もしあのテレビ局が違う系列局だったら/沖縄
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NHKに移行していたら
本土復帰前、NHKは地元民間放送3社との協力で、豊見城村(現市)高安に沖縄放送協会(OHK)を設立し、それがNHK沖縄放送局となりましたが、それ以前に民間放送を買収する計画があったそうです。
これ以前にも、戦後ラジオ放送を開始した琉球放送局が、NHK移行を何度か画策していましたが、アメリカ軍の時の権力により現在の琉球放送となりました。
いずれのケースにも共通
- デジタル化まではVHFはハイチャンネル専用アンテナのみが沖縄に普及(教育が1~3に開局したとき除く)。
琉球放送
全般
- NHK琉球放送局か、復帰後に那覇放送局に名称がかわっていた。
- 「琉球放送局」では変なので後者でしょう。
- 第1放送は738kHz(または747kHz)、
- コールサインのJORRは今も空白。
- あるいはラジオ沖縄に付与。
- 送信所は豊見城市嘉数534(現実の琉球放送)。
- 那覇大綱挽は国道58号局舎前開催ではなくなっている。
- 1978.79年は奥武山陸上競技場で開催されたため、陸上競技場開催が定着
- あるいはパレット久茂地前。
- 1978.79年は奥武山陸上競技場で開催されたため、陸上競技場開催が定着
- 琉球朝日放送という名前のANN系は存在しない。
- 開局していたとしても、琉球放送会館とは別の場所に本社が建てられていた。
草創期
- 放送局は最初現在の首里城(当時琉球大学構内)、テレビ開局(1960年代初期と推定)と同時に首里内の別の場所(戦前の沖縄放送局の場所は琉球政府道(現県道)から外れているためなさそう)。最後に那覇市内へ。
- 民放の開局がかなり遅れた。
- 極東放送がのち社名を変更し、メインになっていたかも。
- もちろん県民は受信料制度にも抵抗しない。ただし、近年は不払いの増加に悩む。
- 放送開始は復帰前と地元出身局長時代はかぎやで風(結婚式などに踊る曲)。
- テレビ開局時に自立式鉄塔が建設された。
復帰直前
- 放送局所在地は那覇市久茂地2-3-1
- 第2放送は英語放送を引き継ぐ形で882kHz。
- テレビのチャンネルが総合は10ch。
- 局舎を上にではなく横に増築していたかも。
- 復帰後、JNN系新規開局。テレビユー那覇とかになったかも。
- あるいは琉球新報と毎日新聞の関係から沖縄テレビがJNN系に回った可能性も。
- その場合、フジ系列が本土復帰数年後に開局、テレ朝系(現実のQAB)はフジ系列局と1局2波。日テレ?何それおいしいの?
- あるいは琉球新報と毎日新聞の関係から沖縄テレビがJNN系に回った可能性も。
- ラジオ沖縄はJRNとNRNのクロスネットで、周波数を低い周波数へ変更。
- 沖縄タイムスとの関係を維持しながら表向きは中立。場合によっては沖縄タイムスがかなり早期によそへ移転したかもしれない。
- もちろん出戻りなどせず、津波予想を新聞掲載してNHKが被災する恐れなどと書く。
- 放送開始は滝落し、放送終了はなんた浜。NHKからクレームつくまで変えない。
- ついでにRBCソングの替え歌、NHK琉球ソングなる、受信料を払おうキャンペーンソングまで作ってしまう
- 「かつて『琉球放送』であった名残」と説明されている。
- 日本テレビ系、テレビ朝日系開局時に嘉数に総合電波塔建設。1つの電波塔からNHK5波(ラジオ第1・第2も)・民放テレビ4波発射。
- 下手すりゃラジオ沖縄とFM沖縄まで。
沖縄テレビ・ラジオ沖縄
- 大東諸島でも視聴可能。
- 琉球新報は琉球放送と提携していた。
- しばらくの間、テレビは那覇市久米、ラジオは那覇市泉崎の分離経営。のち統合(どちらかの局舎か現在の沖縄テレビの場所に移転)
- 周波数は第1放送が783kHzか774kHz、テレビ(アナログ)チャンネルが総合8ch。
