JR列車/た・な行
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- 便宜上、国鉄時代の列車も含めます。
- 「スーパー」などの冠名が付いている列車名は(冠名がつかない列車名が存在したことがない場合を除き)その部分を外した項目に入れて下さい。
分割済み[編集 | ソースを編集]
た[編集 | ソースを編集]
大社[編集 | ソースを編集]
- 名古屋と出雲大社を小浜経由で結んでいた。
- さらに敦賀から金沢発の編成をつなげていた。
たいしゃく[編集 | ソースを編集]
- 「貸借」ではない。
- なので、「そんえき」なんて列車は存在しない(商学部ネタ)
- 芸備線内を走った急行列車。
- 国鉄末期の時点で既に中国自動車道にフルボッコ状態だったが、意外にも21世紀まで生き残った。
大雪[編集 | ソースを編集]
- 夜行のほうが有名だが、昼行の急行列車としても運転されていたことはあまり知られていない。
- しかし石北線内では特急オホーツクと停車駅はあまり変わらなかった。
- 国鉄最後の年に季節運転の列車を除いて昼行大雪は無くなった。
- その時の季節運転の車両はキハ54だったが、このまま特別快速「きたみ」に移行した。
- 2017年3月JR北海道の苦肉の策により、旭川~網走間の昼行の特急列車として復活。
ダイナスター[編集 | ソースを編集]
- なんか特撮のタイトルっぽい。
- 恐竜を英語に直すと「DINOSAUR(ダイナソー)」なのでそれから採ったらしい。福井は恐竜で有名なので。
- ダイナドラゴンを思い出したのは多分俺だけではないはずだ。
- イメージキャラクターとして「北陸戦隊ダイナスター」とか設定したら面白そう。
- これを見て、フジ系で昔やっていた「ダイバスター」にしか見えない人も何人かいるはず(ナとバの違いだけなので余計)。あれも少々特撮が入っていた。
- 七尾線を走るのでやろうと思えば生き長らえるであろう相方?の「能登かがり火」とは異なり、北陸新幹線が敦賀まで開業したら間違いなく消滅する。
- 在来線時代のはくたかの福井行きを引き継いだ。なので、金沢での接続列車も、つるぎではなくかがやき。
タウン[編集 | ソースを編集]
→JR列車/さ行#スイフト・タウンを参照。
たかやま[編集 | ソースを編集]
- (初代)神宮前~高山
- 「北アルプス」の前身。
- (2代)大阪~高山
- 高山本線の他の優等列車が全てキハ85系特急になってからも、10年近くキハ58急行として走り続けた。
- 新幹線等でJR東海に虐げられがちなJR西日本の、ある種東海への嫌がらせかとも思えた。
- わざわさキハ58を動かせる運転士を確保しておく必要がある訳だし…
- 新幹線等でJR東海に虐げられがちなJR西日本の、ある種東海への嫌がらせかとも思えた。
- 上り(大阪行)列車が、普通列車の走らない新垂井経由線を安く乗れる列車として、一部の乗り鉄に注目されていた。
- 急行列車なので、当時あった周遊券で東海道本線を経路にできる場合は追加費用無しで乗れた。でなくても「しらさぎ」よりは安いし。
- 貴重な東海道線を走るキハ58急行だったのに、JR化後暫くして変なカラーに塗り替えられた。
- あの淡泊な色使いは、天下の幹線を走るには不似合いだった気が…
- JRになって暫くしてからヘッドマークが付けられたが、デザインがヘッドマークとしてはクドすぎていまいち有難味がなかった。
たから[編集 | ソースを編集]
- 国鉄初のコンテナ貨物列車。
- 派生として西たからや北たからなどがあった。
- フレートライナーに変わった。
たざわ[編集 | ソースを編集]
- 末期は秋田~青森間の特急だった。
- だからその前は、盛岡~秋田~青森間の列車だった。
- 勿論とんでもない遠回りなので、全区間乗り通す客は鉄以外まずいなかっただろう。
- 因みに青森まで行くのはごく一部で、大半の列車は盛岡~秋田間のみのまともな新幹線連絡特急だった。
- 早い話が「こまち」のご先祖様みたいなもん
- 実は田沢湖線開通より先に登場している。
- 仙台~秋田を結ぶ急行だったが…途中駅で分割併合繰り返してた。
但馬[編集 | ソースを編集]
- 播但線経由の陰陽連絡急行列車だった。
- 当初は大阪始発がメインだったが、JRになってから「うちの看板である新快速のジャマすんなヴォケ!」で、東海道・山陽線を追い出された(全列車姫路発着に)。
- この列車の廃止により、「はまかぜ」がその停車駅を引き継いだため、売りの1つだった播但線内ノンストップでなくなってしまった。
丹後[編集 | ソースを編集]
- JR化後も走っていた中では、最も急行らしい列車だったのでは?
