大東市
ナビゲーションに移動
検索に移動
茨 木 |
高 槻 |
枚方 | 八幡 | |
摂津 | 寝屋川 | 交野 | 京田辺 | |
大 阪 |
守口 | 四條畷 | 生 駒 | |
門真 | 大東 |
大東市の噂[編集 | ソースを編集]
- 関連項目
- 野崎以北に住んでいると最寄駅は四條畷なので、アイデンティティーは四條畷に帰着してしまう(大東市民)
- 船井電機とアート引越センターとフレンドリーの本社がある。
- フレンドリー本社は、建物がファミレスと一体化しているので、本社組織があるようには見えず、ただのファミレスと誤認する。
- 最近フレンドリー本社横のファミレスが潰れたはず。
- 現在はエディオンになっている。70年代前半はボウリング場だった。
- 住道駅の前を寝屋川が流れるが、堤防ではなく「壁」がある。水害が来ても、あんなモンで防げるのだろうか。
- ちっちゃなころ、寝屋川があふれて床下浸水になった記憶があります('74年生まれ・当時北楠在住)。それであの「壁」と治水緑地が出来たんじゃなかったかな。
- 「雨が降ると運休する片町線」って過去にあった話ですな。
- 外環以外の道が狭い。
- 18年前まで下水道復旧率が50%なかった。
- 今でもバキュームカーが走り回ってるよ
- 三年くらい前から見なくなった。 by大東市民
- 昔の洪水の時には寝屋川の水とともにウ○コが流れていたとか。
- 今でもバキュームカーが走り回ってるよ
- 南郷町にオートバックス1号店がある。が、名前はなぜかセブン東大阪店。
- 南津の辺は魔の三角地帯と恐れられている。
- 国道170号線や阪奈道路沿いには、バイク屋さん(用品店含む)が多いと思うが、気のせい?
- 阪奈道路が関西有数の走り屋スポットになっていて、その辺の需要を当て込んだからだと思う。
- 最近は警察による取締強化の効果もあってか走り屋の数はかなり少なくなってきた。
- 阪奈道路が関西有数の走り屋スポットになっていて、その辺の需要を当て込んだからだと思う。
- 古本市場の昔のCMで、芸人のレギュラーが出てたのは、大東店で撮られた。
- ゴミ収集車のメロディーは、野崎参りの歌(野崎小唄)。
- ところがどっこい、全部が全部そうではなく普通に「赤とんぼ」の所もある。
- 深北緑地でこれが流れると、6時の合図。
- 大東銀行の店舗はない。
- 大阪府で一番無名な市町村だろう?
- 北河内か中河内か微妙な地域。隣が東大阪市だし近鉄沿線とも近い。事実東大阪市との結びつきも強いし。
- 深北緑地は「ふこきたりょくち」か「ふかきたりょくち」かの不毛の論争が絶えない。
- 何気に奈良県生駒市と隣接している。
- 野崎の北に北条を「ほうじょう」と読む地名があるが、生駒市には「きたんじょう」と読むバス停がある。
- 子供が勉強しない。確か2008年の学力テストで中学の大阪府下ワースト1だった。
- 市内にある野崎高校は普通科として府下ワーストクラスの偏差値(因みに隣の市にある四條畷高校は府下トップクラス)。
- 大阪府の高校では珍しく女子の制服は超ミニスカ。
- 俳優の木下ほうかの出身校。
- 女芸人のなるみも同校出身。
- 市内にある野崎高校は普通科として府下ワーストクラスの偏差値(因みに隣の市にある四條畷高校は府下トップクラス)。
- 実は市の西端に大阪市バスが通っている。但し停留所はない。
- その市バスが一時期、住道駅まで乗り入れてたことがあったらしい。
- 東大阪市の略称かと思った。
