阪急ブレーブス

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阪急ブレーブスの噂[編集 | ソースを編集]

  1. 阪急時代の1976年につくられた「ああ!王者」を今聞くと、涙が出てきそう。
    • 当時いかに強かったかわかり、90年代中旬以降のふがいなさとギャップがあるため。
    • 「たまには負けてあげようか」とか「敵も勝ちたいよ」とか…
      • おお懐かしや「ああ!王者」。山田久志・大熊忠義・山口高志・加藤秀司が歌ってたなぁ。「野球小僧-懐かしの野球ソングコレクション-」というCDに収録。
        • 通算284勝のサブマリン山田・外野の名手大熊・「太く短く」の豪速球男山口・インパクトある打撃フォームと滅法勝負強いファースト加藤…。
  2. 有名球団関係者の一人、バルボンさん。現役引退後、通訳として球団に残る。
    • 英語を関西弁に訳す技術は、誰にもマネできない。
      • 通訳としての翻訳はアバウト。しかしそれが人気だったというからスゴイ。ギャグも織り交ぜられるし、ある種関西人より関西弁に精通してるかも。
        • ある外国人選手が長く話したが、バルボンさん「エエとこで打てた」。あとで「あんな長く話しよって、イチイチ訳してられるかい!」と内情バラシ。周囲の関係者大苦笑。でも報道陣をケムに巻くだけじゃなくて、真摯に対応もしてたから悪評がそう無いのも事実。
    • キューバ革命で帰れなくなったってのも、あるんですよね?
      • キューバへ帰ることは出来たらしいが、もし帰ると二度と西側諸国へ行けなくなったため、悩んだ末日本に残る決意をされたらしい。最初はアメリカで買った家のローンを払うため、出稼ぎ気分で来日し、払い終わればさっさと帰国するつもりだったらしい。
    • 外国人で盗塁王になったのは、彼ともう1人だけ。
    • 現役時代の愛称は「チコ」。スペイン語で「坊や」とか「チビ」の意。
    • そのバルボンさん、今はここの野球教室顧問兼カブレラの通訳&教育係。何せ50年余りに渡って日本在住+阪急~オリックス一筋。大ベテランなだけに球団側も冷遇できんはず。既に70代だが、若々しい。ご本人は「今は子供たちに野球教えてる。そやから若いん違うか」と。老年・壮年層から若年層まで幅広いファンに愛されてる。
    • つくづく思うがこの人、帰化はしたんだろうかw
      • 日本人女性と結婚したけど帰化はしてないみたい。でも帰化云々は、もはやど~でもイイ話といえるだろう。
    • あの関西弁は阪急沿線の駅で覚えた(聞くともなしに聞いてた)とか、若い頃日本料理が口に合わず、チキンライスばかり食ってたので「もうチキンライスと聞いたら逃げたくなるわ」など、結構苦労された。今は「子供に野球教えたり、家に帰れば野球中継観戦や。野球漬けやから奥さんに怒られてるんや」と。
    • そのバルボンさんが合併当初の「Bs Times」にワンポイント英会話のコーナーを持っていたのを覚えている人はどれぐらいいるだろうか?
    • バルボンさんはサンテレビの野球解説者だった時期があり、「サンテレビボックス席」の阪神戦中継の第1回目に出演していた。
    • 2023年の03月12日に急性肺炎のため89歳でお亡くなりになられた。合掌。
  3. さらに関係者として、島野修さん。
    • 日本一有名な「中の人」
      • 初めの頃は心無い野次を浴びせられたが、子供が帰りの電車の中でブレービーを褒めたのを聞いたことで心に迷いがなくなり、17年にわたりマスコット演技で活躍した。日本のマスコット演技の元祖である。
      • ドラフト1位。
        • まあ、星野仙一が、巨人じゃなく、中日に指名されてたから、もしワシが巨人ドラフト1位なら、間違いなく「ブレービーの中の人」だし・・・。
      • ご冥福をお祈りいたします。
    • ブレービーは日ハムのギョロタン、ヤクルトのスーちゃん・ヤー坊と共に、初期の球団マスコットとして注目を集めている。
      • 特に阪急電鉄が積極的に広告で用いたことなどは、今日に至るまでの球団マスコットの位置づけを築いたとして、高く評価できる面もある。
        • 駅の売店の看板にまで、ブレービーが描かれていた。
        • 子会社の阪急交通社が主催していた海水浴ツアーのバスの名前も「ブレービー号」だった。
    • ブレービーからネッピーに代わっても「中の人」として活躍。1000試合出場時にイチローが祝辞贈った。引退までの1175試合を1試合も欠かさず出場したのは偉業。
      • 意外といっちゃあ失礼だけど、生前の島野さん、実はイケメン。
  4. 「ハンキュウベリマッチ」のCMに出ていた外国人選手は、CMと共に今なお語り草。
    • ブーマーね。そのCMに使われた近鉄選手に向かっていく映像はTV特番でしばしば流され、阪急の象徴のひとつになっている。
    • 「ブームを呼ぶ男」という意味でブーマーが登録名に。本名はグレゴリー・ドウェイン・ウェルズ。
    • っていうか、三冠王の話題がこれだけ?
  5. ボコボコに殴りまくるアニマル。最初はやられ放題だったが、そのうちうまくかわすようになった捕手、藤田。
    • アニマルは、後の亜仁丸。って書いても誰も知らない。orz
    • 「探偵!ナイトスクープ」で桂小枝がアニマルにやられまくった。
  6. 福本豊は阪急が消えたので阪神→解説者に転じたが、阪急と阪神が経営統合されて古巣に戻った形になった。
  7. 英語ペラペラの早見優が、応援歌を歌っていたことがある。
