平戸市
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平戸市の噂[編集 | ソースを編集]
- 関連項目
- それまで島だったが、田平町と合併して本土に進出してしまった。
- あごかぜが吹くとみんなであご(飛び魚)を捕りに行く。
- 虫取り網で捕ったりする。
- これで出汁をとると最高。
- 昔から雑煮やみそ汁に使ってたが、最近はラーメンのスープとして売り出し中。いつのまにか長崎県を代表するご当地ラーメンになっている。
- 根獅子の海はすごくきれい。
- 今はそうでもない。
- いや、それでも他の海水浴場よりはきれいだと思う。根獅子の隣の人津久の浜はもっときれい。
- 地元ではタブーみたいな話だが、根獅子や人津久は昔かくれキリシタンが処刑された所なので、夜は幽霊やヒトダマが出るらしい。真偽は不明だが、誰か勇気ある人は海岸で一晩試してみてください。
- いや、それでも他の海水浴場よりはきれいだと思う。根獅子の隣の人津久の浜はもっときれい。
- ちなみに根獅子は「ねしこ」と読みます。海水浴場もさることながら、隠れキリシタンの里としても近隣では知られている。
- その隣の獅子も、じつはもともと同じ隠れキリシタンの村だったんだが、こちらは素直に「しし」と読む。根獅子につられて「しこ」と読んではいけない。なんか意地悪ぅ。
- 今はそうでもない。
- 「平戸防衛戦隊ヒラドシマン」というローカル戦隊ヒーローが活躍している。
- 活躍していた(過去形)
- サドガシマンのインパクトに勝てない。
- 以前(平成最初あたりまで)は、田平港から、平戸港行きの海上タクシーがいた
- 猶興館の帰宅部(ノン部活生)が主なお客様だったので赤字・廃止
- もともとは平戸へ行くには平戸口(田平港)から船で行くしかなかった。平戸大橋ができたあとも何年かはフェリーもがんばってた。
- そのため「平戸口」の地名は知られてても「田平町」は知名度が低かったらしい。なのでいまでも旧田平町民は「平戸市」になったことをあまり快く思ってないらしい。
- 田平を生かせ。
- そのため「平戸口」の地名は知られてても「田平町」は知名度が低かったらしい。なのでいまでも旧田平町民は「平戸市」になったことをあまり快く思ってないらしい。
- 生月大橋の開通は実は望まれていなかった
- どんなヤンキーも島に帰るため夕方の船で帰っていたため、平戸市街地にヤンキーが夜中いなくてすんでいたが、生月(ヤンキーの宝庫)との開通で夜中までヤンキーが普通に入れるようになった
- 高校の先生が壱番嫌がっていたらしい
- 鹿町工業高校に行って中途半端なヤンキーになる若者が結構多い。
- かっこいいと思っているらしい。。。
- 一昔前は北松農業高校に行って同様になる若者も多かったらしい。今はどうか知らんが。
- 今は大人気の両校
- 猶興館の学生は海から流れてくる魚の臭いに耐えなければならない。
- ジャパネットたかたの社長・高田明氏は平戸市の出身。実家は写真館。
- (その実家の写真館を継いでる)高田社長の兄さんが、2009年10月の平戸市長選挙に出るらしい。
- 「来年度の予算は、1億きゅうしぇんはっぴゃくまんえん~!(?)」
- 残念ながら当選ならず・・・。
- この時は高田社長も選挙応援のため精力的に平戸入りしていたが、金子原二郎の力には及ばなかったようだ…(黒田市長のバックが金子原二郎)
- (その実家の写真館を継いでる)高田社長の兄さんが、2009年10月の平戸市長選挙に出るらしい。
- 地元に世界遺産が出来るかも知れない。(といってもまだ先の話のようだが)
- 旧田平町を含めると2つのカトリック教会が暫定リストに入ったみたい。
- 平戸はカトリック信者が多い。人口の割合でいったら日本一かも?
