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*後に、スポーツ・報道・バラエティー、何でもこなす万能アナウンサーに。 | *後に、スポーツ・報道・バラエティー、何でもこなす万能アナウンサーに。 | ||
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*場合によっては、TBSを定年まで勤めていたかも。 | *場合によっては、TBSを定年まで勤めていたかも。 | ||
**その場合、「世界ふしぎ発見」の司会を、TBSのアナウンサーとして担当。 | **その場合、「世界ふしぎ発見」の司会を、TBSのアナウンサーとして担当。 |
2017年8月9日 (水) 02:11時点における版
安住紳一郎
- フジテレビ
就職活動中、TBS・フジの第一次の面接に通過しましたが、フジテレビとは連絡が取れなくなり不採用になってしまいました。もし、状況が逆でフジテレビに入社していたら?
- スポーツ以外をそつなくこなすアナになっていた。
- 佐野アナの仕事が減っていたかもしれない。
- 伊藤利尋アナのようにスポーツ実況も担当していた。(現実の安住アナはTBS入社時はスポーツ担当だった)
- 佐野アナの仕事が減っていたかもしれない。
- 逆にTBSは2000年辺りから暗黒時代になっていたかもしれない。
- ラジオの「日曜天国」の時間帯の聴取率は一人負け状態だった。
- 史実通り「笑っていいとも!」の「テレホンショッキング」に出ることがあっても、ゲストではなくアシスタントだった。
安藤優子
- テレビ朝日
1980年台中頃の学生時代にはANN系「ニュースステーション」でフィリピンの「マルコス政権崩壊」のリポートするなどテレ朝系の番組に出演していました。もし、そのまま安藤がテレ朝に入社していたらどうなっていただろか?
- 実史でANN夕方(現:「super J チャンネル」)のキャスターを担当。このあおりで「小宮悦子」は、別の番組か他局に出演。
- 又は『ニュースステーション』にそのままキャスターとなるとか。
- もしかして、FNN夕方のニュースが長持ちしなかったか?
- 未だに『スーパータイム』が続いていたかも。
- ニュースステーションを担当した場合、「クレヨンしんちゃん」で野原しんのすけが、『ゆうちゃん』と言っていた。
- 青森と山口でも平成になって存在が知られる。一方、フジテレビ系列局があってもテレ朝系列局が平成になってできた地域は存在を知るのが遅れたほか、5地域では普通の方法では存在しらない。
- 沖縄県先島諸島では1993年12月ではなく、2009年4月に存在が判明することとなる。
- 延期されていたため、2009年10月に存在判明。
- ただし、「スカパー!」の「テレ朝チャンネル」を視聴出来る場合は、時差ネットで「Jチャン」で見る事が出来るが…。
- 沖縄県先島諸島では1993年12月ではなく、2009年4月に存在が判明することとなる。
- 以外に、こうなれば当時フジテレビアナウンサーだった逸見政孝がフリーにならなかったとか…。
- 幸田シャーミンは今もキャスターを続けていたかも
- 南美希子みたいに大学中退して入社するの?(安藤はスーパータイムの途中まで大学に通っていた)
- 卒業まで嘱託・卒業とともに入社。
- あるサイトで見つけたが、1976年3月6日のテレビ朝日『ビッグニュースショー・世界はいま』という番組でMCをやってたみたい。(フィリピン政変より更に前)
逸見政孝
- 朝日放送
地元大阪の朝日放送の筆記試験に合格してましたが、フジテレビを優先し辞退しました。もし朝日放送に入社していたら?