    • HankyuHaの母音は、「アとエの中間音(発音記号:æ)」で歌っていた。
  8. 阪急はどれだけ強くても、多くのファンに親しまれることは最後までなかった悲劇の球団。
    • 外野席がガラガラなのは日常茶飯事だった。
    • その代わり、コアファン多し。パリーグ、特に鉄道系球団のファンなら営業施策もあってどこでも言えるけど。
    • 阪急は高級イメージを売りにしていたので、野球のイメージとは相容れなかったのかも。
    • 実は京都府や兵庫県の北部では阪急ファンが多かったらしい。阪急グループのバス会社があったり阪急が観光開発していたためか?
  9. 日本シリーズ、『巨人の星』は西本阪急、『侍ジャイアンツ』は上田阪急との対決がお約束。
  10. 強くても人気が出ないその姿は、2007年以降の巨人や1980年代の西武に重なって見える。
    • その当時(78年ごろ?)出ていた、阪神の田淵を始め様々な選手を揶揄した某人気漫画では、以下のような内容のセリフがあった。
      1. 野球は見せ物で、勝てばいいというものではない。
      2. 阪急が勝てばパ・リーグの灯が消える。
      3. パ・リーグに人気がないのは阪急に人気がないから。
      4. パ・リーグの繁栄は阪急の没落にある。
      • 没落しても代わりに西武が台頭しただけでしたが…今のアンチ巨人にも聞かせたい(別の球団が取って代わるだけだと思う)。
        • 今のパ・リーグは順位入れ替わり凄まじすぎて、ある意味羨ましい。
    • いやいや、阪急の人気の無さは読売や西武の比ではないですって。あれだけ勝ったのに年間の観客動員数が100万人に届かなかったんだから。最初に100万人を超えたのは1984年の最後の優勝のあとだったはず。
  11. ’75日本一の重要メンバーのひとり、いまは亡きマルカーノ選手のことも時々は思い出してあげましょう。当時アメリカ以外の出身の選手って、彼ぐらいだったのでは?
    • 通訳は、本節No.2の人が担当。
      • ベネズエラ・カラカス出身。身長177cmで、大柄な外国人選手のイメージからすると決して大柄ではなく、中距離ヒッターだったけど、強肩巧打のセカンド。その守備は玄人ファンをうならせる。
  12. 実は球団創設から初優勝まで最も時間のかかった球団(1936年創設、67年32年目で初優勝)。
  13. こっちの球団歌にも「六甲おろし」という単語が入っていた。
    • 最も「晴れたる青空」で始まる応援歌のほうが有名だった。
  14. 阪急は大正時代にプロ野球チームを持っていたらしい。
    • でもどうあがいても阪急の顔は、野球ファン以外には宝塚歌劇団である。
    • もし大正時代の職業野球が成功していたら当時の宝塚球団がそのまま阪急ブレーブス〜オリックス・ブレーブス〜オリックス・ブルーウェーブ〜オリックス・バファローズと続いていただろう。
    • 正確には昭和になってからです。大正時代にできた日本最初のプロ野球チームの日本運動協会を昭和になってから阪急が買収し、宝塚運動協会と改称しました。いずれにせよ、読売や阪神より前なのは間違いありませんが。
  15. よく考えたら、政令指定都市でも無い西宮市大阪市神戸市に近いとは言え)に2球団も存在していた事自体が驚きの部類になるかも。
    • 最初から神戸市内(それも都心部辺り)に本拠地持っていたら、まだマシだった…かな?
    • 近鉄×阪神の「大阪決戦」のように、阪急×阪神の「西宮ダービー」の実現を期待していたファンが多かっただろう。
    • かんべむさし「決戦・日本シリーズ」で阪急vs阪神の日本シリーズが「今津線シリーズ」として実現(?)されてます。
  16. 1973年のドラフト会議で、江川卓を指名。江川本人は入団を拒否。
    • 1977年のドラフト会議前には、入団を希望していた。最初から、入団しておくべきであった。
  17. 本拠地は西宮だった。だが、ほとんど閑古鳥で阪急は不人気球団だったらしい。一応、松竹ロビンス(DeNAベイスターズ)もそこを拠点にしたが、焼け石に水だったようだ。オリックスは神戸に移転したが、西宮の事情から言えば移転は仕方ないのかもしれない。そもそも阪神甲子園の近くに球場を拠点にしたのが理解できない、ファンには悪いが…京都西京極を拠点にした方がいいと思った。
    • 競輪場が近すぎたので若い女性が敬遠しているのを知ったオリックスが移転を早急に決めたらしい。
      • というか西宮競輪は西宮球場自体が開催場所だった。
    • 阪急にとって京都線は戦時中に京阪から得た外様路線なので…と思ったらかつての近鉄バファローズの藤井寺もそうだった(こちらも外様である南大阪線の沿線にあった)。
  18. ここの投手は酒豪でないと務まらない。「ガソリンタンク」の異名を取った米田哲也、(中日からの移籍組だが)年棒の半分が酒屋の前借りに消えていた松本幸行、飲酒登板で完投勝利を挙げた今井雄太郎、「取材するなら飲み屋を探せ」と言われた佐藤義則…。
  19. オリックス側は認めていないと思うが、阪急ブレーブスのルーツは1920年創設の「日本運動協会」、1924年に「宝塚運動協会」に改組して1929年に解散。1936年のブレーブス(大阪オリックス・バファローズ)創設までブランクがあるため、連続性はないと言われれば前身扱いにならないが、阪急系の球団としては日本プロ野球チームの先駆けであった(西鉄も旧セネタース~クリッパース間に6年のブランクがあるので、連続性がない)。

関連項目[編集 | ソースを編集]


プロ野球
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