JR列車/ま~わ行

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  • 便宜上、国鉄時代の列車も含めます。
  • 「スーパー」などの冠名が付いている列車名は(冠名がつかない列車名が存在したことがない場合を除き)その部分を外した項目に入れて下さい。

分割済み[編集 | ソースを編集]

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まいづる[編集 | ソースを編集]

  1. ガラガラなのではない。指定席と自由席の配分を間違えてるだけだ!
    • 2両ある指定席車は客疎らだが、1両しかない自由席車は窓側の席が埋まっていることも多い。
  2. 全区間単独走行する列車は1つもない。
  3. 舞鶴線内では進行方向が逆になる。

舞鶴リレー号[編集 | ソースを編集]

#リレー号を参照。

まつかぜ[編集 | ソースを編集]

(初代)大阪~博多など
  1. 大阪~博多間を、福知山・山陰本線経由(!)で半日以上かけて走り抜いていた。
    • しかも堂々たる13両編成(鳥取までだけど)、食堂車付き。まさに「山陰の王者」だった。
  2. 関西山陰間、山陰九州間が目的だからよほどの物好きでないと全区間乗り通す人はいないのではないか。
    • あるサイトで大阪~博多の「まつかぜ」全区間乗り通した人を見たことがある。食事は三食とも食堂車で取ったという。
      • 昼行列車で三食とも食堂車で取れたのは他には「白鳥」ぐらいか。
      • 一昼夜ずっと電車の中なんてそれこそ「ケツの肉が取れる」を体現するような行為だな。ましてやリクライニングなどグリーン車にしかない頃だし。
(2代)鳥取~益田など
  1. 初代とは似ても似つかぬ、2両編成のローカル特急。
  2. 一応、運行区間は初代の半分くらいは再現している。
  3. 正直「(スーパー)くにびき」のままでよかったと思うのだが…
    • おきの区間便でもいい気がする。
  4. 流石に走りっぷりだけは初代を超えている。
    • キハ187系の大出力&振り子式にモノを言わせ、山陰西部のクネクネした海岸沿いの線路をぶっ飛ばす。時として怖いくらいのスピード感を味わえる。

まつしま[編集 | ソースを編集]

  1. 列車愛称とは裏腹に全列車仙台発着だった。
    • ヒント:車両基地
  2. 一部の列車は福島から普通列車になるものもあった。

まほろば[編集 | ソースを編集]

おおさか東線を行く「まほろば」
  1. 奈良県内を走ったJR特急。
    • 2010年の平城遷都1300年イベントの際に新大阪~奈良を梅田貨物線・大阪環状線・大和路線経由で走った。
  2. やはり距離が短すぎるのと、近鉄というライバルがいるので利用客が低迷しそれ以後の運行はなかったが2019年秋におおさか東線経由でまさかの復活を果たす。
  3. 山陽新幹線岡山・広島・九州方面からの乗継客をメインターゲットにしている。
    • 最初から利用客が少ないのを想定してか、「くろしお」付属編成に運用される287系3連を使用する。
  4. 停車駅は新大阪から奈良までノンストップ。
    • せめて王寺には停車すべき。王寺は葛城・飛鳥・吉野方面への観光需要の掘り起こしという点で停車は必須だったのにと思う。
  5. 2023年3月のおおさか東線大阪駅うめきた地下ホームへの延伸に伴いこれも大阪駅発着に延長される。
    • ただ所要時間は大和路快速とそれほど変わらない…。という意味で新大阪がメインなのかも。
      • 変わらないどころか、大和路快速よりも遅い。同じルートの直通快速と比べても大して変わらないレベル。

マリンドリーム・むさしのドリーム[編集 | ソースを編集]

  1. 京葉線を走っている快速のうち、東京駅まで開業した1990年から2002年頃まで土休日の運行に付いていた。
    • 当時は平日と土休日で停車駅が微妙に違っていたため、このような愛称が付いた。
    • 平日の快速から八丁堀が外されむさしのドリームのみ昼間だけ葛西臨海公園に停まってた。休日の快速が八丁堀に停まるようになって(この時休日日中の武蔵野快速は通過駅が僅か2駅にまで減った)愛称が消え武蔵野線はその後快速自体が廃止された。
  2. 武蔵野線へ行ってたのは「むさしのドリーム」と呼ばれていた。
  3. 山手線から中古車が来た頃に自然消滅。
  4. むさしのドリームは平日の無名快速含めて快速区間は東京から舞浜(もしくは新木場)まで。区間快速でよかった気が…
  5. 運行開始直後には京葉線のイメージキャラ「マリンちゃん」を描いた特大マークがマリンドリーム運行日に掲げられてたがいつしかフェードアウト。数年前まで運転席背後の仕切り窓にこっそり残る程度にまで忘れ去られた。

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みえ[編集 | ソースを編集]