- 若手時代はスポーツアナだったので、夏の甲子園などの実況をしていた。
- フジでは「ダイヤモンドグローブ」での実況もしていたので、(当時ABCで中継していた)赤井英和の試合も実況していた。
- フリーにならなかった可能性もあるので、過労にならず癌を発症しても早期発見できたかもしれない。
- 史実通り胃癌で48歳で早世していたとしても関西以外ではそれほど大きなニュースにはならなかった。
- ヤンリクのパーソナリティにも名を連ねていた。
- 「おはよう朝日です」もしくは「たいむ6」などの夕方のニュースのMCも務めていたかも。
- 地元大阪出身ということで視聴者にも親しみやすいキャスターになっていた。
- 史実とはキャラクターが全く違う路線になっていたかも知れない。
- 実際の逸見さんはアナウンサーになるために訛りを矯正すべくアクセント辞典を丸暗記し、フジ入社後も関西弁はほとんど話すことなく封印していた、とか。
- 史実とはキャラクターが全く違う路線になっていたかも知れない。
- もちろん史実で同僚になっていた道上洋三のように熱狂的阪神ファンっぷりもアピール。
- 部下になっていた宮根誠司にも何らかの影響を与えていただろう。
- 同局の虎党名物アナが1人増えていた。
- 長く在籍していたら、「素敵にドキュメント」を局アナとして担当しただろうか?
大江麻理子
- 全般
- 竹崎由佳が関西テレビ退社→テレビ東京に移籍した理由の1つとして「大江麻理子にあこがれていたからでは」と言われることはなかった。
- むしろ大江が入った局に史実通り新卒採用枠で応募し、同じようなことを言われていたかも。
- TBS
本人が公表しましたがTBSが第1志望でした。もし彼女がTBSに入社してたら?
- 当初から「総力報道!THE NEWS」のメインキャスターに就任して居て、史実と違って小林麻耶は起用して居なかった。
- もしくは放送1年後にメインキャスター交代で就任し番組が続行してた。
- これにより視聴率の良かった西日本の系列局は大喜び。
- 現在も放送して居てNHKニュース7のニュースキャスター交代が史実よりも早まって居た。
- これにより視聴率の良かった西日本の系列局は大喜び。
- もしくは放送1年後にメインキャスター交代で就任し番組が続行してた。
- 新人時代よりもテレビ出演を減らされてたら、現在は出水麻衣や堀井美香のようにラジオ番組しかレギュラー番組の無いアナウンサーに成ってるかも。
小倉智昭
- フジテレビ
「とくダネ」などでおなじみの小倉氏は、かつてフジテレビのアナウンサー試験に最終選考で不合格となり、最終的に東京12チャンネル(現・テレビ東京)へアナウンサーとして入社。もし彼がフジテレビに入っていたら?
- バラエティーもニュースもスポーツもできる万能アナウンサーとして活躍。
- 途中でリタイヤすることなく、定年までフジテレビにいたかも。
- フリーになった時期によっては「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションを務めることもなかった。
- 途中でリタイヤすることなく、定年までフジテレビにいたかも。
- 「プロ野球ニュース」の司会は、みのもんたではなく小倉智昭だったかも。
- 12チャンネル時代は競馬の実況もやっていたので、フジに入ったら「東の小倉・西の杉本」と並び称されていた。
- TBS系列で、1997年6月に放送された『そこが知りたい』(アナウンサーを取り上げた回)で、昭和46年年末に開催された有馬記念の実況音声が流れる事が無かった。
- 1980年代に「おはよう!ナイスデイ」の司会を一時期担当し、ナイスデイ終了後は史実通り「とくダネ!」の司会に就任している。
- 桑原征平との漫才のような掛け合いが人気を博し、桑原の東京出向が史実より長期間になっていた。
皆藤愛子
- フジテレビ
彼女はフジテレビの入社試験で最終面接まで進むも不合格でした。
- 高島彩の後を受けて『めざましテレビ』のメインに起用されていた。
- 「〇〇パン」の候補にも挙がっていた。
笠井信輔
学生時代にTBS「ぴったし カン・カン」にアルバイトスタッフとして勤務していたものの、就活時にTBSは男性アナを募集しておらず、テレビ朝日は受験するも不合格、フジテレビ、日本テレビを受験してフジテレビに入社しました。
- 全般
- 軽部真一との「男おばさん」コンビはなかった。
- フジテレビ朝のワイドショーの歴史が変わっていたかもしれない。
- TBS
- 「ぴったし カン・カン」復活特番で司会を務めたかもしれない。
- テレビ朝日
- 大熊英司の影が薄くなっていた。
- 日本テレビ
- 福澤朗に代わって「ズームイン!朝!!」の3代目を務めたかもしれない。
加藤明子
- 日本テレビ
現在朝日放送アナウンサーの彼女は学生時代、日本テレビアナウンス学院に通い、『ジパングあさ6』の生CMにも出演したことがありました。
- 『ズームインSUPER』や『行列のできる法律相談所』などに起用されていた。
- 『パネルクイズ アタック25』の7代目出題者は別の人になっていた。ABCの女子アナでなかった可能性も。
加藤綾子
彼女はフジテレビ以外にも日本テレビやTBSにも受かっていたそうです。もし彼女が別のテレビ局に入っていたら?
