もし新幹線が○○ではなく○○に通っていたら/上越/東京-高崎
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- もし新幹線が別のルートを通っていて駅も違ったら?
- 追加する場合は下り線基準でお願いします。
上越新幹線新宿駅が東北新幹線東京駅とは別に開業していたら[編集 | ソースを編集]
- 赤羽駅付近まで東北新幹線と地下複々線または二重高架で建設されている。
- 元々上越新幹線用地を転用した訳ではないため、埼京線も史実通り開業している。
- もしくは東北貨物線の直上に別線を建設。
- 東北新幹線の大宮以南や埼京線と同時期に開業していた場合、大宮~赤羽間は東北新幹線・上越新幹線・埼京線の三複線になっていた。
- 東京 - 大宮間の超過密ダイヤも、ある程度は解消している。
- 山形・秋田新幹線のどちらかと東北新幹線の半数も池袋経由の新宿行きとなる。
- そうしたらリニア中央も新宿起点になったかもな。
- 大宮以南の速度制限も110km/hから170km/hに緩和されていた。
- 山形・秋田新幹線のどちらかと東北新幹線の半数も池袋経由の新宿行きとなる。
- 新幹線車両基地は大崎駅付近に建設されていたかもしれない。
- その場合、後に渋谷駅の地下にも新幹線ホームが建設されている。
- 快速「ムーンライトえちご」が回送列車を用いた新幹線列車で運転されているかも。
- 国鉄時代に予定通りの開業なら、東海道新幹線の新宿枝線分岐が真剣に検討されていた可能性も。
- その場合、西大井駅が新品川駅となっている。
- 上越新幹線の終点は品川駅になってたかも…。(東海道新幹線接触のため)
- 成田新幹線次第では東京駅まで延伸されている。
さらに池袋駅にもホームを開設したら[編集 | ソースを編集]
- 西武池袋線、東武東上線、有楽町線、副都心線 、埼京線の沿線住民は大喜びする。
- 18きっぱー涙目。
- 渋谷駅の利用者は反対しそう気が…。
- ムーンライトえちごは開業と同時に廃止された。
- 池袋駅発の夜行バスも大整理される。
渋谷駅にもホームを開設したら[編集 | ソースを編集]
- 上越新幹線は史実よりも混雑しそう。
- 湘南新宿ラインや埼京線などの利用客が少なくなる。
- 開業するとしたら東急の副都心線乗り入れ後だろう。
- 旧東横線ホームの跡地に湘南新宿ラインホームと2層構造。
- 地上から顔を出すために宮下公園が潰されてホームレス涙目。
- 旧東横線ホームの跡地に湘南新宿ラインホームと2層構造。
- 東海道新幹線との直通が検討される。
- 新横浜→武蔵小杉→渋谷と延伸させる計画ができ、東横線は大打撃を受ける。
大宮→○○[編集 | ソースを編集]
川越線沿線[編集 | ソースを編集]
- 西大宮
- 西大宮駅が大きくなっていた。
- 駅名は「武蔵大宮」になっていた。(新大宮だと被るので)
- 市名を取って「新さいたま」とか。
- 西大宮まで複線になっていた。
- むしろ川越まで複線化。
- 狙いは大宮市(建設当時)中心部貫通の回避か。
- 開発も現実より進んでいた。
- 西大宮駅周辺はさいたま市の副都心となる。
- 指扇
- 東北新幹線は大宮、上越新幹線は指扇に停車。
- 熊谷まで荒川沿いに建設。
- 南古谷、または指扇~南古谷駅の新駅
- 駅名は「新川越」?
- 所在地の市より知名度を優先させて「新大宮」になっていたかも。
- 新幹線は荒川沿いの西を走っていた。
- 埼京線は開業していなかったかもしれない。
- 東北貨物線を旅客化して東北本線の混雑緩和。
- この駅から新幹線通勤をする人もいた(現実の新横浜より多い)。
- 東武はTJライナーを20世紀中に運転開始して対抗。
- 西武の小江戸も史実より早く走り始めている。
- 川越
川越 | ||||
かわごえ | ||||
上野 | 熊谷 | |||
Ueno | Kawagoe | Kumagaya |
- 流石に地下駅だろう。
- 川越市の人口は増加していた。
- 小江戸のアピールで川越市は観光客でごった返す。
- 埼京線は川越まで複線になっていた。川越線~八高線の本数も増加していた。
- 埼京線のE233系運転開始も早まっていた。
- 場合によっては八高線にもE233系が!?