- 774kHzを使用なら、同一周波数を使用するNHK秋田放送局ラジオ第2放送の送信所が1971年3月31日に移転・増力の際に、どちらかの送信所で、混信対策を講じられる。
- JOOF,JOXRのコールサインは今でも空白。
- 久米統合の場合ワシントンホテルが別の場所に建ち、泉崎統合の場合はマンションが建たなかった。いずれの場合も老朽化後移転を余儀なくされた後再開発。
- RBC-iラジオはJRNとNRNのクロスネットに、周波数も変更を余儀なくされるかも。
- 復帰後、FNN系新局が開局。
- ステーションネームは『沖縄でいごテレビ』になっていたか・・・・・・。
- 送信所は那覇市首里崎山町にあったが、首里城復元に伴い景観問題で1990年代末に弁ヶ岳近くへ移転。
- 送信所の位置関係から、那覇市識名に識名中継局が開設。
- 1985年6月の送信施設1本化は不可能で、アナログ終了まで、那覇市中心部は嘉数向けと崎山向けでVHFアンテナが2本必要だった。
- 極東放送はFMに転換せずにすんだ。
- ひょっとしたら、ラジオ・テレビ兼営局になってたかも(テレビの系列はおそらくNNN)。
RBCがFNS、OTVがJNN
史実ではRBCがTBS系に、OTVがフジテレビ系にそれぞれなったが、仮にそれが逆だったら?
RBCサイド
- 「24時間テレビ 愛は地球を救う」に参加していた。
- 「高校生クイズ・沖縄大会」の主催もRBCだった。
- 開局はもちろん1959年3月で、沖縄初の日本語テレビ局となる。
- 現天皇・皇后両陛下のご成婚パレードを中継する。
- 具志頭得助氏は引き続き役員になる。
- 反具志頭派が琉球新報と組んでOTVを設立することになる。
- 産経支局はタイムス内に置かれた
- それでもタイムスの極左論調は変わらず。
- 流石に対立してる新聞社の社内に置く事は無いでしょ。タイムスが保守だったなら別だが。
- 史実ではやはり論調的に対立している琉球新報に置かれている。
- 流石に対立してる新聞社の社内に置く事は無いでしょ。タイムスが保守だったなら別だが。
- それでもタイムスの極左論調は変わらず。
- 史実の福島のような経緯をたどった可能性がある。
- 社風は現実どおり派手になる。
- ただし以下のとおり1980年代までは地味
- 1980年代までは苦しみ、ラジオをテレビで放送する自主制作をやったり、日本テレビ系番組を増やしたりして何とか経営を維持してきた。久茂地本社の増改築も史実の1980年より4~5年は遅れた。今はネット番組も自主制作も他局を寄せ付けぬトップに。
- このため、2006年には沖縄タイムスを追うように久茂地から日銀新那覇支店の場所に移転した。
- 個人的には現実の天久りうぼう楽市へ移転させたい。
- このため、2006年には沖縄タイムスを追うように久茂地から日銀新那覇支店の場所に移転した。
OTVサイド
- 「キューピー3分クッキング(CBC版)」をネットしていた。
- 毎日新聞色が強かった。
- ビデオ問題に琉球新報が怒りをあらわにして、南西未開局の場合は日本テレビ系へネットチェンジした可能性もある。
RBCかOTVがNNN
両局に共通すること
- 沖縄県が日本テレビ系空白区になることはなかった。
- TBS系orフジテレビ系空白区になっていただろう。
- 南西に相当する局はTBS,フジどっちの系列に所属しても琉球新報系列のまま。
- テレビ朝日系列の場合だけ沖縄タイムス系となるが、そもそも地名+朝日+放送orテレビが原則なので南西放送という社名のANN系はまずない。
- 具志頭氏(前出)と日本テレビの交渉が成立、1959年に琉球初の日本語テレビ局としてどちらかが開局。
RBCがNNN
- 「24時間テレビ 愛は地球を救う」に参加していた。
- 「高校生クイズ・沖縄大会」の主催もRBCだった(ここまではRBCがフジテレビ系、OTVがTBS系となっていた場合と同じ)。