- 全般
- 「カトパン」は存在せず、椿原慶子が襲名していたか、「〇〇パン」の襲名自体がなかった。
- NHK
- 「らららクラシック」などクラシック音楽を扱う番組に起用されていた。
- 大晦日の「NHK紅白歌合戦」の総合司会に起用されていた。
- 日本テレビ
- 「NEWS ZERO」や「ZIP!」、「スッキリ!」に起用されていた。
- 水卜麻美の影が薄くなっていた。「ミト会」は存在すらしなかった可能性も。
- あるいは水卜麻美がフジテレビに入社する。
- TBS
- 枡田絵理奈の知名度は史実より低かった。
- 「チューボーですよ!」のアシスタントや「ひるおび!」など史実で枡田がやっている仕事のいくつかを奪っていたかも。
- 堂林翔太とも結婚していなかったかも。
- テレビ朝日
- 「報道ステーション」や「ミュージックステーション」などに出演していた。
- 国立音大出身なので「題名のない音楽会」のアシスタントに起用するはず。
- 入社試験当時から仲良しの竹内由恵と同じように合格したら共演する機会が増えてた。
- テレビ東京
- 「出没!アド街ック天国」や「もやもやさまぁーず」などに起用されていた。
- 意外と音大出身ということで「木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜」なんかに起用されていたりしていた。
木村洋二
札幌テレビの他にテレビ朝日も受験したそうです。もし入社していたら?
- テレビ朝日
- 「どさんこワイド」は明石英一郎単独か別の局アナとのコンビで始めていた。
- 「1×8いこうよ!」はなかったか、大泉洋の冠番組になっていた。
- 生年月日が同じ朝岡聡も入社した場合(これは史実通り)、それを売りに何らかの番組でコンビを組ませていた。
草野仁
- TBS
NHKを退社後、TBSと専属契約(1991年まで)を結んだ草野氏。もし、端からTBSのアナウンサーだったら?
