もしあの駅が別の年に開業していたら
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もしあの駅が別の年に開業していたら 目次 | ||||||||||||||||||
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北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千 葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
- 特定の路線のみの場合はそれを明記すること。
分割済み
北海道
東根室駅
- 1921年
- 根室本線全通と同時に開業。
- 木造平屋建ての駅舎が建設されていた。
- おそらく開業当初のものは根室空襲で焼失している。
- 根室拓殖鉄道の起点になった可能性あり。
- 根室駅は一度も日本最東端の駅になったことがない。
南千歳駅
- 1926年
- 駅名は「柏台」か。
- 駅周辺にある程度の市街地が形成されていた。
- この場合だと駅と同じ年に開業したことになる飛行場の街としても繁栄していた。
- 正式な空港駅化が10年くらい早まっていた。
- 新千歳空港駅完成に伴い開業当初の名前に戻っている。
- 1970年代前半
- 「札幌五輪に備えて1971年下半期に開業」というのが一番現実的か。
- 当初は優等列車はあまり停車していなかった。
- 国鉄は空港駅設置にもう少し積極的だった。
青森
新青森駅
- 1894年
- もちろん「石江」駅として開業している。
- 新幹線がここを通ることになって初めて「新青森」に改称された。
- 隣の津軽新城駅と似たような駅舎が建っていた。
- 停まるのはずっと普通列車だけだった。
- 2010年
- 在来線のホームは現実より多かった。
- 三内丸山遺跡の近くということで建設前に縄文遺跡の発掘調査が行われた。
- 他の点についてはあまり現実と変わらない気がする。
秋田
泉外旭川駅
- 平成期
- 2006年頃から駅を設置する計画がありました。
- 駅名が「羽後いずみ」駅になっていたかもしれない。
- 無論、駅周辺の整備も史実よりも進んでいた。
- ブルートレインや特急の撮影ポイントとして鉄道ファンの間で賑わっていた。
宮城
石巻あゆみ野駅
- 2010年以前
- 東日本大震災が起こる前でも、新駅を設置する構想がありました。
- 駅名は「柳の目」駅になっていた。
- 快速列車は停車していた。
福島
Jヴィレッジ駅
- 国鉄時代
- 当初は信号所として開設→後に駅に昇格する形になっていたかもしれない。
- 少なくともホーム構造がV字型にはなっていない。
- 木造の駅舎が建っていた。
- 1921年以降の開業の場合、駅名は「磐城岩沢」になっていた。
- Jヴィレッジ建設時に東電の出資により大規模な駅舎が建設される。
- 1997年
- 駅名は史実通りか。
- 早期にアクセスが改善するのでTEPCOマリーゼ以外の試合も多く開催されていた。
- 「日本初のアルファベット入り駅名」「斬新な駅名」として,京浜急行久里浜線・野比駅→YRP野比駅への改称よりも早かったので,開業時大いに注目された。Jヴィレッジで試合が開催する日は,試合時間に合わせて「スーパーひたち」の停車・「スーパーひたち」のいわき→Jヴィレッジ間延長運転(竜田まで回送)を行う。駅のホームは,20m車11両編成が止まれる長さに。
茨城
ひたち野うしく駅
- 1960年代後半
- 筑波研究学園都市の最寄り駅として建設された。
- 駅前にはバスターミナルも整備された。
- バスターミナルがない側はかなり後まで田畑しかないような状態だった。
- 駅前にはバスターミナルも整備された。
- 駅名が「研究学園都市入口」といったようにやたらと長かった。
- 80年代以降にこの駅から研究学園都市までの軌道系交通機関の建設構想が出る。
- 1985年
- こちらも参照。
- 万博中央駅を名前だけ変えてそのまま転用している。
- そのため万博中央駅は最初から恒久設置を想定した設備で作られていた。
- 2面3線だったかもしれない。
- そのため万博中央駅は最初から恒久設置を想定した設備で作られていた。
- バブル期には駅周辺が開発の波に巻き込まれた。
- 駅名は「北牛久」駅になっていた。
