カンボジア

2020年2月27日 (木) 22:17時点における>りょうちによる版
ナビゲーションに移動 検索に移動

カンボジアの噂

  1. 若者の犯罪に対し「変な髪形にする」という刑罰がある。
    • で、何年かするとその髪形が流行となって、恥ずかしい髪型とはいえなくなり、美容代の節約のためにわざと犯罪を起こして希望の髪型にしてもらうケースが増えるかもしれない。
    • そんなの後でボウズにしちゃえばいいじゃん。
  2. フランスから独立。
    • 老人でフランス語が通じる人がいる。
      • けれども、ポルポト政権のせいで・・・
    • プノンペンの建物はフランスの影響を受けた物が多い。
      • しかし繁華街の街並みを見るとみんな「中華キンキラ系」。ぶっちゃけ中国の経済的植民地。
    • 料理はワッフル、コーヒー、フランスパン、サンドイッチが典型的な例。
      • 上記のような料理はあくまでプノンペンの場合では。
        • 田舎では昔の日本のように米と魚が基本。
  3. 首都プノンペン
    • そこにサッカー・アルビレックス新潟シンガポールが出資したアルビレックス新潟プノンペンがある。
    • 大阪府堺市にある同名のラーメン屋とは多分無関係。
    • プノンペンから沿岸部のシアヌークビルまで鉄道が通っていたが、内線で一時壊滅。今は再開している。
      カンボジア1969年発行記念切手・プノンペン~シアヌークビル間鉄道開通
      • 北西に向かう路線は一時期荒廃しきっていたが今ではタイとの国境まで復活している。
    • プノンペンという地名はもともと「ペン婆さんの丘」という意味。
      • ペンという裕福な老婆が川を流れてきた仏像を見つけ近くの丘の上に祠を作って祀ったのが街の始まりという言い伝えがある。
    • 北九州市と姉妹都市。
      • 水道整備に協力したのがきっかけ。
    • 21世紀に入るまでろくな公共交通機関がなかった。
  4. プノンペン郊外には大規模なゴミ山(スモーキーマウンテン)がある。参照
  5. もじゃもじゃした屋根の寺院遺跡で有名。あまりの素晴らしさに、ここを取り上げた紀行番組は度々「アンコール」を受ける。
  6. アンコールというビールもある。これもおいしいからお客さんに出すとその度に…
    • なぜかアサヒスーパードライの方がアンコールより安い。
    • バイヨンはもっと安いけど、いまいちかなー
    • アンコールというタバコもあります。
  7. プノンペンではやたら高級でピカピカの日本車がたくさん走っている。
    • この国ではマツダがドイツ勢と肩を並べるプレミアム車。
  8. 発電所や学校は日本が作った。よって親日家が多い。
    • いちいち建造物に「この建物は○○年に日本の援助によって建てられた」と銘がしてある。感謝の心を忘れない国民性。
      • プノンペンの「日本カンボジア友好橋」(日本のODAで作った)は、建設途中の説明の看板が全部中国語。中国の経済植民地だからね。
    • 日本の自衛隊がPKOでカンボジアに赴いた際、地元の人々から握手責めにあうヒーロー扱いだった。
      • 肌の黄色い子供も生まれた。
      • 日本からやって来た中古バスが走っている。
        • ただカンボジアにも韓国からの中古バスや新車のバスが輸入されている。
          • つーか、右側通行だから韓国車の方が使いやすいんですけど。
            • しかし韓国人に対する評判はここでも・・・
      • 現地価格を知らなくて物価を吊り上げたのは事実。このため、日本が来ない方が良かったと言われている。
        • そうです、おネーちゃんの値段も5倍になった。自衛隊が帰っても2~3倍のまま、これは恨まれている。
