もしJR東日本の車両が○○だったら
独立済み
全般
政府がJRを完全民営化させない方針だったら
- 史実よりは事故やトラブルは起きなかった。
- 旅客3社になっていた。
- 旅客2社、貨物1社になっていた可能性も有る。
- 労働組合も少しは大人しくなっていた?
- 特定地方交通線の廃止は変わらない。
- 会社間またがりの直通列車の廃止・縮小は現実よりも少なかった。
- 寝台特急「トワイライトエクスプレス」「北斗星」「カシオペア」「日本海」の廃止はなかった。九州特急は史実通りだが。
- 関西地区の快速の大垣乗り入れは現在も残されている。
- 北陸新幹線金沢延伸後も「サンダーバード」「しらさぎ」の富山直通は残されていた。
- そもそも北陸新幹線(長野新幹線区間を含む)、北海道新幹線、西九州新幹線は建設されなかった。
三島と貨物の経営体質が本州3社と同じだったら
- 経営安定基金はなかった。
- 北海道のトラブルもない。
- それでもJR九州は目立ちたいため水戸岡デザインを導入する。九州新幹線の開通が現実より早かった。
- 現実にはない813系・817系の交直流版の車両が導入されている。
- 四国東部は大阪のベッドタウンになっていた。
- とっくに株式上場して完全民営化している。
- 貨物は現実以上に頑張っている。
JR北海道
○○を導入していなかったら
- uシート
- おそらくエアポートは全席自由席化、もしくは廃止されていた。
- 廃止されなかったとしても721系8次車の導入はなかった。
- 721系の他に731系・733系(3両)・735系も使えるようになるので車両繰りが容易だったかもしれない。
- エアポートへのオールロングシート車の投入はなく、721系の後継車種として723系(733系の転換クロスシートバージョン、但し車端部はロングシート)が投入されていた。
- 特急「カムイ」「ライラック」はほぼ全列車が新千歳空港まで乗り入れ、全区間特急として運行されていた。
- Kitaca
- 他社のICカードのほか、札幌圏でSAPICAも使えるようになっていたかもしれない。
- むしろSuicaを導入していたのではないかな?
積極的に○○していたら
- 車両の更新
現実のJR北海道は赤字体質のため車両の更新に時間が掛かっているようです。もし積極的に車両の更新をしていたら?
- キハ150・キハ201系が現実よりも早く投入されていた。
- キハ141も生まれなかった。
- 「はまなす」が気動車化されていた。
- ディーゼル機関車も新しくなっていた。
- 電化
- 現実よりもJR北海道の特急列車が電車化されていた。
- キハ281やキハ283といった振り子式気動車が生まれなかった。
- 電車によるワンマン運転
- 室蘭線苫小牧以南の普通列車が架線下DCになることはなかった。
- もしかしたらこの区間で国鉄型車両は見られなくなった。
- 必然的に2両以上になる。
- 電化区間が伸びていたかも。
札幌駅南口の再開発をしていなかったら
- JRタワーやステラプレイスなんて存在しなかった。大丸も出店しなかった。
- それでも史実通り4代目駅舎の取り壊しは行われた。
- 新駅舎は新幹線乗り入れを想定した構造になっていた。
- それでも史実通り4代目駅舎の取り壊しは行われた。
- 商業施設が少ない北口の方で再開発をしていた。
- 新幹線ホーム位置でゴタゴタになることはなかった。
JR北海道の駅ナンバリングが路線別に振り分けられていたら
JR北海道の駅ナンバリングは札幌駅を起点に各方面に振り分けられています。もしこれが他の鉄道事業者と同じように路線別に振り分けられていたら?