- 民営化後に改称されていた。
- 万博閉幕まで「みどりの窓口」が設置された。平以南発着「ひたち」の多くが止まったと思われる。LED式発車標が開業から設置される。
- 特急の停車は東京からの研究学園都市のアクセスを考え,午前の下りと午後の上りだと思う。
- 閉幕後も折り返し設備がある場合,当駅発着の中電が多い。
- 駅の西側バスターミナルは,万博閉幕後大幅に縮小されて存続。つくばセンターなど,研究学園都市方面へのバスが多く発着。
- 4.の特急停車もあり,研究学園都市の最寄駅に。万博輸送で使用された連接バスが幾らか京成系列の会社に譲渡される。
- 筑波鉄道の代替バスと,(1990年頃に)鹿島鉄道を廃止し,その代替バスの両方で運用する事が検討される。
- 当駅-研究学園都市を結ぶ一部の便(混雑時間帯)にも連節バスが運用されたかも。2010年頃に新都心幕張線用連節バスの中古車に置き換え。(上手く進めば)現実より早く,日本に連接バスが普及するかも。
- 鹿島鉄道の廃止は百里基地への燃料輸送が全廃してから。京成系列の会社の竜ヶ崎線を廃止の上,代替バスに連節バスを運用する案も出る(京成系列の会社の業績が良ければ,単独で連節バスの自社発注を行ったかも)。
- 関東鉄道への連節バス導入は京成が消極的だろう。
- 4.の特急停車もあり,研究学園都市の最寄駅に。万博輸送で使用された連接バスが幾らか京成系列の会社に譲渡される。
- 「HOSHIMARUアッ!」がこの駅の発車メロディーになっていた。
古河駅
- 1950年代
- 恐らく開業時期は史実の1953年の東口開設。
- 東口も西口もどちらもある。
栃木
東武ワールドスクウェア駅
史実では、2017年7月に開業。
- 1993年
- 東武ワールドスクウェアのオープンを機に、開業していた。
- 無論、日中の特急は全て停車していた。
- 東武ワールドスクウェアへのアクセスが大きく改善し、入場者も史実よりも多くなっていた。
- 小佐越駅の移転扱いになっていたかも。
- 駅舎がどこか海外の駅を模したような形状に。
- アムステルダム中央駅かセント・パンクラス駅(ロンドン)あたりが有力候補。
- 2000年代
- 2006年3月のダイヤ改正か2009年6月のダイヤ改正で全ての特急列車が停車していた。
- 2012年
- 東京スカイツリーの開業と東武ワールドスクウェアのリニューアルと同時に開業した形であった。
- 2017年4月のダイヤ改正で全ての特急列車が停車していた。
群馬
板倉東洋大前駅
- 1929年
- 東武日光線杉戸(→東武動物公園)~新鹿沼間開業と同時に設置。
- 当初「板倉」を名乗るが、東洋大板倉キャンパスの開設と共に現在の駅名に。
- 板倉ニュータウンの計画は史実より早い時期に出たかも。
埼玉
大宮駅
- 1883年
- 日本鉄道開業と合わせて開業。
- 大宮vs浦和の結末が少し変わっていた?
- 開業よりも東北本線の分岐駅になるかが重要なのであまり関係がない。
- 当時の大宮の人々が「駅ができてよかった」と安心しきってしまい街の発展速度が遅くなった恐れもある。
- 現在白井助七(駅完成当時の大宮町長)を知る人は皆無に等しい。
川口駅
- 1880年代
- 東北本線が停車していたかどうか…。
- 長距離の需要はあまりなさそうなので停車していない気がする。
- 実際に1884年に川口駅旅客営業しているが、これはあくまでも貨物駅なので…。
- 1980年代
- 史実の西川口駅が大戦前に「川口駅」と名乗って開業していた。
- この駅は「中川口」とでも名乗っていた。
さいたま新都心駅
- 1900年代
- 南大宮駅として開業していた。
- 与野駅は史実とあまり変わらない。
- 当初はもっぱら鉄道員やその家族だけが利用する駅だった。
西大宮駅
- 1940年代
- 西大宮駅ではなく宮前駅として開業していたか…?
- 駅舎は日進駅・指扇駅の旧駅舎・南古谷駅と同じ物。
- 西大宮駅周辺の開発も進んでいただろう。
- 1960年代
この頃から地元住民が旧大宮市に要望していた。
- 駅名は西大宮駅になっていたか怪しい。
- 駅舎はどうなっていただろうが…?
- 電化時にこの駅まで複線化が行われた。
南浦和駅
- 1930年代
- 北浦和駅と同様近隣住民の請願によって建設された可能性が高い。
- 武蔵野線の貨物列車時代は南浦和駅は何かセットになっていた?