- 八高北線=205系、209系? 八高南線=E233系?
- 場合によっては八高線にもE233系が!?
- 埼京線のE233系運転開始も早まっていた。
- 大宮発車直後に急カーブができていた。
- 大宮に停車しない列車が存在しなかったかもしれない。
- むしろ、武蔵浦和駅辺りで分岐していて、東北新幹線が大宮駅停車で上越新幹線が川越駅停車していた。
- 大宮に停車しない列車が存在しなかったかもしれない。
- おおむね東武東上線や八高線に近いルートになっていた。
- 川越駅が大宮駅並みに発展していたかも…。
- 川越の小江戸のイメージが崩れていたかもしれない
- 川口市を抜いて埼玉県第二の都市になっていただろう。
- 東武東上線が激しい競合を受けることになるため、有楽町線直通も準急復活+東上線内急行運転が実現していたかもしれない。
- 新宿〜池袋〜川越〜高崎のルートだったら西武大宮線は復活し東北新幹線の大宮ー川越間の輸送に特化していて川越線とはライバル関係
- 高麗川
- 川越線の高麗川~大宮が復活していた。
- 大宮並みに発展していたか?
- 都市機能や人口を考慮するとそれはない。
- こうなると新幹線は秩父経由になる。
- 北陸新幹線の駅になってしまうかも。
- つまり↓の大宮-秩父-上田みたいな感じか?
- 北陸新幹線の駅になってしまうかも。
- 巾着田の彼岸花と高麗神社が全国区になっていた
西武鉄道沿線[編集 | ソースを編集]
- 所沢
所沢 | ||||
ところざわ | ||||
上野 | 熊谷 | |||
Ueno | Tokorozawa | Kumagaya |
- 上記の川越同様に東北新幹線は大宮、上越新幹線は所沢に停車していた。
- 王子あたりで分岐していたのかもしれない。
- あるいは上越新幹線が新宿始発になっている。
- 所沢に作る場合、JRは秋津~新秋津の渡り線を活用し直通電車を走らせていた。
- JR武蔵野線の脆弱さをなくす一石を投じていただろう。
- 東所沢に作る場合は東所沢は大きく発展していた。
- その場合東所沢が新所沢となり、西武新所沢は美原駅に改称されていた
- JRが大型の商業施設を作り、JR対西武で鎬を削っていたかも。
- 多摩方面(特に府中・国分寺)の人口が増えていた
- 駅舎もリニューアルしていた。
- それなりに開発されていただろうから、清原に所沢が山の中といわれるようなこともなかった。
- 口さがない人に「西武の陰謀」呼ばわりされた。
- 西武の本社は池袋に置かれたままだったかもしれない。
- 北陸新幹線はここ起点で秩父を経由し軽井沢に向かう。
- 飯能
- ここまで来るとかなりの急カーブが目立っている。
- 上野駅~飯能駅間に駅が出来ている。
- 候補としては清瀬市か所沢市。
- 新飯能駅は出来ているか怪しい。
- 丸広はリニューアルしている。
- 西武秩父線の近いルートで構想されている。もちろん大反対。
- 入間市
- 当初は「何故所沢駅に停車しないんだ」と疑問に思もう人が居るだろう。
- 少なくとも需要は無さそうに思えるのだが…。
- 飯能市と狭山市と所沢市が争ったから中間を取って駅が作ったと思われる。
- 入間基地の騒音と続き、新幹線の騒音が聞こえてきてさらに迷惑に。
- 最悪の場合反対になり掛けない。
- 狭山市
- 上記同様入間基地の騒音と続き、新幹線の騒音が聞こえてきてさらに迷惑に。
- ロッテ・本田技研工業の圧力で出来た駅と見なされていた。
東武鉄道沿線[編集 | ソースを編集]
- 坂戸
- 東武東上線や東武越生線と乗り換えが出来るがJR路線はないため、ちょっとイマイチかもしれない。
- 数年後には恐らくJR路線は開業していただろう。何線になるのか?
