もしあの人が健在だったら/お笑い

あ行編集

東八郎編集

  1. バカ殿の家老役を今もなお務めていた。
    • 田代まさし逮捕の際には何かコメントをしていた。
      • 志村けん死去の際にも何かコメントをしていた。
  2. 息子に対しても笑いを指導していた。
    • 深沢でなく父の弟子同士でコンビを組んでいた。
    • 欽ちゃんは師匠でなく兄弟子。
    • 息子の東MAXと安めぐみとの結婚記者会見に顔を出していた。
    • 無事に初孫の顔を拝むことができたかも。
    • 東MAX&安めぐみ夫妻同様に自らブログを立ち上げていた。
  3. 24時間テレビのマラソンで欽ちゃんを出迎えていた。
  4. 私塾での指導も続け、多くの芸人を育てた。
    • ジョーダンズの山崎まさやも志村けんの付き人にはならなかった。
      • ジョーダンズは結成されず、三又又三は最初からピン芸人だった。
  5. 「ヨード卵・光」のCMは超長寿シリーズになっていた。
    • 東MAX&安めぐみ夫妻とも共演していた。

荒井注編集

  1. 2001年以降も富士フイルム「お正月を写そう」シリーズのCMに6人で出演。
    • 途中からすわ親治も加わって7人になっていた。
  2. 2004年の長さん没の際に、加藤茶に代わって弔辞を読んでいた。
  3. 8時だョ! 全員集合』のDVDに荒井注在籍時代のコントも収録されていた。
    • 「なんだバカヤロー」や「This is a pen.」のギャグも健在。
  4. 嘉門達夫の「替え歌メドレー」シリーズが流行った時に再ブレイクする。
    • その頃はまだ健在でしたが・・・
  5. 2005年ころに長州小力の「キレてない」と共に「何だバカヤロウ」が流行語大賞(の候補)に挙がっていた。
  6. 「チュウ」つながりでピカチュウのコスプレをしてポケモン関連のイベントやバラエティ番組に出ていた。
    • 現実にも初期のポケモンブームの頃はまだ健在ではあった。
    • ハイチュウのCMにも出ていた(「チュウ」繋がりで)。
  7. 海外ロケのバラエティ番組でタイへ行き、自己紹介で地元の人々を混乱させていたに違いない。
    • 長さんのアフリカ訪問がライフワークとなっていたように、自身は東南アジアに活路を見出していたかも。
  8. 昨今の年の差カップルたちに何らかのメッセージを送っていただろう。
    • ちなみに自身は38歳差。
    • 加藤茶の再婚については確実に何かやっていた。
  9. 2016年現在も存命だった場合、ピコ太郎と共演もあり得た。
  10. 志村けん死去の際には何らかのコメントをしていた。
関連項目

今いくよ編集

  1. 今くるよとの漫才コンビは当然継続。
  2. NHKの『バラエティー生活笑百科』に特別相談員として、出演し続ける。(実史は2015年12月26日の1回のみ出演。)
  3. 『ENGEIグランドスラム』でくるよと中川家がコラボすることはなかった。

ウガンダ・トラ編集

  1. 相変わらず「カレーは飲み物だ!」と言っている。
    • 声優界一のカレー通である水樹奈々と親交を持っていた。
      • 水樹行きつけの店である四谷の高級カレー店「オーベルジーヌ」に、『奈々スペシャル』に対抗して『ウガンダスペシャル』を売り込んでいた。
      • 水樹のライブツアーでドラマーとして参加し、当然「ウガちゃん」と水樹に呼ばれていた。
    • 糖尿病をきっかけにカレーを「飲む」事を“封印”した。
      • そして、ウガンダが「カレーは飲むな!病気になるんだぞ!」と注意を心がけるCMが作られていた。
    • スープカレーのCMに出演していた。
    • 彼の存在からどこかの飲料メーカーが冬期向けにカレー風味のドリンクの開発を思い立ち、その開発に関与。CMにも出演。
  2. 焼き鳥屋「うがちゃん」の営業を続けていた。
  3. 「うが」繋がりで宇賀なつみとの競演が実現していた。
  4. 『スーパーロボット大戦Z』で「∀ガンダム」のスエッソン・ステロ役を引き続き担当していた。
  5. 2012年4月21日(土)に秋葉原ラジオ会館で開催された「秋葉原カレーまつり」にゲスト出演していた。
  6. 「AKB48のオールナイトニッポン」にゲスト出演。ラジオネーム「カレーは飲み物」に何かコメントしていた。
    • AKBメンバーきってのカレー通である篠田麻里子と親交を深めていた。
  7. 「カレー」ということで、インドには数回行っていただろう。
  8. 毎年5月31日にウガンダ本人と親交のあった芸能人が集まりカレーやコーラを飲食しながら故人を偲ぶ「カレー忌」というのが行われる事はなかった。
  9. 2012年6月6日には無事に還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこ姿でデブタレ仲間とともにカレーを「飲んで」いた。