キハ65時代のヘッドマーク
  1. JR東海が近鉄特急に対抗して作られた快速。
  2. 紀伊勝浦に向かう列車もあった。
  3. 津~四日市間は伊勢鉄道を経由するが、亀山周りに迂回したことがある。
    • 18きっぷでの不満の上位に必ず来るのが「みえの伊勢鉄道区間の別料金」。いい加減に諦めろ。(ある18きっぷ攻略本では「有料道路と思って大人しく料金を払おう」と書かれてた。)
  4. JR東海の赤字の原因の半分はこの列車のせい。
    • 逆に伊勢鉄道にとってはこれと南紀が大事な収入源の列車となる。
  5. 国鉄時代、同じ区間に急行いすずが走っていたが、近鉄にコテンパンにされて2年で消滅。岐阜始発というアドバンテージも無意味だった。

みささ[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪から姫新因美線経由で鳥取まで行っていた急行。
  2. 「みさき」に空目されがちだった。
    • 由来は三朝温泉からだが、読めないからと平仮名にしたらかえって何のことか分かりにくくなった。
  3. そのくせ三朝温泉の玄関口には届いていないという、詐欺のような名前だった。
    • もっとも倉吉発着だった時代もあるにはある。
  4. 「みまさか」と併結運転だった。
    • 分割併合は東津山でなく津山駅で行っていた。東津山~津山間をムダに往復なんてしてるから…
  5. 民営化後2年持たずに廃止…
    • 当時はまだバブル真っ盛り、西日本含め各JRが増量改正の嵐だった夢のような時代に消えていった珍しい列車。
    • 今の「スーパーはくと」はある意味「みささ」の後継列車ともいえるけど・・・。

みすず[編集 | ソースを編集]

  1. 名前の由来は、「信濃」に対する枕詞から。
    • 同様に枕詞を採用した列車名としては、「やくも」がある。
    • なので本来特急に使ってもいい位の名前なのだが、長野県では何故か特急の方が「しなの」「あさま」「あずさ」と地名を使いたがる(昔ならNGなのに)…
  2. 改正の度に停車駅が増えていく…もはや快速というより一部駅を通過する普通列車。
    • 登場時(1986年11月改正)の篠ノ井線内の停車駅は、(長野)~篠ノ井~聖高原~明科~松本~塩尻と現「しなの」並み。今や見る影もない。
    • 既に東日本管内は各駅停車。
  3. 「みみず」と揶揄されている。
  4. みすゞ。
  5. 飯田方面のほかに小淵沢方面へ向かう車両が連結されていた。
  6. かつては1往復だけ313系が運用に入っててしかも転換クロスシートだった。
    • この運用は全区間各駅停車となり「みすず」の列車名が取り上げられた形。
  7. JR東海の快速には珍しく、全車自由席で列車愛称がある。

三井グリーンランド号[編集 | ソースを編集]

JR列車/さ行#スペースワールド号・三井グリーンランド号を参照。

みどりハウステンボス[編集 | ソースを編集]

多階層の極み
当初のイラスト入りHM
  1. 一時期885系が使用された。885系のみどりは「白いみどり」。
    • 更にその昔は、"MIDORI Express"とロゴの入った赤一色の車輌が使われていた。看板に偽りありを地でやっていた。
      • 世に言う「赤いみどり」塗装
        • 今で言うならきりしま&ひゅうが塗装が相応しい。
          • ちなみに特急きりしまは緑一色。
            • なんで「みどり」の頃から緑色にしなかったんだろう?
        • 東洋水産かよww
    • 白いみどりはあくまでも臨時列車だったので、定期列車になったときにハイパーサルーンに型落ち
    • 実際に利用する人からはどうでもよく思われてる
    • 2022年9月の西九州新幹線開通に伴い定期列車として復活。
  2. そもそも何で佐世保に行く特急が「みどり」なんだろう。
    • ハウステンボス(Huis Ten Bosch)とはオランダ語で「森の家」という意味からグリーン=みどりでは?
      • おいおい、「みどり」の名が列車名としてはじめて使われたのはハウステンボスどころか新幹線も開業してない1961年。現行のスタイルの特急列車になったのも1976年だぞ。「太陽と緑の国」と呼ばれる九州にちなむ、とか。
    • 佐世保市が地元の観光名所「九十九島」に改称してもらおうと目論んで署名活動などやったそうだが今まで音沙汰なし。漢字四文字ではさすがに、ねぇ…。
      • 「海千山千」の立場は…
        • 「海幸山幸」ですね。
      • なんで島原の観光名所なのに佐世保に行くの?と思ったら「くじゅうくしま」なのね。(島原は「つくもじま」)
    • そこで、弓張の復活ですよ....
      • ウオォオオー、あのディーゼル急行。田代にも停まる、あの名列車をご存知とは!
        • 佐世保線大町にも停車していたみたいです。
    • もう「バーガー」「ジャパネット」でいいじゃん。
      • なんとあの「みどり」につかわれた485系がボンネットも付けてなんと○○万円、○○万円での御提供です!
      • ジャパネットたかたのテレショップでみどりが見切れているときがある。
    • 緑のJRにありそうな愛称。
  3. 九州新幹線長崎ルートが開業すると、同時に長崎本線が軌道整備され、130Km運転可能になり、みどり・ハウステンボス車両も新型に置き換わるという。
    • 今度は「白いハウステンボス」ってか?
    • 白いみどりもな
    • その前に、「つばめ」車両じゃない?
      • それだったら「黒いみどり」になるのかな?
        • 実際九州新幹線長崎ルート開業により「黒いみどり」ができた。しかも8or6両編成
    • まさか...専用塗装車ができるとか...
    • それだったら787系の切妻先頭車化改造車がでるのでは...
  4. 昭和50年代からJR九州に変わる頃まで特急「みどり」の4両編成は国鉄・JRの特急として最短編成であった。
    • 今は、九州横断特急などで走っている2両の特急がJR最短。話はそれるが、北海道には昔1両の急行があったらしい。
      • 急行「大雪」。旭川~名寄を名寄本線経由で結んでいた。
  5. 「ハウステンボス」は観光特急だ
    • みどりと併結しているが、色が派手なのでみどりが地味に見える。
      • 485系時代はもっと派手だった。今は「K&H」がそんな感じ。
        • 登場時は赤一色だったがね。
      • 側面が赤・青・黄のブロック塗装。信号じゃないんだからw
    • これのおかげで佐世保方面(といっても早岐までだが)が8両編成になり、席が確保しやすくなったので、佐世保市民は助かっている。
    • オランダ語に由来する列車愛称はJR唯一?
  6. 「ハウステンボス」の車両を連結したまま、「みどり」として佐世保まで8両編成で走ることがある。
    • しかし、その「ハウステンボス」仕様の4両を早岐で切り離すことがあるらしい。
      • 普通、途中の駅で切り離される車両は編成の後ろになるが、この場合早岐行きが前で佐世保行きは後ろになるので、前の方で行き先を見て「なんでこのみどりは早岐までしか行かんとや?」と文句を言う人もたまにいるらしい。
        • 近年のダイヤ改正で増解結がなくなりました。
  7. ハウステンボスは設定当初臨時列車扱いだった。
  8. 長崎本線ならともかく佐世保線(特に武雄温泉~佐世保間)のノロさは異常。(せいぜい60キロ程度)
    • 単線は仕方ないとしても線形悪すぎだもんなぁ・・。せめて各駅、一線スルーにすべき。
    • 平行した道路を走る車によく追い越される。
    • これでよく特急料金が取れるな。「快速」で充分じゃねぇか?
      • 臨時快速「有田陶器市号」は佐世保線内は特急と同じ停車駅です…。
    • 早岐でスイッチバックのため、特急でも必ず約5分停車するのも時間的にロスが大きい。
  9. 2018年の改正で早岐-佐世保間のみを自由席で利用する場合には特急料金が不要になった。もちろんあのきっぷでも乗れる。