- 1973年
- 開業まで浦和電車区への出入区は浦和駅から行っていた。
- 京浜東北線と武蔵野線のホームはやや離れている。
本庄早稲田駅
- 1982年
- 駅名は普通に「新本庄」だった。
- 現在の駅の住所も「新本庄」になっていた。
- ふるさとチャイムは本庄祭りの囃子。
- 停車するのは「とき」のみ。
- 後に「たにがわ」に変更されるのは史実通り。
- バブル期には東京の会社に勤めるサラリーマン向けの宅地開発が駅周辺で行われた。
- 安中榛名同様上手く行っていない気がしなくもない。あっちと違ってまだ大宮や東京に近いからまだマシだとは思うけど。
- 下手したら本庄市も昼夜人口比が100を切っていたかもしれない。そしたら埼玉にはあれだけの市がありながら昼夜人口比100を超える市が0になっていた。
- 2010年代
- 駅名は史実と同じ?
- 北陸新幹線の対策ではないかと噂される。
- 史実とあまり変わらなさそう。
- 早稲田大学が億単位で金を出したことに対し「もっと学生のためになることに使え」などと批判する人が出ていた。
宮原駅
- 1908年
- 当初は「加茂宮」という駅名になっていた。
- そのうち史実の駅名に改名されていただろう。
- なので、ニューシャトルの「加茂宮」は史実。
- そのうち史実の駅名に改名されていただろう。
- 日進駅は史実ほど発展していないかも。
北上尾駅
- 1970年代
- 北上尾駅は上尾事件のイメージが強くなっていた。
- 北上尾駅でも何らか影響があった。
- 2000年代後半
- それ以前にみなみ北本駅は実現…していないか。
- 史実以上に圧力をかけて開業する可能性があったかも。
- 北宮原駅は…微妙か。
みなみ寄居駅
史実では、2020年10月に開業予定。
- 昭和期
- 「大字富田」駅になっていた。
- 「武蔵富田」の可能性も。
- 駅名に「大字」を入れた例など聞いたことがない。
- 磯村建設が駅前で大規模な住宅開発を行った。
- 小川町以遠から東京に向かう通勤客から、寄居まで10両運転(途中駅での分割・併合なし)を行う要望が多くなる。
- 駅名が寄居とは縁もゆかりもないネーミングになっていた。
- 本田技研の工場は寄居に建設されなかった。
- 平成期
- 2013年3月か2016年3月のダイヤ改正の時に開業していた。
- 1990年頃に開業していたら、駅前で大規模な住宅開発が行われた。
- ホームが20m車6両分あった。
東京
東京駅
- 1872年
- 東京駅ではなく丸ノ内駅として開業していた。
- 当時の地名は「永楽町」だったのでこちらが採用されていたかもしれない。
- 東海道本線開通当時は丸ノ内駅~横浜駅(現:桜木町駅)となっていた。
- 東京市中心部でもあり、かなり便利になっていただろう。
- 史実では「監獄があった」「一面の野原だった」などという話が伝えられているような場所なので開発にかなり時間がかかっていたと思われる。
- お雇い外国人を総動員して大規模な都市計画(日本版パリ改造)を行う。
- 史実では「監獄があった」「一面の野原だった」などという話が伝えられているような場所なので開発にかなり時間がかかっていたと思われる。
- おそらく最初から全国規模の鉄道網の起点となることを考慮に入れた決定。
- 上野は原宿レベルの中間駅に過ぎなかった。
- 新橋・飯田町は開業当初から貨物駅。
- 総武本線は高架線で東京駅に伸びており、両国駅の頭端式ホームは存在しなかった。
- 遅くても東海道新幹線開業時には「東京」に改名していたと思われる。
- 「新大阪発丸ノ内行「ひかり」」なんて書かれても東京側が都市名ではないから不釣合いだし。
- この場合は「東京側の新幹線のターミナルを「東京駅」とする」という事になっていただろうから、他の候補地が選ばれていた場合はそこが東京駅になっていた。
浜松町駅
- 1960年代
- 浜松町駅は東京モノレールのために開業した駅となっていた。
- しかし東京モノレールが新橋駅出来ていた場合は別の話に。
- 東京港の開発のあり方が史実とかなり異なっていたら本当にこうなっていたかもしれない。
- 竹芝や芝浦といった桟橋へのアクセスが開業の主な目的だったらしい。
- 伊豆諸島の航路は品川辺りから出ているのか。
- 竹芝や芝浦といった桟橋へのアクセスが開業の主な目的だったらしい。
