もしあのチームがJリーグに参入していたら
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Honda FC
- 長谷川祥之、黒崎久志、本田泰人などの加入がないので鹿島アントラーズのJ初期での活躍がなくなる。
- それ以前にオリジナル10入りできないかも。
- 石川康、北澤豪の加入がないヴェルディ川崎は…それなりに活躍。
- 初代監督はもちろん宮本征勝。
本拠地が浦和の場合
- 浦和レッドダイヤモンズと浦和ウィンズが伝統の一戦(浦和ダービー)として盛り上がる。
- 大宮アルディージャは大宮を本拠地にしなかった、したとしても旧浦和市の2チームに押しつぶされていた。
- 浦和の2チームの激しい対立を嫌う人々に支持され、それなりの人気を得たかも。
- 浦和の2チームのサポからは、敵視や蔑視されることなく「あそこは独自路線」と認識される。
- 浦和の2チームの激しい対立を嫌う人々に支持され、それなりの人気を得たかも。
- マスコットキャラクターとは別にアシモをスタジアムに登場させる
- レッズサポがホンダの車やバイクに乗ることはなく、ウィンズサポが三菱の車に乗ることもない。
- 但し、どちらのサポもトヨタや日産の車に乗ることはそれほど問題視されない。
- マツダの車やヤマハ、カワサキのバイクも。
- 浦和近辺で三菱車とホンダ車(バイク)の事故が起きた場合、サポ同士の対抗意識も絡んで示談交渉が余計にこじれる。
- 三菱同士、ホンダ同士の事故の場合は、重大or悪質なものでない限りスムーズに交渉が進む。
- ホンダや三菱のディーラーの社員が、相手チームのサポーターの家にカタログを入れようとしたところを見つかって殴られる…なんてことが起きるかも。
- 但し、どちらのサポもトヨタや日産の車に乗ることはそれほど問題視されない。
本拠地が浜松の場合
- J参入が遅れた為、ジュビロ磐田に比べて地味な存在になってる。
- 仮にJ1に昇格していた場合エコパスタジアムをジュビロと奪い合う事になる
- PJMフューチャーズの結成がなくなるのでサガン鳥栖は存在しない。
- というか、浜松から参入したい場合はスズキの会長を(以下略)
- つか、何で「世界のホンダ」がスズキごときの顔色なんか伺わなきゃいけないの?
- 浜松を(影から)牛耳ってんのがスズキだから。本社を浜松に置いていることはもちろん、地元行政のトップ自体がスズキからのバックアップを受けている関係も大きい。まぁ、それも会長の修ちゃんが×××××となってしまえば…だが。
- つか、何で「世界のホンダ」がスズキごときの顔色なんか伺わなきゃいけないの?
- オーエスジーフェニックスは豊橋のみを本拠地にしていた。
- チーム名は「アキュート浜松」。
- 「浜松ウィンズ」じゃだめなん?(「ウィンズ」は初めてJ参入を目指してたときにつけられる予定だった愛称)
- 商標登録の関係で難しいのではなかろうか。
- 「浜松ウィンズ」じゃだめなん?(「ウィンズ」は初めてJ参入を目指してたときにつけられる予定だった愛称)
本拠地が熊本の場合
- もちろんロアッソ熊本は誕生せず。
- そしてサガン鳥栖も人気を取られるので結成できない。
本拠地が鈴鹿の場合
- 隣県のチームが最大のライバル。
- 下記コスモ石油四日市FCの場合と同様に、ホームスタジアムは三重県営鈴鹿スポーツガーデン球技場で四日市中央工業高校出身選手が多数在籍。
- ただしイオンをスポンサーにはさせない。
鳥栖フューチャーズ
- おそらく商標問題が絡んで、昇格時に「サガン鳥栖」に変えた可能性あり。
- 1999年シーズンはJ1で戦っていただろう。
- NHK佐賀、STS、NBCラジオ佐賀の3局がフューチャーズ戦の放映(放送)権を獲得していた。
- 少なくともJ2で年間3勝という記録を残すことはなかった。
- 大分より先に九州勢として初のタイトルを獲得していたかも知れない。
大塚製薬サッカー部
- ここでは旧JFL時代にJリーグ(現J1)参入が実現していた場合を考えます。
- 2008年シーズンまでにJ1で中位力をつけていた可能性もある。
- 下手すると未だにリーグ戦での四国ダービーが実現していない。
- 徳島FCカバロス2002(現ヴォルティスセカンド)はなかった。
- チーム名は「ヴォルティス徳島」と史実とは前後が逆になる。
- 徳島市内にホームスタジアムとなるサッカー専用スタジアムが建設されここが「ポカリスエットスタジアム」と呼ばれていたかも知れない。
福島FC
- 98年または翌年の99年には参入している
- 参入しても初期の甲府や鳥栖のように資金難にあえいだ可能性も・・・
- チーム名は地域名は「郡山」「福島」の何れかだった
- 愛称つけるとしたら何になったんだろ
- ホワイトタイガーズ(お隣の会津若松市の白虎隊を拝借)