水上・谷川[編集 | ソースを編集]

  1. 「すいじょう」ではない。
  2. 新幹線列車に栄転した「谷川」の代わりに名付けられた。
    • かつて同区間の急行列車に使われていた情緒ある「ゆけむり」とかでなく、誤読リスクの高い行先名を安易に名乗らせたあたり、束は既にこの列車にあまりヤル気を持っていなかったのかも。
  3. 基本「草津」と併結運転だった。
    • 分割併合は何故か分岐駅の渋川でなく新前橋駅で行っていた。
    • 渋川だと連結作業の人員を新たに配置しないといけなかったので元々車庫があり入換作業員が多い新前橋でやってたと思われる。連結作業で停車時間があったので平成17年ごろまでたかべんが新前橋でだるま弁当を特急停車中に立売してた。(往年のスタイルでなくスーパーで使うかごに弁当入れて売り歩いてるだけだったが)
  4. 2010年に臨時列車に格下げ…。

南越後[編集 | ソースを編集]

  1. こんな列車名あったっけ?と思う人が大半ではないだろうか?
    • 名前を聞いただけでピンとくる人は相当な時刻表マニア。
  2. S60.3改正で名古屋~新潟間急行「赤倉」の区間短縮により登場。
    • 普通列車で松本まで乗り入れていたとはいえ急行としての運転区間は「とがくし」と全く同じ。何故新愛称になったのか首をひねる存在だった。
  3. JR最初の改正で「とがくし」と共に「赤倉」(2代)に改称。
    • なので意外にもJR時代を経験しているが、最も影の薄いJR列車と言えるだろう。

南三陸[編集 | ソースを編集]

  1. 仙台から気仙沼線経由で気仙沼方面への快速だった。
  2. 超閑散ダイヤだった気仙沼線に、JRになってからおっかなびっくり設定したところ、思わぬ人気列車に。
    • 最大5両まで増結され、指定席も設けられた。
    • 国鉄末期の新線ならではのムダに高規格だった気仙沼線の、スペックを生かした高速運転が人気につながった。
    • 仙台~小牛田はノンストップ運転してた。
  3. それだけに、無念なかたちで列車生命を事実上終えることに…
    • 一ノ関経由で試験的に臨時列車を走らせてはみたが、その後は音沙汰無しで需要自体無くなった様子

みのり[編集 | ソースを編集]

初代
  1. 長野行新幹線の連絡特急?そうでしたっけ?ウフフ。
  2. 特急の失敗作。
    • 実質的な急行赤倉の格上げだったため利用者がそっぽを向いた。
    • 上信越道の全通の影響も大きい。
  3. その結果長野新幹線開業後5年ちょっとで長野と新潟を結ぶ優等列車が消滅した。
2代
  1. 現在は陸羽東線の観光快速としてのほうが有名。

