もしあの女性アイドルがブレイクしていたら
鳴り物入りでデビューした女性アイドルがもしブレイクしていたら?
- 新規追加は50音順でお願いします。
- 後に(別の形で)ブレイクした人については「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
- 実際にそこそこブレイクした人については「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
- グループについてはもしあの女性アイドルグループがブレイクしていたらへ。
全般[編集 | ソースを編集]
- 1990年代前半のアイドル氷河期は起きなかった。
- 女性アイドルがブレイクしたお陰でベテラン芸能人の影が薄くなっていた。
- ベテランが史実以上にもてはやされることがなかったので仕事の幅を広げることはなかった。
- ベテランがアイドルの仕事を奪う存在にはなっていなかった。
- CMもアイドルからベテランに取って代わることもなかった。
- ベテランが激務を強いられることもなかった。
- 俳優・女優の安易な歌手デビューもなかった。
- 俳優・女優が仕事の幅を広げなかったので本業に専念していた。
- 女子アナのアイドル化はなかった。
- 声優のアイドル化もなかった。
- 「水泳大会」はもう少し長く続いていた。
- 「スーパージョッキー」は現在に至るまで放送されていた。
- グラビアアイドルの活躍の場が「サンデージャポン」に移ることはなかった。
- 「THE夜もヒッパレ」も続いていただろう。
あ行[編集 | ソースを編集]
青木裕子[編集 | ソースを編集]
矢部浩之夫人の青木裕子や元NHKアナウンサーの青木裕子とは別の人物。同期の山田まりや並みにブレイクしていたら?
- 雛形あきこの仕事を奪っていた。
- わずか2年余りで活動を休止することはなかった。
- グラビア引退宣言もなかった。
- それすらなかったので完全引退と誤解されることもなかった。
- グラビア引退宣言もなかった。
- その後の活動も迷走することはなく、歌手に転向したりハッスルに参加することはなかった。
- 矢部浩之夫人の青木裕子は混同をさけるため、結婚後は矢部裕子として活動していた。
- 小池栄子、佐藤江梨子の存在が薄れていた。
安倍麻美[編集 | ソースを編集]
元モーニング娘。の安倍なつみの妹。喫煙写真流出事件の余波で本格的なブレイクには至らなかった。
- =喫煙写真が流出していなかったら、である。
- 存在感のある姉を持つ妹は人気が出ないというジンクスが破られていた。
- 中山忍の二の舞になることはなかった。
- アイドル歌手の妹は人気が出ないというジンクスを打ち破っていた。
- 中山忍の二の舞になることはなかった。
- 渡辺プロはAKB48以外のアイドルにも力を入れていた。
- 当然、引退することはなかった。
- デパートガールになることなどなかった。
- 結婚後も芸能活動をし続けていたかも。
- 所属していたユニットであるギャルルの知名度も上がっていた。
- CMも短期間で降板させられることなく、出演本数も史実より多かった。
- SI☆NAの阿部麻美と現実以上に混同されていた。
- 一方、同じく歌手を姉に持つmisonoは逆にバラエティに進出することはなかった。
- そもそも倖田來未・misono姉妹といい意味で比較されることはなかった。
- 同種の事件を起こしてフェードアウトされた品田ゆいの二の舞になることもなかった。
- 「クイズ!ヘキサゴン」関連で里田まいや木下優樹菜とユニットを組んでいたかもしれない。
- 里田まいはむしろ存在が薄れていた。
有村藍里[編集 | ソースを編集]
- 新井ゆうこ時代にブレイクしていたら
有村架純の姉でグラビアアイドル。もし、新井ゆうこ時代にブレイクすることができていたら?
