もしあの鉄道路線の電化が○○だったら
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全般
戦前の国鉄路線の電化計画が実現していたら
戦前の国鉄は電化が進みませんでしたが、大正10年には後藤新平鉄道院総裁が東海道線全線電化を打ち出すなど国鉄路線の電化計画はありました
- 昭和初期には東海道本線の全線電化が実現していた。
- 山陽本線も戦前のうちに岡山辺りまで電化されていた。
- 常磐線を除く全国の主要幹線は直流電化になっていた。
- 交流電化は常磐線と水戸線と新幹線ぐらいしか導入されなかった。
- 西日本の電化路線は直流電化になっていたので415系は最初から60Hz非対応だった。
- 蒸気機関車の淘汰が史実より早く進み、保存運転の機運が高まらなかったかもしれない。
- 例・現実でも蒸気機関車と同時期に作られていただろう蒸気動車や電気機関車の保存運転が皆無なので。
- 63系電車やEF13電気機関車の製造量数は多かった。
- 電車で長距離運転を行う構想はやはり出ていた。もしかすると関西急電の運行範囲は現実の新快速と同じ規模だったかもしれない。
- 湘南電車も戦前には登場していたかも。
- 戦中・終戦直後には電力不足・電気設備破壊の影響をモロに受け、ダイヤ・車両の復旧が遅れた。
在来線の電化方法が全て直流電化だったら
新幹線と青函トンネル以外に日本には交流電化区間がない、茨城県内の地磁気観測所周辺は直直デッドセクションで対処していたという前提で
全般
- 在来線の交流・交直流電車は存在しない。
- 583系が419系・715系になることはなかった。ついでに言えば583系も直流専用車両になっていた。
- それでも2016年以前は青函トンネルも直流電化だった。
- EH800型は直流1500V/交流25kV (50Hz)の交直流電気機関車になっていた。
茨城県内
若干もし柿岡に地磁気観測所がなかったらと内容が被りますが
- 鉄道車両は全て他地域からのお古になっていた。
- 国鉄水戸と揶揄される。
- 常磐線の電車も湘南色になっていた。
北陸地方
- 史実よりも早く新快速の敦賀乗り入れが実現していた。
- 415系800番台は製造されなかった。
- 高山本線や大糸線の全線電化も実現していた。
関門トンネル
- 博多方面から下関への直通列車の本数が増えていた。
- それとともに下関以東に直通する列車が今も存在している。
- サンライズゆめが小倉か博多まで延伸運転されていた。もしくは「あさかぜ」がサンライズ車両で継続されていた。
- それとともに下関以東に直通する列車が今も存在している。
- JR西日本とJR九州の会社境界は徳山駅か新山口駅になっていたかも。
山形・秋田新幹線
- 直流電化区間に直通できるミニ新幹線車両が開発されていた。
- フル規格で建設か、あるいは北越急行みたいな高速狭軌線になっていたかも
非電化だったら
常磐線(取手以北)
- 電化しない理由はもちろんこれ。
- 最近までキハ30が走っていた。
- 主要路線であることを考えると勝田までの運用は民営化直前に新車に置き換わっていた。
- となると、キハ38。最近になって専用の気動車で置き換え。
- むしろ新潟NDC(というか関鉄キハ2100)風の4ドア気動車が10両編成で導入されてた。
- となると、キハ38。最近になって専用の気動車で置き換え。
- 主要路線であることを考えると勝田までの運用は民営化直前に新車に置き換わっていた。
- 「スーパーひたち」「フレッシュひたち」こそ存在しないものの、専用の特急用気動車が開発されている。
- それまではつい最近までキハ181系だった。
- E501系は存在しない代わりに別の通勤用気動車が導入される。
- これが209車体だったりして。
- 逆に平以北の無煙化が早まった可能性もある。
- 直流か交流かは別にして、流石に土浦までの電化は実現している気がする。
- 水戸線も非電化になっていた。
- 水戸線が電化されていたとしたら、おそらく非電化になっているのは水戸or勝田以北だけになる。
- 15両で走るディーゼル普通列車(グリーン付)が開発される
- 形式名はキハ231系あたり
- 莫大な燃料を消費するのが問題になり、ハイブリッド気動車や蓄電池式電車が早期に導入される。
- 「主要幹線なのに非電化とは何事だ」と問題になる。
- 特に茨城県は毎年JRに電化要望を出している。
- 関東鉄道常総線が取手~の列車が気動車であることをいいことに、上野東京ラインを経由して品川まで直通する。
- つくばエクスプレスの利用者が史実より若干少なくなる。
- 仙台近郊で電化の動きが出そう。
- 取手を境に運行系統が変わる。
- 最高速度130km/hの気動車特急が上野まで乗り入れる。
相模線
- 神奈川県が全国初の全線電化都道府県になることはなかった。
- 全国で初めて全線電化されたのは奈良県では?(相模線は1991年電化に対し奈良県は1984年に関西本線・和歌山線の電化で全線電化達成)
- 確かに全線電化は奈良のほうが早いが、かすがの定期運用が2006年まで残っていたから、定期列車の完全電化は神奈川が初。定期列車が完全電化された順は、神奈川→東京→沖縄→奈良。
- 全国で初めて全線電化されたのは奈良県では?(相模線は1991年電化に対し奈良県は1984年に関西本線・和歌山線の電化で全線電化達成)
- 八高線よりも近い非電化路線になっていた。
- 車両は八高線と同じキハ110系が使われている。
- 高崎~茅ヶ崎直通列車もあるかも。
- 電化計画がなかった場合、真っ先にキハE130系の導入対象になっていた。
- あるいはEV-E301系がこちらにも導入されている。
川越線
- 西大宮駅はあっても別の駅名になっていた。
- 埼京線直通はあり得ない。
- 埼京線ICE破壊は無かったか?
- LCDでは?
- 埼京線ICE破壊は無かったか?
- 日進駅の橋上駅化は無かった?
