京都の寺院
ナビゲーションに移動
検索に移動
京都市[編集 | ソースを編集]
山城[編集 | ソースを編集]
平等院[編集 | ソースを編集]
- 10円玉
- よくよく考えると他の寺で10円玉を賽銭にするのって喧嘩売ってる事になるのではないかと……
- 平等院のなかには、10円玉を持ってウロウロしている観光客でいっぱい。
- 修学旅行で行ったが、その時サイフに10円玉がなかった・・・(泣)
- じつは1万円札の諭吉の裏の鳥も鳳凰堂の屋根の鳳凰である。
- 寺の名前は平等院らしい。通称ではなくこれが正式名称。
- 寝殿造りの、というか平安時代の文化の代表みたく扱われている。
- 平等院鳳凰堂前のみやげ物街はお茶の匂いでお腹いっぱいになる。
- 日本史の試験で「凰」と「鳳」を逆に書く奴多数。
- たまに京都市にあると思っている人がいる。
- 境内には「鳳翔館」というミュージアムがあり、拝観料はそこへの入場料込みとなっている。
- そのくせ鳳凰堂の中に入るには別に料金がかかる。
- 一度に入れる人数に限りがあるのと、堂内壁画の研究・修理にお金がかかるせいだろう。
- 平等院は江戸時代は結構荒れていたらしく、無宿人が住み着いて壁画に大量の落書きをされてしまった。
- そのくせ鳳凰堂の中に入るには別に料金がかかる。
- 別料金で現地予約が必要でも、日本の仏像のデファクト・スタンダードと言える阿弥陀如来坐像は見るべき。
- 似たような仏像はこの世にたくさんあるが、本家本元だけあって質が違う。
- 全体的には優美だが、衣文などの彫りは意外と鋭くて厳しく、このお陰で精神性を担保している。後の仏像は優しさや穏やかさに傾いてしまい、御仏の人を超えた存在感が希薄になっていく。
- 下から見上げて見るせいもあって、手や腕に存在感があってこの御手なら救ってくれそうな気がしてくる。他の仏像は、重文クラスでも手や腕が弱々しく、これでほんとに人が救えるのかと疑いを抱いてしまう仏像も少なくない。
- 混むことを考えると朝イチで行くのが望ましいが、建設目的たる西方浄土を体感するには晴れた夕方に行って夕日を背にした姿を見るべきなので悩ましい。
- 鳳翔館の展示の質は高いので、1時間位なら余裕で潰せるのは有り難いが。
- 似たような仏像はこの世にたくさんあるが、本家本元だけあって質が違う。
- 現在は天台宗と浄土宗の寺が管理を分担している。
- 宗教法人としての「平等院」はどこの宗派にも属していないらしい。
- 宇治川沿いの遊歩道からも部分的に見ることができる。
- ただし見通しも足元も悪いためあまりお勧めできない。
三室戸寺[編集 | ソースを編集]
- 宇治市
- 桜、つつじ&石楠花、あじさい、紅葉、(雪景色)
- 1200年以上も毎年この美観の繰り返しなのかと思いきや、かの有名な与楽園は近年整備されたものらしい…… ハッタリかよ。
- 名物の三重塔はというと…… 兵庫から明治の終わりにパクってきたんだとか……
- 読みは「みむろと」だが最寄駅は「みむろど」
興聖寺[編集 | ソースを編集]
- 宇治市
- 紅葉が見事。特に参道の琴坂の辺の両側。
- 側の川のせせらぎが琴の音に聞こえるから琴坂だそうな…… それはない(断言)
- 曹洞宗を創始した道元が初めて建立した寺だが当初の位置とは異なっている。
