もし大阪市高速電気軌道が○○だったら
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- 延伸関連はもしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄にお願いします。
全般[編集 | ソースを編集]
相互直通可能な規格だったら[編集 | ソースを編集]
- 大阪市内に網の目のような路線網を持つ大阪市営地下鉄ですが、阪急千里・京都線と相互直通運転を行う堺筋線を除き既存私鉄やJR線と異なる規格で建設されたため、東京とくらべ相互直通運転が進まない結果となっています。もし大阪市営地下鉄が相互直通運転を前提とした規格で建設されていたらどうなっていたか。
御堂筋線[編集 | ソースを編集]
- 1067mm架線式で建設され、中百舌鳥で南海高野線ならびに泉北高速鉄道と相互直通していた。
- 我孫子~中百舌鳥間は昭和30年代のうちに開通。
- 30系電車は4扉架線式の20mステンレス車として1964年に登場していた。
- 我孫子~中百舌鳥間は昭和30年代のうちに開通。
- 当然北大阪急行電鉄も1067mm架線式となる。
- 万博開催時に国鉄から片乗り入れを嘆願されるも、連絡線の建設費用の問題や大阪市との調整が進まず構想倒れに終わる。
- 泉北高速鉄道が関西空港まで延伸され、関空へのメインアクセスとなっていた。
- 梅田・難波・天王寺のいずれからも電車1本でアクセスできるので、現実よりも関空の使い勝手がよくなっていた。場合によっては伊丹空港が廃港になっていたかも。
- 御堂筋線経由で梅田や新大阪まで行くことが可能になるので、なにわ筋線の計画が進展しなかった。
- そんでもって南海汐見橋線もとっくの昔に廃線。
中央線[編集 | ソースを編集]
- 近鉄東大阪線(けいはんな線)も架線式になり、当初はすべて近鉄奈良に直通。
- 登美ヶ丘開業後は近鉄奈良行きと学研奈良登美ヶ丘行きが半々程度になる。
- 京都線急行折返しのKL車の行き先はここ経由でコスモスクエアになっていた。
- 学研奈良登美ケ丘からも尼崎・三宮方面に直通列車が運転されていた。
- 現実における東生駒折り返し便の本当の始発地が登美ヶ丘方面になっていたかもしれない
- 学研奈良登美ケ丘から高の原あたりまで延伸されていたかも。
- 生駒駅の中間改札は存在しなかった。
- 大阪オリンピック開催時に近鉄特急を舞洲まで運行する構想が出るも、落選と共に白紙に戻る…が、カジノ構想云々で再度考えられるようになる可能性も…?
- 2025年万博招致やカジノ計画と合わせて京阪中之島線を九条まで延伸し、中央線に乗り入れる計画も出ていた。
- 2025年万博開催決定でこの構想が再燃していたことは間違いないだろう。
- 登美ヶ丘開業後は近鉄奈良行きと学研奈良登美ヶ丘行きが半々程度になる。
- 場合によっては京阪も大和田~荒本間に新線を建設し、中央線に乗り入れていた。
- 九条~西九条間に分岐線ができ、阪神が早くから近鉄に乗り入れていた。
- この場合なんば線は建設されない。
- 難波は大阪市内有数の繁華街であり、中央線の線路容量の問題もあるので、いずれは建設されていたのでは?
- なんば線(近鉄は難波線)が無いと阪神近鉄一本だけでは難波に行けないので不便。
- 後にも書いてある通り千日前線を架線式にすればよかったんじゃ……
- その場合、直通利用客に本町経由便が利用され、難波経由便の混雑緩和に一役買っていた。
- 後にも書いてある通り千日前線を架線式にすればよかったんじゃ……
- なんば線(近鉄は難波線)が無いと阪神近鉄一本だけでは難波に行けないので不便。
- 難波は大阪市内有数の繁華街であり、中央線の線路容量の問題もあるので、いずれは建設されていたのでは?