- 今でも日進駅・指扇駅は南古谷駅とほぼ同じ駅舎だった。
- 現在の車両はキハE130系オールロングシート車。
- 西区は現在以上にド田舎に。
- 多分八高南線も非電化のまま。
- 川越西線(川越〜高麗川)
- 八高南線は電化されていない。
- 八王子直通はあっただろう。
- ダイヤ体系にしても史実とさほど変わらないはず。ただ日中は1時間2本に減便されていたかも。
八高線(八王子~高麗川)
- 今でも気動車が八王子~高崎を直通運転している。
- 八高線の「高」は高麗川の高だと勘違いされることはなかった。
- 中央線との直通運転はなかった。
- 一時的に女性専用車が導入されることもなかった。
- 東京在住のローカル線マニアは大喜び。
- 川越線と併せて八王子〜大宮間の直通列車もあった。
両毛線
- 八高線高麗川~高崎とともに大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 高崎線が一部乗り入れる高崎~前橋だけ電化されていた。
- アニメ日常に気動車が登場していた。
- もしかしたら魔法少女まどか☆マギカにも。
- 車両は八高線と同じキハ110系が使われている。
- 場合によっては地方交通線になっていた。
- 東武伊勢崎線末端はもう少し本数があった。
- 伊勢崎行き特急も2時間ペースであった。
- 高崎線からの乗り入れなどない。
- 前橋市が「県庁所在地なのに非電化とは何事だ」と問題視し、2.のように前橋までは電化されていたのでは。
水戸線
- 八高線高麗川~高崎とともに大回り乗車で乗れる非電化路線になっていた。
- 車両は水郡線で使われたキハ110系か、烏山線で使われるキハ40形1000番台。
- 場合によっては地方交通線になっていた。
- 真岡線の三セク化直前まで直通列車があった。
飯田線
- ワンマン列車が史実より多くなっていた
- 車両はつい最近までキハ40が使用されていた。
- 最近になってキハ25が導入されるも、オールロングシート車になっていた。
- 7時間近くかけて走るオールロングシート長距離鈍行が誕生していたかもしれない。
- 最近になってキハ25が導入されるも、オールロングシート車になっていた。
- 豊橋ー小坂井間は単線になっていて名鉄との共用区間はなかったかもしれない。
- その場合、名鉄車の豊橋乗り入れは毎時2~3本に制限されていた。
- 特急伊那路はキハ75の急行として運転されていた。
- JRになってから豊橋から最低でも豊川まで、もしかすると本長篠あたりまで電化されていた。
- 中央本線辰野支線の岡谷〜辰野間は、電化されているにも関わらず気動車の方が多くなっていた。
- 最初から国鉄による建設ならこうなっていただろう。
草津線
- 関西本線の亀山方面からの直通が現在でも残っていた。
- 車両はキハ120では輸送力が不足するので、キハ40系が遅くまで残っていた。
- 最近になって223系車体の気動車に置き換えられている。
奈良線
- 京阪神から一番近い非電化路線としてファンの人気を集めていた。
- 車両は223系の気動車版に置き換えられている。
- 通勤輸送があるため3扉仕様。
- 関西本線亀山-加茂間もキハ120ではなく奈良線と共通の車両が使用されていた。
- いまだに近鉄京都線や京阪宇治線に対抗しえていない。
- それでもJR化後は高性能気動車投入や日中30分ヘッドの快速運転などのテコ入れが行われていた。
- 関西本線の奈良~木津間の電化は木津~加茂間と同時に行われた。
- 沿線住民の要望として常に「全線複線化と電化の同時実行」が挙げられている。
伯備線
- 山陰本線伯耆大山~出雲市も非電化のまま。
- 「サンライズ出雲」はなかった。
- 代わりに智頭急行が電化され、サンライズ出雲は智頭急行経由になっていた。
- 伯備線の利用者数は激減し、場合によっては地方交通線になっていたかもしれない。
- 山陽新幹線岡山駅の乗降客数も減っていた。
- キサシ181の運用期間があと3年延びた。
- 急曲線多数で非電化では速度向上が至難な伯備線に代わり、南勝線がスーパー狭軌線として、公団凍結線から見直され、建設区間も備中高梁〜中国勝山〜山守間となり、当然、倉吉線も廃線が回避される。
- 伯備線を電化した方がはるかに安上がりだと思うが…
- ICOCAの山陰導入もなかった。
本四備讃線
- 四国の電化区間はなかった。
- JR四国はJR6社で唯一電化路線の無い会社だった。
- 場合によっては西日本にまとめられていた可能性もある。
- JR四国はJR6社で唯一電化路線の無い会社だった。
- マリンライナーはキハ58だった。
- 間合い運用で急行つやまとして使われていたためぼったくり批判は小さかった。
- むしろ2000系タイプの指定席が連結されていた。
- 「瀬戸」は岡山以南でDD51が牽引。
- 285系(サンライズ)は「出雲」のみになっていた。
- 今頃廃止されていたか、そもそも登場しなかった可能性も否定できない。
- 285系(サンライズ)は「出雲」のみになっていた。
- 「建設費をケチった」「露骨な四国冷遇」などと揶揄されていた可能性大。
- 史実と異なり宇野線が非電化なら可能性はあったかもしれないが…。
直流電化だったら
千歳線
- 北海道の電車は直流が主流に。(津軽海峡線を除く)
- 車両のコストは下がるので、JR北海道の経営はちょっとは良くなる。
- 当然、札幌近郊の全電化区間が直流になっていた。
- 4ドア車も採用されていた。
奥羽本線
史実でも1949年から1968年の間福島-米沢間は直流電化でした。
- 板谷峠の補機運用はEF64のままだった。
- 山形・秋田新幹線直通化による改軌工事に交流電化への切替が加わるため、工期が延びていた。
- 山形・秋田新幹線がまとめて奥羽新幹線としてフル規格で開業していた可能性も否定できない。
- 急行「こまくさ」に165系が投入されていた。
- 東北本線黒磯~福島と磐越西線郡山~喜多方間も直流で電化され、「つばさ」「やまばと」「あいづ」はすべて183系で運行されていた。
- 松川の峠と中山峠と板谷峠と難所が揃い踏みだから189系では?
- 189系と183系の違いはEF63と協調運転ができるかどうかしかないぞ?
- 松川の峠と中山峠と板谷峠と難所が揃い踏みだから189系では?
