発電ブレーキもついていない。
    • ダイナミックブレーキはすべて間接機関ブレーキ・間接排気ブレーキで担う。

2600系[編集 | ソースを編集]

  1. 空気ばね式車体傾斜装置を採用したが、土讃線の線形には対応できなかった。
    • いい実験台だ、有意義だ。

機関車[編集 | ソースを編集]

EF58[編集 | ソースを編集]

  1. 61号機はロイヤルエンジンと評されるほどの名車であるが、口の悪いファンからはゴキブリ呼ばわりされていた。

EF71[編集 | ソースを編集]

  1. 板谷峠の交流電化でEF64を駆逐したが、山形新幹線開業で需要がなくなり、駆逐したEF64の方が生き残った。

EF200[編集 | ソースを編集]

  1. 平成のマンモス機として世に出たがバブル崩壊で持て余し、メーカーが機関車製造から撤退したことで延命できなかった。
    • メーカー供給部品も尽きてしまったので、部品取り用で廃車にするという、共喰い運用も行われていたが、やっぱり限界だった。
  2. 高性能すぎて、性能をフルに活かせなかった。フルパワーで走ると他の電車に電気がいかなくなるほどらしい。
    • 付いたあだ名は『変電所キラー』
    • ある意味上の新幹線500系と境遇が似ている。

EF500[編集 | ソースを編集]

  1. EF200の姉妹機、こちらは交直両用で、EF65-ED75重連-ED79重連の機関車交換を省略するために開発された。
  2. が、EF200同様に変電所キラーな上に誘導障害も凄まじく、更には同区間の貨物輸送量が減ったことからオーバーパワーにも程が有り、試作車のみで終了。

ED500[編集 | ソースを編集]

  1. ED75重連の置換え用試作機として作ったはいいが、軸重が足りず空転連発。結果使い物にならないと1両だけで終了。
    • パワーだけ2倍にすればいいってもんじゃない!
  2. 日立製作所最後の機関車となってしまった。

DD54[編集 | ソースを編集]

  1. 国会でも話題にされるレベルの失敗作ディーゼル機関車。
  2. 西ドイツ製機器のライセンス品なので改良に態々許可が必要だったり、そのライセンス生産の生産管理が微妙だったりで故障頻発の原因になった。
  3. おかげで保守費はDD51の18倍にまで達したとか。
  4. そんな車両だが、1両が京都鉄道博物館に保存・展示されかわいがられている。

客車[編集 | ソースを編集]

50系客車[編集 | ソースを編集]

  1. 当時近代化が進んでいたにもかかわらず、労組の圧力により機関車けん引の客車列車を存続させるためだけに1977年から大量投入された。
    • 奇しくも上記のキハ40系列と同い年である。
    • 交流電化線区では北海道以外では交直流電車を投入する方針だったため、コストの大きさもあったらしい。
  2. 国鉄時代は使用されていたが、分割民営化されるととたんに行き場を失った。
    • 客車の耐用年数は20年だが、あまりにも使い勝手が悪かったので10年程度で留置→廃車が定番のパターンだった。
    • ごく一部は気動車改造を受けたそうな。
  3. 国鉄分割民営化後に一番輝いていた運用は、津軽海峡線快速海峡。

マヤ40[編集 | ソースを編集]

  1. 元々は戦後すぐに、特急用の1等寝台車として登場。長らく本線の花形として活躍したが、老朽化で引退、第二の人生を送ることに。
    • しかし、その第二の人生がよりによって脱線試験車。北海道の山奥で延々と脱線試験に従事させられるハメに。
      • ただし本形式が脱線させられることはなかったらしい。

貨車[編集 | ソースを編集]

スライドバンボディシステム[編集 | ソースを編集]

  1. コンテナを荷役機械なしでトラックから貨車に積み替えるシステム。トラックが来ないと荷下ろしできないという欠点があった。

10000系貨車[編集 | ソースを編集]

  1. 100km/h走行可能であるが牽引できる機関車に制約があり、扱いづらい存在だった。
  2. コンテナ車に至っては規格変更で5tコンテナ4個積みに削減された。

関連項目[編集 | ソースを編集]