もしあの人が国政選挙で当選していたら
節の名称は「候補者名(出馬した選挙の開催年・種類)」とし、年代順でお願いします。複数の候補者を扱いたい場合は開催年・種類だけで節をつくること。
日本国外の選挙に関しては、バカの卵でご提案ください。またアメリカ大統領選挙はもしあの年のアメリカ大統領選挙で○○だったらにお願いします。
1920年代
菊池寛(1928年衆議院)
- 社会民衆党からの出馬であったことから、左派政治家として活動していた。
- 戦後も健在でかつ議員として活動していたら社会党右派に入っていた。
- 公職追放で議員辞職されたかも。
- 「タレント議員の先鞭」としても知られるようになっていた。
1970年代
石原慎太郎(1975年東京都知事)
- 都政が革新から保守に代わるため、革新都政に終止符が打たれた。
- 環境庁長官や運輸大臣には就任していない。
- 史実で美濃部亮吉の後に都知事になった鈴木俊一は都知事にならなかった。
- 都知事は1991年頃まで務め、その後は国政に復帰した。
- 新党でなく、自民党に戻った。
- 総裁選に出馬し、ひょっとすると首相の座についていたかも。
- 新党でなく、自民党に戻った。
- 後任の都知事は舛添要一あたり。
1980年代
西村英一(1980年衆議院)
※当時の自民党副総裁だったが、僅差で落選。
- 自民党総裁は大平正芳の急死による空席のため、副総裁の西村が昇格。
- 選挙後の特別国会では首相に指名される。
- 82歳での首相就任は最高齢記録となる。
- この年の秋の自民党総裁選(史実では行われなかった)には出馬しない。
- 下馬評通り中曽根康弘、河本敏夫、宮沢喜一の3人が立候補する。
- 中曽根が総裁になり、史実より2年早く首相になった。
- 史実で首相になった鈴木善幸は首相にならなかった。
- 流石にその次の総選挙(史実では1983年)には高齢のため出馬せず政界から引退した。
野坂昭如(1983年衆議院)
※「打倒・田中角栄」を掲げ、参院議員を辞職して立候補。結果、角栄の足元にも及ばず落選。
- 実は、父親が新潟県の副知事を務めていたため、案外歓迎されていたかもしれない。
横手文雄(1986年衆議院)
※史実では撚糸工連事件の煽りで落選。
- 少なくとも、議員辞職→そのまま政界引退という事態は避けられなかっただろう。
- 後に民主党入りしていたと思われる。
1990年代
1991年東京都知事
- 磯村尚徳
- 鈴木俊一(史実での当選者)は、4回目の当選を阻まれる格好となっていた。
- 1995年の都知事選でも当選していた場合、青島幸男はいじわるばあさんという認識で終わっていた。
- いや、実際青島幸男っていったらみんなまず出てくるのはそれじゃないか? 「次の都知事選で落ちたらまた意地悪ばあさんやるだろ」って言ってたら、ホントにやったし。
- その場合世界都市博覧会は予定通り開催されていた。
- 後任は史実通り、石原慎太郎。
- 小沢一郎は自民党幹事長を辞任することはなかった。
- 後に離党することもなく、自民党所属の政治家であり続けただろう。首相就任もありえたかも。
- タレント知事(磯村はNHKキャスター経験者)が早く誕生したので95年都知事選で石原信雄が立候補しなかった。
- 内田裕也
- ゴミ収集者の待遇を改善するために努力していた。
- 「自分の意思が通らない時はカッとなりやすい!」、「権力、上からの強制にはすぐに反抗してしまう!」という欠点があるのでいろいろなトラブルを起こしてしまった。
横山やすし(1992年参議院)
- 西川きよしとの「やすきよ」コンビが復活していた。
- その場合、新間正次とコンビを組むことはなかったかも。
- ひょっとしたら、当選を機に断酒してたかも。
- その場合、今も健在かもしれない。
- 少なくとも、還暦は迎えていただろう。
- その場合、今も健在かもしれない。
- 問題発言か、国会以外での問題行動を非難され、ぶち切れて辞めてしまうなんてことになったかも。
- その場合、前述の新間正次(新間も、自身の学歴詐称が原因で議員辞職に追い込まれた)と比べられていただろう。
