ざんねんな鉄道車両事典/私鉄

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全般[編集 | ソースを編集]

ワイドドア車[編集 | ソースを編集]

  1. 多扉車と同じく、ラッシュ時の切り札だったが、今や東京メトロ東西線でしか役割を果たしていない。
  2. 小田急1000形のワイドドア車は、後の改造でドアが開く幅が狭くなった。
    • しかし外側の扉口はそのままなので外から見ると半開きしているように見える、

東日本[編集 | ソースを編集]

定山渓鐡道2300形電車[編集 | ソースを編集]

  1. 東急7000系に似た外観を持つ車体とは裏腹に防寒の観点から固定窓を採用したため、夏場は気分が悪くなる乗客が続出し、ゲ○電と揶揄される始末だった。
    • 吐気用の袋も用意されていた。
  2. それゆえにどこも譲渡されなかった。
    • 足回りが旧型車の使い回しなのも譲渡されなかった理由らしい。

京成AE100形[編集 | ソースを編集]

  1. 地下鉄乗り入れも視野に入れたが、都が消極的だったので乗り入れることはなかった。
  2. スピードアップの観点から2代目AEが登場するとシティライナーに転用された車両を除いて持て余し、廃車となった。
    • そのシティライナーも本数削減→廃止で結果的には全滅。先代のほうが機器だけ生き残る結果となった。

京成3600形[編集 | ソースを編集]

  1. 先頭車がクハなので京急出禁。
    • 『ターボ君』と呼ばれる編成は先頭車がデハなので京急乗り入れ可能だが、そもそも京急直通運用に4,6両編成の運用が無いので、営業列車ではやはり入れない。
  2. 扱いずらさが災いしてか、先輩の3500形よりも早く置き換えられて今や風前の灯火。

京王6000系電車[編集 | ソースを編集]

  1. これまで京王の車両は引退後、他社に譲渡されることが多かったが、6000系は車体の長さが20メートルもあるのか、他社に譲渡されず大半が解体された。
  2. 鋼製なのが災いしてか、平成生まれの車両も含め早々と廃車に。
  3. 電動貨車への改造車もあったが、こちらも部品の枯渇でデヤ900系に代替されあっさり廃車された。

小田急1000形[編集 | ソースを編集]

  1. VVVF車だが、他車との併結を考慮して電気指令式ブレーキを採用できなかった。
  2. ワイドドア車は2m幅のドアが特徴であったが、不便であったことから1.6mに狭められた。
    • 以降、2000形と3000形1次車では当初から1.6m幅のドアを採用している。
  3. 2014年から更新工事が開始されたが、8000形より更新費用が高くつき、98両が施工されたところで更新が打ち切りとなった。
    • 元からワイドドア車は対象外だったが、それ以外に62両が未更新のまま残ってしまった。
  4. 2020年より廃車が開始されたが、ワイドドア車に先立って1081F8両がサハ2両を残し最初に廃車されている。
  5. 6連のまま更新された車両は2022年現在皆無である。
    • それどころか2022年11月までに6連は消えた。

小田急10000形[編集 | ソースを編集]

  1. ハイデッカー構造がバリアフリー化の障害となり、7000形よりも先立たれてしまった。

小田急20000形電車 (RSE)[編集 | ソースを編集]

  1. ハイデッカー構造や、編成中ほどのダブルデッカー車がバリアフリーの障壁となり、上記の10000形と同じく2012年に引退した。
  2. 2014年に富士急行に譲渡された際は、短縮後の3両編成にダブルデッカー車が組み込まれなかった。これはダブルデッカー車の貫通扉が、片側は2階部分にしかないことも要因のひとつである (反対側は通常の高さに貫通扉がある) 。
    • これらはJR側の車両である371系にも同様のことが言える。まぁこっちは後年車椅子対応席が用意されたけど。

小田急30000形電車 (EXE)[編集 | ソースを編集]

  1. 観光輸送のみならずビジネス利用も考慮された仕様だったが、1996年のグッドデザイン賞は受賞したのに対して小田急ロマンスカーで初めてブルーリボン賞を逃してしまった (ローレル賞も受賞せず) 。
    • 一方で一説によると乗り心地に関しては歴代ロマンスカートップクラスと言っても過言ではないらしい。
    • 内装デザインを小田急百貨店に担当させたことも一因とされている。
  2. 順次EXEαへのリニューアルが進められており、EXEαの2本目からは窓側にコンセントが付けられているが、EXEαの1本目にはコンセントが付いていない。
    • 券売機や予約サイトではEXEとEXEαの区別がされていない。
    • 逆にEXEαへの更新は2年以上ストップしてしまい、未更新車の廃車の噂も出ている。

小田急50000形電車(VSE)[編集 | ソースを編集]

  1. 車両の人気は高かったが、連節構造に加え車体傾斜装置など特殊な装備が多く、ホームドアにも支障したため登場からわずか17年で定期運用を終了することになった。

小田急電鉄 喜多見検車区の保存車両たち[編集 | ソースを編集]