- 位置が奥まっているせいか多客期でもそれほど混雑していない。
- ゆっくり拝観したい人にはうってつけ。
- 法堂の近くの天井は関ケ原の前哨戦で落城した伏見城の血に染まった床板を使っている。
- 今でも手の跡がはっきり分かる。
神応寺[編集 | ソースを編集]
- 八幡にあるお寺。紅葉が見事なものらしい。
- 実は、90年代後半には、タダの荒れ寺だったそうな。住職夫人曰く「お化け屋敷」だったそうな。
- そこを今の住職が整備していって変えていったとか。
- 境内は男山散策路の一部になっている。
- すぐ近くに石清水八幡宮参道ケーブルが橋梁を渡るシーンを撮影できる場所がある。
一休寺[編集 | ソースを編集]
- 酬恩庵が正式名称。せやけど、一休寺の方が通りがいい。
- 寺のHPのURLもhttp://www.ikkyuji.org/。「一休寺」て名乗ってまんな。
- 秋口の紅葉のシーズンが一番美しい。が、500円払ってまで見る価値があるかと聞かれると……
観音寺[編集 | ソースを編集]
- 天武天皇の勅願で法相宗の義淵という坊さんが開基となって創建された。天平年間の創建。
- 奈良時代には五重塔も建てられたとか。焼け落ちたけど。
- どうやら本堂裏の丘陵上にあったらしく、塔の礎石が残されている。
- お寺の付近一帯の大字を普賢寺という。「普賢寺」というのは、観音寺の別名。
- 一木式木心乾漆造の十一面観音立像があって、極めて近いところで拝観可能。
- これが御本尊なんだけど、実は国宝。
- 春は桜、秋は紅葉で境内全体が美しくなる。
寿宝寺[編集 | ソースを編集]
- 京田辺市
- 三山木にある704(慶雲元)年創建の寺。
- その割に真新しく見受けられるのには理由があって、平成に入ってから境内の殆どの物を大改築したから。まあ魅力は失われたよね。
- 正直、拝観料300円は高い。
- 実を言うと十一面千手千眼観音立像という仏像を保有している。
- 奈良の唐招提寺や大阪の藤井寺の千手観音とともに三大名作と言われているとか。
- 実はこれ、重要文化財で基本的には誰にも見せてはいないが、前日までにお寺に電話して予約すれば拝見させていただける。
- 天平の時代から平安初期にかけては中秋の名月を美しく見られる寺として知られたそうな。
- 境内に隣接して造られた鶴沢公園の辺りに、鶴沢の池という池があったらしく、そこに反射する月の光と合わせて楽しむものだったらしい。
岩船寺[編集 | ソースを編集]
- 南都仏教の影響が強い。一山越えたら、平城京やししゃあないか。
- そのためか近くにある浄瑠璃寺とともに奈良の観光ガイドブックに載っているなど、「奈良の寺院」扱いとなっている。
- 三重塔と紫陽花の花で有名。
- ただ、決して、紫陽花だけが見ものというわけではなく、盛夏には睡蓮、秋には紅葉、冬は梅や椿、春は桜やつつじと四季折々の景観で楽しませてくれる美しい花の寺である。
- 下の浄瑠璃寺とともに徒歩で回れるのでまとめて行くといい。
浄瑠璃寺[編集 | ソースを編集]
- 木津川市加茂町
- 彼岸の中日頃、三重塔の後ろより朝日が昇り、本堂の向こうへと沈みゆく。絶対計算して建立されてる。
- 浄土池越しに見る三重塔と馬酔木は素晴らしいと評判。馬酔木にいたっては堀辰雄もその小説で褒め称えた。
