もしあの歌手グループが解散・活動停止していなかったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
- もしおニャン子クラブが解散していなかったら
- もしAKB48のユニットが○○だったら(AKB48系列グループ・派生ユニットはこちらへ)
あか行[編集 | ソースを編集]
EE JUMP[編集 | ソースを編集]
- 「EE JUMP COLLECTION 1」は予定どおり発売されていた。
- ユウキは×××××に走ることもなかった。
- そもそもユウキの非行がなかったらこうなっていた。
- 後藤真希の活動休止もなかった。
- それでもソニンは舞台出演をきっかけにしてそちらに専念する為脱退したかも。
Wink[編集 | ソースを編集]
1980年代後半から90年代半ばにかけて活躍し、1996年3月に活動を停止した鈴木早智子、相田翔子の二人組ユニットWinkですが、もし活動を停止しなかったらどうなっていたでしょう?
- 史実よりも早く、音楽活動からバラエティ、ドラマへと活躍の場を移していた。
- 同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
- ウルルンの司会も翔子、早智子が1週交代で務めていたかも…
- 同世代である中山美穂あたりの強力なライバルとなっていた。
- 新曲のリリースは年1回程度になるが、コンサートだけは毎年必ずやっていた。
- 二人が司会のバラエティ番組が、深夜帯で放送された。
- 80年代、90年代前半のアイドルを振り返る番組には、二人でゲスト出演した。
- さっちんが脱ぐことはなかった(泣)
- AV出演疑惑が出ることもなかった。
- というか、さっちんの活動が迷走することはなかった。
- 「ASAYAN」の再起にかけるオーディションに出演することもなく、気の強い女ぶりを晒すことはなかった。
- 事務所移籍で迷走することもなかった。
- クスリに手を出して倒れることもなかった。
- 不倫騒動もなかった。
- 相田翔子が「しょこたん」と呼ばれていた?
- あるいははいだしょうこと間違えられていた。
- 同様にさっちんがこのモデルと間違えられていた。
X JAPAN[編集 | ソースを編集]
- hideが謎の死を遂げることはなかった。
- TOSHIがトラブルに巻き込まれることもなかった。
- でも、TOSHIがああなったから解散したわけだから…
- YOSHIKIがもっと早く体を壊していた。
- それでYOSHIKIがピアノに専念することになったため、ドラムスが打込みになるか、6人目のメンバーが登場…って、なんかヤだなw
男闘呼組[編集 | ソースを編集]
- TOKIOのデビューが遅れていた。あるいはバンドとしてデビューしなかった。
- 城島・山口はジャニーズを出て別のバンドを結成していたかも。
- 後にバンドごとジャニーズから独立して本格的ロックバンドとして大成していた。
- 男闘呼組としての音楽活動がメインになるため、個々の俳優活動は現実よりも縮小されている。
- 高橋和也がイ・ビョンホンの吹き替えをすることもなかった。
- それでも岡本健一の息子は史実通りジャニーズ事務所に入っていた。
- 上杉昇、坂井泉水、小田佳奈子、川島だりあ、秋元康、船橋孝樹などの作詞を歌っていた。
- シャ乱Q、T-BOLAN、BAAD、ZYYG、MAGICをライバルだと認識していた。
- 樋口宗孝、上領亘、角田美喜をサポートドラマーにしていた。
girl next door[編集 | ソースを編集]
ボーカルの千紗が北島康介との結婚で解散したgirl next door。もし解散しなかったら。
- avex 所属の紅白歌合戦出場歌手とレコ大受賞歌手がAAAのみになることはなかった。
- day after tomorrowの曲をカバーしていた。
- 北島康介の現役引退の時に何らかの形でメッセージを出していた。
- 千紗は結婚引退していなかったらこうなっていただろう。
キャンディーズ[編集 | ソースを編集]
- 普通の女の子に戻らなかったら?
