もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら/外国人選手

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あ・か行[編集 | ソースを編集]

李大浩(オリックス)[編集 | ソースを編集]

  1. 2014年のオリックスが優勝出来ていて、ソフトバンクは優勝を逃していた。
  2. オリックスファンから裏切り者扱いされることもない。
  3. オリックスはウィリー・モー・ペーニャを獲得することはなかった。
    • ペーニャは前年の成績的に、ソフトバンク残留は史実通りなかったかも。
    • 翌年にトニ・ブランコを獲得することもない。
  4. 案外江川智晃か長谷川勇也辺りが史実以上に活躍して史実通りソフトバンクが優勝したりして…

タイロン・ウッズ(横浜)[編集 | ソースを編集]

  1. それでも横浜暗黒時代が避けられていたかと言うと…
    • やはり晩年は村田に4番を譲ることが多くなっていた。
    • DeNA時代にコーチとしてオファーがかかっていた可能性も。
  2. 中日が2007年に日本一になれたかどうか怪しい。

呉昇桓(阪神)[編集 | ソースを編集]

  1. マルコス・マテオとラファエル・ドリスのどちらかが入団することはなかった。
  2. 藤川球児は2017年以降も背番号18のままだった。
    • 16年の成績次第ではスンファンが背番号22を剥奪され、史実通り球児が背番号22を付けていたかも。

アレックス・オチョア(広島)[編集 | ソースを編集]

  1. 2008年に近い成績を残せた場合、フィリップス、マクレーンのどちらかは入団することはなかった。3位争いにももう少し食い込めたかも。

トーマス・オマリー(阪神)[編集 | ソースを編集]

  1. 1995年の阪神は最下位なることはなかった。
    • 中日が最下位になっていた。
    • グレン・デービスが入団することはなかった。
      • この年、広島が優勝していたかも?
  2. 日本シリーズでも「小林-オマリーの14球」は存在していなかった。
  3. ヤクルトはジェラルド・クラークを解雇せず、一塁手にコンバートさせていた。
  4. 阪神でのコーチやスカウト就任が早まっていた。

ユリエスキ・グリエル(横浜DeNA)[編集 | ソースを編集]

  1. もちろんルルデスjrも来日していた。
    • が、ロペス大活躍+バルディルスの契約もあり殆ど一軍に出てくる事はなかった。
  2. 2015・2016両シーズンの横浜の成績は史実より良かった。
    • 特に2016年シーズンはセカンドを固定出来たのが更なる強みになったと見られる。
    • エリアン・エレラの獲得はなかっただろう。
      • 菊池亜美(アイドリング!!!)に似ていると話題になることもない。
  3. 2017年も残留が決まった場合、田中浩康は獲得されず、柴田竜拓のブレイクも無かった。
    • 大和の獲得は史実通りな気もする。
    • 柴田次第でもあるが石川雄洋がどこかの段階で移籍していたかもしれない。

さ・た行[編集 | ソースを編集]

デニス・サファテ(広島・西武)[編集 | ソースを編集]

  1. 2017年に正力松太郎賞を受賞できたか?
広島に残留していたら
  1. 広島は2013~15年の間に優勝できていたかもしれない。
  2. 2017年に広島がCSで敗退することはなかった。
西武に残留していたら
  1. 2014~16年に西武が3年連続でBクラスになることはなかった。
    • 逆にソフトバンクは2014年は優勝を逃していたか、もしくはCSで敗退していた。
  2. 2017年の西武は辻発彦監督就任1年目で優勝出来ていたかもしれない。

ジョン・シピン(大洋)[編集 | ソースを編集]

  1. 1978年は大洋がAクラス入りしていた。
  2. 土井正三の引退が遅れていたか篠塚和典のブレイクが早まった可能性もある。

ヴィクトル・スタルヒン(巨人)[編集 | ソースを編集]

ヴィクトル・スタルヒンは戦前は巨人の大エースでしたが、戦後は藤本定義氏に招へいされ、「選手はチームが解散していない限り敗戦前のチームに戻らなければならない」という規約を無視してパシフィックに移籍しました。

もし、スタルヒンが誘いを断って、巨人に残留していたら?