- しばらくは、スポーツアナウンサーとして活躍。
- 後に、スポーツ・報道・バラエティー、何でもこなす万能アナウンサーに。
- 「ぴったし カン・カン」の司会もありえた。
- 久米宏が降板した後の「ザベストテン」の司会になっていたかも。
- 場合によっては、TBSを定年まで勤めていたかも。
- その場合、「世界ふしぎ発見」の司会を、TBSのアナウンサーとして担当。
- もちろん、よみうりテレビ「ザワイド」の司会になることもない。
- 日テレ系の2時台のワイドショー枠は、大いに変わっていた。
- 1991年までに退社していなければ。
楠淳生
- 読売テレビ
読売テレビの最終試験に残ったが採用されず、留年を経て朝日放送に入社。
- 「ケンクスコンビ」はなかった。
- 「ズームイン!朝!!」に出演していたかもしれない。
- 「す・またん!」にも出演していた。
- 史実と同じくスポーツアナウンサーになっていたら、日テレの巨人vs阪神戦で何度かベンチリポーターを担当していた。
- 辛坊治郎の影が薄くなっていた。
- あるいは森たけしの代わりに辛坊治郎とコンビを組んでいたりして。
- もし辛坊がフジに入社していたら、森と楠で組んでいただろう。
小林麻耶
最初にテレビ朝日を受験したものの不合格となり、その後TBS、日本テレビ、フジテレビ、テレビ東京を受験し、一番最初に内定をもらったTBSに入社しました。
- 全般
- フリーに転じる時期は変わっていただろう。
- 「総力報道!THE NEWS」は放送自体なかったか別のアナウンサーになっていた。
- 妹・麻央の進路にも影響していた。
- テレビ朝日
- 「ミュージックステーション」に起用されていた。
- 日本テレビ
- 「恋のから騒ぎ」女子アナ枠として再度出演していた。
- 「NEWS ZERO」に妹の代わりに起用されていた。
- 「ズームイン!!SUPER」の2代目女性司会に起用されていた。
- 羽鳥アナは入社試験の面接官で三重丸の評価をしている。
- フジテレビ
- 「マヤパン」が放送されていた。
- テレビ東京
- 「モヤモヤさまぁ~ず2」に起用されていた。
紺野あさ美
テレビ東京の他にフジテレビも受験していたそうです。
- 全般
- 同期の植田萌子の早期退社は避けられていたかもしれない。
- フジテレビ
- 「元モーニング娘。」としての風当りもテレ東より弱かった。
- いずれにしても上司や先輩からのイ×メは避けられなかっただろうけど…。
- 「すぽると!」のキャスターを任されていた。
- 入社1年目のFNS歌謡祭におけるドリームモーニング娘。にも特別参加していた。
- 「紺野、今から踊るってよ」もフジで放送されていた。
- ○○パンシリーズのMCもやっていただろう。
- 同じくアイドル出身かつ大学の先輩でもある平井理央と何かと比較されていた。
- 日テレ「ゴチになります!」に出たのは、平井ではなく紺野?
- フリーになったのが2017年ということを考えると平井より前に出ることはない。
- 日テレ「ゴチになります!」に出たのは、平井ではなく紺野?
辛坊治郎
- フジテレビ
読売テレビを受験する前にフジテレビの入社試験で最終面接の3人まで残ってました。
- 森たけしとの名コンビはもちろん生まれなかった。
- 「3時のあなた」のアシスタントに起用されていた。
- 「スーパータイム」→「スーパーニュース」のキャスターを務めていたかも(実際にはytvで夕方のローカルニュース「ニューススクランブル」のキャスターを長年務めていた)
- 定年までフジテレビに在籍し、アナウンス室長も務めていたかもしれない。
- 太平洋横断への挑戦もなかった。
- フリーに転じてラジオ番組を持ったとしても「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」というタイトルにはならなかった。
鈴木奈穂子
NHK以外にTBSも受験していたそうです。また、大学時代、箱根駅伝の中継に出演したことがあります。
- 全般
- おはよう日本は守本奈実がやっていた。
- 地方勤務の時期がなかったので、結婚は早かった
- (実史で担当したNHKの地デジ大使をやった様に)採用された民放局で地デジ大使をやったかも。
- 日本テレビ
- ズームインSuper→ZIP!に出演し、日テレ朝の顔となっていた。
- 西尾由香里の仕事を奪っていた。
- 笑点のアナウンサー大喜利ではお嬢様キャラを前面に出すも、他からズボラキャラの攻撃を受けていた。
- TBS
- 「朝ズバッ!」か「Nスタ」など報道系番組で起用されていた。
- 「チューボーですよ!」のアシスタントで登場するも、あまりもの料理下手に巨匠がキレて、短期間で降板。
- 「さんまのからくりTV」に、特番限定でアシスタントに入っていたかもしれない。
角淳一
毎日放送の他に朝日放送も受験しており、最終選考に残っていました。
- 朝日放送
- 逆に山本清久がMBSに入社していた。
- 「ちちんぷいぷい」は存在しなかった。
- 代わりに「ワイドABCでーす」の司会を務めていたかも。
- 道上洋三に代わり「おはようパーソナリティ」の2代目に就任していたかもしれない。
- この場合阪神が勝った翌日「六甲おろし」を歌うのは道上と同じか?