- キロ付き6連のキハ58系、しかも国鉄色のまま!本数もL特急並みに多かったし。
- 下りは7本もあったのに、どれ1つとして全く同じ運転区間の列車がなかった。
- あさしおの項目でも、似たような文言を見たなあ。
- 運転区間が山城国~丹波国~但馬国の列車があった(山陰本線経由の京都~城崎の列車)。
- 丹後関係ないやん!
- 必殺、7駅連続停車!(1号の宮津~網野間)
タンゴディスカバリー[編集 | ソースを編集]
- 上記丹後廃止と同時に運航開始。
- 同じく京都発で舞鶴・天橋立方面、現在は電車特急だったはしだてに統合。
- 電化によって気動車の丹後は廃止になったのだが、タンゴディスカバリーも気動車。
たんば[編集 | ソースを編集]
- あれ、福知山線じゃないの?
- 沿線住民は急行時代に京都口=「丹後」、福知山線=「丹波」と刷り込まれていたので、京都口の特急がこの名を名乗ったことで混乱した客も結構いたらしい。
ちつ[編集 | ソースを編集]
ちとせ[編集 | ソースを編集]
- 札幌~室蘭間などを走った急行列車。
- 「ライラック」ができるまではL特急並みに本数が多かった。
- 他の優等列車が全て通過する豊浦駅発着の列車もあったことがある。
- 廃止1年半程前になって、急行「宗谷」の間合いでキハ400系を投入してもらえた。
- 長生きはしてみるものだ。
ちどり[編集 | ソースを編集]
- ただでさえ遠回りな線形のうえ、かの出雲坂根の三段スイッチバックに、備後落合でもスイッチバック…まさに「千鳥足」w
- なので広島~松江間に高速バスが走り始めるとボロ負け…
- 一般道経由だった時代は逆にバスが休止に追い込まれた模様。
- なので広島~松江間に高速バスが走り始めるとボロ負け…
- 最後は木次線部分がカットされ、広島~備後落合間の急行になった。
- これじゃ「たいしゃく」と何ら変わりが無い…
- そもそも「ちどり」の由来は松江城の雅称「千鳥城」なんだから、松江を通らなくなったのに名乗ってたらダメだろ・・
- 雷鳥が生息する県に乗り入れなくなったサンダーバードにも同じことが言える。
- 高速バスが無くても、どっちみち新幹線+「やくも」の方が先に着いてしまうようになった時点で、使命は終えていたのかも。
- 夜行列車が存在したので、鉄道旅行には意外と使いでのある列車だった。
通勤ライナー[編集 | ソースを編集]
- 広島支社管内を朝の通勤時間帯に走る快速。
- 山陽本線のダイヤは上下とも土休日運休だが、呉線は何故か土休日も走る。
- 実は山口線でも走っているが、全く気付かれていない。
- しかも走っているのが通勤、ではなく帰宅時間帯。
- 米子支社(出雲市→米子)でも走っていることまでは気付けなかった…orz(by上を書いた人)
- 上り1本だけ、通過駅は宍道と松江の間の3駅だけの事実上区間快速である。
- 381系が使われていた頃は乗車券だけでグリーン車に乗れた。
つがる[編集 | ソースを編集]
- 別名出世列車。
- 現在に至るまでの経緯がどんどん格下げになっている気がするのに突っ込んだら負け。
- E751系の数が足りないせいでカツカツな運用。
つばさ[編集 | ソースを編集]
- 元々はデビュー以来ずっと秋田行の特急の名前だった。
- 1982年までは上野~秋田結んでたが、東北新幹線開業以後は1往復(だと思う)除いて福島発着に変わった。
- 仙山線を走った唯一の特急列車。
- 気動車時代は単独で板谷峠を越えることができなかった。
つばめ[編集 | ソースを編集]
- 初代
- 新幹線開業前に超特急を名乗っていた唯一の列車。
- 客車の色も茶色ではなく緑色だった。
- 阪和電鉄…いや何でもない。
- 国鉄スワローズの名の由来となった。
- JRバスに燕が描かれているのもおそらくこの列車のおかげ。
- 2代目
- 「新世紀エヴァンゲリオン-第壱話」に787系がリニアタイプでワンカット出演。
- 博多~西鹿児島(現鹿児島中央)間に特急つばめが走り出すとき、JR九州は「つばめ」の愛称を使ってもいいか、他のJR各社に承認を得たらしい。
- 当時の社長自ら菓子折り持って全てのJRを回ったが、各JRの対応は「好きにすれば?」という非常にドライなものだった。九州がやけにブランドにこだわるのはこの辺も原因だとか。
- ビュッフェが連結されていたが、リレーつばめに改装する際に閉店してしまった。
- リレーつばめ
- リレーつばめでも4ヶ国語での車内放送あり。
- 日・英・韓・中(北京語)将来は広東語が加わるといううわさがあります。
- 燕尾服とシルクハットのつばめ君を復活させて。
- ああ、あれ確かに可愛いよねえ。