- 事務所独立はなかった。
- スポーツ新聞に有村架純の姉であることがすっぱ抜かれることもなかった。
- むしろ有村架純の姉であることが早くから知られていた。
- 有村藍里への改名もなかった。
- 売名行為とみなされることもなかった。
- 有村架純がブレイクした恩恵で人気を博すこともなかった。
- SNSで自虐的なネタをツイートすることもなかった。
- 週刊誌でヌードを披露することもなかった。
石坂智子[編集 | ソースを編集]
松田聖子・河合奈保子・柏原芳恵・岩崎良美ら、同期のアイドルとの熾烈な競争を潜り抜けて無事ブレイクできていたら。
- 石川県出身者はアイドルには向かないというジンクスを返上していた。
- 歌唱力という点では80年組の中では抜群だったので、実力派歌手としての道に進んでいた。
- 東芝EMIがアイドルオーデションに対して消極的になることはなかった(史実では東芝EMIのアイドルオーデ出身はブレイクしなかったのが多かった)。
- デビュー数年後に事務所から独立してシンガーソングライターに転向していた。
- 同じ北陸地方出身のシンガーソングライターである伊藤敏博(元国鉄車掌)との対バンもよく行われていた。
- 東日本大震災後は故郷の石川県に帰り、石川県を拠点に活動を続けていた。
大森玲子[編集 | ソースを編集]
地元での素行不良が明るみにならなかったら。
- ホリプロの後輩の綾瀬はるか・石原さとみは台頭しなかったかもしれない。
- 美波(MINAMATAに出てた方)に至っては海外で活躍することもなかった。
かさ行[編集 | ソースを編集]
北原佐和子[編集 | ソースを編集]
- 女優転身後、少なくてもヌードは白石まるみさんではないが、1988年の1回だけで終わっていたと思う。
栗林みえ[編集 | ソースを編集]
- 「ときめきティーンズコンテスト」は一回限りで終わらず定期的に開催されていた。
- ホリプロスカウトキャラバン並みの権威ある登竜門になっていた。
- 「ラブプラスティーンズコンテスト」も開催されていた。
- 「ときめきメモリアル」自体オタクものではなく一般向け作品と見なされるようになっていた。
- 本人出演の実写ゲーム化も実現していた。
- 2005年に突然復帰して写真集を出すなんてこともなかった。
- 栗林みな実はアダルトゲーム関連の活動時に改名していた。
- 逆に栗林みえがコナミに頼る必要がなくなった時にW栗林としてユニットを組んだ可能性がある。
宍戸留美[編集 | ソースを編集]
- 「ロッテCMアイドルはキミだ!」は以降も定期的に続いていた。
- 声優に転向することもなかった。
志村香[編集 | ソースを編集]
- 「ポスト菊池桃子」と呼ばれたとおり、菊池桃子の仕事をいくつも奪っていた。
- 菊池桃子は女優として復帰することもなかった(ラ・ムーの失敗もあったので尚更だった)。
- 同期の芳本美代子の存在が薄れていた。
- 新人賞レースを辞退することもなかった。
- 「名前の縁」で志村けんと何らかの形でコラボしていた。
- 志村ファミリー入りしていたかも。
鈴木あみ/鈴木亜美[編集 | ソースを編集]
現在でも活動しているが、活動初期はそれなりの人気はあったものの、所属していた事務所の脱税事件の余波もあり、次第に人気が低下した。もし、史実以上に人気があったら?
- 小室ファミリーの全盛期が続いていた。
- 鈴木亜美に限らず、小室哲哉プロデュースのアイドルは史実以上に増えていた。
- ハロプロの良きライバルとなっていた。
- 小室は詐欺事件を起こすことはなかった。
- 事務所移籍は円満な形で行われていた。
- ゴタゴタした形で移籍することなく、活動休止状態になることはなかった。
- 脱税事件さえ起きなければ…。
- 松本莉緒(松本恵)の二の舞になることもなかった。
- ドラマ「星の金貨2」の主演を予定通り務めていた(史実では星野真里)
- 松浦亜弥、上戸彩の影が薄くなっていた。
- 多分浜崎あゆみも。
- 女性アイドル歌手は現在でもソロでも通用できる時代が続いていた。
- ソニーはZONEに力を入れることはなかった。
- 浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、松浦亜弥と同様にものまねされやすい芸能人になっていた。
たな行[編集 | ソースを編集]
伊達杏子[編集 | ソースを編集]
ホリプロが売りだしたバーチャルアイドル。
- テライユキに留まらず人間をリアルに再現した3Dのバーチャルアイドルが大ブームになったのは言うまでもない。
- 初音ミクなどより遥かに早く、ゲームのキャラでなくてもヒットすることが証明されていた。
- 藤崎詩織とは住み分けできていただろうけど二次元萌え文化は多少衰退したかもしれない。
- アニメやゲームの業界・ファンに頼る必要がないことが証明されたためゲームやアニメ業界はバッシングが再燃し確実に衰退しただろう。
- 衰退を阻止するため藤崎詩織含めて萌えキャラの3D化は必須の状況になっていた。