    • 日本語がペラペラな子供がけっこういる。PKOや調査団とずっと一緒だったとか。
    • 国会の建物は中国が作った。よって議員には・・・
      • シハヌーク前国王も親中。
        • そもそも中国の圧力がなければポル・ポトに一族郎党もろとも殺されていたという。
  9. ほとんどが恋愛結婚ではなく占い師が決めた結婚相手と結婚する。
    • むしろ親が決めた相手かつ干支の相性がいい人と表現したほうが正確。
  10. いまだ未撤去の内戦時代に埋められた地雷が多い。毎年、多くの人々が命を落としている。
    • 実際には地雷そのものより不発弾の炸裂による被害のほうが多いらしい
    • 地雷を「最高の兵士である」として絶賛。異常な数の地雷がポル・ポト派によって埋められた。
    • 地雷は確かに素晴らしく安価で効率的だが、埋めた場所をきちんと把握しないと、このように大惨事となってしまう諸刃の剣。
      • 軍隊ならば埋めた場所は分かるが、農民が自分の農地を守るために埋めたが、戦争で死んでしまった。どこに埋めてあるのか分からない。悲惨な事故が続く。
    • 列車から落ちるとそこは地雷原ということが少し前まで普通にあったという。
  11. 政治は親ベトナムだが、国民はベトナムが大嫌い。
    • でもカンボジアにいるベトナム人はカンボジア人より貧しい。
    • 外務省の「海外安全情報」にも「ベトナムで買ったアオザイやノンラー(三角笠)を身に着けたまま外出すると、あらぬトラブルに遭う危険性がある」とあるので、仲の悪さは相当なもの。
    • 命を落とすのは対戦車地雷、木っ端みじんになる。しかし対人地雷は足を吹き飛ばす程度の威力しかない。このため片足を飛ばしても生きているので、2人の救助がいる。木っ端みじんになれば兵士はマイナス1、片足飛ばせば兵士は戦闘からマイナス3になる安い兵器。そして一生義足がいる。これが「汚い兵器」の所以。
    • 嫌っている理由は、長いことベトナム人が優遇され、カンボジア人がコケにされたから。
    • 政府が親ベトナムなのは、クメールルージュを倒してできたベトナムの傀儡政権の名残だろう。
    • カンボジア人にとっては、ベトナム軍がクメールルージュを追い払った時、地獄のような世界から解放されたのはよくても、ベトナムの属国になったことはかなり屈辱だったらしい。ベトナムに対する国際的批判もあってか、1989年にベトナム軍が撤退したときは大いに喜んだ。
    • なので、今のクメールの民間人には「ベトナムに蹂躙されるよりはクメールルージュを許したほうがまだマシ」だと思っている人も少なくない。
  12. 伝統的にタイと仲が悪い。シェム・リアップは「タイを追い出す」の意味
    • 歴史的に何度となくシャム(タイ)の侵攻を許し、最後にはタイから割譲の形でフランスに飛ばされた。そのいきさつから、タイ人からするとアンコールワットはタイの物。クメール人からすればカンボジアの物と言うややこしい構造になっている。つい最近もこれが原因で戦争一歩手前にまで進んだが、例によってタイ国王の一声で鎮火。
    • 一時期タイの民族音楽モーラムが、そのシェムリアップで大流行してた。火付け役はイギリス人ベーシストJah Wobbleのアルバム"molam dub"
    • 2008年10月現在、タイと戦争になりそうな予感。
    • プレアビヒアという寺院遺跡の領有を巡って二国間で係争中。小競り合いもあって両軍とも数名の戦死者を出している。
  13. でもタイの歴史はカンボジア(正確にはクメール王朝)からの独立に始まる。
    • 昔はインドシナ半島一強かった。
    • 半島はもともとクメール人が占めていたのを中国西南部から南下してきたタイ族が占拠、クメール人を追い出したり逆に支配されたりして、その間にモン族やシャン族などのミャンマー勢力も入ってきたり・・・。まあいろいろとややこしい。