- リレーつばめのグリーン車のサービスは格別。Qは他の列車でも力を入をいれているがこれは別格。
- でも最近は手抜きが目立つ。ドリンクサービスをやって雑誌持ってきたあとは到着間際にごみ回収に来るだけ。ドリンクのおかわりをさせる気は全くない。さらにコールドドリンクは小さいコップにでかい氷が半分。
- からっぽの紙コップを回収しに来てもそのときに「おかわりはどうしますか?」って聞かれることがなくなった。北海道とずいぶん差がひらいた。しかもつばめレディがくるのは中途半端な時間だけだからこっちからおかわりを頼みにくい。もはやはやてと同レベル。
- ハイパーサルーンにデビュー当時から乗務してたハイパーレディーOGに再教育してもらいたいところだね。
- 手抜きとは全然思わない。観光列車じゃないからそんな来てもらわなくていい。あのくらいがゆっくりできる。来ればいいってもんじゃない。ドリンクだってそんな飲まない。
- ハイパーサルーンにデビュー当時から乗務してたハイパーレディーOGに再教育してもらいたいところだね。
- からっぽの紙コップを回収しに来てもそのときに「おかわりはどうしますか?」って聞かれることがなくなった。北海道とずいぶん差がひらいた。しかもつばめレディがくるのは中途半端な時間だけだからこっちからおかわりを頼みにくい。もはやはやてと同レベル。
- でも最近は手抜きが目立つ。ドリンクサービスをやって雑誌持ってきたあとは到着間際にごみ回収に来るだけ。ドリンクのおかわりをさせる気は全くない。さらにコールドドリンクは小さいコップにでかい氷が半分。
- ついに4月からドリンクサービスの中止決定(上熊本駅の緑の窓口の情報より)。いよいよJR九州信者も擁護が難しくなってきた。
- JR九州といえども高速道路1000円とかあって経営が厳しいんだろ。
- いや、だからこそサービス向上で集客をして欲しい。ひのくにみたいにサービス低下の代わりに値下げって訳でもないんだから。新幹線を持つとやっぱ変わっちゃうんだな。
- 倒壊…
- いや、だからこそサービス向上で集客をして欲しい。ひのくにみたいにサービス低下の代わりに値下げって訳でもないんだから。新幹線を持つとやっぱ変わっちゃうんだな。
- JR九州といえども高速道路1000円とかあって経営が厳しいんだろ。
つやま[編集 | ソースを編集]
- 急行列車でキハ40系を使用したため、津山線のページ等で叩かれた。
- セミクロス車だからと言って叩いていた方は国鉄時代を知らない? 国鉄の頃はキハ52やキハ22での単行急行も結構あったのに。
- 快速と殆ど変わらない。それで料金取るならもっとデラックスな車輌にしろよ。
- 岡山~鳥取を津山+因美線経由で走っていた急行「砂丘」を廃止するときに急行を設定するつもりはなかったのだが、津山市などの強い要請で仕方なく1往復走らせているだけ。あのJR西日本がデラックス車両を入れる気なんてない。
- 日本で唯一、キハ40が急行として走る。なお、この列車はロングシートの場合もある。
- 能登や銀河はともかく、普通列車と全然変わらないこの列車が青春18きっぷで乗れないのは腑に落ちない。
- 東日本の八戸線で走っている「うみねこ」は同じ車両だが、シートが豪華。ちなみに「うみねこ」は普通列車に使用される。つまり普通に負けてるってこと。
- 車両こそリニューアルされたものの設備はそのままだった。
- 廃止後に格下げすることが想定されたが、持て余したのか、廃車となった。
- JR九州の「はやとの風」といい勝負である。
- 「はやとの風」はリニューアルしているからまだまし。こちらは普通用そのもの。
- 日本で最後の昼行急行になった。
- 途中ですれ違う普通列車もまったく同じ車両。よく乗客が車掌に文句言わないものだ。
- 出発前に車掌さんが、乗客に確認取るそうです。「急行券いりますよ」って。その時降りる人も多いとか。現業職のことも考えてやれよJR酉日本。
- 昔は専用の編成(グリーン車有、過去に「砂丘」で使用されていた物)が使用されていた。なお、この編成は各停でも使用され、その場合もグリーン車はグリーン車として営業していた。
- しかしそのつやまも2009年3月でabolish。
- 急行料金で出張費用を請求するために地元自治体が要望して走らせてたという噂。
- 快速降格が織り込み済みにしても、せめて転換クロス改造しろよと思っていた。全く、関西圏とその他の格差が極端な会社。これに比べたら、快速用とは言えJRになってからの車両を使った急行「かすが」は遙かにまともだった。
剣山・よしの川・あい[編集 | ソースを編集]
- 徳島~阿波池田のこれまた徳島県内の列車。
- 前は高知まで走ってたんじゃなかったっけ?