- 函館本線のアルファベットは「H」(函館~長万部間は史実と変わらない)、駅番号は函館駅の「01」から始まり、札幌駅は「56」、旭川駅は「83」になっていた。
- 砂原線は小文字の「h」が使われ、駅番号は七飯駅の「01」から始まり、森駅で「16」になっていた。
- 室蘭本線のアルファベットは「M」、駅番号は長万部駅の「01」から始まり、東室蘭駅は「16」、苫小牧駅は「30」、岩見沢駅は「43」になっていた。
- 支線は小文字の「m」が使われ、駅番号は東室蘭駅の「01」から始まり、室蘭駅は「05」になっていた。
- 千歳線のアルファベットは「C」、駅番号は苫小牧駅の「01」から始まり、南千歳駅は「04」、白石駅は「15」になっていた。ただし、千歳線の列車は全て札幌まで乗り入れるので、札幌駅には函館本線の「56」に加え「17」が振られていた。
- 支線のアルファベットは史実と変わらず「AP」だが、駅番号は南千歳駅が「01」、新千歳空港駅が「02」になっていた。
- 札沼線(学園都市線)北海道医療大学以南は史実と変わらない。札幌駅には函館本線の「56」、千歳線の「17」に加え「01」が振られる程度。
- 根室本線のアルファベットは「N」、駅番号は滝川駅の「01」から始まり、富良野駅は「09」、新得駅は「17」、帯広駅は「24」、釧路駅は「44」、根室駅は「63」になっていた。
- 富良野線のアルファベットは史実と変わらず「F」だが、駅番号は旭川駅の「01」から始まり、富良野駅は「18」になっていた。
- 石勝線は石北線や釧網線などと区別をつけるため「SS」になっていた。普通列車が全て千歳駅まで乗り入れるので駅番号は千歳駅の「01」から始まり、新得駅は「08」になっていた。
- 宗谷本線のアルファベットは「SY」、駅番号は旭川駅の「01」から始まり、稚内駅は「53」になっていた。
- 石北本線のアルファベットは「SH」になっていた。全列車が旭川駅まで乗り入れるので駅番号は旭川駅の「01」から始まり、新旭川駅は「03」、網走駅は「38」になっていた。
- 釧網本線のアルファベットは…お察し下さい。駅番号は網走駅の「01」から始まり、東釧路駅は「26」になっていた。また全列車が釧路駅まで乗り入れるので同駅は根室本線の「44」に加え「27」が振られていた。
- 札沼線北海道医療大学以北・日高本線・留萌本線は史実と変わらずナンバリング無し。
軌間が914mmだったら
JR北海道のルーツとなる官営幌内鉄道(手宮(廃止) - 南小樽 - 札幌 - 岩見沢 - 幌内(廃止))にはアメリカ人技師が関わっていました。当時のアメリカで一般的だった914mm軌間で建設される可能性もありましたが、時の開拓使長官黒田清隆の意見により本州と同じ1067mmで建設されました。では、914mm軌間が採用されていたら?
- その後、北海道の鉄道は全て914mmで建設される。
- 青函連絡船において、貨物載せ替えの手間が増すことになる。
- 青函トンネル建設時に大問題になる。
- 北海道新幹線開業まで青函トンネルは活用されなかったかもしれない。
- 下手すると914mm・1067mm・1435mmの四線軌条になっていたかもしれない。
JR東海
JR中部だったら
JR東海は英語で「JR Central」と表記しますが、もし英語訳の通り「JR中部」だったら、いったいどうなるのでしょうか?
- 北陸の人は違和感を感じる。
- のちにJR西日本から分離して編入。
- 編入後、下のリンク先のような状況になること必至。
- こっち同様、「JR中日本」という表記もありかと。
- 西日本の新快速は一部を除いて米原止まり、もちろん琵琶湖線の区間も米原以南。
- むしろ豊橋~敦賀までの直通運転する新快速が出来そう。
- この場合米原駅構内は全てJR中部になるので彦根止まりでは?