- 3分クッキングはNTV版をネットしていた。
- TBS系の番組は、RBCとOTVで番販ネット。
- 南西放送は(開局していた場合)、TBS系となっていた。
- RBCとOTVでの番販ネットは、南西放送開局時に打ち切り。
- 多分琉球朝日放送という名称のテレビ朝日系が誕生しない。
- 沖縄タイムスに国場組や一部財界が朝日新聞と手を組んで設立する。
- 社屋正面は凸凹のまま
- 具志頭氏(前出)がフジテレビと交渉前に日本テレビ系と交渉、日本テレビが領土返還前の琉球進出に合意し、RBCもその役員を残留させネットワークに加入したという可能性がある。
- この場合1970年代まで日本テレビ系の完全同時ネットが実現しなかった。
- もうひとつの可能性はRKBがNNNもしくはTNCがNNNのままで、そのまま九州の第1局(とりわけ鹿児島)がNNNとなったとき。
- 読売支局は沖縄タイムス本社に置かれた。
- 朝日支局はそのまま。
- 琉球朝日放送開局は微妙。
- 日本テレビ黄金時代にあたったため。
- 『パナソニックドラマシアター』は日曜22時半にネット。
OTVがNNN
- フジテレビ系の番組は、RBCとOTVで番販ネット。
- 南西放送は(開局していた場合)、フジテレビ系となっていた。
- RBCとOTVでの番販ネットは、南西放送開局時に打ち切り(これは、TBS系がフジテレビ系となる点以外はRBCが日本テレビ系だった場合と同じ)。
- 具志頭氏は史実どおりRBC追放、琉球新報が開局にかかわる。
- 「秘密のケンミンSHOW」で当番組の1コーナー「辞令は突然に~奥様はさすらいの女子アナ編~」に登場するのは当局アナウンサーと番組。実史上は「ケンミンshow」の「辞令は突然に…」に琉球放送の番組・アナウンサーが登場した。
RBCがANN
- 現実どおりJNNだったが、松本サリン事件当時にTBSビデオ問題が発覚、ネットチェンジ。
- ネットチェンジは1995年4月改編。
- ネットチェンジ後もTBS系の一部番組はRBCで放送、OTVにもまわされる。
- もちろん琉球朝日放送は開局しない。
- 代替のTBS系列もビデオ事件のことが忘れ去られるまで開局できない。
- 南西放送が開局できたか、最悪電波割り当ては2つとも削除。
- 開局できた場合、TBS系番組は3局で共有。
- 割り当て削除だとVHF2局のみ体制が21世紀も続くので、地上デジタル化はUHFアンテナの普及からはじめなければならず、県内の完了率は最悪。
- 編成は宮崎よりましか?
- 当然RBC社屋正面は凸(略)
- OTVの三冠は近年危うい。
- 南西があってもなくても、今でも互角以上の勝負。
- 筑紫哲也ニュース23は1995年3月で終了、4月からテレビ朝日系で「こちらデスク21」がスタート。
- 筑紫氏は現在も健在の可能性がある。
もしあの放送局が… | |
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○○だったら | 北海道・東北/関東/キー局/甲信越・北陸 東海/近畿/中国・四国/九州 親会社(関東)/ラジオ局 |
違う系列局だったら | 北海道/東北/甲信越/北陸/東海/中国・四国/九州/沖縄 |
開局していたら | テレビ/ラジオ |
開局していなかったら | テレビ(FNS/ANN/TXN)/ラジオ |
ネットワーク関連 | キー局が在阪局だったら/独立局のままだったら クロスネットを禁じていたら ラジオネットが新設されたら/ラジオネットが新設されたら |
その他 | 社名・愛称・略称が変わっていなかったら/合併していたら 免許取り消しになっていたら/放送対象地域が広域圏だったら テレビ放送を開始していなかったら/同一企業だったら ラテ兼営局だったら/ラテ兼営局が分社化したら 免許が一本化されていたら/免許が一本されていなかったら |