- 暴言が原因で1か月ちょっとしか政務次官の座にとどまれなかった立川談志とも比較された。
石原信雄(1995年東京都知事)
- 世界都市博覧会は予定通り開催された。
- 石原慎太郎は1999年の知事選には立候補しなかった。
1995年参議院
- 島田洋七
- 次の2001年の選挙に出ようが出まいが『佐賀のがばいばあちゃん』は出していた。
- ただし選挙に出た場合、政治的な思惑を勘繰られて大ヒットまで結びつかなかったと思う。
- 選挙区埼玉の知名度を上げようと様々なネタを考える。
- 「十万石饅頭!」
- 相棒の島田洋八は岡山の選挙区から出馬しただろうか…
1996年衆議院
- 野村沙知代(東京5区)
- 熟女バトルが1999年ではなく当選直後に起こった可能性あり
- 学歴詐称疑惑を受け議員辞職。公職選挙法違反で立件される
- 夫の野村克也氏もヤクルトの監督を辞任、阪神監督への就任は無かった可能性大
- その場合2003年と2005年の阪神のリーグ優勝はあったのだろうか?(野村時代に育てた選手が両年の優勝の原動力になったため)
- ガッツ石松(東京9区)
- 日本初の元世界チャンピオン国会議員となっていた。
- はなわの「伝説の男」ネタに使われることはなかった気がする。
- 当選時には記者から本家本元のガッツポーズをリクエストされ応じていた。
- 高木三四郎(神奈川9区)
- DDTプロレスリングは旗揚げされなかった可能性もあった。したとしても違う団体名になっていた。
- 選挙ポスターが「精神的な凶器」に使われることもなかった。
1999年東京都知事
- 舛添要一
- 2001年の参院選に自民党から立候補することはなかった。
- 2007年から厚生労働大臣を務めることもなかった。
- いわゆる「消えた年金」問題の展開がもっと悪い方に転がっていた恐れあり。
- 2007年から厚生労働大臣を務めることもなかった。
- 2020年の東京五輪誘致に力を入れた。
- 2014年の都知事選には立候補していない。
- その代わり東大の同級生であった鳩山邦夫が立候補していたかもしれない。
- 小池百合子が出馬していた可能性もある。
- この地点で増田寛也が自民党推薦で出馬していたかもしれない。
- 鳩山邦夫
- 兄の由紀夫と対立する事は無かった。
- 自民党復党も国政復帰も無かった。
- 退任後だったら有り得たかもしれない。
- 仮に2007年に任期満了を以て退任していたら、2007年参議院選挙に出馬していたかもしれない。
- その場合は民主党復党か?
- 次男の二郎が国政入りする事も無かった。
2000年代
与謝野馨(2000年衆議院)
※史実では当時の1区現象を受け落選
- 森総理または小泉総理の後に総理に就任していた
- 体調不良で入院した2007年あたりまで在任していた。
- 自民党の凋落はなかった
2001年参議院
- 佐山聡
- 修斗をプロ野球や大相撲のように天皇に見に来てもらえるような立派なプロ競技にするために努力していた。
- 暴走族を一人残らず潰そうとした。
- 佐山と一緒に横浜銀蝿の嵐ヨシユキが当選してしまったら、嵐は佐山と乱闘していた。
- 嵐ヨシユキ
政策がなく、「赤絨毯を革ジャンで闊歩したい。」という理由で出馬しましたが落選しました。もし、当選したら?
- 横浜を盛り上げるために努力をしていた。
- 赤絨毯を革ジャンで闊歩したことで批判されていた。
- 社民党を批判していた(横浜で演説をするのを止められたから)。
水谷洋一(2002年衆議院)
- 食品偽装に関する世間の目は一掃厳しくなっていた。
- 2013年の食品偽造問題の際に、何らかのコメントをしていただろう。
- 多くの人が食の安全に目を向けていた。
田嶋陽子(2003年神奈川県知事)
- 参院議員を辞職し立候補するも、4位に終わる。もし当選していたら?
- もちろん、神奈川県初の女性知事になっていた。
- 女性の地位向上に努めていた。
- 同日に北海道知事に当選の高橋はるみと連携を深めていた。
- 寧ろ対立していたのでは?