内海好江編集

  1. 内海桂子との漫才コンビは当然継続。
    • 弟子のナイツを鍛え、史実以上に輝かせてた可能性も。
  2. 江戸前のシャキシャキしたしゃべりで講演にひっぱりだこだろう。
  3. 上方女性漫才コンビとの「東西女性漫才コンビ対決」をNHKがオンエアするかも。視聴率は高かろう。
  4. 「ウリナリ」や「気分は上々」にゲストで呼ばれていた。

榎本健一編集

  1. 病気(脱疽)や高齢で舞台に立つことはできないだろう。
  2. それでもお笑い界では大御所なので誰も頭が上がらない存在である。
    • 上方芸人が東京での公演などにはエノケンに挨拶する「エノケン詣で」が通例となる。
  3. 自伝を出せばベストセラーになるだろう。
  4. アニメの世界に活路を見出していたかもしれない。自分自身をモデルにしたキャラクターを主人公にしたギャグアニメを製作し、自身が声優としてこの役を演じる。
  5. 「日本の喜劇王」として国民栄誉賞を受賞した。
  6. 森繁久彌より先に喜劇界から初の文化勲章受章者になった。
  7. 一度くらい『笑点』の演芸コーナーか三波司会時代の「なんでもコーナー」に出演していた。

小野ヤスシ編集

  1. 『ぶらり途中下車の旅』に2009年以降、1度は出演していそう。
  2. 2013年に加トちゃんBAND20周年記念講演を行っていそう。
  3. BeeTV 「加トザキ~突撃隣のワケありカップル~」にゲスト出演していそう。
  4. 『新・十津川警部シリーズ』でも上司役で出演していた。

か行編集

河本栄得編集

  1. 現在もベイブルースとしての活動を継続。
    • 雨上がり決死隊、次長課長クラスの全国区芸人になっていた。
  2. 圭・修も解散しなかった。
    • ケツカッチンは結成されなかった。
  3. M-1グランプリの審査員も務めていただろう。
  4. 「吉本の河本」といえばこの人だったため、次長課長の河本準一の影が薄くなっていた。
    • 史実以上に「かわもと」と誤読されるため、しまいには持ちネタになってしまう。
  5. 無事に26歳の誕生日を迎えていた。
    • そして、2008年11月1日に40代突入。
  6. 連続テレビ小説『つばさ』にベッカム一郎役(史実では麒麟・川島明が担当)で出演していた。
  7. 2011年11月の大阪府知事選or大阪市長選に出馬していた。
    • 当選は無理だったとしても、一定レベルの票は獲得できていただろう。
  8. 阪神・淡路大震災の復興支援イベントを開いていた。
    • 東日本大震災が発生したときにも、何らかの形で復興支援を行っていた。
  9. (史実で死亡の原因となった)劇症肝炎を克服できた場合、自虐ネタにしていた。
    • 自身の闘病生活を綴った自伝を上梓していた。
      • ということで、(河本の相方だった)高山トモヒロの著書『ベイブルース 25歳と364日』は無かった。
  10. 矢野と高校時代野球部のチームメートであったということもあり、矢野阪神移籍後はオフシーズンはTV共演を行っていた。
    • 矢野阪神監督就任時にはお祝いのコメントを出していた。
    • 2003年の阪神18年ぶりリーグ優勝の際にもお祝いのコメントを出していた。

さ行編集

坂上二郎編集

  1. 相方の萩本欽一が2015年に駒沢大学に合格したのを喜んだ。
    • 入学式に駆けつけて、式終了後には萩本とともにリポーターに取り囲まれる。
  2. 「飛びます、飛びます」ということで、ジェットスター又はピーチエアなどのLCC(格安航空会社)のCMに出演していた。