- アニメやゲームの業界・ファンに頼る必要がないことが証明されたためゲームやアニメ業界はバッシングが再燃し確実に衰退しただろう。
- 初音ミクも二次元ではなく最初から野村哲也が製作したような3Dとして売りだされていた。
- MikuMikuDanceは誕生しなかった。
- ホリプロはバーチャルアイドルを基幹事業としていた。
- この事件は起きなかったかもしれない。
- 初音ミクのコンサートで使用されている技術は史実より早く実現していた。
- 韓国でも史実よりマシな成果が出ていた。
- K-POPでもバーチャルアイドルが多数登場し世界を席巻していただろう。
- VOCALOIDもSeeUが大ヒットするなど韓国でも日本並にブームになっていた。
- ちなみに、韓国では1998年に男性バーチャルアイドル「アダム」がブレイクしている。
- K-POPでもバーチャルアイドルが多数登場し世界を席巻していただろう。
- 映画「ファイナルファンタジー」も大ヒットしていた。
- ジャニーズやAKB系列といったアイドルグループもバーチャルアイドルに参入していた。
- AKB48結成時に江口愛実など複数のバーチャルメンバーが在籍していた。
田中陽子[編集 | ソースを編集]
- 『アイドル天使ようこそようこ』は大ヒットしていた。
- 後に女優に転身していたかもしれない。
- 本人は徳島県出身なので「秘密のケンミンSHOW」に徳島県代表として出演していた。
- 神戸淡路鳴門自動車道全通の際は記念番組にゲストとして呼ばれていた。
田辺はるか[編集 | ソースを編集]
銀行員からグラドルに転職した日テレジェニック2004。目指していたビール会社のキャンペーンガールになっていたら
- 歴代のキャンギャルでもトップクラスのサイズを誇るバストに注目が集まり、ポスターが居酒屋に貼られて井川遥並みにブレイク。
内藤陽子[編集 | ソースを編集]
×××××写真が写真週刊誌に掲載されたことで本格的なブレイクには至らなかった。
- =×××××写真を撮られなかったら、である。
- 往年の女優である内藤洋子との混同が起きていた。
- 芸名変更に追い込まれていたかも。
- 佐藤江梨子の良きライバルとなっていた。
- 吉野紗香も。
- スターダストを退社することはなかった。
- フラワーアーティストへ転身することはなかった。
- 山口もえや藤崎奈々子などの仕事をいくつも奪っていた。
- 小倉優子、若槻千夏、熊田曜子の影が薄くなっていた。
- 史実通りに結婚してもママタレの一員として名を馳せていた。
- 辻希美、小倉優子といい意味で比較されていた。
は行[編集 | ソースを編集]
橋本マナミ[編集 | ソースを編集]
- オスカー時代にブレイクしていたら
橋本マナミは元々はオスカープロモーションに所属し、当初は細川愛実として活動し、後に橋本愛実へ改名しましたが、オスカー時代はブレイクに至らず、事務所移籍とともに芸名を橋本マナミに変え、グラビアアイドルに転向して大ブレイクしました。もし、オスカー時代にブレイクしていたら?
- 芸名は今も橋本愛実のままだった。
- 乃木坂46の橋本奈々未と混同されることもなかった。
- むしろ橋本愛と混同されていた。
- しかし芸名の混同は避けられないので結局(ry
- 正統派路線として活動しており、グラビアアイドルに転向することはなかった。
- 壇蜜の仕事を奪うこともなかった。
- ましてや壇蜜と対立する関係になることもなかった。
- 「愛人にしたい女NO.1」と言われることも無く、めちゃイケの抜き打ちテストでのおバカっぷりが世に晒されることも無かった。
- 共演NGのデマも起きなかった。
- 志村けんと関係を持つこともなく、壇蜜が志村けんの番組を降板させられることもなかった。
- 壇蜜と志村けんとの関係が悪化することもなかった。
- 橋本マナミが志村ファミリー入りしなかった分、壇蜜の志村ファミリー入りが実現していた。
- 壇蜜の所属事務所であるフィットワンは二番煎じに対して厳しくなることもなかった。
- 副島美咲に対して壇蜜との共演NGを出すこともなかった。
- そして副島美咲は小蜜を封印することもなかった。
- 副島美咲に対して壇蜜との共演NGを出すこともなかった。
- 壇蜜は女優としての仕事も増えていた。
- その分、NHKの教育番組で活躍することはなかった。
- 壇蜜は脱エロ路線に走ることはなかった。
- ましてや壇蜜と対立する関係になることもなかった。
- 壇蜜の仕事を奪うこともなかった。
- 全日本国民的美少女コンテストで同期だった上戸彩・松下萌子とともに「オスカー3人娘」と呼ばれていた。
- 史実では第7回全日本国民的美少女コンテストで橋本は演技部門賞を、上戸は審査員特別賞を、松下はマルチメディア賞を受賞している。
- 史実で「オスカー3人娘」と呼ばれている武井咲・剛力彩芽・忽那汐里の3人は「新・オスカー3人娘」と呼ばれていた。
- 橋本や史実でもオスカー所属のままブレイクした上戸に引っ張られる形で松下もブレイクしていた。
- グランプリを獲得した須藤温子は史実通りか?