- 阪神なんば線の大阪難波延伸は史実通りだが、九条までは現実よりも早く開通していたかもしれない。
- この場合なんば線は建設されない。
- 工場施設を共用している谷町線や千日前線も架線集電式になっていた。
- この場合、規格が同じ堺筋線も森之宮が車両検査を担当していた。
- 堺筋線と中央線との間に回送線ができるので、2025年の万博開催時にはそれを利用して京都方面から万博会場への直通も検討されるようになる。
- 森之宮車両工場の廃止はなかった。
- 逆に御堂筋線や四つ橋線と線路が繋がることはなかった。
- 京阪中之島線の夢洲延伸は中央線への乗り入れで達成。
- この場合、規格が同じ堺筋線も森之宮が車両検査を担当していた。
千日前線[編集 | ソースを編集]
- 8両はおろか、各駅が21m車10両編成に対応できるホームに延長される。
- 今里から先に延伸されたかは若干疑問。
- 弥刀まで延伸して大阪線と直通した場合、こちらでも近鉄京都線と地下鉄烏丸線の関係のような問題が生じる。
- 当初の計画通り神崎川まで開業していた場合、阪急神戸線と相互直通運転していた。
- 阪急も難波への進出が実現する。
- この場合阪神とは相互直通運転を行わず、阪神は史実と同じくなんば線を建設して近鉄奈良線と乗り入れていた。
- 南巽からJR平野まで延伸される。
- 阪急三宮~JR奈良も可能。ただすでに阪神が通ってしまってるから…
- それ以前に軌間が違うので物理的に不可能。
- あるいは弥刀に延伸され、近鉄大阪線と直通していた。
- 阪急三宮~JR奈良も可能。ただすでに阪神が通ってしまってるから…
- 阪神
- なんば線の計画は具体化せず、野田から千日前線に乗り入れていた。
- 西大阪線は閑散路線のまま。昭和39年の開業なので西九条までは来ていたと思うが・・・
- 平成になって西大阪線と京阪中之島線との直通が計画される。
- いや、最初の予定どうり千鳥橋から北港通り沿いに野田まで延びて本線になってたんじゃない?大物→姫島→地下鉄野田と大物→千鳥橋→野田→梅田とすればすっきり。
- もし中央線も架線電化で生駒駅に於いて直通運用がある場合、阿波座にある中央線と千日前線の連絡線は旅客運用にスムーズに使える様、(野田方面←→本町・長田方面の経路では)スイッチバックが不要なものになっていた。
- 近鉄
- 難波線はほぼ同時期の建設。特急を乗り入れさせるため鶴橋~難波は開業したと思うが、そこから先は千日前線への乗り入れを実行。
- 京都市営地下鉄烏丸線と同様、阪神からの直通乗客に対する難波~鶴橋間の運賃扱いで揉め事が起こる。
- もしくは近鉄・阪神の重複区間が統合されていたかもしれない。
- そんな問題が起こらない様、史実における近鉄難波線区間+α、鶴橋から先の地下区間はやはり千日前線として市が運営していた。
- どっちにしろ上本町から今里は並行するんだから問題は消せそうにない。
- 上本町から今里・布施は大阪線がすでに開業していたので近鉄布施駅経由の列車は地下鉄今里には乗り入れない。それ以前に近鉄今里と地下鉄今里は南北方向にも若干離れている。
- 史実と比べると、近鉄難波線として開業した区間が千日前線として先に開通していたことになる。
- 上本町から今里・布施は大阪線がすでに開業していたので近鉄布施駅経由の列車は地下鉄今里には乗り入れない。それ以前に近鉄今里と地下鉄今里は南北方向にも若干離れている。
- 近鉄奈良線との直通運転やJR大阪環状線との乗り換えの関係などの理由から、上本町駅・鶴橋駅の何れかで乗下車する場合は経路の安い運賃で乗車していいこととする。東で言う北千住―綾瀬と同じ様に。これにて揉め事は収束方向に。
- 上本町―鶴橋駅のみの乗車もしくは近鉄今里駅経由の場合は近鉄線乗車の扱いで、それ以外は地下鉄線乗車の扱いとする。
- その場合、鶴橋駅の近鉄ホームと地下鉄ホームは改札内で繋がっていた。
- 定期券や回数券は、どちらの社局のを利用してもよい(但し上本町-鶴橋間のみ)
- 難波・日本橋以西から布施・今里以東への連絡定期券の社局分界点は上本町駅とする。
- 定期券や回数券は、どちらの社局のを利用してもよい(但し上本町-鶴橋間のみ)
- 史実と同じく難波か桜川のどちらかもしくは両方に特急折返し用の引上げ線が敷かれていた。
- 日本初の有料特急車両による公営地下鉄線乗り入れは、小田急車の千代田線ではなくここになっていた。
- 直通運転が前提で建設されていたかもしれないが、鶴橋と今里は近鉄と地下鉄の両方に存在した。
- 上本町駅地下に2面4線のホームと2本の引上げ線が建設され、都営浅草線で言う所の泉岳寺・西馬込と同じ様に、桜川・難波・上本町から南巽への折り返し列車が設定されていた。
- どっちにしろ上本町から今里は並行するんだから問題は消せそうにない。
- そんな問題が起こらない様、史実における近鉄難波線区間+α、鶴橋から先の地下区間はやはり千日前線として市が運営していた。
- もしくは近鉄・阪神の重複区間が統合されていたかもしれない。
谷町線[編集 | ソースを編集]
- 守口付近のルートが変更され、守口市から京阪に直通していた。
- そして京阪は悲願の梅田乗り入れが実現していた。
- 守口-東梅田間は京阪の路線になっていたかもしれない。
- もちろん「京阪梅田線」。
- 重複区間を少なくするために森小路分岐になっていたのではないだろうか。
- あるいは大日から淀川を渡り、高槻市まで延伸し、阪急に乗り入れていたかも?