桜京美編集

  1. 「あの人は今」的な番組に頻繁に出演していた。
  2. 現時点(2009年5月)で健在であった場合、「私が若いころはこんなことはしなかった」と昨今のバラエティ番組を批判していたことだろう。
    • 桜に指摘されたことによって、バラエティ番組の質は現実より良くなっていた。
    • 島田紳助が芸能界を引退した際にも、何らかのコメントをしていた。

桜塚やっくん編集

交通事故に遭っても、幸い命に別状がなかった場合も含む。

  1. 巡業中心に今も活躍していた。
  2. エンタの神様のスペシャルにも引き続き出演している。
  3. 東原亜希のデスブログ伝説が1つ減っていた。
  4. 熊本県荒尾市でのライブを無事に成功をおさめていた。
  5. エンタの神様のレギュラー放送終了後は声優としての仕事の方が多くなっていた気がする。
  6. 現在はYouTuberとして活動していた。
  7. 元相方の竹内幸輔が2022年に死去した時も何らかのコメントを残していた。
  8. 40歳前後で結婚していたかもしれない。
  9. 『笑点』の演芸コーナーに出て、年齢層が高い観客に対しても、観客いじりをしていた。

清水キョウイチ郎編集

  1. 予定通り新喜劇に出演していた。
    • 吉本新喜劇の次期/副座長クラス座員のひとりになってたかも。
  2. うめだメッセのドッキリ企画は今も続いていた。
  3. ヘキサゴンに呼ばれたとたん全国区に。
    • ヘキサゴン殺人事件にも出演。
    • 「陽は、また昇る」で、FUJIWARAの2人とともにバックダンサーをやっていた。
  4. 恋のかま騒ぎ(めちゃイケの企画のひとつ)に清水子として出演していた。
  5. 爆笑レッドカーペットに出演してたかも。
  6. パラ軍団復帰が実現してたかも。
  7. いずれは最初の師・いかりや長介から破門を解かれていただろう。
    • もちろん、いかりや氏が(2006年11月の時点で)健在であることが最前提となる。

志村けん編集

  1. 「バカ殿様」や「だいじょうぶだぁ」は現在も放送していた。
  2. 「天才!志村どうぶつ園」は2021年現在も放送していた。
  3. 2020年の24時間テレビのドラマの内容も違うものになっていた。
  4. (史実通り新型コロナウイルスに感染しても回復していたら)新型コロナウイルス感染予防に関する啓発動画に出演していた。
    • 都議選に出馬していた。
      • さすがにそれはないと思うが、小池百合子都知事や西村康稔新型コロナ担当大臣と対談していた。
  5. いわゆる「自粛警察」の活動も史実ほどは活発でなかった可能性がある。
  6. 感染していなかったら、「キネマの神様」に予定通り出演していた。
  7. 上島竜兵は自殺しなかった。
  8. 仲本工事は交通事故死しなかった。
  9. 日本における新型コロナウイルス感染者数も史実より多かった。
  10. 彼の物真似をしているレッツゴーよしまさと共演していた。

〆さばヒカル編集

  1. 現在でも〆さばで活動。
    • 2007年正月の「お笑いウルトラクイズ」復活版に出演。
    • たけしのコマ大数学科にコマネチ大学数学研究会チームとして出演。
      • アタルがピンで活動やアル北郷、お宮の松と「トリオロス アキオ」として活動すること無かった。
  2. 芸名にちなみ、「しめサバ」を製造しているどこかの企業のイメキャラになっていたか?
    • 相方がアタルだから逆に敬遠されてる気がする。

人生幸朗・生恵幸子編集

  1. 若手ミュージシャンの目標が「人生師匠の漫才のネタになること」である。
    • 人生師匠は大塚愛やオレンジレンジ等もしっかりチェックしておられるでしょう。
      • それだけに留まらず、アニソンにも鋭いチェックを入れているのでは。
        • 新進作詞家は「人生師匠にぼやかれてナンボ!」とばかりボヤキネタ満載の歌を世にあふれさせ、師匠はネタに困らずに済んだかも。
        • 特に古い(1970年代頃までの)アニソンって(歌詞だけみると)突っ込みどころがあるものが多いから、ネタには困らないだろうし、そのアニソンをリアルタイムで知らない世代にも大受けしそう。
        • さすがに深夜アニメの主題歌までは無理か。
          • 研究熱心なため、あまり売れていない歌をネタにしてお客がポカンとすることもあったらしいので、深夜アニメの歌をチェックした可能性もあり。
            • それをきっかけにオタク向けイベントに呼ばれる。但しアニメの内容や主題歌を歌っていない声優のことは知らない。
  2. 「たかじんのそこまで言って委員会」が「人生幸朗の責任者でてこん会」になっている。
    • 「責任者出てこ~い!」が流行語大賞(もしくは候補)になってたかも。
  3. 「探偵!ナイトスクープ」の顧問になり、容赦ないツッコミと西田局長にも負けない大号泣で人気に。
  4. NHKの「バラエティ生活笑百科」に最低1回は出演してる。
    • あと、『笑いがいちばん』にも。
  5. ライフワークでもある施設慰問は続いてた。
    • この方が率いる芸激隊の一員(大阪支部長あたりのポジションか、芸激隊本隊の顧問)になってるかも。

