京都の神社
全般編集
- 本殿に向かって能舞台がしばしば設置されている。
- 十世茂山千五郎正重が百社へ狂言を奉納しており、現在でも例祭などに合わせて奉納狂言が演じられる。
京都市内編集
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乙訓編集
長岡天満宮編集
- 霧島つつじの並木みたいなのがいい。
- 八条の池をぶった切る参道に設けられたキリシマツツジの並木道は長岡京の代表的な風景の一つ。それでなのかは知らんけど、長岡京は街全体的にツツジの植栽が多い気がする。
- 八条の池は北側半分がいかにも人工的な作りなのに対し、南側半分は神社の側の岸辺だけではあるが、やや風情がある感じで往年の雰囲気を少しばかりは感じられる。
- 庭園も10年ちょいほど前に整備されてグッドになった。
- 境内に中小路とかいう乙訓方面によく見られる公家一族の親子の銅像がある。なんでそんなんがあるのかは知らんけども。
- 意外と社殿はそれほど豪華な感じがしない。
- むしろ天満宮の中ではこじんまりとした方と行ってもいいかもしれない。
- 長岡京市の中心駅である「長岡天神駅」は、言うまでもなくここに由来する駅名である。
向日神社編集
- 向日神社の境内になっていてもおかしくないような所に一般家庭が家を建てて暮らしている。
- そこへ上がるルートは実は神社の参道しかなく、そのため一般車が鳥居を平気でくぐり石畳みの参道をガンガンぶっ飛ばしてくる。最初はマジかよとビビった。
- 向日神社には舞楽殿が設けられており、旧西国街道から参道をえっちらおっちらと登って行くと本殿より先に舞楽殿に出迎えられる。本殿はその裏にある事に気づくことは容易いが、本殿から先に見たい身としては少し残念。
- そんな向日神社の本殿は、実は明治神宮の本殿を設計するときにモデルとした社殿らしい。それだけ歴史が古いということなのだろう。
- どうでもいいけど向日神社が鎮座する丘を向日山と呼ぶらしい。その向日山の頂上部の南側から長岡京方面を見ると、ただの住宅街が広がる光景とはいえ割と見晴らしがよくて清々しい気分になる。
- かつてはその南の崖側を向いて社殿が建っていたらしく、それで日に向かうということから向日という地名になったとかならなかったとか。
- 向日神社の元となった向神社は延喜式内社になっている由緒正しき神社。
- ここに乙訓坐火雷神社という名神大社が合祀されたことで向日神社に変わったとか何とか。名神大社のほうが本来格上じゃなかったっけ?
離宮八幡宮編集
- 日本国内における製油発祥の地。
- この神社に仕える神官が、神様からお告げを受けて搾油機を発明したんだとさ。すげぇ。
- 全国の油脂メーカーから信仰がある。
- ここの支援を受けて、長く途絶えていた日使頭祭が復活した。
- 石清水八幡宮の元社で、本来はここが「石清水八幡宮」と呼ばれていた。
- 嵯峨天皇の離宮跡に建てられていたことから、今の社号に変更。
- JR京都線山崎駅のすぐ近くにある。
- 昔はもっと境内が広かったが、明治時代の鉄道建設によって、社地の半分を取り上げられてしまった。
- 下記の自玉手祭来酒解神社との関係は深い。
- 酒解神社の神主が八幡神をお迎えして、この八幡宮が建てられた。
自玉手祭来酒解神社編集
- 大山崎町
- 名前が長いし読めない。
- 「たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ」…こんなん読めるかいな!
