もし日本の鉄道が標準軌に改軌されていたら
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全国規模で標準軌に改軌されていたら[編集 | ソースを編集]
- 赤字ローカル線の多くは廃止される以前に建設されなかった。
- 「改主建従論」ってやつですな。
- 大都市圏以外のモータリゼーションがもっと進んでいただろう。
- そして交通事故&大気汚染&都市人口集中多発。社会問題に。
- 東北や北海道には高速道路は一切建設されず、標準軌の高規格ローカル線が建設されていた。
- 史実のイギリスや韓国を見れば分かるがそんな事はない。↑は鉄道と道路交通を混同してしまっているようだ
- 道路交通や対米外交に関する政策が史実とは大きく異なっていた。
- 工事に金がかかって、戦争する余裕がなかったかも。
- 全国の改軌費用は長門型戦艦2隻+駆逐艦5隻の建造費くらいの額(ただし計画段階)なので軍拡も続けていたのでは。
- 道路交通や対米外交に関する政策が史実とは大きく異なっていた。
- 史実のイギリスや韓国を見れば分かるがそんな事はない。↑は鉄道と道路交通を混同してしまっているようだ
- 国鉄の「本線」とつく路線では、改軌と同時に複線化が行われていた。
- 名寄本線を除く。
- というより、輸送量の少ない路線は除かれる。
- 名寄本線を除く。
- 一部の路線は史実より遅い時期により高規格で建設され、モータリゼーションにも対抗できるようになる。
- 結局後の時代の政治家が騒いで標準軌でローカル線が建設された。
- 電化は遅れ、各地に標準軌の非電化路線がはびこっていた。
- 標準軌以上では1067mmでは整流子とWN・TD継手が場所とるためスペースの関係で搭載が難しかった大型の整流子電動機とWN・TD継手が可能に
- 新幹線は全く建設されなかったか、あるいは遅れていた。
- 改軌しても建築限界がそのままの為、イギリスと同じでの小さめの車両が多かった。
- 上述の通り、電化や新幹線の建設が史実より遅れる一方で、総特急化(急行の特急への格上げ)は史実より早く進むというParadoxが起きていた。
- そのため、電車急行や電車準急は登場せず、逆に気動車特急や客車特急(ディーゼル機関車牽引)は史実より多く登場していた。
- 東急も西武も小田急も東武も京王も相鉄も名鉄も南海も全部標準軌に。
- 近鉄南大阪線は?
- 国鉄との提携輸送が当初の目的だから、当然同じでしょう。
- 小田急と箱根登山鉄道が全線直通、ただし小型車両のみ。
- 小型車が新松田まで入ってくる。
- 出力は箱根登山鉄道車両は低速高トルクなので高速運転出来ないから回送がメインか? 連結器も長くて首振り大きい自動連結器か柴田式密着連結器で小田急とも併結可能。
- 西鉄宮地岳線もお忘れなく。
- 戦時中に新博多〜西鉄福岡間が1500V電化線で結ばれ、津屋崎〜宮地岳〜新博多〜西鉄福岡〜大牟田で「西鉄本線」となる。
- 「福岡本線」だろう。
- 部分廃止はなかった。
- 戦時中に新博多〜西鉄福岡間が1500V電化線で結ばれ、津屋崎〜宮地岳〜新博多〜西鉄福岡〜大牟田で「西鉄本線」となる。
- 京王はなぜか1372mm。
- 京成も最初は1372mmだったが、都営と京急の直通運転の際に1435mmに変更。
- だが、都電も1435mmになったので京王も1435mmになる。
- 井の頭線と京王線の直通列車も設定される。
- 上記は都電との直通考慮してか?
- ここまで行くと狭軌の路線は消滅しそう。
- 法律で「軌間は1435mmのみとする」と明文化されていた。
- 762mmなどの軽便鉄道(特殊狭軌線)は?
- 「1435mmのみ」では乱暴だろうし、実際には「狭軌と言えば762mm。1067mm? なにそれ?」という感じか。
- 黒部峡谷鉄道が日本唯一の「狭軌」路線になっていたかもしれない。
- 762mmなどの軽便鉄道(特殊狭軌線)は?
- 法律で「軌間は1435mmのみとする」と明文化されていた。
- 神戸電鉄も標準軌で建設されていたため、神戸高速鉄道開業時に阪急及び阪神と直通運転を行なっていた。
- 名鉄などの名古屋近郊の私鉄は狭軌モンロー主義なのでかたくなに狭軌を守り通した。
- いや、名鉄も標準軌。
- 標準軌になっても日本車両豊川工場からのあの面倒くさい車両納入ルートは変わらない。
- 狭軌論者は名古屋に集中するから、名鉄は狭軌だろ。事実名古屋地区には政友会支持者が多かったし。
- 名鉄が標準軌になったとしても、それは旧愛電区間のみで、旧名岐区間は狭軌。よって、金山で軌間が分断されていた。
- いや、名鉄も標準軌。
- 近鉄南大阪線は?