小谷豪純(2003年大阪市長)
- いわゆる「橋下流」改革が史実よりも早く行われていた。
- 直接民主制の発想が「支持政党無し」よりも早く導入されていた。
- 政界再編のキーマンとなっていた。
増元照明(2004年参院選)
- 他の拉致被害者の家族も選挙に出ていた。
- 蓮池透も2019年以前にも出ていた。
- 2010年参院選は自民党の比例区から出たか。
- 蓮池氏の誘いで2019年はれいわから出た…かは微妙。
堀江貴文(2005年衆議院)
- ライブドアの社長職はおそらく辞めていた。
- 史実で当選していた亀井静香は落選していた。
- 史実通り証券取引法違反で逮捕されていたら補選で当選していたと思う。
- 逮捕されず2009年も堀江が当選し、亀井綿貫とも落選していた場合、国民新党は解散していた。
- 出馬時は無所属だったが、当選が決まった瞬間に追加公認されていた。
- マスコミが堀江の話題一色となるため、杉村太蔵は史実ほど注目されていない。
森雅子(2006年福島県知事選挙)
- 福島県初の女性知事になっていた。
- 大竹作摩以降の福島県知事は会津、中通り、浜通りの順番で選出されていたいた。
- 大竹作摩(会津)→佐藤善一郎(中通り)→木村守江(浜通り)→松平勇雄(会津)→佐藤栄佐久(中通り)→森雅子(浜通り)の順番になるから。
- 次は会津地方から選出されるという噂が出ていた。
- 内閣府特命担当大臣や法務大臣には就任していない。
- 退任後に国政入りしていたら就任も有り得たかもしれない。
田中康夫(2006年長野県知事選挙)
- 東国原知事や橋下知事と仲良くなっていた。
- いや、東国原はともかく、橋下とは政策の根本で違いがあるから無いんじゃないか。
- 新党日本は結成されなかったかも知れない。
- 新党日本は2005年に結成されたんですけど。
- 2007年参議院選挙では議席が取れず解体。
- 2009年の衆院選に兵庫県尼崎市から立候補することもなかった。
- TBSラジオで平日夜に放送される『アクセス』のSBCラジオのネットもしばらく続いていた。
- リニア中央新幹線のルートでもめることはなく、開業も早くなってるかも。
黒川紀章(2007年東京都知事選)
- 少なくとも、この年に亡くなることはなかったかも。
- カプセルマンションの問題で早く辞任していたかも。
- 2016年の五輪の誘致活動に参加していた。
- この時に国立競技場を建て替えることになれば、黒川建築になっていたかも。
横尾誠(2007年長崎市長)
※義父・伊藤一長の後継者として出馬するも、僅差で落選。
- 志半ばにして凶弾に倒れた伊藤に、良い供養ができていただろう。
- 優子夫人の『父・伊藤一長は、この程度の存在でしたか』発言もなかった。
- 史実の選挙で当選した、田上富久氏の運命も変わっていた。
- 在任中に長崎のことにあまり詳しくないことが露呈され、再選はできなかったかもしれない。
- 上記の田上氏が(2011年の長崎市長選で)リベンジ当選を果たしていた可能性も有り得る。
2007年参議院
- 小嶺忠敏
※史実では、久間章生防衛大臣(当時)の『原爆投下しょうがない』発言のあおりで落選。
- 自民党が参議院長崎選挙区で議席を失うことはなかった。
- 国見高校の全国大会連続出場が途絶える事もなかった。
- 定年退職という形で国見高校を去ったのでそれはないと思う。
- そのあとは史実通り長崎総合科学大学付属高校の総監督に。
- 定年退職という形で国見高校を去ったのでそれはないと思う。
- 瀧上知巳は今も熊本国府を率いている。
- アルベルト・フジモリ
- 国民新党推薦で出馬するも、落選(当選1名、フジモリは4位)。
- なお、民主党で出馬するという噂もあった。
- 他の国での大統領経験者が日本の国会議員となる前代未聞の展開になっていた。
- しかも最後は汚職で辞任、その後逮捕されていることからその点でも批判が上がる。
- 一部の議員が「ペルーなんて小国の…」などと発言して大バッシングを浴びそう。
- 日本とペルーの関係も悪化していたかもしれない。
- しかも最後は汚職で辞任、その後逮捕されていることからその点でも批判が上がる。
- これで民主党で出馬してたら、とんでもない批判があっただろう。
- 「ツルネンといい白といいやっぱり民主党はやはり外国人政党じゃないか」と槍玉に上げられた。
- やはり二重国籍が槍玉に上げられる(国民新党は日本国籍があるとして擁立したため)。
- フジモリは大統領時代、二重国籍を理由に政敵を失脚させたという過去があるため、その点でも批判を浴びていた。
- 2009年の政権交代時、国民新党枠での入閣が検討されていた。
小坪慎也(2008年行橋市議選)
- 市議になっていたこともあって、史実ほどはブロガーとして活動できなかったかもしれない。
- ただ、政権交代を迎えてからは活動を広げ、もしかしたら衆院選に出馬していたかもしれない。
2009年衆議院
- 大川隆法(比例近畿)
※幸福実現党公認で出馬するも落選。
- ここに書かれていることが現実になっていた。
- 大江康弘参議院議員の幸福実現党入りはなかったかも。
- 議員活動をしなくてはならないため、果たして「霊言」を出し続けたかどうか。