- 東北新幹線全通の際、青森~新青森に789系が乗り入れられない事が問題になっていた。
- 史実でも検討されていた青森~新青森間のリレー列車が運行されていたかもしれない。
- 「スーパーはつかり」廃止以降E751系は再就職できず廃車になっていた。
- あるいは初めからE653系の番台区分として登場していた。
仙山線
- 作並ー山寺間の電化が仙台、山形へと伸ばされる感じになっていた。
- 駅がもっと増えていた。
- それに伴い快速停車駅も増加していた。
- 仙石線と直通運転されていた。
- その場合、北仙台駅あたりで地下にもぐってあおば通まで繋げていた。
- むしろ愛子以西は全線付け替えになりそう。この場合市営地下鉄東西線は存在しない。
- この場合、特に愛子~苦竹間に愛称として「山形石巻ライン」などがつけられるが、鉄道ファンなどからは「山石線」「岩線」などの別称がつけられる。
- むしろ愛子以西は全線付け替えになりそう。この場合市営地下鉄東西線は存在しない。
- その場合、北仙台駅あたりで地下にもぐってあおば通まで繋げていた。
東北本線(黒磯以北)
- 東北地方の電化路線は直流電化がメインに。場合によっては北海道も。
- 常磐線はいわき辺りにもう1か所交直デッドセクションが設けられた。
- 在来線はこのように直流電化できない事情がある場合のみに交流電化が使用されていた。
- しかし、津軽海峡線は新幹線対策で交流になっていた。
- 常磐線はいわき辺りにもう1か所交直デッドセクションが設けられた。
- 仙台地区にE127系・E129系が導入された。
- それでも多くの地域は115系が主流で、最近になって首都圏から211系が転属して来る予定。
- 115系ではなく客車列車が導入されていて、701系ポジの直流電車を導入、というのも考えられる。
- 客車列車ではなく広島同様に72系が国鉄末期まで現役という事も考えられる。
- 流石に客車列車はない。
- 115系も寒冷地対応の専用番台になっている。
- 417・711・781系と同じMT54AもしくはMT54Eを搭載。
- 東北新幹線開業前なら、上野~(実史上の直流電化された仙石線の終点)石巻間の直通列車が運行されていた。
- 115系ではなく客車列車が導入されていて、701系ポジの直流電車を導入、というのも考えられる。
- 新車の導入が史実ほど進まない。
- 別名「國鐵仙台」
- 「國鐵仙臺」
- 「國鐵廣島」と比較される。
- 別名「國鐵仙台」
- それでも多くの地域は115系が主流で、最近になって首都圏から211系が転属して来る予定。
- ED75は導入されず、現在のED76がED75を名乗る。
- EH500は津軽海峡線次第。
- となるとED79も存在しなかった。
- 上野発の寝台特急はEF65 1000番台が青森まで牽引する(「ゆうづる」は仙台でEF80・EF81と交替)。
- EH500は津軽海峡線次第。
- 583系を直流、近郊化した車両を導入するが民営化すぐに潰される。
- 上記通り115系が投入されていた場合はその可能性は低い。
- 東北本線中電の最遠は郡山。
- 仙石東北ラインは電車で運行されていた。
- 実際に検討されていた首都圏~仙台間の臨時快速列車が運行されていた。列車名は「ムーンライトあおば」辺り。
- 18きっぱーの心強い味方として愛用されるものの2009年ダイヤ改正で臨時化→東北新幹線全通前後で廃止、と言う形になっていた。
- E751系はE653系の番台区分として製造されていた。
- 直流電化された理由は既に直流電化されていた奥羽本線や仙石線や仙山線との兼ね合いの為。
羽越本線(村上以北)
- 架線下DC運転は無かった。
- ただ需要を考えるとE127系がメインで115系は朝夕のみ。
- 史実通り奥羽本線が交流電化だったら、秋田駅では羽越本線のホームも分離されていた。
- 「いなほ」の車両に首都圏から転用された直流車が使われていた。
- その場合、185系もしくは253系か?
- E653系は再就職先が見つからず波動用のまま。
- E653系はデビューしなかったと思う。
- その場合、185系もしくは253系か?
- 「出羽」「鳥海」及び山形新幹線開業以降の「あけぼの」は秋田までEF64が牽引していた。
常磐線(取手以北)
- 地磁気観測所がある関係で交流電化になっているが、実は架線柱の間隔を狭くするなどの対策をすれば直流電化は可能。ただし普通の直流電化や直交流電車の導入と比べるとはるかにコストが高くつくので、交流電化になっているだけ。つくばエクスプレスも然り。
- 内房線も近所に地磁気観測所があるが、上述の方法で全線直流電化を果たしている。
- ここでは現実通り柿岡に地磁気観測所があるという前提で考えます。ない場合は、もし柿岡に地磁気観測所がなかったらをご覧ください。
- モノクラスの15両編成は常磐線から絶滅した。
- 快速取手行きもグリーン車連結に。
- 成田線の常磐線直通区間もグリーン車デビュー。
- デッドセクションがないため快速取手行きは存在せず土浦、水戸まで行ってたのではないか?需要がどこまであるのかにもよるけど。
- そして各駅停車の大半が取手行きになるので天王台は各駅のみの駅になっていた。
- 快速取手行きもグリーン車連結に。
- 史実より早く415系鋼鉄車が絶滅していた。
- 上野東京ラインの直通の主力に。
- 高崎線・宇都宮線系統は湘南新宿ラインもあるので上野折り返しが史実よりも多く設定。常磐線系統は昼間でも毎時4本以上が東海道線の平塚や小田原、熱海まで直通。
- 常磐線の普通と快速という区別が無くなっていた。
- そもそも直交流車として分ける必要がないので、ラインカラーはオレンジ、車体は湘南色だった。
- 高崎線・宇都宮線系統との誤乗を防ぐためにスカ色かもしれない。
- そして沼津や伊東まで直通
- E501系・E531系は存在しない。
- かわりに209系顔の直流近郊形電車があったかもしれない。
- E217系はその車両の番台区分となっていた。
- 史実のE217系がE219系を名乗った場合、209系500番台・1000番台がE303系を名乗っていた可能性がある。
- E217系はその車両の番台区分となっていた。
- かわりに209系顔の直流近郊形電車があったかもしれない。
- 水戸線も直流電化になっていた。
- 同じ理論で関東鉄道常総線も直流電化しているから、103系、E231系の取手発に増結され、品川まで直通運転する。
- 関鉄に直流電化のための資金力なんて無いだろうから史実通り気動車では?
- 寧ろ常磐線の変電所が流用できるので簡単に電化出来た可能性もある(その一例が流鉄)
- 関鉄に直流電化のための資金力なんて無いだろうから史実通り気動車では?
北陸本線
かじやしき | |||
梶屋敷 | |||
● | Kajiyashiki | ● | |
いといがわ Itoigawa |
うらもと Uramoto |
- 関西の新快速は福井まで乗り入れ。
- 雷鳥サンダーバードを食うので、それは無い。
- 湖西線のローカル列車は敦賀発着となっていた。113系が敦賀まで乗り入れていた。
- 永原、近江塩津、敦賀で長時間待たされることも無くなった。
- 北陸特急は281系や283系で運用。
- 国鉄時代は181系や183系だった。
- 東海道新幹線開業後151系→181系が真っ先に雷鳥・しらさぎに転用されたが、その後山陽・九州方面との運用共通化のため485系に置き換えられ、181系は史実通り全車関東に転出。
- 北陸転用時にパーラーカークロ151はクハ181に、ビュフェ車モハシ150もモハ180に改造されていた。
- 向日町の485系はJR化後直流専用に改造され183系となった。
- むしろ183系800番台は登場しなかった(七尾線に交直両用車を投入する必要が無いので)。
- 東海道新幹線開業後151系→181系が真っ先に雷鳥・しらさぎに転用されたが、その後山陽・九州方面との運用共通化のため485系に置き換えられ、181系は史実通り全車関東に転出。
- 急行列車には153系や165系が使用されていた。ただし「立山」の地鉄乗り入れ編成は勾配の関係上165系の限定運用。
- 七尾線直流電化後165系は「能登路」でも運用。
- 北陸線用のサハシ153は寿司コーナーではなく蕎麦コーナーで製造され、サハシ153-50番台となっていた。
- 大阪-青森間の特急「白鳥」はJR化後すぐの1988年3月改正で「雷鳥」と「いなほ」に系統分割されていた。なお、大阪-新潟間の「雷鳥」の金沢での系統分割(「雷鳥」と「北越」に)は史実通り。
- 国鉄時代は181系や183系だった。
- 北陸ローカルは113系や115系で運用。
- 北陸ローカルの新車は125系か223系5000番台。
- 103系食パンを忘れてもらっては困る。
- むしろ103系は72系の後継として富山港線に投入される。車体色はもちろんスカイブルー。
- クモハ123の単行も走るかも。
- むしろ103系は72系の後継として富山港線に投入される。車体色はもちろんスカイブルー。
- サンパチの宝庫になってる悪寒。
- 70系新潟色も糸魚川あたりに足を伸ばしていた。
- EF81形電気機関車や485系・583系電車は登場しなかった。
- 北陸だけが交流というわけではない。関門トンネル九州側の一点で区切られる九州はともかく、東北や茨城などは数箇所で切り替わっているので、そのような地方向けにもその種の交直両用車は絶対必要。
- いや、そういう意味ではなくて、「3電気方式対応の車両が…」と言いたかったのですが…。日本海縦貫貨物列車もEF80の重連運用とかで何とかなるし…(TдT)
- 三電源方式は主目的が「東西へ転属配車させやすくする」なのでやっぱり三電源車は作られた。
- 敦賀かどっかで、交流と直流切り替えるために電気が消えて夜は真っ暗になる。
- 全線直流ならそれは無いのでは?
