もしあの人が存在しなかったら/スポーツ

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野球

荒川博

  1. 王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
    • 巨人のV9もおそらくなかった。
  2. 1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。

荒木大輔

  1. 1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
    • TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
    • 史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。

イチロー

  1. ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
  2. オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
    • オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
  3. ニッチローは有名にならなかった。
  4. 福島弓子は栗山英樹と結婚していた。
  5. NPBにおける最多安打のタイトル制定もなかったか、遅れていた。

王貞治

  1. 巨人のV9はなかった。
    • それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
  2. ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
  3. 国民栄誉賞は設立されなかった。
  4. 当然「王シフト」なんてものはない。
  5. 荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
  6. 王シュレット事件も起きなかった。
  7. 「ON砲」や「OH砲」はなかった。
  8. 現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
    • それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。

落合博満

  1. 日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
  2. 近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
    • 史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
    • もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
  3. 駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
    • ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
    • 井端弘和も巨人に移籍することはなかった。中日で現役生活を終えていたかも。
  4. 当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。

清原和博

清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く×××××してしまったら。

  1. KKコンビもない。
    • 学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
    • kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
      • 『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
        • 名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
          • そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
  2. 西武の黄金期にも影響を与えていた。
    • 秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
    • 下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
  3. 落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
    • あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
  4. 河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
  5. 「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
  6. 元木大介はレギュラーに定着していた。

多田野数人

  1. ここに書いてあることが現実になっていた。
  2. 立教大学は未だ野球弱小高のまま。
  3. 「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。

田中将大

  1. シーズン24連勝する投手は存在しない。
    • 過去の数々の連勝記録も更新されず。
      • いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
  2. 楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
    • そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
      • 大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
    • 2013年の優勝もなかっただろう。
  3. 駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
    • 2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
      • それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
  4. 斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
    • むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
      • でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
    • 大学進学しなかったかもしれない。
  5. 1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
    • 1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
    • 前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
      • あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
  6. 里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。

長嶋茂雄

  1. 宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
    • 立教大学野球部も史実より地味なままだった。
  2. 巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
    • 巨人のV9もなかった。
  3. 1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
  4. 徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
    • 卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
  5. 長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
  6. トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。

野村克也

  1. 南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
    • 下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
  2. 戦後初の三冠王は王貞治。
  3. 日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
  4. 90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
  5. 監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
  6. 阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
    • 楽天の強化も。

原貢

  1. 三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
    • 東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
    • 2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
  2. 当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
    • 長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
    • 2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。

張本勲

彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら

  1. 当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
    • イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
  2. 同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
  3. 落合博満は史実よりも注目されなかった。
    • 山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
  4. 「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
    • 江川紹子とのトラブルも起きなかった。

ベーブ・ルース

  1. メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
    • 野球の知名度が低かったままの可能性も。
      • むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
  2. ・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
    • 少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
  3. ヤンキースが強豪になる事はなかった。

星野仙一

  1. 1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
    • 与那嶺監督の退任も早まっていた。
      • もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
    • 川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
  2. 近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
    • その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
  3. 1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
    • 根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
  4. 4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
    • その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
      • 牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
      • 2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
    • 落合はこの時点で巨人入りしていた。
  5. 平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
  6. 高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
    • 従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
    • 高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
  7. 2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
    • その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
  8. 当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったらを参照。

松井秀喜

  1. 1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
    • 史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
  2. 日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
  3. 当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
    • 馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
  4. 1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
    • 伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
  5. 河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
  6. 石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
  7. 石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
  8. 星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
  9. 『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。

松坂大輔

  1. 1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
    • 1981年度生まれが黄金世代になっていた。
  2. 1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
    • 場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
  3. 史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
    • あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
  4. 史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
  5. 1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。

森祇晶(森昌彦)

  1. それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
  2. 「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
    • 古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
  3. 80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
    • ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
    • 日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
    • もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
  4. 2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。