瀬戸わんや編集

  1. わんやの持病が回復した場合、獅子てんやとコンビ再結成される。
  2. てんやはわんやの死をきっかけに芸能界から引退したが、引退することもなかった。
  3. 片岡鶴太郎と「ぴよこちゃん」で共演する。

た行編集

太平シロー編集

  1. THEMANZAI2012の審査員をやっていたかもしれない。
  2. 2012年4月に吉本興業創業100周年で上演された『吉本百年物語』に出演。
    • 特別公演では1夜限りの太平サブロー・シローが再結成されていたかもしれない。

竹内ゆうじ編集

  1. 島田紳助の引退で『クイズ!紳助くん』が打ち切りまでなにわ突撃隊を勤めていた。
  2. ヘキサゴンに呼ばれたとたん全国区に。
    • たいぞうと共に。
  3. 爆笑レッドカーペットやめちゃイケに出演してたかも。
    • 同期のナインティナインとかま騒ぎやシンクロで笑いを取っていた。
  4. 24時間テレビ2012「ガンと闘った芸人・竹内ゆうじ」が放送されることは無かった。

たこ八郎編集

  1. パンチドランカーの症状が快方に向かうにつれ、コメディアンをしながらも本格的に役者の道へ進む。
    • 天然ボケのキャラクターと相まって、同じ元ボクサーでもあるガッツ石松あたりの仕事をいくつか奪っている。
      • 輪島功一の仕事もいくつも奪っている。
      • 赤井英和の分も・・・。
  2. 友川かずきの『彼が居た』は存在しない。
    • タモリの追悼コメント「たこが海で死んだのだから何も悲しくはない」も存在しない。
  3. 片岡鶴太郎のお笑いタレントとしてのキャリアはもう少し長かったかもしれない。
    • また彼のライバルとして、たこ八郎ネタ専門のものまねタレント「いか十郎」が現れていた。
  4. 宅八郎は全く別の芸名にしていた。
    • むしろ共演していた。
  5. あき竹城と結婚していた。
  6. 『侍戦隊シンケンジャー』で蛸折神役で出演していた。
  7. 『侵略!イカ娘』に「タコボクサー」というゲストキャラとして登場。
    • アニメ版にもアテレコ出演。
  8. 冷凍たこやきやたこやきチェーン店「築地銀たこ」のCMに出演していた。
    • 関西のグルメ番組でたこ焼きの特集の際、赤井英和との共演で必ず出演していた。
  9. 『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』の映画にゲスト出演していた。
  10. 1999年の由利ちゃん没の際に、弔辞を読んでいたかも。
  11. 山咲トオルの『戦慄!!タコ少女』にゲストキャラで出演し、山咲本人と対談していた。
    • アニラジの『青春!!タコ少女』にもゲストとして呼ばれ、山咲トオルの他、くまいもとこや菊池志穂と対談していた。
  12. 鈴井貴之のタコ星人とコラボで共演している。
  13. 予言ダコ「パウル君」と揃い踏みし、「パウルで~す!」と言っていた。
  14. 『ダウンタウンDX』にも定期的に出演していた。
    • 大ボケ発言した際に浜田から「何言うとんねんたこちゃん!」と突っ込まれる。
  15. (史実ではたこさんの葬儀・告別式の葬儀委員長だった)赤塚不二夫の逝去時にはなんらかのコメントをしていた。
    • 当然、赤塚さんの葬儀で葬儀委員長を務めていたorタモリに代わって弔辞を読んでいた。
  16. さかなクンとTVで共演していた。
  17. 「波打際のむろみさん」で『タコの斉藤さん』として登場しており、アニメ版でもアテレコ出演していた。
  18. 『がんばれ!!ロボコン』にゲスト出演していた関係から、関連書籍でインタビューを受けていた。
  19. 東日本大震災の発生後、被災地に行って復興支援を行っていただろう。
  20. 2014年3月31日に放送された『笑っていいとも!』の最終回にも何らかの形で出演していた。
  21. 宮城県知事選or国政選挙に最低1回は出馬していた。
  22. 東八郎(1988年没)、春日八郎(1991年没)、井沢八郎(2007年没)の死をそれぞれ悼んでいた。
    • いか八朗(2018年没)、宅八郎(2020年没)の死もそれぞれ悼んでいた。