- 近鉄南大阪線も1435mm軌間に改軌のうえ、針中野あたりから谷町線に直通していた。
四つ橋線[編集 | ソースを編集]
- 阪神と直通していた。
- その為西梅田駅の位置もずれていた。
- と言うより、西梅田駅を作らないだろう。肥後橋から阪神梅田直通って感じで。
- その為西梅田駅の位置もずれていた。
- もしくは阪急新大阪線が実現し、阪急へと乗り入れていた。
- 十三まで延伸して、阪急神戸・宝塚・京都本線へと乗り入れていた。(本当に十三まで延伸する計画があるらしい。四つ橋線黒字化計画)
- 場合によっては四つ橋筋ではなくなにわ筋を通っていた可能性もある。その場合、桜川-北加賀屋は新なにわ筋を通ることになる。
- むしろ南海が梅田乗り入れの為に難波から乗り入れていたのではなかろうか。
- 但し大国町以南の方が先に開業しているので、住之江公園までは御堂筋線の支線として史実通り建設される。
- 近鉄が大阪線の延伸として上本町~難波~四つ橋線を利用するかも。そのまま十三延伸で阪急に宝塚行き有料特急を乗り入れ。
長堀鶴見緑地線[編集 | ソースを編集]
- 交通審議会の計画通り、交野経由で京都へ進み、京都市営地下鉄と直通していた。
- 但し、門真南から先は京阪所有になっていた。
- あるいは狭軌で建設され、四条畷あたりに延長されてJR片町線と直通していた。
- この際京橋~四条畷間で運賃の問題が生じる。
- 運賃でみごとJRに敗北。
- この際京橋~四条畷間で運賃の問題が生じる。
- 日本初のリニアモーター地下鉄は都営大江戸線になっていた。
今里筋線[編集 | ソースを編集]
- だいどう豊里から上新庄まで延伸し阪急と直通していた。
- だいどう豊里~井高野間は建設すらされない。
- どうしても井高野に地下鉄路線が必要ならば、正雀あたりで阪急に乗り入れていた。
- もしくは関目で京阪と連絡・直通を行っていた。
- だいどう豊里~井高野間は建設すらされない。
- 赤字は史実よりある程度減っていた。
- どのみち大阪環状線のどこかの駅に接続するルートになっていた。
- 今里から東に転じて鶴橋が終点になる(この場合は近鉄のホームを借りる可能性もある)か、もう少し南まで行って天王寺が終点になるかのどちらかだろうか?
- むしろ大池橋までは南進し、そこで西にカーブして勝山通・玉造筋経由で天王寺を目指していた。
- もしくは東部市場前まで延伸し大和路線直通。
民営化の時期が○○だったら[編集 | ソースを編集]
- 2018年4月に「大阪市高速電気軌道」として民営化されましたが…。
1987年[編集 | ソースを編集]
- 愛称が「大阪メトロ」になっていたら東京よりも17年も早く「メトロ」の愛称を採用していたことになる。
- 今里筋線は建設中止となり、その分阪神なんば線やなにわ筋線が早く開業していた。
- 長堀鶴見緑地線に関しては現実通り。
- 御堂筋線のあびこ~なかもず間が民営化後初の新線開業区間となっていた。
- 開業が1ヶ月ほど前倒しされて市営最後の新規開業区間になっていた可能性も。
- トイレを始めとする駅全体の美化は現実よりも早く行われていた。
- 駅名標や構内の案内表示に使用されていた「ヒゲ文字」は史実より数年早く完全に一掃されていた。
- 四つ橋線や千日前線の運転本数は現実よりも減らされていた。
- 堺筋線に関しては阪急の優等列車乗り入れが民営化後しばらくして実現していたかも。
- 一方で平日の朝晩限定で西梅田-中百舌鳥間の直通運転も実施されていた。直通列車は8両編成となっていた。
- のちにJR大阪環状線西側区間の快速増発に対抗するため、日中にも西梅田-天王寺に四つ橋線経由で本町・難波・大国町のみ停車の急行電車の運行が実施されていた。
- 「赤バス」も存在しなかった。
- OTS線は最初からこの会社の路線として開業していた。
- 大阪都心部から南港に行く場合、住之江公園経由とコスモスクエア経由で運賃が違うという自体は起こらず、コスモスクエア駅の中間改札が存在したこともなかった。
- 大阪市営地下鉄30系や60系の冷房改造はもっと多くの車両に行われていた。
- 少なくとも30系の非冷房車を10年も経たずに廃車にするなんてことはなかった。
- 場合によっては50系の3・4次車に対しても冷房改造が実施されていた。
- 新20系は民営化後になってから登場し、史実より2年早く1988年には登場していた。10系は22編成で増備が打ち切られた。
- 1987年時点において、大阪市交通局は巨額の累積債務を抱えていたため、交通局の長期債務処理は国鉄清算事業団と同様の方法が採られていた。交通事業民営化後、交通局は長期債務処理専門の「交通清算事業局」に改組されていた。
- 2004年には株式の初上場が行われ、その後2018年4月には完全民営化されて純民間企業となっていた。
- 梅田-天王寺間においては安いJR環状線への対抗を目的として、1回あたりの運賃がJR線とほぼ同額となる割引きっぷ(5回分)も発売されていた。
- 近鉄東大阪線(後のけいはんな線)では急行運転も実施され、新石切で各停を追い抜く列車も設定されていた。
- 設定当初の急行区間は長田-生駒(途中無停車)のみであったが、後に森ノ宮-生駒(長田のみ停車)に拡大され、同時に長田-生駒のみ通過の列車は準急に改称された。
2004年[編集 | ソースを編集]
- 社名は「大阪地下鉄株式会社」、愛称は「大阪メトロ」となっていた。
- Osaka MEtro COmpany...