- 旧田平町を含めると2つのカトリック教会が暫定リストに入ったみたい。
- 教会と寺が隣同士にあっても誰も変に思わない。どころか観光名所にしてしまう。
- 実際写真(→)撮ってきた観光客がいます(俺)。
- 異なる宗教施設が隣り合わせで共存できるのがいかにも日本的で良いと思う。
- なお、幾つかの教会は中も見せてもらえる。でも、あくまでも観光施設ではなく宗教施設なので、騒がないとかマナーは守りましょう。特に拝礼中。
- たしかにミサの時の出入りはやめましょう。でも、信者でもミサに遅刻して来たり、全部終わる前に帰ってしまう人もたまにいたりする。え?それはオマエのことじゃないのかって・・?
- あとマナーとして教会の中では禁煙&写真撮影禁止ですと書いてあるところがある。写真はともかくタバコは厳禁です。中高生のみなさん、わかりましたか!?
- 中高生に対してたばこを注意している件。誰かツッコんでやってよww
- →の画像をよく見ると、平戸ザビエル教会は左右非対称の形になっている。その理由は誰も知らない?
- ほかにも平戸市内にはカトリック教会がたくさんある。人口4万足らずの市に14ヶ所あるそうで、そこいらの県よりも多い。
- 紐差(ひもさし)では、町というか田舎の真ん中に突然デカイ教会が姿を現す。ホントかどうか知らんが、長崎市の浦上天主堂が原爆で破壊されて昭和34年に再建されるまで日本でいちばん大きな教会の建物だったらしい。
- ちなみに世界遺産の候補になってるのは宝亀(ほうき)と田平の教会で、平戸ザビエル教会や紐差ではない。まさかとは思うが、赤レンガ造りかどうかの違い?
- K田K未の父親は平戸出身らしい。
- 店の名前と勘違いする苗字の人がいる。
- 「○屋」さん、「○○屋」さんetc、いろんな人がいる。家業とは関係ありません。
- 商館が移転していなければ長崎の地位はここのものだった。
- 長崎市よりも歴史が古い。
- 最初はポルトガル船が来て、フランシスコ・ザビエルも来てたんだが、ポルトガル人船員が平戸の町人と大ゲンカして死者を出す大乱闘事件を起こしてしまい、それ以降ポルトガル船は長崎へ。その後オランダ商館ができて貿易が順調にいったと思ったら、商館は長崎の出島に移転させられてしまった。
- ちなみに、この大乱闘事件を宮の前の大喧嘩と呼ぶ。
- なんとWikipediaにも、この事件のことが書かれている。
- ちなみに、この大乱闘事件を宮の前の大喧嘩と呼ぶ。
- 長崎県は平戸県になっていたかも知れない。
- 長崎市が出島を復元したのに対抗して、平戸でもオランダ商館を復元しようとしているらしい。
- 復元されてた。でも'11年5月時点ではまだ作りかけらしく、中には入れなかった。外見が新しすぎて情緒はなかった。
- ディズニーにエイジング塗装を頼みましょう。
- 北松浦郡の郡役所所在地だった。
- 佐世保が所在地だと思われそうだ。
- そりゃあ昔は平戸松浦藩の城下町だったんだから。今ではそのことは忘れられてるみたいだが。
- 長崎はまだしも、佐世保から田舎呼ばわりされるのは許せないらしい。
- 平戸から見たら佐世保は新興に過ぎないのかも…。
- 市役所の前の古い石橋は重要文化財で正式名称を「幸橋」というそうだが、地元では「オランダ橋」と呼んでいる。
- 何年か前、あの狭い橋を無謀にも自動車で渡って、橋の一部を壊したバカがいるらしい。
- 道が曲がりくねっているため、直線距離だとすぐの佐世保に出るのにも一苦労する。
- 街中を歩いていると、異国情緒あふれる顔の人に出くわす事がある。
- 小説家司馬遼太郎も平戸の城下町の佇まいを絶賛した。