  • 喜多見検車区には1形 (開業当初の車両) ・2200形・2600形・9000形 (初の地下鉄直通車両) ・3100形 (NSE) ・10000形 (HiSE) ・20000形 (RSE) が保存されている。
  1. いずれも、複々線開業に伴う運行本数増加により増えた車両の留置スペースを確保する目的で、一部車両が解体されることとなった。
    • なお、車両が解体される大野総合車両所へは、深夜に他の車両の牽引によって回送されたが、こちらには多くの鉄道ファンが集った。踏切通過後は遮断機が上がると踏切の内側で回送車を追いかける人も少なくなかった。

小田急3000形[編集 | ソースを編集]

  1. 藤子作品をラッピングした車両があったが東京都から屋外広告物条例違反である旨指摘を受け運転中止となった。
  2. 試験的に防音カバーを装着していたが本格採用されず。
    • そのカバーも一部から変態カバーと呼ばれる始末。
  3. 前面もJR東の209系と近似の無機質なものになってしまった…。
  4. 一部からは冷房からのカビの臭いで不評である。
  5. 更新車は電気連結器を撤去されるなど、もはや小田急お得意の分割併合をなくすことが見込まれた仕様になった。

京急600形(3代目)[編集 | ソースを編集]

  1. 1人掛けと2人掛けに切り替わるツイングルシートなる物を採用したが、結局使われないという理由で4次車でこの装備自体廃止となった。
    • その後オールロング化改装も受けることに。まあこれは2ドア→3ドア+オールロングというもっとすごい改装となった2000形の前例があるので一概に残念なわけじゃないけど。
    • しかもそれで浅草線に乗り込んだ結果、都から顰蹙を買ったそうな。
  2. その後近鉄がロング⇔クロスシート変換システム(L/Cカー)を開発、混雑時にも対応できるクロスシートはすっかりそちらにお株を奪われた。
    • 京急もついに1890形でこれを採用した。

京急1000形(2代目の6次~14次車)[編集 | ソースを編集]

  1. 京急なのに赤くない。
    • 一応言い訳「ステンレスを赤く塗るのは無理」(先頭の赤い部分は普通の鉄)。
  2. 批判に晒されながらも9年作られ続けていたが、2015年ロールアウトの15次車は全面ラッピングでほぼ赤くなり、2017年ロールアウトの17次車ではついに全面塗装で赤くなった。
    • この際に「京急らしさを取り戻す」と公式が暗に認めてしまった。

東武1800系格下げ車[編集 | ソースを編集]

  1. 5050系置き換え用として特急形車両である1800系を通勤形に改造したが...。
    • お察しの通り特急形を通勤形にするのは無理があった。ドアが片側5ヶ所しかないため乗降に多くの時間を要し、遅延の常習犯に。
  2. そもそもこの車両は後継車が来るまでの繋ぎのために導入したものであり、8000形の導入であっという間にお役御免となった。

東武2000系[編集 | ソースを編集]

  1. 20m車の導入をしない東急と営団地下鉄日比谷線に屈して導入した18m車。
  2. 日比谷線乗り入れ終了後にMT比を変えて野田線に転属したところ、故障が多発して転属は一部をもって立ち消えとなった。
  3. 日比谷線内での火災事故で全焼した車両がある。

東武5070系[編集 | ソースを編集]

  1. 野田線の高速化の妨げとなり、5000系列の中でいち早く淘汰対象になった。
  2. 他線区への転属も不可能だった。
  3. 結果として車齢20年を迎えた編成は皆無だった。

東武5700系20番台[編集 | ソースを編集]

  1. 当初は直角カルダン駆動だったが、あまりにもひどい故障に見舞われ、吊り掛け駆動に改造された。
  2. 同様の理由でモハ5800も吊り掛け駆動に改造され、東武から直角カルダンは全滅している。

東武20000系[編集 | ソースを編集]

  1. 地下鉄日比谷線直通車両をリフレッシュするために導入した18m車。
  2. しかし日比谷線の20m車化が決定し、お役御免になる。日比谷線のためだけに導入したのに!!!
    • 25年も働いたからいいでしょ
    • のちに改造の上で宇都宮線に転属されたがその内容はこれまでの東武らしさをことごとくぶち壊している。
      • 5ドア車から改造した車両はドアを塞いだ跡がバレバレ。
        • これはいろはやフルーティアにも同じことが言える。
          • いずれもステンレス製ゆえパテ埋めができないので仕方ないところではある。
            • 逆にアルミ車体ながら塗装されている京阪8000系プレミアムカーはドアの跡は綺麗に埋められている。
  3. 03系にも言えるが、衝突事故にあった編成が存在する。
    • サリン事件でも被害を受けている。

東武20400系[編集 | ソースを編集]

  1. 日比谷線の20000系列を栃木で再雇用・・・、までは良かったが6050系まで置き換えてしまい長距離利用者層から非難の嵐。
    • オールロング・トイレ無し、挙句に急行削減+野岩・会津へは直通打ち切りも相まって特急誘導だと揶揄されている。
    • さらに言ってしまえば18m級で輸送力も減退しているものと推定される。6050系は20m級。

東武30000系[編集 | ソースを編集]