トニー谷編集

  1. マスコミ嫌いが治まることはいずれにせよなかっただろう。
  2. 体力が続く限り全国の舞台を行脚していた。

な行編集

中島忠幸(カンニング)編集

  1. 竹山が「カンニング竹山」を名乗ることはなかった。
    • 「カンニング竹山」にはカンニングとして苦楽を共にした中島を追悼する意味が込められているので。
      • 「エンタの神様」「アッコにおまかせ!」に出演し続け、さらにはレッドカーペットでショートネタに挑戦し、キングオブコントにも出場していたかもしれない。
  2. 竹山とともにカンニングとしてIQサプリに出演していた。
  3. 竹山がナイトスクープに出る事もなかった。
  4. 日本テレビ「エンタの神様」で竹山の暴走を止める役(現在もいる「クワバタオハラ」の様な感じ)]に徹し、出演期間がもう少し長かったかも。
  5. 日本テレビ系の「黒バラ」に竹山が出演する事が無かった。
  6. いまだに中島を「なかじま」と呼ぶ人が多い。
  7. 中島繋がりで中島愛との共演及び対談も実現していただろう。
    • それが縁で、「Megpoid」に対抗して「Tadaroid」というソフトを売り出す。
    • それがきっかけでオタク向けイベントに呼ばれるように。
    • 中島早貴(℃-ute)とも共演していたかも。
  8. 竹山もザキヤマにイジられることも少なく「竹山のやりたい100のこと〜ザキヤマ&河本のイジリ旅〜」は放送されてはいなかった。

中田治雄(Wヤング)編集

  1. Wヤングが漫才ブームの中心にいた。
    • もっと言うと、今のやすきよみたいに、80年代が全盛期の芸人として語り継がれてた。
  2. やすしきよしの人気は現実ほど高くならなかった。
    • 西川きよしの選挙出馬もなかった。
  3. Wヤングが中田カウス・ボタンやオール阪神・巨人を押さえ、関西漫才界の重鎮になっていた。
    • カウスに恐喝疑惑が浮上することもなかった。
  4. 佐藤武志は吉本新喜劇の役者のまま。
    • ただし、佐藤が(現在の妻である)浅香あき恵と結婚するのは史実通り。
  5. 大阪府警による賭博対策が遅れていた。
    • 吉本興業が『賭博に手を染める芸人は使わない』と宣言することもなかった。
  6. 大阪府知事選or国政選挙に最低1回は出馬していた。
  7. 岸部四郎が自己破産をした際に、何らかのコメントをしていた。
  8. 自殺防止を呼びかけるCMに自ら出演していた(中田の自殺が未遂に終わっていたらの話だが)。
  9. 声優の中田譲治と混同する人が増えていた・・・かも。
  10. 「しくじり先生」に「元銀行員なのにバクチですって巨額の借金を背負った中田先生」として出演していた。

南都雄二編集

  1. 夫婦善哉は、1975年9月27日の最終回まで元妻であるミヤコ蝶々と司会を務めていた。
    • 蝶々と復縁していた可能性もあったかも。
  2. 夫婦善哉終了後も司会者として活躍。
    • 桂三枝や島田紳助の司会者としての知名度が下がってたかも。

は行編集

八波むと志編集

  1. 八波一起と共演していた。
  2. ここの社長がマネージャーだ。


非常階段ミヤコ編集

  1. 非常階段が継続して活動していたため、三女美は存在しなかった。
    • シルクが美容評論家として活動していたかも疑わしい。
  2. ハイヒールや未知やすえの仕事を奪っていた。

平川ジロー編集

  1. 現在も平川タロー・ジローで活動していた。
    • タローも2007年に北山ヨシオと「オッサンパラダイス」を結成すること無かった。
    • 平川タロー・ジローでTHEMANZAIに出場していたのかもしれない。