- のちにJR西日本から分離して編入。
- 広報に前田亘輝氏を起用。
- 夏が一番もうかる。
- 北陸の国鉄車がなくなっていた。
- 「しR倒壊」と揶揄されることはなかった。
- その代わり「しR厨悔」と揶揄されていた。
- 一文字略称では「申」が使われる。
- 名古屋周辺部が中部鉄道事業本部の直轄になる。
- 車両の所属標記が「海○○」ではなく「中○○」になっていた。
- 静岡支社の他に長野支社・金沢支社もこちらに。
- 飯田・中津川・高山・米原に支社境が置かれる。
- 管轄は現実のJR東海&北陸本線・七尾線・城端線・高山本線(猪谷~富山)・中央本線(塩尻~大月)・篠ノ井線・飯山線
- エリア的に小海線・大糸線・信越本線の篠ノ井~直江津間も管轄かと。
- 境界駅はこんな感じか
- JR東日本
- 熱海駅 (東)
- 国府津駅 (東)
- 大月駅 (東)
- 越後川口駅 (東)
- 直江津駅 (中)
- JR西日本
- 新宮駅 (西)
- 亀山駅 (中)
- 米原駅 (中)
- 近江塩津駅 (中)
- 東舞鶴駅 (西)
- JR東日本
- 氷見線は?
- 北陸新幹線(長野以北)もJR中部管轄となる。
- もしかしたら、北陸本線は三セクにならなかったかも。
- 北陸開業後もサンダーバードは一部は富山まで乗り入れていたかも。
- 北陸3県&新潟(直江津以西)は、現実の静岡と同様に冷遇されていたかも。
- 名古屋市営地下鉄を買収し「名古屋チューブ」と改名する。
- 長野支社管内は313系と213系、北陸地区(金沢支社管内)には313系の交直流版である513系が入り浸る
- 北陸地区や長野地区の観光列車が存在しなかった。
- 「露骨な冷遇」と叩かれていた。
新幹線至上主義に走らなかったら
「のぞみ」設定以降、新幹線至上主義に走ったJR東海ですが、もし、新幹線至上主義に走らなかったら?
- 空港連絡に積極的になっていた。
- 武豊線の中部国際空港乗り入れが実現していた。
- 静岡空港駅の開業が実現していた。
- イベント列車の運行は現在でも積極的に行われていた。
- 「トロッコファミリー号」は廃止されなかった。
- 参宮線にもイベント列車くらいは運行されていただろう。
- 「のぞみ」に自由席が設定されることはなかった。
- 編成・座席数の統一も徹底されなかった。
- 東海道新幹線は現在でも車両のバラエティに富んでいた。
- ゲーム、ビデオなど鉄道ファン向けの商品にも協力的になっていた。
- 浜松工場以外の車両基地・工場の一般公開にも積極的になっていた。
- 機関車牽引の客車列車を全廃するということもなかった。
- 高山本線などで蒸気機関車を使用した観光列車の運転も行っていた。
- 電気機関車やディーゼル機関車の運転士の養成も行っていたかもしれない。
- =「もし東海が須田寛初代社長の退任後も須田路線を継承していたら」。
- 佐久間レールパークや美濃太田の多くの保存車両が解体されてしまうこともなかった。
- 史実ほど静岡冷遇はされなかった。
- 在来線の特急用グリーン車は3列シートを採用し続けていた。
静岡冷遇がなかったら
- それでも史実通りロングシート車が導入されていた。
- 211系にトイレが取り付けられていた。
- 静岡に快速が出来ていた。
- のぞみが静岡に停車していた。
- のぞみは小田原と静岡と浜松と豊橋の千鳥停車。多い時間帯は現実通り東京、品川、新横浜、名古屋、京都、新大阪にすることで、リピーターを確保。
- 東海が廃止されることもなかった。
- 「JR静岡」というネタは誕生しない。
観光列車に積極的だったら
JR東海はほかのJR各社とは異なり、観光列車の運行に消極的ですが(過去にはトロッコファミリー号やトレイン117などがあった)、もし、観光列車の運行に積極的だったら?