- このコンテストはグランプリよりも特別賞や各部門賞の受賞者の方がその後ブレイクする、というジンクスがあるので。
- ドラマではいい仕事を貰っており、水死体役をさせられることはなかった。
- 1984年度生まれ女優の一員が増えていた。
- 少なくとも栗山千明、綾瀬はるかと並び称される存在になっていた。
- 山形出身の女性芸能人といえばあき竹城や渡辺えりといったベテラン女優程度の知名度と認識で終わることはなかった。
- そもそも山形出身の女性芸能人はベテランしか人気が出ないというジンクスはなかった。
- CM出演本数も史実より多かった。
- 事務所の先輩であり、当時CM女王であった佐藤藍子の仕事も奪っていた。
- オスカーは史実以上にゴリ押しで売り込むことはなかった。
- 剛力彩芽は叩かれることもなく、嫌いな女優の1人に挙がることもなかった。
- その分LDHのゴリ押しへの批判が大きかった。
藤井一子[編集 | ソースを編集]
中山美穂並みにブレイクしていたら?
- 中山美穂の良きライバルとなっていた。
- その後は女優に転身していた。
- 後藤久美子の存在が薄れていた。
- 小泉今日子、中森明菜、松田聖子の仕事を奪っていた。
- 出身地の北九州市の実家の明太子屋も有名になっていた。
藤本綾[編集 | ソースを編集]
- =×××××写真が流出しなかったら、である。
- 同い歳で同じ事務所に所属する深田恭子に対する酷使もなかった。
- ただ、深田とはポジションが違うので棲み分けはされていた。
- スポーツキャスターとしての地位も確立していた。
- 倉持明日香の存在が薄れていた。
- 少なくとも結婚までは芸能界に残っていただろう。
藤本美貴[編集 | ソースを編集]
- ソロとしてブレイクしていたら
藤本美貴は当初松浦亜弥に続くハロプロのソロアイドルとして売り出されていたが、伸び悩んだため後にモーニング娘。加入へと至りました。もし、ソロとしてブレイクしていたら?
- もちろんモー娘。加入はなかった。
- LOVEオーディション2002からはもう1名選出されたかもしれない。
- その1名は国民投票1位が選ばれていた。
- 5代目リーダーは(史実では6代目の)高橋愛が就任していた。
- LOVEオーディション2002からはもう1名選出されたかもしれない。
- 松浦とのコンビ「GAM」は史実より早く結成された。
- 「GYM」(山下智久のユニット)と混同する人は減っていた。そのグループ名がGYMでなかった可能性も。
- 「ごまっとう」は結成されなかった。
- 庄司智春との結婚は史実通り?
- 地元滝川市では郷土のスターとして史実以上に崇められ、本人が出身地を聞かれても「北海道の真ん中らへん」としてぼかすこともなかった。
- 大人の事情が減っていた。
- 同じ滝川出身の大政絢とともに並び称されていた。
- 滝川を「たきかわ」と正しく読める人が増えていた。
- 松浦亜弥同様、モノマネされやすい芸能人になっていた。
- ハロプロはグループ主体の活動に移行することはなかった。
- カントリー娘。はあさみとみうなが脱退しても里田まいの1人ユニットとして存続することなく解散していた。
- カントリー・ガールズが結成されたかは微妙。
- そもそも女性アイドルはソロでも通用する時代がオワコンになってしまうこともなかった。
- カントリー娘。はあさみとみうなが脱退しても里田まいの1人ユニットとして存続することなく解散していた。
ま~行[編集 | ソースを編集]
松下萌子[編集 | ソースを編集]
- 女優活動と歌手活動を両立していた。
- 史実ではまれにライヴ活動をしているものの事実上女優に専念している。
- 勿論CDもリリースし続け、シングルや音楽DVDだけではなくアルバムもリリースしていた。
- チョークアーティストにはならなかった。
- 全日本国民的美少女コンテストで同期だった上戸彩とともに第7回全日本国民的美少女コンテスト出身者の出世頭となっていた。
- やはり全日本国民的美少女コンテストで同期だった橋本愛実がオスカー所属のままブレイクしていたら上戸・橋本とともに「オスカー3人娘」と呼ばれていた。
松本明子[編集 | ソースを編集]
- 1980年代前半にブレイクしていたら
松本明子は元々はアイドルとしてデビューしましたが、デビューした翌年に×××××発言をして以来、仕事に恵まれず、平成初期にバラドルとしてブレイクしました。もし、1980年代前半にブレイクしていたら?