ピグモン勝田編集

  1. 江頭2:50の仕事を半分程度奪っていたかもしれない
    • 新座ニチイ(現・新座イオン)の樹木は撤去されなかった

ポール牧編集

  1. もちろん「指パッチン」は健在。
  2. 仏教関連の書籍をさらに多く執筆していた。
  3. 当然2007年正月の「お笑いウルトラクイズ」復活版にも出演。
  4. 「サンデージャポン」のレギュラーには間違いなく出ていただろう。

星セント・ルイス編集

  1. コンビの再結成は…やっぱりなかったかもしれない。
    • 最低でも仲直りは…していたかな?
    • 仮に再結成できたとしても、仕事はピーク時より減っていたと思う。
  2. お互い張り合うかのごとく、田園調布に家を建てていた。
  3. 星セントが史実では僅か2回しか出演しなかった『仮面ライダーBLACK』に、旧シリーズにおける立花藤兵衛や谷源次郎的な「おやっさん」のようなキャラで多く出演していたら、この作品が「俳優としての代表作」となり、芸の幅ももう少し広がっていただろう。
  4. テレビの企画で、ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆と共にメジャーリーガーの田口壮の応援に駆けつけていた。
  5. どちらかTHEMANZAI2011の審査員をやっていたかもしれない。

ま行編集

前田健編集

  1. マエケンつながりで前田健太と何かしらの絡みがあったかもしれない。
  2. 自身のYouTubeチャンネルを開設し、ダンス動画や新作モノマネを投稿していた。
  3. どこかでプリキュアシリーズの振付を再度手掛けていた。

松本竜助編集

  1. 紳助・竜助の復活は予定通り実現。
    • 復活公演が全国で行われていただろう。
  2. オファーのあった映画にも出演を果たす。
  3. それでも極貧生活からは抜け出せず。
    • 松本竜助氏は貧しくないのでそれはない。むしろお金持ちになって琵琶湖に豪邸を作っていた。
  4. 「紳助枠」で「クイズ!ヘキサゴンⅡ」に出演。
  5. 後輩の誰かと組んでM-1にエントリーしているかもしれない。
  6. 「うなずきトリオ」も復活している。
    • 史実では竜助抜きの「うなずきコンビ」として再結成された。
  7. 島田紳助が不祥事を起こして、謹慎していた期間中に島田が司会をしていた番組の司会代行をやっていた。
    • 紳助が謹慎していたのは竜助生存時だが、司会代行をやっていた可能性はあったかも。
  8. 紳助の芸能界引退時に何らかのコメントをしていた。
    • 紳助が引退時に持っていた番組のいくつかは彼が引き継いでいたかも。この場合今田耕司のテレビ露出が史実より多少減っていた。
    • 紳助に殉じる形(もしくは竜助の方にも同様の問題があった)で同時に引退していた可能性も。
      • 『竜助の方にも同様の問題があった』場合、スポーツ紙で『松本竜助、お前もか!!』という見出しで報道されていた。

三波伸介(初代)編集

  1. 『凸凹大学校』は1990年頃まで続く長寿番組となっていた。
  2. 『笑点』の司会もそれくらいまで続けていたかもしれない。
    • 圓楽師匠の回答者としての出演期間が長くなり、楽太郎の回答者就任が数年遅れていた可能性も。
      • 楽太郎は三波時代からの回答者でしたが…。
        • 圓楽師匠が司会を務めることは無かったかもしれない。
        • 1000回あたりで勇退して史実どおり圓楽にシフトしていたかも。
          • 座布団運びはどうなっていただろうか(松崎さんは体調不良で降板したため)。
  3. 現在までに最低一回はNHK紅白歌合戦の司会をしていた。
  4. TBSの『オールスター感謝祭』の常連になっている
    • 島田紳助の代わりに司会をやってたかも・・・・・・
  5. 2008年の息子(元三波伸一)による2代目襲名もなかった。
  6. 『スターどっきり○秘報告』のキャップも続けていた。
  7. FNSの日の総合司会も1回はやってたはず。
  8. ひな壇トークの仕切り役として手腕を発揮したかもしれない。
  9. てんぷく集団はまだ活動していただろうか?
    • てんぷく集団に小松政夫や三宅裕司を加えて「てんぷくカルテット」と銘打ち舞台公演をやっていたかも。
    • 伊東四朗・熱海五郎一座ならぬ「三波伸介一座」が開催されていた。
  10. 息子と共演を果たしていた。
  11. 絵のうまさは史実以上に知られていた。
    • 教育テレビの趣味講座に講師として出演したかも。
    • 「日曜美術館」の司会を務めたかもしれない。
    • 民放でも美術関連の特番に出演。BSやCSでマニアックな番組を持っていたかも。
      • BS日テレの「ぶらぶら美術館」の常連ゲストになっていた。
  12. 最低一回でもテレフォンショッキングに出演していたかもしれない。
  13. 『ソルマック』のCMにまだまだ出続けていた。そして渡辺文雄がこのCMに出る事はなかった。
  14. NHKの『コメディーお江戸でござる』は三波主体で企画されていた。
  15. 史実のお笑い界の流れ(吉本芸人の本格進出、アドリブ・楽屋ネタ台頭)を思うと、晩年のいかりやみたいに俳優業一本に絞っていたかも。