- 参宮線が残念な路線扱いされることはなかった(泣)。
- 参宮線には近鉄に対抗する形で「しまかぜ」や「つどい」を意識した観光列車を運行していた。
- 松坂牛に因んだグルメ列車を運行していた。
- 急行「しま」(史実では2013年に運行された)は運行されなかった。
- 快速「みえ」の指定席車にもキハ85形に準じたデッキ・化粧室付きでリクライニングシートの車両が導入されていた。
- 飯田線にはトロッコファミリー号やトレイン117の後継車両が登場していた。
- 身延線や御殿場線には富士山に関連した観光列車を運行していた。
- 同様に、アニメとのコラボにも積極的になっていたかもしれない。
- 静岡地区では作者の出身者の縁でちびまる子ちゃんとタイアップしていた。
- 伊豆箱根鉄道に対抗してラブライブとタイアップしていたりして。
- 高山本線には「君の名は。」テーマの観光列車が登場。
- 経営体力はそれなりにあるので種別は快速クラスであり、料金設定もリーズナブルなものとなっていた。
- 決して九州のように特急にすることはない。
- JR東日本の「TRAIN SUITE 四季島」、JR西日本の「トワイライトエクスプレス瑞風」のような超豪華クルーズ列車が出来た。
コーポレートカラーが青だったら
- 車両の帯が211系0番台シティーライナーみたいな塗装になっていた。
- 特急型車両も新幹線100系…もとより371系みたいなカラーリングに。
- JR西日本のコーポレートカラーは茶色になっていたかも。
- 「阪急のパクリ」呼ばわりされる。
- 奈良線のラインカラーは違う色だった。
古い車両の更新に積極的だったら
基本的に旧型車の更新改造はあまり行わず早いうちに新車に置き換えるJR東海(ただし民営化直後に103系やキハ58などに規模の大きい更新をしたことはある)。もし更新改造を積極的に行っていたら。
- 113系等の内装が国鉄時代のままということはなかった。
- 座席交換とまではいかなくとも、311系のモケットへの張り替えは行われる。
- 313系の投入数はおそらく現実の半分程度。
- キハ25はキハ40、11ではなくキハ58置き換え用となり、史実より数年早く登場していた。
- そのキハ58は「みえ」のお古かもしれない。
- 「かすが」は廃止までキハ58だったかも。
- そのキハ58は「みえ」のお古かもしれない。
- 大垣-米原普通の主力は今も117系。
- 飯田線では119系が現在も第一線で活躍中。えちぜん鉄道譲渡なんてありえない。
- 新幹線はスピードアップの観点から史実通りか?
在来線の自動放送導入に積極的だったら
JR東海では新幹線やワンマン列車では他社と同様に自動放送を用いているもののそれ以外の在来線列車に対する自動放送導入に対しては極端に消極的(それでも特急には導入しましたが)で、昨今では英語放送でさえも自動放送ではなく車掌や駅員に肉声で行わせています。しかしもし自動放送を積極的に導入していたら。
- 初期から積極的に導入されていた場合、在来線の放送も脇坂京子、ドナ・バークペアだった。
- 史実では371系は脇坂氏とドナ・バーク氏による放送だったが、それ以外の特急は日本語は西村文江氏で英語放送も別人。
発足時点から車両の種類が少なかったら
現在は趣味的につまらなくなっているJR東海。ではもし発足時点で今ぐらいに車両の種類が少なかったラ?