- キハ185系では速度が遅すぎて客がつかなかったから、阿波池田で2000系接続に変えたとか。
- 前は高知まで走ってたんじゃなかったっけ?
- キハ185系を使用。
- 基本的に2両編成。
- 停車駅は、徳島・蔵本・石井・鴨島・阿波川島・阿波山川・穴吹・貞光・阿波加茂・阿波池田
- 夕方ラッシュ時には、これまた徳島~穴吹を走る通勤特急が設定されている。
- 何本かは、牟岐線まで走る。
- 廃止されました。
- けんざんではない。
- しかし徳島県民は剣山のことを「けんざん」と言う人が多い。
- ごめんなさい、何でか行じゃなくてここにあるの?と一瞬思ってしまいました。
- 「よしの川」の方が愛称として華があるような気がする。
- その名のとおり、以前は急行「よしの川」だった。「剣山」登場後もしばらくは1往復だけ存続していた。
- 1往復しかない列車のために急行型車両(キハ58系)を確保しとくの面倒臭い!という訳で、特急「剣山」と同じキハ185系になった。
- 「剣山」と同じ車両なのに1往復だけ急行にしとくの面倒臭い!という訳で、結局「剣山」に統合(格上げ)された。
- これによりJR四国はJRグループで一番最初に定期急行列車が消滅することになった。
- 1往復だけ存続した理由は通勤で便宜を図るためか出張旅費を抑えるためかのどちらかでしょうね。
- その名のとおり、以前は急行「よしの川」だった。「剣山」登場後もしばらくは1往復だけ存続していた。
- 一時期、「剣山」と同系統で「あい」も運行していた。
- キハ185系に専用の塗装をした車両で運行していた。
- 好調だったのか、「よしの川」とともに「剣山」に統合され、増発に充てられた。
て[編集 | ソースを編集]
てしおがわ・ピヤシリ・えんれい・すずいし・かえで・ながやま[編集 | ソースを編集]
- 「てしおがわ」「ピヤシリ」「えんれい」「すずいし」は国鉄末期に、旭川~名寄間を快速として運転する列車にそれぞれ付けられた愛称。
- 列車としての性格は基本ほぼ同じ。なので昭和2~30年代の優等列車の名付け方のような感じ。
- やはり面倒だったのか、1990.9改正で全て「なよろ」に統合された。
- 同時期に普通列車にまで愛称が付いた。旭川~名寄が「かえで」、旭川~永山が「ながやま」。
- こちらも1990.9改正で愛称消滅。
- 「てしおがわ」は言うまでも無く、「ピヤシリ」も名寄市内のスキー場で知られる山とわかるが、「えんれい」「すずいし」は・・?
- 「えんれい」は植物のエンレイソウ(名寄市の花になっている)から、「すずいし」は天然記念物の「名寄鈴石」からとのことだが、もしクイズに出たら(名寄市民以外)誰も答えられんレベル。
出島[編集 | ソースを編集]
- 長崎本線昼の大関。
- 山陽新幹線全通から長崎本線電化まで横綱級の活躍を見せた。
- パートナーの都合もあり気動車のまま引退。
天都[編集 | ソースを編集]
- 壮大な名前なのに、網走市内の地味な山が由来だった。
- 壮大な名前なのに、キハ22の単行だった。
- 壮大な名前なのに、興部~網走(石北本線経由)という超ローカルな運転区間の急行列車だった。
天北[編集 | ソースを編集]
- 天北線の廃止当日まで走っていた。
- 3セク転換でなく廃止路線で、最期まで料金要の優等列車が走っていた所って、ここと碓氷峠くらい?