- 中川昭一(北海道11区)
※史実では、財務大臣在任時の『もうろう会見』のあおりで落選。
- とりあえず、命を落とすことはなかっただろう。
- 町村信孝が衆議院北海道5区の補欠選挙に出馬した際に、応援演説をしていた。
- 第2次安倍内閣で財務大臣に返り咲き、麻生太郎は副総理に専念していた。
- 逆に安倍氏は総裁選に出ず、麻生氏らとともに中川氏を支援→中川総理誕生となっていたかも。(安倍、麻生両氏は、新内閣に入閣または党幹部に就任)
- その場合中川は次の次の総裁選がある2018年頃に退任、後任は史実通り安倍。
- 逆に安倍氏は総裁選に出ず、麻生氏らとともに中川氏を支援→中川総理誕生となっていたかも。(安倍、麻生両氏は、新内閣に入閣または党幹部に就任)
- 対抗馬の石川知裕は比例で復活当選も逮捕で議員辞職後は政界引退していた。妻も衆院選に出馬しなかった。
- 有田芳生
- いつの間にか民主党に移籍するなんて事は無かった。
- 2010年参院選には出馬していない。
- 2012年衆院選では落選していただろう。
長塚智広(2009年茨城県知事)
- 歴代最年少の記録を大幅に更新していた。
- 民主党推薦でありながら現職と対決していたことから、後に民主党を離脱していた可能性が高い。
2010年代
2010年参議院
- 長塚智広(茨城県)
- 現職の郡司彰が落選していた。
- 無党派層からの支持が史実よりも大きかったことになる。
- 上記同様、民主党推薦でありながら民主色が薄く個人力を出した選挙戦をしていたことから、後に民主党から離脱していた可能性が高い。
- 中畑清(比例)
※比例区からたちあがれ日本公認で出馬するも落選。
- 当然、ベイスターズ監督には就任していない。
- 筒香嘉智、梶谷隆幸のブレイクは史実よりも遅れていただろう。
- ベイスターズ自体、親会社がDeNAに変わった後もしばらく最下位が続いていたかもしれない。
- 当選した石井浩郎やのちに繰り上げ当選した堀内恒夫とは巨人つながりで比較されるだろう。
重徳和彦(2011年愛知県知事)
- 2012年衆院選には出馬していない。
- 史実で当選した大村秀章はどうなっていただろうか?
- 2015年、2019年と連続3選していたら、2019年あいちトリエンナーレは一体どうなっていただろうか?
2011年東京都知事
- 東国原英夫
- 史実で当選した石原慎太郎は高齢を理由に政界を引退していた。
- 引退しなかった場合、史実より早く太陽の党が結成されていた。
- 2020年夏季五輪に東京は立候補しない方針となっていた。
- 築地市場の移転は白紙撤回されていたかもしれない。
- 東京で宮崎の観光キャンペーンが盛んに行われていた。
- 震災もあいまって就任会見では「東日本をどげんかせんといかん」と発言していたかも。
- 無論、2012年の衆議院選挙には出馬していない。
- 猪瀬直樹や舛添要一は都知事になることはなかった。
- 渡邉美樹
- 東京都の公務員が大幅に削減され、公務員の残業が日常化する。
- もしかしたら過労死が出ていたかもしれない。
- ブラック企業大賞に東京都がノミネートされる。
- 氏の会社同様多角化に乗り出していたかもしれない。
- 都政全般としては大きく財政が回復していたか…?
羽柴秀吉(2011年夕張市長)
- 都バスの車両が夕張鉄道に譲渡されることはなかった。
- 羽柴グループが夕張に進出。
- ギリシャ危機の時の政情は夕張とよく比較されていた。
- 石原都知事派が調子にのらなかった。
- 当然、この選挙で当選した鈴木直道は北海道知事にならなかった。
2012年東京都知事
- 宇都宮健児
- 五輪は無かった。
- かわりに広島かイスタンブールでやっていた。
- 史実で当選した猪瀬直樹は参院選に出ていた。
- それでも徳洲会の事件で失脚していたのは史実通り…か?
- 維新の会から出馬していた。
- それでも徳洲会の事件で失脚していたのは史実通り…か?
- その後の選挙でも社民党、共産党が一緒の候補を応援していた。
- 山本太郎が調子に乗ることはなかったのか・・・。
- もっとひどくなっていたと思う。
- 2014年の都知事選はなかった。
- 舛添要一は都知事にならなかった。
- 選挙演説時に某アニメキャラのコスプレをした人が参加したことを大問題として追及されていた。
- ネット上では麻生太郎並みの人気があった(ネトウヨを除く)。
- 岩手県の達増拓也知事と似たような感じになっていたかも。
- ネット上では麻生太郎並みの人気があった(ネトウヨを除く)。
- 松沢成文
- 翌年の参院選には出馬していない。
- 黒岩氏との関係はどうなっていた?
2013年参議院
- 小倉淳(東京)
※日本維新の会公認で出馬するも落選。
- 新聞にて、『エレクトリックご主人、国会進出!』という見出しで当選を報じられていた。
- 橋下徹氏の『慰安婦は必要だった』発言がなければ、間違いなく当選できていただろう。
- 「Man of the year senior」の司会はやっていない。
- 鈴木寛(東京)
- 大河原雅子が出馬してなかったら再選していた。
- 2019年参院選では何党から出馬していただろうか?