- 杜若や紅葉やら他の時期も美しい。でも行くならやはり春の馬酔木の時期になるのかなあ。
- 本堂以外は無料で拝観できたはずだが、九体阿弥陀堂とも呼ばれている本堂はぜひとも見ておくべし。
海住山寺[編集 | ソースを編集]
- 木津川市加茂町
- 加茂の北の山の中にある寺。結構歴史があるらしい。
- 山号が補陀落山。山の中とはいえポタラ宮は無いので要注意。
- 行く途中の山道から度々見える加茂の盆地がのどかさと相まって心和む気がする。
- 名物は五重塔。国宝認定でっせ。
- 実はこれ、2層目より上は心柱が通っていないらしい。建築学的にも稀なんだとか。
- どうでも良いけど、Wikipediaの拝観料情報が間違ってるので要注意。確か400円かかったはず。(2013年秋)
- 解脱上人と慈心上人の五輪塔がある。瓶原を望める地に祀ったらしいが、どうも最近樹木の繁茂により視界がやや不良気味。
笠置寺[編集 | ソースを編集]
- 寺の中を東海自然歩道が抜けてる。というか、参道が自然歩道扱い。
- 笠置の町から上がるとめちゃくちゃ急勾配でキツイ。だからなのか、下で杖を借りて上で返すというサービスを無料で受けられるようになっている。
- 柳生の町からあがるとめちゃくちゃラクチン。勾配は緩いし、そもそも寺へ行く車が通れる林道も柳生側へ下らせているほど。
- 後醍醐天皇籠城の地。笠置山城というのがあった。
- 三方が急峻な崖で一方だけが緩やかな坂なので守りやすかったのかもしれん。
- そんな地形だから巨岩がゴロゴロ転がっている。それを武器にしようとしたとか言う話もあるくらい。
- ここでも負けて、次は賀名生へ行ったんやっけ?
- 最初にここで負けて島流し。その後倒幕に成功して建武の新政だな。
- 三方が急峻な崖で一方だけが緩やかな坂なので守りやすかったのかもしれん。
- かつて「笠やん」という道案内猫がいたらしい。
- 笠置寺の名物だったらしく、境内には笠やんの小さなお墓がある。
- 今は笠置町のマスコットキャラクターになっている。
- 正月堂というのがある。断崖の上に清水の舞台のような足組が為されその上にお堂がある姿はなかなかのもの。
- 因みにこのこのお堂は東大寺と笠置寺の深い縁を物語る存在でもある、という話を先日BSフジでやっていた。
- 詳細は覚えてないが、東大寺に二月堂、三月堂があるのに正月堂がないのは、笠置寺に正月堂があるからということらしい。
- 因みにこのこのお堂は東大寺と笠置寺の深い縁を物語る存在でもある、という話を先日BSフジでやっていた。
正寿院[編集 | ソースを編集]
- 宇治田原町
- ハート型をした「猪目窓」がある。
- これが元で恋愛運上昇のパワースポットとして火がついた。
- なぜか、ヨガ体験イベントが不定期で開かれている。
金胎寺[編集 | ソースを編集]
- いずれも存在自体が疑問視されている宇治田原と和束の境の山の上にある。標高も680mくらいあったはずで、生駒とかよりも高い地点になり、北東の彼方には滋賀県民のマザーレイクが見える。
- 山内は巨岩、奇岩がちょこちょことあり、行場巡りができる。結構本格的。
- 鎌倉時代に伏見天皇の勅願で建てられた多宝塔は近江の石山寺、高野山の金剛三昧院の多宝塔と並んで、鎌倉期の多宝塔でもっとも美しいものの3つとされているらしい。誰が決めたんや?