- そりゃ違うだろ。
- ボーイズ(二本松少年隊から)。
- ホワイトタイガーズ(お隣の会津若松市の白虎隊を拝借)
- みちのくダービーが三つ巴の戦いとなって、盛り上がること必至となっていた。
- 永遠にJ2最大のダービーマッチとなった
- いやいや観客収入が増えてJ1でダービーをやったかも。
- 山形が「みちのくダービー」「天地人ダービー」等次々と作り出してダービー戦略で潤っていたかも。
- 新潟との「磐越ダービー」もある。
- 永遠にJ2最大のダービーマッチとなった
- 本拠地が郡山の場合、福島は現状通り仙台ファンが圧倒的多数となる
- 福島ユナイテッドFCの誕生はなかった。
- あるいは福島に対抗する形で郡山にもJリーグ入りを目指すクラブが誕生し現在の長野の2クラブのような関係になっていたかも知れない。
新日本製鐵サッカー部
- ホームタウンが貧弱な鹿島アントラーズはジュビロと一緒に2年目からJに参加していた
- 親会社同士の合併などありえない。
- 本拠地は北九州では無く、福岡の博多の森球技場を本拠地にしていた
- 藤枝ブルックスは福岡に移転しない
- 上記アキュート浜松を含めると静岡に4つものチームがあって供給過多。
- ブルックスの移転先は札幌だったかもしれない。
- 上記アキュート浜松を含めると静岡に4つものチームがあって供給過多。
- 後にダブルホームタウン制が認められるようになると、発祥の地に配慮して北九州もホームにしていた
- 藤枝ブルックスは福岡に移転しない
- アビスパ福岡は新日本製鉄が母体になっていた。
- あのソロサポ様がコールリーダーになり、2chで叩かれる日々を送る事になっていた
- 三菱化成黒崎サッカー部(現ギラヴァンツ北九州)がJリーグ加盟を目指さなかった。
西濃運輸サッカー部
- FC岐阜は誕生しなかった。
- 実際に西濃運輸サッカー部を母体に参入する予定だったが、大人の事情云々でできなかったらしい。
- むしろプロ化したときのチーム名がFC岐阜になっている可能性アリ。
- チーム名・マスコットはもちろんカンガルーをモチーフにしたもの。
- 別の有袋類をモチーフにした隣県某スポーツチームのマスコットとのコラボが実現。
- 史実では旧JFLで最下位争いを繰り返していた。もし参入していても戦力的に、J2ができてすぐに降格しよくてエレベーターチーム、悪いとJ2ボトムズになっていた恐れが。
- そうなると現在のFC岐阜とあまり変わらない感じになっていたか・・・
- 長良川競技場をネームライツ 名前は長良川セイノースタジアム
- 西濃運輸の経営状況によっては、社会人野球チームが休・廃部になっていたかも。
- 東海チャンピオンシップは4チームで争われた。
- 梅田高志が大分トリニータに行かなかった。
- 森山泰行の岐阜移籍が早まる。
三菱自動車水島FC
倉敷市を本拠地とするこのチームは、「レッドアダマント」という愛称を持ち且つ公式サイトには「Jリーグへの道」というページが設けられているために、“将来、倉敷を本拠地にJへ参入するのでは?”と一部で囁かれていましたが、結局JFLでは思うような成績を残せず、同時に不況で親会社の収益悪化により在籍5年目で自主退会(降格)、以後は岡山県リーグからやり直すことになりました。もしもこのまま退会することなく、将来そのままJへ参入していたら・・・。
- チーム名は「倉敷レッドアダマント」。
- 倉敷市内に専用スタジアムが出来上がるまで、笠岡市陸上競技場を改修して使っている。
- 専用スタジアム建設には、三菱自動車本社も出資。
- こっちのほうが成績が良かったらレッズを廃部。
- 史実通りファジアーノ岡山も誕生しJ参入していたら両チームの対戦が「岡山ダービー」として盛り上がっていた。
コスモ石油四日市FC
- おそらく1999年の2部制導入と同時にJ2参入。
- ホームスタジアムは四日市緑地中央公園競技場、もしくは三重県営鈴鹿スポーツガーデン球技場。
- 後者の場合チーム名は「三重」になっていた。
- 四日市中央工業高校出身選手が多数在籍していた。
- 小倉隆史や中西永輔もここに移籍しプレーしていた。
- 中田一三も。
- 小倉隆史や中西永輔もここに移籍しプレーしていた。
- イオングループがスポンサーにつき豊富な資金力でJ1でも上位争いするようなチームに成長していた可能性も。
- 岡田克也氏との関係で、民主党批判と絡めて叩かれることがあったかも。
- 2ちゃんやヤフコメ等では最も嫌われるチームになっていた。
- ちなみに実際のイオンは全国各地で応援セールを行う関係上特定のスポーツチームに肩入れはしない、という方針らしいが…
- 岡田克也氏との関係で、民主党批判と絡めて叩かれることがあったかも。
日本鋼管サッカー部
- 本拠地は川崎市。