  1. 東武が20m車10両編成で運転する半蔵門線に直通するために製造した車両。
  2. しかし当時10両編成を保守できる検車場がなかったため、6両+4両の分割車両にしてしまった!
    • 既に東上線には10両固定編成の地下鉄直通用9000系がいたのに、なぜ分割編成にした…
    • 当時はまだ半直運用はラッシュ時の輸送力増強程度にしか考えていなかったらしく、地上線の準急(いわゆる伊勢崎や新栃木発着の赤準急)にもつかせられるように6両編成と4両編成を分割できるようにしたというのも理由の一つ。
  3. 連結部に人が乗せられず定員が少なくなるので、混雑率190%越え(当時)の東急田園都市線からクレーム殺到。
    • 分割できるメリットは、太田行きフラワーエクスプレス号の運転のみだった。
    • なんでも東急車の6ドア車の位置に運転台がきたとか。
    • 当車両に限った話ではないが、空きスペースでらくらく通勤をするため、ラッシュ時間帯に連結部の扉を閉める客もいたとか。扉の裏側に「勝手に閉めると罰せられます」的なことが書いてあるにもかかわらず。
  4. 仕方がないので10両固定編成の50050系に置き換え。
    • 30000系のほとんどは東上線に転属してしまった。
      • そして東上線で10両固定化改造を受けたらしい。
  5. 同じような境遇の車両として小田急1000形と京急1000形1800番台が存在する。(これらの車両も地下鉄に乗り入れる分割車両だが、その分割構造のせいで乗り入れ先から出禁にされた)

東急5000系(初代)デハ5001号[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知れた「青ガエル」のトップナンバー。東急で運用を退いた後は上田電鉄で使用され、引退後は東急に里帰りを果たした。ここまではいい。
  2. 2006年、渋谷区側の要請によりボディカットの上床下機器をすべて外されてハチ公口に展示される。保存というよりモニュメント扱い。
    • 土地柄故落書きやいたずらの標的にされることも多々あり、ハロウィンやポムポムプリン仕様にして何とか乗り切っていた。
  3. 最終的に一般人からは「ハチ公口というより青ガエルの前といったほうが通じる」ぐらいには定着したものの、2020年に渋谷の再開発により縁もゆかりもない秋田への移送が決定
    • 上記の通り渋谷のモニュメントとして考えればわりと筋の通った話であるが、保存車両として考えればとんだ転落車生である。
  4. 同じように金沢で保存されていた5200系のトップナンバーは「東急車輛産業遺産車両」として永久保存されている。どうしてこうなった。

東急2000系[編集 | ソースを編集]

  1. 3編成しか製造されなかったこともあり、東武非乗り入れ車両に。
    • そのため2003年以降日中の運転がほとんどなかった。
  2. 新デザインのカーテンを搭載していたが普通のものに交換された
  3. 2018年に大井町線転属。同時にIGBT化。
    • しかもそれから少しして9000系に編入。
  4. 2026年までに早期淘汰される。

東急6020系[編集 | ソースを編集]

  1. 登場から1年も経たないうちにQシート投入で編成組み換え・余剰車を出すという、臨機応変はおろか迷走を通り越してその時の気分で車両計画を決めてるのではないかと疑いたくレベル。

京成AE形(初代)[編集 | ソースを編集]

  1. 成田空港の開業に合わせてスカイライナー用の車両として登場。しかし空港の開業遅れで運用開始が遅れ、さらに過激派に車両を焼かれるなど、散々な目に遭った車両であった。
  2. 成田空港駅が現在の位置にできるのに合わせ、AE100形が登場。初代AE形はあまり活躍できずに廃車となった。
    • 走行距離が短かったため、車体だけを通勤型のものに乗せ変えた3400形として生まれ変わっている。

営団03系[編集 | ソースを編集]

  1. 地下鉄サリン事件や中目黒駅脱線事故など、とにかく酷い目に遭っている。
  2. 6000系みたいに特にラストランのイベントもなく、ひっそりと引退した。(まぁ6000系のラストランはあれだったからなぁ...)
  3. 譲渡車はそこそこいるが、逆にお流れになり解体されたものもいくらか存在する。

営団06系[編集 | ソースを編集]

  1. 21世紀の地下鉄車両の基本モデルとして位置づけられたが、1編成しか製造されず、6000系よりも先立たれてしまった。

営団07系[編集 | ソースを編集]

  1. 有楽町線にホームドアが設置されると特殊なドア配置が災いして早期引退となった。
    • だが東西線に転属しただけ廃車になった06系よりはマシ。

埼玉高速鉄道2000系[編集 | ソースを編集]

  1. 車両改修工事に伴いドア上にLCD画面が設置されたが、あくまで広告用なので行先案内は3色LEDのまま。
    • だが2020年に新型LCDに交換されることが決定した。

秩父鉄道2000形[編集 | ソースを編集]

  1. 元東急7000系だが、冷房化が難しいのと全長が短いせいで早期廃車となってしまった。
    • 事故以外で廃車になった7000系は本形式が最初である。

相鉄11000系[編集 | ソースを編集]

  1. JRへの乗り入れを想定していたが結局直通は後輩の12000系に任せて線内封じ込めとなった。
    • まぁリニューアルされたら直通する可能性はあるが。
    • そもそも編成単位の機器構成がE233や12000系と真逆らしいので編成の向きを変えないさせない限り、リニューアルしても乗り入れは厳しいかも...