- 碓氷峠は新幹線に移行させただけだし優等列車もろとも鉄路が消滅したのはここだけでないかと。
- 廃止直前の数年間が、とても波乱万丈だった。
- 時代に逆行する?DCから客車(14系、「利尻」共用なので寝台車連結のまま!)への置換え(1985.3)→JR移行(1987.4)→キハ400系への再置換(1988.11)→廃止(1989.5)
- 廃止半年前(当然廃止は確定済み)でのキハ400系投入が謎。
- 運行上の都合なだけ(利尻と宗谷と天北が一体になって運行されててたから半年間のために運用をいじるのもかえって効率が悪い)
- 時代に逆行する?DCから客車(14系、「利尻」共用なので寝台車連結のまま!)への置換え(1985.3)→JR移行(1987.4)→キハ400系への再置換(1988.11)→廃止(1989.5)
天竜[編集 | ソースを編集]
- 長野-飯田間を運行していた急行列車。
- 当初は80系で運行していたが、165系への置き換えを目前に車両不足で115系が運用に入ったことがある。
- 国鉄末期に「かもしか」と取って代わった。
と[編集 | ソースを編集]
東海[編集 | ソースを編集]
- 新幹線開業後もしぶとく東京-静岡間を走っていたのだが…。
- 廃止後もムーンライトながらの間合いで静岡行の普通が走っていたのだが、ダイヤ改正でこちらも消えてしまった。
- 153系の通称の由来。
- 快速アクティーと誤乗して急行料金を後から徴収される客がいた。
- 実は特急時代、『踊り子フリー切符』が使えた。
とがくし[編集 | ソースを編集]
- 長野~新潟間の急行列車だった。
- 元々の名称は「よねやま」だったが、これは1972年に上野~(上越線)~直江津間急行に転用されたため、過去に信越線夜行に使用されていた「とがくし」を再登用。
- 由来は「戸隠」からだが、神社名なのか高原名なのか村名なのかどれだろう?
- JR最初の改正で「赤倉」に改称された。
- 長野~妙高高原間が普通列車に格下げされたとはいえ列車としての性格はさほど変わった訳でもなく、謎の残る改称だった。
とかち[編集 | ソースを編集]
- 今は全列車スーパーとかちになっている。
- 実は初代「スーパーとかち」は、非スーパーと同じキハ183系に後述のキサロハを連結しただけの列車。「スーパー」なのに速達タイプどころか、死重を抱えている分高速運転がしんどい列車だった。
- キハ183系が使われていた頃は二階建て車両が付いていたが、この二階建て車両は新車に置き換えられてから使われないままずっと放置された挙句廃車になった。
- キサロハなんて称号は恐らく最初で最後。
- つクリスタルエクスプレス、しかもこっちの方が先の登場でまだ現役。
- はまなすの客車に転用するという冗談のような案もあった。
- キサロハなんて称号は恐らく最初で最後。
- 誕生したのはJRになってから。
- 当初のヘッドマークは畑をデザインした秀逸なものだったが、全列車「スーパーとかち」化で「ST」と書かれただけの味気ないものに置き換わってしまった。
ときわ[編集 | ソースを編集]
土佐[編集 | ソースを編集]
- 高松~高知間の急行列車だった。
- 「あしずり」(急行時代)との関係は、予讃線における「いよ」/「うわじま」の関係と同じ。
- ライバルともいうべき「いよ」より少し長生きした。
- まあ予讃線より近代化が後回しにされた結果なんだけどね。
特急36プラス3[編集 | ソースを編集]
- JR九州が2020年度に導入する新型観光列車で「36」は九州が世界で36番目に大きな島であることを、「プラス3」は「驚き・感動・幸せ」の3要素を意味する。
- 実際は九州は世界で37番目に広い島である。
- 36と3を足して「サンキュー(39)」であることも忘れずに。
- ...もう少しいい名前はなかったのか。
- デザインはもちろん水戸岡氏。外観は黒になるらしい。続報に期待。
- 787系のビュッフェが復活。
- しかしフードメニューの少なさはどうにかなんないものか・・
- なんと肥薩おれんじ鉄道に電車で乗り入れた。
- 赤の路、博多〜鹿児島中央間 こりゃもう事実上のリバイバル特急つばめ。所要時間は当時より2・3時間ほど長いけど。
- なぜか大隅大川原や重岡などで列車番号が変わる。
特急リレー号[編集 | ソースを編集]