- モー娘。並みの大人数になる。
- 途端に人気急降下。
- 単に普通のオバサンになってたにすぎない。
- 伊藤蘭は水谷豊と結婚しなかった。
- アミューズ設立に関わっていた。
- ナベプロとの関係が上手くいったら、アミューズが設立されなかったかも。そうなるとサザンも福山もいない。
- 「プロポーズ大作戦」(ABC)最終回に出演して「ラッキーチャンスを逃がさないで」を生で披露していた。
- 今のように名前が残らない可能性があった。
- 麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
- その場合、南海キャンディーズも別のコンビ名を付けていたかもしれない。
- 麻丘めぐみやアグネスチャン位の名しか残らなかった。
- ザ・ハンダース「ハンダースの想い出の渚」の物真似のネタにキャンディーズが登場しなかった。
- 山口百恵も結婚後芸能界を引退しなかったかもしれない。
- いつまでも全キャン連が存続していた。
- 微笑がえしはベストテンに何ヶ月もランクインし続けたりはしなかった。
- 田中好子死去とともに解散したかも。
- 日本レコード大賞の何らかの部門賞を受賞していたかもしれない(史実ではどの部門賞も受賞していない)。
さ行[編集 | ソースを編集]
THE GOOD-BYE[編集 | ソースを編集]
1990年に活動休止に入った後、2003年に活動再開しましたが、もし休止期間がなかったら?
- 男闘呼組やTOKIOに何らかの影響を与えていた。
- いずれにしろ、どこかのタイミングでジャニーズ事務所を退所していたと思う。
- ヨッちゃんが浜崎あゆみのバックでギターを弾くこともなかったか?
Cyber Nation Network[編集 | ソースを編集]
平間あきひこ(Professor H)とSister MAYOのユニット
- 現在でもアニソン中心で活動。水樹奈々やLiSAに多々影響を与えていたかも。
- MAYOのProject.R入りはなかった。
C.C.ガールズ[編集 | ソースを編集]
- 3代目C.C.ガールズとして活動していた。
- 以降もメンバーチェンジを繰り返していた。
シブがき隊[編集 | ソースを編集]
- =光GENJIのブレイクがなかったら、である。
- 3人とも事務所を移籍することなく、ジャニーズに残留し続けていた。
- 少年隊の良きライバルとなっていた。
- 仮に解散がなくても少年隊の様にソロ中心になっていたかもしれない。
シャインズ(SHINE'S)[編集 | ソースを編集]
伊藤ようすけ(東京プリン)と杉村太郎のユニット
- =「杉村太郎の実業家転身がなかったら」である。
- 東京プリンの結成はなかった。
Sugar Babe[編集 | ソースを編集]
- 大瀧詠一がメンバー入りしていたかもしれない。
- イギリスの女性グループ「Sugarbabes」とグループ名が混同される。
JUDY AND MARY[編集 | ソースを編集]
- YUKIは今でもソニーと契約更新してた。また、バンドとソロの両方で東京ドーム公演をした最初の女性アーティストにもならなかった。
- それでも恩田快人は脱退していたかも知れない。
杉山清貴&オメガトライブ[編集 | ソースを編集]
- カルロス・トシキはソロを続けていた。
- 「1986」「カルロス・トシキ&」名義の楽曲もいくつかは「杉山清貴&」名義でリリースされていた。
SPEED[編集 | ソースを編集]
2008年に再結成したSPEED、もし解散することなく現在まで活動を続けていたら?
- プロデューサーが伊秩から変わった可能性あり。
- どっちみちそのタイミングでトイズからエイベックス移籍は免れられなさそう。
- 今井絵理子ができ婚で脱退。AKINAあたりが新メンバーになっていた。
- この後にメインヴォーカルが上原多香子+島袋寛子とする曲がいっぱい作られる。プロデューサーはTommy February 6。
- 仮に今井絵理子が脱退しなかった場合参議院議員になることはなかった。
- 不倫騒動もなかった。
- それでも第四のメンバーの地位は第四位のまま。ネタキャラとしての地位はダントツだったろうけど
- 逆にMAXが解散していた。
- 全員のソロシングルを同日発売、なんてことをしていたかもしれない。
- 2000年以降、CDの売上は低落傾向になるが、それでも芸能界における一定の地位を維持。
- 所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
- 平氏の逮捕劇が起きなかった。
- モーニング娘。がハロープロジェクトを立ち上げたのに対抗して、EARTH、Folder5などとともにライジング系女性アイドルの集団を作って売り出す。
- 満島ひかりはFolder5の活動がメインとなり、現実ほど女優に力を入れていなかった。
- 所属するライジングプロがあそこまで凋落することはなく、現在でも大きな影響力を保持している。
- ハロープロジェクトは現実と違いSPEEDに押されていた。
- 2ちゃんねるに「SPEED板」が出来ていた。
- つんくが曲を提供することもなかったはず。
- オフィシャルサイト「SPEED ARENA」が未だに公開されていたはず
- AKBには負けていた・・かな?