- いや、そういう意味ではなくて、「3電気方式対応の車両が…」と言いたかったのですが…。日本海縦貫貨物列車もEF80の重連運用とかで何とかなるし…(TдT)
- ED70,ED74,EF70も存在せず、他の交流電気機関車の形式称号が繰り上がる。
- 抑速ブレーキ非装備かつ60Hzのみ対応の交直流急行形電車も存在しない。
- 北陸だけが交流というわけではない。関門トンネル九州側の一点で区切られる九州はともかく、東北や茨城などは数箇所で切り替わっているので、そのような地方向けにもその種の交直両用車は絶対必要。
- 夜行急行「きたぐに」が285系電車で運行されている。
- 逆にずっと客車で電車化がなかった。
- 寝台特急「つるぎ」はスハ25を連結。
- 変電所数は今と違って多い。
- かつての「白山」には189系が投入され、夜行急行「能登」は全区間直流電気機関車牽引による運行。
- 山陽新幹線博多開業で余剰となったサシ481がサシ189に改造されて「白山」に連結される。
- EF62が金沢まで乗り入れていた。
- あるいは急行時代に「白山」が169系化され、1972年以降は同区間の昼行に特急と急行が併存する形になる。
- 寝台特急「北陸」は285系での運行か、全区間直流電気機関車が客車を牽引して運行。
- サンライズきたぐにが走ってるかもね。
- EF58は投入されず、EF64系列かあるいは全く別形式の機関車が投入。
- 或いはEF66だったかも?
- 今の広島地区のような姿になっている。
- 419系がいることを考えるとまだましだったかも。
- 「日本海」「トワイライト」はEF66が新潟までロングラン。効率よく方転しながら機関車交換。新潟にも寄れて一石二鳥。
- 当初は直流電化される予定もあったとの話。
- 大糸線も全線電化されていた。
- この場合、直江津-糸魚川はJR東日本に帰属していた。
- 高山本線の電化も実現していた。
- 富山駅構内に富山港線や富山地方鉄道本線とのデッドセクションが設置されることはなかった。
- 田村駅の構造はもっと単純だった。
- 急行停車駅にはならなかった。それどころか国鉄時代は坂田・河毛同様、区間運転の気動車列車しか停車しなかった。
- 21世紀になった今でも80系が「N60改造」を施されて現役で走っている。
- さすがに分割民営化前に113系が投入されているだろう。
- いや、471系だってつい最近まで現役だった位だから確実にありえるかと。それも300番代のみならず初期型も含めて。
- そもそも耐寒対策を施した史実とは全く異なる直流車が国鉄時代に導入されているはず。
- 新潟と同じく115系の溜まり場かと。JR化後の新車は独自形式だろうが。
- JR化寸前まで飯田線から転属してきた(EF61orEF58牽引の客車列車置き換えの為)戦前型電車が走っていたりして。
- いや、471系だってつい最近まで現役だった位だから確実にありえるかと。それも300番代のみならず初期型も含めて。
- さすがに分割民営化前に113系が投入されているだろう。
- それでもえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインは気動車だった気がする。なぜかというと両運転台構造の電車は高価格だから。
- ET127系では過剰輸送だろう。
- むしろ125系が投入されているのでは。大糸北線も経営分離されていたなら話は別だが。
鹿児島本線
- 必然的にJR九州管内の在来線は全て直流。
- 交流20000V,60Hzでの電化区間は北陸本線内だけになる。
- JR九州のことだから形式名が違うだけでデザインなどは全て忠実と同じ。
- 303系はほぼ変わらず。最も独自設計なのは変わらず。
- 形式名は近郊形は30*系や33*系、特急は…いい形式名が思いつかない。
- 特急は「36*系」とかどうでしょう?
- 観光列車「36ぷらす3」は別の愛称が付けられる。
- JR四国みたいに私鉄風の4桁型番になっていたりして。
- 特急は「36*系」とかどうでしょう?
- 肥薩おれんじ鉄道は115系を導入(というより移管)するが、1両化のため結局後で気動車化することに。
- もしくは下記のように125系のように1両単位で走れる電車を導入していた。
- 関門海峡も当然九州内と共通運用。
- 125系のように1両単位で走れる電車を導入するかもしれない。
- 肥薩おれんじ鉄道がこの電車を導入していたかもしれない。
- 交流電気機関車の形式が2つ減る。
- 国鉄時代は181系の最後の働き場所となっていた。クハ181-1を含む元151系初期車は1982年11月まで活躍し、181系100番台車はJR化後の1980年代末にJR九州初の特急車(史実の783系を直流車にした車両)に置き換えられるまで活躍し続けた。
- 九州直通の寝台特急は熊本までEF66が牽引していた。また、EF58やEF65は西鹿児島まで乗り入れていた。
- 東京〜博多間の「サンライズあさかぜ」が実現していた。
- 白に濃い青帯の九州色は誕生していない。
交流電化だったら
仙石線
育英学園前 | ||||
いくえいがくえんまえ | ||||
榴ヶ岡 | 陸前原ノ町 | |||
Tsutsujigaoka | Ikueigakuen-mae | Rikuzen-Haranomachi |
仙石線は東北地方のJRで唯一の直流電化路線ですが、もし交流電化されていたらどうなっていたかを考える。
- 719系や701系で運用。2007年からE721系でも運用される。
- むしろ常磐線上野口の403系・415系の墓場となる。
- 仙石線に投入された分の元山手線205系は房総地区に投入されていた。
- 現実では山手線205系の転属先に房総地区が挙がっていたが、結局房総地区には投入されなかった。
- 東北・仙山・常磐線の乗り入れを考慮して仙台駅のホームが増えていた。
- これにより新幹線開業までは、583系電車を使用した上野⇔石巻間の夜行急行列車が運行されていた。
- 恐らく、列車名は「石巻(いしのまき)」。
- 相互乗り入れが可能になるので松島の観光客がもう少し増えた。
- 東北線側にも松島海岸駅ができ、仙石線と直通可能になる。快速は仙台-岩切-松島海岸-石巻のルートをとる。
- 史実で2015年から行われるものに近いが、もちろん電車で行われている。
- E721系増備車で運行。
- 史実で2015年から行われるものに近いが、もちろん電車で行われている。
- 仙台空港-石巻というルートが実現される。
- あおば通駅はできなかった。
- 仙台~松島海岸間がほとんど東北本線と被るので、以下のように再編。
- 育英学園前~陸前浜田、松島海岸~石巻の虫食い路線となる。
- 仙台~宮城野原間は地下鉄東西線に移管。すなわち廃止。
- 宮城野原は現行より少し南下。現宮城野原駅を育英学園前に改称し、全国初の地下交直流区間直通運転を開始する。
- 陸前浜田~松島海岸は廃止。東北本線に接続する。
- 仙台~宮城野原間は地下鉄東西線に移管。すなわち廃止。
- 育英学園前~陸前浜田、松島海岸~石巻の虫食い路線となる。
