もしあの年の自民党総裁選で○○だったら

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1956年

岸信介が総裁になっていたら
  1. 史実と変わらない?
  2. 石橋湛山が史実通り病気で倒れたら、総理になれなかった悲劇の政治家になる。

1972年

福田赳夫が総裁になっていたら
  1. 日中国交は史実より遅れた。
  2. 官僚出身のため、支持率は低いだろう。
  3. 田中角栄の首相就任は史実より後になる。

1979年

福田赳夫が総裁になっていたら
  1. 大平、田中派は自民を離党し自由党(仮)を結党。当初党首は大平。
  2. 内閣不信任案は当然可決。解散総選挙へ。
  3. おそらく自由党は新自由クラブ、民社党、公明党、社民と共闘、社会党、共産党とはある程度距離を置いて協力となる。
  4. 史実と異なり、大平死去の同情票が自由党に流れ、自民は大敗下野する。
  5. 鈴木総理で自新民公連立内閣が発足、自新は合流して新自由党に。
  6. レーガン政権とは距離を置いて中国やイランと接近した政権運営となる。
  7. 社会党は新政権への参加で分裂、参加する右派が民社社民連と合流して民主党(仮)になり鈴木政権に合流。
  8. 残った自民は社会党左派、共産との協力を模索し、共産党も野坂、宮本で再分裂する。野坂派は自民に協力、宮本派は独自路線堅持で冷戦崩壊あたりで議席喪失。
  9. 史実以上に政策がねじれた政権ができつづけ政権交替が繰り返されていた。
  10. 松下政経塾出身者は新自由党と民主党に合流し、日本新党は存在しなかった。
  11. 橋下氏は政治家にならなかった。
大平正芳が総裁になるも福田・中曽根・三木派が離党して新党を結成したら
  1. 新党は民主党(仮)を結党。当初党首は福田。
  2. 内閣不信任案は当然可決。解散総選挙へ。
  3. おそらく民主党は、民社党、社民と共闘、新自由クラブは自民党と、公明党、社会党、共産党とはある程度距離を置いて選挙戦に。
  4. 大平死去の同情票は自民党に入るが過半数を大幅に割り込んで下野。
  5. 福田総理で民主民社社民連社会公明の連立政権が発足。
  6. 福田の場合、三木派はもとより風見鶏にならざるをえない中曽根派もついてくるのである程度はハト派寄りの政権運営すると思われる。
  7. レーガンとは協調するが3公社民営化は社会党への配慮で先送り。
  8. 新自由クラブは史実より先に自民に合流。
  9. 田中角栄に愛想を尽かした金丸、小沢たちが民主党に寝返り、自民は少数派に転落し、社会党との合流、共産党との協力を模索。
  10. 衆議院小選挙区制導入、参議院全国区廃止が史実より先になり、民民社公連立政権(史実の民進党?)が長期間政権を担当する。
  11. 55年体制や第2次安倍晋三内閣のような経済優先なら長期間与党になれる、という風潮が冷戦崩壊後も長い間続いていた。
  12. 松下政経塾や維新の会のような財政再建型の政治家は目が出ずに終わっていた。

1989年

石原慎太郎が総裁になっていたら
  1. 少なくとも中共との中は悪化していた
    • 韓国や北朝鮮との仲も悪化していた
    • 日本が技術供与しないので、中国は現実ほど経済発展しなかった。
      • 2008年の北京五輪や2010年の上海万博もなかった。
  2. 中曽根氏も一時憲法改正を考えていたので引き継いで憲法を改正していた可能性も・・・
  3. 台湾と国交を樹立、または現在の日本と台湾の関係は「アメリカと台湾」の関係のようになっていた
  4. 朝鮮総連の本部は実史よりも早くに差し押さえになっていた
  5. 長期政権になっていたはず・・。
  6. アメリカとの関係はその当時の大統領が共和党か民主党によって変わっていたはず・・。
  7. 都知事に出馬していなかったかもしれない・・。
  8. 当時はバブル景気真っ只中なので、総裁選で勝って就任したとしてもバブルが長く続いていたかどうかは微妙・・。
  9. 現実よりも東京一極集中が進み、地方が衰退していた。
    • 大阪府の人口は20世紀のうちに神奈川県に抜かれていた。
  10. 国と日本相撲協会の関係が悪化した。
    • 千代の富士の国民栄誉賞受賞が遅れる。
    • 表彰式に総理が直接出席することは未だになかったかも。

1995年

小泉純一郎が総裁になっていたら
  1. 北朝鮮のテポドン発射は98年以前に起こってた
  2. 田中角栄の戦後最年少総理の肩書きを奪っていた
    • 安部晋三は戦後最年少総理になれなかった
  3. 小渕、森(場合によっては橋本も)は首相に就任しなかった
  4. 安部晋三は06年の総裁選に立候補しなかった、立候補しても2010年以降にずれ込んでいた
    • 2012年の総裁選は初当選になる。
  5. 実史通り長期政権となっていた場合、今頃自民党総裁は、小泉→福田→麻生または小池、別の場合は小泉→橋本→福田とかか?
  6. 郵政民営化は早ければ20世紀中に実現。
  7. 派遣労働などの規制緩和も現実より早く行われたため不況がさらに進行していた。
  8. 地元の神奈川県との関係で08年にオリンピック立候補は大阪では無く横浜になった可能性も
  9. 平成の大合併も早まった。