溜池山王駅
- 1938年
- 現実より深い位置にできている。
- もちろんコンコースの方がホームより上にある。
- 合成駅名にはならなかった。
- 都電の停留所と同じ「溜池」か「山王下」になっていた。
- 首相官邸が近いため太平洋戦争の際には文書の保管などに使われた。
- 後に東京地下秘密路線説の状況証拠として使われた。
池袋駅
- 1885年
- 巣鴨村は「西巣鴨町」にはならず、「池袋町」を名乗っていた。
- 東京市編入後の区名も「豊島区」ではなく「池袋区」になっていた。
- 巣鴨刑務所(→巣鴨拘置所)は別の場所にできていた。
- よってサンシャインシティは誕生しなかった可能性が高い。
高輪ゲートウェイ駅
- 国鉄時代
- 幕張本郷駅みたく近くの車両基地に通勤するためにつくられていた。
- 東京機関区や田町電車区の一般公開が増えていた。
- 山手線だけホームが設置されていたかもしれない。
- もう少しまともな駅名になっていた。
- もめごとが起きる前となり、泉岳寺駅の名称が堂々と使われる。
- 都営浅草線泉岳寺延長と同時期(1968年)の場合、西日暮里駅より先に開業している。
- もちろん浅草線との乗り換えを考慮した駅舎設計がされる。
品川駅(東海道新幹線)
- 1964年
- 現実では設定されていない日中の品川始発や品川終着の列車が存在したかもしれない。
- 団体列車は品川発着になっていたかもしれない。
- 東海道線の在来線特急列車の全て品川に停車していたかもしれない。
- それでも開業当初の「ひかり」は停車しなかった。
- 新横浜同様に76年7月のダイヤ改正で初めて「ひかり」の停車駅に追加された。
- 1970年
- 同年の3月ダイヤ改正と同時に開業した。
- 東海道新幹線の輸送力増強が、品川駅新幹線ホーム設置の目的の一つだった。
- 日中の半数の「こだま」が当駅折り返しだったかもしれない。
- (当時)近い将来の東北方面への新幹線延伸に備え、東京方へも営業運転で折り返しができる構造に。
- 2027年
- リニア中央新幹線と同時に開業。
- おそらく駅設置に関してあるていどJR東日本と揉めていた。
虎ノ門ヒルズ駅
- 昭和期
- 駅名が「虎ノ門一丁目」駅になっていた。
- 虎ノ門ヒルズがバブル期に完成していた。
- 当時は道路の上に建物を建てることが禁止されていたので環二通りの計画が史実と変わっている。
- 銀座線との連絡運輸は現実と同じ時期に実施。
- 平成期
- 虎ノ門・新橋エリアにおける開発計画と同時に駅設置計画が進められていた。
- 虎ノ門ヒルズの開業が史実よりも早まっていたか駅開業が虎ノ門ヒルズの開業と時期が重なっていた。
- 2020年末までには、森ビルによる開発が完成していた。
神奈川
新横浜駅
- 昭和10年代
- 東淀川駅のように弾丸列車計画を見越して開業した。
- 駅名は「武蔵篠原」。
- 新幹線開業までは粗末な木造駅舎だった。
- 横浜線の複線化が早まった。
- 弾丸列車の用地も開業前から確保される。神中鉄道と東京横浜電鉄が当駅乗り入れ・相互直通を画策する。
- 周辺一帯が東急と西武で土地の買い占め合戦が行われ、「横浜戦争」とのちに言われた。
- 1990年代以降
- 横浜市内の新幹線駅は別の所に出来ている。
- 武蔵小杉とかになるなんてことはないだろう。
- 弾丸列車計画の通り菊名駅に設置されていた。
- まあ、この場合でも「武蔵篠原」と名乗っていただろう。
武蔵小杉駅(横須賀線)
- 1980年
- 新川崎駅は開業しなかった。
- 鶴見駅に停車していたかもしれない。
- 現実通り開業しても日中の一部普通列車は通過するだろう。
- 鹿島田駅の利用客数が現実より少ない。
- 快速停車駅にならなかった。
- 東急線武蔵小杉・溝の口以東の混雑が、1980年代以降現実より緩和された。
- 駅周辺の再開発が30年早まった。西武かそごうがこの頃から進出しているだろう。
- 1990年代
- 南武線における快速の設定が史実よりも早まっていた。
- バブルの余韻もあったので、駅周辺の再開発も史実よりも進んでいた。
東戸塚駅
- 1920年
- 構想自体はこのころからあり、1923年には「武蔵駅」として開業が決定するも関東大震災で頓挫。
- 当然東海道本線にもホームが設置されている。