- はしょって「酒解神社」と呼ばれることがほとんど。
- 天王山の名前の由来になった。
- 一時期、社号を「山崎天王社」に変えていたため。
- ここにある神輿庫は、国内で現存する板倉式倉庫としては一番古い。
山城編集
宇治上神社編集
- 世界遺産だが近所の平等院と比べるとかなりひっそりしている。
- 現存最古の神社建築。
- 平安後期に建てられたもので築950年くらい。
- 所在地は宇治市宇治山田。でも「宇治山田」というと三重県伊勢市の方が有名。
- 近くに宇治神社もある。
橋姫神社編集
- 宇治市
- 名前の通り、橋姫を祭神とし、宇治橋を守っている。
- 「橋姫ちゃん」というマスコットキャラがいる。
- どういう意図かは知らないが、各原発施設からの距離が記された看板が立てられている。
石清水八幡宮編集
- 男山上でエジソンの神社がある。
- エジソンを祀(まつ)っているわけではないが、エジソンの記念碑はある。
- エジソンにちなんだ電球の絵が入った絵馬がある。
- 電球を作る際にフィラメントに境内の竹を使ったら長持ちしたとか。
- 石清水八幡宮の白い馬がいったいどうやって山のてっぺんまでやってきたのか考えると夜も眠れない。
- 麓からは京阪特急のような色のケーブルカーで行ける。
- 地元の人が神社へ行く場合は、ケーブルを利用せず徒歩で山上へ行く。
- 実はケーブルカーの方が裏道。本当の参道は麓から階段で上がっていくもの、裏道がケーブルカーからの道で、さらに裏の裏道が消防車や交通安全祈願など用に住宅街から伸びている車道であり、知っている人は裏の裏道にて車で中腹までやってくる。
- ただし駐車場は数少ないので、初詣などがある1月中はさすがに車道が閉鎖されたりする。
- 2019年の車両リニューアルで、京阪特急っぽい色では無くなりました。
- リニューアル車に書かれてる車両愛称は、石清水八幡宮の宮司さんによる揮毫。
- ケーブルカーは参道扱いなので、「男山ケーブル」から「石清水八幡宮参道ケーブル」へ改称されることに。
- ついでに京阪本線「八幡市駅」も「石清水八幡宮駅」に改称。
- 室町時代に将軍決定のくじ引きが行われた。
- 八幡宮にふさわしく今も武道が奉納されている。
- 昔は麓も関連する寺や神社だらけだったらしい。
- 今の状況なら仁和寺の老僧侶もきちんと山の上まで行くはず。
- 今の麓には、その世界で有名な「飛行神社」がある。
- 本殿は男山の上にあるが、頓宮は麓にある。
- 今の状況なら仁和寺の老僧侶もきちんと山の上まで行くはず。
- ここで自転車のダウンヒルレースをやったことがある。
- 基本は神社であるが、境内に研修センターがあって体育館まであったりする。
- 本殿の周りには左甚五郎作の欄間もある。
- シンボルは鳩。
- 境内の至る所に鳩が描かれている。鳥居にある「八幡宮」の「八」も鳩になっている。
- 京阪特急の鳩マークもこれに由来しているらしい。
- 八幡市の市章も。
- ケーブルカーの駅のすぐ横の階段を登ると展望台があり、京都盆地が一望できる。
- 但しその階段は急でなおかつボロボロになっているので、上り下りには注意が必要。
- 階段の下には「十万弗の眺望」という表記がある。
- 日本三大八幡宮の1社で、すんごい格が高い八幡さん。
- 旧名は「男山八幡宮」であり、ここから日本酒の銘柄として著名な「男山」の名がとられた。
- 毎年9月15日に日本3大勅祭の一つである石清水祭が行われる。何と真夜中の2時くらいから本殿の神輿を山麓の頓宮までお運びする儀式から始まり、その様子は動く古典だと言われてる。
丹波編集
出雲大神宮編集
- 亀岡市千歳町出雲
- 和銅2年(709年)創祀の、延喜式内社。当時は名神大社だった。
- 因みに明治維新後の旧社格は国幣中社。やや格下げ感がある。
- 戦後は神社本庁に属さない単立神社。
- こう見えても、地味に丹波国一宮。
- 「丹波に出雲と云ふ処あり」by吉田兼好
- 『徒然草』第236段のテーマはここへ詣でた聖海上人の話。
- 大国主命とその妻三穂津姫命をお祀りしている。
- 地元では元出雲とか言われている。
- 少し離れたところに、元愛宕と呼ばれる神社があったり、由緒あるけど残念という感じの神社が多い。