富士急行2000系 2002編成[編集 | ソースを編集]

  1. 2014年2月に引退する予定だったのが、引退記念イベントが記録的豪雪により中止となった。

富士急行5000形[編集 | ソースを編集]

  1. 地方私鉄の車両にも関わらず冷房を搭載するなど、意欲的な設計が評価されてローレル賞を貰ってるが、試作車のため2両編成1本しか造られず。
    • 増備するお金もなかったので、以降は他社からの中古車でしのいでいる。
    • 試作車ゆえ、保守部品に事欠くようになり、1000・1200形(京王5000系)よりも先に引退。
    • 試作車ではなく事故車の廃車補充。

東海[編集 | ソースを編集]

伊豆急行3000系[編集 | ソースを編集]

  1. 種車が209系であり、ただでさえ25年使用されて老朽化が著しいため長くは持たないと言われる。
    • より脆い川重製の初期車が未譲渡なだけ一応救い。
  2. 車内がロングシートベースのセミクロスのまま改修されず、景色が後ろ向きになるなどある意味701系に類似した境遇を辿っている。

伊豆箱根鉄道7000系[編集 | ソースを編集]

  1. JR直通の快速列車用として導入された車両。
    • が、直通の計画がお流れになってしまい、乗り入れることはなかった。
      • その際に一部をを指定席車にする予定だった。先頭車と後尾車は3ドアなのに中間車だけ2ドアなのはこの名残。
    • 直通計画が無くなったので、以後の車両増備は3000系で行われた。

大井川鉄道3000系[編集 | ソースを編集]

  1. 元小田急3000形(SE)を買い取り、ロマンス急行「おおいがわ」としてデビューしたが...
    • 客をSL急行に取られてしまい、僅か4年で運用から外された。
  2. 2代目は京阪旧3000系だが、どういうわけか自身よりも古い元南海21000系や元近鉄16000系よりも先に廃車になってしまった。富山に譲渡された仲間は健在なのに。

大井川鉄道6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 初代は北陸鉄道6000系を譲受したものだったが、昇圧非対応の走行機器ゆえ電装解除されたため他の電動車と常に3連を組んだためワンマン化ができなかった。
    • しかもこの6000系、山中線廃止後に、6010系と共に石川総線に入線すると車両限界に抵触したため異電圧ながら当時の名鉄グループの大井川鐵道にやってきたという不遇っぷり。
    • 結果、より古い21000系が南海から入線すると、吊り掛け車の6010系より早く廃車解体された。
  2. 2代目は旧南海6000系だが、2020年7月に搬入されたものの、COVID-19と大水害の影響もあるのか、2023年初頭になってもまだ運用に就いていない。このまま全く稼働せず解体とならなければよいが。

大井川鉄道16000系[編集 | ソースを編集]

  1. 事故や故障に見舞われてばかりなのか、より古い21000系を差し置いて廃車が進んでいる。

名鉄7000系[編集 | ソースを編集]

  1. 鉄道ファンや利用者の人気は高かったものの現場での扱いが悪かった。
    • 運転台が高すぎて他社に譲渡すらされなかった。
      • 運転台に入るのに側面にあるステップを2階まで登る必要があった。
    • 消費電力も大きかったそうだ。

名鉄1600系[編集 | ソースを編集]

  1. 空港アクセス特急を見越したものの、空港線開業時に登場した2000系がその役割を担ったため、当初の目的を果たすことは少なかった。
  2. 「パノラマsuper」とか言いながら、全然パノラマじゃない。
  3. しまいには特急政策の見直しにより要らない子となってしまい一部特別車化。その際ク1600は改造されず9年の短命に終わった。
  4. とにかく不具合が多い。1700系化されても。
    • 登場早々前面貫通幌をぶっ壊したのが代表。
    • そして2021年に引退…。登場後わずか22年という短命だった。

名鉄8800系[編集 | ソースを編集]

  1. 観光輸送に特化した特急車だが、それがアダとなり観光客減に伴い改造することになったのだが…
    • 窓割りとあわない座席が出現した。
    • 個室は残したものの、通勤には不評だったらしい。
  2. 足回りはパノラマカーの使い回し。そのため110km/hまでしか出せなかった。
    • 晩年にはかなりガタが来ていたようにも思う。
  3. これらが重なって登場から21年の短さで形式消滅。

名鉄6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 通勤車両ながらクロスシートを装備したことが評価されブルーリボン賞を受賞したが、そのクロスシートが「1.5人掛け」と揶揄されるほど狭く、同じ座席を採用した6600系共々ロングシート化された。
  2. 瀬戸線送りになったのはすべて中期車で、本線系統に先立って置き換えが進められてしまった。
  3. 中期車の4連や後期車は三河線などのワンマン化改造が全くなされず、他に先立って廃車が進められた。

