「もし衆議院解散があの時に行われていたら」の版間の差分
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#中選挙区制の下で行われていた。 | #中選挙区制の下で行われていた。 | ||
#1979年・1980年以来の2年連続総選挙となっていた。 | #1979年・1980年以来の2年連続総選挙となっていた。 | ||
#記号式投票が行われていた。 | |||
===羽田内閣与党が過半数をとっていたら=== | ===羽田内閣与党が過半数をとっていたら=== |
2021年10月27日 (水) 23:19時点における版
1994年
- 当時の羽田内閣は社会党の連立離脱により少数与党に陥りました。この時、辞任ではなく衆議院解散を選んでいたら…
- 中選挙区制の下で行われていた。
- 1979年・1980年以来の2年連続総選挙となっていた。
- 記号式投票が行われていた。
羽田内閣与党が過半数をとっていたら
- 第二次羽田内閣が成立していた。
- そのまま新進党政権に発展していた。
自民党が過半数をとっていたら
- 河野内閣が成立していた。
- 1年後に橋本内閣が成立、あとはだいたい史実通り。
羽田内閣与党も自民党も過半数をとれなかったら
- 結局自社さ政権が誕生していたか、それを阻止するために海部俊樹が首相に再登板していた。
2008年秋
- 選挙で民主党が勝ち、自民党が負けるにせよ、実史ほどの大差は付かなかった。
- 「高速道路1000円均一」や定額給付金の給付は実施されなかった。
- その代わり「高速道路無料化」の実験が既に終了。こども手当が支給されている。
- 渡辺喜美は自民党を離党せず、みんなの党も結成されなかった。
- 西松問題も表に出てこなかったので、民主党の代表交代もなく、小沢一郎が首相に、鳩山由紀夫が外相になっていた。
- ただし、陸山会問題でどうなっていたか・・・。
- 少なくとも「権力の二重構造」ではあるまい。
- 児童ポルノ禁止法改正案が施行され、漫画・アニメ・ゲームがほぼ全滅。
- そこは何とか出版業界のロビー活動で回避できたかも。
福田康夫が辞任せずに解散していた場合
- 自民党が敗れた場合、総裁は麻生太郎ではなかったかもしれない。
- 「あなたとは違うんです」発言は無かった。
麻生太郎が総裁就任直後に解散していた場合
- その後の閣僚の失言も無い為、国民の反発も実史ほど強くなかった。
- 中川昭一は最悪でも比例で復活当選していた。
- 復活当選しても、約1ヶ月後の10月4日に死去したからなぁ。
- 1年1ヶ月後ね。
- むしろ、当選していたら亡くならなかったかもしれない。
- 中川昭一は最悪でも比例で復活当選していた。
- 解散時期によっては、「金融危機解散」という別名が付いていた。
- 確実に自民党は議席を減らしてはいたが、2009年のような惨敗にはならなかった。
- その場合、民主党政権は誕生しなかったかもしれない。
2010年夏
- 衆参ダブル選挙が行われていた。
- その場合ここで民主党政権は終焉していたかも。
- だが2012衆議院選挙のような大惨敗はなかった。
- その後の選挙日程が史実通りだった場合は2014衆議院選ではそこそこの議席は取れていたかもしれない。少なくとも海江田氏は落ちることはなかった。
- だが2012衆議院選挙のような大惨敗はなかった。
- その場合ここで民主党政権は終焉していたかも。
- 「高速道路無料化」は実現されることなく破談。
- 自民党が政権を取り戻し、「谷垣総理」が誕生していた。
- すなわち、安倍総理は復活せず、「アベノミクス」もなかった。
- 総裁選によっては安倍総理の復活もありえたかもしれないが、経済政策に本腰が入るのはやや遅れていたか。
- すなわち、安倍総理は復活せず、「アベノミクス」もなかった。
2011年
菅直人内閣が総辞職せずに衆議院を解散していたら、
- 当然だが、民主党は敗北していた。