- 誰がうまい事言えとwwwww
- 大阪市営地下鉄は英訳すると「Osaka-City-Subway」だから大阪サブウェイが妥当かと。
- 準備会社は大阪市高速電気軌道らしいが。
- 本当にOsaka MEtroになる模様。
- Osaka MEtro COmpany...
- 梅田・本町・難波・天王寺など都心部の主要駅の「駅ナカ」が開発され、新名所となっていた。
- 「ekimo」や「新なにわ大食堂」も史実より数年早く実現していた。
- 今里筋線は史実と同じく開業。
- ワンマン化は今里筋線と長堀鶴見緑地線のほか、四つ橋・中央・千日前線でも実施。
- 特に中央線の場合、相直する近鉄けいはんな線がワンマン運転を行っているので、大きな車両改造を行わなくてもワンマン化が実現できる。
- 全路線ワンマン運転を行っていた。
- 30000系のデザインがもっとかっこいいものになっていた。
- あるいは30系の置き換え計画が先延ばしにされていた。
- 10系については前期型のVVVF改造も行われていた。
- イメージアップ戦略が行われ、テレビCMなども放映されていた。
- CMにはもちろん吉本の芸人を起用。
- それでは逆にイメージダウンになってしまう様な気が…。
- そこは宝塚で。
- CMにはもちろん吉本の芸人を起用。
- 駅構内が全体に美しくなっていた。
- 梅田や心斎橋にあるドーム天井も美装化。
- トイレも高級ホテル並のものに改装されていた。
- これは現実になっているような…。
- 大阪市営バスも「大阪バス」として民営化されていた。
- 民営化に伴い路線の再編成が行われ、少なくとも「赤バス」は全廃されていた。
- 当然の事ながら、地下鉄・市バスの乗り継ぎ割引も廃止に。
- 因みに「大阪バス」という会社は実在します。
- そのため「大阪都市バス」とかいう社名になっていた。
- 民営化後のバス会社は路線バスのみならず高速バスにも力を入れるようになっていた。
- 場合によっては北大阪急行電鉄を合併していた。
- 近鉄東大阪線(現・近鉄けいはんな線)も合併していた。
- それは合併ではなくて営業譲渡じゃない?2005年頃は近鉄も巨額の赤字を抱えていたので、民営化された大阪地下鉄への東大阪線の営業譲渡だってありえたかもしれない。
- 近鉄東大阪線(現・近鉄けいはんな線)も合併していた。
- 運賃を値下げしたかもしれない。
- 券売機の「特別割引」ボタンは廃止の可能性高し。
- もしくは押下すると係員が呼び出される。
- JRに対抗して御堂筋線の梅田~難波が160円、梅田~天王寺が180円位になっていた。
- 券売機の「特別割引」ボタンは廃止の可能性高し。
- 終電がもっと遅い時間になっていた。
- 御堂筋線の中津~天王寺間では、午前1時台まで電車が走る様になっていた。
- それでいて始発は午前4時台。
- 御堂筋線の中津~天王寺間では、午前1時台まで電車が走る様になっていた。
- 税金の無駄遣いが減り、大阪市民は大喜び。
- 相互乗り入れ実現の為に、一部路線では第三軌条方式から架線集電方式に変更する工事が行われていた。
- あるいは架線式と第三軌条方式のどちらにも対応できる車両が開発されていた。
- ホームドアもとっくに設置済み。
- 駅名標や制服、地下鉄のマークが一新されていた。
- コマルマークも過去のものに。
- 新ゴ(和文)&パリサイン(英数字)を使用した「新サインシステム」の導入も史実より10年早く行われていた。
- 天下茶屋駅に軌間変換装置が新設され、阪急河原町~南海関西空港間を直通する電車が運転されていた。
- 日本初のフリーゲージトレインが実用化されていた。
- 2010年頃に上場。上場益の魅力を知った大阪市が他の事業も次々民営化。
- その後2018年4月には完全民営化されて純民間企業となっていた。
- 2000年代前半当時まだ交通局は巨額の累積赤字を抱えていたため、過去の長期債務の処理については国鉄清算事業団方式が採用され、交通局は債務処理専門の「交通清算事業局」に改組されていた。
- 住之江のオスカードリームや新世界のフェスティバルゲートは交通局の借金返済のためにとっくに売却されている。
- 2017年3月に行われた谷町線のダイヤ改正はもっと早くに実施されていた。
- 谷町線・千日前線・今里筋線の日中の運転間隔が10分毎に減便していた可能性も…。
- 谷町線は昼間10分間隔ではきつい。せめて7.5分間隔だろう。
- JR環状線西側区間の快速(大和路快速・関空紀州路快速)への対抗上、日中の西梅田-天王寺間に四つ橋線経由で本町・難波・大国町のみ停車の急行電車が運行され、平日は日中のみ、土休日は早朝深夜を除くほぼ終日の時間帯で運行されていた。
- 地下鉄中央線・近鉄けいはんな線では森ノ宮-生駒で長田のみ停車の急行電車も運行され、新石切で各停を追い抜く列車も設定されていた。
- 関連項目
路線別[編集 | ソースを編集]
御堂筋線[編集 | ソースを編集]
複々線化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 四つ橋線は大国町以南だけ建設されていた。
- その代わりなにわ筋線が四つ橋筋を通ることになっていた。