名鉄6750系[編集 | ソースを編集]

  1. 21世紀初め時点で瀬戸線で最も車齢が浅かったが、4000系の投入が始まった際に吊り掛け駆動方式ゆえ足回りの煩雑さが災いして真っ先に代替対象となった。
    • しかも1次車より2次車のほうが先に淘汰された。
  2. 2次車はカルダン駆動化、電磁直通ブレーキ化にも当初より対応していたが、廃車まで実施されず、本線系統への転属もなされなかった。

名鉄モ800形(2代)[編集 | ソースを編集]

  1. デビューからわずか5年で廃線の為、故郷から追い出された可哀想な低床車両。
  2. その後豊橋や福井に移籍したが、後継で出た低床車両により劣勢となりニート化。
    • そして福井からは追い出された。
    • 一方豊橋の方は劣勢の主なポイントとなっていた井原のカーブが、通れるようになり。ニートを脱却し、福井から追い出された仲間を引き取った。
  3. ネット上だと初代の方が若干人気があるようで、地味。(最近はそうでもないが)
    • ほぼ豊橋における全面広告化で地味さを回避しているようにも思えなくもない。

名鉄7500系[編集 | ソースを編集]

  1. 機器が先進的すぎた結果他のSR車と併結できず、運用上での厄介者に。
  2. 特別整備が途中で打ち切られ、未施工車はそのまま廃車された。
    • ただ機器は1030系に流用されただけマシかもしれない。
  3. 残った車両もバリアフリー化に対応できないことから、7000系よりも先に廃車。
    • 低床なのが災いして逆段差ができるほどだった。

養老鉄道7700系[編集 | ソースを編集]

  1. 譲渡時点で車体自体が製造から55年を超えている化け物で、譲渡後30年使用予定とされる。
    • 実際にはこれによって置き換えられる元近鉄車よりも古い。ステンレス車体なので老朽化の度合いは低いが。
  2. ここまでは良いのだが、従来の旧近鉄車より車体長が3m近く短くなり輸送力は減退気味。
  3. 当初3連は変電所容量の関係で1M2Tで運行されることがほとんどだった。
    • というか養老線は近鉄時代から1M2Tで運用されていた。
    • もっとも、600系の4両運用を実施したためなのか、それ以降2M1Tでの運用となっている模様。
  4. この30年使用予定が流れるという噂が絶えない。
  5. 東急から譲渡される両数の関係で元近鉄車全てを置き換えることはできなかった。

北陸[編集 | ソースを編集]

富山地方鉄道クハ90形[編集 | ソースを編集]

  1. 14720形と同時期に登場した18m級の両開き3扉車だが、マスコンがHL仕様だったため、14710形投入により車齢9年で廃車された。
    • そのせいで模型界隈では架空鉄道譲渡のネタにされることが多い。

富山地方鉄道10020形[編集 | ソースを編集]

  1. 冷房能力が弱かったがゆえワンマン化の対象から外れ、同時期の14720形より廃車が先行して進められた。
    • もっとも、完全引退自体は14720形と3ヶ月しか変わらないだけマシである。

えちぜん鉄道モハ3001形[編集 | ソースを編集]

  1. 京福から移管された後、老朽化が災いして一度も営業運転に就かず、MC6001形に代替されてすべて廃車されている。

西日本[編集 | ソースを編集]

近鉄1230系[編集 | ソースを編集]

  1. 1220系の台車を変更したバージョンだが、直後に車体をモデルチェンジした1233系が登場したため、2連×2編成4両のみで終わった。
    • 更に、これと同世代にあたる三菱製VVVF車は登場せず、1422系から直接的に車体設計変更版の1430系に飛んでいる。
    • 一方で同世代の南大阪線車両6407系は6編成12両が製造された。

近鉄1233系・1430系[編集 | ソースを編集]

  1. 極めて万能な2両編成のVVVF通勤車に見えるが、他車との併結を考慮した結果電気指令式ブレーキは採用できなかった。
    • 南大阪線の6400系も同じ。
  2. 一部はLCD設置や座席モケットの交換もなされたが、機器類は全くもって未更新のまま30年以上が経過したものもある。
    • 2023年、ついに車体更新が開始されたが、機器未更新車のままであることがほとんど。
  3. 車体更新時に車内案内表示器(3色LEDもLCDも)とドアチャイムは、仕様統一と半導体不足の影響なのか容赦なく撤去され、もはや車両更新が無計画に進んでいると思われるレベル。

近鉄1810系[編集 | ソースを編集]

  1. ごく普通の高性能通勤車だが、登場当初は電制を全く持たなかった。
  2. B更新時に停止用発電ブレーキが搭載されたが、抑速ブレーキ設置は見送られた。
    • 間違えた車体更新だ。
  3. さらには1000系と車両ごと交換されて台車が旧式だったものもある。
  4. このせいで大阪線や奈良線からの中古車の転入により早期淘汰が進み2022年現在は6両しか残っていない。

近鉄2410系ク2591号車[編集 | ソースを編集]