- おそらく川越線が坂戸まで延びていた?
- 埼京線が大宮~川島~坂戸と延伸していたかもしれない。
- 数年後には恐らくJR路線は開業していただろう。何線になるのか?
- 川越市内にも停まれている。
- 東北新幹線の分岐は大宮駅を出てすぐ分かれていた。
- それだと急カーブになるので王子あたりで分岐し東武東上線沿いに通っていただろう。
埼玉県中部→○○[編集 | ソースを編集]
高崎線沿線[編集 | ソースを編集]
- 鴻巣
- 鴻巣市もかなり発展していた。
- 免許センター辺りだったらニューシャトルも延長していた。
- ホームライナー鴻巣は廃止か?
- なぜか特急化するも、数年で廃止になりそう。
- 高架駅になっていた。
- ひな祭りで全国的に有名に。
- 岩槻は遺憾の意を示す
- 桶川
- 桶川市もかなり発展していた。
- 現行ルートの桶川市内だったら菖蒲町は久喜市ではなく桶川市と合併していた。
- 本田エアポート辺りだったら、さいたま空港(桶川空港)化されていたかも。
- ルートは新幹線と高崎線が並行する形になる。
- ニューシャトルはなく埼京線が桶川に延伸していたかも。
- 北本
- みなみ北本駅は実現していたか?
- ニューシャトルは北本市に延伸されていたか?
- 駅には市名の由来の看板が掲げられている。
- なぜが解脱会が解脱駅に改名しろという要求が出てくる。
- 結果副駅名に採用されてしまう。
- いくら何でもそれは流石に無いかと…。
東武鉄道沿線[編集 | ソースを編集]
- 羽生
- ちょっと遠回りするが、秩父鉄道と東武伊勢崎線と乗り換え出来るので、秩父方面や浅草方面に行く人は増えていたかも。
- 現状でも熊谷で秩父鉄道と接続しているので秩父方面は変化なし。
- やはり、駅前は発展していた。
- 旧妻沼町に「新熊谷」駅ができていた。
- 本庄への停車も実現している。
- 加須
- 熊谷駅停車は史実通り。
- 本庄早稲田駅も。
- 駅前にはもちろんこいのぼりがある。
- 加須市のショッピングモール進出計画はどうなる?
- 史実以上にかそ市とかかす市と呼ばれていたか?
その他[編集 | ソースを編集]
- 菖蒲
- 菖蒲町は久喜市と合併せず独自に市制施行を目指していた。
- モラージュ菖蒲の建設も早まっていたはず。
- 埼玉高速鉄道にも停車出来ていたかもしれない。
- 東北新幹線との分岐がやや北になる。
- 「白岡菖蒲」駅になる。
- いや、市制施行を目指してるから駅名は「菖蒲」駅でしょう。
- 内宿
- ニューシャトルと乗り換えする人がいるかも?
- ニューシャトルが延長したか怪しい。
- ニューシャトルの延伸反対運動がさらに過激化。
- ニューシャトルが延長したか怪しい。
- 大宮駅に近いので停車するのは「たにがわ」のみ。
- 駅名は「伊奈駅」になっていた。
- 川島
武蔵川島 | ||||
むさしかわじま | ||||
大宮 | 熊谷 | |||
Ōmiya | Musashi-kawashima | Kumagaya |
- 川島町の「いなかくさいたま」のイメージはなくなっていた。
- むしろ川島町が川島市となり、かなり栄えていた。
- 西上尾が再開発されていた。
- 西上尾も大宮並みの都会に。
- 駅名は「武蔵川島」か?
- 群馬県に入るまで高崎線よりかなり南に寄ったルートになっていた。
- 熊谷市などが反発していた。
- 鉄道博物館駅辺りで分岐していた。
- 熊谷市などが反発していた。
- ニューシャトルは伊奈線ではなく川島線になっていたかも。
- 吉見町まで伸ばせと言う人が現れる。
- 吉見
- 東松山と鴻巣が新幹線駅で争った結果、中間をとって吉見町内に停車と見なされていた。
- ニューシャトル延長構想は吉見駅に。
- 吉見百穴は吉見町の観光スポットとして全国的にアピールする。
- 東野地区辺りに設置か。
熊谷→○○[編集 | ソースを編集]
高崎線沿線[編集 | ソースを編集]
- 行田
- 行田市埼玉辺りに建設か?