- 新幹線は営業用は0系と100系、事業用はドクターイエローで現実と変わらない。
- 在来線は近郊型車両は113系・115系・117系・119系のみ。通勤型車両は一度も保有しない。
- 特急型電車は381系のみ。急行型電車は保有せず急行東海はJR東日本持ち。急行富士川は国鉄時代に廃止。
- 一般形気動車は1984年までにキハ40系列に統一。特急形気動車はキハ82系のみ。
- 事業用車は電車と気動車1形式ずつ。機関車・客車・貨車は発足当初から保有しない。
- 一般形気動車は1984年までにキハ40系列に統一。特急形気動車はキハ82系のみ。
- 特急型電車は381系のみ。急行型電車は保有せず急行東海はJR東日本持ち。急行富士川は国鉄時代に廃止。
- 佐久間レールパークも存在せずリニア鉄道館もなかった。したがって須田コレクションもなかった。
- 観光列車なんかあり得ない。
- JR東海は現実以上に趣味面でつまらなくなっていた。
- 後期国鉄型車両が東海に集中するためJR西日本・JR東日本のキハ58系・165系の全廃が遅れていた。
- 国鉄型機関車・客車の減少も現実より遅れていた。
JR四国
ICカードが自社オリジナルだったら
JR四国のICカードは当初、自社オリジナルのものを検討していましたが、導入が先送りされた状態が続き、結局はSHIKOKU ICOCAの導入に至りました。
- 子供用と定期券も設定されていた。
- 四国の私鉄各社と相互利用できるようになっていた。
- 高知、松山地区にも導入されていた。
- 会社規模が小さいので全線で導入されそう。
- ネーミングはSHIKOCAになるのだろうか。
- JR四国バスにも導入されていた。
- これにより、JRバスの路線バスの中でICカードがないのはJRバス東北だけになっていた。
- 現実で、JR四国バスの大栃線でですかが使えるため、独自仕様も含めればそうですが。
- これにより、JRバスの路線バスの中でICカードがないのはJRバス東北だけになっていた。
- それでも一応全国利用可能にはなっている。
- はやかけん同様、全国利用カードでありながら他地域での知名度が非常に低かった。
2両編成以上のワンマン運転を認めていたら
現在ワンマン運転を行う場合は1両単行のみで2両編成で行う場合は2両目の車両は回送扱いで乗車できません。
- ワンマン運転を行う列車が増えていた。
- ワンマン運転を行う特急が存在していた。
- 特に県庁所在地を結んでいなかったり、途中で分割・併合を行わない列車。
車両形式が他のJR各社と同じだったら
JR四国の車両形式はJR発足後に登場した形式は他のJR各社とは異なり、4桁の数字を採用していますが、もし、他のJR各社と同じだったら?
- 2000系はキハ187系として登場していた。
- 史実のキハ187系はキハ189系、キハ189系はキハ171系あたりになっていた。
- 7000系は125系として登場していた。
- 史実の125系は127系か131系として登場していたのだろうか。
- 8000系は383系として登場していた。
- 史実の383系は385系となっていた。
- 5000系は223系の番台区分で済ませていた。
- 7000番代あたりになっていた。
- むしろこっちが6000番台を名乗り、史実の6000番台が7000番台を名乗っていた。
- 5100形はクロハ223形となっていたが、他の223系にグリーン車はないので0番台を名乗っていた。
- 7000番代あたりになっていた。
- 6000系は219系として登場していた。
- 1000系はキハ131系あたりになっていた。
- 121系の車両リニューアルに際しては7200系への改番はなく、番台区分で済ませていた。
- 8600系は387系として登場していた。
- 2600系はキハ287系として登場していた。
JR九州
特急列車至上主義でなかったら
- 鹿児島本線のきらめき同等の停車駅の特別快速があった。
- 小倉-博多-大牟田を30分間隔(快速と合わせて15分間隔)、最高速度130km/hで運転。小倉-博多は48分、博多-大牟田は49分で結び、西鉄高速バスや西鉄天神大牟田線特急とデッドヒートを繰り返していた。