- 新幹線と在来線の直通が一般的となる。
- ほとんどの地方主要都市には新幹線車両が乗り入れている。
- 東京でも新宿、渋谷、池袋などには在来線を利用して新幹線車両が乗り入れている。
- 大阪では新幹線車両が直接大阪駅に乗り入れるため、新大阪駅が存在しない。
- やがて大阪駅のホームが足りなくなったため、北側の道路と大鉄局・梅田貨物駅の地下に新幹線専用ホームができる。
- 大鉄局は建て替えられて、大阪駅新幹線口を兼ねた建物になる。
- 最終的に、実史はるかルートによって桜島・天王寺・奈良・和歌山・関西空港に振り分け。
- 大鉄局は建て替えられて、大阪駅新幹線口を兼ねた建物になる。
- やがて大阪駅のホームが足りなくなったため、北側の道路と大鉄局・梅田貨物駅の地下に新幹線専用ホームができる。
- それでもJR東海は東海道新幹線に在来線直通列車を走らせない。
- E3系のような、在来線と同じ車体サイズの車両が多くなる。
- 上記の高速車両もトンネル出入り気圧変化で疲労破壊・老朽化したら130km以下限定で在来線専用で使われる場合も多そう。
- 最初から在来線に直通することが考慮されていたのなら、フル規格なるものが存在したかどうか。
- 少なくとも東海道・山陽・東北新幹線は輸送力を確保するためにフル規格で建設されるが、その他の新幹線は在来線並みの車両限界にして建設費を抑えるだろう。
- むしろ在来線の車両限界が拡張されていた。
- あるいはドイツのICEのように輸送力増強が必要な部分から順次新線を建設していた。
- 少なくとも東海道・山陽・東北新幹線は輸送力を確保するためにフル規格で建設されるが、その他の新幹線は在来線並みの車両限界にして建設費を抑えるだろう。
- 北陸新幹線の敦賀以西は建設されず、湖西線経由で京都・大阪に直通していた。
- 敦賀以西のルート問題も起こらないので、金沢開通後敦賀までも早期に着工、開通できた。
- 湖西線は建設当初から新幹線の乗り入れを想定して最高160km/h対応になっていたかも。
- すべての整備新幹線はスーパー特急方式となっていた。
- そのため経路変更を伴うものの在来線を活用。史実のミニ新幹線と同様、新幹線と普通列車が同じ線路を走ることに。
- もちろん在来線が切り捨てられることはないので、並行在来線問題に伴う三セク化なんてなかった。
- 山陰・四国にも楽々新幹線直通。さすがに札幌までは電化してくれないと厳しいが。
- 高速運転対応の気動車(cf:ICE TD)が開発されていれば非電化でも何とかなった。
- むしろ逆。1973年のオイルショックの際に小樽―旭川間が交流電化されたのを皮切りに1985年3月までには函館本線と宗谷本線は全線交流電化が完成。一方の山陰や四国は少なくとも民営化まで非電化のまま放置。
- そのため経路変更を伴うものの在来線を活用。史実のミニ新幹線と同様、新幹線と普通列車が同じ線路を走ることに。
- 在来線交流電化も新幹線同様25000Vになっていた。
- 在来線から新幹線に乗り換える際にもう一つ改札を通らされるようなことはなかった。
- いろいろな新在直通運転ができて、多くの乗換や揉め事はなくなる。
- たとえば、東京~郡山~会津若松、東京~新潟~酒田・秋田、東京~米原~金沢(富山)、新大阪~岡山~四国・山陰方面、博多~鹿児島中央~宮崎など、全部直通運転。
- 長崎新幹線の新鳥栖~武雄温泉はそのまま乗り入れ、もめることはなかった。
- 新幹線を一気に建設するより、「線形改良」としてフルー規格のバイパス新線が少しずつ建設される。「板谷トンネル」「新仙岩トンネル」とか。
- そもそも「新幹線」という名前になっていない気がしてならない。
- 「特急線」または「高速線」あたりになっていてもおかしくなかった。
- スーパーレールカーゴのような貨物電車が新幹線を走っていた。
- いや、新幹線は広軌で建設された。
- 新幹線計画は大陸(標準軌)との直通を想定した弾丸列車計画の一部を転用したものなのでそれはない。
- いや、高度経済成長で人口が増えすぎ、標準軌でも間に合わなくなったので広軌化。
- 車体限界、建築限界も大きくしないと効果が無いかと。
- シベリア鉄道との(ry
- 車体限界、建築限界も大きくしないと効果が無いかと。
- 電気で動く車両の場合は少々軌間を広げたところで何のメリットもなくむしろ「在来線と直通できなくなる」といったデメリットのほうが大きい。
- 冷戦終結・韓国統一後にシベリア鉄道への直通もかねて広軌化。(もちろんKTXも)
- シベリア鉄道は全線標準軌化とまでは行かなくても標準軌の単線増設してEUと中国・朝鮮を結ぶ欧亜連絡国際列車を走らせる事も考えられる