- 井戸川克隆(比例)
※みどりの風公認で出馬するも落選。
- 漫画『美味しんぼ』に実名で登場することはなかった。
- 翌2014年の福島県知事選挙に出馬することもなかった。
- 三宅洋平(比例)
※緑の党グリーンズジャパン公認で出馬するも落選。
- 「選挙フェス」は同年の流行語大賞に選出されていた。
- 以降街頭演説ではミュージシャンによる演奏が必須になっていった。
- 選挙カーの需要が低下していた。
- 逆に「クローズアップ現代」で特集されなかったかもしれない。
- 緑の党がその後勢力を伸ばし、政党要件を満たす政党になっていた。
2014年東京都知事
- 田母神俊雄
- 言うまでもなく韓国、中国は猛反発。
- 北朝鮮も国営メディアで非難。
- 当然2014年衆院選には立候補せず。
- 「いいとも」出演は安倍首相ではなく彼がしていた気がする。
- 猪瀬氏が当選時に出演したのと、同じ「タモさん」繋がりで。
- 世間の反応は別として、某バラエティで早朝バズーカのオファーを喜んで引き受けた事もあるからTVでのイメージ作りには結構積極的に励んでいただろうね。
- 2ちゃんねる等のネット上では当確の瞬間に勝利宣言が上がるも、政策によっては速攻で掌を返す気がしなくもない。
- 史実である会計責任者の私的流用が厳しく追求され僅か1年で辞職に追い込まれていた。
- 猪瀬氏の経緯により百条委員会設置は免れない。
- この場合猪瀬、田母神と短命な都知事が続いたことから都政は大きく混乱する
- 2009年の民主党への政権交代のように、左派の都知事(宇都宮健児氏あたりか?)が誕生していたかもしれない。
- 舛添要一の問題より早く発覚するので、在任期間は猪瀬より短くなり最短記録をさらに更新していた。
- 細川護煕
- 「他道府県での知事経験者は都知事になれない」というジンクスは破られていた。
- 「反原発」を主張し、東京電力の大株主として積極的に活動していた。
- 高齢のため1期で引退していたかもしれない。
- 都庁を始めとする複数の都の施設に自ら製作した陶芸作品を飾る。
- 「総理大臣→都道府県知事」という意外すぎる転身が後世まで伝説として語り継がれる。
- 正確には「県知事→総理大臣→都知事」にはなるが、総理大臣経験後の知事就任は異例だろう。
- 宇都宮健児
- 「2度目の挑戦」で遂に当選。
2014年衆議院
- 佐野秀光(支持政党なし・比例北海道)
- 政党法人格付与法とか改正で政治団体名が厳しく規制されることに。
- 支持政党なしから新党本質など旧称に戻していた。
- 日本を元気にする会は史実通りにネット投票を行っている。
- 国会内外で激しい論争になっていた。
- 生活の党などとともに「日曜討論」に呼ばれず抗議運動を行っていた。
- 案外山本太郎と気が合ったりして。
- 渡辺喜美(栃木3区)
- 日本を元気にする会の代表になっていた。
- もしくは自民党に復党していたか?
- やはり、そのまま無所属。
- 8億円借入問題が不起訴に終わったことはもっと広く知られていた。
- 当然だが、2016年参議院選挙には出馬していない。
- 2017年衆議院選挙では希望の党から出馬していた。
- 史実通り解党した場合は、そのまま無所属。
- まさかのNHKから国民を守る党入党か?
- 海江田万里(東京1区)
- 又吉イエスが再び話題になることはなかった。
- 又吉イエスの票が回っていたら比例復活当選だったため。
- それでも2期連続比例では世間体が悪いと思われたか代表辞任は避けられなかった。
- もちろんトップ当選だったら代表続投。
- 当初海江田自身は代表を辞任するつもりはなかったらしいのだが、自身の落選によりさすがに辞任を決めたらしい。だから代表続投かと。
- 代わりに菅直人が落選していた可能性がある。
- 首相経験者の落選として話題になった。菅は引退していた。
樋渡啓祐(2015年佐賀県知事)
- 佐賀県立図書館もTSUTAYA図書館になっていた。
- 以後選挙で候補者問わず留守番電話攻勢が激しくなっていた。
小谷野薫(2015年広島市長)
2016年参議院
- 田中康夫(東京都選挙区)
- おおさか維新の会は東京都でも議席を取れていた。
- そのため、日本維新の会に改名しなかった。
- 史実通りの順番なら民進党の小川敏夫が落選するが、それでも蓮舫が都知事選に鞍替えすることはない。
- 蓮舫は「もし小川敏夫が次点でも鞍替えする気はない」と話していたため。
- 改憲政党3分の2はこの時点で達成されていた。
- 山田太郎(比例区、新党改革推薦)
- この選挙の当落線は約100万票だったため、その7割を1人で取らないと難しい。
- 参考までに山田を除く新党改革の得票数(政党名含む)は30万票である。
- 新党改革は解散しなかった。
- ただし、得票率2%の要件を満たさないため、諸派になる。
- これで得票率の条件を満たすまで個人票を得ていたら、それこそすごいが。
- この選挙での総投票数が約5800万なので上記の100万票獲れたなら十分視野に入る。
- 当選後は新党改革に残るのだろうか。あるいは「表現の自由を守る会」を旗揚げしていたかも。
- まさかの「リバタリアン党」?