- 快速アクティーは戸塚と同様に2007年まで本駅を通過していた。
- 現在の駅名は「武蔵川上」や「品濃」のような武蔵や東戸塚とは全く違うものになっている。
村岡新駅
- 史実では2032年頃に開業予定。
- 大正期・昭和初期
- 湘南貨物駅は開設されなかったか駅と並列される形で作られた。
- 平成期
- 駅名は「村岡深沢」駅になっていた。
- 113系電車と115系電車と211系電車が当駅に停車する光景を見ることができた。
千葉
天王台駅
- 1982年
- 各駅停車しか停まらない。
- 東我孫子駅の利用者数が現実より多かった。
- 当然キセルなんてもってのほか。
幸谷駅
- 1973年
- 最初から国鉄と直結の「新松戸」駅として開設される。
- ホームは東側に設置された。
- マンションではなく独立した駅舎が建っている。
新鎌ヶ谷駅
- 1955年
- 新京成線開通時に東武野田線とともに開業。
- 北総線も開通時(昭和54年)に出来た。
幕張新駅
- 1990年代
- 1990年代から構想がありました。
- 自由通路が設けられていた。
- 拡大地区である豊砂地区と芝園地区の整備が史実よりも進んでいた。
- 駅前のショッピングモールはイオンではなく、マイカルの手によって、開業していた。
- 2010年代になって、「イオンモール幕張新都心」と改称していた。
- 駅前のショッピングモールはイオンではなく、マイカルの手によって、開業していた。
- 2010年代
- イオンモール幕張新都心の開業と同時であった可能性もあった。
- 2020年の東京オリンピックの開催が決定されたのを機に駅周辺の開発が進められていた。
- 2020年
- 東京オリンピックに合わせて開業。
- 駅周辺にホテルが建設されていたかもしれない。
東松戸駅(武蔵野線)
- 1996年以前
- 国鉄時代に開業した場合、「紙敷駅」になっていた。
- 当初から北総鉄道の建設を考慮する。
- 1991年に開業した場合、北総鉄道の開業と同時であった。
- 1996年3月までに開業していたら、武蔵野線の全列車が8両編成で統一されるのが史実よりも早まっていたかもしれない。
石川
加賀温泉駅
- 1897年
- 大聖寺・動橋両駅はない。
- 昭和合併までそれぞれ別の自治体だったので地元の誘致により単なるローカル駅として建設されているのでは。
- 駅舎がかなり豪華な造りだった。
- 北陸鉄道の加南線系統は全てここに発着していた。
- 現在まで路線が存続している。
- 片山津線だけは史実通り北陸線が越えられず廃止される気がする。
西松任駅
- 当駅は2023年に開業する予定ですが、40年前から設置する構想がありました。
- 1990年代
- 駅付近に整備されていた千代野ニュータウンの整備と同時に開業していた。
- 石川国体が開催された1991年に開業していたかもしれない。
- 1988年に開業した明峰駅と比較されていた。
静岡
御厨駅
1990年代から構想されていた。史実では、2020年3月に開業予定。
- 全般
- 2009年までに開業した場合、臨時特急「富士」は運行されなかった。
- 当時はまだ寝台特急の富士があるので。
- 国鉄時代
- 松浦線の肥前御厨駅と区別するために、「遠江御厨」駅になっていた。
- 特急「御厨」は165系で運行されていた。この場合種別は急行だったかもしれない。
- 平成期
- 2015年までに開業していた場合、全日本高等学校女子サッカー選手権大会の決勝戦は引き続き磐田市で行われていたかもしれない。
- 東海道新幹線とブルートレインを走行するシーンや写真を撮る鉄道ファンで賑わっていたかもしれない。
- 特急「御厨」の運行が実現していたかもしれない。
- 1999年まで開業していたらゆうゆう東海(165系)が使われていた。
愛知
名鉄名古屋駅
- 1935年
- 名古屋地下鉄道は計画されなかった。
- 開業日は名古屋鉄道発足と同じ8月1日。
- この駅は新会社の象徴とされていた。
- 数年以内に百貨店や本社ビルも完成。
- 関急(現近鉄)名古屋駅より先にできたためもっと余裕のある構造だった。
- ↑の百貨店や本社ビルは,のちの戦災に耐えただろう。2000年頃に隣の省線→国鉄→JRの駅のように高層ビルに改築。