      • ベトナムも17世紀中頃まではせいぜいホイアンあたりが南限だった。わずか100年でチャム人とクメール人はメコンデルタから追い出された。
  14. 農作物の輸出が中心かと思えば製品輸出が中心。
  15. 日本の「道路交通法」にあたるものがないので、誰でもどこでも走り放題。
    • 2007年に新道路交通法ができた。
    • 小学生がバイクに乗っていたり。
      • でも事故を起こしたら、まず逃げる。子供を轢いて止まったら、周辺の住民に殴り殺される。警察署に逃げ込むのが安全。
  16. 万引きすると晒し者にされる。
  17. 「ハッピーハーブピザ」という大麻入りのピザが普通に売ってる。
    • でも違法。
  18. 国全体がいまだ貧しく、外国人にたかる傾向にある。外国人用のメニュー(自国人用の約2~3倍)は標準装備、また観光地ではどんな小さな遺跡でも帽子や絵はがきを「5マイ3だ~るぅ~(ドルの意味)」と口々に唱えつつ観光客が遺跡に入ってから出ていくまでついて回る子供たちがいる。
    • 国全体が貧しいままなのはポル・ポトによる大虐殺によって、中流階級の育つ芽を潰されてしまったことが大きな原因。
  19. ナンパの際には井上陽水の「傘がない」をささやきうたわれる。
  20. 国名はカンボジアだったりカンプチアだったり。民族はカンボジア人ではなくクメール人、現地の人はクマエと言う。
    • ロン・ノル政権の頃は国名も「クメール」だった。カンプチアはベトナム系の発音なので新ベトナムのヘン・サムリン政権はカンプチア人民共和国を名乗った。
    • 国名など公的なものは「カンボジア」、言語や料理など一般的なものは「クメール」と表現することが多いとか。
      • 日本で例えるなら「福岡」と「博多」の使い分けに似ているかもしれない。
  21. カンボジア語の文字は世界一多い。その数74個。これを元にしたタイ文字やラーオ文字はもっと少ない。子音と母音の位置関係が複雑ではっきりいって覚えるのはかなり困難。
    • カンボジア語ではなくクメール語
    • 発音は何通りもあるわけじゃないから簡単に伝わる。
    • 中国語は?
      • ここで問題にしているのは表音文字における「字母」の数なので漢字は別格。なお、字母の組み合わせのひとかたまりを「文字」とした場合はハングルをはじめパターン数が厖大になるものは少なくない。
      • 中国語も表音表記(ピンイン)の場合はアルファベット26文字+ü+声調記号なのでさほど複雑ではない。
        • なるほど、そういうことね。(↑3書いた人)
    • 待て。それを言ったら日本語表音文字だけで90字あるぞ。
  22. じつは、周辺国からの扱いは東アジアにおける「朝鮮」。
    • まあ確かにベトナムのお陰でポルポトの圧政から解放されたのに、未だにベトナム人を嫌ってるあたりは朝鮮かもしれないな。
      • 日本が朝鮮に対し生活基盤を良くしてくれたのに、それを否定するところが似ている。
    • さすがに分裂歴はない。
  23. 国旗が何回も変わっている。
    • そりゃ国体がコロコロ変わってるからね。そのたびに国旗も変わるわけ。
    • 仏領インドシナ→カンボジア王国(シアヌーク)→クメール共和国(ロン・ノル)→民主カンボジア(ポル・ポト)→カンプチア人民共和国(ヘン・サムリン)→カンボジア王国(シアヌーク)と、元に戻ったので国旗も当初のデザインが復活した。
  24. 現国王は独身主義。
    クメール共和国1974年発行記念切手・ワールドカップサッカー・ミュンヘン大会
    • チェコスロバキアではバレエ、北朝鮮では映画技術を学んだことがあり、フランスでバレエの先生をしていた。
  25. TBS系ウルルン滞在記で武田真治が井戸を掘りに行った。参照
    • TBS系ウルルン滞在記で宇梶剛士が水上村に行った。(上記リンク参照)
  26. かぼちゃの語源