- ヴェルディとは逆に積極的な地域密着を行っていた。
- ヴェルディの東京移転は史実より早まったかもしれない。
- 都内の、味の素スタジアムとは別の場所にスタジアムを建設していたかも。
- その場合FC東京は誕生せず。東京ガスサッカー部は現実のJFLのホンダ的な存在、あるいは関東リーグの企業クラブのままだったかも。
- 東京移転が難航した場合、ヴェルディは史実より早く低迷していたかも。
- ヴェルディの東京移転は史実より早まったかもしれない。
- 社会人野球全盛時代の日本鋼管野球部(当時の本拠地は横浜市)のような人気を得ていた。
- 横浜市鶴見区は事実上ホームタウンになっていた。
- 横浜市神奈川区ではマリノスと人気を二分。
- あるいは当初誘致があった仙台市。
- ヴェルディとは逆に積極的な地域密着を行っていた。
- 富士通と東芝のいずれかが札幌に移転し、もう一方は企業クラブとして活動していた。
- 富士通サッカー部は同じ古河グループのジェフユナイテッド市原に合流していた。
- クラブのローマ字表記も「JEFF(JR East、Furukawa、Fujitsu)」に。
- そういえば日本鋼管の現名称はJFE…なんでもないです。
- いずれにせよ川崎フロンターレの誕生はなかった。
- 富士通サッカー部は同じ古河グループのジェフユナイテッド市原に合流していた。
- 神田勝夫はDFに転向せずFWのままだった。
- 木寺浩一は早い時期にJリーグでデビューしていた。
- 伊藤哲也のブレイクも早まっていた。
- マリノスやサンフレッチェ広島への移籍はなかった。
帝人サッカー部
- 徳島ヴォルティスに先んじて四国初のJリーグクラブになっていた。
- クラブ名は「愛媛FC」あるいは「松山FC」。
- この場合、愛媛FCのチーム名は「松山サッカークラブ(松山SC)」になっている。
- 愛媛FC(松山SC)・FC今治はJFL止まりになっていた。今治は四国リーグ止まりだったかも?
NTT関東サッカー部
- ここではJSL時代にJリーグ(現J1)参入が実現していた場合を考えます。
- 石井正忠、巻田誠一、田北雄気はそこでJリーグデビュー。
- ホームタウンは史実通り大宮市あるいは浦和市(いずれも現在のさいたま市)。
- レッズとは設立当初から埼玉ダービーが実現していた。
- 浦和市の場合レッズは神戸をホームタウンにしていた。
在日朝鮮蹴球団
厳密にはJリーグの前身であるJSLに参入が実現していた場合ですが、在日朝鮮蹴球団は1961年に結成された在日コリアンを主体としたチームで日本の強豪チームとの親善試合を度々行い1960年代〜1970年代は「日本の最強クラブ」、「幻の日本一」との呼び声も高かったそうです(「在日朝鮮蹴球団」は1980年代まで日本のトップチームを相手に9割6分の勝率を残しています。)仮に1965年結成のJSL初年度からJSLに参加していたら
- 在日朝鮮蹴球団は70年代の後半まで1強状態を形成していた
- 「東洋工業」はリーグ戦4連覇を達成出来ない
- 同様に70年代に強豪チームであった「ヤンマーディーゼル」や「三菱重工」の影が薄くなっていた
- 丸の内御三家(「三菱」「古河」「日立」)中心の日本サッカー協会の人事にかなり影響した
- 丸の内御三家が獲得したタイトルは70年代に多いので史実で獲得したタイトルがどれだけ在日朝鮮蹴球団に流れるかによって人事がかなり変化するはず
- Jリーグに参加を目指す場合「東京ユナイテッド」か「FC東京」にチーム名を変更していた
- 史実通り国立競技場が中立地帯となる場合、別の地域に本拠地を移転している
- 史実で日本初のプロクラブとなった読売クラブの設立にも在日朝鮮蹴球団OBが関わっていた
- 史実では西日本のプロクラブ設立に東洋工業(現サンフレッチェ広島)OBが関わっているため状況によっては 西日本のサッカー=東洋工業がルーツ 東日本のサッカー=在日朝鮮蹴球団がルーツとなっていた
- 「FCコリア」は存在していたのだろうか。
- 日韓関係が悪化すると大ブーイングを受けていた。
ソニー仙台FC
- J2で仙台ダービーが実現していた。
- ホームタウンは多賀城市を中心とする宮城県中部。
- ホームスタジアムは宮城スタジアムを中心に、数試合をユアスタで開催。
- でも宮城スタジアムだとアクセスが…。
- チーム名の何処かに「宮城」か「剣に関する言葉」が入っている。
- J2への参入は2000年代前半ぐらい?
SAGAWA SHIGA FC
- ホームタウンは大津市・守山市を中心とする滋賀県全域。
- ホームスタジアムは皇子山陸上競技場を暫定的に使用。
- 将来的には守山陸上競技場をJ1基準のスタジアムに改修。
- チーム名の何処かに「滋賀」か「湖に関する言葉」が入っている。
- J2への参入は2010年代前半ぐらい?