ZONE[編集 | ソースを編集]
- プリンセス・プリンセスと並んだ後ヒットが終わる。
- 北海道出身ということでこのチームの応援歌を歌っていたかも。
- このチームも。
- あの花のEDに「secret base 〜君がくれたもの〜」が使用されなかったかも。
- MIZUHOが石橋貴明に「×××××の先」呼ばわりされなかったらMIZUHOは見切りをつけて脱退することなく、解散に追い込まれることはなかっただろう。
- そもそもMIZUHOは芸能活動に意欲をなくすことはなかった。
- MARIAもなかった。
- 史実では3人で再結成→TOMOKA引退→MIYU契約解除→活動終了となったが、メンバーチェンジを繰り返していた。
たな行[編集 | ソースを編集]
ザ・タイガース[編集 | ソースを編集]
- 岸部兄弟の2人は史実ほど俳優業に力を入れなかった。
- 『西遊記』(堺正章版)の沙悟浄役は別の俳優になっていた。
- 岸部シローは『ルックルックこんにちは』の司会に抜擢されることもなかった。
- 事業に手を出したり自己破産に追い込まれたりすることもなかっただろう。
- 岸部大輔(一徳の息子)が加入したかもしれない。
- 瞳みのるは芸能界を引退せず、高校教師になったり中国語の教本を出したりすることはなかった。
- 実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
- そもそもそのコンサート自体なかったかも。
- 実史の1981年の再結成の際のコンサートにも参加していた。
- 沢田研二の曲のいくつかはザ・タイガースのものになっていた。
- 森本太郎の「タローとアルファベッツ」や「森本タローとスーパースター」はなかった。
- グループサウンズブームはもっと続いていた。
チェキッ娘[編集 | ソースを編集]
- モーニング娘。をライバル視していた。
- 『DAIBAクシン!!』は打ち切られることはなかった。
- 熊切あさ美は崖っぷちアイドルとして売り出すことはなかった。
- 『電波少年的15少女漂流記』にはメンバー全員参加していた。
- アイドリング!!!は結成されなかった。
- 藤岡麻美がディーン・フジオカの妹ということもあってか、彼は「アイドルグループのメンバーの兄」で売り出すことができていた。
チューリップ[編集 | ソースを編集]
- 1989年にいったん解散したチューリップ。もし活動を続けていたら・・・・。
- 「ひとつ屋根の下」で使われた「サボテンの花」は財津和夫がリテイクしたものではなく、オリジナルのチューリップのものが使われていた。
TMN[編集 | ソースを編集]
- TMN→TM NETWORKへの再改名というのもあったかもしれない。
- あるいはTM INTERNET-WORKに改名していた。
- 小室プロデュースの歌手が大量に世の中に出る事はなかった。
- そもそも小室哲哉がプロデュース業に力を入れてなかったらこうなっていただろう。
- globe自体存在しなかった。
- 果たしてavexはあそこまで大きくなっただろうか。
- 2008年11月4日にあの惨事が起こることもなかった。
- 何かと不評なベストアルバムの乱発もなかった。
- B'z、FENCE OF DEFENSE、access等の所謂「TMファミリー」が一堂に会したスペシャルライブが前世紀中には行なわれていた。
- 上記のバンドのメンバーがTMのライブでサポート乃至はゲストで出演という事は実際にあるが。
- 上記の再改名という場合でも、TMN名義によるオリジナルアルバムは後数枚リリースされていた。
- おそらく、trf「WORLD GROOVE」に入ってる曲のいくつかはTMNのものになっていたはずである。
- TMN終了後にリリースされた宇都宮隆と木根尚登のソロの楽曲のいくつかはTMの楽曲となっていた。
- 宇都宮隆バージョンの「RUNNING TO HORIZON」はTMバージョンとしてカバーされていたかもしれない。最も現実にはこの曲のカバーはTMの活動再開後にリリースされているが。
- T.M.Revolutionと混同する人が現実以上に多くなっていたかもしれない。
- あるいは世代に関係なく、「TM」といえばネットワークを思い出す人が多くなっていたか?