- 寺の中を東海自然歩道が通っている。
大智寺[編集 | ソースを編集]
- 枝垂れ桜の美しい寺。
- 和束町の最も奥まったエリアにある。
- 大観禅師という近くの巨石の上で100日間修行したというおっさんが開祖。
地蔵禅院[編集 | ソースを編集]
- 地蔵院とも呼ばれる井手のお寺。
- 井手町を一望できる高台にあり、眺めが非常に良い。
- 本多忠政の正室妙高院を壇越として再興した曹洞宗の寺。
- 元々は華厳宗の寺だったらしいが、戦国期に無住寺となり荒れてしまったらしい。
西福寺[編集 | ソースを編集]
- あまり歴史ある感じのしないお寺。実際建造物はそれほど古くない。
- 木造聖観音菩薩は、浄土信仰色濃き平安末期の様式を色濃く伝える貴重な逸品。
乙訓[編集 | ソースを編集]
宝積寺[編集 | ソースを編集]
- 聖武天皇が授かったとか言う打出と小槌というお宝を両方とも祀っている。
- なので通称宝寺。
- というわけで当たり前だが、聖武天皇の勅願寺でもある。
- 開基は行基菩薩で、なんでも山崎院というお寺の後進に当たるのがこの寺らしい。
- 山崎の戦い後、一時的に羽柴秀吉が拠点としていたという山崎城の配置に組みこまれてもいたとか。
- 三重塔が名物。
- 至近距離で写真を撮ろうとすると木が邪魔をするが、裏手の墓地越しだとそういったものがなくて良かったりする。そこはいいのだが、一方で塔の下の部分が写せなくなるという帯に短しな状態。
- 閻魔堂の仏像は越境品。
- かつて山崎にあった寺の仏像をまとめて移してきたとかなんとか。
石塔寺[編集 | ソースを編集]
- 日像がおっ始めた日蓮宗の分派、本化日蓮宗の本山。
- 日蓮が向日神社に題目塔を建てて納めたらしく、その故事にちなんで日成が開基となり建てたのがこのお寺。
北真経寺[編集 | ソースを編集]
- 向日市
- 元々、真言宗の寺院だったのだが、ここの住職が日像と論争を行った結果、住職が日蓮宗に改修し、これに合わせて寺も日蓮宗になったという歴史を持つ。
- 17世紀以降に南真経寺と分離する。北真経寺は広域向けのお寺として、南真経寺は地元のお寺として昨日を分離させることが目的だったとか。
- 鶏冠井檀林という学問所が設けられていた。
南真経寺[編集 | ソースを編集]
- 向日市
- 元々、真言宗の寺院だったのだが、ここの住職が日像と論争を行った結果、住職が日蓮宗に改修し、これに合わせて寺も日蓮宗になったという歴史を持つ。
- 17世紀以降に南真経寺と分離する。北真経寺は広域向けのお寺として、南真経寺は地元のお寺として昨日を分離させることが目的だったとか。
- 鶏冠井檀林という学問所が設けられていた。
- お寺のある場所は長岡京太極殿の跡地。
- 地名も向日市鶏冠井町太極殿となっており、その歴史が地名という形で残されている。
丹波[編集 | ソースを編集]
穴太寺[編集 | ソースを編集]
- 釈迦涅槃像という、御釈迦様が寝ておられる像がある。立像が多い中これは珍しい。
- 庭が見事。まあ、寺なんてどこもそうだが。
龍潭寺[編集 | ソースを編集]
- 龍潭寺は臨済宗妙心寺派の寺院として、徳川幕府や皇室から庇護を受けていた寺院。
- 庚申堂に奉られた青面金剛童子は病魔・悪魔を払う大威力を持つと言われている。
- 彦根藩井伊家やその菩提寺との関係はないみたい。
- 元々は室町時代に、龍安寺から高僧がやってきて寺を開いたのだそうな。三管領の1つ細川家家老の松井氏の庇護を受けていたという。
- 庭が京都府指定の名勝。
- 子供のかん虫に御利益があるお寺と言われている。
千手寺[編集 | ソースを編集]
- 千手寺は山門からの眺めが見事な寺として知られる。
- いやいや、そもそも山門の雰囲気からして見事です。