  1. 増結用の制御車として登場。
  2. 1980年代の固定編成化の際に1480系1496Fと編成を組んだ。
  3. 結果、1999年に1480系1496Fが廃車されると2470系2472Fと編成を組むことに。
  4. さらにその2年後に2472Fが淘汰されると巻き添えで廃車解体されてしまった。
  5. 2022年現在、2410系での廃車解体はこの1両のみである。

近鉄2600系[編集 | ソースを編集]

  1. 後の2610系の基礎を作った4扉固定クロスシート車だったが、当初は座席の背ズリが低くビニールレザー張りだった。
    • 加えて当初は非冷房だった。
      • 冷房改造と同時に2610系と同じ座席に改造されたが、試作的要素が強かったためかロングシート化は行われず、同時期に製造された2410系よりも先に2004年に全廃された。

近鉄2610系[編集 | ソースを編集]

  1. 長距離急行用として4扉ながらオールボックスシートを採用したが、さすがに無理があったのかボックスシートはあまりにも狭く通路側の肘掛けすらなかった。そのため1990年代の車体更新時にL/Cカーに改造された名古屋線所属車両を除きロングシート(トイレ前を除く)に改造された。

近鉄3000系[編集 | ソースを編集]

  1. 京都市営地下鉄烏丸線乗り入れ用として登場した近鉄初のオールステンレス・電機子チョッパ制御車だが、結局どちらも後が続かず、地下鉄乗り入れも叶わなかった。
  2. 結果4両1編成のみの存在となったが、異端車的存在のためか同時期に作られた8600系よりも先に廃車になってしまった。
  3. 近鉄というよりもアメリカの都市鉄道あたりが走らせてそうな見た目。

近鉄8400系[編集 | ソースを編集]

  1. 10両は近鉄奈良線系統でコイルばね台車を搭載しているが、同じコイルばね台車車両のク1111と比較しても乗り心地が悪い。
  2. 1両のみ、整備がラインデリアより大変な扇風機搭載車が存在する。

近鉄8600系[編集 | ソースを編集]

  1. 界磁位相制御グループ以外はすべて永久直列の抵抗制御で、抵抗損失がかなり大きい。
    • しかも養老鉄道譲渡車を除けば、令和に入ってからも直並列制御ができないまま残ったのは本系列のみ。
  2. しかも界磁位相制御化改造は4本のみで終わってしまったが、これは新製冷房車ゆえ省エネ効果が期待できなかったためである。

近鉄10000系[編集 | ソースを編集]

  1. 日本初の2階建て車両である初代ビスタカーだが、試作的要素が強かったために座席予約のコンピュータ化に対応できず1971年に登場からわずか13年で引退。
    • 加えて河内国分駅で追突事故に遭い、事故車両は独特の流線型の前面が大破して復旧に伴い18200系と同様の貫通型に改造されてしまった。

近鉄12000系[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる元祖スナックカーだが、後に登場した12200系があまりにも大所帯だったためその陰に隠れる存在となった上、登場間もない頃に2編成を事故で失ってしまった。
    • スナックカーの名前の由来となったスナックコーナーも有効に利用されたとは言えず、数年後には車内販売の基地となった上、更新時に撤去された(12200系も同様)。
  2. 定員確保のためトイレはTcの運転室後部に設置され、2両編成だと使いにくい位置だった。

近鉄21000系[編集 | ソースを編集]

  1. 80000系ひのとりに追われ、12200系の残党を玉突き転属で成敗したが、名阪特急から汎用運用をゼロにしてしまった。
  2. 125kW主電動機であることに加え、回生ブレーキを持たない抵抗制御の全電動車のため、走行時の消費電力量が恐ろしく大きく、省エネ化にかなり逆行している。

近鉄80000系[編集 | ソースを編集]

  1. 車両自体は素晴らしいが、デビューした2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で旅行需要が減少し、せっかくの新型車両が持て余してしまった。
    • 登場が1~2年早かったら…と悔やまれる。
      • もし2020年の五輪開催地が東京ではなく名古屋か大阪だったら登場はやや早まっていただろうに。
    • 加えてコロナ禍などによる旅客収入減少により2023年には運賃が大幅に値上げされ、新幹線に対する優位性が小さくなってしまった。

南海2000系[編集 | ソースを編集]

  1. 高野線ズームカーの第2世代として登場したものの、橋本までの複線化が完成した後は大運転(平坦区間と山岳区間の直通運転)の減少や2300系投入により車両が余剰となり、一部が南海本線に転属した。高野線に残った車両も橋本以北の運用に入ることも多い。
    • ズームカー伝統の17m車ゆえに、一般運用(特に南海本線普通車)においては一部利用者からは混雑すると不評。

南海2300系[編集 | ソースを編集]

  1. 高野線橋本以南での2両ワンマン運転用として登場し、当初は難波直通の快速急行としても運用されたものの、1-2列転換クロスシートのため座席数が少なく、後に定期運用において橋本以北に入ることはなくなった。

南海6300系[編集 | ソースを編集]