  1. 1946年から1948年までの間に1回ぐらい優勝できていた。
  2. 事故死することもなかったかも。
    • 引退試合も行われていた。

ジェイソン・スタンリッジ(阪神)[編集 | ソースを編集]

  1. 李大浩が入らなかった場合と同様、ソフトバンクが2014年に優勝を逃していたかもしれない。
    • 一方の阪神は14年にレギュラーシーズンで優勝出来ていた、あるいはCS優勝→日本一に導いていた。
  2. 呉昇桓が阪神に入らなかったかも。
  3. のちのロッテへの移籍もなかった。
  4. カニザレスが予定通り背番号55をつけていた。

スティーブ・ストローター(阪神)[編集 | ソースを編集]

  1. バースが放出され彼が残留してた場合、バックスクリーン3連発や1985年の日本一もなかったか。
  2. アレンが放出されてた場合は史実通りの1985年のタイガースになってただろうけど。(1983年に外国人投手を採用するにあたり、当時の外国人枠の関係でバース、ストローター、アレンのうち一人を放出する必要があったため)
  3. まとめると、ストローター、アレン残留、バース放出→1985の日本一はなかったかも。
    • ストローター、バース残留、アレン放出なら史実通りに1985年にタイガース日本一になってたてことで。

アルフレド・デスパイネ(ロッテ)[編集 | ソースを編集]

  1. 2017年は楽天、西武が優勝していた。
  2. ロッテが最下位にはならなかった。
    • 伊東勤の監督辞任はなかった。
      • 日本ハムが前年リーグ優勝からの2度目の最下位に。
  3. 横浜DeNAベイスターズが日本一になっていたかも?

オレステス・デストラーデ(西武)[編集 | ソースを編集]

1992年後も残留していたら
  1. 1993、94年は日本一を果たしていた。
1995年に復帰したが家庭内の都合で途中退団、もしシーズン終了まで残っていたら
  1. 以前のような打撃力はなく、本塁打も20本を切っていた。
    • この場合はどんなに遅くとも1996年オフまでには退団してただろう。
  2. チームも負け越しをしていた。
    • オリックスの優勝を見届けるのも現実通り。
  3. 5月9日のオリックス戦で投手として登板することはなかった。

な・は行[編集 | ソースを編集]

ランディ・バース(阪神)[編集 | ソースを編集]

1988年に家族の病気の医療費の支払いをめぐっての解雇。もしトラブルが起きることなく残留していたら

  1. その後に来た数多くの外国人選手が「バースの再来」と言われることはなかった。
    • 88年後半の活躍次第では、むしろ現実以上に彼の後釜の助っ人が「再来」扱いされていたかも。
  2. セシル・フィルダーの来日もなく、大リーグでのブレイクもなかった。
    • パリッシュの移籍もなかった。
  3. 88年の最下位を免れていて、89年もAクラス入り出来ていたかも。
  4. トラブルがなく円満に退団出来ていれば、90年代以降に阪神戦中継のゲスト解説での出演がもっと多かった。

マーク・バルデス(阪神)[編集 | ソースを編集]

1年目で良い成績を残し、初めは阪神に残留することに決まりましたが、解雇されて、中日に移籍しました。もし、残留していたら

  1. 2004年までプレーしていた。
  2. ジェフ・ウィリアムス氏とともに、ダブルストッパーとして、2003年のリーグ優勝に貢献していた。
  3. その代わりに、グレッグ・ハンセル氏が中日に入団していた。
  4. ルー・ポート氏とジェロッド・リガン氏が加入することはなかった。