    • 原産は南米方面だが、日本にはカンボジア経由で入ってきたため。カンボジアの漢字音訳表記で「かぼちゃ」と読ませている文献もある
      • こんな話を聞いた。初めて南瓜を見た日本人が「これは何だ?」と聞いたが、「どこから来た」と間違えて「fromカンプーチャ」と言った。当時はカンボジアではなく、カンプーチャだった。
        • ちなみにカンボジアをいまでも「カン・プー・チャ」と発音するのはベトナム語。
  27. この間某量販店で激安ジーンズを買ったら「MADE IN CAMBODIA」って書いてあってびっくりした。カンボジアは東南アジアでも貧しい国だから、安い人件費で服を作れる。もう中国産は経済発展してるからコストが高い時代になったのか・・・。
    • でも、カンボジアのおかげで安く服を買えるのはありがたい。ありがとうカンボジア。
  28. カンボジア政府発行の1000リエル札には日本ODAによって建設されたた通称「日本ブリッジ」、500リエル札には同じく日本のODAによって作られた通称「きずな橋」が印刷されていた。しかし最近出回りだした新札には残念な事にそれらの図案は無くなってしまった。
  29. なんか国名がアフリカっぽい。
  30. 1960年代までは比較的平和だった。しかし1970年代に入ると・・・。
    • 平和だったころには首都プノンペンは「東洋のパリ」と呼ばれ美しい町並みが自慢だった。
    • 映画『座頭市』(勝新太郎主演)や各種歌謡曲など日本の文化もそれなりに入っていたという。
  31. 1960年代にはマスゲームが存在したらしい。
  32. ペプシ工場の廃墟が今も残っている。
  33. 牛は家族にとっては宝。もし子供が牛を逃してしまったら見つけるまで絶対に家に入れてもらえない。
  34. 日本のがオリンピックのマラソン代表になった。
    • と思いきや取り消されてしまった。
    • 2016年に無事出場。
  35. シン・シサモットとロ・セレイソティアは国民的歌手だった。しかしクメールルージュのせいで・・・。
    • ポルポト派が「知識人か否か」を見分ける時に彼ら芸能人のブロマイドが使われたそうな。芸能人の顔を見てわずかでも表情が変われば「芸能人の顔を知ってる→知識階級→処刑」だった。
  36. 意外と北朝鮮と親密な国の一つ。
    • 北朝鮮に留学したり出稼ぎに行ったりするカンボジア人も少なくない。
    • カンボジアでは韓国に対する感情は×××××だが、北朝鮮に対する感情はそんなに悪くない。
    • シアヌーク前国王をはじめとするカンボジアの王族は親朝でもある。訪朝経験も多い。
    • 前国王は内戦時、長らく北朝鮮に亡命していた。クーデターで追放された彼に、米ソとも冷たかったが金日成は厚く保護していた。
      • ちなみに前国王の名前は正式にはシハヌーク。フランス語ではHを読まないので誤って伝わった。(カンボジアは旧フランス領)
    • まあかつては北朝鮮以上に狂った独裁政権だったからねえ…
  37. ペンの色は「青」がデフォらしい。
    • 日本のボランティア団体が、ペンを寄付したら3色ボールペンが大人気だったとか。
  38. ワイン(と言うかアルコール類全般)が安い。
    • 酒税がほぼ無料で日本のビールなども安い。
    • 例えば、地方に行くとビールのピッチャーが1.5USD。
      • それ故に、飲酒運転事故が多いのだが…。
  39. この国で初の映画を撮影したのはシハヌーク元国王。
  40. 書籍の流通が壊滅状態であるだけでなく図書館での貸し出しも行われないため田舎の庶民は本を読む機会に恵まれない。
  41. 仏教国ではあるが12月にはクリスマスが意外と盛り上がる。
  42. カンボジア料理ではつぶす工程が多いため石鉢と突き棒が最も重要な調理道具になっている。
    • 米粉の団子を焼くためにたこ焼き器に似た鉄鍋を使う。