村田渚(鼻エンジン)編集

  1. RADIO BERRYの「BERRY-BOP HIGHSCHOOL」は今も続いていた。
    • そして、この番組みたく全国ネットに昇格。
      • もちろん、JFN38局フルネット。
  2. 引き続き、「爆笑オンエアバトル」に出演していた。
    • 『爆笑レッドカーペット』にも出演してたかも。
  3. ボキャブラ天国復活特番で桶田敬太郎との「フォークダンスDE成子坂」の復活を見ることができた。
  4. バイきんぐ小峠とのトークライブを実現出来ていた。

やらわ行編集

横山ノック編集

  1. 関西ローカルの番組にゲストで出ていたかもしれない。
    • 「ビートたけしのTVタックル」とか「たかじんのそこまで言って委員会」にゲスト出演してた。
    • 「探偵!ナイトスクープ」のスペシャルに出ていた可能性もなくはない。元局長の上岡龍太郎が引退しなければ上岡とともに久々の出演を果たせていた。
  2. ノックは無用特番で復活してたかもしれない。
  3. 立川流落語会にゲストに出ていただろう。
  4. 生きていたら今度は橋下徹の代わりに大阪市長になってた…かな大阪ならまんざらあり得ないとも言い切れまい。
  5. 大阪都構想に関して自分自身の意見を述べていただろう。

横山やすし編集

  1. 吉本興業は復帰を認めず、摂津の自宅でくすぶっている。
    • 「もういっぺんキー坊と漫才したいなぁ・・・」
    • 一度だけテレビ出演を許され、やすきよ漫才が復活する。
      • 新潟県中越沖地震か東日本大震災のチャリティーステージで行われていた。当然ノーギャラ。
    • あるいはM-1の審査員に呼ばれ、強烈なダメ出しを連発する。
      • 「お前らの漫才は何や!チンピラの会話にしか聞こえんわ!」
        • と言われた松ちゃんが紳助の肝いりで審査員をしているので結局ボツになる
    • お家騒動の際に暴露本を出版する。
      • そして雑誌やワイドショーでガンガンぶちまける。
        • 当時大阪で放送してなかった「2時っチャオ!」に出て本音丸出し。
      • タイトルはもちろん「怒るでしかし!」。
    • 吉本クビになった前田五郎と事務所を立ち上げたかもしれない。
    • 意外と復帰したかもしれない。
  2. 太平サブローの仕事がなくなっている。
    • いや、Wやすしというユニットで活動している。
    • キッコーマンの「我が家は焼肉屋さん」のCMで共演していた。
  3. 師匠である横山ノックの葬儀にも参列し、インタビューも受けている。
  4. 2000年年末(=20世紀末)に読売テレビ製作で「伝説のやすきよ(仮題)」が放送され、やすきよ漫才が復活する。
  5. A」ではなく「久米宏のTVスクランブル」が復活している。
  6. 「踊る!さんま御殿」の常連ゲストになり、番組の放送時間の大半がつぶれる位のトークバトルを繰り広げる。
    • 「ダウンタウンDX」にも時々出演して、逆に浜田をどつき回す。
  7. 「仮面ライダー電王」でキンタロスの声を担当していた。
  8. 24時間TVのマラソンで走る。
  9. PCと携帯で辛口のホームページ&ブログ(yassan.com)を立ち上げる。
  10. 「たかじんのそこまで言って委員会」に準レギュラーで出演し、たかじんや他のパネラーと激しいトークバトルを繰り広げ、いつしか伝説となる。
  11. ドラえもんの映画にゲスト出演し、のび太を叱咤し、ジャイアンとスネ夫をボコボコにする。
  12. 娘・ひかりの結婚に際して何らかのコメントをしている。
    • 孫の誕生にも立ち会っている。
    • 妻の死にも何らかのコメントを残している。
  13. 飲酒運転防止を呼びかけるCMに出演していた。
    • それが放送されている最中に飲酒運転で検挙され、CMは放送中止に…
  14. 「SMAP×SMAP」に何度かゲスト出演している。
    • 香取慎吾がやっさんのものまね(扮装)を「ビストロSMAP」コーナー内でやっている。
  15. 競艇のCMで南明奈と共演している。
  16. 平野綾のタクシー騒動に関して何らかのコメントをしている。
  17. 「西川きよしのご縁です!」に出ていた(横山氏の相方は西川きよしなので)。
  18. 東日本大震災の発生後、被災地に行って救援活動に没頭していた。
  19. 1回くらい「なるみ・岡村の過ぎるTV」にゲスト出演している。
  20. 「銀シャリ」にはどんな感想を述べただろうか?
  21. 吉本のダウンタウンの元マネージャーだらけの上層部体質を批判していた。
    • 闇営業問題の際、自身のYoutubeチャンネルでそれをやって大騒ぎになっていた。
  22. 同じような衣装(青のスーツ)を着ている銀シャリとコラボする企画を行っていた。
  23. 借金が史実より増えていた。それでも、亡くなったとき、葬式で金を貸した人全員、「香典代わりや。」と言ってチャラにしてくれたのだろうか。
    • 史実では15億円の借金を残して亡くなったが、葬式で金を貸した人全員、「香典代わりや。」と言ってチャラにしてくれた。
  24. 愛人が50人以上になってしまい、いろいろな事件が起きてしまった(史実では36人)。
    • 愛人を妊娠させてしまった。
    • 離婚届を出した妻(史実ではやすしが亡くなる直前までいつ離婚しようか考えていた)に「お前、何、考えとんねん!」とキレて暴れてしまった。
    • 長男の一八に殴られた(「木村雄二(やすしの本名)、ほんましばくど!ええ加減にせえよ!」と思っていたから)。
  25. 宮下草薙、四千頭身に「シャキッとせえ!」と怒っていた。
    • にゃんこスターとキングオブコントにも怒ってしまった。

