もし常磐線が○○だったら
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独立済み
- 全線交流電化だったら
- もし常磐線の優等電車の停車駅が増えていたら
- もし常磐線が○○を通っていたら
- もし柿岡に地磁気観測所がなかったら
- もし首都圏の国鉄通勤五方面作戦で方向別複々線化を採用していたら#常磐線方面
- もし常磐線だけJR西日本だったら
上野口で2007年3月以降も415系が現役だったら
- サロ123・サロ124が改造されてサロ431・サロ432として415系編成に組み込まれる。
- E531系派と415系派で分かれるが、E531系派はグリーン車を使うブルジョアな方々。
- E531系に2階建てグリーン車は組み込まれず、従来のまま運用を続ける。
- 朝夕ラッシュ時には上野ー水戸間に出るが、日中は水戸ーいわき(旧・平)間中心運用。
- 415系のJR東日本からJR九州への譲渡はなかった可能性がある。
- どちらにしろ、上野東京ライン開業までに415系は上野口から撤退していた。
上野〜北千住間が複々線だったら
- 千代田線直通開始後も上野発着の各駅停車が健在。
- 「迷惑乗り入れ」と叩かれることはなかった。
- 史実以上に北千住〜綾瀬間の扱いで揉める。
- むしろ普通にJRの路線になっていた。北綾瀬支線は存在しないかこちらもJR線。
- 快速は当区間で日暮里にのみ停車。
- 地上用103・E231系は上野発着の緩行線に使用され、快速線に通勤形が走らない。
- 「国電=各停、中電=快速」の図式が確立していた。
- 北千住~綾瀬は三複線になっていた。
- なってない。常磐線乗り入れをしない千代田線電車は北千住で折り返し。
- 常磐快速線は上野、日暮里、北千住駅(朝上りのみ)、松戸、我孫子、取手しか停まらない。
- 柏市の要望で柏に止まってもおかしくはないと思うけどね。
- というかこれができたなら各駅停車の千代田線直通はなかったかも。
快速電車が緩行線を走行していたら
- 北千住か綾瀬で列車線に直通できるようになっていた。
- 普通列車の停車駅はそれほど増えなかった。
- 北千住が終日停車になった程度。
- 快速の15両化はなかった。
- 千代田線に直通する快速の運行が検討された。
- 北千住・松戸・柏・我孫子に待避線が設けられていた。
- 柏には最初から停車しており、綾瀬や新松戸にも停車が検討されるはず。
京浦都市線の愛称が採用されていたら
- 常磐線の上野~土浦間をこの名前で呼ぶ予定でしたが批判が殺到した
- 必然的に快速電車の土浦延長が検討される。
- あるいはいつぞやのように土浦で乗り換え強制ダイヤが強化される。
- 流石に品川まで愛称が延長しないだろう。
- 上野東京ラインが常磐線だけ日暮里に停まるので紛らわしくはなくなる。それだと常磐線は上野東京ライン扱いされない。
- 「この電車は上野東京ライン、京浦都市線、水空ライン直通、快速成田行きです」…くどい。
- 停車駅が違うのでしばらく(快速が取手までなら)快速電車だけは「常磐線」の名称で呼ばれ続ける。
快速電車も交直流電車になったら
- 松戸ではなく取手辺りに車両基地が作られる。
- もちろんE501系の製造量数は増えていた。
- 下手すれば土浦で系統分割。
- 京浦都市線が実現してしまう。
- 成田線我孫子支線が直流区間なのに交直流電車しか来ないことに。
我孫子~取手間の複々線化が1980年10月までに実現していたら
- 通勤五方面作戦では1971年3月に完成する予定でしたが、実際は1982年11月に完成しました。
- 1970年代に完成した場合、103系電車の増備が史実よりも早まっていた。
- 207系電車は登場することはなかったかもしれない。
- 1980年10月に完成した場合、203系電車の登場が史実よりも早まっていたかもしれない。
- 日中における緩行線の電車は取手まで運行されていた。
- 1971年4月に完成した場合、天王台駅に快速線ホームが設けられることはなかった。
- 後にNECが快速停車を陳情。
快速新線が建設されていたら
- 各駅停車が三河島・日暮里を経由して上野行き。千代田線との相互乗り入れは行っていない。
- 亀有や金町から上野方面の利便性が落ちていない。
- 運賃制度も簡素になっていた。
- 北千住駅ではJRと東京メトロ&東武に改札内を分ける。
- 快速新線は昭和通り下に建設。
- 上野・秋葉原・東京へと順次開業。
- 昭和通りに快速新線が埋まってるので、日比谷線は吉野通りの地下に建設。
- 浅草から先は都営浅草線のルート。久松町ではなく、中ノ橋で曲がり、新大橋通りにはいって蛎殻町で実際のルートへ復帰。