→JR列車/ま~わ行#リレー号を参照。
とっとりライナー・わかとりライナー[編集 | ソースを編集]
- 鳥取~米子間で快速として走る列車。
- 智頭急行開業時の改正で事実上「わかとりライナー」→「とっとりライナー」に改称。
- 「わかとりライナー」当時はヘッドマークもあった。
- 島根側と違ってキハ121・126投入時も改称されずに済んだ。
- ここの特急が主要駅停車に絞っているため、事実上急行の役割をしている。
とびうお[編集 | ソースを編集]
- 鉄道博物館に所蔵されている冷蔵車レムフ10000が現役だった頃の列車。
- 山口の幡生から東京市場駅を結んだ。
- 貨物の中身は当然魚。
- 以外にも1986年まで運転されていた。
- 博多港~大阪市場を結んだ姉妹列車はぎんりん。漢字にすると銀鱗。
な[編集 | ソースを編集]
ナインドリーム甲子園[編集 | ソースを編集]
- 高校野球の季節に運行されていた、新大阪~甲子園口間運行の超短距離夜行寝台列車。
- わずか16.7kmで、夜行列車の運行距離としては史上最短と思われる。
- 実際には大阪駅で長時間停車し、翌朝甲子園口に向かって発車していった。
- 寝台列車というより列車ホテルに近い存在だった。
- 車両は583系寝台電車が運行されていた。
- 甲子園口で降りても目的地である阪神甲子園球場に行くには阪神バスに乗り継ぐ必要があった。
ながと[編集 | ソースを編集]
- (3代)米子~長門市
- 米子発だったが、下りは米子~浜田間「だいせん」と併結だったため、その間に車両を移動しておけば大阪から長門市まで乗り通しできた。
- もっとも当時既に山陽新幹線は存在していたから、大阪~長門市間をこれで12時間もかけて移動する奇特な方がどれほどいたかは・・?
- (4代)益田~下関
- じゃじゃ馬急行「あきよし」の事実上敗戦処理列車だった。
ながやま[編集 | ソースを編集]
→#てしおがわ・ピヤシリ・えんれい・すずいし・かえで・ながやまを参照。
なすの[編集 | ソースを編集]
- デビューは準急列車だが、何といきなり157系が使われた。
- 1985.3改正で新特急の仲間入りするも、高崎線側と違って新幹線との棲み分けが難しかったのか衰退は早かった。
- 更に快速「ラビット」との挟み撃ちにも遭い、瞬く間に1往復まで減らされた。
- それだけに新幹線列車に栄転できたことはラッキーとしか言いようがない。
なつどまり[編集 | ソースを編集]
- 青森~鮫・大湊間の急行列車だった。
- 一体何のことかと思ったら、青森県の、陸奥湾に突き出たあの突起物の名前(夏泊半島)だった。
- 地理的に勉強になった列車であるw
- 快速格下げ後もこの名前のまま民営化を迎えたが、わかりにくいと思われたのかJR最初の改正で「うそり」「うみねこ」に改称された。
- 改称後の「うそり」の方がわかりにくいような…
なのはな・なのはなDX・いぶすき[編集 | ソースを編集]
- 指宿枕崎線の快速列車。
- 現在は「なのはな」だが、キハ200系投入前は「いぶすき」だった。
- 「いぶすき」当時はヘッドマークも付いていた。
- 現在は「なのはな」だが、キハ200系投入前は「いぶすき」だった。
- 以前は結構豪快に通過していたが、今や鹿児島中央~平川間は各駅停車、通過するのは5駅のみ。
- 指定席連結の「なのはなDX」もかつては存在した。
なよろ[編集 | ソースを編集]
- 初代
- 札幌~名寄と旭川~名寄間の2列車からなる、急行列車だった。
- 旭川~名寄間の列車は途中停車駅が2つ(和寒と士別)しかなかった。
- 2代
- 旭川~名寄間の快速列車。
- この区間は普通列車も結構駅を通過するので、流石に快速らしいレベルの停車駅に絞られている。
- 1990年9月1日改正で、ほぼ同じ区間を走るのに別愛称だった「ピヤシリ」「えんれい」「すずいし」「てしおがわ」を統合して誕生。
- 登場当時はスキーヤーをデザインしたなかなか格好いいヘッドマークを掲げていたが、今はサボに名前が入るのみ。
南紀[編集 | ソースを編集]
- 名古屋~新宮・紀伊勝浦間を結ぶ特急。
- くろしおはJR西が結構推しているのだが、こちらは明らかに空気扱い・・・。
- とは言えスピード自体は「くろしお」の紀伊田辺以南よりはずっと速い。大阪市内~新宮の場合「くろしお」利用も近鉄特急と「南紀」を松阪で乗り継ぐのも時間的には変わらない。尾鷲・熊野市あたりだったらむしろ松阪乗り継ぎの方が早い。