- 大国町ー新大阪間が複々線化されていた。
- 深夜に片方の線路だけを使っての24時間運行が検討されていた。
- 御堂筋線に優等列車が設定されていた。
- とはいっても、梅田〜天王寺は各駅停車になりそうだが。
- 大阪環状線の減便は現実より早く実施されていた。
- 泉北高速鉄道の直通運転の相手が御堂筋線になったかもしれない。
北大阪急行も御堂筋線だったら[編集 | ソースを編集]
四つ橋線[編集 | ソースを編集]
御堂筋線と直通運転をしていたら[編集 | ソースを編集]
- 四つ橋線は御堂筋線とほぼ並走しており、直通させる計画もあったという。
- 梅田駅で接続するのは難しそうなので、西梅田〜十三〜西中島南方(or新大阪)と接続させていた。
- カラーももしかしたら御堂筋線と近い色になっていたかも。
谷町線[編集 | ソースを編集]
起点が守口のままだったら[編集 | ソースを編集]
- もともと谷町線は守口が終点でしたが、車庫への引き込み線を旅客化するにあたって大日まで延伸した経緯があります。
- それでも、大日以東への延伸計画はある。
- 特に、大阪モノレールができる際に考えられていた。
- 仮に後々延伸したとしても、ナンバリングはコスモスクエア駅のように守口がT11、大日がT10になっていた。
- 守口~大日(~香里園?)に京阪の息のかかった第三セクターができていた。
- 大日は現実ほど発展していなかった。
- イオンはできていたかもしれないが、現実ほどの集客力はなかった。
- 特に、大阪モノレールができる際に考えられていた。
- 京阪に阪急程の力があればこうなっていたかもしれない。
- 京阪守口市駅~守口市北部~寝屋川市駅を結ぶ京阪バスは現在もドル箱路線。
- 大阪モノレール開業と前後して京阪の準急を門真市に追加停車させることが検討されていた。
天王寺から堺東までの路線ができていたら[編集 | ソースを編集]
- 八尾南への路線が現実通りできた場合、天王寺駅は島式2面4線ホームの分岐駅となっていた。
- あるいは南海平野線が存続していた。
- 途中で分岐があることやラインカラーが紫ということで名古屋市営地下鉄名城線と何かと比較されていた。
- 平野・八尾南方面へは堺筋線が延びていた可能性もある。
- 阿倍野駅は現実よりも少し南側にできていた。
- 八尾南方面の路線にはなかった。
- 南海高野線は中百舌鳥→御堂筋線・三国ヶ丘→JR阪和線に加え堺東でも谷町線に利用客が流出していた。
- だが堺東は堺市の中心部なので、優等列車が通過することはなかっただろう。
- 堺市の中心部に地下鉄でアクセスすることが可能になっていた。
- 八尾南への路線がなかったら国鉄→JR阪和貨物線が旅客化され同社のおおさか東線の一部になっていたかも。
- その場合南海平野線は阪堺平野線になった。
急行運転が実現していたら[編集 | ソースを編集]
当初計画では急行運転予定されており、旧20系はそれを見越して設計されましたが結局実現しませんでした。
- 平野駅と都島駅は2面4線の追い抜き可能駅になっていた。
- 旧20系は谷町線用として大量増備されていた。
- 試作車が御堂筋線に転用されることはなかった。
- それでもこれをベースに10系が御堂筋線用に作られていた。
- 旧20系が存在することから現20系は70系、現70系は80系、現80系は90系となっていた。
- 大日以北や八尾南以南の延伸が実現していた。
- 大阪市外になるので大阪市営ではなく別会社による建設になっていた。
- 中央線~近鉄けいはんな線でも急行運転が実現していた。
- その場合、新石切駅は現実と異なり2面4線になっていた。
千日前線[編集 | ソースを編集]
建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
堺筋線[編集 | ソースを編集]
南海電鉄と相互直通運転していたら[編集 | ソースを編集]
- 大阪市営地下鉄堺筋線は計画当初阪急電鉄のほか南海電鉄も乗り入れる計画でしたが、軌間と架線電圧の違いから最終的には南海が断念し、阪急とのみ相互乗り入れを行うことになりました。もし堺筋線と南海電鉄の相互直通運転が実現していたら…
- 全般
- 南海電鉄は堺筋線開業時点で1500Vへの昇圧を実施していた。
- 堺筋線は1969年の開業当初から天下茶屋駅に乗り入れていた。
- ここが南海と大阪市交通局の会社境界になっていた。
- 南海天王寺支線は堺筋線が開業した時点で廃止されていた。
- 南海7100系は堺筋線との乗り入れ対応車両になっていた。
- むしろステンレス車体の6100系が乗り入れ対応車両として製造されそう。
- 大阪市交60系も史実とは異なり、4扉の30系を架線式20m車にしたような車両になっていた。
- 外観は前面が30系、側面は6100系で、全車両が東急車輛製でバッド式コルゲートを採用したものの、大阪市の入札制という建前とコスト削減からオールステンレスの採用は見送られた。
- 中百舌鳥への延伸は御堂筋線ではなく堺筋線となっていた。
- 中百舌鳥から泉北高速鉄道とも相互直通していた。
- 乗り入れるとしたら南海線系統と高野線系統のどっちになるのだろうか?