ペドロ・バルデス(ダイエー)[編集 | ソースを編集]

  1. 2011年の統一球で成績を落とすまでプレーしていた。
  2. 晩年はFA権取得し日本人枠に入っていた。
  3. 晩年は守備ができなくなれば松中と指名打者争いになっていた。
  4. 大村の獲得はなかったかも。
  5. 外国人枠が足りなくなるので、ズレータはとらなかったかも。
    • ズレータの入団時はバルデスがまだ在籍していたので、バティスタかホルベルトカブレラの獲得がなかった。

アーロム・バルディリス(オリックス)[編集 | ソースを編集]

  1. 西武からエステバン・ヘルマンを獲得しなかった。
    • 日本ハムからFAの小谷野栄一も入団したか怪しい。
  2. 関根大気が予定通り背番号52をつけていた。
  3. 2014年の優勝争いに貢献していた。
    • というか上手くいけば優勝に導かせていた。
  4. 筒香嘉智の外野コンバートは無かった。

セシル・フィルダー(阪神)[編集 | ソースを編集]

  1. 1989年に本塁打王になっていたら十分にあり得た。
    • シーズン終盤の怪我もなかった。
  2. 阪神の低迷が史実よりも短くなっていた。
    • 1992年に優勝を果たしていたかもしれない。
  3. ラリー・パリッシュが入団することはなかった。
  4. バースに続く三冠王(首位打者王・本塁打王・打点王)を獲る可能性がある男だった。

ラルフ・ブライアント(中日)[編集 | ソースを編集]

近鉄で活躍したブライアントも、最初は中日にいましたが、三振の多さと当時の外国人枠の関係(当時は2人までで、中日はその枠をゲーリーと当時未帰化の郭で使い切っていた)から試合に出してもらえず、2軍でくすぶっていました。それを当時近鉄の打撃コーチだった中西太氏が見い出したことをきっかけに、ブライアントは近鉄に移籍して大活躍しましたが、もし近鉄移籍が無かったら…

  1. ブライアントはその年限りで帰国していただろう。
    • 案外末永く生き延びて94年の「10・8」決戦で長嶋巨人を地獄行きにしていたりして。
      • バックスクリーン直撃の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランがあるかも?(打たれた投手は槙原)
  2. 1988年後半の近鉄の追い上げや、1989年の優勝はなかった。
    • 「10・19」も「巨人はロッテより弱い」もなかった。
      • 近鉄は主砲であるR・デービスに代わる外国人を採るも、ロクな選手を採れずBクラス落ち、下手すりゃ最下位は免れなかった(デービスは1988年6月頃にドラッグで逮捕→帰国している為)。
        • あれ?デービスが捕まったのでその代役として獲得したのがブライアントでなくて?
          • なので≒「もしデービスが捕まらなかったら」と言える。
    • 西武ライオンズは、前人未踏の10連覇を達成していた。
  3. 1994年シーズンで、6月下旬から8月上旬の近鉄猛追(この期間の成績30勝6敗・勝率8割3分3厘)も無かった。
  4. 1991年は優勝していた。
    • マーク・ライアルとアロンゾ・パウエルの来日は無かった。

トニ・ブランコ(中日)[編集 | ソースを編集]

  1. 2013年以降も中日はAクラス常連だった。
    • 谷繁は選手兼任監督に就任していない。
  2. エンジェルベルト・ソト、ホルヘ・ソーサもDeNAに移籍することはなかった。
  3. 自身初の首位打者にはなっていない
    • バレンティンは三冠王に輝いていた。
  4. DeNAの最下位脱出も遅れていたかも。
    • モーガンではなく長距離砲型の外国人選手を獲得に動いていた。

ロベルト・ペタジーニ(ヤクルト)[編集 | ソースを編集]

2002年も41本塁打を打つなど活躍していましたが、膝痛の問題があった上、オフで契約面で揉めヤクルトを退団し、巨人に移籍しました。もしヤクルトに残留していたら・・・。