- 72系970番台は登場しないか、または鶴見線、片町線あたりに配属されている。
- 史実でも中間車1両が鶴見線に投入されたことがある。
- 石巻線も仙石線と同時に電化されていたかもしれない。
- 2012年3月の石巻工業高校の選抜出場では、石巻駅から甲子園まで応援列車が運行された。
上越線
- 運用の都合上デットセクションは水上~湯檜曽間に設けられていた。
- 「とき」は483・485系で統一され、181系最後の活躍の地は中央東線になっていた。
- 上越線経由の寝台特急は上野-長岡間もEF81が牽引していた。
- 史実の「あけぼの」がそうであったように冬季の遅延が多発していた。
- 下記同様701系が新潟県内にも入線していた。
- この場合新潟地区は全て交流電化になっていたと思われる。
白新線・羽越本線(新発田~村上)
- 羽越新幹線がミニ新幹線として日の目を見る。
- 在来線は415(531)系電車が必要になる。
- 701系が新潟県内にも入線していた。
常磐線(取手以南)
常磐線の直流電化区間が取手までなのは柿岡にある地磁気観測所の影響なのは周知の事実ですがもし、常磐線が上野まで交流電化だったらを考えてみたいと思います。 (史実を多少無視している可能性がありますが)
- 通勤電車は国鉄101系を交流区間で走れるようにした国鉄701系(史実の701系とは異なる)を製造する。
- 後に出力が向上した国鉄703系が登場する。
- 「青電」の通称は付かなかった。
- むしろ上野発着の電車はすべて近郊型だったのでは。電車特定区間は設定されていただろうけど。
- 我孫子駅には黒磯駅のような交直デッドセクションが設けられている。
- その為、成田線は113系で運用されている。
- 211系の入線を経て、現在は209系を使用中。
- 常磐線ではなく成田線本線の佐倉方面へ乗り入れる。
- その為、成田線は113系で運用されている。
- 千代田線からの直通用に国鉄405系を作り綾瀬-金町間に交直デッドセクションを設ける。
- 千代田線の6000系も同様に交直流電車として製造される。
- あるいは常磐緩行線だけは直流電化されていた可能性がある。この場合成田線と常磐緩行線が直通。
- この状況下で史実どおり千代田線に直通することになった場合、営団も交直流車なんか作りたくなかっただろうし、常磐緩行線は直流電化で建設されていたのでは。
- そうなると、我孫子駅の留置線が交流電化でそのまま我孫子電車区となる。
また、必要に応じて我孫子線を複線化して成田電車区を設ける。 - また、団体列車の都合により、北小金から成田線経由の団体列車を通すために鈍行線が2面3線式のホームになる。
- さらに、183系のような団体列車を比較的スムーズに流せるように柏駅も鈍行線側が2面4線になっている。
- そのため、史実にあるような我孫子寄りの留置線が廃止され、2番線と3番線の間に両渡り線が設置される。
- 逆に、松戸車両センター(旧松戸電車区)は快速線の電車が出入りするのに緩行線を渡る必要がある構造のため、直流電化で緩行線専用になる。
- そうなると、我孫子駅の留置線が交流電化でそのまま我孫子電車区となる。
- この状況下で史実どおり千代田線に直通することになった場合、営団も交直流車なんか作りたくなかっただろうし、常磐緩行線は直流電化で建設されていたのでは。
- ひたち用の電車も冷寒地向け(北海道ほどではない)の781系1000番台が製造される。
- 中電用の電車は国鉄711系(史実と異なる)が製造される。
- ドアは両開き3ドアで4両1編成
- 中間電動車は、後に出力が向上した国鉄713系(史実と異なる)が登場する。
- 水戸線も小山駅構内まで交流電化。
- ED71も常磐線で運用されていた。
- 東北本線黒磯以南や高崎・信越・上越線などが史実どおり直流電化だった場合、上野駅では東北・高崎線と常磐線のホームは完全に分離されていた。
- 成田線我孫子支線は大糸線南小谷~糸魚川間のように非電化区間となっていた。
- その場合、キハ30が使われていた。
- それでも運用の都合で特急、急行列車を中心に交直流車両が導入されていたかもしれない。
- 上野東京ラインに常磐線の列車が乗り入れる事は出来なかった。
- 常磐線の変電所を流用することができなくなるので流鉄の電化が数十年遅れる。
- 下手すりゃモータリゼーションに対抗できず60年代ごろに廃止されていたかもしれない。
信越本線
- 全線電化開業の時点で碓氷峠も交流電化に切り替わっていた。
- EF62・EF63は交流機として製造されていた。
- EF62に当たる形式がEF71を名乗り、EF63に当たる形式がEF72を名乗っていた。史実のEF71はEF73。
- 高崎~横川は直流電化では。
- 189系はもちろん存在しない。
- そこで489系の天下になる。
- しなの鉄道は415系・459系(史実の169系に当たる車両)を導入。
- 気動車では。
- 特急「とき」に483系・485系が導入されていた。
- 篠ノ井-長野間のためだけに381系も交直流形で登場。
- 後に篠ノ井-長野間と宮内-新潟間が直流電化に転換されていた。
- 長野新幹線は軽井沢以西はミニ新幹線になっていた。
中央本線(甲府~多治見)
- 線内に多くの狭小トンネルがあるので掘り直さなければならなかった。
- そのため◇マークの車両はなかった。
- 「あずさ」「しなの」は交直流型電車で運行。
- E351→交直流で多く導入、E257→直流でかいじ専用。
- 急行は松本運転所の475・457系→「アルプス」「こまがね」と間合い「かいじ」、三鷹電車区の165系→大半の「かいじ」と「みのぶ」。
- 飯田線は全列車辰野止まり。
- 長野県の電化路線は交流電化になっていた。(飯田線は除く)
- 周波数のエリアを考えると60Hzになっていた。
- 山梨県内の変電所に周波数変換装置が設けられた。
- 交交セクションを設けるとしたら小淵沢あたりか。
- ローカル列車は当初は471系・475系・417系が導入された。
- 民営化後、313系の交直流型とE531系に置き換え。
- 中央線名古屋口の快速→313系交直流型、普通(と多治見までの快速)→313系。運用の幅は狭まるが。
- E531じゃハイスペックすぎるから、独自設計を導入してもおかしくないかと。
- 場合によって勝田から415系が転属してくる可能性も。
- 民営化後、313系の交直流型とE531系に置き換え。
- 後に直流区間が中津川までに変更される。そっちのほうが運行系統的に自然。
- 一方甲府~大月か高尾は交流に変更された。
東海道本線
- 必然的に日本の鉄道の電化は交流が主体になっていた。
- 山陽本線、中央本線なども交流電化に。
- 一方、ローカル線の電化は進まず、史実以上に非電化路線が多かった。
- 50Hz/60Hzの違いが史実より重要になっている。
- 東海道本線熱海-富士間と北陸本線糸魚川-直江津間はJR東日本になっていた。
- 長野県内は一部を除きJR東海の管轄に。
- =地磁気観測所が東京から移転しなかったらである。
七尾線(津幡~和倉温泉)
- 何も変わってない?