- 費用対効果を考慮すると考えられない。
- 実際に直通している東ヨーロッパ諸国や中国の場合でも台車の交換や貨物の積み替えで済ませている。
- いや、高度経済成長で人口が増えすぎ、標準軌でも間に合わなくなったので広軌化。
- 新幹線計画は大陸(標準軌)との直通を想定した弾丸列車計画の一部を転用したものなのでそれはない。
- 標準軌は狭軌に比べて急カーブに弱いので、地下鉄日比谷線は建設されなかった。
- GCT車両も開発されていなかった。
- 新庄駅が狭軌と標準軌で分断されることはなかった。
- 一部の山形新幹線つばさが秋田に乗り入れ。
- 新在直通が当たり前なので山形新幹線や秋田新幹線という通称が生まれない。
- 秋田~大曲は単線並列ではなく、ごく普通の複線のまま。
- そもそも改軌する必要がなく、ちょっと線形を改良するだけで直通運転を始めた。
- 一部の山形新幹線つばさが秋田に乗り入れ。
- 北海道新幹線において青函トンネルの利用方法が徹底的に議論される事はなかった。
- もちろん「トレイン・オン・トレイン」が生まれる事はない。
- フリーゲージトレインも、もちろん「何それ?」
- もちろん「トレイン・オン・トレイン」が生まれる事はない。
- オリエント急行来日企画で42系客車の台車を履く必要も無かった。
- (史実のオリエント急行が穿いた台車は 皮肉なことに1435mm改軌対応の長軸台車がメインだった・・・・)
- 寝台特急が退潮しなかった。
- 新幹線にも寝台列車が登場する。
- 新幹線は0~6時の間の列車運行ができないので、在来線区間で夜行運転になる列車が運転されていた。
- 583系は新幹線対応になっていた。
- 583系は史実の100系新幹線がベースになっていた。
- 時系列からすると未来の車両を元にすることになるのでおかしい。
- 583系は新幹線対応になっていた。
- 「はまなす」「はやぶさ」のダイヤを組み合わせて、旭川/札幌~東京の直通新幹線ができたかも。
- 新幹線は0~6時の間の列車運行ができないので、在来線区間で夜行運転になる列車が運転されていた。
- 貨物列車も衰退しなかった。
- 標準軌のヨーロッパでも21世紀に入ってからは寝台特急が廃れつつあるため(例:CNL廃止)それは厳しい気がする。
- LCC就航→CNL廃止及び利用者のニーズが近距離日帰り志向で観光地のホテルも閑古鳥。
- 新幹線にも寝台列車が登場する。
- 大阪市営地下鉄堺筋線は南海とも相互直通していた。
- 南海は堺筋線開業と同時に1500V昇圧。
- 「ラピート」は阪急河原町駅発着となっていた。
- 三宮・宝塚発着も運行される。神戸空港は建設されなかった可能性がある。
- 堺筋線は1969年の時点で天下茶屋までの全線が開業している。そして阪急河原町~堺筋線~南海本線経由で紀勢本線に直通する気動車急行「きのくに」が運転されていた。
- 翌年には気動車特急「くろしお」に格上げされた。
- 下にあるように、複集電車が当たり前なら、阪神と近鉄が地下鉄千日前線に乗り入れとかあったのだろうか。
- ミニサイズで地下鉄作っても回送を考慮して京阪京津線みたいな非リニア方式がほとんど。ロンドンのTUBEでは車高の低いミニ車両が高床ホームに乗入れでホームからミニ車両乗車は一段下がる形。
- 「同じ標準軌でも車体の大きさや電気系統(電圧、集電方式、リニアモーター駆動等)の問題で走れない」という問題が出てくるはず。
- ヨーロッパの国際列車で一般的な複電圧車や、イギリスでよくある複集電車(集電靴とパンタグラフ両方装備)が当たり前のように運行されている。デッドセクションの観念が非ヲタにもよく浸透している。
- むしろ電圧や終電方式、車両の長さもある程度統一されていた。
- 夏のレジャーシーズンにはJR東京発京急三浦海岸行き臨時列車が運行されそう。
- むしろ東武春日部or東急渋谷発では。
- 現実に開通した秋田新幹線の工事では、田沢湖線の改軌工事は無く昇圧工事のみとなる為、長期間運休は無かった(現実には改軌工事も行った為、田沢湖線は長期間運休となった)。
- これも認識間違い。山形新幹線を含めミニ新幹線区間の電圧は在来線と共通の20,000V。昇圧工事は一切行われていない。
- コンテナ列車が航送され、韓国や中国との直通貨物列車も運転されていた。
- ただし車両限界の関係で日本の車両が片乗り入れの形がメインとなる。
- 戦前には東京-京城や東京-新京という区間の直通特急の運転も検討されていた。
- 日本型Nゲージ車両の縮尺は1/160で統一されていた。
- 東海道新幹線しか開業していない時代でも「ひかり号東京発広島行き」などというものを運転することができた。