- 紀伊勝浦・新宮あたりから東京方面だったら間違いなくこちらになる。
- その「くろしお」とは実は兄弟の間柄にあたる。
- 元々「くろしお」は天王寺~新宮~名古屋の列車だったが紀勢本線新宮以西の電化に伴い系統分割されたもの。
- とは言えスピード自体は「くろしお」の紀伊田辺以南よりはずっと速い。大阪市内~新宮の場合「くろしお」利用も近鉄特急と「南紀」を松阪で乗り継ぐのも時間的には変わらない。尾鷲・熊野市あたりだったらむしろ松阪乗り継ぎの方が早い。
- キハ80系が定期列車としては最後まで活躍していた。
- 「くろしお」と同様、紀伊半島に高速道路が整備されつつあることから利用客がかなり減っているらしい…。普段はグリーン車なしの2両というありさま。
- ただし繁忙期には半室グリーン車のついた6両となる。
- 2023年夏にキハ85系からHC85系に置き換えが決定し、キハ85系は定期列車から引退する。
- 2024年3月のダイヤ改正で、新宮・紀伊勝浦間に限り車掌が乗務しないことになった。
- 愛称は「南紀」だが一般的にイメージする南紀の観光地である白浜や潮岬のある串本までは行かない。
- 一応新宮や勝浦へは行っているが、走っているエリアの大半は三重県。むしろ「くまの」の方が実態に合っているような気がする。
- 「くまの」はかつて京都から草津線・亀山経由で紀伊勝浦を目指していた急行の愛称だった。
- 名古屋から白浜へ行く場合、新幹線で新大阪まで行ってそこで「くろしお」に乗り継ぐ。
- 一応新宮や勝浦へは行っているが、走っているエリアの大半は三重県。むしろ「くまの」の方が実態に合っているような気がする。
南風[編集 | ソースを編集]
- 岡山~高知の本四連絡列車。
- 宿毛・中村行きもある。
- 2019ダイヤ改正で下りは全列車高知止まりに。
- 宿毛・中村行きもある。
- 利用客が多いのに基本3両編成。
- そのため、休日は立客もよく出る。
- アンパンマン列車。
- 車内メロディもアンパンマン [1]
- 1分57秒らへん。
- 1号車が改装され新たにアンパンマンシートが導入された。
- 基本停車駅・・・岡山・児島・宇多津・丸亀・多度津・善通寺・琴平・阿波池田・大歩危・大杉・土佐山田・後免・高知・旭・朝倉・伊野・佐川・須崎・土佐久礼・窪川
- 走行距離が長いとはいえ、多すぎ(大杉)じゃねえか。
- 10年ぐらい前は基本的に大歩危・大杉・旭・朝倉・伊野は通過だったと思う。
更にその当時は、阿波池田~高知ノンストップという列車も存在した。 - 丸亀、善通寺は全便通過でよい。
- 四国横断列車。
- 特急「みなみかぜ」だと思われている。
- みな~みか~ぜ~ぐるぐる~♪
- しかし、正しくは「なんぷう」である。
- 電車でGO!の黒歴史。
- 日豊線の急行だった時期もある。その時も「なんぷう」。「はえ」ではない。
南風リレー号[編集 | ソースを編集]
→JR列車/さ行#しおかぜリレー・南風リレー・サンポート南風リレーを参照。
にぬ[編集 | ソースを編集]
ニセコライナー[編集 | ソースを編集]
- 山線経由の快速…といいたいが、小樽築港から蘭越の間は各駅停車。
- 全区間快速運転の列車もあったらしい。
- 長万部発着もあった。
- 長万部で北斗星と接続する列車もあったようだ。
- 3両+3両の合計6両で運行するが、長万部まで直行するのは前側3両だけ(後ろ3両とは小樽で分割併合)。
- それだけに車両はキハ201系の独壇場。
- 小樽止まりの方には731系が使われて協調運転、と思いきや小樽止まりの方もキハ201系で運用することが多い。
- 上りは列車名に反してニセコまで行かない倶知安止まりです。
- それだけに車両はキハ201系の独壇場。
日南マリーン号[編集 | ソースを編集]
- 日南線の快速列車。
- 時刻表では「号」まで含めて愛称扱いになっているが、鉄道雑誌等では「号」無しで扱われている場合がある。
- かつて付けていたヘッドマークにも「号」付きで書かれていたので、「号」付きが正しいのでは?
- そのヘッドマークでは「日南マリン号」となっていた。
- かつて付けていたヘッドマークにも「号」付きで書かれていたので、「号」付きが正しいのでは?