レオナルド熊編集

  1. テレビか舞台で石倉三郎とコントレオナルドを1度だけ、短期間だけ再結成してたかもしれない。
    • NHKのテレビ番組にチャーリーカンパニーと対抗したコントやっていたかもしれない。
  2. 旅番組のレポーター、グルメ番組のレポーター、田舎に泊まろう、通販番組に今も出ていたかもしれない。
    • 木之元亮や寺門ジモンなどの仕事をいくつか奪っていた。
  3. M-1グランプリ、THE MANZAI2011の審査員もしていたかもしれない。
  4. Vシネマの常連。
    • 脇役やチョイ役で出演。
  5. 自分だけの劇団でコメディをやっていて若手芸人とコントをする特番に出てたかもしれない。
    • アンジャッシュやバナナマン、ドランクドラゴンなどが出演していそう。
  6. 「熊」繋がりで、熊本県のゆるキャラ「クマもん」とイベントなどで共演していた。
    • 「リラックマ」などの熊をモチーフとしたキャラクターとコラボしていた。
    • 「レオナルド」で「熊」なら鷹の爪団のレオナルド博士との共演が最有力。

若井小づえ編集

  1. 2010年現在、ギャグの中に「そんな言い方ないと思うわ。どうせ私は、水樹奈々よ!」という具合に声優アイドルの名前を入れていた。
    • 相方のみどりの突っ込み「そんな声の汚い水樹奈々っておるんか?」
      • 水樹は紅白歌合戦出演等で世間にも知られているからネタにするかもしれないが、他の声優アイドルの名前を出すことは多分ない。
    • モデル出身のタレントやフィギュアスケートの選手、AKBの選抜メンバーの名前を入れたネタをやっている。
      • 「どうせ私はきゃりーぱみゅぱみゅよ!」と言い、噛みそうになるのをみどりに突っ込まれる。
        • みどりに「あんたも言うてみい!」と突っ込み返す。
  2. NMB48結成の際に何らかのカラミがあったかも。
  3. (小づえの相方だった)若井みどりが、吉本新喜劇に出演することはなかったかも。
  4. 若井みどりがNHKで土曜日に放送「バラエティ生活笑百科」に出る事も無く、上沼恵美子が(実史で)2013年9月をもって番組を卒業する事も無かった。