- 司馬氏が訪れた頃に比べると、建て替えが進んで情緒がなくなりつつある。せめてバラバラの屋根の色を統一できないものか...。
- 世界史の教科書に出てくる鄭成功の出身地。台湾では英雄らしいが、平戸では鄭成功がどんな人なのかよく知らない人が多い。
- 別名が「国姓爺」と言うと あぁ近松門左衛門の作品の、という人もいるかも。それでもどんな人なのか知っている人はまれか。
- 「鄭成功児誕石」という、貝採集中だった母親が産気づき、鄭成功を産んだ際にしがみついていたという石が川内町の海の中にある。国道383号の道路のすぐ下にあり、車道の反対車線(平戸市街方面)からはまず見えない。海側の車線(南行き)では若干見えるかも知れないが、運転席からは厳しいかも。
- オランダ塀とオランダ坂をよく混同される。
- 上にも書いてあるが、オランダ橋もある。ちなみにオランダ塀とオランダ橋が平戸、いちばん有名なオランダ坂は長崎市にある。
- もひとつ言うと、平戸には「オランダ煎餅」というお菓子もある。
- 青森県民から「平戸」をひらへといわれる事を何よりも恐れている。
- 近年、韓国人密航者が上陸の出入口としていたことが発覚。
- ニュース映像を見たら、○平のフェリー乗り場の近くだったので驚いた。あんな所に密航船を着けたらそりゃバレるだろ。やるならもっと人目につかない所に・・・ヤバイので詳しくは書けないが、(いまは橋が架かって料金所もないんだから)平○島の○○か○○あたりとか、○○島の(ry
- 日本本土からつながった道路の最西端がある。関門大橋、平戸大橋でつながった志々岐の先の宮ノ浦漁港。一応碑がある。
- 南側一部を埋め立てか整地していたので、ひょっとしたらそのうちそちら側が最西端に変わるかも。ただ、そちらは漁港の施設かも知れないので、道路(公道)にはならないかも。
- 最近行ってないのでよくわかりませんが、たぶん防波堤の一部なので、車で通ったら地元の漁師さんに不審がられるかも。でもまぁ、釣り客はよく来るみたいですけどね。ちなみに志々岐ではなく「志々伎」です。(↓も勝手に訂正しておきました。ごめんなさい)
- 埋め立ては最西端の碑から南につながってる堤防ではなく、湾と神社がある島を挟んで反対側でした。Yahooの地図はまだでしたが、Googleの地図の航空写真なら埋め立て途中が確認できました。
- 最近行ってないのでよくわかりませんが、たぶん防波堤の一部なので、車で通ったら地元の漁師さんに不審がられるかも。でもまぁ、釣り客はよく来るみたいですけどね。ちなみに志々岐ではなく「志々伎」です。(↓も勝手に訂正しておきました。ごめんなさい)
- 南側一部を埋め立てか整地していたので、ひょっとしたらそのうちそちら側が最西端に変わるかも。ただ、そちらは漁港の施設かも知れないので、道路(公道)にはならないかも。
- 志々伎山がちょっと目立つ。航海の目印になり、神社が置かれるのももっともだ。
- 「じゃがたらお春」と言う人の名前を取ったジャガイモの焼酎が志々伎にある。蔵を見学できる。
- 長崎ではCMのおかげで知名度があるが、平戸といっても平戸大橋からあんなに遠い所だとは、たぶんみんな知らない。
- ツツジ植えまくり。で、なぜ今までこの話題が出てこなかった?ヒラドツツジという品種があるのに。
- 平戸の崎方公園はいちおうヒラドツツジの名所といわれてたんだが、近年は対岸の長串山(鹿町町)の方が有名になったもんだから…
- 他県民、とりわけ九州島外民は平戸と佐世保の距離が実は40kmくらい離れていて車で70分位見ないとキツイことに驚く。