サッカー

澤穂希

  1. 女子サッカーが日本で人気になることはなく、これの一部が現実化していた。
  2. アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
  3. 史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
  4. 東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。

中村憲剛

  1. 伊藤宏樹の引退は数年ほど前後していた。
  2. 大久保嘉人や小林悠も史実以上の活躍を残せていなかった。
  3. 川崎フロンターレは4年連続でタイトルを獲得できるほどの強豪チームになっていなかった。

長谷川健太

  1. 「清水東三羽烏」 は別の人が入っていたか、その組み合わせ自体がなかったかも。
  2. 2005年から2010年の清水エスパルスは史実よりも低迷していた。
  3. 2014年のガンバ大阪の三冠はなかった。

三浦知良

  1. 1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
    • 野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
  2. 「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
  3. 1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
  4. 「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
  5. 設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。

大相撲

琴風豪規

元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。

  1. がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
  2. 千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
  3. 尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
  4. 大関空位の場所がもう1つ増える。

大鵬幸喜

  1. 柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)。
  2. 一代年寄という制度は設けられなかった。
  3. 白鵬には違う四股名が付けられていた。
  4. 何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
  5. 当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。

貴乃花光司

  1. 若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
  2. 若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
  3. 上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
  4. 宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
  5. 河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。

稀勢の里寛

  1. 琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
  2. 高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
  3. 隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
  4. 史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。

力道山

  1. 日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
    • プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
  2. テレビの普及は史実より少し遅れていた。
  3. 二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
  4. 1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
  5. 声優・小山力也の名前が変わっていた。

テニス

マリア・シャラポワ

  1. 2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
    • あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
  2. 女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。

マルチナ・ナブラチロワ

  1. マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
    • 「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。

松岡修造

  1. ニコ動でのネタが一つ減った。
    • 裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
    • レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
  2. 錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
  3. 日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
  4. 『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
  5. 斉木楠雄のΨ難』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
  6. 地球は氷河期に突入していた。

バスケットボール

マイケル・ジョーダン

バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。

  1. デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
  2. デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
  3. シカゴの有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
    • もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
  4. ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
  5. バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
  6. NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
  7. MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。

中村和雄

  1. 長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
  2. 共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
  3. オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
  4. 渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。

ボクシング

モハメド・アリ

  1. ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
  2. ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
    • キンシャサの知名度も下がっていた。
      • キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
  3. アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
    • 総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
    • 中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
  4. カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
    • モハネド・ヨネも。
  5. アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。

大橋秀行

  1. 昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
  2. リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
  3. 川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
    • 井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
    • 宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。

亀田史郎

  1. 当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
    • その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
      • 赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
    • 協栄ジムも図に乗りかねない。
    • 帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
  2. 内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
    • 坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
  3. 亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
  4. ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。

ラグビー

清宮克幸

  1. 21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
  2. ヤマハ発動機の躍進もなかった。
  3. 五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
  4. 清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
    • オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。

五郎丸歩

  1. 2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
  2. 当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
    • 阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。

フィギュアスケート

荒川静香

  1. トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
    • それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。

アリーナ・ザギトワ

  1. 2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
    • もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
  2. エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。

エテリ・トゥトベリーゼ

  1. 2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
    • よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
  2. 女子の4回転時代突入も遅れていた。
  3. ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
    • というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
  4. 自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。

羽生結弦

  1. ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
    • 平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
  2. 羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
  3. 男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。

その他

ランス・アームストロング

  1. ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
  2. ディスカバリーチームは存在しない
  3. グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
  4. ドーピング問題はもっと早く露見していた
  5. トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
  6. SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。

アリーナ・カバエワ

  1. アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
  2. 新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
  3. プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。

蝶野正洋

  1. 当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
    • DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
  2. アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。
  3. 「ちょうの」 といえば長野久義を連想する人が多かった。

マッハ文朱

  1. 女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
    • 試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
    • 女子プロレス自体存続していなかったかも。
  2. レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。

室伏重信

  1. 息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。