- 大東諸島にある市と思っていた人もここにいます。
- 大東市の「大」は大阪の「大」であるが(大阪の衛星都市の意味があるため)、「東」は方角の東という意味ではない。「光は東方より」というローマの諺から引用した。海外の諺からの引用は珍しい。
- 一応東大阪市が成立する時合併の協議会には参加したようだが、布施・河内・枚岡の3市が中河内郡なのに対し大東市は北河内郡なので最終的には離脱した。
- 合併協議には離脱したものの、ごみの処理は水走の工場に持って行く。
- 市内には関西電力東大阪変電所がある。
- 京橋には約10分、キタには約20分で行けるのが数少ない強み。
- 隣の東大阪市と異なりキタ志向。高校野球の記念大会における地域区分でも北大阪に含まれる(東大阪市は南大阪)。
- 阪神に乗り換えるのも京阪沿線より便利(北新地・新福島・海老江駅で乗り換えられる)。
- 隣の東大阪市と異なりキタ志向。高校野球の記念大会における地域区分でも北大阪に含まれる(東大阪市は南大阪)。
- 1956年4月に市制、意外にも箕面市より8ヶ月早く市制している。
- 東大阪市より11年も早く市制。
- 東大阪市は布施・河内・枚岡の3市が合併したもので、各々の市制施行はもっと早い。
- 東大阪市より11年も早く市制。
- 大阪府33市で市内の鉄道がJRしかないのはここと四條畷市だけ。だが、大阪モノレールが門真市から瓜生堂へ延長されれば大東市域を通ることに。
- とはいえ市内に駅はできない模様。
- 大阪市と接しているものの鉄道で大阪市内に行くには一旦東大阪市内を通る必要がある。
- ボウリングブームだった1971年当時、人口・可住面積の割にボウリング場が6ヶ所もあった。
- 秀吉という運送会社がある。
- 高度経済成長期は四條畷市・東大阪市・八尾市とともに生駒喘息という公害病が問題になった。
- 奈良県生駒市に隣接しているが、その距離はほんのわずか。四條畷市がかなり南まで食い込んでいるため。
- 何となく埼玉県と栃木県の県境みたいにも見える。
- 大阪府の東だから「大東市」。
地域の噂[編集 | ソースを編集]
諸福[編集 | ソースを編集]
- ここが大東市の最西端。
- 上記の大阪シティバス36系統が通っているのはこのエリア。
- 中環には将来大阪モノレールが通る予定。
- 主要府道大阪中央環状線と主要府道大阪生駒線(阪奈道路)が交差する安田東交差点がある。
- 概ね中環の西側が大阪市鶴見区、東側が大東市になるが、実は大東市側が中環の西側に少し食い込んでいる。
- そのエリア(諸福7・8丁目)では市外局番が大阪市側の(06)になる。警察署も鶴見。
- ふくちあんラーメン鶴見店があるのは鶴見区と思いきや諸福。
- そのエリア(諸福7・8丁目)では市外局番が大阪市側の(06)になる。警察署も鶴見。
- 鶴見区側の地名は安田。
- 割と近くの鶴見区内に「諸口」という地名もあるので紛らわしい。
- 阪奈道路はそちらも通っている。
- 最寄り駅はJRの鴻池新田駅で、そのためかこの辺りでも鴻池新田と呼ばれている。大阪シティバスに負けた近鉄バスの鴻池新田バス停もここにあった。
- 地下鉄門真南駅もそこそこ近い。
- 太成学院大学高校がある。
- 但し大学があるのはここではなく堺市美原区。
- かつては太成高校だった。
新田[編集 | ソースを編集]
- 新田北町・新田西町・新田境町は最寄駅が大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線の門真南駅。