- 下りが宮崎→志布志、上りは南郷→宮崎という変則的な運行区間になっている。
- 何気に特急「海幸山幸」より速い。
- 日南マリーン号固定までは3ヶ月に1回名前が変わるヘンな快速だった。
ぬさまい[編集 | ソースを編集]
- 釧路市にある幣舞橋から採ったとのことだが、何ソレ?
- 釧路におけるランドマーク。東京で言う東京タワーだ。
- 国鉄時代に一旦廃止された(当時は急行)が、その後快速列車として復活しJR化後も走り続けた(現在は廃止)。
- しかも快速時代にイラスト入りヘッドマークが付いた。
- 「ぬ」で始まる愛称は多分これのみ。
- 国鉄時代、一番不人気だった列車だったらしい。
- ずっと「沼犀」だと思っていた。犀が沼で水浴びをするイメージしか浮かんでこない。
の[編集 | ソースを編集]
ノサップ[編集 | ソースを編集]
- 釧路~根室間の快速列車。
- 準急→急行→快速と変遷を経ているが、延べ50年以上ずっと同じ運行区間を走り続けている。
- そんな歴史ある列車にまで、2016年3月のリストラは及んだ(片道1本のみに…)
のぞみリレー号[編集 | ソースを編集]
能登かがり火[編集 | ソースを編集]
- 能登路の特急バージョン。
- 能登路より停車駅が多いものがある。
- 主に観光客向けだが、早朝の上りと最終の下りは通勤客専用で、編成も短くグリーン車もない。
- 短距離ながら、何気に3社(IR、JR、のと鉄道)にまたがる直通乗り入れをしている。
- しらさぎやサンダーバードが金沢止まりになった理由は、金沢以東がIRだからダメ…というのは、この例を見ると大嘘である。
- 「サンダーバード」も1往復のみ和倉温泉発着が残っている。
- IRだからではなく新幹線に並行するのが廃止の理由。津幡に新幹線が止まるならこれも津幡発になっただろうが新幹線と被る区間がないのだから問題ない。サンダーバードの富山直通廃止は新幹線と完全に被るのだから当然
- 七尾~和倉温泉はJRという扱いになっている。
- しらさぎやサンダーバードが金沢止まりになった理由は、金沢以東がIRだからダメ…というのは、この例を見ると大嘘である。
- 金沢以西の特急に乗り継ぐ場合は、通しの特急料金で計算する特例ができた。
- 北陸新幹線敦賀延伸に伴う金沢支社管内組織再編の内容によっては、金沢支社の683系の配置を無くす可能性が考えられる。その場合、新幹線と並行しないはずのこの列車も廃止になるかもしれない。
- 5往復残ることになった。
- これのせいでJR西日本は交直流特急形電車を廃止できない。
- よって2024年3月改正以後も金沢駅で特急形電車を見ることはできる。
- 521系で全席指定の快速にすると思ってた。せっかくの転換クロスなんだし。
- 683系が老朽化して引退したら、能登かがり火も廃車だろう。485系引退で消えた特急あいづみたいに。
- 気動車化される可能性もある。交直流電車の製造・維持には金がかかるので。
- 5往復残ることになった。
能登路[編集 | ソースを編集]
- 七尾線・能登線を走った急行。
- 全盛期には上りは10本もあった。
- 国鉄時代に一時「ビデオカー」が連結された列車もあったが、程なくやめた。
- どことなく急行「丹後」と似た者同士、という感じがあった。
- キハ58急行、列車ごとに行先がバラバラ、分割併合列車の多さ、末端に行くにつれ先細り(人口や本数)など…
- 和倉電化後に、何と415系800番台を使用する列車ができた。
- 2001年に「サンダーバード」に格上げ統合で消えたからよかったが、引退が遅かったら間違いなくここで「つやま」のように叩かれただろう。
のりくら[編集 | ソースを編集]
- 名古屋から高山本線方面の急行列車だった。
- 民営化当初、高山本線を全線走破していたのはこの列車だけだった。
- この列車の車両が、間合い運用で武豊線の早朝の列車に使われていた。
- キロは開放されていたので、普通運賃だけでガラガラのグリーン席を堪能できた。
- 富山県内を走った最後の国鉄定期昼行急行で、JR西日本になってからは唯一の存在。
JR列車 | |
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新幹線 | 新幹線 |
在来線(昼行) | あ/い~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ |
在来線(夜行) | あ~こ/さ~の/は~わ |
ジョイフルトレイン | あ~そ/た~わ |