- =もし×××××発言をしていなかったらである。
- 松本伊代と「W松本」として人気を二分していた。
- 女優業へも史実より早く進出していた。
- 正統派路線をし続けており、バラドルとして活動しなかった。
- ものまね女四天王は1人減っていた。
- 「電波少年」のMCは別の女性タレントが起用されていた。
- 彼女のデビュー年である1983年組は不作の世代と呼ばれることはなかった。
- というか、その世代の成功例の1つに挙がっていた。
水谷麻里[編集 | ソースを編集]
- 同じサンミュージックで同じコンテスト出身の酒井法子のデビューが遅れ史実よりブレイクしなかったか、違った形でブレイクしていた。
- 江口寿史と18歳で結婚→芸能界引退、もなかった。
- 女優に転身、もしくはキャラクターを生かしてバラドルへ、という道へ進んでいた可能性も。
- 後者なら松本明子、森口博子、井森美幸、山瀬まみの良きライバルとなっていた。
- デビューが全く同じ日だった西村知美も。
- 後者なら松本明子、森口博子、井森美幸、山瀬まみの良きライバルとなっていた。
- デビュー直後に起きた事務所の先輩の岡田有希子の自殺の件がなければ彼女の芸能生活もまた違ったものになっていたかも知れない。
村上綾歌[編集 | ソースを編集]
- 今も芸能活動している。
- マクドナルドでバイトしたりましてやキャバ嬢になることなどなかった。
- 女優活動をメインにしていたが、歌手活動やグラビア活動も行っていた。
- 史実でもインディーズでシングルを1枚リリースしたが、インディーズにとどまらず歌手としてメジャーデビューしていた。
- オタク趣味を持つアイドルの先駆者として、やはりオタク趣味を持ち史実でもブレイクした中川翔子や渡辺麻友、でんぱ組.incらから慕われていた。
- 声優活動にも進出していた可能性もある。
守谷香[編集 | ソースを編集]
- 『キテレツ大百科』の主題歌を歌っていたアイドル歌手という認識で終わることはなかった。
- Toshiと結婚することもなく、洗脳騒動に巻き込まれてしまうこともなかった。
- 『ザ・ベストテン』に「予告編」がランクインした際、「聞いたことのない名前の歌手がベストテン入りした」と言われることはなかった。
吉木りさ[編集 | ソースを編集]
- 演歌歌手としてブレイクしてたら
吉木りさはもともとは演歌歌手としてデビューしましたが、デビュー曲である「夜桜お七」が売れず、その後はグラビアアイドルとして大ブレイクしました。もし、演歌歌手としてブレイクしていたら?
- 「夜桜お七」以外にも演歌の曲が増えていた。
- 歌手としての路線変更はなかった。
- 中澤裕子の二の舞になることもなかった。
- 史実通りグラビア進出なら演歌グラビアアイドルとして売り出していた。
我妻さおり[編集 | ソースを編集]
- グラビアママドルの草分けとして知られた。
関連項目[編集 | ソースを編集]
もしWiki/アイドル | |
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女性アイドル | ブレイクしていなかったら ブレイクしていたら:女性アイドルグループ(あ~さ行/た~わ行) |
AKB48 | ブレイクしていなかったら/ジャンル/結成時期/制度/活動拠点/卒業後の進路/賞/所属レーベル メンバー :移籍/もっと長く在籍していたら/こんな人がいたら イベント :選抜総選挙 (開催年別) ユニット :渡り廊下走り隊7 姉妹ユニット :SDN48/あの地域に結成されたら (関東/西日本) 事件 :2013年以前/2014年以降 |
坂道シリーズ | あの地域に結成されたら/結成/メンバー |
モーニング娘。 | メンバー入りしていたら/解散していたら/もっと長く在籍していたら |