day after tomorrow[編集 | ソースを編集]
- GIRL NEXT DOORは結成されなかった。
- misonoのバラエティ進出はなかった。
- 「クイズ!ヘキサゴン2」のレギュラーになる事もなく、里田まいwith合田姉妹も企画されなかった。
- おバカタレントの1人として名を馳せることもなく、ブログでの失言で炎上を度々起こすこともなかった。
- 安倍麻美の存在が薄れることもなかった。
- 倖田來未の存在が薄れていた。
- 倖田來未がBACK-ONのKENJI03と結婚し、彼がmisonoの義兄になった際には、義理の兄と妹が歌手グループのボーカルになっていた。
- というか、エイベックスは倖田來未に力を入れることはなかったのでは?
- ELTの仕事を奪っていた。
dos[編集 | ソースを編集]
- KABA.ちゃんはオカマタレントとして再ブレイクすることはなかった。
- 但しダンサー・振付師として一定の知名度は保っていただろう。
- 去勢することもなかった。
- 西野妙子は女優に復帰することはなかった。
- Kiss Destinationはなかっただろう。
- 吉田麻美は小室哲哉と結婚したり離婚したりすることもなかった。
- 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
D'ERLANGER[編集 | ソースを編集]
2007年に再結成したが、ここでは「もしブランクがなく活動を続けていたら」という前提で。
- 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
- BODYは結成されなかった。
は行[編集 | ソースを編集]
B.B.クイーンズ[編集 | ソースを編集]
- 数多くのアニソンをリリースしていた。
- ただしお子様ソング路線を維持しているため、現在のアニソンがJ-POPばかりになることもなかった。
- Mi-keが活動休止することもなかった。
- 名前の縁でトヨタbBのCMに出演していたかCMソングを歌っていた。
光GENJI[編集 | ソースを編集]
- SMAPの良き兄貴分となっていた。
- むしろSMAPが史実ほど人気が出ていなかった可能性がある。
- 「勇気100%」はミリオンヒットになっていた。
- 少年隊の影が薄くなっていた。
- 少年隊のほうが先に解散していた。
- 諸星和己は史実の木村拓哉的存在になっていた。
- もちろん暴露本なんて発表しない。
- 40近くになっても合言葉は「こんばんはー!」。
- 「あさきゆめみし」みたいなグループ時代の曲名を思わせる歌詞の曲があっても、「さよならも告げぬまま 僕達は別々の未来へ」という歌詞はなかったはず
- 赤坂晃がクスリで逮捕されることもなかった。
- V6・嵐などが結成されることもなかった。
- グループが粗製濫造されることはもちろんなかった。
- V6はともかく嵐は結成されていたのでは?世代も違うし。
- V6は期間限定で終わっていたのでは?