  1. 6100系の台車交換及び車体更新で生まれた車両だが、流用元の台車や編成の構成がまちまちでそれ毎に車番を区別したため、付番基準が非常にカオスでわけがわからない状態になってしまっている。
    • 台車に関しては新造した車両もある。

南海7100系1次車[編集 | ソースを編集]

  1. 当初非冷房で後に冷房改造された昭和44年製造の1次車は2次車以降と異なり更新を受けずに2003年までに廃車になった。
    • 但し台車は6300系に、主電動機は31000系に流用されている。

南海8200系[編集 | ソースを編集]

  1. 南海初の界磁チョッパ制御車として登場したが、6連×3本が製造されただけで、後にVVVF化を含む更新を受けた際に6200系に編入され、50番台の車番となった。

京阪600系(旧)[編集 | ソースを編集]

  1. 旧型車の車体更新車で、車体の製造こそ2000系と同世代だが、車体強度が低かったため冷房の取り付けができず、昇圧に当たっては大半の車両が高性能化などの改造が行われず廃車解体された。
    • 一部の車両は1800系(初代)の走行機器と組み合わせて1800系(2代)となり昇圧後も生き残ったが、やはり冷房化されず改造後5年程で6000系に置き換えられ廃車された。
    • これに対し同じような車体更新車である700系(旧)はまだ車体がしっかりとしていたため、冷房取り付けと高性能化を行い1000系に生まれ変わり現在も活躍中。

京阪3000系(初代)[編集 | ソースを編集]

  1. 後継車である8000系の登場で一気に陳腐化した。
    • 利用客は8000系に乗りたいがために待つほどの人気であったため、淘汰が前倒しされた。
    • しかも先代の方が何故か生き残った。
  2. 大井川鐵道に譲渡された車両も車齢が最も若いながらも1編成しかないため、見捨てられた。

京阪3000系(2代)[編集 | ソースを編集]

  1. 中之島線直通快速急行用として登場するも、肝心の中之島線が大コケしたため、本線の特急に転用されてしまった。
  2. その後前面貫通扉に鳩マークや洛楽シンボルマークを表示するためのLCDが設置され、顔が変わってしまった。
    • しかも2021年9月のダイヤ改正で快速急行メインになったため、鳩マークを出す機会は少なくなってしまった…。
      • そういう意味で本来の姿に戻ったということになるが、以前と異なり淀屋橋発着。
  3. そして2021年にはプレミアムカーが組み込まれその結果事実上の特急専用車に。本系列が登場するきっかけになった中之島線に入らなくなる可能性が高まった。
    • しかもプレミアムカー導入と前後して新型コロナウイルス感染症が発生し、同年のダイヤ改正で特急が減便されることに…。プレミアムカーの有効活用のために快速急行にも連結されることになった。
    • プレミアムカー連結に伴い余った中間車は寝屋川車庫で長い眠りに…。13000系6連に組み込まれて7連化されると予想されたがコロナ禍の影響なのか今のところ行われていない。
      • 2023年から13000系に連結が開始された。

京阪5000系[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知られた日本初の5扉車だが、ホームドア設置計画の絡みで先輩の2200系や2400系よりも先に引退する羽目に…。
    • しかもアルミ車体で車内もLEDの案内表示機が付くなどしっかりとリニューアルされている。

京阪6000系[編集 | ソースを編集]

  1. 登場時は斬新なデザインで注目を集め、架線電圧600→1500V昇圧後は急行を中心に多客時の臨時特急運用に入るなど一般車の花形として運用されていたが、21世紀に入ってからは全線通しの急行が激減したため大阪側の普通を中心とした地味な運用に入ることが多くなった。2013年からはリニューアルで13000系と同等の車内設備になったのに…。

京阪9000系[編集 | ソースを編集]

  1. ラッシュ時の特急用として3扉クロスシート車として登場したが、転換クロスシートではなく一方向きの固定クロスシート車であったため不評で、3000系(2代)の登場に伴いオールロングシート化され、本形式独自の塗装も他の車両と同じ現通勤車標準塗装に変更された。
  2. 加えて10000系7連化の影響で5編成のうち4編成が7連に短縮された。

阪急2000・2100系[編集 | ソースを編集]

  1. 現在の阪急車両の基礎を作った車両であり、回生ブレーキや定速制御を搭載したオートカーとして登場したが、600→1500V昇圧に対応できなかったため登場後10年も経たない内に平凡な抵抗制御に改造され、発電ブレーキも失ってしまった。
    • 一応1500Vにも対応した2021系もあったがこちらは制御装置が複雑だったためこちらも早期に3000系や5000系などの付随車に改造されてしまった。

阪急2200系[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急初の電機子チョッパ車として登場したものの、価格の高さなどで試作のみに終わった。
  2. 後にVVVFの試作車が加わったものの、1992年にはチョッパ制御車は電装解除されて6000系に組み込まれ、残った車両も1995年の阪神大震災で被災、VVVF試作車も1両が廃車(代替新造)され残る1両は電装解除された。それに伴い6000系に編入され形式消滅。
  3. 先頭車は最終的には7000系と組まれたことから2019年に再改番されて7000系に編入された。