- 山号が獨鈷抛山。「とこなげ」と読むらしいが、読めんやろ。
神藏寺[編集 | ソースを編集]
- 神藏寺は782年(延暦元年)伝教大師最澄が開いたお寺。
- その後、1235年(嘉禎元年)には、女人禁制を解いて、丹波中の人がお参りできるようにしたらしく、隆盛を誇ったそうな。
- 最澄自ら彫った本尊木造薬師如来坐像が祀られている。佐伯薬師として地元では崇拝されている。
- 因みに国指定重要文化財になっている。
- 桜の時期と紅葉の時期は見事なものである。
- お寺も御丁寧にライトアップをしてくれる。
丹波国分寺[編集 | ソースを編集]
- 聖武天皇が国分寺建立の詔で建立させた寺院の成れの果て。
- 廃れては再興しを繰り返し、今に至る。
- 今あるのは安永3年(1774年)に再建された山門、本堂、鐘楼の3つ。
- 御本尊は木造薬師如来坐像。
- 平安時代末期に彫られたものらしく、国の重要文化財に指定されているらしいよ。
- 乳イチョウと呼ばれる公孫樹の巨木がある。
金剛寺[編集 | ソースを編集]
- 亀岡市
- 正応2年(1289年)に開かれた古いお寺。
- 後嵯峨天皇の息子だった臨済宗の高僧、高峰顕日が開基。
- 現在の伽藍は元文3年(1738年)頃に、整備されたとか。
- なんと言っても、円山応挙。この寺の通称も応挙寺。
- あの円山応挙が小僧として修行していた寺として知られる。寺で、応挙さんの描いた水墨画なども見つかっている。
- なんでも、尊敬していた住職の死が原因で坊さんになるのが嫌になって、京都へ出て画家になったらしい。
- 大成した後、この寺に戻ってきて襖絵を描いたりしている。
福寿寺[編集 | ソースを編集]
- 曹洞宗寺院。
- 和気清麻呂が宝亀11年(780年)に帝釈天像を納めるお堂を建てたのが始まり。
- 庚申信仰の寺院として丹波一円で広く崇められた。
- 仙洞御所にいらっしゃった後水尾上皇や光格上皇の帰依を受けていたらしい。
九品寺[編集 | ソースを編集]
- 真言宗御室派の寺院。
- 大きな大きな山門がある。
- 国指定重要文化財らしいよ。
- 弘仁元年(810年)、弘法大師が開基。
- 後に白河法皇の帰依を受けたらしく、白河法皇は自身の息子の覚行法親王を送り込んでいる。
- 覚行法親王のお墓も境内に残る。
- 後に白河法皇の帰依を受けたらしく、白河法皇は自身の息子の覚行法親王を送り込んでいる。
- 重文クラスの仏像を3躯も持っていた。
- うち1つは京都市内の正法寺というお寺が所有しているが、後の2つはニューヨークメトロポリタン美術館にパクられた。鬼畜米英め……
大福光寺[編集 | ソースを編集]
- 京丹波町下山
- 延暦年間に創建された山寺だったものが、足利尊氏の手により、嘉暦2年(1327年)に下山の里へ移されて今に至る。
- 今でこそ、田舎のちょっと歴史ありそうな寺院という感じしかしないが、元々は足利将軍家の祈祷所の1つでもあった。
- 本堂は足利尊氏が嘉暦2年に建てたもの。
- 毘沙門天を祀っていることから毘沙門堂とも呼ばれている。
- 多宝塔がある。恐らく嘉暦年間に建てられたものと伝わる。
- 本堂とともに、国指定の重要文化財になっている。
- 方丈記の写本を持っている。
- 現存するものでは最古のものらしい。これも国指定重要文化財。
光明寺[編集 | ソースを編集]
- 真言宗醍醐派の古刹。
- 寺の中興の祖が、醍醐寺の開祖でもある理源大師。人的つながりがあったんだろうか。
- こんなところにポツンと1件国宝が……
- 綾部市民でも存在を知らない人はそれなりにいる山寺。
- 国宝に指定されているのは二王門。山の中に驚くほど立派な門があり、おったまげる。
- で、その二王門ができたのが、建長5年(1253年)。そら、国宝にもなるわ。