- 使用車両は413系が主に使われていた。
- 電化工事の際に長期間不通を余儀なくされた。
湖西線
- 新快速は京都以東は全て草津方面に向かっていた。
- 線内ローカル列車は415系を使用。
- 但し寒冷地仕様となっている。
- JR西日本に113系改造ではない純正の415系が在籍していた。
- ラッシュ時はJR京都線に乗り入れて大阪駅に直通している。
- さすがに老朽化のため、2010年代に入って521系への置換えが開始される。
- 521系がひょっとしたら新快速として京阪神に…?
- デッドセクションは山科~大津京間に設置されていた。
- 北陸本線の敦賀までの直流化はもちろんなかった。
- その代わり、開業直後からローカル列車は京都~敦賀間で運行されていた。
- 北陸新幹線に移管されるかも。
- ミニ新幹線ってこと?
山陽本線(姫路以西)
- 中国地方の電化路線は交流電化がメインに。
- 285系は交直流に、381系も国鉄のことだから交直流にするだろう。
- 車両は黄色に塗られた415系・475系が走っている。
- 最近になって広島支社内に521系の導入が決定。
- 広島地区限定なら直流は不要だから、多分交流専用。
- アーバンネットワークの車両を転用という手が使えなくなるのでもっと早く導入しているかも。
- 最近になって広島支社内に521系の導入が決定。
- それでも関門トンネルは直流電化のまま。
- 或いは新トンネルに掘り直した。
- その場合現在でも九州との直通列車が多く残っていた。
- 新快速は全て姫路折り返し。
- 2000年代に新快速運転区間を延長するため姫路~播州赤穂間が直流電化に変更される。
- 網干に京阪神地区を担当する車両基地が設置されることはなかった。
瀬戸大橋線
- 茶屋町駅あたりにデットセクションが設けられていた。
- JR化後に児島辺りに移転していた。
- 交流なので新幹線乗り入れが現実味を帯びるが結局進展しない。
- 415系800番台が瀬戸大橋線に導入されていた。
- むしろステンレス車体の415系1000番台が新製投入されたのでは?塩害の影響もあるだろうし。
- 四国内の電化路線も交流電化になっていただろうか?
伯備線・山陰本線(米子~出雲市)
- 中国横断新幹線がミニ新幹線として日の目を見る。
- よって、岡山での煩わしい乗換が解消される。
- しかし岡山都市圏においては、交直流電車を配置しなければならなくなる。
内房線
- 君津市の鹿野山に国土地理院の観測所があるが、直直デッドセクションによって全線直流電化になっている。もしこの路線が常磐北線同様、一部が交流で建設されていたら。
- 直交流電車が内房線内を走っていた。
- 直交流電車の費用の関係で、内房線経由の列車は千葉・東京止まりになっていたかも。
- その代わり外房線・総武線・成田線経由の快速が増えていた。
- 交流圏を20km圏内とすると、袖ヶ浦~岩井間が影響圏になる。
- ちなみに常磐線同様30~40kmにした場合、下手したら横浜市街地も影響圏になってしまう。
- デッドセクションは南は館山、北は袖ヶ浦か、系統上境目になる姉ヶ崎に置かれていたかも。
- そうなると、外房線は館山まで直通していたかも。
- 外房線も巻き添えを食らいそう。
- そもそも運用の都合上房総半島の殆どの路線が交流電化で建設されている気がする。
- 少なくとも内房線・外房線・東金線は全て交流電化だった。成田線と総武本線はかなり微妙。
- 千葉駅は最近まで黒磯方式が使われていた。
- ただしこのままでは車両基地の都合上交直流型を投入せざるを得ないので、電化に合わせて木更津辺りに車両基地が建設されていたかもしれない。
- そして動労千葉の妨害もあって715系や717系が最近まで現役だった。
- どちらにしろデッドセクションの移設で総武・成田・鹿島線共々E531系に置き換わる。
- 成田線が交流だった場合、我孫子支線を巻き込み常磐線も我孫子から先が交流になっていたと思われる。
- 直流車両が入線できないため初詣臨時列車の本数が大幅に減る。
- 少なくとも内房線・外房線・東金線は全て交流電化だった。成田線と総武本線はかなり微妙。
- 房総特急には483・485系が投入され、183系の開発は暫く遅れていた。
- 255系の代わりにE653系が数年早く投入されていた?