- 中区の衰退は戦後早く進む。どこかで,瀬戸線がこの駅に乗り入れるだろう。
- 昭和20年代
- 昭和19年末までに工事自体がある程度進んでいた場合は未完成の駅やトンネルが防空壕の代用になった。
- 西部線の昇圧がこの駅の完成と同じタイミングだった。
- 下手をするとさらにスペースが無くなっていた恐れがある。
- 1960年代
- 早くても、1963年に開業していた。
- ホームは地下2階、コンコースは地下1階にできていた。
- 2面4線の島式ホームになっていた。
- もしくは、新開地駅と同様に2面3線の島式ホームになっていた。
- 名鉄百貨店は1964年頃に開業していたかもしれない。
- 一度市電に入らないとたどり着けない柳橋駅が戦後まで残り相当なネックになっていた。
- 戦時中には「輸送力強化の妨げになる」と諸方面から苦言を呈されていた。
- ひょっとすると戦争末期に岐阜・犬山方面のターミナルが押切町駅に変更されていたかもしれない。
- 戦時中には「輸送力強化の妨げになる」と諸方面から苦言を呈されていた。
- 金山総合駅構想も同タイミングで実現していた。
新守山駅
- 1900年
- こちらが「守山」を名乗っていた。
- 12年後に開業した東海道本線の駅は「近江守山」に。
- 歩兵第33連隊(現・陸上自衛隊守山駐屯地)への引き込み線があったかもしれない。
- 守山の市制施行が早まった。
三河安城駅
- 1969年以前
- こちらが「新安城」を名乗っていた。
- 勿論普通しか止まらない駅にはなっていなかった。
- 東海道新幹線より前に開業していたとするなら、この駅周辺の旧地名から「長根」を名乗っていたかもしれない。新幹線駅開業とともに改称する可能性もあるが。
金山駅(東海道本線)
戦後、名古屋市は戦災復興計画において金山総合駅構想を提示し、計画を進めていきました。それに基づいて、1962年1月に中央線が開業し、1967年3月に名古屋市営地下鉄名城線が開業しました。しかし、東海道本線の場合、国鉄は名鉄とともに用地確保を進めていきましたが、難航したために、開業が1989年7月にずれ込みました。もし、国鉄時代に開業していたら…
- 国鉄時代
- 1989年には、「しなの」が停車していた可能性がある。
- アスナル金山の開業が史実より早まっていた可能性がある。
- 金山南ビルの竣工が史実より早まっていた可能性がある。
- 史実より1日平均乗車人員が増えていた。
- 当初の計画通り、島式ホーム2面4線を有するホームになっていたかもしれない。
- 無論、名鉄の金山橋駅の移転も史実よりも早まっていた。
- 1960年代に開業していた場合、昭和50年代には、新名古屋駅(現:名鉄名古屋駅)は京阪の天満橋駅のように、3面4線の地下駅になっていた。
- 戦前に開業の場合、当時の体制的に神社名がつきやすいうえ、京阪電鉄による名古屋急行電鉄が実現している可能性があり、熱田駅と呼ばれるかもしれない。
- 国鉄の熱田駅と愛電の神宮前駅がもう存在していたのでそれはない。
相見駅
- 1900年から新駅設置の動きがあったが、1908年9月に中断し、1989年から再び動き出しました。
- 1908年
- 幸田駅が1908年に開業されることはなく、1960年代以降に開業していた。
- 2000年代
- 駅周辺の整備と同時期であった。
- 整備が史実よりも進んでいた。
唐畑駅
- 2023年度末に名鉄河和線の高横須賀~南加木屋間に新駅を設置する予定。因みに1984年頃から駅設置構想があった。
- 平成期
- 2010年代に開業した場合、西知多総合病院の設置と同時並行していた。
- その際には、東海市ふるさと大使を務めている山崎武司氏が駅開業のセレモニーに参加していたかもしれない。
- 2000年代までに開業していたら、美浜緑苑駅の時と同様に名鉄不動産の主導の下で駅周辺で宅地開発を実施していた。
岐阜
岐阜羽島駅
- 1969年
- 64年の新幹線開業時点であったのは保線基地くらい。
- ただし三島のように駅設置を考慮した構造にはなっていた。
- 現実より「政治駅」のイメージはやや薄かった。
- 他の状況は大差ないと思われる。
- 1988年
- 開業日は三河安城駅などと同じ3月13日。
- 名神高速の岐阜羽島インターは「羽島インター」として開業していた。