みまさか[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪から姫新線への急行だった。
  2. 津山まで「みささ」と併結運転だった。
    • お互い字面も音の響きもよく似た、たいへん紛らわしい組合せだった。併結区間で車両を間違って乗っちゃった人も多かったのでは?
  3. 末期は津山より先は普通列車。ということは急行列車として単独で走る区間は皆無。
  4. 「みささ」と同時に廃止されたが、中国道開通でフルボッコ状態になってから15年近く持ったのがむしろ奇跡。
    • しかも首をしめていたのは、自社のバス部門。

みやづ[編集 | ソースを編集]

  1. 何とJRになってから新設されたキハ58系急行。
  2. ただ、同時期に運転開始した特急「エーデル丹後」に完全に人気を掻っ攫われ、存在自体空気だった。
    • 貴重になりつつあったキハ58急行としての立場も、当時はキロ連結の「丹後」が現役だったので、撮り鉄など軒並みそっちに行ってしまい殆ど見向きもされず…
    • さらに大阪-宮津には丹後海陸交通の高速バスもほぼ同時期に運行を開始したこともあり、最初から形勢は不利であった。車両・値段・利便性の面で高速バスに太刀打ちできず、海水浴シーズンやカニシーズン、GW以外の時期はガラガラの状態だったといわれている。

妙高・信越リレー妙高[編集 | ソースを編集]

  1. 新幹線が長野どまりだった期間に長野-直江津間を結んでいた「各駅」電車。
    • 快速もあったが、止まらない駅は2~3駅のみと言うものも存在していた。
  2. 料金も所要時間も同じだが特急車両を使っていたため妙高を選んで乗っていた。
  3. 通しで乗る人よりその名のとおり妙高高原駅から乗る人が多かった(冬場)
  4. 新幹線連絡列車であった性格上、指定席が設定されたため、列車愛称がつけられた。
    • 上りと下りでは指定席車の位置が違っていた。
    • 運行開始当初の愛称は「信越リレー妙高」と新幹線連絡を強く打ち出していた。「みのり」が無くなったと同時に「妙高」に改称。
  5. 実はこの列車は2代目で初代はコチラ

みよし・みよしライナー[編集 | ソースを編集]

  1. 「みよし」の名前の通り、広島~三次間の急行列車だった。
  2. ちどり」「たいしゃく」の短縮版という印象が強いが、純粋に増発して気を吐いたこともある。
  3. 急行「みよし」が快速に格下げになって「みよしライナー」に。ヒネり無し。

むめも[編集 | ソースを編集]

むさしの・しもうさ[編集 | ソースを編集]

  1. いずれも主に東北・上越新幹線連絡を目的に武蔵野線経由で大宮まで走る普通列車
    • 「むさしの」は八王子や府中本町方面、「しもうさ」は西船橋方面への列車。
    • 現在の使用車両、通勤型車両列車愛称がある通勤型車両ってこれだけでは?
      • かつては115系が使われていた。
      • 「むさしの」は古くは新幹線リレー号と呼ばれた臨時列車を定期便へ格上げしたもので、「しもうさ」はそのついで。
  2. 束の指定不要の快速・普通列車が軒並み愛称を取り上げられるなか、奇跡的に愛称付きのまま走り続けている。
    • これの場合、愛称を付けることで大宮直通であることを分かりやすくしてる感がある。
    • 非鉄にはまず理解できないルートを通るのも原因かも。
  3. 武蔵野線内各駅停車。通過駅作ってっても良かったのに。
    • 「むさしの」は定期格上げ後も中央線内に通過駅があったが、いつの間にか各駅停車になった。
  4. 西船橋方面は、必ず京葉線海浜幕張方面に直通している。舞浜方面にはいかないんですね...
    • 極稀に舞浜方面に行く臨時列車が設定されることはある。無論、対象としているのは某夢の国へ向かう客。
  5. ライバルのちばたまライナーを倒した。高速バスが列車に負けた珍しい例。

むさしのドリーム[編集 | ソースを編集]

#マリンドリーム・むさしのドリームを参照。

むつ[編集 | ソースを編集]

  1. つがるの前身列車。
  2. 急行時代は電化後も気動車のままだった。
  3. 国鉄末期に特急に格上げされたが、1年半も持たなかった。
    • 特急格上げと同時に本数も1往復に削減された。

むろと[編集 | ソースを編集]

  1. 徳島~牟岐の徳島県内列車。
  2. 遅い。遅すぎる!
    • もちろん所要時間&運転速度のこと。
      • 表定速度は、約55km/h。
        • 恥ずかしい・・・。
        • もはや特急ではない。
        • そもそも誕生の理由が、高速化したうずしおと一緒にされたくなかったという理由。。
    • 風が語りかけます
  3. 基本、2両編成。
  4. 停車駅は、徳島・南小松島・羽ノ浦・阿南・桑野・由岐・日和佐・牟岐
  5. 夕方には、「むろと」51・52・53・54号という、通勤特急が徳島~阿南を走る。
    • JRの定期特急列車の中では、日本一運転区間が短いらしい。
      • 臨時特急だと、高知~土佐山田の「ホームエクスプレス高知」
  6. 今のところ 午前中の設定はない
    • 2008年3月、上り1本が午前に変更され、それを含めた阿南折り返し特急の愛称が「ホームエクスプレス阿南」に変更された。
  7. 2009年3月改正で、阿波池田発のむろとが設定された。剣山4号→むろと1号になっただけだが。
    • 徳島駅での誤乗防止というのが公式の理由。
  8. 牟岐から海部行き普通になるのもある。
  9. 2019年のダイヤ改正で減便され、1往復のみの運転になった。
    • 海部行きへの化け運用も消滅。
    • 変に特急を走らせるとパターンダイヤが組みにくくなるのが理由らしい。