1999年

加藤紘一または山﨑拓が総裁になっていたら
  1. 当然翌年の「加藤の乱」は起こらないが、代わりに「森の乱」あるいは「小泉の乱」が起こっていた(新内閣で森派は冷遇される可能性が高いため)。
    • そして1年程度で退陣。小泉内閣が史実通り(または数か月早く)発足した。
  2. 小渕恵三総理が2000年4月に倒れ、翌月に亡くなることもなかった。
    • 娘の優子氏はいずれ地盤を引き継ぐが、父の引退に伴うため、数年遅れていた。
  3. 野中広務氏は幹事長にはならなかった(加藤氏の総裁選出馬に批判的だったため、たとえ打診されても断っていた)。
  4. 公明党と連立を組むことはなく、自公連立政権は誕生しなかった。

2006年

福田康夫が出馬し総裁になっていたら
  1. 李登輝氏の日本訪問は絶対に認めない
  2. 親中反米派ということ以外はとりたてて地味なまま任期を全うしていたと思う。
    • 反米?
  3. 昔の角福戦争のあおりを受け、真K子からしょっちゅう喧嘩を吹っ掛けられる。これは現実通り。
  4. どっちみち2007年の参議院選挙で大敗して辞任、後任は・・・安倍晋三?
    • ねじれ国会に苦しむ。
      • そして例の台詞を残し職務放棄…。
        • 「あなたとは違うんです」のことか。
麻生太郎が当選し総裁になっていたら
  1. 実際に総理になった時(2008年~2009年)ほど、失言や漢字の読み間違いは問題にならなかった。
  2. 政権は2、3年はもっていた。
  3. 安倍晋三氏は引き続き官房長官か、外務大臣として、麻生新内閣に入閣していた。
谷垣禎一が当選し総裁になっていたら
  1. 消費税率は、2008年頃に8%、2010年頃に10%になっていた。
  2. 麻生、安倍両氏の入閣、および党役員への就任はない。

2008年

小池百合子が総裁になっていたら
  1. 我が国初の女性首相が誕生。
    • 女性閣僚の比率が高くなっていたかも。
  2. 自民党政権がもう少し長続きしていたかも。
  3. 女性の社会進出は、大いに増えていた。
  4. 2016年東京都知事選にはおそらく立候補していない。
    • 無論、「都民ファーストの会」なんてモノは誕生しなかった。

2012年

石原伸晃が総裁になっていたら
  1. 日経平均1万回復はなかった。
  2. 安倍、菅などが離党して維新に合流していた。
  3. 維新が大勝して200議席程度になり、公明、未来、減税と連立して自民は政権奪回できなかった。おそらく総理は橋下。
    • 安倍が維新に入党し、代表となって史実通り総理になる可能性もある。
    • 連立するとしたら未来の党よりはみんなの党じゃないか?
石破茂が総裁になっていたら
  1. 派閥リーダーなどの反発で党内の統制がなかなか取れず、早々と辞任していたかもしれない。
    • そして安倍晋三か石原伸晃が総裁になっていた。
    • 当然、自民党は「2009年の惨敗の反省が生かされていない」とかなりのバッシングを受けていた。
  2. 上記のようなことが無ければ、史実通り衆議院解散・総選挙となっていた場合、自民党は史実以上に圧勝していた。
    • 日本維新の会、みんなの党の議席は史実より伸び悩んでいた。
谷垣禎一が総裁になっていたら

周囲の反対を押しのけて立候補し、自分を裏切った石原氏を下して総裁に再選されたとしたら?

  1. 2012年12月の衆議院解散には追い込めず、翌年の参院選で衆参ダブル選となり、ここでようやく政権を取り戻した。
    • 新内閣が発足するも、石原氏はもちろん、安倍氏、麻生氏も入閣することはなかった。
      • 逆に安倍さんは立候補せず、麻生さんとともに谷垣さんを支援→二人そろって要職に就任してた。
  2. 中、韓との関係は史実ほど悪くはないが、景気も現在ほど回復はしていなかった。
  3. 自民党史上初の「総裁経験者である幹事長」が誕生することもなかった。
町村信孝が総裁になっていたら
  1. 史実通り政権を取り戻したが、途中で病に倒れていた。
  2. 日本はTPPには参加しなかった。
  3. 町村新内閣では、安倍氏を支援した人たちは干されていた。
    • 安倍氏とその支援者たちが独立し、町村派(清和政策研究会)が分裂。
      • 町村派が党内最大派から転落し、額賀派(平成研究会)が復権する。