- 阪急がなにわ筋線に乗り入れる計画は起こらなかった。
- 阪急京都・千里・嵐山線が1067mm軌間に改軌しなかった場合
- 天神橋筋六丁目駅は単なる終点となっていた。
- 阪急千里線天神橋駅は高架駅として現存。
- 南海汐見橋駅のような行き止まり駅となっていた。
- でも乗り換えは一応可能?
- むしろ堺筋線は北浜から天六ではなく梅田に向かっていたかもしれない。その場合、南海の梅田乗り入れが実現していた。
- なにわ筋線は計画されなかったか、JRの単独乗り入れとなっていた。
- 開業からしばらくして天神橋筋六丁目から吹田あたりまで延長してJR京都線と相互直通運転していたかもしれない。
- おそらく堺筋線のラインカラーが史実とは違っていた。
- 当時の南海の塗装から考えるとモスグリーンになっていた?
- となると南海の塗色変更時に地下鉄が帯の色を変えたかどうかが気になる。もしかすると塗色変更自体が無かった?
- 南海がステンレス無塗装車を直通運転に用いた場合は60系にも色が付かず、日比谷線同様シルバーがラインカラーとなった可能性もある。
- 66系はグレー基調の帯を巻いていた。
- 当時の南海の塗装から考えるとモスグリーンになっていた?
- 現在でも京都線系統の車両と神宝線系統の車両は同一規格で製造されている。
- 「京とれいん」は登場当初の時点で三宮や宝塚始発の列車が設定されていた。
- 阪急京都・千里・嵐山線が1067mm軌間に改軌した場合
- 阪急・大阪市交・南海の3者間相互直通運転が実現していた。
- 神宝線は1435mm軌間のままなので、京都線との直通運転は不可能になっていた。
- 西宮工場が現存していたかもしれない。
- もしくは、十三~正雀だけ三線軌化。
- ラピートは河原町~関西空港間の運転になっていた。
- 思いっきりはるかにケンカ売ってるなw
- 車両規格が京都線系統だけ21m級4ドア車体となる。
- 想像してみたら・・・気持ち悪い・・・
- 製造メーカーも京都線系統だけ東急車輛で製造される。2006年以降の京都線用新車は「走るんです」にマルーン帯を巻いたものになる。
- 2015年以降の京都線用車両は近畿車輛製となる。
- 南海が1435mm軌間に改軌した場合
- むしろこっちじゃね?