むろね[編集 | ソースを編集]

JR列車/さ行#スーパードラゴン・むろね・からくわ・さかりを参照。

モーニングライナー[編集 | ソースを編集]

  1. 民営化2年後に運転を開始し、篠ノ井以東が第三セクターに移管された1年後に廃止。
    • 短いJR時代と共に生まれ共に亡くなった。
  2. 廃止のタイミングはしなの鉄道移管時ではなく車両が特急あさま車両から普通の車両に変更されたとき。
    • その後あさま車両運用に戻るもモーニングライナーの名称は復活せず。
    • さらに再びあさま車両運用が外れたときにはライナー券不要の通常の快速電車になった。
    • 巡り巡って現在の姿がSR1を使ったしなのサンライズ号。有料ライナーと無料快速の繰り返し

もがみがわ[編集 | ソースを編集]

  1. かつて存在した急行「もがみ」とは関係ある。
  2. 山形新幹線ができる前の、山形~新庄間の快速列車だった。
  3. つばさ」(在来線時代)の間合いで485系が使われていたことがある。

最上川・月山[編集 | ソースを編集]

  1. 「つきやま」ではない。
  2. 山形から庄内方面へのDC急行だった。
    • 鼠ヶ関駅発着の列車があったが、その駅は他の優等列車は全て通過していた。
  3. よねしろ」と同じく、JRになってからキハ58系のままリクライニングシートに改装された。
  4. 山形新幹線の開業時に快速に格下げ。
    • これは急行なので新幹線との料金通算ができず割高になってしまうのを避けるためらしい。だから他の快速格下げ例と違って、列車の存在価値は引き続き認められていた。
    • 実際山形~新庄間ではスピード、設備とも大差ないのに特急料金要の「こまくさ」より人気があったとか。
    • JR東日本が地方交通線を主体とする優等列車の設定に消極的だからでは?
  5. かつて存在した快速「もがみがわ」とは関係ない。
  6. 陸羽西線の快速列車。
  7. 束のローカル線の快速にありがちな、利用動向と無関係に?1往復だけ走らせてる列車。

もりおか[編集 | ソースを編集]

  1. 上野盛岡間を常磐線経由で走る電車急行だった。
  2. 東北新幹線開業で廃止される前は最長距離を走る電車急行だった。
  3. 下り上りとも同じ発着の特急やまびこに先に出発したにもかかわらず、途中で追い抜かれた。

文殊[編集 | ソースを編集]

  1. 読みが同じになる施設がやらかした事故のせいで、印象が悪くなってしまった。
  2. 北近畿」の合間に設定した感じで本数が少な過ぎたうえ、観光メインの地域なのに観光向けでない時間帯に運行のため、存在感が薄かった。
    • 特に2003年に高速道路が宮津天橋立まで伸びてからは客がガクンと減り、大阪からの宮福線直通は結局廃止されてしまった。

や行[編集 | ソースを編集]

やひこ[編集 | ソースを編集]

  1. JR初期の頃に新潟~長野間を越後線経由で走った快速。
  2. 驚いたことに信越本線経由の特急電車と所要時間が大して変わらなかった。
  3. 料金不要なのに急行「赤倉」と同じ車両サービスなのはやはり問題があったのか、束がリストラに転じた1993.12の改正で廃止。
    • 長岡や三条などの都市を通らないので集客にも問題があったかもしれない。

やまぐちライナー[編集 | ソースを編集]

  1. 山口線の新山口~山口間を走った快速列車。
  2. 途中停車駅は湯田温泉のみで、意外と盛大に駅を飛ばしていた。
  3. 宇部線の「のぞみリレー号」と同時期に力尽きた(普通格下げ)。

やまとじライナー・らくラクやまと[編集 | ソースを編集]

  1. 大阪駅から大和路快速と同じ経路で加茂まで走っていた、ホームライナータイプの列車。
  2. 「くろしお」用の381系を使用していた。
  3. 定期列車で奈良県内を国鉄・JRの特急型電車が走ったのは、これが唯一のはず。
  4. 廃止から13年経って、ようやく特急として復活。

やまばとー[編集 | ソースを編集]

  1. 上野~山形間の特急だった。
  2. 最初1往復だったが、秋田まで延長されて「つばさ」になり、山形発着は急行「ざおう」を格上げにした。
  3. 途中で会津若松行き(会津やまばと)が設定されたが、山形行きは特急列車としては初めて食堂車無しの編成となった。
    • 電車化で会津若松行きが分離されるとともに、食堂車が復活。

ゆうぞら[編集 | ソースを編集]