- 駅の周囲には大規模なバスセンターやビルなどが整備され区画整理も行われた。
- バブル崩壊以降は空きビルや空き地がやたらと目に付く。
- 駅名は単に「羽島」。
- 名鉄羽島線が新幹線駅と同じ建物に乗り入れていた。
- どのみち竹鼻線の江吉良以南は廃止されている。
- 上にある通り、保線基地を拡大する形で駅を新設していた。
広島
佐伯区役所前駅
- 1930年代
- 当時の広島瓦斯電軌が行った宅地開発の一環として設置。
- おそらく西隣の楽々園駅と同時に開業している。
- 駅名は「海老園」。
- 駅周辺の宅地化はもう少し早く進んでいた。
- 海老山にも開発の手が及んでいた。
- 現在の広電五日市駅が最初から省線の駅と同じ位置だったらありえた気がする。
新白島駅
- 10年早く開業していたら
史実では、2015年3月に開業。
- アストラムラインの利用客が史実より多くなっていた。
- 待避線が設けれていたかもしれない。
- 2015年頃or2017年頃に、大竹駅 - 玖波駅間に「小方駅」が開業していた。
- 寺家駅の開業も早まっていた可能性もある。
- アストラムラインの開業と同時に開業していたら
- 早くても、アジア大会が開催されていた1994年頃に開業していた。
- 確実に待避線が設けられていた。
- 2014年以前
- 103系電車が当駅に停車していた。
- 土曜ダイヤが設定されることはなかった。
- 2010年に開業した場合、前年にPASPYが導入されていたので、これを機に利用客が増えていた。
- 肝心の山陽線(を含むJR各線)で使用不可なのでそれはない。
寺家駅
- 1990年代
史実では、2017年3月に開業。1987年頃から地元から要望がありました。
- 駅周辺の開発が史実より進んでいた。
- 2017年頃に、大竹駅 - 玖波駅間に「小方駅」が開業していたかもしれない。
- いや、「JR古江駅」、「御筋駅」、「畝駅」のいずれかが開業していた可能性もある。
- 2000年代
- マックスバリュ西条西店の開業が史実よりも早まっていたかもしれない。
- それでも、寺家地区において、住宅団地が整備されていた。
- 快速「山陽シティライナー」が停車していたかもしれない。
新尾道駅
- 1975年
建設時にも、設置計画があったそうです。
- 「Aひかり」の停車駅になっていた。
- ただし、1976年7月のダイヤ改正で、新倉敷駅とともに、通過駅となっていた。その代わりに、三原駅が停車駅から外されることはなかった。
- 市民からの間で、税金の無駄遣いだと言われることはなかったかもしれない。
- 尾道鉄道でも残っていない限り何も変わらないと思う。
- つまり山陽新幹線開業時に三原市との誘致争いに尾道市が勝ったということだろう。
東広島駅
- 1975年
- 駅名が「新西条」駅辺りになっていた。
- 2003年10月に「東広島」駅に改称していた。
- 開業前年の合併・市制施行を記念して現実通りの名称になっていたのでは。
- 広島大学の東広島キャンパスへの移転が史実よりも早まっていたかもしれない。
山口
厚狭駅(山陽新幹線)
- 1990年以前
史実では、1999年3月に開業。
- 1988年3月に開業した場合、新尾道駅と東広島駅と同時に開業していた。
- 1997年11月までにひかりが停車していた。
- 1990年に開業した場合、同じ年に開業したくりこま高原駅と比較されていた。
- 高架橋の元の壁は大部分撤去されていた。
香川
空港通り駅
- 1989年
- 駅名が「高松空港口」あたりになっていた可能性あり。
- もちろん複線化用地は確保している。
- 場合によっては高松空港への支線を分岐させることを想定した構造になっていた。
- 塩江線が廃止されていなかったら鉄道による空港アクセスを重視した構造になっていたと思うけど、史実通りならばバスとの連携を優先していたんじゃないだろうか。
- 場合によっては高松空港への支線を分岐させることを想定した構造になっていた。
- 小さいながらも駅舎が作られていた。
- 空港への連絡バスが駅前から発着していた。
昭和町駅
- 1925年
- 駅名は編入合併前の村名から「宮脇」になる。
- 高松市昭和町という地名は生まれない。
- トイレ付きの駅舎が建っていた。
- 少なくとも夕ラッシュ時までは駅員が配置される。