- 角も阪神ファンなのは確かなのでそうしただろう。初代からの伝統でもあるし。
- この場合阪神が勝った翌日「六甲おろし」を歌うのは道上と同じか?
- 定年前にフリーになっていた可能性もあった。
- 「おはパソ」二代目が史実通り道上洋三だった場合、80年代前半まで「ABCヤングリクエスト」を担当。長きにわたり「ABCの夜の顔」となる。
- 一方、史実で角とコンビを組んでいた笑福亭鶴光は斎藤努→野村啓司とのコンビで「MBSヤングタウン」を担当し、角とは良きライバル関係に。
- ヤンリク卒業後は「すみからすみまで角淳一です」をABCでスタートさせる。
高島彩
- 全般
- アヤパンは当然存在しないので〇〇パンは「チノパン」で終了。シリーズ化はなかった。
- 仮に「〇〇パン」がシリーズ化されていたとしても、〇〇パンは別の人が襲名していた。
- 大学の後輩の宮瀬茉祐子はフジテレビに入社しなかったかも。
- 北川悠仁との結婚は史実通りかな?
- キー局でもNHKに入った場合は微妙かもしれない。
- 「めざましテレビ」がきっかけなので、史実通りにはならなかった。北川は(この世界における)フジの女子アナと結婚しただろう。
- 日本テレビ
- 西尾由佳理は史実より知名度が低かった。
- 「ズームイン!SUPER」や「24時間テレビ」の司会に抜擢されていた。
- TBS
- 竹内香苗の知名度は史実より低かった。
- 「はなまるマーケット」などに出演していた。
- テレビ朝日
- ミュージックステーション、やじうまプラスの司会をしていた。
- 史実通り現在レギュラー出演してるサンデーステーションのメインキャスターに就任してるはず。
- テレビ東京
- 大江麻理子は史実より知名度が低かった。
- 大江のニューヨーク支局の赴任もなかったかも。
- 「出没!アド街ック天国」等に出演していた。
高橋真麻
本人はフジテレビお台場アナウンススクールの他にTBSアナウンススクールやテレビ朝日アスクの出身でもあります。もし彼女が他のテレビ局に入社していたら?