  1. 秋田~東能代間の快速だった。
    • 名前が示す通り夕ラッシュ時しか走らない。そのため下り1本のみという変則的な列車だった。
  2. 走るプレハブが秋田に来る前の時代なので、50系客車を使用していた。
    • 短区間の列車なのに、何と贅沢にも牽引機はEF81だった。
  3. この区間の快速はこの後しらかみしらゆき(2代目)とたどる。

ゆあみ[編集 | ソースを編集]

  1. 但馬より先に快速から準急に昇格したのに、あとから昇格してきた但馬に統合されてしまった。

湯けむり・ゆけむり[編集 | ソースを編集]

初代「ゆけむり」
  1. 上野~水上間の急行列車だった。
  2. ほぼ「草津」と併結していた。分割併合は新前橋駅で行っていた。
  3. 「ゆけむり」の名に拘ったからだろうか、この列車だけ上牧温泉の最寄である上牧駅に停車していた。
2代「湯けむり」
  1. 初代が引退してだいぶ経ってから、遠く離れた陸羽東線の快速として復活。
    • 「ゆ」が漢字になったのは豪雪地帯を通る故「ゆきけむり」と間違われないようにするためだろうか?

ゆのくに[編集 | ソースを編集]

  1. 急行全盛時代の関西~北陸連絡の優等列車。サンダーバードの元祖になる。
  2. 特急「雷鳥」が登場しても、しばらくは消えなかった。
    • しかも湖西線開業後も、頑固に米原経由で走り続けていた。

ゆのはな[編集 | ソースを編集]

  1. 七尾線の温泉急行。行楽期のみの季節列車。
  2. 能登路」とどこが違うのかよくわからなかった。
    • 和倉温泉止まりの能登路も少数ながらあったし。
  3. 和倉温泉から金沢駅を越えて、芦原温泉まで延長運転したこともあった。
    • 温泉から温泉へのハシゴ客がそんなにいたのだろうか?
  4. 印象に残らないうちに消えて久しいのに、某アニメのイベントで「急行ゆのさぎ号」として復活した。

ゆふ・ゆふDX・ゆふいんの森[編集 | ソースを編集]

  1. そもそも湯布院が女性客向けの温泉なので、喫煙スペースが恐ろしく狭い。
  2. バリアフリーを無視した車両設計だが、問題ないのだろうか。
  3. 何故か、皿うどんを車内で売ってる。そらチンしてかけりゃ完成だろうけど、何故特急で皿うどん・・・
    • 湯布院料理研究会だかが厳選した素材を使ってるらしい。
    • 車輌が揺れても、熱い汁が客にかからない様にだろう。
      • だったら、御飯物の方が・・・炊き込みご飯とかでも出来ただろうに。因みに量は女性をターゲットにしてる割には多い気がしたような。
    • ちなみに、白いかもめでは湯布院(大分だったかな?)のアイスが売ってます。JRの旅行客誘導宣伝の一環でしょう。
  4. ゆふに使われている列車はJR四国からのもらい物
    • もらってない。JR四国から買ったんだよ。
  5. ゆふいんの森のキハ70-1/キハ72-3にはビュッフェがあるが、キハシ70-1/キハシ72-3ではない。
  6. 休日・祝日以外の博多発のハウステンボスの乗客のほとんどが佐賀で下車、なおハウステンボス発の乗客はほとんどが佐賀で乗車。まず4両も必要ないのでは?(みどりも含む
  7. ゆふいんの森は昔小倉発だった。
    • '92/07/15~'95/4/20まで。
  8. ゆふDXの車両は、オランダ村特急→ゆふいんの森二世→シーボルト→ゆふDXと長崎と湯布院を点々としている。
    • 北海道外唯一のキハ183系。
      • キハ183系1000番代。登場当初3連。のち1両追加して4連に。
        • デビュー当初は竹下気動車区→直方気動車区→大分運転所→長崎運輸センター(新設)→大分運輸センター(大分運転所を改称)とあっちこっち所属変えしてる。
    • そして、特急「あそぼーい!」となり豊肥本線へ。
  9. 夢の列車が~日田走る~♪
  10. 大分行のゆふいんの森は由布院を過ぎるとガラガラだった。別府行になった今は知らん。
  11. 多客期に増結されるとき3号車がキハ186の場合がある。だから自由席料金で元グリーン車に乗れる

よしの川[編集 | ソースを編集]

JR列車/た・な行#剣山・よしの川・あい

よねしろ[編集 | ソースを編集]