- 意見が近いということで日本のこころ(ryと院内会派を組んでいた。
- この政党も憲法改正を主張しているので、この政党を入れれば改憲政党2/3は達成できていた。
- ただし、得票率2%の要件を満たさないため、諸派になる。
- オタク票が馬鹿にならないどころか、圧倒的な力であることが証明されていた。
- 次の衆議院選挙では多くの政党がよりオタクに媚びるようになる。
- おそらく現在の制度になって以降、1政党当たりにおける個人票の比率1位の当選者になっていただろう。場合によっては「一人比例でも当選」になっていた可能性も。
- 当然だが、自民党には入党していない。
- 三宅洋平(東京都選挙区)
- 安倍昭恵からねぎらいの言葉をもらうことはなかった。
- 果ては安倍総理と電話で話すこともあり得なかった。
- 日本でスペインの政党であるポデモスの知名度が上がっていた。
- 果たしてどこの党に所属するんだろうか?
- 無所属と思われるが、山本太郎と合流して生活の党(自由党)会派にいた可能性もある。
- 山本の生活の党離脱→れいわ新選組発足時にも帯同していた。
- れ新は山本・三宅の二枚看板となっていた。
- まさかのオリーブの木入りか?
- 山本の生活の党離脱→れいわ新選組発足時にも帯同していた。
- 無所属と思われるが、山本太郎と合流して生活の党(自由党)会派にいた可能性もある。
- 佐野秀光(比例区、支持政党なし)
- 概ね2014年の時と同じだと思われる。
- ただ、全国比例なら勝率もわずかながら上がっていたか?
- 投票率が史実をはるかに上回り(60%台以上)、その上で誰に投票すべきかわからない人たちの受け皿になっていたか?
- 2019年頃になってNHKから国民を守る党に合流していたかもしれない。
2016年東京都知事選
- 鳥越俊太郎
- 都政は前任や前々任よりも悪化するのは確実。
- 「都市外交」がさらにエスカレートする。
- 「前任や前々任のほうがまだマシだった」とまで言われる。
- とりあえず民進・民進(旧維新の党系)・共産・生活者ネットワークを都議会の与党とするも、この各党で揉め出す気がする。
- 文春に例の騒動をスクープされてなかったら可能性が高かった。
- あるいは、当選少し後に発覚し、都政の悪化もあってか前任、前々任よりも早く辞任させられる。
- 何れにせよ任期満了を待たずに辞任していただろう。
- 韓国学校がさらに増設させられていたかも。
- 新宿区のほか杉並区あたりにも増設されていた。
- いわゆる「一条校」に格上げされていた。(ちなみに東京韓国学校は現在各種学校扱い。)
- 「主要候補の中で最後に出馬表明した人が当選する」というジンクスは継続していた。
- 副知事に宇都宮健児氏を起用するかどうかが注目されるが、結局本人は辞退しそう。
- 一部から「任期満了までもつのか」と健康状態を危ぶむ声も出ていた。
- 2017年の都議選では民進党か共産党が第一党になっていた。
- 自民党も10議席程度の減少にとどまっていた。公明党は自民と選挙協力をし続けていた。
- 民進党はその後も分裂せず国政でも野党第一党であり続けた。
- もしかすると支持が回復し、衆院解散後再び政権を獲ったかも…
- 鳥越都政が難航すればそれは難しい。
- もしかすると支持が回復し、衆院解散後再び政権を獲ったかも…
- 豊洲市場の問題は現実通り。
- 15歳までと65歳以上の医療費、シルバーパスの無料化を財政事情など無視して断行。
- 都知事による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文の送付は継続されていた。
- 増田寛也
- 小池百合子および彼女を応援した都議を徹底的に冷遇していた。
- 小池百合子は自民党を追放させられ、新党を結成していた。
- 史実で実現していない日本維新の会との連携が実現していたかも。
- 政党名は以前所属していた政党名から「保守党」か?
- それこそ「希望の党」では。
- 当然ながら若狭勝衆院議員も自民党を追放されていた。
- 東京10区の自民党候補はこの地点で鈴木隼人になっていた可能性が高い。
- 千代田区の石川雅己区長や豊島区の高野之夫区長も徹底的に冷遇されていた。
- 2017年の千代田区長選に石川区長は出馬せず引退していたかもしれない。
- 出身地であり以前の選挙区でもあった兵庫に帰り、翌年の兵庫県知事選に出馬していた可能性も。
- 井戸敏三は小池百合子にダブルスコアで敗れ、5選は果たせなかった。
- 小池が兵庫県知事になっていた場合、兵庫県議会の自民党は「小池派」と「五党協派」に分裂し、「小池派」が民進離党者や維新の一部とともに地域政党「県民ファーストの会」を結成していた。
- 兵庫県知事になっていた場合、小池は松井一郎大阪府知事、大村秀章愛知県知事とともに「名阪神改革知事連合」を結成し、日本維新の会の役員にも名を連ねていた。
- とすると、「希望の党」は誕生せず、当然民進党が分裂することもないため立憲民主党や国民民主党も誕生しなかった。
- 民進党はどっちみち分裂していたのでは?