- もちろん大阪~広島間は在来線経由。
- 東北新幹線も当初から東京発(東京~大宮間は在来線経由)にできた。
- 青函トンネル開通とともに、上野発函館行き(上野~盛岡間は新幹線経由)ができている。
- 愛称に「リレー」が付く在来線列車はなかった。
- 北陸新幹線開通に伴う特急列車の金沢駅での分断はなかった。
- 新幹線開業に合わせて、長距離在来線特急の一部区間を新幹線にシフト。
- 例えば「はつかり」:「東京・上野~(在来線)~青森」→「東京~(在)~大宮~(新)~盛岡~(在)~青森」→「東京~(新)~盛岡~(在)~青森・函館」→「東京~(新)~新青森~(在)~函館」→…
- 路面電車の譲渡もやりやすくなっていた。
- 広島や長崎を走る車両の古巣がさらにバラエティ豊かになっていた。
- 関西大手私鉄からも地方私鉄への車両の譲渡が盛んに行われている。
- C53以降にも国産の三気筒蒸気機関車が登場していた。
- ただし、グレズリー式はあきらめられワルシャート式三組を使う方法が主流になっていた。
- 台湾や南樺太の鉄道ももちろん標準軌になっている。
- 台湾高速鉄道は台湾国鉄の路線になっていた。
- 台湾の鉄道は流石にも狭軌のままでアメリカへ帰属変更→台湾高速鉄道の建設はなしというストーリーも考えられる。
- 「蒋介石大激怒→中華民国がソ連と急接近」というアメリカにとってまずい展開になりかねないためそれは避けたと思う。
- 台湾の鉄道は流石にも狭軌のままでアメリカへ帰属変更→台湾高速鉄道の建設はなしというストーリーも考えられる。
- 南樺太ではソ連による占領後は1520mm軌間に改軌。
- 台湾高速鉄道は台湾国鉄の路線になっていた。
- 狭軌鉄道の技術はもっぱら南アフリカがリード。
- 南アフリカでも標準軌への改軌で1067㎜軌間は衰退。
- 島安次郎は現実より広く知られている。
- 黒田清隆も。
- その代わり息子の島秀雄の知名度がやや下がっていた。
- 海外への車両輸出が隆盛に。「日本車」の語が自動車と鉄道車両の二通りの意味を持つ言葉となる。
- 独アドドランツが現実より早く、1980年代ごろ経営難に。ボンバルディアによる買収が早まる。
- 近畿車輛は社名の英語での意味を気にして、会社名を「株式会社キンシャ」と改めている。
- しかし日本メーカーもバブル崩壊後経営難になるところが続出。現実をはるかに超えた衝撃を与える。
- 汽車会社はより長く存続したが、199X年に経営破綻し、海外企業の傘下に。
- しかし日本メーカーもバブル崩壊後経営難になるところが続出。現実をはるかに超えた衝撃を与える。
- 一方京急は足回りだけでなく、まるまるジーメンスのセミオーダー車両デジロを導入し新1000系に。
- 閑散路線で完成車両の試運転兼甲種輸送 車両によっては高床プラットフォームが車体と接触するおそれも有る。
- 逆に戦後復興期にはアメリカなど外国製の鉄道車両もある程度まとまって導入されていた。
- 1970年代以降はアメリカ製よりソ連製や中国製が多くなる。
- 冷戦真っただ中に共産圏の車両を購入するような発想が出るとは思えない。
- 1970年代以降はアメリカ製よりソ連製や中国製が多くなる。
- 東芝はウェスチングハウスの機関車部門を買収、原子炉部門に手を出さなかったため潰れていない。
- あるいはウェスチングハウスの原子炉部門、機関車部門とも買収し、原子力機関車が世界初の実用化。
- 改軌費用がかさんでしまい国鉄の民営化が早まっていたかもしれない。
- 改軌費用がかさんだため電化および新幹線の建設は遅れ、一方で総特急化(急行の特急への格上げ)は早まった。
- 国鉄の民営化が早まった場合は、JR東海という会社が存在せず、JR西日本が史実のJR東海のエリアをも管轄していた。この場合、本社は大阪に置かれ、史実のJR西日本の社風が史実のJR東海エリアまでまかり通っていた。このため名古屋の地位は史実より低下し、名古屋は完全に大阪志向になっていた。
- 史実の計画通りならまだ「省線」と呼ばれていた時代のことなので国鉄民営化に影響が出るとは考えづらい。
- 現在の日本には存在しない非電化で標準軌の路線が存在する。
- 東海道本線以下主要な「本線」は4軌条線となっている。
- 本線を改軌する際に長期不通にしないためだったのが、いつの間にか日常化
- 狭軌車両の減少・消滅に伴い、全線対象で徐々に狭軌用軌道が撤去されると思うが。
- 本数が少ない路線は、改軌のために丸一年運休なんてことも。
- 改軌工事完了後も地震時の車両逸脱防止のためポイント以外狭軌用レールが残される。タイタンパーは使えるか?