- 快速の停車駅も史実よりもっと少なく、ましてや準快速などは運行されなかった。
- 特別快速ではなく関西や中京圏と同じく新快速だったかも。
- 半数は熊本発着になっていた。
- 西鉄も関西や中京の私鉄と同様に、JRの攻勢には勝てず防戦一方に立たされていた。天神大牟田線特急の停車駅はさらに増加し、日中時間帯の急行は特急に統合される形で廃止されていた。
- JR九州の一般車は2010年代以降も転換クロスシートを維持し、811系のリニューアルもロングシートではなく転換クロスシートのままで実施されていた。
- 821系も車端部以外は転換クロスシートで製造されていた。
- 小倉-博多-大牟田を30分間隔(快速と合わせて15分間隔)、最高速度130km/hで運転。小倉-博多は48分、博多-大牟田は49分で結び、西鉄高速バスや西鉄天神大牟田線特急とデッドヒートを繰り返していた。
- 佐伯 - 延岡完結に限り、特急列車に乗車券のみまたは青春18きっぷ、九州満喫きっぷのみで乗車できた。
- 観光列車はなかった。
- ななつ星もなく、四季島や瑞風も存在しなかった。
- 観光列車はむしろ快速として運行されている。
- 2枚きっぷやネットきっぷなどの格安でパフォーマンスはなかった。
- 株式上場は果たせていない。
- 宮崎空港線と佐世保線の早岐~佐世保間の特急列車の自由席に乗車券のみまたは青春18きっぷ・旅名人の九州満喫きっぷのみで乗れる特例で、特例区間外に乗りこした場合の扱いも大きく変わっていた。
- 他のJRと同様に、特例区間外への乗り越しは全区間の乗車券・特急券も要することになっていた。
- =「もしJR九州で石井幸孝初代社長の路線が2代目以降も継承されていたら」
- 経営体質が東日本並みにあったらこうなっていた。
経営体質が◯◯と同じだったら
JR東日本
- 福岡地区ではほぼ現実と変わらない。
- 株式上場は史実と変わらず。
- キハ125やキハ220は登場時からトイレを設置していた。
- 史実ほど特急誘導体質にはなっていない。
- 観光列車はリーズナブルなものでせいぜい快速クラスだった。
- 日豊本線の大分・宮崎県境間を直通運転する普通列車はある程度堅持されていた。
- 2018年に大規模な本数削減が行われることはなかった。
- ICカードは福岡地区程度に留まっていた。
JR東海
- 特急よりも新幹線に力を入れていた。
- 「有明」は九州新幹線開業後も並行運行することなく廃止されていた。
- 「川内エクスプレス」はなかった。
- 新幹線に注力している以上、空港連絡にも消極的であり、宮崎空港線は開業しなかった。
- 通勤特急級の列車はライナー列車のままだった。
- 観光列車には消極的だった。
- その結果一部ローカル線は利用者がいなくなって廃止されているかも…
- 車両もJR発足後のままであり、無個性だった。
ドーンデザイン研究所に車両デザインを依頼しなかったら
- 発足当初から水戸岡氏にデザインを依頼していますがではもし水戸岡氏にデザインを依頼しなかったら?
- 水戸岡氏は建築デザインで有名になっていた。鉄道ファンにとっては全く無縁の人だった。
- JR九州の車両はJR西日本流のデザイン路線になっていた。
- 787系・883系・885系・ゆふいんの森も登場していない。783系ハイパーサルーンも地味なデザインだった。
- 九州新幹線の初代車両も800系ではなく700系の新区分番台だった。
JR貨物
現在でも車両の動きを鉄道雑誌に公表していたら
JR貨物は2010年以降、所属車両の新製・廃車・転属などのといった車両の動きを公表しなくなりました(ただし例外的に貨物時刻表へは機関車配置表を掲載しています)。もし、現在でも公表していたら?
- 機関車ならともかく、現在でも貨車の両数や形式消滅を特定することができていた。
- 研究者を泣かせることもなかった。
- Wikipediaでは貨物時刻表だけの出典に頼り切ることもなかった。
- 一次資料扱いされることもなかった。
- 他のJR各社と同様、4月現在のデータを公表していた。
- JR全車両ハンドブックは現在でも発売されていた。