- さいたま、さきたまと困難する人続出。
- 駅名も行田埼玉に改名。
- 本庄駅にも停車できていた。
- 行田のぎょうざ弁当みたいなのがあったりして。
- 籠原
- 現実よりも籠原の始発列車が多くあった。
- そのため、深谷駅以降の利用者はかなり待たされるだろう。
- 駅名は「新熊谷」。
- いや、北熊谷。
- 普通に新熊谷でしょ。あるいは↓
- 「籠原」より場所がわかりやすいため東海道線沿線で行き先を見て「籠原ってどこ?」となることはなかった
- 東海道線沿線で最大のわかりずらい行き先は小金井行きになっている
- いや、北熊谷。
- 新幹線駅の発車メロディーが熊谷市歌になる。
- 設置目的は上にあるように荒船清十郎による深谷市と熊谷市の妥協
- 駅名も「熊谷深谷」になってたかもしれない
- 深谷
- 「荒船清十郎がまたやった」といわれていた。
- 付近の新幹線は荒船新幹線と未来永劫呼ばれるようになる。
- あんな駅舎にはならなかった。
- もちろん某漫画の校舎も別のデザインに。
- あれは東京駅の煉瓦工場があった縁だからむしろ本格的なレンガ駅舎になっていたんじゃ。
- 熊谷~籠原間の新駅
- 西熊谷駅構想が実現
- 駅名はもちろん「新熊谷」
八高線沿線[編集 | ソースを編集]
- 寄居
- 秩父鉄道や東武東上線と乗り換えが出来ていて観光地に行く人は増えていたか?
- いかにも「政治による無茶な介入」という感じの不自然な迂回になる。
- 立地を考慮するとかなりの難工事は避けられない。
- 荒川をまたぐ橋は大規模になっている。
- 寄居町は市制施行していたかも。
- 小川町
- 小川町のJRのホームはもう少しマシになっていたかもしれない。
- 神田にある小川町駅は改名していたかも。
- 淡路町駅にしましょうか。
- 本庄市にも停車していたか微妙。
- 佐久平のように在来線と新幹線の改札が分離されていた。
東武鉄道沿線[編集 | ソースを編集]
- 東松山
- 東松山市も発展していて、大型スーパーも開業していた。
- 本庄早稲田駅はどうなるんだ?出来たとしても遠回りするかもしれないし…。
- 東松山から先は関越道に近い路線に。
- 名物の味噌だれやきとりの駅弁が売られている。
- 武州松山に改名する。
- むしろ、東松山駅のままだろう。
- 太田
- 熊谷~太田の電車が開業していた?
- 太田市スバル町がネタをする人がいそう。
- 富士重工業の圧力でルートをねじ曲げたと言われた。
- 館林付近から群馬県の鶴の形の首部分を通っていた。
- 高崎ではなく前橋市内を通っていそう。
- ルートは太田-伊勢崎-前橋という事か?
- 東北新幹線の分岐は加須市辺りに。
- 館林
- 線形を考慮すると新潟方面の次の停車駅は前橋。
- 熊谷は猛暑日だけで頑張っている。
秩父鉄道沿線[編集 | ソースを編集]
- 長瀞
- 長瀞が観光名称になっていたか?
- 田中角栄に何か起きない限りまずこんな不自然な迂回は認められなかったはず。
- 秩父山地のトンネル工事のせいで工期がけっこう延びた。
- 東北新幹線の「暫定開業」の期間が年単位になっていたかもしれない。
- 長瀞の貴重な自然が破壊されそう。
- 大規模な反対運動は避けられまい。
- 秩父
- 山を抜けたらすぐに山に入ってしまう。
- 「笑点」の大喜利で秩父出身の林家たい平が大月出身の三遊亭小遊三に自慢する。
- 北陸新幹線のルートは大宮-秩父-上田かも。
- 上越新幹線の場合、大宮-川越-秩父-高崎になる。(高麗川駅は停車するか微妙だが)
- 北陸新幹線のルートになった場合、群馬県上野村にも通り駅名は「上野上野」(こうずけうえの)になる。
- 群馬上野駅にしますか。
- 高崎駅は在来線で頑張っている。
- 熊谷より秩父の方が栄えていた。
- だけど、自然破壊の反対のより(ry
- 西武秩父線との競争が激しくなる。
その他[編集 | ソースを編集]
- 佐野
- 栃木県にも上越新幹線と北陸新幹線が…。
- どれぐらい発展していただろうが?
