もしあの企業が存在しなかったら

2017年9月20日 (水) 11:47時点における153.220.7.33 (トーク)による版 (→‎セイコーマート)
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もしあの有名な企業がもし最初から存在していなかったら、世間はどうなっていたか、考えてみましょう。

独立項目

量販店

ビックカメラ

  1. 家電量販店はヨドバシカメラとヤマダ電機と戦っていた。
  2. 大阪店舗の心霊スポットも無かったか、別の家電量販店になっていた。
  3. ビックカメラSuicaカードも無いので、Suicaチャージに変えることは出来ない。
  4. 当然ビックロも無い。代わりにヨドバシカメラやユニクロでコラボしていたか?
  5. もちろんBS11も存在しなかったので、地方で見れる深夜アニメの本数が激減していた。
  6. CMソングが「カメラのナニワ」と同じメロディだと関西人から話題にされることもない。
  7. COWCOWの「♪ビ〜ックビックビック ビック亀田!」というネタも存在しない。

イオン

  1. 田舎臭いと言えば、イトーヨーカドー。
  2. ダイエーは地味になっていたかもしれない。
    • ダイエーは産業再生機構適用後も同業他社の系列に入らず独自路線を歩んでいたかも。PB商品のセービングは今も健在。
      • ウォルマートかセブン&アイ系列に入っていたかもしれない。
  3. 地方の商店街は現実よりも衰退しなかったかも。
  4. 日本最大のプライベートブランドはセブンプレミアムだったかもしれない
  5. 「ジャスコ」や「サティ」が長続きしていた。

セイコーマート

  1. 北海道のコンビニ事情は大きく違っていた。
    • 山間部や島嶼部にはコンビニができず、あってもAコープしかなかった。そのAコープすらなくなった地域の住民は確実に買い物難民になっていた。
  2. 北海道は、セブンイレブン・ローソン・サークルKサンクスの国盗り合戦状態になっていた。
    • サンクスも特に道東ではセイコーマートから奪った店舗が多かったので、史実より勢力は小さかったと思われ。
      • 史実とは違い青森から道南へサークルKが進出していた。
    • ハセガワストアーやタイエーも健闘するが、現在では大手に飲み込まれていたかもしれない。
  3. ファミリーマートの北海道進出も90年代後半には達成していた。
    • ちなみに、実際に北海道にファミマが来たのは2006年。
      • ファミマも参加すると、北海道のコンビニはセブン・ローソン・サークルKサンクス・ファミマの四つ巴戦となり、それはそれはカオスな状況に…。
  4. 鍵を握るのは、宗谷地方か?(実際、2017年現在、道内でコンビニがセコマだけなのは、稚内をはじめとする宗谷地方全域だけ)

メディア

ACジャパン

  1. はたして、自粛されたCMはどんな感じになっているだろうが?
    • 政府広報だろうか?
  2. 怖いCMと言えば三洋電機のお詫びCMかナショナルFF式石油暖房機の回収CM。
  3. ニコニコでネタにされる事は無かった。

Google

  1. 「ググる」という言葉は無い。
    • 変わりに「ヤフる」という事が存在していた。
  2. 検索関係はYahoo!が発展していたかな…。
  3. 意外とInfoseekの可能性もあると思う。
    • その場合は「インフォる」だろうね。

自由国民社

  1. 毎年末に発表される「新語・流行語大賞」は存在しなかった。
    • その分「今年の漢字」が現実以上に注目されている。
  2. 「現代用語の基礎知識」も存在しない。
    • 集英社の「イミダス」や朝日新聞社の「知恵蔵」が現在でも発行されている。

ゲームメーカー

エニックス

  1. すぎやまこういちはマイナーな作曲家のまま。
    • ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」やザ・タイガースの「花の首飾り」など大ヒット曲があるのでマイナーとは思えないが
      • 昔の作曲家というイメージを持たれていた。
        • 2002年、島谷ひとみが「亜麻色の髪の乙女」をリバイバルヒットさせたことで、若者に知られていた。
  2. 「月刊少年ガンガン」は創刊されず。
  3. ドラクエⅢの発売日に、ゲームショップの前に数キロメートルの行列はできなかった。
    • 逆にFF3あたりでこういう出来事があったかもしれない。
  4. FFがミリオンヒットになっていた。

カプコン

  • カプコンアイレムの創業者は同じ辻本憲三です。しかし社内事情の為に退社し新たに設立した会社がカプコンなのですが
    仮に辻本憲三がアイレムを退社せずカプコンが設立されなかったら
  1. 現在のテレビゲーム業界は様変わりしている
  2. 少なくとも「スウィートホーム」などのタイアップ作品は世に出なかった。
  3. ソニーハードで一番最初のキラーコンテンツ=カプコン(バイオ・モンハン・鬼武者)では無かったので何が候補に・・・
  4. 2D格闘と言えばセガだった
    • 対戦空手道→ファイターズヒストリーのDECOかも。
  5. SNKはセガの格ゲーブームに便乗したが、筐体やネオジオの売れ行きは現実より少し小ぶりになり、そんな派手な作品は作れなかった。
    • カプコンがなかったらSNKはそもそも存在しないからネオジオも存在自体ない。
  6. バイオハザードが発売されなかったら、SSはFFⅦが出ても持ちこたえSSの寿命は多少伸びたかも知れない。
    • 実史通りFFⅦがPSのキラーソフトになるがバイオのヒットによるPS黄金時代と礎となった土台もない為、FFの売上は実史よりも落ちていた