- なぜ、元出雲というかというと、江戸期まで、今の出雲大社は杵築大社と呼ばれていて、それまでは出雲大社というとこの出雲大神宮を指していたから。「出雲大社」の呼称を持っていかれたことを恨んでか知らんけど、地元では「元祖はウチや!」というわけで、元出雲と呼ばれているらしい。
- とはいえ、出雲大社と出雲大神宮の関係性は決して悪くなく、むしろ、出雲大社の宮司一族の千家さんが出雲大神宮に石碑を建てたりするなど、良好。
- 大国主命を出雲大社から分祀したとされるが、それ以外には特に関係がない。
- 社伝では逆に、こっちの神様を出雲国の杵築の浜に祀ったとか言っちゃってる……
- ソースの丹波国風土記は現存していない。
- 社伝では逆に、こっちの神様を出雲国の杵築の浜に祀ったとか言っちゃってる……
- なぜ、口丹波に出雲の神が居たのかと言うと、老ノ坂峠が出雲勢力圏と大和王権の国境で亀岡まで出雲勢力圏だったからという説がある。
- まあ出雲勢力圏と言うよりは出雲勢力圏になびいた地元の勢力が居たと捉える方が自然だろう。そうでなければ、そこら中に古墳があったりしない。
- 五畿七道を分けるときも、大和や山城から近いのに丹波を山陰道にしたのはこういうことが影響しているとの珍説もある。因みにこの説を唱えている人が言うには近江も大和や山城から近いのに東山道に入っているのは、北陸勢力圏だったことによるんだとか(何故、北陸道に入れなかったかは知らん)。
- 本殿は足利高氏が造営したと伝わる。
- 当然、それだけの歴史がある建造物なので、重要文化財指定。
- 男神像が3躯ある。うち1躯は大国主命らしい。
- 平安時代中期に造られたものらしく、これもまた国指定重要文化財。
- 御神体は御蔭山という裏の山。磐座が多くあったりする。
- 三輪明神とかと近しいものがある。
- 山内に立ち入るには社務所で届出を出す必要があるとか。
鍬山神社編集
- 亀岡市上矢田町
- 本宮(鍬山宮)と八幡宮を1つの境内で別々の社殿に祀るという、あまり見ない形式の神社。
- 元々は医王谷という別の場所にあったらしい。現在の場所に移したのは亀岡藩主の岡部長盛。移ったのは慶長14年(1609年)。
- 保津峡を切り開き、丹の海と呼ばれていた亀岡盆地の水を京都盆地側へ抜いた功績を踏まえて大国主神を祀る。
- 一応、この神社では大己貴命として祀っている。
- この伝説は丹波湖伝説と言われており、大国主命や八柱の神は、この作業のために明神ヶ岳で樫船を造ったとか、数々の言い伝えが亀岡とその周辺には残されている。
- 地質学的にも考古学的にも、亀岡盆地は湖であった可能性が非常に高いらしく、その事実が伝承に結びついているんだろう。
- 主祭神が出雲大神宮と一緒なら、創祀も和銅2年(709年)でそっちも一緒。でも社格は全然違う。
- 延喜式内社だったくらいだから、かなり歴史がある。
- 亀岡ではそこそこ大きな神社だが、どっちかというと地域の氏神様というポジションの神社。
- 永万元年(1165年)に、何故か誉田別命を祀りだす。
- これがよろしくなかったようで、大国主命と誉田別命が争いを起こし、数々の災害が発生したとかなんとか。
- で、結局、誉田別命を別の場所に祀って、慶長14年(1609年)まで、平和に過ごしたとか。
- 慶長14年の当地への鍬山宮の遷座に合わせて、こっちも移転し、合祀させることになる。
- そのとき、神々が争いを起こさぬようにと、両神の鎮座する場所に挟まれるように、池を配置することとしたとか。
- この話を聞いて思ったのが、岡部長盛のプライドの高さとかメンツ意識の強さ。恐らく、争いがあって分けたとかいう故事を知らずに合祀を画策したところ、事業のさなかにこの故事を知り、計画は後に引けないから、急場しのぎで「池でも造って分けりゃ大丈夫だろ」等と強弁したんだろうなあと。
- そのとき、神々が争いを起こさぬようにと、両神の鎮座する場所に挟まれるように、池を配置することとしたとか。
- 亀岡祭はこの神社のお祭り。
- 明智光秀の時代に廃れたが、丹波亀山藩の庇護を受けて復活したとか。
大井神社編集
- 亀岡市大井町並河
- 丹の海の成れの果てとされる小さな池がある。
- この水は枯れることがない大いなる井戸として崇められ、それが故にこの神社が大井神社と呼ばれ、氏子地域を大井町と言うようになったとか。
- 木俣命を祀っているのは、この神様は井戸の神様だから。なんでも井戸が枯れることがあれば、丹波国の一大事だからだとか。それくらい大事な池。