- テレビ局が彼女に対して、彼女がそのテレビ局に対してどう思っているかは深く考えないように。
- TBS
- 「情報とってもインサイト」や「イブニング・ファイブ」に起用されていた。
- テレビ朝日
- 「スーパーJチャンネル」とか「やじうま」とかに出ていた。
- のちに「報道ステーション」にも出演。
- クレしんでも取り上げられた。
- 日本テレビ
- 「NEWS ZERO」や「ザ・サンデー」に起用されていた。
- 実史では、コメンテーターとして出演している『スッキリ!!』で、MCとして出演していた。
- 時代劇で親子共演して居たはず。
- 新人時代から歌の上手いアナウンサーとして売り出してVAPからCDを数枚出してる。
- NHK
- 紅白歌合戦の司会に抜擢されていた。
- テレビ東京
- 「もやもやさまぁーず」や「出没!アド街ック天国」に出演していた。
竹内由恵
- フジテレビ
元々フジテレビ志望でした。
- 逆に加藤綾子がテレビ朝日に入社していたかもしれない。
- 『タケパン』が放送されていただろう。
永島優美
フジテレビ以外にもテレビ朝日に合格していたといわれています。また、大学時代には朝日放送の「おはよう朝日です」で学生リポーターとして出演していました。
- 全般
- 加藤綾子退社後、フジテレビは三田友梨佳や宮澤智あたりを推していた。
- テレビ朝日
- 弘中綾香や山本雪乃の立場が危うくなっていた。
- 場合によっては堂真理子のように入社後数週間でアナウンサーデビューを果たしていたかもしれない。
- 「やべっちFC」に出演していた。
- 朝日放送
- 早くから上層部が熱心に全国ネットの番組に出演させていた。
- ヒロド歩美の存在が薄くなっていた。
- 父親がスポーツ関係の仕事についていることを生かし、「熱闘甲子園」などのスポーツ番組に出演させていた。
中村鋭一
- NHK
NHKの学科試験は通ったが、アクセント試験で落とされ、大学に入り直した後に朝日放送第1期アナウンサーになりました。
- 「おはようパーソナリティ」は番組自体なかったか、別のアナウンサーがやっていた。
- スポーツ中継を志願していたので、志願通りに行けば実況アナとして鳴らしていた。
- 選挙出馬もなかったか?
羽鳥慎一
- 日本テレビ以外にもフジテレビ、テレビ朝日、TBSを受けていたそうです。
- 全般
- 日本テレビは代わりに藤井貴彦(同期)か藤井恒久(1年先輩だがライバルだった)辺りを推していたか?
- 局次第ではフリーにならなかった可能性もある。
- 「バード」のニックネームも付かなかったかもしれない。
- テレビ朝日
- 「スーパーモーニング」のMCを任されていた。
- 代わりに、(実史上で該当枠の)後継番組である「モーニングショー」のMCを担当していない。
- 松井康真に代わりニュースステーションのスポーツコーナーを担当した後、本人の希望通り報道ステーションの2代目メインキャスターに就任してるはず。
- TBS
- 「はなまるマーケット」に出演していた。
- ラジオのプロ野球中継がメインだったかも。
- 安住紳一郎の影が薄くなっていた。
- 安住が日テレに入社であろう。
- 今頃は新・情報7Daysニュースキャスターで進行役兼ニュースキャスターとして出演してるはず。
- 安住が日テレに入社であろう。
- 当然だが冠ラジオ番組も持ってる。
- 「朝ズバッ!」がメイン司会交代の際に司会者として出演してるはず。
- フジテレビ
- 佐野瑞樹の代わりにニューヨークへ異動していた。
- 逆に佐野が日テレに入社したかもしれない。
福澤朗
- フジテレビ
日本テレビの他にフジテレビも受験していたが、日本テレビが先に内定が出され、フジテレビとは最終面接が重なってしまい、前者を選びました。
- 「ジャストミート」のフレーズは誕生しなかったかもしれない。
- 全日本女子プロレス中継の実況を担当していた。
- アジャ・コングに襲われてケガしたのは彼。
福留功男
- 朝日放送
学生時代、日本テレビに加えて朝日放送東京支社とアルバイトを掛け持ちしていた時期がありました。
- 「アメリカ横断ウルトラクイズ」は企画こそされど実現はならなかった、もしくは遅れていた。
- 入社時よりアナウンサーだった可能性もあった。
- 巨人ファンになることはなく、南海ファンを公表していた。
- (生まれは高知県だが)大阪で育ったので、地元で親しみやすいキャラクターとして人気を集めていた。
水卜麻美
- 日本テレビ以外にもフジテレビ、テレビ朝日、TBSを受けていたそうです。
- 全般
- 日本テレビの女子アナの流出がますます進んでいた。
- 代わりに徳島えりかあたりを推していたのだろうか?