- 改軌時期が戦前の場合は戦時中に余ったレールが供出されていた。
- 本線を改軌する際に長期不通にしないためだったのが、いつの間にか日常化
- 伊予鉄道の郊外線と高松琴平電気鉄道の雰囲気が酷似していた。
- 標準軌が広軌と呼ばれることはなかった。
- 場合によっては、新幹線がTGV規格でフランスによって建設されていたかもしれない。
- 中山道幹線が東海道本線より先に開通していたかも。(つまり明治時代に東海道ルートへの変更は生じず、名古屋の代わりに美濃太田を経由する)
- 地形の険しさは変わらないのでそこは無関係かと。
- メーターゲージが主流の東南アジアに日本の中古車両を輸出することができなかった。
- フィリピン国鉄(1067mm)への輸出も無理だった。
- 新車が入らず今頃南方線も廃止されていたかもしれない。
- フィリピン国鉄(1067mm)への輸出も無理だった。
- 史実の計画通りのスケジュールで進んでいた場合は播但線が「国鉄初の標準軌路線」という称号を手にしていた。
- このときトンネルが掘りなおされて全線電化が可能になっていたかもしれない。
- 改軌計画のスケジュールが播但線からではなく北海道や南樺太から始めれば上手くいっていたはずである。
- つまり北海道及び南樺太が標準軌に改軌→本州の省線などが北から順に改軌→九州の鹿児島線や長崎線も標準軌へ→関門鉄道橋を建設といった流れなら政友会に政権を奪還されることもなかった。
- 大正時代の広軌化が潰えたのは米騒動で寺内内閣が総辞職に追い込まれたためなので順番は関係ない。
- 日本の鉄道の車両の長さは25mになっていた。
- 今頃最高速度は時速400キロになっていた。
- さすがにそれはない。
- 地形がもっと平坦なフランスやドイツでも鉄車輪式でのそこまでの高速化は今のところ予定されていない。
- でも現実では歴代最高速度は狭軌でも245kmしかでてないけど標準軌なら574Km出してるから、冷蔵庫先生や政治家が○○線を改良すればそれぐらい出せると言うのは目に見えていると思うけど。
- 在来線の架線電圧は直流3000V、交流25000Vになっていた。
- 日本は湿度が高いから、直流3000Vは無理なんじゃ?
- 日本の鉄道のシェアが現実より高かったかもしれない。
- 時速130キロ以上の速度で走れる蒸気機関車が日本にも存在しただろうか?
- 日本の蒸気機関車が高速を出せないのは
- 1)ベアリングが平軸受けで抵抗が大きい、
- 2)軸重制限がきつくバランスウエイトが理論値の半分しかとれず、振動が酷い
- なので、特許料を払ってローラーベアリングを採用し、線路規格を改良して軸重制限を緩めない限り駄目だろう。
- 日本の蒸気機関車が高速を出せないのは
- 駅ホームの高さは、直流3000V区間が1250mm、交流25000V区間が200mm(いずれもレール面上より)になっていた。
- 非電化区間にはアメリカのお下がりが北海道のみならず全国各地に入っていた。
- 電化の遅れにより静岡―京都間と姫路以西と甲府以西と軽井沢以北は交流電化になっていた。また名古屋―岐阜間と関西線名古屋口は非電化(代わりに岐阜―美濃太田間が交流電化)で、名古屋―大垣間岐阜羽島経由の交流電化路線ができていた。
- 名鉄の旧愛電区間の雰囲気がシカゴのメトラ電車線やサウスショアー線と酷似していた。
- 客車は、北海道では主に史実のAmtrakのSuperlinerの同型車が、東海道本線と山陽本線では主にAmfleet客車が、北陸本線と東北地区ではその両方が活躍。また旧南満州鉄道ベースの客車は各地で活躍。
- 現実以上に特急誘導が進んでいた。
- 磐越西線の平瀬トンネルをはじめ、省線→国鉄のトンネル断面の拡張が行われていた。
- 土佐電のように海外の中古車両を導入する地方私鉄ももう少し多かった。
- 現存している狭軌時代の鉄道車両はあまり多くない。
- 沖縄県営鉄道は当初は狭軌であったものの、標準軌に改軌される。
- むしろ流石に廃止されていた。
- 仮に標準軌になれたとしても戦後のアメリカ民政府に見捨てられ廃止される運命は避けられなかった。
- 韓国のツアートレインを日本で走らせる計画が一時期真剣に検討されていた。