  1. 巨人対ヤクルト戦の時、ヤクルトファンから罵声を浴びることもなかった。
  2. ヤクルトは西武から戦力外となった鈴木健を獲得しなかった。
  3. ラミレスは4番に抜擢されることはなかった。
  4. 少なくとも、史実の巨人時代の成績よりはマシになっていたかもしれない。
  5. 不慣れなライトを守らされ開幕戦でエラーすることもなかった。

ドゥエイン・ホージー(ヤクルト)[編集 | ソースを編集]

  1. 高橋智が移籍することはなかった。
    • マーク・スミスの来日はなかった。
  2. アレックス・ラミレスが入団により出場機会が減少。
  3. 翌年もチームのビジター用のユニフォームはスカイブルー地を使い続けた。

ボブ・ホーナー(ヤクルト)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実以上に日本で稼いでいた。
  2. セントルイス・カージナルスに入団した時、ホーナーが代理人に「日本は大嫌い。」と発言したと報じられることはなかった。
  3. ヤクルトがダグ・デシンセイとテリー・ハーパーを獲得することはなかった。
    • 東京ドーム第1号本塁打もホーナーが打っていたかも。

ま行[編集 | ソースを編集]

チャーリー・マニエル(近鉄)[編集 | ソースを編集]

  • 史実では契約年数を巡って、揉めた為に近鉄を退団しましたが、もし残留していたら…
  1. クレイグ・ライアン、アイク・ハンプトンが入団することなかった。
  2. 1981年に近鉄が最下位になることはなかったかもしれない。
    • 近鉄の代わりに南海が最下位になり、ブレイザーは史実より1年早く辞任。後任が穴吹義雄になるのは史実通りか。
    • 西本さんはもう少し長く近鉄の監督を務めていた。
      • マニエルは西本さんが監督を続けている間は近鉄に残留していた。

ボビー・マルカーノ(阪急)[編集 | ソースを編集]

  1. ロベルト・バルボンの時と同様に阪急(オリックス)の球団職員になっていた。
    • コーチにも就任していた。
    • よって、巨人のサンチェの通訳になることはなかった。
  2. ベネズエラに帰国することなく、神戸市か西宮市か宝塚市に住居を構え、余生を暮らしていた。
    • 肺がんで亡くなることはなく、2023年現在も健在かもしれない。
  3. そもそも、1980年以降もそれ以前に比べて長打力が衰えなければ放出はなかった。
  4. ブーマーなどと強力なクリーンアップを築き、1984年の阪急のリーグ優勝にも貢献していた。
    • 同年は広島を破り日本一になれていたかも。
  5. 上手くいけば、アレックス・ラミレスよりずっと先に外国人選手初の2000本安打を達成し、外国人初の名球会員になっていた。
    • 引退後はオリックス・ブルーウェーブの仰木彬監督の下で打撃コーチを務め、イチローや田口壮などを指導し、1995年、1996年のリーグ優勝と1996年の日本一を支えていた。

ドミンゴ・マルティネス(西武)[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも、1999年の西武はもう少しまともな成績を残せていた。
    • ダイエーの初優勝を許したとしても、優勝決定をもう少し延ばすことぐらいはできた。
    • パ・リーグ3連覇できていれば、日本シリーズ制覇も十分あり得た。
    • 「白にゃんこ打線」と揶揄されることもない。
    • マルティネスとポジションが被るアラン・ジンターの獲得は無かった。
      • 場合によってはアーキー・シアンフロッコ、グレッグ・ブロッサー、コーリー・ポールの獲得も無かったかも知れない。
  2. 展開次第では、カブレラの西武入団はなかったか、遅れていた。
  3. 1999年の巨人は良くて3位だった。
    • 長嶋監督はこの年限りで辞任し、原辰徳の監督就任が早まっていた。
      • ON対決はなかった。
  4. DHのあるパ・リーグに残れたため、もう少し長く日本球界に留まれた。