  43. 列車の本数が極端に少ないため地元住民が自作した動力付きトロッコが国鉄の線路を走っている。
    • 中にはプノンペン市内から空港まで走るものもあるという。

アンコールの噂

  1. アンコールワットは国の誇り。建国以来、度々国旗は替わっているが全ての国旗にアンコールワットが描かれている。
    • アンコールワットには江戸時代ここに来た日本人の落書きがある。(その人はそこを天竺だと思ったらしい)
      • なお、当時はインターネットが無かったので、落書きをしても特に大きな問題にはならなかった。
    • あのポルポト政権時代でさえアンコールワットが国旗に描かれていた。
  2. アンコールワットは、カンボジア人とタイ人は入場無料らしい。
    • ネプチューンの名倉も入場無料。
      • 後でちゃんと払ったらしいけどね。
      • あの手の顔だと、カンボジア人として通用するのか。
    • 入場料の99%はベトナム系企業の収益になっていると専らの噂
  3. アンコール遺跡では、小さな石でさえ持ち帰ることは禁止されている。
  4. 遺跡周辺のホテルやゲストハウスには様々な遺跡の名称が使われているが「アンコールワットホテル」というものはまだできていないらしい。
  5. 『快傑ハリマオ』や『トゥーム・レイダー』など多くの映像作品に出演(?)している。
    • ただし架空の遺跡という設定の場合もある。
  6. 一ノ瀬泰造が「地雷を踏んだらサヨウナラ」と言い残して目指した場所。
    • 内戦中だったため結局たどり着けず射殺された。
    • 当時ネットがあれば自己責任論で凄まじいバッシングを浴びていたと思われる。

ポル・ポト派の噂

  1. 4人に1人を殺す大虐殺を行った国。
    • クメール・ルージュという極左政権時代の事。ボスはポル・ポト。
      • インテリが殺害の主な対象となり、めがねをかけているだけで殺された人もいる。
        • 眼鏡をかけただけで殺す、文字を読んでいるように見えただけで殺すなどと、最早言いがかりに近いレベルでの殺戮を行っていた。
      • 当時教育・通貨・家族制度等あらゆる社会制度を廃止したことが現在も尾を引いている。
        • 「原始共産主義」という北朝鮮でも絶対にやらないであろう理想を掲げていた為にこんな無茶苦茶な方策が通ってしまった。
          • 「原始共産主義」といいながら、ポルポト自身はベンツに乗りまくってたという。
        • あれだけ文化を否定している癖に、国旗がアンコールワットという謎。
    • たとえそれだけ殺しても、代わりに中国人がやってくるから大丈夫だと言っていたらしい。
  2. ポル・ポト派を支援したのが中国共産党。
    • 逆にポル・ポト派の恐怖政治を脅威視してカンボジアに侵攻したのがベトナム共産党。
      • そして壮絶な内ゲバの末中共はほうほうの体で逃げ出すことになる。
      • 対立としてはソ連&ベトナムvs共産中国&ポルポト政権だったが当時中国がアメリカに接近していたため中国側にアメリカがついた。
    • CIAも反ベトナムの立場からポル・ポト派を支援していた。
    • おかげでポル・ポト政権が倒れた後も国連の議席をかなり後まで持っていた。
    • だが1989年の冷戦構造の崩壊と1991年のソ連消滅による国際情勢の大きな変化で、西側諸国からも中国からも見放されて孤立無援に。
  3. ポル・ポト派を「アジア的優しさ」と絶賛したのが朝日新聞
    • だがポルポト派の虐殺を最初に報道した日本人記者の一人に朝日新聞の本多勝一と井川一久がいたりする。
      • 本多は最初、虐殺を否定していたぞ。
    • そもそも朝日が「アジア的優しさ」と報道したのはポルポト派とロンノル派の争いの時点での話。ポルポト派が虐殺を始めたのはそのあと、外国人報道員をみんな国外追放してからだからね。