- 高崎駅ではなく、新前橋駅に止まっていた。
- 北陸新幹線との分岐も新前橋になる。
- 一部では栃木県選出の船田中(元衆議院議長)の圧力によるルート決定と認識される。
- 群馬がブチ切れた。
- いや、伊勢崎駅や前橋駅も停止しているだろうから何故ブチ切れるのか疑問。むしろ館林市民の方が揉めている。
- 確実に「勝手に新駅設置」で「新館林駅」を書いていた。
- 伊勢崎だと前橋に近すぎるので距離的には太田か桐生のどちらかになる。で、どっちを通すかで大いに揉める。
- いや、伊勢崎駅や前橋駅も停止しているだろうから何故ブチ切れるのか疑問。むしろ館林市民の方が揉めている。
- 妻沼
- 妻沼町は今でもある。
- 熊谷市と合併し市名は「妻沼市」に…。
- 現実の似たような事例と比べるとここまでの下剋上は考えにくい。
- 元々妻沼駅があった所に設置か?
- それでも、東武妻沼線は復活しないだろう。
- あったとしても、JR妻沼線だろう。(ルートは川越→妻沼か?)
- その先、延長し太田駅まで延びていただろう。
- 当時の国鉄の財政ではまず無理。
- なら、埼京線みたいなポジションの感じか。
- あったとしても、JR妻沼線だろう。(ルートは川越→妻沼か?)
- 熊谷経由より距離はやや短縮している
- 大宮~高崎間が高崎線より距離が長くなることはなかった
- 森林公園北口付近
- 駅名は「新熊谷」
- 大宮より手前で東北新幹線と分岐しているか
本庄早稲田→○○[編集 | ソースを編集]
高崎線沿線[編集 | ソースを編集]
- 本庄
- あんまり…変わらない?
- 早稲田大学による駅は本庄駅に。
- 計画すら無かったのでは。
- 本庄早稲田駅は今でも田舎のまま。
- 採算が取れない駅と批判されなかった。
- 新町
- 日本一面積の小さい市町村にある新幹線の駅になるのは当然。
- 合併で飛び地が出来る事は無かった。
- 玉村町と合併し、市制施行へ。
- 読み方が「しんし」。
八高線沿線[編集 | ソースを編集]
- 寄居
- 八高線や秩父鉄道や東武東上線と乗り換えが出来るが、少し遠回りする。
- 今でも、池袋まで直通していてわざわざ乗り換えなくても行けていた。
- 八高線は寄居まで電化していた。
- 西武線の秩父鉄道直通は今も寄居まで走っていた。
- 秩父鉄道の本数も増えていたかもしれない。
- しかし池袋に出るのは東武東上線が主流。
- 児玉
- 八高線は1時間とか2時間掛からずに住む。
- とは言っても、30分~1時間が限界かもしれない。
- 確実に史実以上に要らない駅と呼ばれていたかもしけない。
- 東口(北口?)が出来ている。近くにある住宅は全て撤去か移動。
- こだま市は出来ているかどうか…?
- 東海道新幹線の「こだま」は改名する。
- 上越新幹線と北陸新幹線「上越妙高駅」並みに揉めるだろう。
- いや、東海道新幹線沿線民は児玉を知らない。「武蔵児玉」とかでいいだろう。
- 上越新幹線と北陸新幹線「上越妙高駅」並みに揉めるだろう。
その他[編集 | ソースを編集]
- 玉村町内
- 動機はあくまで「前橋と伊勢崎の中間」。
- 高崎駅は出来ているだろうか?