- 山形新幹線や秋田新幹線以外に、在来線から新幹線、新幹線から在来線に乗り入れる列車が増えてた。言うまでもなく、ミニ新幹線だが。
- 宗谷本線、根室本線、山陰本線、予讃線、土讃線、日豊本線など、現実の新幹線に乗り入れる事も容易だった。
特定の地域のみ改軌されていたら[編集 | ソースを編集]
- 新規追加は北から順にお願いします。
北海道[編集 | ソースを編集]
- 1960年代以降に酷寒冷地仕様の狭軌車両は製造されなかった。
- 711系は暖地仕様の車両が仙台地区と九州地区に投入された。
- 青函トンネル開業時に新中小国信号場―蟹田間が三線軌条化された。
- 道内の非電化区間はアメリカのお下がりが入っていた。
- 現実の日本では全く導入実績がないドッグノーズのディーゼル機関車もごく普通に走っている。
- サハリンの鉄道が広軌に改軌されていたらあったかも。
- つまり、サハリンが大陸ロシアと同じ1520㎜に、北海道が標準軌の1435㎜になるということです。
- 歴史的経緯を考慮すると「北海道の省線などが標準軌に→南樺太も数年後に改軌」という感じだったのでは。
- この場合南樺太の日本統治時代のうちにトンネルが掘り直されており、第2次大戦でソ連による占領後は南樺太の鉄道の1520mmへの改軌がもっと早くに行われていた。
- 改軌と同時に車両限界の拡張と低床ホーム化が行われていた。
- 車両限界はフル規格新幹線並みに、駅ホームの高さは200㎜および550㎜(レール面上より)になった。
- トンネルなどの問題から却下されていたかも。
- トンネル断面の拡張はもっと早くに行われていた。
- 北海道と南樺太に続き本州以南も標準軌に改軌しようとするが却下され、戦後まで論争の種になっていた。
- トンネルなどの問題から却下されていたかも。
- 車両限界はフル規格新幹線並みに、駅ホームの高さは200㎜および550㎜(レール面上より)になった。
- 1973年のオイルショックの際に小樽―旭川間が電化され、史実の711系の代わりに車体をフル規格新幹線並みのサイズに、出入口を低床ホーム対応にした751系(仮称)が登場した。客室内(配色や座席配置など)は新幹線0系0番台に酷似。
- 遜色急行が登場しなかった代わりに遜色特急が登場した。
- 全車両新製冷房車で登場。
- 電圧は交流25,000V50Hz。
- 貨物列車は道北や道東にも顔を出している。
- 黒田清隆がやったと言われる。
- 781系は史実と異なり、1982年の登場で仮称751系をベースにしたものになっていた。
- ちなみに史実の781系と同じスタイルの車両は487系で、九州地区などに投入された。
- JR北海道発足後に登場した721系や785系、789系なども史実と異なるスタイルになっていた。
- 宗谷トンネル開業の暁には、南稚内に1435㎜軌間と1520㎜軌間との台車交換設備が設置される。
- 史実の715系や419系は登場しなかった。
- 長崎本線や佐世保線の電化は史実より早く進み、457系が秋田や長崎などにも進出。
- 九州地区にはすでに711系が大量配備されているので、1982年の九州地区の総特急化の際に475・457系は全車北陸地区に転出した。
- そして高山線の美濃太田―富山間が交流電化された。岐阜―美濃太田間と太多線は非電化のまま。
- 貨物で稼いでいる北海道内よりもむしろ、本州以南の非電化ローカル線の廃線が進んだ。つまり名松線や大社線、可部線の非電化区間などが旧国鉄時代に廃線になった。
- 牟岐線の牟岐以南や中村線などは建設されることがなかった。
- 稚内駅や根室駅を棒線にするようなアホなことはしない。
- 1985年3月のダイヤ改正で185系は交直流化改造されて571系に編入、田町車は京都(向日町)と金沢に、高崎(新前橋)車は新潟(上沼垂)と仙台にそれぞれ転属。東北本線郡山以南と常磐線平以南の急行廃止で455系は首都圏の大宮に転属となり、踊り子と新特急は185系から455系に置き換えられ、首都圏遜色特急の黒歴史をさらに重ねていくことになった。
- その一方で東北や北陸地区は急行列車の溜まり場が続いている。
- この場合、青函トンネルは狭軌・標準軌のどっち?