- 市杵島姫命をお祀りしている。
- なんでも月読命と市杵島姫命が嵐山付近(松尾大社)から、浦島太郎ばりに亀に乗って保津川を上がっていたところ、途中で亀が力尽きたから鯉に乗り換えてなおも遡上した所、この付近で力尽きたらしく、それを見ていた人が、神として祀ろうとか言って祀ったのが、この神社の始まりらしい。
- そんなわけで、鯉は神の使いとして崇められている。
- そんな故事があるため、この地では鯉のぼりをあげることは御法度であり、鯉を食うことも禁忌とされる。
- なんでも月読命と市杵島姫命が嵐山付近(松尾大社)から、浦島太郎ばりに亀に乗って保津川を上がっていたところ、途中で亀が力尽きたから鯉に乗り換えてなおも遡上した所、この付近で力尽きたらしく、それを見ていた人が、神として祀ろうとか言って祀ったのが、この神社の始まりらしい。
- 元々は大堰川対岸の河原林町にあったらしい。
- 貞観8年からなされている競馬神事(くらべうましんじ)がある。
- 今も10月の例祭のときにやっている。
- 正式な神社となったのは、和銅3年(710年)、元明天皇の勅命によるとか。
- 豊臣秀吉も目にかけていたらしく、片桐且元に命じて、当時荒廃していた神社の再建をさせている。
愛宕神社(元愛宕)編集
- 亀岡市千歳町国分
- 愛宕山山頂にある愛宕神社はここの分祀。
- 分祀したのは和気清麻呂。平安京ができた頃に鷹ヶ峯に分祀したけど、その後、もっと高いところへと言うことで愛宕山山頂に移したとか。
- 「東京の愛宕神社なんて、分祀の分祀なんやさかい、神社としての有難みなんかあらへん。」と亀岡出身東京在住の知り合いが言っていた。激しく同意やわ。
- 本殿は鎌倉時代後期に建てられたもの。
- 当然のことながら、国指定重要文化財になっている。
- 通称が元愛宕。
- 3歳までに参拝すれば、一生火事に合わずに済むという愛宕信仰はここでも伝わっている。
- そりゃ火産霊命を祀っている神社のトップなんだから、火に関する事項で御利益がないということは無いよね。
- 3歳までに参拝すれば、一生火事に合わずに済むという愛宕信仰はここでも伝わっている。
- 継体天皇元年(507年)の創祀。
- 歴史があって、信仰を集めまくっている割に、格はそれほど高くない。最終的には従四位下までしか昇叙されなかった。
- 神籬は後ろの山。その山を越えて、水尾とか越畑の谷を横断するとようやく、分祀のある愛宕山。
- よく愛宕権現という言葉があって、これがまた各地で信仰を集める理由になっているけど、神仏習合の雰囲気を色濃く残している理由は、実は元愛宕にある。
- 近くにある丹波国分寺が衰退し、僧侶のリストラを何度もやってきたんだが、その際、その僧侶を中途採用で受け入れたのが元愛宕だったとか。そのため、神仏習合の考えが一層進んだとか。
- 受け入れたのは僧侶だけではない。なんと、丹波国分寺で合祀されていた誉田別命(宇佐八幡宮から分祀したものらしい。)も、寺の衰退の影響で、受け入れた。
- 近くにある丹波国分寺が衰退し、僧侶のリストラを何度もやってきたんだが、その際、その僧侶を中途採用で受け入れたのが元愛宕だったとか。そのため、神仏習合の考えが一層進んだとか。
- 元出雲と近い。そして丹波国分寺もある。こんなに神々しくて、そのくせ人が少なくて落ち着く田舎、滅多に無いなと思う。
- 境内の森にはムササビが生息している。
- 「ムササビの生息する森」として亀岡自然百選だったかに選定されている。
- 巨木が多い。
- イヌマキ、大スギ、モミ。亀岡の名木に指定されている。
小川月神社編集
- 亀岡市馬路町
- 月読命を祀っている。
- 何ということはない小さな神社だが、由緒正しいらしく、元々は延喜式内社でしかも名神大社に列せられていたとか。
松尾神社編集
- 亀岡市旭町
- 聖徳太子が秦河勝に命じて造らせたと伝わる神社。
- 市杵島姫と大山咋神をお祀りしている。
- 本殿は明応7年(1498年)に建てられたとか。ここも延喜式内社。
- 昔はもっと色々あったらしいが。明智光秀の丹波平定時に焼き払われたとか。
- 御神水は山からの湧き水。これが美味しい。
篠村八幡宮編集
- 亀岡市篠町篠
- 元々は、河内源氏の源頼義が勅宣を受けて、誉田八幡宮から勧請し創建したものらしい。
