もし東北・上越新幹線が○○だったら
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独立項目[編集 | ソースを編集]
反対運動が無かったら[編集 | ソースを編集]
- 参考:東北・上越新幹線反対運動
- 大宮駅は現実の重要な駅では無かった。もちろん全停車はありえない。
- 理由は上越新幹線が起点は新宿駅になっているため。
- それでも、上野駅や池袋駅に新幹線は停車していない。
- 東京駅のスペース不足が発生する恐れがあるのでそうは言い切れない。
- ちょっと待った、新宿駅が出来てたらスペース不足はある程度解決されてるんじゃないの?
- 新宿起点にしろ、東北との分岐は大宮になってたのでは?新宿~川越~高崎方面とかに通すなら別だけど。
- むしろ四方面(東京方面、新宿方面、仙台方面、新潟方面)の分岐駅となっていたので、現実以上に重要な駅になっていたという方が正しい気も。
- 理由は上越新幹線が起点は新宿駅になっているため。
- ニューシャトルは建設されておらず、伊奈町は上尾市と合併していた。
- 埼京線は開業していたか微妙、あっても都営三田線の埼玉県内延伸か?
- もちろん川越線は電化されないが、キハ110系の導入していたかもしれない。
- 史実より10年ぐらい遅れて、八高線八王子口電化と同時に電化された。
- 当初の計画どおり1977年頃に開業していた。
- 東北新幹線の全線開通が早まっていた。(現実では2010年)
- 場合によっては東海道新幹線と直通運転もしていた可能性もある。(1977年時点では国鉄が分割される前なので)
- 建設の遅れはオイルショックによる資材などの高騰や中山トンネル工事の難航などが原因なのでそれはない。
- 東北新幹線の全線開通が早まっていた。(現実では2010年)
- 上野-大宮間のスピードダウンする事は無かった。
- 上野駅に新幹線は停車はありえない。どんなに新幹線新駅運動があっても。
- 新宿駅前の再開発は大規模な再開発になっていたはず。
- 場合によっては今でもふるさとチャイムが使用されている。(国鉄時代だと微妙…)
- ふるさとチャイム廃止の原因は通勤・短距離利用客の増加や停車駅の多様化なのでそれはない。
- 当初の計画のように大宮駅付近からずっと地下になっていた。
- 工事が難航すれば史実同様の大宮発での暫定開業もありえた。
東京~大宮が複々線だったら[編集 | ソースを編集]
- 上越新幹線の新宿延伸はなくなる。
- 2014年問題はなかった。
- 東北新幹線の輸送量は上がっていた。
- 東京-秋葉原間は史実と異なり東北本線の直上を東北新幹線が走る構造になっていたかもしれない。
- 大宮以南でも240km/hで運行していたかもしれない。仮に某団体の圧力で速度制限があったとしても110km/hではなく170km/hになっていたかもしれない。
- 赤羽までは片方が史実のルート、もう片方が東北貨物線の直上を通過していた。
- ちなみに当初の計画では本当にこうする予定だったらしい。
- 大宮~赤羽付近は埼京線と合わせて三複線になっていた。
建設工事が途中で凍結されていたら[編集 | ソースを編集]
- 1980年代の国鉄再建のあおりで工事が途中で凍結されていたら
- さすがに関東・東北・新潟に広大な未成線を存在させるわけにはいかないので一部の路盤は在来線高速化に転用。
- 黒磯・前橋付近までは特急専用新線となっている。
- 埼京線は存在しない。
- その代わりに都営三田線の埼玉県内延伸がかなり早くから検討されていた。
- 第3セクター「東北高速鉄道」を設立して建設を続行していた。
- たぶんJR東日本は出資しない。(つくばエクスプレスを例にとると)
- その他の地域の新幹線も建設凍結。
- いずれにしろ高崎ー軽井沢間は新線が建設されて横川ー軽井沢間は廃止。
- 上の条件を見るに北陸・九州は新幹線規格新線での開業になっていたと思われる。いずれにせよ北海道新幹線は建設凍結の公算大。
- リニアに関してはJR東海が自力で作るので史実通り。
建設反対運動回避が模索されたら[編集 | ソースを編集]
- 東北新幹線郡山以南は、宇都宮経由ルートではなく、水郡、常磐ルート水戸経由で建設された。
- さすがに宇都宮をスルーするのは現実的ではないので、古河のあたりから松戸あたりに向かっているのではないか?
- 上越新幹線は、岩越新幹線として、磐越西線ルートになるか、新横浜分岐で高崎以南が横浜・八高ルート八王子経由で建設された。
- おそらくどのルートを通ってもどこかで建設反対運動がおこるので、最終的に史実のルートでの建設強行か凍結のどちらかを迫られていた。
- ニューシャトルは鴻巣まで作られて、久喜支線もできていたかも。