- いずれにせよ青森か函館に貨物拠点が作られ、狭軌・標準軌の積み替えが行われていた。
- 北海道への新幹線乗り入れを考慮して最初から標準軌だっただろう。故に新青森-新中小国は青函トンネルと同時に開業していたかもしれない。
- 津軽線が三線軌になっていないならば、油川駅近辺に青森貨物ターミナル駅が建設され、ここで積み替えが行われていた。
- 津軽線は少なくとも新中小国―蟹田間は三線軌になっていた。
- 東北新幹線の新青森開業時には、E5系とE2系に北海道の在来線乗り入れに対応するための機器が取り付けられていた。
- 出入り口にはもちろん折り畳み式ステップ(ダッチドア)取り付け。(新青森以北乗り入れ車のみ必須)
- 新青森―新中小国が青函トンネルと同時に開業した場合、新青森駅の新幹線ホームは4面8線(外側2面が低床ホーム)になっていた。
- この場合低床ホームを使用しての東京方面からの折り返しはできない。
- 東北新幹線の新青森開業時には七戸十和田駅は島式ホーム&外側通過線になっていた。そして七戸十和田駅―新青森駅間はフル規格新幹線では珍しい方向別複々線で、新青森駅の低床ホームの東京方は外側線のみとつながってていた。複々線区間にあるトンネルは、新幹線複線断面のトンネルを並列する形になっていた。
- この場合低床ホームを使用しての東京方面からの折り返しはできない。
- 津軽線が三線軌になっていないならば、油川駅近辺に青森貨物ターミナル駅が建設され、ここで積み替えが行われていた。
- キハ80系気動車は、史実の北海道投入分も名古屋に投入された。
- 特急しらさぎはもっと早い時期に運転を開始していた。
- JR北海道はデッキのない車両やオールロングシートの車両を今なお保有していない。
- 電車に限れば一部座席がロングシートの車両すらもJR北海道は保有していない。
- キハ183系気動車は、国鉄末期に高山線特急ひだに投入された。
- 札幌市電や函館市電に川崎市や近畿地方からの譲渡車が多く在籍していた。
- 札幌市電の連接車の譲渡先は岐阜ではなく広島(広電宮島線)あたりになっていた。
- 北海道各地のローカル鉄道も石炭を積んだ貨車の直通を考慮して標準軌に。
- 戦後に旧満鉄や鮮鉄の鉄道員が多く北海道で働いていた。
- 満鉄のパシナが修復された際に北海道で走らせるという案も検討されていた。
- 旧南満州鉄道スタイルの客車や史実のAmtrakのSuperliner客車の同型車が北海道で活躍していた。
- 自然振り子式気動車(史実のキハ281系やキハ283系に相当)は登場することはなかった。
- 経営難によるJR北海道の車両更新問題への回答として、京成や京急の中古車両を気動車に改造して投入するトンデモ案が浮上していた可能性も。
東北・北陸・山陰[編集 | ソースを編集]
- 新庄―大曲間のみの場合、山形新幹線が秋田まで直通運転。
- 磐越西線のみの場合、デジロを投入か。
- 新潟―直江津間、大垣―大阪間、伯耆大山―西出雲間が三線軌条になっていた。
- 寝台特急の車両を標準軌化改造。
- 津軽線は全線標準軌化。
- ただし油川以南に大型車両は入れず。
- 東海道線大垣―米原間と高山線美濃太田以北はJR西日本管轄になっていた。
- 名鉄が乗り入れる特急北アルプス号は、とっくの昔に廃止されていた。
- 改軌時期が1932年以前の場合はそもそも名鉄と省線の直通列車など一度も設定されなかった。
- 名古屋と北陸・飛騨高山地区との往来が不便になっていた。
- 特急しらさぎは大垣が起終点に。
- 特急ひだは美濃太田で系統分断。
- 近鉄は名古屋から中津川経由で下呂までの新線建設を試みる。
- 金沢―鳥取間(小浜線経由または京都・園部経由)の直通特急列車が運転されていたかもしれない。
- 旅客流動に合ってなさそうなので現在までにどこかで系統分割されている。
- 旅客流動が史実とは大きく異なっていた。
- 鳥取や但馬から北陸(その逆も)に用事があるような状況を作り出すのは至難の業では。
- とりあえずアマチュア相撲の関係者には重宝されるだろう。
- 旅客流動が史実とは大きく異なっていた。
- 旅客流動に合ってなさそうなので現在までにどこかで系統分割されている。
- 吹田信号場―大阪貨物ターミナル間は標準軌化され、交直デッドセクションが設けられていた。
- この場合予想される経緯は「全面改軌予定だったが東北・北陸・山陰まで終わったところで政友会に政権を奪還され中止」か。
- つまり北海道と南樺太に続き東北・北陸・山陰まで終わったところで中止となった。
- 旧南満州鉄道スタイルの客車や史実のAmtrakのSuperliner客車の同型車が東北地区や北陸本線などで見かけることができた。
- 北陸新幹線は高崎〜上越妙高or直江津のみ建設され名称も「長野新幹線」のまま。そこから敦賀までは建設されてもスーパー特急方式で開業する。
- 湖西線は新幹線との直通を前提に建設された。
- 栗原電鉄は廃止まで電化路線だった。
- 名鉄の気動車ではなく京成か京急の電車を譲受していた。
- 京福電鉄福井支社は関西私鉄の中古車一辺倒だった。
- 阪神からの譲渡車を入線させる際に走行機器や台車を交換する必要もなかった。
- 逆に南海11001系は譲受しなかった。
- 愛知環状鉄道100系やJR東海119系がえちぜん鉄道に移籍することもなかったかも。
史実のJR西日本区間[編集 | ソースを編集]
- JR東海・JR四国・JR九州エリアとの直通列車は運転されない。
- 貨物輸送に深刻な悪影響が出るため少なくとも軌間可変貨車は開発されていた。
- 標準軌の貨物列車は東北―関西間が北陸経由になっていた。
- 貨物輸送に深刻な悪影響が出るため少なくとも軌間可変貨車は開発されていた。
- 果たして尼崎事故は起きたのだろうか?