      • 更に言えば命からがらカンボジアから脱出してきても、メディアが真相を知らない以上笑われて終わりだったともいう。オランダ人カメラマンか誰かが何とかして写真を撮ったことで、やっとこの凄惨な状況が事実だと分かったらしい。
        • ポル・ポトの悪行がわかったのはベトナムのカンボジア侵攻後。ベトナム兵がなんか臭いので近づいてみたら人間の死体の山を見つけたからとか。
        • 入国したユーゴスラビアのカメラマンが農場に移動してゴーストタウンになったプノンペンを撮影してこれはおかしいぞと国際社会が気づき始めた。
    • ポル・ポト政権樹立後、真っ先に西側諸国として承認したのは他ならぬ日本政府である。
  4. そんなポル・ポトも生来の心根は高潔だったそうだから生真面目な奴が極端な暴走をすると本当にろくでもないことにしかならないいい見本である。
    • ポル・ポトは若い頃は学校の先生だった。フランス語を教えていた。
      • そのポル・ポトと人物像の最も似ているのが、フランスのロベスピエール。ロベスピエールも生来の心根は高潔だったのだが、共感してしまったか手法まで真似してしまった。
        • ちなみに、一般的に呼ばれている異名が「メコンのヒトラー」。
    • 全てはあくまでヨーロッパ(とベトナム)の影響を全て排除せねば真のカンボジアはないという理想の追求の結果である。RPGの破滅型ラスボスが実際にいたらこんな感じだろう。
    • あくまで個人的な見解だが、一番ポル・ポトに精神的に似ている日本人は元横綱の花田光司氏かもしれない。退職当時の貴乃花親方(当時)をテレビで見て、みて、「ポル・ポトってこういう雰囲気の人だったのかな?」などと思ってしまった。
  5. ポル・ポトの虐殺にかかわった政権元幹部に対する特別法廷の初公判が30年ぶりに行われた。
    • が、クメール・ルージュの残党とその被害者が隣に住んでいるってケースも多いらしいから、クメール・ルージュに対する不利な証言をためらう人も多いらしい
  6. 「子供医者」なる恐ろしい職業がまかり通っていた。
    • 上記のように医者がインテリとしてことごとく殺されていったので、とりあえず子供に手術や診察をやらせるというとんでもない行為をしていた。もちろん患者の生存率はお察しの通りである。
    • その「子供」は今どうしてるんだろう…
    • 家(高床式)の床下に潜める子供スパイも重宝された。
  7. とんでもない無法国家で憲法以外の法律は政権時には制定されなかった。
    • 一応選挙は行われ議会もあったが、やったのは憲法制定だけ。しかもかなり短い。
  8. この政権の国家元首は途中までシハヌークだった。
    • 最初はシハヌークも処刑される予定だったが中国の圧力で生きながらえていた。
    • そもそもこの政権は追放されたシハヌークが親米政権を倒すために同じ反米のポル・ポトと近づいたことが発端。
    • シハヌーク自体共産主義者だったからこんな芸当も可能だった。
  9. 意外に知られていないが、実は貨幣を発行する意思はあったらしい。
    • 発行予定の紙幣が残っていたとか。それでも農業をする国民が描かれているけど
    • よく「原始共産制に倣って貨幣を廃止した」と言われているけど、あれは本意じゃなかったってこと?
      • 農産国家作って、とりあえず様子見で、国が安定してから貨幣を戻すつもりだったらしい。
  10. 政権末期には日本からアンコールワットのツアーが募集されていたが、直後に内戦で政権崩壊した。
  11. 政権を掌握した当初は鉄道技術者も粛清しようとしたが輸送がマヒしたためやむなく技術者を元の職場に戻した。
    • 中国大陸に農産物を輸出するのに使ったという。(各地から集めコンポンソム港から積み出し)
  12. プノンペン陥落時に残っていた日本人を少なくとも6人は殺している。