- Kis-my-ft2もデビューに至らなかったか路線が変わっていた。
- ジャニーズはSMAPに力を入れることはなかった。
- 当時は昭和の音楽番組が放送終了していたことを考えると、バラエティ番組に進出してたかもしれない。
美少女クラブ31[編集 | ソースを編集]
2007年以降、事実上活動を休止した美少女クラブ31ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
- X21は結成されなかった。
- 剛力彩芽や武井咲がメンバー入りしていた。
- 名前の縁でサーティーワンアイスクリームのイメージキャラクターを務めていた。
- AKB48に対抗して研究生制度を導入していた。
- 欠員が出たらその都度昇格する体制を取っていた。
- テレビ朝日はももクロ推しをしていなかった。
- アップフロントとの関係も修復されることもなかった。
- オスカープロモーションの黒歴史が減っていた。
- ハロプロの仕事のいくつかを奪っていた。
- ライジングプロダクション(当時はヴィジョンファクトリー)も追い詰めていた。安室離脱と共に事務所解散なんて可能性も。
- モー娘。に至ってはかなりの影響があった。
- DreamもE-girlsに合流する前に解散していた。
- グラビアにも本格的に進出し、グラビアアイドルの仕事も奪っていた。
- 史実の乃木坂46よろしくモデルにも進出。
- 篠○愛が「美少女クラブウザイ」発言をして物議を醸していた。
- この一件でグラビアへの進出にとどめを刺したかも。
- それでもAKBには負けていただろう。
- むしろ存在が薄れていたかも。
Folder5[編集 | ソースを編集]
- メンバーチェンジくらいはあったかな?
- あったとしたら、DA PUMPみたいに沖縄アクターズ以外からの加入だった。
- HIKARIが女優に転向することはなかった。
- AKINAもShiny Lipsを結成せず、ビビる大木との結婚もなかった。
- 三浦大知復帰の際に「三浦大知 with Folder5」としてコラボしていたかも。
The Flipper's Guitar[編集 | ソースを編集]
- 小沢健二のソロ曲がフリッパーズ・ギター名義で発表されており、小山田のボーカルで歌われる。
- 小沢健二の代わりにフリッパーズ・ギターがNHK紅白歌合戦に出場していた。
- 「今夜はブギーバック」がスチャダラパー×フリッパーズ・ギターで発表される。
- そもそも「渋谷系」が有ったかどうかも分からない。
- 2004年のエイプリルフールに「エイプリルズ、バンド名をフリッパーズギターに改名」と発表されることもなかった。
THE BLUE HEARTS[編集 | ソースを編集]
- ザ・クロマニヨンズ、ザ・ハイロウズの結成はなかった。
- これらの楽曲もブルーハーツ名義で出ていたのかな?
- たぶん出ていた。
- 1995年以降、史実のハイロウズのようにシュールな歌詞の曲が多くなりファンの間では賛否両論分かれた。
- 河口が新興宗教に没頭していないので、「幸福の生産者」という曲は存在しない。
- ていうか「PAN」自体出てない。
- 2004年頃、自衛隊のイラク派遣を受けて「すてごま」をセルフカバーしていた。
- 史実ではハイロウズが務めた、セックス・ピストルズの日本公演の前座を務めていたかもしれない。
- アメリカ同時多発テロを痛烈に皮肉った曲をリリースしていた。
- 今ごろ紅白に出場していたかもしれない。
- チルドレンによる青春パンクブームは起こらない。
BLUE BOY[編集 | ソースを編集]
- 川崎フロンターレの応援歌を歌っていたかもしれない。
- ドラムの青木慶則が「自分一人で活動したい。」という心の声が大きくなったことが原因で脱退していた。(史実ではこれが原因で解散した。)
BaBe[編集 | ソースを編集]
- Winkと二分される存在になっていた。
- Winkとキャラが被ることで解散に追い込まれたとみなされることはなかった。
- Winkをライバル視していた。
- その後は脱ユーロビート路線に転じていた。
- その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
- 更にその縁でピンクレディーの曲もカバーしていた。
- 平成のピンクレディーと呼ばれていた。
- その後は事務所の縁で戸倉俊一プロデュース路線に転じ、何曲かは楽曲提供を受けていた。
- 所属事務所であるエスワンカンパニーが破綻することはなかった。
- 1990年頃に予定されていたコンサートツアーが中止になることはなかった。