ダン・ミセリ(巨人)[編集 | ソースを編集]

  • 2005年シーズン終了まで巨人に在籍していたら
  1. 1勝ぐらいはしていたと思う。
    • 防御率も実際(23.43)よりマシな数字になっていた。
      • あのヘクター・カラスコだって夏場には良くなっていたからね。
  2. 2005年の巨人の成績が史実よりマシになってたかも。
    • 堀内監督(当時)が辞任することもなかった。
    • Aクラスは無理だったんじゃないかな?
  3. ミセリ自身も現役を引退せずに済んでいたかも。
    • ヘタしたら、現在も日本球界でプレーしていたかも。
    • 豊田清やマーク・クルーンを獲る必要もなかった。
    • 浅草観光することもなかった。
  4. それでも2ちゃんねるで「三瀬裏」と呼ばれる事に変わりはなかった。
  5. 『実況パワフルプロ野球12』に収録されているシナリオ「ベテランの仕事」で、巨人サイドの投手が佐藤宏志に差し替えられることもなかった。
    • ミセリ自身も、巨人の選手として同作に収録されていた。

ヘンスリー・ミューレン(ロッテ)[編集 | ソースを編集]

  1. ピート・インカビリアは来日しなかった。
  2. 少なくとも、1995年のロッテは優勝してたか史実通りオリックスが優勝したとしてもゲーム差僅差の2位だった。
    • 1995年にヤクルトが優勝できたかどうかは怪しい…。
    • 開幕第2戦の石毛からの逆転打はなく巨人が優勝してた可能性も…。
    • 展開次第では石毛博史と吉岡剛志⇔石井浩朗とのトレードはなかったかもしれない…。

ネイサン・ミンチー(広島)[編集 | ソースを編集]

  1. 2001年度のカープは三位になれてたかも
    • 更に残っていたら、山本浩二はもう少し監督を続けられたかもしれない。
  2. 翌年、チームが縦軸のユニフォームになることはなかった。

やらわ行[編集 | ソースを編集]

アレックス・ラミレス(ヤクルト)[編集 | ソースを編集]

  1. 2008年のヤクルトはAクラス入りできたかも。
    • この年、阪神が優勝していた。
      • 「メークレジェンド」は誕生していなかった。
    • 2009年も巨人以外が優勝していた可能性がある。
  2. 髭も剃ることはなかった。
  3. 2016年横浜DeNAベイスターズの監督に就任していない。
    • DeNAのCSと日本シリーズの初出場が遅れていた。

ハーマン・リベラ(近鉄)[編集 | ソースを編集]

  1. ジム・トレーバーは入団しなかったか、入団が史実より遅れていた。

コルビー・ルイス(広島)[編集 | ソースを編集]

  1. 2010年のカープはおそらく史実通り5位だっただろう。借金の数が少し減るくらいだったのでは。

タフィ・ローズ(近鉄・オリックス)[編集 | ソースを編集]

近鉄に残留していたら
  1. 2004年の近鉄はAクラス入り出来ていた。
    • 一方巨人はBクラスだった可能性がある。
      • 当然、史上最強打線は存在しない。
  2. 近鉄の合併もなく最低でも身売りで済んでいただろう。
  3. マリオ・バルデスやラリー・バーンズを獲得しなかった。
  4. 2005年以降もパウエルやケビン・バーンとともにバファローズ(史実のオリックス)に残留していた。
    • 2005年のオリックス・バファローズもAクラス入り出来ていた。
      • 2006年もオリックスは清原・ローズ・中村の強力クリーンナップでもう少しまともな成績だった。
オリックスに残留していたら

2009年オフにオリックスとローズとの契約交渉が難航し、自由契約になり2010年1月に交渉を打ち切りそのまま退団しました。しかしオリックス側はローズを貴重な戦力だと評価していました。

もし交渉成立しオリックスに残留していたら?