- 源頼義なんやから、氏神の壺井八幡宮から持ってきそうなもんやけど、誉田八幡宮から直接引っ張ってきたんやな……
- 足利高氏が参拝し、キャバクラ幕府をぶっ壊すことを決意した場所。
- そして、足利高氏が南朝方にぶっ壊されそうになったときに、体制を立て直した場所でもある。
- 日本の歴史が大きく変わったすごいところだが、その割には全体的にこじんまりとしている。
- 室町時代には、歴代の将軍の信仰を集め、栄華を誇った。
- しかしながら、室町末期に明智光秀にぶっ壊されたり、悲惨なことになっている。
- これがなければ、今でも歴史的な建造物がゴロゴロ転がっていたかもしれない。
- 江戸期に入り、丹波亀山藩の庇護を受けて今に至る。今の社殿もこの頃の再建。
- しかしながら、室町末期に明智光秀にぶっ壊されたり、悲惨なことになっている。
- 『梅松論』にも出てくる旗立楊がある。接ぎ木で何度も植え替えているとか。
- 今は8代目らしい。
- 延喜式内社だけど、明治以降の社格は村社。
- 歴史的な価値を考えると、もう少し高い社格があっても良さそうなもんやけど、そうはならないのは、明治維新の元勲達が、水戸史観に偏りすぎていて南朝重視・足利憎しだったからだろうなあ。
薭田野神社編集
- 亀岡市稗田野町佐伯
- 毎年8月に佐伯郷燈籠祭というお祭りがある。
- 元は夜這いのお祭りだったとか。
- 国の無形民俗文化財に指定されているんだから、地域のお祭りと言っても侮ってはいけない。
- 小さいけど、五穀豊穣・女性の守り神として崇められている。
- 境内にあるこぶのできた樫の木をさすりながらお祈りすると癌にならないとか、すでにかかっている人は治ると言われているとか。
與能神社編集
- 亀岡市曽我部町寺蛇谷
- 元々は大きな寺に付随する神社だったらしい。
- 与能神宮寺というのがあったらしい。それを建てたのは空海で、嵯峨天皇の勅命で建てられた由緒正しき寺院だったが、気がつけば、寺はなくなり神社だけ残ったんだとか。
- 社叢林が京都の自然200選に選定されている。
丹後編集
皇大神社編集
- 元伊勢の1つ。
- 今の伊勢神宮内宮にあたる神社で天照大神をお祀りする。
- 垂仁天皇25年に、伊勢神宮へ天照大神が移られてからも、地元では信仰を集めていた。
- 60年に1度のペースで式年遷宮をやっているらしい。
- 最初に社殿が造られたのは元明天皇の御代だったとか。
- 今の社殿は、京極高国が整備したものだとか。この頃は宮津藩の領地やったんやね。
- 丹後で暮らしていた和泉式部の歌塚がある。
- 由緒正しき神社なんだけど、旧社格は府社とそれほど。
豊受大神社編集
- 福知山市大江町天田
- 元伊勢の1つ。
- 今の伊勢神宮外宮にあたる神社で豊受姫命をお祀りする。
- 京極高国が色々整備するまでは、それほど良い扱いを受けていなかったとか。
- 京極高国が整備した理由は徳川家綱の病気が平癒するようにと願を懸けるため。歴代の京極家の藩主って、どうも人柄の良い人が多かったようで……
- こっちも旧社格は府社。
- 鳥居が「黒鳥居」という、世界で2つしかないタイプの鳥居らしい。
- ちなみにもう1つは皇大神社にある。
天岩戸神社編集
- 福知山市大江町仏性寺
- 元伊勢の1つ。
- こちらは奥宮を名乗っているが、伊勢神宮に奥宮ってあったっけ?
- 後ろの岩戸山に磐座があるらしい。ちなみに禁足地。
籠神社編集
- 社名が読めない。
- この神社は「このじんじゃ」と読みます。
- 元伊勢の一つと伝わる。
- 摂社の真名井神社がその構成資産だとか。
- 丹後国一宮はここ。
- 延喜式神名帳には名神大社として列せられている。
- 明治期以降は国幣中社→神社本庁の別表神社と、比較的社格は高い。
- 宮司は天火明命の子孫。
- 海部さんという方の一族が代々宮司を務めているが、その家系図は国宝に指定されている。
和貴宮神社編集
- 宮津市
- あの、横山華山の描いた「五条大橋牛若弁慶図絵馬」を保有している。
- 江戸時代には北前船関係で幅広く商人から信仰を集めたらしい。
- 例えば、その地域以外ではマイナーな豪商で言うと、加賀の銭屋五兵衛が寄進した記録もある。
山王宮日吉神社編集
- 宮津市
- 宮津祭はここのお祭り。
- 江戸時代には、宮津藩藩士もお祭りに参加してパレードをやっていたらしい。
- 江戸期に、歴代の宮津藩藩主に色々整備してもらったおかげで境内は立派。