- 「玉村なのに町」のジョークは通じなくなる。
- 新町は玉村町に合併している。
高崎→○○[編集 | ソースを編集]
両毛線沿線[編集 | ソースを編集]
- 前橋
新前橋 | |||||
しんまえばし | 安中榛名 | ||||
本庄早稲田 | Annakaharuna | ||||
Honjo-waseda | Shin-maebashi | 上毛高原 | |||
Jōmō-Kōgen |
- 高崎は在来線で頑張り、知名度を維持。
- しかし、イメージは「前橋の下」あるいは「特急が止まる駅」
- 無駄に路線が集まる駅
- しかし、イメージは「前橋の下」あるいは「特急が止まる駅」
- もはや「高崎が県都」と言われることは無い。
- 高崎と伊勢崎がライバル意識を持つようになる。
- 人口は前橋の勝利。
- 高崎は伊勢崎と張り合う。
- 在来線は何も変わらない。
- 「本庄早稲田駅」はやっぱり建設された。
- さすがに前橋駅は無理。あっても新前橋。
- 伊勢崎
- 高崎はあまり栄えておらず、伊勢崎の方が栄えていたかも。
- 逆に「伊勢崎が県都」と言われてしまう。
- 「本庄早稲田駅」は建設されてない。
- ルートの都合上中山トンネルは存在しない。
- 伊勢崎線の本数は増えていた。
- 東武伊勢崎線の太田~伊勢崎間がワンマン化されることはなかった
- 浅草発伊勢崎行きの特急りょうもうが多数運転されていた
- 東武スカイツリーラインは東武伊勢崎線のままだった
- スカイツリーラインは単なる愛称としてのみ使用されていた
- むしろ東武シンカンセンラインに改名していた。
- スカイツリーラインは単なる愛称としてのみ使用されていた
- 東武動物公園以北が東武シンカンセンライン、以南がスカイツリーラインになっていた。
- 東武スカイツリーラインは前橋まで延伸していた。
- 桐生
- ルートは「熊谷→桐生→(前橋?新前橋?)」か。
- 熊谷ではなく館林を通っていたかもしれない。
- 太田駅案も出てくる。でも駅の間が近いので館林駅の方が良いかも。
- 熊谷ではなく館林を通っていたかもしれない。
- 遠回りしていたかも。
- 館林経由なら問題無し。
- みどり市と合併していたかも…。
- 桐生市の人口減問題はなかったかもしれない。
- 東北新幹線の分岐は加須市内か。
- 上毛電鉄は西桐生ー桐生、中央前橋ー前橋を延伸して人気が出ていた。
信越本線沿線[編集 | ソースを編集]
- 安中
- 安中市は高崎市に併合。
- 中山トンネルは少し長くなっているか。
- 安中榛名駅なんて出来ていない。
- 北高崎
- 駅名は新高崎駅。
- どのルートでも高崎駅の近くに通るから、何らかの工夫しないとまず無理。
- 北藤岡駅付近で北寄りすれば大丈夫そう。
- 北陸新幹線はもう少し短縮していた。
- 「新幹線北高崎駅設置理由は長野新幹線の事を考えたのでは」と噂される。
その他[編集 | ソースを編集]
- 藤岡(群馬県)
- 現行ルートの場合、駅名は「新藤岡」?
- 八高線にも駅ができている。
- 駅名は上野藤岡(こうずけふじおか)にしましょうか?
- 藤岡では栃木県にある駅とまぎらわしいので。
- 新幹線のルートが北寄りに。
- 旧群馬町内
- 本当に群馬市が誕生していた?
- 高崎市と前橋市を巻き込んだ大規模な物になるだろう。
- 中山トンネルは少し短くなっていたかもしれない。
- 駅名が群馬駅になる。
- 高崎市と前橋市の駅誘致合戦でこうなったと言われる。
- 史実のイオンモール高崎辺りに設置か。
- 高崎駅は寂れていただろうか?
- 佐野のわたし
- 史実では最近できた請願駅だが、上信電鉄が自主的に新幹線開業にあわせ作っていた。
- 上信電鉄はずっと儲かっていた。
- 悲願の長野延伸も成功し、事実上横軽の代替案になっていたかも。
- JRも対抗して支線を作ってきたかも。
- 駅名は新高崎のわたし。
- 北藤岡
- 当然高崎線も停車するようになっていた。
- 上信電鉄も対抗して支線を作ってきたかも。
- 駅名は新高崎藤岡。(新函館北斗風に)
もし新幹線が○○ではなく○○に通っていたら | |
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