- 京葉線には205系をベースとした交直流対応車両が開業当時から投入されていた。
- 総武快速線もどこかのタイミングで415系に置き換わっているはず。
- E131系は登場せず、房総ローカル末端は架線下DCに格下げ。
- キハE130系が追加投入され、久留里線と共通運用が組まれていた。
別の時期に電化されていたら
相模線
- 1940年代
- 相鉄の手に残り続けていたらこの年代には実現していたかもしれない。
- 神中線沿線の宅地開発が進むにつれて中古車のたまり場になっていた。現在の車両は7000系が中心。
- ただし6両化はとっくに済んでいる。下手すりゃ8両化も行われている。
- 1970年代
- 新車ではなく101系か103系のお下がりが入る。
- 仙石線みたいに72系のアコモ改善車を入れられたかもしれない。
- ラインカラーはスカイブルーかエメラルドグリーン。
- 横浜線に混色車があったので、おそらくスカイブルーにはならないと思われる。
- 電化当時は東京西局管内だったので豊田電車区配置の101系3連・103系3連・103系4連が使用された。
- 2004年頃に山手線から転属の205系に置き換えられる。
- おそらく先頭車化改造車だった。
- 1980年代
- おそらく川越線の電化と同じ年(1985年)に実施されていた。
- 103系電車が運行されていた。
- 205系500番台電車の登場は史実通り。
- ↑で他線の老朽103系の一部を置き換えた。
- 電化当時の管理局の関係で、豊田電車区配置の103系4連が、青梅・五日市線と共通運用された。
- 205系500番台電車の登場は史実通り。
- 2000年
- 全国初の全線電化都道府県は東京で、神奈川は2番目だった。
- 電化直後に導入されたのは209系。
- 史実の205系500番台のように前面がオリジナルになっていたかもしれない。
- 2010年以降にE233系に置き換えられた。
- 2004年
- 電化直後に導入されたのは山手線から転属した205系と、E231系。
- 横浜線との直通運転はなかったかもしれない。
八高線(八王子~高麗川)
- 1985年
- 川越線とともに電化された。
- 東京が神奈川を抑えて全国初の全線電化都道府県になっていた。
- いや、実際には奈良県の方が全線電化は早い(1984年)。国鉄→JRの路線延長が短いということもあるが。
- 103系3000番台は最初から4両編成だった。
- 2000年
- 電化直後に導入されたのは209系。
- 103系や205系の導入はなかった。
- 2010年以降にE233系に置き換えられた。
- 2005年
- 電化直後に導入されたのは205系3000番台で、山手線からの転属車。
- E231系の八高線用車両も導入。
- 中央線との直通運転はなかった。
- 1970年代
- 「東京都内の旅客線全線電化」を早期に達成させるため、とされる。川越線も同時期に電化される。
- 80年頃まで旧型国電の溜まり場だった。中央線との乗り入れは90年頃までない。
- 豊田区のクモハ40と72系4連と101・103系3・4・5連が運用されたと思われる。
- 川越線も同時期に電化された関係で、クモハ40と72系の1+4連、72系の4+4連を見ることができた(朝夕のラッシュ時間帯)。
- 新性能化後、103系の3+3連、3+4連、4+4連、5+3連を見ることができた(同上)。
- 川越線の103系の連結運用は、埼京線と川越線の直通運転が開始されるまで続いた。
- 豊田区のクモハ40と72系4連と101・103系3・4・5連が運用されたと思われる。
両毛線(小山~前橋)
- 1996年
- 八高南線とともに電化された。
- 電化直後に導入されたのは211系。
- 107系や115系の導入はなかった。
- 八高線高麗川~倉賀野の電化も実現していたかもしれない。
- 水戸線との直通は同線の電車化が完了した時点で打ち切られた。
関西本線
- 1890年代
- キハ35は投入されず。
- 旧型国電が1980年代まで走っていた。
- 113系春日色は無し。いきなり221系が投入される。
- 70系に阪和線用と別の塗装が存在した。
- 高規格化できれば近鉄と太刀打ちできたかも(かすが存続は東海もあるため難しいが大和路快速を伊賀上野か柘植まで伸ばすなら…)。
奈良線
- 桜井・和歌山線(王寺~五条)電化と同時期(1980年3月)だったら
- 105系が投入されることはなかった。
- 電化当初に投入されたのは春日色の113系。場合によっては現実よりも遅くまで残っていた。
- 現在は普通も含め221系への置き換えが進んでいる。よって103系の出る幕はなし。
- いや、運行上関西本線(大和路線)と一体化されるために103系電車は運用されていた。
- 現実とは逆に桜井・和歌山線全線の電化が1984年10月にずれ込んでいたかも。
- むしろ、合理化のために桜井線・和歌山線の電化も同時に行われていた可能性もあり得る。その時は、史実通りに105系電車が投入されていた。
- もしかしたら草津線の電化が史実よりも早まっていたか遅れていた。
- その分、複線化も史実より早まっていた。
- 快速の運行も史実よりも早まっていた。(史実では、1991年に運行が開始された。)
- 近鉄は対抗策として、京都市営地下鉄烏丸線への乗り入れ列車の増加などに力を入れていた。
- 1990年代に京都~JR藤森間、宇治~新田間が複線化されて、2000年代にJR藤森~宇治間、新田~城陽間、山城多賀~玉水間が複線化されていた。
- 奈良電車区の開設の開設が早まった。
- 「天ナラ」表記の101系を見ることができたかも。
- 1973年
- 同年10月に、関西本線湊町-木津間も同時に電化された。
- 奈良電車区もその前に開設された。
- 「天ナラ」表記の101系を見ることができた。
- 京都-奈良間の普通運用に113系が使用された。
- 一部列車は103系に置き換わるまで、101系で運行されていた。
- 105系電車が導入されることはなかった。
- 2010年までに京都~木津間が全線複線化された。
- 1976~1979年頃
- 関西本線奈良~木津間も同時に電化された。
- 奈良電車区の開設が早まった。
- 「天ナラ」表記の101系を見ることができた。
- 奈良区への103系投入開始が、このタイミングかも。
- 京都~奈良間の普通運用に、当初113・101・103系が使用された。
加古川線・播但線
- 奈良線・和歌山線電化と同時期(1984年10月)だったら
- 種車に103系1200番台が用いられる。
- 103系ではなく105系として投入されていた。
- そのために、中央線~地下鉄東西線系統(三鷹区)に203系が投入される。
- 高砂線・鍛冶屋線・飾磨港支線は加古川線・播但線電化と同時に廃止されていた。
伯備線
- 1972年
- 381系登場前や余剰ということもあり181系が「やくも」に使用される。
- 益田発着の列車は存在しなかった。
- 急行「伯耆」に165系が投入されていた。
- EF64形0番台の製造両数はもっと多かった。
- 山陰本線伯耆大山-出雲市間と大社線も同時に電化。西出雲ではなく大社線内に電車区が建設された。出雲市以東発着の優等列車の殆どが大社まで運転される。大社線は勿論現存。
- 「大社発着の優等列車が存続」という事?
長崎本線・佐世保線
- 予定通りに1975年に電化されていたら
- 長崎本線・佐世保線の利便性が良くなっていた。
- 一時的に昼行特急が0になることはなかった。
- 485系電車で余剰になっていた37両はそのまま南福岡電車区に配備され、秋田運転区に転属されることはなかった。
- 485系1000番台が史実より早く登場していた。
札沼線(桑園~北海道医療大学)
- 1990年代
- 721系電車or731系電車が史実よりも多く増備されていた。
- 733系電車と725系電車の登場は史実通り。
- 沿線にある札幌市北区と当別町における沿線開発が史実よりも進み、人口も史実よりも多くなっていた。
- 八軒~あいの里教育大間の複線化が電化された後に実施されていたかもしれない。
- 2001年
- 前年3月の八軒~あいの里教育大間の複線化完了、同年10月のあいの里公園~石狩太美間の石狩川橋梁の架け替え完了を機に、電化された。
- 721系と731系の製作数が史実よりも多かった。
- 桑園~北海道医療大学間は、現実よりも高速運転できるように改良された。