- 「名前の縁」で映画『ベイブ』の主題歌を歌っていた。
- そして海外進出を果たしていた。
BOØWY[編集 | ソースを編集]
- 1990年代以降もヒット曲を連発。ビーイング系アーティストなどの強力なライバルとして君臨。
- しかし、松本孝弘、増崎孝司、増田隆宣、生沢佑一をレコーディングに参加していた。
- 個々のソロ活動はバンド活動が一段落した合間に行われる。
- De-LAXは登場しなかったかもしれない。
- しかしCOMPLEXは元々から期間限定ユニットだったので登場しているかも。
- CMやドラマ主題歌のタイアップは多いが、BOØWYとしての音楽番組への出演は頑なに拒否し続ける。
- 布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
- しかし映画やCMには積極的に出演する。これは史実通り。
- ヒムロックも史実通り『HEY! HEY! HEY!』のみに出演番組を絞っている。
- 布袋様のテレビ出演は、あくまでもソロ活動時のみ。
- M田氏への事件発覚後、ヒムロックが謝罪会見を行い、2007年後半はグループ活動を自粛。
- 布袋様のソロ曲のうち何作かがBOØWY名義で発表されており、ヒムロックのボーカルで歌われている。
- 氷室ボーカルの「スリル」って…、
ちょっと怖いもの見たさすげえ、聞いてみてえw
- 氷室ボーカルの「スリル」って…、
- 松井さんは変わらずに不動の8(エイト)を刻み続けている。
- 高崎市が聖地化。
- いつの頃からか、まこっちゃんのステージパフォーマンスが一番派手になってる。
- 布袋様が女性関連のスキャンダルの度に、ヒムロックが謝罪する。
- 山下久美子もしくは今井美樹のツアー・レコーディングに全メンバー参加。
- 98年までは大晦日の東京ドーム公演をX JAPANと奪い合いそう。
- X JAPAN解散後はジャニーズ事務所と奪い合い。
ポケットビスケッツ[編集 | ソースを編集]
2000年初頭、千秋のソロデビューを気に活動休止したポケットビスケッツですが、もしソロデビューの話しがなく活動をし続けていたら?
- 年明けから2ndアルバムの制作に入りウリナリ内でもその模様が放送されていた
- アルバム発売後にツアー開始
- 千秋のソロの一部の曲はポケットビスケッツでやった
- ただし3人のソロやDAYSの売上が落ちてたことから見て以前ほどのヒットは飛ばせなかった
- 2000年以降のウリナリの視聴率低下もなく番組は史実以上に続いた
- この流れになる
- 内村は黒幕&愛人をやることなく史実における黒幕&愛人のポジションはポケットビスケッツがやっていた
- ウルトラキャッツもなかった
- 千秋は2001年4月に番組を降板させられることはなかった
- 解散総選挙のときは内村とウドを応援に来ていた
- 2人とも当選しなければポケビ解散という課題が出された
- 新生社交ダンス部にも参加し従来通り天野とペアを組んでいた
- 神戸みゆきは坂本ちゃんのみとペアを組みその後補欠になり超星舞団に加入した
- 小池栄子はレギュラーにならなかったかも
- 解散総選挙のときは内村とウドを応援に来ていた
- グラチャンバレーの主題歌対決はポケットビスケッツVSメモリーキャッツになり結果しだいではtomorrowはポケットビスケッツの曲になっていた
- メモリーキャッツはハンではなく歌手志望が強かったジニーがメンバーになっていたかも
- 対決でメモリーキャッツが敗れた場合その後が史実のウルトラキャッツと同じ流れになり新たにポケットビスケッツのライバルポジションになっていた
- メモリーキャッツはハンではなく歌手志望が強かったジニーがメンバーになっていたかも
BODY[編集 | ソースを編集]
- 史実ではメジャーデビュー直後の人気絶頂時点での解散だったため、 仮に解散していなければあと数年は人気を継続できていた。
- CRAZEの結成、D'ERLANGERの再結成はなかった。
- よって「I LOVE YOU」は2014年現在に至るまで「BODYの楽曲」として認知されていた。
- CRAZEの存在がなかった=D-SHADEも存在しなかった。
- 藤崎賢一はソロ、飯田成一は別バンドで活動してた。
- ラルクはブレイクしなかった、あるいはブレイクが遅れていた可能性もある。
ま〜わ行[編集 | ソースを編集]
MAGIC[編集 | ソースを編集]
- 小坂、菅井脱退以後、RODEOとの合流を待って、LOUDNESSのような再生時代に入っていた。
ミニモニ。[編集 | ソースを編集]
- ミカのハロー!プロジェクト卒業により活動を休止したミニモニ。だが、その後も活動を続けていたら?