- 自分はそんな人間の一人。平戸だったら佐世保から30分もあれば行けるだろうと思って旅行計画を建てたのに、それだけかかることを知って平戸観光は別の機会に御預けしたけど、次行けるのはいつになるのやら…… ボケて車に乗れなくなったらもう行けるようなところでもないし……
- 車に乗れなくなっても、佐世保駅から出てる西肥バスのことは忘れないでやってください。
- しかし、車で70分は言い過ぎでしょう。いまは西九州道ができて佐世保-佐々間が短縮されて江迎に山越えで抜ける県道とつながったので、佐世保駅あたりから約45分で行けますよ。
- 自分はそんな人間の一人。平戸だったら佐世保から30分もあれば行けるだろうと思って旅行計画を建てたのに、それだけかかることを知って平戸観光は別の機会に御預けしたけど、次行けるのはいつになるのやら…… ボケて車に乗れなくなったらもう行けるようなところでもないし……
- 平戸市内のホテルは高いと誰もが思っている。蘭風が湯快リゾートに買収されて市内のホテル関係者はヤバいと思っている。
- あごだしが有名になり。あごバブルが起きている。
- 平戸城の下にあるレストハウスの改修をやろうとしたが頓挫した。
- ふるさと納税申込額日本一になった事がある。
- 北松浦郡田平町を合併しなかったら鉄道空白市を脱することは不可能だった。
- こちらの平戸とは無関係。
- 他県人には「赤い橋を渡ると平戸島へ行ける」と教えても差し支えはない。
- 長崎市から104km程度。佐世保からは40km程度。
- 2005年10月1日に平戸市・北松浦郡大島村・生月町・田平町の1市2町1村で新設合併し、長崎県下で最も遅くまで残っていた「村」が消滅した。
地域別の噂[編集 | ソースを編集]
田平[編集 | ソースを編集]
- たびら平戸口駅の噂は長崎の駅を参照。
- 田平中学は県内に於いて駅伝が強い。
- 国道204号の道の駅に、巨大なカブトムシがいる(ホンモノじゃないけど・・・)。
- 平戸YHの横のキャンプ場はシャワーも使わせてもらえお勧め、だそうだ。俺は行ってないけど。
- ポルトガルに「タビラ(Tavira)」という街があるそうで、むかしポルトガル人が平戸に来たことから、これが地名の由来じゃないかという説がある。たぶんガセだろうけどw
生月[編集 | ソースを編集]
- 平戸入りするまでは1つの島(生月島)で1つの町だった。
- 金子原二郎・長崎県知事と、その父、(故)金子岩三・元農林水産大臣の出身地。
- 「生月大橋ができたのは、かねこさんのおかげ」
- 元関脇・隆乃若も同郷。
- 2009年以来、平戸市長も生月島出身。平戸市に吸収合併されたと思われがちだが、実際は逆のような気がする。
- 江戸時代は捕鯨で、昭和の時代は巻網漁船団で潤い、財政は良かった(過去形)。
- なので、財政難の平戸と合併なんかしたくなかったんだが、県知事の地元なので。。。
- 生月町壱部(いちぶ)という地名があるため、二部、三部もある、と勝手に誤解してるバカがいる。
- 奈良県生駒市にもある。
- いつの間にか「丸ぼうろ」が生月銘菓になったが、佐賀や佐世保のと比べると、ありえないくらいデカイ。
- でも、おいしい。
- 生月へ行くには、平戸大橋、生月大橋と2回も有料道路を通らないと行けない。安くなったからいいようなものの・・・
- 2010年4月に、どちらの橋も無料になりました。
- 隠れキリシタンの島として有名らしい。
- でも、当然ながら島民全員が隠れキリシタンのわけはなく、神社も寺もカトリック教会もある。