- 現実の日本テレビと同様、彼女の影響を受けてグルメリポーター志望で受験しにくる女子学生が増える。
- フジテレビ
- 同じ慶応出身の細貝沙羅が現実以上にピンチに追い込まれていた。
- ただし「フジは早慶出身の女子アナを使いこなすことが下手」みたいなことを言われることはなかったかも。
- 27時間テレビに出演させていた。
- テレビ朝日
- 「いきなり黄金伝説」「お試しかっ!」などで大食いさせるような企画に参加していたかも。
- 現実以上に食いしん坊キャラで有名となっていた。
- 「Qさま」にも高学歴アナウンサーの1人として出演していた。
- TBS
- 吉田明世の存在が地味になっていた。
- 江藤愛も。
- 笹川友里のADからアナウンサーへの転身がもしかしたらなかったかもしれない。
- NHK
- 東京進出後に「きょうの料理」のアシスタントを務めるようになっていた。
- 横山裕との熱愛疑惑はなかった可能性がある。
みのもんた
- TBS
TBSも受験して不合格となり文化放送に入社しました。もしTBSに入社していたら?
- みのもんたではなく本名だった。
- 同じ試験を久米宏も受けてたので、久米が落ちていたら史実の久米の番組をいくつか担当していた。
- もし久米と同期入社していたら、報道が主だったかも。
- フリーになる時期も史実より遅れていた。場合によっては定年まで在籍したかもしれない。
- TBS系朝の情報番組を、実史(「朝ズバッ」・「サタずばッ」)より早く担当していた。
宮島咲良
元九州朝日放送アナウンサーですが、学生時代はテレビ朝日アスクにも通い、テレ朝チャンネルの番組にも出演していました。
- 全般
- 福岡以外の局に入社していたら、HKT48の宮脇咲良と混同する人が減っていた。
- KBCも「アサデス。」のテロップ間違いを起こさなかった。
- テレビ朝日
- 「報道ステーション」に出演していた。
- スーパー戦隊シリーズファンなのでスーパー戦隊シリーズにゲスト出演出来たかも。
宮本隆治
元々民放アナウンサー志望でしたが、就職活動時はアナウンサー採用をしなかったキー局もあったり、本人もフジテレビ、TBSを受験するも落ちてしまい、NHKに入局となりました。
- 全般
- 地方勤務はなかったので、地元に配属されることもなかった。
- 『朝だ!生です旅サラダ』で(史実では初任地だった)帯広を訪れることもなかった。
- 大塚範一のアナウンサー人生も少しばかり変わっていたかも。
- フジテレビ
- 『3時のあなた』のアシスタントに採用されていた。
- TBS
- 『ザ・ベストテン』の追っかけマンをしていた。
本仮屋リイナ
東海テレビを含めキー局を中心に11社受験したそうです。
- テレビ局が彼女に対して、彼女がそのテレビ局に対してどう思っているかは深く考えないように。
- TBS
- 『王様のブランチ』で姉妹共演を果たしていた。
- テレビ朝日
- 『報道ステーション』に起用されていた。
- フジテレビ
- 三上真奈に代わって『「パン」シリーズ』に抜擢されていた。
- 『めざましテレビ』にも起用されていた。
- 日本テレビ
- 『ZIP!』に起用されていた。
- NHK
- 朝ドラのナレーションを任されていた。
- CBC
- 『ゴゴスマ』に起用されていた。
山本文郎
TBS(当時ラジオ東京)の他にもいくつかの局で試験を受けており、NHKなどの内定ももらっていたようです。
- 全般
- 『テレポートTBS6』や『モーニングEye』などのキャスターは別のアナウンサーになっていた。
- 逸見政孝のアナウンサー人生も少しばかり変わっていたかもしれない。
- NHK
- 史実と同じく入局数年はスポーツアナとして慣らせば、東京オリンピックは微妙でもメキシコ辺りは任されたかもしれない。
- 相川浩の影が薄くなっていた。
- 日本テレビ
- スポーツアナとして巨人戦やプロレス中継などで実況していた。