コナミ

  1. 当然「グラディウス」や「ときめきメモリアル」は世に出ていなかった。
    • 後者の場合、ここに書かれているいくつかが現実化していた。
    • こち亀がときメモのパロディ(どきどきメモリアル)をやらかす事はなかった。
  2. ハドソンはどうなっていたんだろう…。
    • カプコンと合併したかと思われ
  3. beatmania(五鍵のほう)やDDRが存在しないため、音楽ゲームというジャンルそのものが成立していないかもしれない。
    • もしかしたら、太鼓の達人も誕生しなかったかもしれない。ゲーセンのあり方も大きく変わることになる。
    • スクフェスやデレステといた音ゲー要素のあるソーシャルゲームも、大きく異なる形式になっていたかも。特にデレステ。
      • PSPで発売された「けいおん!」などのゲームも史実とは大きく異なる形式に。
    • ドンキーコンガ(ナムコと任天堂との共同開発)やリズム天国なども誕生していない。
  4. その後のゲーム業界の歴史は大きく変わっていた(特に恋愛ゲームや音ゲー)。

スクウェア

  1. FFが存在しないので、ドラクエのライバルはテイルズまたはワイルドアームズになっていた。
    • それは難しいと思う。ドラクエから見れば両者とも新参者でしかない。
      • 可能性があるとしたらメガテンか天外だろうね。
  2. エニックスはセガと経営統合していたかもしれない。

任天堂

  1. ファミコンがない分、MSXがロングセラーに。
  2. 多分セガが「SG-1000」を出したあたりから家庭用ゲーム機の先駆けになっていた可能性もある。
    • 現在でもセガとソニーがゲーム機を競っている。
  3. 宮本茂はナムコに入社していた
  4. 当然ドラゴンクエストシリーズは世に出ていなかった。
    • 「SG-1000」か「メガドライブ」から出た可能性ならあるのでは?
      • MSX版を忘れるな。
  5. おい・・・NECを忘れてるぞ・・・
  6. マリナーズは消滅していた。

ソニー

  1. 任天堂一人勝ち。
    • MSX2以降に於いてはパナソニックの一人勝ちだった。
  2. 当然、PSN個人情報流出は起きていない。
  3. ファイナルファンタジー7は64で予定通り発売されていた。
    • 当事スクエアがロムカセットの容量を嫌っていたのでSSで発売されていた可能性も・・・
    • ただしその場合、グラフィックが史実のps版に比べてポリゴンが荒い

CAVE

  1. 弾幕STGというジャンルは今でも「STGに於ける色物」という程度だった。
    • 東方Projectもそれほど人気が出なかったかもしれない。
  2. 絶望的な状況を「死ぬがよい」と表現することはなくなっていた。
  3. 蜂の出てくるゲームと言ったらポケモンシリーズ(スピアーなど)となっている。
    • ハドソンのあいつのことも思い出してやってください。

SNK

  1. 対戦型格闘ゲームはカプコンの一人勝ちに。
    • その後はアークシステムワークとの両雄状態になっていた。
  2. ADKまたはデータイーストあたりが史実でいうSNKのポジションになっていた。

バンダイ

  1. タカラとトミーは合併していない。
  2. ロボットアニメは90年代で絶滅していた。
    • 特撮や時代劇も。
    • タカラとトミーが競合している以上それはないんじゃないかな?特撮は何度か空白期間があってもおかしくはないけど。
      • トランスフォーマーとゾイド、勇者とエルドランのファンの対立が史実よりも深かったかもしれない。
  3. アイドルやカードゲームの市場規模は現実より小さい。
  4. セガとナムコの合併が何度か噂に上がっていた。
  5. バンプレストも存在しないだろうから、スパロボで昔のロボットアニメが再評価されることは無かった。
    • タカラもブレイブサーガを作っていたかどうか怪しい。
  6. 当然、バンダイビジュアルも設立せず。

ナムコ

  1. バンダイの合併相手はセガかコナミあたりになっていた。
    • 少なくともこれが現実化していたか?
  2. ポケットモンスターは存在しなかったかもしれない。
    • 田尻智氏が当初、「カプセルモンスター(仮)」というタイトルでナムコに持ち込んだものの、没になった事があったため。
    • あるいは別の会社に企画を持ち込んでいた。
  3. その後のゲーム業界は全く違うものになっていた。