- 睦寄町という綾部市でもかなりの山奥にある。
- 推古天皇7年(599年)、聖徳太子が開創したと伝わる。
- 白鳳年間になると、役小角が修行場にしたとか。
- 二王門以外は、戦国期にことごとく焼かれている。
- 焼き尽くしたのは、明智光秀。
- 福知山では善人・名君扱いやけど、亀岡とか綾部では文化財を焼き払いまくっているあたり、戦国乱世である程度は仕方なかったとはいえ、必ずしも善人とは言い難い。
- 焼き尽くしたのは、明智光秀。
楞厳寺[編集 | ソースを編集]
- 綾部市
- 国指定重要文化財の絹本著色不動明王像があった。
- 大正年間に外国人に盗まれ、今はドイツのケルンの美術館に保管されているらしい。
- 関西花の寺二十五霊場の第2番札所。
- 春のミツバツツジと夏のハスが見どころ。
- 長井一禾という昭和初期の浮世絵師の描いた四季のカラスをテーマにした襖絵が、わりかし美しい形で残されている。
- 予約をすれば、見せていただけるそうな。
丹後[編集 | ソースを編集]
成相寺[編集 | ソースを編集]
- 西国三十三霊場では数少ない日本海側の寺。
- 天橋立にある。然し、知名度は今ひとつ。
- 但し天橋立駅から見れば天橋立を挟んだ対岸の山の上にある。天橋立の北側にある府中からケーブルカー及びチェアリフトで山上に上り、そこからバスで行く。
智恩寺[編集 | ソースを編集]
- 宮津市
- 三人寄れば……
- 知恵の輪でお馴染み。
- ってことで、近所で知恵の餅というものが売られている。赤福もどき。
- 雪舟の天橋立図にも描かれたらしい。
- 天橋立のたもと。
- 「智恩寺」が正しいんじゃないかと思うが、見出し変えてもいいのかな?
- 良いと思うので変えときました。(注:元々、節タイトルが知恩寺と誤表記されていた。)
松尾寺[編集 | ソースを編集]
- 舞鶴なのか若狭高浜になるのか場所がものすごく微妙。
- 読み方は「まつのおでら」。「まつおでら」ではない。
- 京都市内にある松尾大社も本当の読み方は「まつのおたいしゃ」なんだとか。
- 同名の駅がJR小浜線にある。
- 松尾寺駅から歩いて上がるのは正直しんどい。やはり東舞鶴からタクシーだろう…
- 西国三十三所第29番札所。
- 次の札所は宝厳寺。若狭路を行くルートの割に、間にある古刹はすべて無視。
- 威光上人が慶雲5年(708年)に馬頭観音を祀ったことが、始まり。
- 鳥羽天皇の深い帰依を受けた。
- 「崇徳天皇って、実は爺ちゃん(白河上皇)と藤原彰子の子供じゃね」と疑惑を持ち続け、ノイローゼになったため、通院感覚で詣でたんだとか。参拝旅に美福門院を伴っているあたり、悩みの根深さが想像に難くない。
金剛院[編集 | ソースを編集]
- 舞鶴市
- 舞鶴にある三重塔が有名なお寺。
- この三重塔は国指定重要文化財。室町時代に再建されたとか。
- 有名仏師快慶が造った仏像が2躯もある。
- 木造執金剛神立像と木造深沙大将立像がそれ。これも国指定重要文化財。
- 奉行杉という古い木があるが、平忠盛のお手植えの杉と伝わる。
- 天長6年(829年)、高岳親王が開いたとか。
- 寺を開いた後、弘法大師の弟子となった縁で、このお寺は真言宗東寺派。
- 細川幽斎が植えたカエデが見事で、紅葉の時期には舞鶴でもっとも有名な紅葉スポットとなる。
多禰寺[編集 | ソースを編集]
- 舞鶴市
- 用明天皇の息子、麻呂子親王が開基のお寺。
- 結構歴史があるんだけど、その割には比較的こじんまりとしている。
- 真言宗東寺派の寺院にして、西国薬師四十九霊場30番札所になっている。
- 平安期から室町期の仏像をいくつも所蔵していらっしゃる。
- 鎌倉期のものが1つだけ、国の重要文化財に指定されている。