阪急2800系[編集 | ソースを編集]

  1. かつての京都線用特急車だが、一般用格下げ時に2→3扉に改造されたために車体強度が低下し、冷房改造が早かったために構造が特殊だったのと、制御装置が更新されていなかったため先輩の2300系よりも早く廃車に追い込まれた。そのため方向幕取り付け改造を行った車両は存在しない。

阪急5200系[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急最初の冷房車として登場したが、試作的要素が強かったなどの理由で先輩の3000系や5000系よりも早くに引退した。
    • 他系列に施工された方向幕取り付けも本系列には行われなかった。

阪急8200系[編集 | ソースを編集]

  1. 関西初の座席収納車両として登場したが、登場後に阪急の利用客が減少して座席収納の必要がなくなり、普通の座席に改造された。
    • 2両編成2本が造られただけで、その後の増結車は8000系が増備されることに。
    • そのため平日朝ラッシュ時しか出番がない…。
  2. 2023年12月のダイヤ改正で運用がなくなりニートレイン状態に…。

阪神3801・3901形[編集 | ソースを編集]

  1. 西大阪線(現阪神なんば線)難波延伸を見込んで設計されたが、難波延伸そのものが途中で計画中断された上、4連×3編成のうち1編成が脱線事故で廃車となり、残る2編成を6連と2連に組み換え前者は8701・8801・8901形(以下8801系とする)、後者は7890系に改造された。8801系は本線の特急や急行に運用されたものの直通特急の運用からは外され、難波延伸を見ることなく2009年2月に廃車された。
    • しかも8801系が廃車された1ヶ月後に当系列の目的だった難波延伸が実現したのは何とも皮肉だった。
    • もう一方の7890系は2019年現在も現役。
      • こちらは2020年に引退。

阪神8000系第1編成[編集 | ソースを編集]

  1. 1984年に8000系のプロトタイプとして1編成登場したものの、車体は従来の車両とほとんど変わらなかった上、1995年の阪神大震災で3両が廃車となり、残る3両が量産車と組まれて6両編成になった。このため大阪側と神戸側で外観が異なる結果となった。因みにこの編成(8523F)は直通特急の運用には入らない。
    • 2020年2月から直通特急の運用にも入るようになった。

阪神9300系[編集 | ソースを編集]

  1. 従来の赤胴車とは違うカラーリングで登場したが、その色合いが宿敵の巨人を思わせるため、株式総会で株主から批判されまくった。
    • 結局8000系リニューアル車にもこのカラーリングは波及し、今ではすっかり馴染んでいる。

山陽5000系リニューアル車[編集 | ソースを編集]

  1. リニューアル前はクロスシートがメインだったが、阪神線内での混雑緩和のため編成中央の2両のみ1-2列の転換クロスシートになった他はロングシート化されてしまった。
  2. リニューアル2本目がリニューアル完了直後の2020年に阪神尼崎車庫内で暴走事故を起こし、6両のうち4両が2022年に廃車になってしまった。
  3. お陰でリニューアルは中止されて代わりにオンボロ3000系を急遽リニューアルすることに。また、6000系の増備も中止されてしまった。

大阪府都市開発(泉北高速鉄道)100系[編集 | ソースを編集]

  1. 南海6100系をベースに製造されたが、セミステンレス製車体だったために早くも1990年代後半から2000年にかけて引退を強いられた。
    • こちらも台車は6300系に流用され、冷房装置が高松琴平電鉄へ譲渡され同社の車両で再利用されている。

大阪メトロ30000A系[編集 | ソースを編集]

  1. 2022年に中央線では久しぶりの新車として登場し、斬新な側面デザインも注目されたが、1年後の2023年に完全な新型車両の400系が登場したため、影が薄くなってしまった。
  2. 2025年の万博終了後は谷町線に転用される計画のため、側窓にブラインドが設置されていない。

神戸市営地下鉄3000形[編集 | ソースを編集]

  1. 1993年に登場した神戸市営地下鉄では初のVVVF車だが、2019年から6000形が登場したため、車体や走行機器の更新が行われなかったことから2021年に登場後30年足らずで引退を強いられた。車両を最低でも40年以上使うことが多い関西では異例の短命車両だった。

一畑電車7000系[編集 | ソースを編集]

  1. 86年ぶりの新車であったが、投入理由は中古で導入する2両編成ですら電気を多く消費し勿体無いからであった。

西鉄600形(鉄道線用2代目)[編集 | ソースを編集]

  1. 貝塚線に移ったのは初期車・中期車だけで、後期車は全車解体された。
  2. 貝塚線での3連運用もとっくに終了し、現在は2両編成のみでの運用である。
  3. 製造から60年を経過した車両が存在するが、未だに置き換え計画がない。そろそろ休ませてあげて。
    • 置き換えも2025年から実施予定であり、実質313形315Fと似た経緯をたどることになった。
  4. 弟分の700形も早々に廃車されてしまった。

西鉄8000形[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年に登場したが、同じ年に登場した京阪8000系とは異なり、リニューアルもされずに2017年に全車廃車されてしまった。

関連項目[編集 | ソースを編集]