- ただし「隠れ」なので表向きに名乗ることはないため、実際どれぐらいの人が隠れキリシタンの信仰を続けてるのか、よくわからないらしい。
- 最近よくコンクールで演奏される、「ぐるりよざ」はここの島がモチーフ。
- 「○○様」という隠れキリシタンの聖地があちこちにある。(対岸の平戸島の根獅子や獅子にもあるが)靴を脱がなきゃダメとか、険しい海岸なのに船で行ったらダメとか、いろいろ厳しい掟がある(あった?)らしい。
- 現代の日本では信教の自由が認められているのはカクレの人々とて百も承知。しかし伝統なので表に出るに出られない、のだとか。
- でも、当然ながら島民全員が隠れキリシタンのわけはなく、神社も寺もカトリック教会もある。
- 「いきつき」と読む。壱岐(いき)と似てるとかで混同する人がいるらしいが、まったく関係ない。
- 壱岐対馬の間に「き」を入れると生月島(いきつきしま)になる。
- 大バエ灯台は映えスポットかも。
- ハマユウの原生地。
大島[編集 | ソースを編集]
- 「的山」で「あずち」。読めないよ…。
- 地図や観光ガイド本には、ごていねいに的山大島と書かれてることが多いが、ヘタに読み間違うよりも単に「おおしま」と言えばおk。実際、平戸の人もそう呼ぶ。
- さすがに昔(合併前)の電話帳だときちんと区別しないとまずいからか、ごていねいに的山大島と書かれていた。
- 一瞬、信長の城かと思ったじゃないか!
- 地図や観光ガイド本には、ごていねいに的山大島と書かれてることが多いが、ヘタに読み間違うよりも単に「おおしま」と言えばおk。実際、平戸の人もそう呼ぶ。
- スギやヒノキがほとんどなく、花粉症の人が来ても二日いるだけで治るらしい。
- 平戸市になったのに「平戸市大島村」のまま。「大島町」にしたらダメなのか?
- 西海市になった「大島町」があるので、いちおう区別しとかないとダメってことか?
- 龍神村と同じパターンで村の名前を残していると思われる。
- 神浦集落は重要伝統的建造物群保存地区らしい。
- 江戸時代の建物もあるらしい。
平戸の食べ物[編集 | ソースを編集]
- しいたけ産業に力を入れている。
- 平戸牛は結構うまい。美味しんぼにも出てきた気がする。
- カステラに糖蜜を滲み込ませた上にグラニュー糖をまぶしたカスドースというお菓子が名物。
- カステラを糖蜜で揚げてるそうです。カロリー高そう。。。
- 「甘すぎる」という理由で、他県の人にはあまりウケないらしい。あれでも昔よりは甘さ控えめなんだが。
- カステラもカスドースも、平戸に来たポルトガル人から伝わったもので、その歴史は長崎よりも古い。なので、じつは平戸のカステラが日本一だと思ってるらしい。
- さきごろ某番組で紹介されたところ全国から注文が殺到して製造が追いつかなくなったため、ネット通販が一時受付中止になってしまった。欲しい人は平戸まで来てください。
- カステラの元祖は平戸らしい。長崎で一番古い企業が平戸のカステラ屋だったりする。大人の事情でそれはアピールできないらしい。
- 大人の事情って何ですか?きいちゃダメ?
- かまぼこといえば「川内かまぼこ」に限る。平戸人は、他の地域のかまぼこは食べないらしい。
- 板かまぼこではなく、「すぼ」と呼ばれるストローで巻かれている。
- 川内の港の前を通ると国道沿いにかまぼこ屋がたくさん並んでる。車の窓を開けると魚のにおいがプンプン。
- 中国伝来のごぼうもち。
- 名前と違って、ホンモノの牛蒡は入っていない。
- 名前のイメージと違って、かなり甘い。白と黒と2種類あるのも楽しい。
- ういろうに近いような...。