- 小池百合子は自民党を追放させられ、新党を結成していた。
- 都議会自民党の勢力は史実より強くなっていた。
- 都議会のドンと言われる内田茂都議が全国的に有名になることもない。
- 「かがやけTokyo」や音喜多駿都議も全国区の知名度にならなかった。
- 当然ながら「都民ファーストの会」も存在しない。
- 内田都議は引退に追い込まれなかった可能性も高い。
- 音喜多氏の北区長選出馬や参院選出馬もなかった。
- 北区長選だったら有り得るだろう。
- 都議会のドンと言われる内田茂都議が全国的に有名になることもない。
- 韓国学校・豊洲市場の問題はほぼなかったことにされていた。
- 普通に建設がすすめられた。
- 「他道府県の知事経験者は都知事になれない」というジンクスを打ち破っていた。
- 増田氏が発表した「消滅可能性都市」が、史実よりも話題になっていた。
- 2017年の都議選では公明党は自民党と選挙協力を続けていたため、自民党が第一党になっていた。
- 民進党も議席を大きく減らすことはなかった。
- 当然、日本郵政の社長には就任していない。
- 逆に小池百合子が就任していた?
- 官僚出身の桜井俊氏が就任していたかもしれない。
- 逆に小池百合子が就任していた?
- 桜井誠
- 韓国学校の建設は即時に停止されていた。
- 学校法人森友学園が東京に進出する形で教育機関を予定地に建てていた。
- 一部マスコミは「極右旋風」「ナチスの再来」などと煽り立てる。
- 特定アジアは2020年のオリンピックをボイコットする可能性も。
- ドナルド・トランプの当選などとともに右傾化の流れとしてとらえられていた。
- 実際に本人もトランプを強く意識していたため大統領当選時には祝福の談話を出していた。
- 当選が決まった瞬間しばき隊やSEALDsなどは激怒、都内各地で抗議デモを行う。
- 就任当日からリコールを呼びかける署名運動が始まってしまう。
- いくら桜井でもいきなり在日コリアンを追い出すのは不可能だと思うので、まずは簡単な問題から解決していくと思う。
- いやいきなりやると思うよあの人は。全力で都議会が阻止すると思うけど。
- 外国人への生活保護費支給を停止を実施。
- 結果外国人による区役所襲撃事件が続発。
- 桜井誠自身が政党を結党し、翌年の都議選では候補者を擁立していた。
- 各地の地方自治体の首長選挙も同様。
- 日本第一党が国政にも進出していたかも。
- 外国人の東京転出が多くなっていた。
- 新大久保に閑古鳥が鳴く。
- リベラル派でも逃げ出す人が続出していた。
- 共産社民なども本部を都外に移転していた。
- 桜井誠を批判していたチャンネル桜も都外に移転せざるを得ない事態に。
- 桜井都政に批判的なマスコミの一部が転出者を「国内避難民」と表現していた。
- 普通に考えればありえない気もするが、あの石原慎太郎が長年都知事を務めたぐらいなので、何かのきっかけ(例えば自民党や野党が激しく内輪揉めする等)でトランプみたいに台頭、当選したのかもしれない。
- 左派陣営の鳥越・宇都宮・蓮舫、右派陣営の増田・小池が誰も譲らず都知事選へ→桜井が台頭、とかかな。
- 左派陣営には上杉隆もいる。
- どのみち都議会の全政党を敵に回す事になるので、長く都知事を務めることは無理。石原は自民系のバックアップがあったがこいつに関しては…。
- 左派陣営の鳥越・宇都宮・蓮舫、右派陣営の増田・小池が誰も譲らず都知事選へ→桜井が台頭、とかかな。
- 「桜井俊氏と間違えて投票したんじゃないか」と揶揄される。
- 都庁の食堂には鯨やイルカのメニューが並んでいた。
- 当然ながらキムチは徹底排除。
- 石原慎太郎の夕張市のように太地町などの捕鯨イルカ漁スポットや領土問題を抱える石垣市といった市町村と協定を締結し職員を派遣しまくっていた。
- 都の施設やウェブサイトからハングルや中国語表記が消えていた。
- 北京・ソウルとの姉妹友好都市関係も即座に断絶。
- 旭日旗を引き合いに中韓国旗の掲揚も厳禁になっていた。
- 勿論北朝鮮の国旗も。
- TOKYO MXは韓国ドラマの放送を止めざるを得ない事態に。
- 自身の選挙ポスターにモザイクを掛けたことに噛みつく形で潰しにかかっていた。
- 外交問題にも大いに口をはさみ日本のイメージを悪化させていた。
- 特に釜山の慰安婦像問題あたりがもっとややこしいことになっていた。
- 前任の舛添氏とは異なった意味で「都政そっちのけの独自外交」が問題視される。
- 記者会見などの発言に対し多くの訴訟が起こされる。
- 会見には記者が一人も来なくなって独演会になっていた。
