もしあの選手の守備位置が○○だったら
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あの選手が野手に転向しなかったら
プロ野球界には高校時代は投手で、プロ入り後に野手に転向して大活躍、というケースがよくあります。もし、あの選手が野手に転向しなかったら?
- 項目の追加は五十音順にお願いします。
愛甲猛
- 中日へのトレードはなかったかも?
- 横浜からオファーがあったかもしれない。
石井琢朗
- そこまで活躍できなかった。
- 現役最後のドラフト外は木村拓也か?
- 努力次第では三浦と並ぶ横浜の大投手になれたかもしれない。
- 登録名は本名の石井忠徳のまま。
- 古木に「石井豚朗」と呼ばれることはなかった。
イチロー
- 年間13,4勝くらいの投手にはなる。
- あれだけの身体能力と探究心があれば、山田久志とまではいかずとも山沖くらいの投手にはなる。
- 結局野茂に次ぐ投手メジャーリーガーになる。松井秀喜まで日本人野手は使えないというジンクスができてたかも。
- 振り子打法は存在しなかったかも。
- 日米の安打数の記録が全て吹き飛ぶ。
糸井嘉男
- 背番号が一桁に変わることはなかっただろう。
- ダルビッシュに並ぶとまではいかなくても日本ハムのエースになっていた可能性もある。
井上一樹
- 中日一筋の20年選手にはならなかっただろう。
- 名古屋テレビ放送のスポケン!の名物年末企画も無かった。
王貞治
- 当然、ホームランをはじめ打撃に関する記録は吹き飛ぶ。
- 野村克也が本塁打・打点の最高記録となる。
- それでも長嶋茂雄より評価が下に見られてしまう。
- 野村克也が本塁打・打点の最高記録となる。
- 1961年に進められていた阪急へのトレードもあっけなく成立。
- 当然、「ON」という言葉も生まれない。
- でも投手のままだったらトレード話自体出なかった可能性もある。
- 当然、「ON」という言葉も生まれない。
- 巨人の背番号1は高田・末次・堀内あたりがつけていたかも。
- 王氏の背番号は18か19あたりか?
- 空いていたので最初から1を付けていたんだよ。でも、誰かに奪われていた可能性は充分にある。
- そうなら投手として大成した場合、1番がエースナンバーになっていた可能性はありますね。
- 現に高校野球はそうなっている。
- 王氏の背番号は18か19あたりか?
- 巨人の背番号1は永久欠番にならなかった可能性もある。
- 打線が手薄になるので、川上巨人軍が大物助っ人を獲得したと思う。
- あまり活躍できないまま数年で引退。早実OBの伝手で小さな電気会社に就職。後に独立し、業界では知られた存在になっている(父親は貞治氏を電気技師にするのが夢だった)。
川上哲治
- 「史上初の2000安打」ではなく「史上初の200勝」を達成していた。
- ダウンスイング信仰が日本球界に蔓延することはなかった。
高井雄平
- 努力次第では石川雅規らとローテーションの一角になっていた。
- 今でも150km/h台の速球を売りにしている。
- 登録名を「雄平」に変えなかったかもしれない。
松井稼頭央
- 西武はもっと早くAクラスから陥落していた。
- 楽天・渡辺直人の横浜移籍はなかった。
宮出隆自
- ペタジーニになぞらえ「ミヤジーニ」と呼ばれることはなかった。
あの選手が野手に転向していたら
高校・大学時代投手だった選手が、打撃センスも秀でていた場合、野手に転向し成功するケースがあります。その反面、投手にこだわり、不完全燃焼に終わる場合もあります。そんな投手が野手に転向していたら、どうなっていたでしょうか?
桑田真澄
- 入団直後の場合
- クリーンナップのどこかは打ってたか。
- 95年の右肘側副靱帯断裂後の場合
- 意外と二軍の大将だったかも。
東尾修
- 入団1年目は不振に終わり、野手転向の話をコーチ持ちかけたが、黒い霧事件の影響でその話はなくなった。
- そこまで活躍できなかったかもしれない。
- 早ければ所沢移転の時期で引退していたかもしれない。
- 史実通り黒い霧事件で池永らの永久追放があった場合、西鉄→福岡野球→西武の暗黒時代は史実よりも長かった。
福山博之
- 2012年オフに野手転向の打診があったが本人が断ったため自由契約になった。
- 2018年時点でDeNAに残留している。
- 球宴出場は出来ていない可能性が。
- 身体能力を生かして二遊間のレギュラーで定着(高校時代は二塁手)。
水野雄仁
- 巨人で主軸を打っていた。
- 原の後の4番候補。
- 駒田とMK砲を組んでいた。
あの選手があの守備位置で活躍していたら
プロ野球界にはプロ入り後に他の守備位置に転向して大活躍、というケースがよくあります。もし、あの選手があの守備位置で活躍していたら?
江藤智→捕手
江藤智は超高校級捕手の名で入団後、三塁手に転向しました。
- 古田敦也とベストナイン争いを展開していた。
- 逆に西山秀二が三塁手に転向していた。
松井秀喜→三塁手
松井秀喜は三塁手として入団し外野手に転向後も三塁手再転向の話がありました。
- 原辰徳は完全に外野手に転向していた。あるいは一、二年早く引退していた。
- ジャック・ハウエルはヤクルトに残留していた。
- ルイス・サントスは巨人に入団していなかった。
- 江藤智は広島に残留していた。あるいは他球団に移籍していた。
和田一浩→○○
捕手
- 伊東勤は一、二年早く引退していた。
- 細川亨は他の球団に入団していた。
- 細川の入団は、当時捕手登録だった和田が外野に専念することを踏まえた獲得だったので。
三塁手
和田一浩は一時期三塁手として活躍していた時期もありました。
- 中村剛也は一塁手に転向していた。
小笠原道大→捕手
小笠原道大は捕手として入団後、内野手に転向しました。
- 高橋信二は早いうちから一塁手に転向していた。
- 現在も日本ハムに残留していたか中日に移籍していた。
- 日本ハム残留の場合、鶴岡慎也は控え捕手のまま。
福留孝介→遊撃手
福留孝介は遊撃手として入団後、外野手に転向しました。
- 井端弘和は三塁手に転向していた。
- そして福留のメジャー移籍後に荒木雅博が遊撃手、井端が二塁手になった。
飯田哲也→○○
捕手
入団当時は捕手でした。
- 俊足好打のキャッチャーとして活躍していた。
- 古田は入団していなかったか、入団していても数年後に他の球団にトレードされていた。
- 1990年代前半のヤクルトの外野陣はレフト秦真司、センター城友博、ライト荒井幸雄になっていた。
二塁手
1990年は二塁手のレギュラーとして活躍しましたが、翌1991年に入団したジョニー・レイが二塁手にこだわったため、飯田が外野手に転向しました。
- レイの入団が無かったかorレイが外野へのコンバートを拒否しなかったらこうなっていた。
- 土橋勝征は外野のレギュラーとして活躍していた。
- ジョニー・パリデスやレックス・ハドラーの獲得は無かった。
礒部公一→捕手
礒部公一は捕手として入団後、2001年に外野手に転向しました(但し1999年は外野手または代打として全試合出場)。
- 古久保健二は佐々木恭介監督の退任とともに引退し、バッテリーコーチか球団スタッフになっていた。
- その場合、2001年に岩隈久志と「親子バッテリー」を組む事もない。
- 2001年の優勝は史実通り?