(初代・2代)盛岡~(花輪・奥羽線経由)~秋田など
  1. 盛岡~秋田間を何と4時間半以上かけて走ってた。流石に当時でもこれで盛岡~秋田間を移動していた人は殆どいなかったのでは?
  2. 何故か山田線の宮古発着の列車があった。
    • その訳は、かの迷走急行「陸中」を単に宮古でぶった切っただけの列車だから。
    • 当時の時刻表を見る限り、車両はそのまま迷走時代と変わらず宮古から「陸中」として仙台まで行き帰りしていたっぽい。系統分割した意味ないじゃん!
  3. 盛岡発着は一時期、「はちまんたい」として運行していた時期があった。
  4. 東北新幹線開業後は弘前発着となった。
(3代)秋田~大館(~陸中花輪)
  1. 特急時代の波に逆行して、国鉄最後のダイヤ改正で奇跡のキハ58急行として復活!
    • 所属している車両基地に特急型気動車がなかったため、急行で妥協した。
  2. ただ、流石に同じ区間に701系快速「しらかみ」が登場すると、スピードや通過駅数で劣るこの列車が急行として走るのは苦しそうだった。
    • 幸い既にリクライニングシートにアコモ改装されてたので、車両サービスではあちらとは天と地ほどの差をつけてたが・・
    • 運行していた時間帯が通勤時間帯であり、定期券でも乗車できるようにしたことや(当時の特急は短距離特急の設定に消極的だったことや定期券での利用は新特急でもない限り乗車できなかった)花輪線と直通運転を行うから。花輪線内は普通列車だった。そのため、通勤優等列車としての役割も果たしていた。
      • それなりの利用客がいたという。
        • 当時、競合する交通機関がなかったことも大きい。
    • 程なくして快速に統合され、ダイヤと車両は踏襲されたが、花輪線直通廃止とともに701系に置き換え。
      • ただ、車両はセミクロスシート改造車に限定して運用している。

ら行[編集 | ソースを編集]

ライラック[編集 | ソースを編集]

781系時代のヘッドマーク
初代
  1. 函館~札幌間(山線経由)の急行だったらしいが、これをリアルで知っている方は相当なお年。
2代
  1. スーパーカムイの前身その2。
    • ホワイトアローと異なりこっちは最後まで781を使っていたから区別しやすかった。
      • 実はスーパーホワイトアローの間合いで785系によるライラック運用が存在したことがある。
  2. スーパーホワイトアロー同様札幌-新千歳空港間は快速エアポートになっていたが、こちらだと札幌駅でヘッドマークの幕回しが見られたのが特徴。
  3. ヘッドマークの文字が「ライラック」でなく「ラィラック」になっていた(読めない…)。
3代
  1. 2017年にスーパー白鳥廃止で余剰になった789系0番台を改造して復活。
    • カムイと同じく札幌〜旭川間を走るが、カムイ(1000番台)の大きな違いは6両編成なのとグリーン車があるところ。
    • それと同時に宗谷・オホーツクの減便によりその代替の役割も担うことになった(旭川駅でサロベツ・大雪と対面乗り継ぎ)。
  2. スーパー白鳥時代の「HEAT789」のロゴは沿線の観光地(札幌・空知・旭川・上川)をモチーフにしたイラストに差し替えられたが、宗谷・オホーツクの代替の役割もあるためかライラック自体は走らない宗谷地方網走地方のイラストも施されている。
    • 旭山動物園号に使われる事もあるためか旭川のイラストは旭橋以外は全て旭山動物園の動物。
      • 札幌のイラストも円山動物園の動物をモチーフにしたものがある。
  3. 観光シーズンにはキハ183系の旭山動物園号が廃車になった代替の「ライラック旭山動物園号」として運行される事がある。
    • 臨時のスジではなく、定期のライラックのスジを用いて運行している。
    • 違いといえばグリーン車を記念撮影スペースにしている事や、車内のLED表示が子供を意識して全てひらがな表記にしている事か。

らくらくトレイン[編集 | ソースを編集]

  1. 新潟駅発のホームライナー
    • 直江津行きと村上行きがある。
  2. 直江津行きはらくらくトレイン信越。
    • なお信越の信までは行かない模様。
      • この場合の信越とは「長野と新潟」ではなく「信越線を走る列車」を意味するための名前なので問題ない
  3. 村上行きはらくらくトレイン村上。元は新潟車両センターから村上始発ムーンライトえちごへの回送列車。ムーンライトえちごが事実上廃止になってからも、いなほの車両でらくらくトレイン村上の運行は継続。
    • 帰りは特急車両ながらライナー券不要の快速として運行。
  4. 結局どちらとも消えた。新潟地区における着席需要など所詮その程度だったということだ。

らくラクはりま[編集 | ソースを編集]

  1. 図らずも平成最後の新設JR特急になった。
    • H31.3.16改正で新設された特急のうち、改正初日(=土曜日)に走らなかった平日のみ運行の列車は「はちおうじ」「おうめ」とこの列車(「富士回遊」はその点で脱落)。そのうち「らくラクはりま」が始発列車(上り)の出発時刻が最も遅い。
  2. いわば「びわこエクスプレス」の西バージョン。
    • これまでなかったのが不思議な気もする。
      • 便利で快適な新幹線を〜、ってつもりだったろうが、神戸から播州に新幹線って不便だしね。
        • その山陽新幹線に加えはまかぜやスーパーはくとなど元から着席サービスが充実していたため。
  3. 京都発網干行きに延長される。英賀保・播磨勝原・網干が特急停車駅になるとは…


ラビット[編集 | ソースを編集]

  1. 宇都宮線の快速列車。快速運転するのは上野~小山間。
    • アーバン同様最近は朝と夜間の快速しか名乗らせてもらえなくなった。
    • JR東日本は全車自由席の快速列車の愛称は廃止される傾向にあるが、湘南新宿ラインとの誤乗防止の観点からか、なぜか堅持している(アーバンも同様)。
    • アーバン同様、通勤快速を潰す目的で復権。
  2. 横文字にすると「Rapid Rabbit」と語呂が良くなる。

リアス[編集 | ソースを編集]