- この「新田」は言うまでもなく大和川の付替えによって生じた新田開発に由来する。
- 新田境町にコーナンとラ・ムーがし尿処理場(店舗東側に縮小して存在)の所に出来たが、両店とも市内2店目である。(住道店からの建て替えでコーナンが御領にあり、その近くの三箇にディオがある。)
- 「新田」とは付くものの鴻池新田駅まではちょっと遠い。
- 西濃運輸の大東支店があるのはエリアの北端だが門真団地の近く(門真市境ぎりぎり)で最寄りのバス停は京阪バス。
- 住道駅だと河内支店(東大阪市加納)の方が近い。
御領[編集 | ソースを編集]
- 菅原神社という神社がある。それなりに歴史を感じる。
- 街自体も結構歴史がある。大阪府が「河内を代表する水郷地帯」だということで大阪ミュージアムに「御領水路と段蔵」として登録している。
- そこら中に、井路があって小舟が家の軒先まで入れるようになっていたと思われる。
- 一時期は井路も減っていたが、減らしすぎて水質が悪化したのか、一部街並みとともに復活させたところもあるとか。
- 御領の家という改修してきれいになった江戸末期から明治初期の建物もある。
- 一時期は井路も減っていたが、減らしすぎて水質が悪化したのか、一部街並みとともに復活させたところもあるとか。
- 元々は深野池の西岸にある水運の街だったらしい。
- そして、河内木綿の生産もやっていたとか。
- 御領三丁目の一部だけは本当に昭和の時代にタイムスリップしたような感じになる。とても同じ三丁目に工場街が広がっているとは思えない……
- 街並みが古くて、木綿栽培で潤ったと思われる豪農の大きな屋敷と家屋が連なっていたり……
- 井路には田舟が浮かんでいたり……
- 近鉄バスが優勢な大東市だがこの辺りでは門真市内を主に走る京阪バスも乗り入れている。
住道界隈[編集 | ソースを編集]
- 住道駅は、下手な新幹線駅より地上高がある。
- 大阪駅のショッピングモールでギャレ大阪というのがあるが、住道駅にもさり気なくギャレ住道というのがある。
- 住道駅近くにレンタルサイクルが存在する。産大(大阪産業大学)の学生が目当てかな。
- 工場に派遣されるフリーター達目当てでもあるようだ。
- 昔の人は住道(すみのどう)を(じゅうどう)と呼んでいたらしい。もしかしたら俺の親だけか?
- いまだに年齢が40~50代以上の人は(じゅうどう)と呼び、しばしば若者との会話に支障をきたす。
- 噂では昔そう言ってたとか言ってないとか
- 他地域の人は、(すみみち)と呼んでしまうらしい。
- とはいえ、江戸時代にはここら辺りは「すみのどう」と呼ばれていた。ただし字面は「角堂」と書いて「すみのどう」と呼ばせていたらしいけど。
- ちなみに野崎観音へのお参りで船便を使った人は、ここで大型船から剣先船に乗り換えたという記録が残る。角堂浜と呼ばれる港があったらしい。
- 噂では昔そう言ってたとか言ってないとか
- いまだに年齢が40~50代以上の人は(じゅうどう)と呼び、しばしば若者との会話に支障をきたす。
- 大阪市東住吉区には「住道矢田」と書いて「すんじやた」と読む地名もあります。
- 読み方こそ違えど、大東市のほうの住道と東住吉区のほうの住道は街並みがまるで異なる。
- 通な人はジュウドウと呼ぶと親から習ったが、逆に読み方を知らないと思われそうで怖くて使えない。
- 少年野球のチーム名がオール住道(じゅうどう)じゃなかった?