- 阪急京都線系統1067mm改軌の場合と同様、3者間相互直通運転となっていた。
- ラピートに河原町・三宮(もしくは新開地、山陽姫路)・宝塚発着系統が加わる。
- 南海が阪急・阪神などと同等の車両規格となり、19m級3ドアの車体が標準となる。
- 観光シーズンには和歌山・泉北方面~嵐山直通、河原町・三宮・宝塚方面~高野山直通といった臨時列車が運行される。
- 高野下まで大型車乗り入れが可能になっていた。橋本までの大型車乗り入れは1970年代のうちに実現していた。
- 一部ねらーは「南海車両を阪急線に入れるな。阪急線が汚れる」 等といって他の利用者の顰蹙を買う。
- 実際、南海みたいなのが来なくて良かったと思う。マジで。
- 国鉄再建法の頃に紀勢本線の和歌山-和歌山市が廃止される。
- あるいは南海電鉄が経営を引き受け、電化の上貴志川線との直通運転を行う。
- もちろん1500Vで電化され、貴志川線も1500Vに昇圧されていた。
- 貴志川線の1201形も史実より早く置き換えられた。(史実では1994年廃車)
- この場合、貴志川線が独立路線とならなかったので和歌山電鐡への経営移管はなく、南海電鉄のままだったかもしれない。
- もちろん1500Vで電化され、貴志川線も1500Vに昇圧されていた。
- 場合によっては貴志川線も1435mmに改軌されていた。
- 関空乗り入れも白浜乗り入れも貨物営業もできない。
- 関空乗り入れは成田空港におけるJRと京成の場合と同様、1067mmと1435mmの単線並列で乗り入れていた可能性もある。
- あるいはJR・南海共用区間だけ三線軌条かも。
- 関空乗り入れは成田空港におけるJRと京成の場合と同様、1067mmと1435mmの単線並列で乗り入れていた可能性もある。
- あるいは南海電鉄が経営を引き受け、電化の上貴志川線との直通運転を行う。
- なにわ筋線を通して京阪とも直通していた。
- 水間鉄道はもっと早く昇圧や東急の中古車導入を行っていた。
- 阪和線との間に車両拠出入用の連絡線ができる。
- 阪急千里線のみ1067mmに改軌していたら
- 南海さえ600→1500Vに架線電圧を昇圧すれば京都線系全てではなく千里線だけを改軌して堺筋線・南海と直通させる案もあったそうです。
- 南海は堺筋線との直通を前に1500V昇圧を実現していた。
- 千里線は阪急唯一の狭軌路線となっていたことから、京都本線との直通は廃止されていた。
- 阪急でも屈指の異端路線になっていただろう。
- 北千里~梅田直通の設定がなかったことから、千里ニュータウンから梅田方面へは現実以上に北大阪急行~御堂筋線に流れていた。
- 千里線の車両は阪急としての異例の21m4扉車体・狭軌仕様となっていた。
- メーカーも東急車輛製(2015年以降は近畿車輛製)となっていた。
- 阪急・大阪市交とも車庫は現実と違う場所に設置されていた。
- 淡路駅は早期に立体化されていたかも。
- 阪急千里線(天神橋筋六丁目~淡路間)のみ1067mmに改軌していたら
- 阪急新大阪線(十三~新大阪~淡路間)が開業され、天下茶屋止まりの普通車が新大阪止まりになっていた。
- これにより、大阪市営地下鉄御堂筋線の混雑が激しくなった。
- 阪急は堺筋線乗り入れに対応する車両は製造されなかった。
天神橋筋六丁目~淡路も堺筋線だったら[編集 | ソースを編集]
阪堺線が相互直通していたら[編集 | ソースを編集]
- 堺筋線に阪急が乗り入れることが決定した後、南海は代替として阪堺線の改良と相互直通を計画していたそうです。
- 大阪から路面電車が完全に消滅していた。
- 谷町線に置き換えられた平野線はともかく、上町線は史実の計画だとどうするつもりだったんだろうか。同一規格になっていたとしても住吉-住吉公園間は廃止になっているだろうけど。
- むしろ平野線が堺筋線に乗り入れていたため、廃止されることはなかった。平野区南部には当初計画通り谷町線ではなく千日前線が延伸されていた。
- この場合谷町線は阿倍野筋をまっすぐ南下し、堺東方面に延びていた。
- むしろ平野線が堺筋線に乗り入れていたため、廃止されることはなかった。平野区南部には当初計画通り谷町線ではなく千日前線が延伸されていた。
- 谷町線に置き換えられた平野線はともかく、上町線は史実の計画だとどうするつもりだったんだろうか。同一規格になっていたとしても住吉-住吉公園間は廃止になっているだろうけど。
- 1500V化は確実に行われていた。
- 浜寺付近から南海本線に乗り入れられるようにしていた。
- 軌間が違うから難しいのでは?