- 青林堂のような出版社しか来なくなっていた。
- ニコ生、abemaなどからもネット配信をボイコットされていた。
- 石原やトランプどころじゃないメディアとの対立が起こるため、それだけで都政が機能不全になっていた。
- 会見には記者が一人も来なくなって独演会になっていた。
- 橋下徹が出馬していた場合、選挙戦で橋下を激しく非難していた。
- 都知事による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文送付は就任初年から取り止められていた。
- それどころか朝鮮人犠牲者追悼式典の開催も許可されなかった(会場管理は東京都のため)。
- 都知事になっても、ディスった奴を襲うことはやめなかった。
- 保健・医療・福祉活動なんてやらなかった。
- 海外の極右政党などの事例を見るにそこそこやっていたと思われる。ただ「日本国籍を有するものに限る」と強調し、外国籍の住民は冷遇されていた。
- 桜井は障害者に暴言を吐いたり、桜井の仲間がお年寄りに暴力を振るったことがあるのでやらないと思うんだけどな・・・。
- 戦後日本では初の、現職中に暗殺された知事として悪名を残す。
- あのレベルなら、テロをやってでも止めなければならないと確信する人たちが間違いなく現れる。
- 立花孝志
- NHKでの都知事関連のニュースの扱いが悪くなる。
- NHKが東京都外に移転する。
- 翌年の都議選ではNHKから国民を守る党の候補者を擁立していた。
- 後藤輝樹と同様政見放送で好き勝手な話はさせないなど規制強化が図られていた。
- 「N国フィーバー」が一足早く到来していた…かも。
- 「NHKをぶっ壊す!」が一足早く流行語に。
- 上杉隆
- TOKYO MXの「週刊リテラシー」を降りることなく就任後も毎週出演していた。
- 「敦と都知事の週刊リテラシー」にリニューアルされていた。
- 東京都第10区の補選にはTOKYO MXでお馴染みのタレントが上杉都知事の支援で出馬していた。
- 良い刺激として田村淳の政界進出も現実味を帯びていた。
- まさか10区の補選に出馬とか…?
- 上杉隆が運営していたニュースメディアは小池百合子が引き継いでいたかもしれない。
- NHKから国民を守る党に入党する事は無かった。
- 後藤輝樹
- 会見で放送禁止用語を連発し、結局解職されていた。
- 仮に新党を結成した場合、党名は何になっていただろうか?
- YouTuberにはなっていない。
若狭勝(2017年衆議院)
- 希望の党が、その後解党状態になることは無かった。
- 共同代表あたりに就任していた可能性が高い。
- ただ、多く当選したのは民進党出身者であることを考えると火種になった可能性が高い。
- 事実上無所属になっていた可能性も否定できない。
- 選挙区当選ならば何党に入ろうと勝手だが、比例復活の場合はよりややこしいことになっていたと思われる。
2019年参議院
- 山本一太
- 史実では群馬県知事選に出馬。
- 比例で出馬してたら、山本太郎支持者から「山本太郎の票を按分するための刺客」呼ばわりされていた。
- 山本太郎票が一定数一太氏に流れていた可能性もあり。
- 氏の代わりに参院選群馬選挙区に出馬した清水真人氏が知事選に出馬→当選していた可能性あり。
- 山本太郎
- 史実では比例でれ新は2議席獲得したものの、特定枠に譲り落選。
- れ新旋風は史実以上だった。
- 参議院選挙後もれ新の力が弱まることはなかった。
- 議会ではやっぱり自民党などに突っかかっている。
- それでも2020年の都知事選には満を持して出馬していた。
- 3議席獲得してからの離脱の場合、順位が史実通りなら次点→繰り上げ当選が蓮池さんになるので拉致問題への影響があったかもしれない。
立花孝志(2019年参議院埼玉補選)
2016年選出の現職大野元裕が埼玉県知事選出馬の為議員辞職した事に伴う補選。当選したのは上田清司前県知事。もし立花が当選していたら、
- 県知事と参議院議員の入れ替え戦という事にはなっていなかった。
- 参議院会派「みんなの党」は3議席に増加していた。
- 当然だが、海老名市長選や桜井市長選、小金井市長選には出馬していない。
- でも都知事選とか衆議院選挙があったら立候補してそう。この人の場合。
- N国旋風が史実以上のものとなっていたため、既成政党は大慌てだっただろう。
- NHKによるネガキャンも激化していた。
関連項目
- もしあの人が選挙で落選していたら
- もしあの人が選挙に出馬していたら(実際にはその選挙に立候補しなかった人についてはこちらへ)