その他

吉本興業

  1. 大阪のお笑い文化は史実と様変わりしていた。
    • 上方演芸の盟主となるのはもちろん松竹。
      • 大阪のお笑いの中心は新世界であり、難波は別の形で発展を遂げていた。
    • 史実との違いという点では、東京の方が大きいかもしれない。
      • 東京では漫才が発展していなかった可能性もある。
      • 関東・東京のメディアに登場するお笑い芸人は太田プロ・浅井企画・マセキ芸能社等の東京に本拠を構える芸人が大半で大阪の芸人が関東・東京のメディアに登場することは史実より少なかった。
  2. 大阪府の地位が低下していた。
    • それは安易な考えだと思う。上方演芸は吉本の創業より前からあるわけだし。
  3. 大阪=ボケ・ツッコミのイメージは現実よりも低くなっていた。
    • お笑いの街というよりも商都として有名になっていたかも。
  4. バラエティ番組がここのひな壇芸人で占められることはなかった。
    • バラエティ番組の質も向上していたかも。
  5. 史実以上に芸能界におけるジャニーズ事務所とバーニングプロダクションの力が強くなっていた。
    • 現実には日本で最も力のある芸能事務所は吉本・ジャニーズ・バーニングの3社なので。

三洋電機

三洋電機は、松下電器を退社した井植歳男が、松下幸之助より自転車用発電ランプの製造権と松下電工北条工場を譲り受け、個人事業「三洋電機製作所」を創業したのが始まりです。もし、井植歳男が松下電器にとどまっていたら・・・

  1. 洗剤のいらない洗濯機やアクアループは存在しない。
    • eneloopもなかった。あるいは同等のものがEVOLTA-ecoという名前で発売。
  2. ハイアールグループの日本でのシェアは低いままである。
  3. 「怖いお詫びCM」の始まりはナショナルFF式石油暖房機の回収CMから。
  4. テレビ番組「兼高かおる世界の旅」は一時期、日産グループがスポンサーであった。
    • いや、史実で三洋電機がスポンサーになる前は三井グループがスポンサーだったため(放送枠が日曜11時台前半枠から日曜9時台前半枠に移動したためにスポンサー変更)、放送枠変更後も三洋電機に変わらず継続して三井グループ各社がスポンサーをしていた。
  5. プロ野球のオールスターゲームのスポンサーも別会社だった。

サンライズ

  1. ガンダムやコードギアスなどは存在すらしなかった。
  2. ロボットアニメは東映アニメーションの天下が続いており、以後のロボットアニメの歴史も大きく変わっていた。
  3. 富野由悠季は無名のままだった。
  4. 矢立肇の名前なんてない。

スタジオジブリ

  1. 宮崎駿は無名のままだった。
    • むしろジブリを作っていなければカリオストロ以降トムスに留まった状態で名監督として評価されていた。
  2. 天空の城ラピュタがニコニコ動画でネタにされる事はなかった。
    • そもそも作品自体作られていなかった。
  3. ジブリ設立前の作品であるナウシカは存在していた可能性も。

本田技研工業

  1. 当然、スーパーカブは存在しない。
  2. 鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎなどは存在しない。
  3. 日本のビッグスリーの3番目は[三菱自動車になっていた。
    • 史実では本田技研が設立される前の日本のビッグスリーはトヨタ・日産・いすゞだったため、今もいすゞが乗用車生産から撤退していない可能性もある。
    • むしろ岡村製作所が「ミカサ号」を量産していた。
      • 史実ではホンダとの共倒れを恐れた三菱銀行が岡村製作所にオフィス家具事業への専念を勧めてミカサ量産を断念している。
  4. テレビ番組「すばらしき仲間」のスポンサーはどこだったろうか?

東芝

  1. 東芝以外の企業がサザエさんの一社提供をしていた可能性がある。
  2. HD DVDは登場していなかったか、別の企業が出していた。
  3. 日本の総合電機メーカーは日立・三菱電機・富士電機の3社だった。
    • 史実では1970年代までの日本の総合電機メーカーは日立・東芝・三菱電機・富士電機の4社だったが、他の3社に比べ家電部門が不振だった富士電機が家電から撤退し重電に専念することになって日立・東芝・三菱電機の3社のみが総合電機メーカーとして残ったことから。
    • 当然のことながら富士電機は家電から撤退していない。第一勧銀グループ・古河グループの電機メーカーでは「富士電機=重電と家電、富士通=通信機とコンピュータ」と担当分野が住み分けられていた。

フォルクスワーゲン

フォルクスワーゲンの前身であるKdFの工場は当初ソ連軍によって撤去される予定でした。しかし高度な技術と労働力に目をつけたアイヴァン・ハーストイギリス軍少佐によって最終的にイギリスの管理下に置かれ工場の復活とフォルクスワーゲンの成立がなされました。もし、予定通りソ連によって撤去されていたら。

  1. 史実のフォルクスワーゲングループはアウディ・ポルシェのみでアウディグループとして活動。
  2. 撤去された設備はラーダの生産工場に当てられていた。
  3. 史実の国民車の役割は西側のいくつかの企業が片手間に行っていたが統一後はトラバントが担うことになった。
    • VEBザクセンリンクは現在も存続しトラバントのニューモデルを出し続けていた。
  4. 「ゴルフ」といえば満場一致でスポーツのことを指していた。

ヤマハ

元々、同じ根っこのヤマハ発動機も含む

  1. バイク、ヨット、ピアノ、音響システム…と存在しなくなる製品が多岐に渡る。