- 浜寺付近から南海本線に乗り入れられるようにしていた。
- 御堂筋線との乗り換え等を勘案すると、恵美須町ではなく動物園前が両社の境界になっていた。
- 高架化するにせよ地下化するにせよ、併用軌道の区間はルート変更を余儀なくされていた。
他路線と同じ第三軌条方式で建設されていたら[編集 | ソースを編集]
- 現実よりも利用客数はかなり少なかった。
- 千日前線と同様、4両編成の電車が運行されていた。
- 阪急天神橋駅は現実の南海汐見橋駅のような存在になっている。
- 阪急側の天神橋筋六丁目への駅名変更もない。
- 天神橋筋六丁目以北は淀川を渡り東淀川区方面へ延伸されていただろう。
- 天六から西に転じる→鉄道空白地帯の赤川を経由→城北公園で北に転じて上新庄まで延伸、と言うのがベターな案だろうか。よって今里筋線の起点も上新庄になっていた。
車両規格が阪急神宝線系統と同じだったら[編集 | ソースを編集]
- 阪急は全路線同じ車両規格になっていた。
- 神宝線⇔京都線の転属も頻繁に行われていた。
- ホームドア設置もスムーズに進んでいた。
- 「京とれいん雅洛」に天下茶屋発着が設定されていた。
今里筋線[編集 | ソースを編集]
建設されなかったら[編集 | ソースを編集]
上新庄が起点だったら[編集 | ソースを編集]
- 今里筋線は当初上新庄が起点の計画でしたが、最終的に井高野に変更されました。もし上新庄起点で建設されていたら…。
- 今里筋線の利用客は現実よりは多かっただろう。
- 大阪市内東部から阪急京都線に乗り継ぐ客が今里筋線を利用していた。
- 阪急側から見れば、現実よりも上新庄駅の重要性が増していた。
- 井高野は現在でも公共交通がバスのみ。
- とはいえ、市バスの本数が多いのでそれほど不便は感じないだろう。
- 上新庄から井高野へ延伸されていた可能性もある。
- 市バス86系統(上新庄駅前~布施駅前)は路線が分割、短縮されていただろう。
杭全が終点だったら[編集 | ソースを編集]
- 「杭全」駅は「東部市場前」駅として、開業していた。
- 史実よりも利用客が多くなっていたかもしれない。
2両編成だったら[編集 | ソースを編集]
- 混雑率を鑑みると現状の4両は過剰で、2両で十分という声もあります。
- 車両数が削減されるため、赤字を回避していた。
- いまざとライナーは存在せず、地下鉄線として正式開業している。
中央線[編集 | ソースを編集]
旧OTS線がニュートラムの規格だったら[編集 | ソースを編集]
- 旧OTS線(大阪港~コスモスクエア)は当初ニュートラムの延伸で考えられていましたが、最終的には地下鉄中央線の規格で建設されることになりました。
- 大阪港駅は中央線が高架、ニュートラムが地下ホームとなり、乗り換えが遠くなっていた。
- 当初は別会社だったので改札口も別になっている。OTSが大阪市交の路線に編入されても構造上改札内で繋がらない形はそのままかも。
- 南港でイベントなどがあった時は輸送力がパンクしていた。
- 港区と南港を結ぶ大阪市営バスの路線は現在も運行されている。
- 中央線を夢洲・舞洲に延伸する計画が立てられることはなかった。
- 夢洲・舞洲方面へはJR桜島線か京阪中之島線の延伸で対応していた。
- 場合によっては2022年万博の会場が夢洲以外になっていた。
- 2008年大阪五輪招致の際も会場は舞洲ではなかった。
架線方式で電化されていたら[編集 | ソースを編集]
- 近鉄奈良ー生駒ー大阪港ーコスモスクエア間に直通列車が運行されていた。
- 学研奈良登美ケ丘からも難波方面に直通列車が運転され、生駒駅は近鉄版小竹向原駅の様相を呈する。
- 車両限界の関係上地下鉄側は堺筋線とは共通化されなかった。
- 一方近鉄側は7000系・7020系は存在せず既存車両の番台の区分で済ませていた可能性大。
- 但し1990年以降は堺筋線と共通設計化され、堺筋線の66系に対応する中央線用の車両は「64系」(64000番台)を名乗っていた。
- 近鉄特急直通構想が大阪オリンピック招致時に出ていたかもしれない。
- 2025年万博開催に伴いその計画が再燃していたのは間違いないだろう。
- 堺筋本町駅に規格が同じ堺筋線との連絡線が建設され、阪急河原町駅から万博会場まで直通する構想も出ていた。
- 堺筋線車両も中央線の森ノ宮検車場で検査を行っていた。
- 堺筋本町駅に規格が同じ堺筋線との連絡線が建設され、阪急河原町駅から万博会場まで直通する構想も出ていた。
- 近鉄が第三軌条と架線集電式の路線の双方を走れる車両を開発することもなかった。
- 2025年万博開催に伴いその計画が再燃していたのは間違いないだろう。
- 京阪も大和田から荒本への新線を建設して中央線に乗り入れていたかもしれない。
- 谷町線や千日前線も架線方式になっていたかもしれない。
- OTSの鉄道車両は大阪市への車両譲渡後も中央線を走っている。
長堀鶴見緑地線[編集 | ソースを編集]
千日前通経由だったら[編集 | ソースを編集]
- 大正-桜川-なんば-日本橋-谷九-鶴橋-玉造-森ノ宮-OBP-京橋
- 名前が長堀鶴見緑地線ではなく、千日前線になっていた
- 京橋から難波に直接向かえるので、利用者数はいまより多かったのかもしれない
- 京阪と直通可能な規格であれば、難波~京都の特急も運行されていた
鉄道事業法に準拠していたら[編集 | ソースを編集]
- 大阪市の地下鉄は地方鉄道法→鉄道事業法ではなく軌道法に準拠しています(旧OTS線を除く)。
- 民営化後の社名は「大阪地下鉄」になっていた。
- 愛称は同じく「Osaka Metro」。
- 地上区間で道路と一体になっている区間は現実より少なかったかもしれない。
- 近鉄けいはんな線の長田~新石切間も法的には鉄道になっていた。
- 2022年現在、近鉄に軌道法準拠区間は存在しない。