- キハ201系とキハ40 400は登場しなかったかもしれない。その代わりに、キハ150-0が20両程多く製作された。
- キハ400の多くとキハ480は、一般車に再改造されなかった。
- 沿線の札幌市北区と当別町の沿線開発が史実以上に進み、人口の増加ペースが早まった。
福知山線(塚口~宝塚)
- 1970年代
- 国鉄103系電車が史実よりも多く増備されていた。
- 201系電車が登場した時に103系電車は淘汰されていた。
- 1981年頃に宝塚~新三田間が電化されていた。
- 無論、路線改良も史実よりも早く行われていた。
- 阪急は対抗して、宝塚線に特急が運行されていた。
- 神戸三田国際公園都市・北摂三田ニュータウンの開発が史実よりも早く進み、三田市の人口も史実よりも多くなっていた。
- 神鉄三田線の複線化や公園都市線の建設も史実よりも早く行われ、利用客も増加していた。ひいては北神急行電鉄も史実よりも早く開業している。
- それでも尼崎港線は史実と同時期に廃止されていた。
- JR東西線の開通が早まっていた。
片町線(木津~長尾)
- 国鉄時代
- 恐らく1979年10月に四条畷~長尾の複線化と同時に行われていた。
- 快速運転も史実よりも早く開始されていた。
- 但し途中駅での分割併合はなく、電化当初から7~8両編成で木津まで乗り入れていた。
- 京田辺市の人口増加のペースも現実よりも早く、1980年代のうちに市制施行していた。
- 松井山手のニュータウン開発も史実よりも早く行われていた。
- 関西文化学術研究都市も。
- 松井山手のニュータウン開発も史実よりも早く行われていた。
- JR東西線の開通も史実より早まり、鶴見緑地で花博が開催された1990年3月に開通していた。
- 207系の登場も早まっていた。
- 国鉄末期から量産車が製造されたかも。88年までに製造された車両は900番代ベースで登場。帯は福知山線に合わせて黄色(大阪環状線・東海道線との誤乗車防止)。
- 207系の登場も早まっていた。
- 京阪特急の途中駅停車が現実よりも早まっていた。
武豊線
- 1990年代
- 遅くても1999年に電化開業していた。
- 113系電車と117系電車と211系電車と213系電車も乗り入れていた。
- 313系電車が史実よりも多く増備されていた。
- 2000年代
- キハ25形気動車が投入されることはなかった。
- 1985年
- 線内の折り返し運行には、113系電車、165系電車が使用されていた。
- 213系電車が増備されて、使用されていた。
舞鶴線
- 1996年
- 山陰本線(福知山~園部)の電化と同時に行われていた。
- 特急「まいづる」も史実よりも早く運行が開始されていた。
草津線
- 1984年10月
- 桜井線・和歌山線(五条~和歌山)・紀勢本線(和歌山~和歌山市)と同時に電化されていた。
- 113系2700番台は登場しなかった。
- 当時の国鉄の財政状態から、車両は他の地域で余剰となった車両を捻出して充当された。
- 信楽線や関西本線亀山方面への直通は史実よりも遅くまで残っていた。
- 1970年代
- 湖西線の開業を機に電化していた。
- 遅くても、1978年までに電化が完成していた。
- 113系700番代の製作数が現実より多かった。
- 関西線柘植~亀山間の電化計画が出るが実現しなかった。
予讃線(高松~伊予市)
- 1988年
- 瀬戸大橋の開業と同時に開業していた。
- 寝台特急「瀬戸」が松山までに乗り入れていたかもしれない。
- 1990年
- 11月頃に電化が完成していた。
- 8000系電車の登場が史実よりも早まっていた。
- 8600系電車の登場は史実通り。
- 1993年3月に伊予市~宇和島間が電化されていた。(内子線も含む。)
- その場合、2000系気動車は予讃線で運用されることはなかった。
- 宇和島行きのしおかぜといしづちが2020年3月までに運行されていた。
- 8600系電車の増備により、宇和海として分離されていたか。
- 松山駅付近の高架化事業が史実よりも早まっていた。
- 松山運転所の移転と北伊予駅の開業も史実よりも早まっていた。
千歳線・室蘭本線(沼ノ端~室蘭)
- 1970年代
- 国鉄711系電車が史実よりも多く製造されていた。
- 札幌~室蘭間を結ぶ急行「ちとせ」が電車化されていた。
- 1980年10月には、函館本線(函館~長万部)・室蘭本線(長万部~東室蘭)の電化が実現していた。
- 函館~札幌間を結ぶ特急「北斗」は781系電車で運行されていた。
- のちに、785系電車と789系電車で運行されていた。
- 遅くても、1988年頃までに実現していた。
- 函館~札幌間を結ぶ特急「北斗」は781系電車で運行されていた。
- JR北海道の経営は史実よりもマシになっていたであろうか?
篠栗線・筑豊本線(桂川~折尾)
- 1980年代
- 普通・快速列車は713系電車か717系電車で運行されていた。
- 朝夕ラッシュ時に415系電車が運行されていた。
- 817系電車の登場は史実通り。
- 2001年には、篠栗線の吉塚~篠栗間が複線化されていた。
- 特急「かいおう」の運行が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 1990年代
- 1990年に行われた「とび梅国体」の開催に合わせ電化した。811系の製造数が多い。その代わりキハ200の製造数が少ない。
- 篠栗線沿線の開発が現実以上に進行していた。
和田岬線
- 国鉄時代
史実では、2001年7月に完成しました。
- 101系電車が運行されていた。
- 神戸市営地下鉄海岸線が史実通りに開業したとしても、存続問題が起こることは決してなかった。
- もしかするとホームが7両対応になり、京阪神緩行線と完全に共通運用になったかも。
- 201・205・207・321系も登場時から和田岬線に入る。
豊肥本線(熊本~肥後大津)
- 1998年までに電化されていたら
- 815系電車の登場が史実よりも早まっていた。
- 1990年代に製作された車両は、ステンレス車体だった。
- 1994年までに電化されていたら、特急「有明」がこの年で水前寺駅乗り入れが中止になることはなく、肥後大津駅までに乗り入れるのが史実よりも早まっていた。
- しかし、工事の都合上で、水前寺駅乗り入れが一時的に中止していたかもしれない。
- 1998年までに開業した場合、工事で1994年頃に乗り入れを中断していたが、その分、中断した期間が短くなっていた。
- 光の森駅は、1999年のくまもと未来国体に合わせて開業する。
- 475・457系電車が当路線を走行していたかもしれない。
山陰本線(京都~園部)
- 1976年
- 湖西線の開業と、同年10月の京都口の高架化を機に、電化された。
- 当初、113系700番代が使用された。
- 嵯峨~馬堀間は同時に新線に切り替わった。
- 嵯峨野観光鉄道は存在しなかった。
- 園部~城崎間は国鉄時代に電化された。
- 1980年代前半
- 113系2700番代が、現実以上に製造された。
- 嵯峨~馬堀間は同時に新線に移行した。
- 京都~嵯峨間の複線化が早まった。
- 京都~園部間の複線化が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 1988年
- 同年の京都国体開催を機に、電化された。
- 嵯峨~馬堀間の新線移行が1年早まっていた。
- 221系のデビューが1年早まった。
- 民営化されてから1年しか経っていない年に登場するのは怪しいものがあるが…
- むしろ111系電車を改造した113系電車が投入されていた。
- 223系電車or221系電車がさらに増備されて、117系電車の投入が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 京都~園部間の複線化が2008年までに完成していた。
- 嵯峨野観光鉄道が1年程早く開業していた。
- 「嵯峨野線」の愛称が使用開始されるのと同時に行われた形になっていた。
七尾線
- 1970年代
- 急行「ゆのくに」の七尾線直通列車が電車化された。
- 1984-1985年にクモハ485が向日町にも配置され、急行「ゆのくに」「立山」が特急化の上(3両)、特急「雷鳥」と併結運転(同時に「ゆのくに」「立山」と併結する「雷鳥」は9両化)となった。
- 1980年代から413・419・457・471・473・475系が北陸本線と共通運用となった。
- かつては福井以遠に直通する列車も存在していた。