- 野球なのに「じゅうどう」なのか。
- 「赤井」と言えば元ボクサーの俳優よりも、渋滞で有名な交差点を思い出す。
- 自分の時代は、よく「赤井」の交差点がイベントの集合場所になってた。デートの待ち合わせも然り。
- 赤井の出身地は大阪市西成区。
- 自分の時代は、よく「赤井」の交差点がイベントの集合場所になってた。デートの待ち合わせも然り。
- 住道駅近くにあるオペラパークになぜか京阪百貨店ができた。別に京阪沿線でもないのに。場所もちょっと微妙。
- かつてはダイエーがメインテナントの「ポップタウン住道」だったが、建て替えによるリニューアルでオペラパークとなった。
- オペラパークになってからダイエーはグルメシティに格下げ。
- ちなみに、市内にグルメシティが各駅ごとにあるが、四条畷駅にあるのは住道と同じ格下げ店で、野崎の駅西にあるのは旧サカエと店の造りが違うらしい。
- オペラパークになってからダイエーはグルメシティに格下げ。
- 駅前に乗り入れているのは近鉄バスで京阪バスの乗り入れはない。そういう意味では京阪と近鉄の文化圏の境目に位置するのかも。
- 同じ市内にある四条畷駅前には京阪バスと近鉄バスの双方が乗り入れている。
- かつてはダイエーがメインテナントの「ポップタウン住道」だったが、建て替えによるリニューアルでオペラパークとなった。
- 住道駅の近くには何故かイズミヤが2つもある。駅前の「大東サンメイツ」にあるのが「大東店」で駅のちょっと西側にあるのが「住道店」。
- だが駅前のやつを「住道店」だと思っている人も多いかも。by自分もそうでした
- 「大東サンメイツ」はどことなく古めかしい。リニューアルしたオペラパークと比較すると余計にそう思う。
- こんな近くに2つの店舗があって競合しないか?と思うが大東店は駅前なので鉄道利用客、住道店は府道21号沿いなのでクルマ利用客、と棲み分けができているらしい。
- 住道店の方は建て替えのため一旦閉店したらしい。
- 建て替え後は「カナートモール住道」に生まれ変わろうとする矢先にサンメイツの方(大東店)が退店に…。(サンメイツ専門店街はイズミヤ退店後も継続して営業。)
深野[編集 | ソースを編集]
- 「ふかの」ではなく「ふこの」。
- 深北緑地の由来。
- 四條畷警察署があるのはここ。
- 南北に長く、深北緑地から扶桑薬品工業工場・阪奈自動車学校までと広い。
- 近鉄バスの深野南バス停は阪奈道路上にある。
野崎界隈[編集 | ソースを編集]
- 野崎参り(だいたいゴールデンウィーク頃)には野崎駅から野崎観音まで露天がひしめく。
- 美味しくて良心的な出店のおっさんは、ガラが悪い。
- 「必ずゲームソフトが当たる!」で引くプレイステーションやスーファミの聞いたこと無い名前のカセット。
- 最近は同時期に入場無料のプロレスイベントが開催されており、「ダイナマイト野崎」や「野崎のおっさん」といった謎の覆面レスラーが活躍している。
- 四條畷市と領有が争われている「飯盛山」がある。
- 野崎の花屋は良心的な店が多い。
- 野崎観音の側にあるので、墓花の値段は高く釣り上げられていてもおかしくないのだが、街なかよりちょい高い位の値段で提供してくれる。
- 山を越えて田原台付近の霊園に墓を持っている知り合いが、時々墓参りに行くときはここで花を買うてから、飯盛山、山上口IC経由で、ハイキングを兼ねて行くといって居た。
- 野崎観音は北河内の歴史を語る上で無くてはならない存在。
- よく、なにわの歴史話とかにも出てくる。
- 京橋あたりから舟で行く人間と、歩いて行く人間とで喋ってる間に着いてもうたみたいな噺がなかったかな。
- よく、なにわの歴史話とかにも出てくる。
- 市民の足たる学研都市線自体が観音参りのために出来たようなもん。
- 大東市のマンホールにも描かれているほどのもん。
- 大東市立歴史民俗資料館が国道170号旧道沿いにある。
- 駅前商店街には貝をトッピングしたラーメンを出す店がある。
- 醤油味はしじみ、塩味はあさり、味噌味はほたてとトッピングする貝の種類も違う。
- 樋屋製薬の工場がある。
寺川・中垣内[編集 | ソースを編集]