- ミカの卒業後、紆余曲折ありメンバーを入れ替えながら活動継続
- この紆余曲折のせいで、今頃初代メンバーとして各番組で紹介できるのは辻のみになっていた。
- 楽曲が幼稚園、保育園のお遊戯で使用されていた
- 子供たちの支持を受け他のハロプロユニットの人気も上昇していた。
- 『おはスタ』に引き続き出演し続けていた。
- 「新ミニモニ。」はなかった。
- 史実の新ミニモニ。メンバーはメンバーチェンジの際に順次本家ミニモニ。に加入していた。
- イロモノアイドルグループとしてももクロと人気を二分していた。
- だがももクロには負けていた。
- 渡り廊下走り隊とも人気で張り合っていたかも。
- ギャルルは結成当初からあべべ(安倍麻美)がメンバーだった。
- 「いぬモニ。」は登場しなかっただろう。
ラッツ&スター[編集 | ソースを編集]
- 田代まさしと桑野信義は芸人に転向することはなかった。
- 志村けんと関係を持つこともなかった。
- 田代まさしは「ダジャレの帝王」と呼ばれることもなかった。
- 『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ版)の爺は誰がやっていたのだろうか。
- ボケもツッコミも両方できるという点で伊東四朗さんか加トちゃん辺りかなあ。
- そもそもメンバー仲がギクシャクしていなかったらこうなっていただろう。
- =性犯罪がなかったら、である。
- 田代まさしは×××××に走ることもなかった。
- 「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
- この場合、(同時期に逮捕された)稲垣メンバー祭りが史実以上に加熱していた。
- 「田代祭」もなく、「神」とよばれることもなかった。
- 鈴木聖美との関係がもっと親密になっていた。
- 鈴木聖美がメンバー入りし、男女混成ユニットになっていた。
- 史実で鈴木雅之名義でリリースされた曲はラッツ&スター名義でリリースされていた。
- ゴスペラッツも結成されなかったかもしれない。
REV[編集 | ソースを編集]
- 出口雅之として再出発することはなかった。
- LIVやRev. from DVLとの混同が起きていた。
- 名前の縁でアイオメガの記憶媒体であるREVのイメージキャラクターを務めていた。
- REVの普及を促進をしていた。
ザ・ワイルドワンズ[編集 | ソースを編集]
ザ・ワイルドワンズは1971年に一度解散するも、10年が経過して加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズとして再結成されましたが、もし、解散せず空白期間がなかったら?
- 「加瀬邦彦と」の冠はもちろん付かないままだった。
- 「ザ・ワイルドワンズ'91」もなかったか?
- 「百田夏菜子 with ザ・ワイルドワンズ」もなかっただろう。
- 渡辺茂樹がバンドを転々とすることもなかった。
- 加瀬邦彦も自殺しなかった?
- サザンオールスターズにも何らかの影響を与えていた。場合によってはコラボも実現したかもしれない。
- ひょっとしたらワイルドワンズもアミューズ所属になっていたかもしれない(アミューズ創業者が最初にマネジメント担当したのがワイルドワンズだった)。
wuz↑b?(ワサビ)[編集 | ソースを編集]
2002年に解散したwuz↑b?ですが、もし、現在まで活動をし続けていたら?
- メンバーチェンジを行っていたかもしれない。
- 植物のワサビを「wuz↑b?」と書く人が増えていた。
WANDS[編集 | ソースを編集]
- その後もメンバーチェンジを何度も繰り返していた。
- ボーカルの場合は上杉昇に似た歌声をさせられる。
- ただし、木村だけはずっと脱退せずに残リ続けた。
- そして、彼の事実上のソロプロジェクトとなっていた。
- それでも音楽性の違いで脱退したのでは?
- 第3期の体制を現在に至るまで堅持していたら和久二郎はバーのマスターになることはなく、松元治郎として再出発することもなかった。
- =もしメンバーチェンジに成功していたら、といえる。
- 上杉以外のメンバー復帰もあり得た。
- B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
- 「名探偵コナン」の主題歌の常連になっていた。