- 1949年以前は高松商業高校の最寄り駅としても機能した。
綾川駅
- 2008年
- イオンモール綾川の開業に伴う駅の設置であった。
- 無論、滝宮駅から無料シャトルバスが運行されることはなかった。
- 2013年12月に伏石駅が開業していた。
福岡
鞍手駅
- 1960年代
- 小牧信号場を格上げする形での設置。
- 駅名は「筑前小牧」。
- ホームは普通の島式ホーム。
- 駅周辺にはもう少し建物が多かったはず。
- 後に室木線の転換交付金で駅前の道路などを整備した。
- 室木線廃止により鞍手町唯一の駅になったため「新鞍手」辺りに改名された可能性もある。
スペースワールド駅
- 1990年
- スペースワールドの開園に伴う開業であった。
- 無論、枝光駅に快速、特急が停車することはなかった。
- 枝光~八幡間の経路変更も同時に早まっていた。
- 東田地区における再開発が史実よりも早く進んでいた。
- バブル期の開業ということで史実より金がかかった近未来風の駅舎ができていた。
- 1993年
- 北九州市住まい・生活展の開催に先立って開業していた。
- これを機に、快速、特急が枝光駅を通過していた。
- 後は、1990年の2と3と同じ。
糸島高校前駅
2001年頃から駅設置構想がありました。
- 1990年代
- 下山門~筑前前原間の複線化が史実よりも早まっていた。
- 複線化の完成と同時に開業していた可能性もあった。
- 山内惠介氏が1日駅長になることはなかった。
- 2014年3月以前
- 103系1500番台電車が当駅に停車していた。
- 伊都の杜の街開きが史実よりも早まっていた。
- 2012年に開業した場合、糸島高校の創立110周年と重なり、それにタイアップしたイベントが行われていた。
紫駅
- 2008年
- 当初の開業予定の年でした。
- 2010年3月に実施されたダイヤ改正が2008年3月に繰り上がっていた。
- この年には、nimocaが導入された年でもあるので、2009年には1周年として、紫色のカードが発行されていたかもしれない。
三国が丘駅
- 九州鉄道時代から駅設置構想があったそうです。
- 1970年代
- 小郡・筑紫野ニュータウンにおける住宅開発が史実よりも進んでいた。
- 1980年代
- 小郡高校の開校と同時期であった。
- 三国が丘における住宅開発が史実よりも進んでいた。
- 急行が当駅に停車するのが史実よりも早まっていたかもしれない。(史実では、2012年3月に実現)
佐賀
黒川駅
- 1996年
- 当初「世界炎博」駅を名乗った。
- 炎博終了後すぐに現在の駅名に。
- 当駅の説明文に「近隣住民からの要望により炎博終了後もこの駅を利用できるよう恒久設置とした」と書かれる。
- 確実に駅舎やホームは凝った造りになっている。
熊本
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅
- 1928年
- 駅名は普通に近くの集落にちなみ「川地後」だった。
- 3セク化後も特に改称されていないはず。
- 開業時の木造駅舎が現存しているかもしれない。
- 2000年以降
- 駅名が発表されるとすぐネット上でネタにされた。
- 時期によってはChakuwikiでもあちこちのページでこの駅名についての意見ややたらと長い駅名に関するネタが投稿された。
- 待合室にとにかく横長の駅名表示板が設置された。
- どこかの私鉄か3セクが話題作りのためもっと長い駅名を付けようとする。
- 一部地名評論家が平成の大合併と絡めて怒り狂うのは確実。
- そうかなぁ。その手の評論家ってそこまで重箱の隅をつつくもんなのかね?
- 当時はルイス・C(ry駅が存在していたため、もう少し長い駅名になっていたかもしれない。
光の森駅
- 1999年
- 同年10月の電化と同時に開業した。
- 駅舎の設計が少し奇抜なものだった。駅の規模が2倍以上だった。
- 菊陽町は2010年代に市制施行している。
- 駅周辺の開発ペースが現実以上だった。
鹿児島
鹿児島中央駅
- 1901年
- この駅が鹿児島本線(と日豊本線)の終点になる。
- 当初は鉄道員が利用客の主体だった。
- 1930年
- 指宿枕崎線分岐のために開業した駅となっていた。
- 当初より「西鹿児島」と名乗っていた。