(初代)盛岡~(山田線経由)~釜石
  1. 地図で見る限り「はやちね」(釜石線経由)との差は長方形の2辺の上を通るか下を通るかの差しかないように思えるが、所要時間は「はやちね」より1時間程も余計にかかっていた。
    • これをよく「区界峠の難所が・・」とか書籍で解説されてるが、むしろ高速走行できる東北本線を使えないハンデの方が大きかったとみられる。
(2代)盛岡~宮古
  1. 何気に盛岡~宮古間2時間運転を実現している。この所要時間はかつての急行時代より短い(しかも停車駅はこっちの方が多い)。
  2. 復活当初は特別快速だった。
    • 快速格下げ後も特快時代とほぼ変わらない停車駅。

リアス・シーライナー[編集 | ソースを編集]

  1. 仙台-八戸間を三陸経由で10時間近くかけて結んでいた。
    • 車両はほとんど三陸鉄道のものを使っていたが、走行距離に関しては明らかにJR線のほうが長い。
  2. 震災から全線が復旧した暁にはこの列車を真っ先に運転してほしいものだが…?
    • 残念だがそれが絶望的になってしまった。

陸中[編集 | ソースを編集]

JR列車/は行#はまゆり・陸中を参照。

リレー号[編集 | ソースを編集]

  1. その正体は、ただの普通列車。
    • 福知山支社管内の、一応特急接続の役を担う列車に付けられている。
  2. かつては「北近畿リレー号」だった。
    • 「北近畿リレー号」→「特急リレー号」→「リレー号」と変遷を経ている。
      • すみません、「舞鶴リレー号」だった時代がありました。北近畿~→舞鶴~→(愛称中断)→特急~→リレー号、に訂正します。
    • 「北近畿リレー号」当時は、何とヘッドマークも取り付けられていた(ただのキハ47の普通列車なのに)。
      • しかもそのオレンジカードまで売られてた。
  3. 秋田リレー」とかと違って「号」まで付くのが正しい愛称らしい(時刻表にも号付きで掲載)。
  4. 知らんうちに愛称が消された。

るもい[編集 | ソースを編集]

快速時代のヘッドマーク
  1. 実は「る」で始まる唯一の愛称。
    • 逆に「る」で終わる列車は「つがる」「まいづる」「ゆうづる」など現役・過去含め多いから、列車名しりとりでの「る」の扱いが悩ましい。
(2代)旭川~留萌
  1. 名前から留萌本線を代表する急行列車だったと思われがちだが、実は旭川発着のローカル急行だった。
    • 主力の札幌方面へ行っていたのは「ましけ」「はぼろ」。
    • 留萌から先は普通列車として幌延まで走っていた。
  2. 何故か朝の旭川行、夜の留萌方面行ダイヤが無かった。留萌の人が旭川に行くことは想定してなかった?(一番近い大都市なのに)
(3代)深川~留萌
  1. 高速バスに一矢報いるべく、1990年に快速として復活。
    • キハ40単行とはいえ、大きめのヘッドマークも取り付けられ気合が入っていた。
    • とは言え1往復のみ、しかも札幌からだと深川乗換が必要では話にならず、結局5年程で廃止。

礼文[編集 | ソースを編集]

キハ54の頃のヘッドマーク
  1. 旭川~稚内間の急行列車だった。
    • 当初使用車両が間合い運用だったので、札幌まで行くことは時間帯上できなかった。
  2. JR移行直前に、この列車のためだけの新車が投入された(キハ54形急行仕様車)。
    • この専用車さすが北海道用らしく冷房がない。
  3. 「れ」で始まる唯一の愛称のはずだが、しりとりに使えない…

[編集 | ソースを編集]

わかさ[編集 | ソースを編集]

  1. 舞鶴線が小浜線よりも先に電化されたせいで消滅した。
    • 小浜線電化後は一時期「まいづる」が乗り入れていたものの、色々あって今はやっていない。
  2. 末期には東舞鶴-敦賀間の運行になっていたことを考えると、最初から特急化は考えていなかったものだと思われる。

わかしお[編集 | ソースを編集]

  1. 外房線を安房鴨川まで走る特急。
  2. 線形の関係で房総特急では一番スピードが遅い。
  3. 一部、勝浦から普通列車になるものがある。
  4. 外房には高速道路が届いていないため、衰退真っ只中の房総特急の中でまだバスと互角の戦い。
    • 大網・茂原あたりだと圏央道の影響食らいそう。
      • 既に負け戦になっている内房とは違い、羽田・横浜はともかくとして対都心であればまだ互角。
      • 2020年2月を以て茂原~東京の高速バスは運転終了。羽田・横浜とは異なり遠回りになることと、大網~東京の高速バスは九十九里方面から来ているが茂原~東京にはそれがないことが影響したか。

わかとりライナー[編集 | ソースを編集]

JR列車/た・な行#とっとりライナー・わかとりライナーを参照。

わくわく号[編集 | ソースを編集]

JR列車/い~お#うきうき号・わくわく号を参照。

JR列車
新幹線 新幹線
在来線(昼行) /い~お/か~こ/さ~そ/た~の/は~ほ/ま~わ
在来線(夜行) あ~こ/さ~の/は~わ
ジョイフルトレイン あ~そ/た~わ