- 新快速は現実以上に高速で走る。
- 厳密に一致させようとしたら省線→国鉄の鉄道管理局の管轄や境界も史実と変わってくる。
- 例:史実で国鉄中部支社管内だった金沢局は関西支社管内になっていた。
- 九州や四国が狭軌のまま孤立してしまうため改軌論争がもっと長くもつれていた。
- 戦後にも論争の種になっていた。
- 新幹線開業前は東京大阪間の鉄道での行き来が不可能になっていたことも後を押している。
- 旧南満州鉄道スタイルの客車や史実のAmtrakのAmfleet客車が下関地区まで顔を出していた。
- 首都圏や東海地区は相変わらず狭軌のまま。
- 関東の鉄道を見下す関西の鉄道ファンが少なからずいた。
- 南海や近鉄南大阪線も標準軌に改軌されていた。
四国・九州のみ狭軌残存[編集 | ソースを編集]
- 首都圏や東海地区は列車本数が多い上に支障物件が多く、改軌工事は難航を極める。
- 果たして名古屋駅はどうなっていたか。
- 史実の381系電車は登場しなかった。
- 四国や九州における鉄道の退潮の原因として改軌見送りが挙げられている。
首都圏・東海地区のみ狭軌残存[編集 | ソースを編集]
- 標準軌の貨物列車は東北―関西間が北陸経由に。
- 四国や九州も標準軌になっていた。
- 戦後の復興で軌間を揃える案が出るも復旧を優先したため没に。
名古屋とその周辺[編集 | ソースを編集]
- 特急しなのには381系(のちに383系)ではなく別の車両が投入されていた。
- 313系は登場していない。
- 名古屋地区だけ改軌した場合は完全に全国的な鉄道輸送の妨げになっていた。
- 日中戦争開始後に再び狭軌化された可能性が高い。
四国[編集 | ソースを編集]
- 北海道の青函トンネルのケース同様、瀬戸大橋は最初から標準軌で開業していた。
- おそらく山陽新幹線の岡山駅まで線路を直結させるだろうから、宇野線は現在でもローカル線のまま。
- 寝台特急「瀬戸」は285系には置き換えられずに廃止になっていた。
- 史実のように快速マリンライナーを運転する必要があるとすれば、少なくとも岡山、茶屋町、児島の三駅には宇野線とは別に専用のホームが作られていた。
- おそらく山陽新幹線の岡山駅まで線路を直結させるだろうから、宇野線は現在でもローカル線のまま。
- 0形風の気動車は登場せず、高松~松山間で本物の0系を走らせる企画があったかもしれない。
- 719系5000番台はJR四国の6000系をベースに開発されていた。
- 逆にキハ185系がJR九州に転籍することは無かった。
- 高松琴平電気鉄道琴平線が鉄道敷設法第100号の路線とみなされ国有化されていた。
- 一部の線路が付け替えられており、高松、琴平の双方で国鉄の線路と直結していた。
- おそらく塩江線も巻き添えを食らって国有化されているが、史実どおり不要不急路線とみなされ廃止されていただろう。
- 長尾線と志度線は国有化の対象にはならず東讃電気鉄道として存続。
- 高松築港-瓦町間には長尾線が単独で乗り入れていた。
- 一部の線路が付け替えられており、高松、琴平の双方で国鉄の線路と直結していた。
- 上にある通り標準軌用のディーゼルカーも開発されているだろうから、徳島県の鉄道電化率は史実どおりゼロのままだろう。
- JR四国の6000系電車はオールロングシート車になっていたかもしれない。
- 史実で改軌が最も現実味を帯びていた大正時代にはまだ路線網が出来上がっていなかったためモデル線区として工事が行われていた。
- しかし他の地方を改軌する前に憲政会政権が力尽き中止に。
- 宇高連絡船での車両航送が行われていなかった可能性あり。
九州[編集 | ソースを編集]
- 関門トンネルは建設されない。
- そのためブルートレインは下関止まり。
- 作ったとしてもロールワーゲンのような標準軌の貨車をのせる狭軌の台車が作られている。
- 門司か下関のどちらかに積替所が出来ているはずだから作られているとは思う。新関門トンネルもおそらく史実通り。
- 485系はもとより交直流電車が導入されないため交流電車天国になっている。
- 713系は大量に生産されていた。
- 九州の私鉄も標準軌に。
- 熊本電鉄は熊本市電と直通。
- 宮地岳線の貝塚-千鳥橋間は現在も健在。
- 船小屋信号場 - 西鹿児島間に新幹線の規格で作られた新線が建設されている。
- 長崎ルートの開通も実史より早かった。
- 流石にそれはない。
- 長崎ルートの開通も実史より早かった。
- JR九州の独自色はますます強くなる。
- 最大の功労者は間違いなく仙石貢(元九州鉄道社長、改軌論者)。
- 理由として標準軌を採用している朝鮮、満州、中国大陸との輸送の円滑化が強調されていた。
- 博釜連絡船が遅くとも昭和初期には開設され車両航送も行われていた。