  1. 2010年、11年にオリックスはAクラス入り出来ていた。
  2. T-岡田のブレイクが遅れていた。
  3. 10年のドラフトで入団する駿太の背番号は何番になっただろうか?
    • もちろん「タフィ駿太」の誤植ネタはない。
  4. 外国人選手初の500号本塁打を打っていた。
    • 上手くいけばラミレスより先に外国人選手初の2000本安打を打てていた。
    • 44歳となる2012年まで現役を続け、2012年に外国人選手初の通算2000本安打・500本塁打を達成し、名球会入りして有終の美を飾って引退していた。
      • なお、通算2000本安打・500本塁打は日本人を含めても王貞治、野村克也、門田博光、山本浩二、清原和博、落合博満、張本勲、衣笠祥雄の8人しか達成していない珍しい記録である。T.ローズが達成していれば9人目となっていた。
    • 2023年のバースとラミレスより先に助っ人外国人選手初の野球殿堂入りを果たしていた。
  5. もしかしたら駐米スカウトか通訳としてオリックスに携わり続けている。
    • あるいは、オリックスの打撃コーチに就任し、若い選手を指導して2021年・2022年のリーグ優勝、2022年の日本一に貢献していた。

ロバート・ローズ(横浜・ロッテ)[編集 | ソースを編集]

横浜でプレーしていたロバート・ローズは2003年からはロッテでプレーすることになっていましたが、キャンプ中の紅白戦での大不振と家族の身辺上の問題から、オープン戦を待たず帰国しました。

もしローズが帰国せず、ロッテでプレーしていたら?

  1. 2003年のロッテはAクラス入りできたかも。
  2. 地元・千葉マリンでダイエーの胴上げを見せられることはなかった。
  3. 活躍できなかったら、バレンタイン監督就任とともに自由契約にされた可能性も。
    • その場合はやっぱり帰国・引退。
  4. ホセ・フェルナンデスは入団しない。
    • その後の西武・楽天でのプレーもないかも。
2001年以降も横浜に在籍していた場合

2000年はシーズン打率2位・シーズン最多安打を記録するなどで活躍しましたが、契約面で揉めて退団することになりましたが、もし2001年以降も横浜に残留していたら?

  1. 横浜の暗黒期突入は少し遅れていた。
  2. 鈴木尚典は4番打者に抜擢されることもなく、そのプレッシャーで打撃不振に陥ることはなく、史実よりもう少しマシな成績を残していた。
  3. 日本人扱いになっていた。
  4. 2002年オフに横浜から直接ロッテに移籍した。
    • そして上記のようにロッテでも活躍できていたかも。
  5. ≒もし権藤さんの監督退任が遅れていたら かもしれない。
  6. 晩年はファーストにコンバートされ、タイロン・ウッズの獲得はなかった。
    • その場合、中日の2006年の優勝と2007年の日本一はなかった。
    • あるいは、史実でも獲得調査をしていた阪神が獲得していたか、史実より早く中日入りしていた。
      • 阪神入りした場合は、2004年、2006年、2007年も優勝し、2003年と2005年も日本一になれていた。
      • 史実より早く中日入りした場合は、2004年はぶっちぎりでリーグ優勝を決め、日本一にもなれていた。

ホセ・ロペス(巨人)[編集 | ソースを編集]

  1. 2015年は巨人が優勝していた。
  2. 原監督は辞任していない。
  3. 阿部慎之助の一塁コンバートもなく、2016年に小林誠司に正捕手の座を譲って引退していた。
    • それでも2017年ドラフトの捕手2名指名やFAで炭谷銀仁朗の獲得は史実通り。
  4. 2017年の横浜DeNAはCSで敗退していた。
  5. マギーの獲得は無かった。
  6. 岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。

関連項目[編集 | ソースを編集]