- 高校野球で有名な大阪桐蔭高校がある。
- 中垣内の阪奈道路下り終点の横に東大阪変電所がある。
- はや山荘のあるところ。
- はや山荘の前の府道701号ではテレビ和歌山を受信できる。
- 2018年に土砂崩れで建物が被害を受け、そのまま閉店してしまった。
- 阪奈道路が本格的なバイパスになりだすのもここから。
- かつて梅田から産業大学前まで近鉄バスが直通していた。
- 昭和時代は瓢箪山や奈良にも直通していた。
- 赤井交差点で右折し朋来住宅に行く系統もあった。
- 近鉄バス阪奈線は年々衰退し、2017年に路線そのものが廃止された。
- 東花園(かつては瓢箪山)からの近鉄バスは寺川で四條畷と住道に分かれる。
- 昭和時代は瓢箪山や奈良にも直通していた。
- 十林寺は真宗大谷派のお寺。結構でかいし歴史もある。
- 元々、行基菩薩が聖武天皇の勅令を受けて創建したお寺らしい。
- 象印マホービンの工場がある。
- 野崎高校はこのエリアの阪奈道路沿いにある。
- 上記の大阪産大や大阪桐蔭高校のすぐ近くにある。
- 国道170号の西側に大阪府消防学校があり、訓練用の103系が1両保存されている。
- 但し地名としては平野屋となる。ついでに言うと平野屋というと深野池の新田開発に由来する。
- この他大阪産大のキャンパス内に南海大阪軌道線(現阪堺電気軌道)で使われていたモ205形も保存されている。
- すぐ南が東大阪市の善根寺。
龍間[編集 | ソースを編集]
- どこにあるかしらん人がほとんど。
- 大東市民でも知っている人が少なくなる、大東市内唯一の山間部の集落。
- 寧ろ、阪奈道路を走ってた、元走り屋とかのほうが知ってるかも知らんくらい。
- 阪奈道路で3つしか無い信号のうちの一個があることと、よく、走り屋を取り締まるパトカーが待機してた所があるから。
- 阪奈道路の上り線と下り線の分岐点。山上口ICで取り締ってる覆面パンダがよくここでUターンをかけている。
- おそらく阪奈道路がなかったら今頃は限界集落だったと思われるような所。
- これがなけりゃ、公共交通など絶対なかったに違いない。
- これでも、昔は古堤街道という間道の通り道だったのでそれなりに栄えていたらしい。
- 今、大阪京橋から街道をトレースしようと思っても龍間の先、生駒山麓公園を抜けて宝山寺方面へ行くルートは阪奈カントリークラブの真ん中を突っ切るコースになっていることに加え、今は藪こぎ状態になったためトレース不可になっているし、田原へ抜けるコースも信貴生駒スカイラインと雑木林、阪奈道路に阻まれて山上口IC付近がトレース不可。
- 場所がいいのでゴルフ場が2件ほどある。
- 大産大グループのグラウンドがある。
- 大阪桐蔭のグラウンドはやたらと金がかかっているのが見て取れるが、大産大付属のグラウンドはその点で行くと、結構手抜きなのがよく分かる。
- 大産大付属も何気に甲子園に出たことはある。
- 同じ学校法人なのにこの格差、流石は桐蔭さん。やることが違うと思う住民もいる。
- 大阪桐蔭のグラウンドはやたらと金がかかっているのが見て取れるが、大産大付属のグラウンドはその点で行くと、結構手抜きなのがよく分かる。
- 明治の町村制以降は「四条」の一部だった。
- 正式な表記は「竜間」か「龍間」か混乱する。
- 正式には龍間が正しいようですな。なので節名も変更しときます。
- とはいえ、竜間で郵便を出しても届く。もちろん郵便番号があってればの話だが。
- 大阪霊園からは天候次第だが六甲山地、和泉山脈、淡路島、小豆島、四国山地(剣山?)を見える。
- 野崎の堂山古墳の裏手から舗装された道が龍間まで伸びていく。ところどころ大阪平野の眺めが良い。
- この道を登りきりわかくさ龍間リハビリテーション病院の横の細い道を抜けると、右斜め前の生駒山に抱かれた龍間の里の美しい景色が眼前に広がる。(右上画像参照)
- 信貴生駒スカイラインの起点が四條畷市との境界近くにある。
- そこにある近鉄バスのバス停の名前は「生駒登山口」。かつてはここから先奈良や生駒山上まで路線が通じていた。
- 阪奈道路が有料時代は信貴生駒スカイラインをくぐる地点に料金所があった。今も料金所の残骸が残る。