ざんねんな内閣総理大臣事典/平成時代・令和時代

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平成元年〜平成12年

宇野宗佑

  1. 言わずと知れた「キング・オブ・ざんねん」。
  2. 女性スキャンダルで歴代最短の総理大臣となる。
    • 最短ではなく歴代4番目です。
    • 日本国憲法制定後でも羽田孜(64日)のほうが5日短い(宇野は69日)。
    • 純粋な在職日数だけなら宇野氏より短い首相もいるのだが、宇野氏はその理由がざんねんなので、ざんねんな首相の代表格として名前を挙げられることが多い。
  3. これが元で、参院選で自民党は社会党に大敗した。まさに、戦犯である。
  4. こち亀でも日暮熟睡男が「宇野首相って誰!?」とネタにされていた。
    • 1992年に日暮が登場した際、両津勘吉が「(日暮が寝ていた間)首相が竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一に変わった。」と説明しており、それについてのツッコミ?である。
      • ただしアニメでは1996年に登場したため、「細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎」の順番に変更された。
  5. 滋賀県出身であり、数少ない関西出身の首相だったのに…。
  6. 平成の首相で唯一、大卒の学歴を持っていない人物。
    • 彦根高等商業学校(今の滋賀大学の前身)を卒業後、神戸商業大学(神戸大学の前身)に進学したもののシベリア抑留の影響で卒業できずに中退してしまった。
  7. 上記の理由から、歴代最低の首相候補としてしばしば名前が挙がってしまう。
    • とはいえ東條英機や近衛文麿のように国家に甚大な害をもたらしたわけでは無いので、歴代「最悪」の首相とは呼ばれないことが殆どである。
  8. ざんねんな総理大臣の代表格として名前を挙げられがちだが、勉強熱心な人物であり首相以外であれば有能だったと擁護する意見も多い。
    • 第2次大平内閣では行政管理庁長官として特殊法人を整理しスリム化したことが評価されている。
    • 外務官僚からは「歴代外務大臣(宇野氏は竹下内閣で外相を務めていた)で一番良かった人」と言われていたそうだ。
    • また福田赳夫内閣や竹下内閣で宇野氏と一緒に仕事をした石原慎太郎も実は宇野氏に期待していたらしい。(福田内閣では宇野氏は科学技術庁長官を、石原氏は環境庁長官を務めた。また、竹下内閣では石原氏は運輸大臣だった。)

海部俊樹

  1. 愛知出身の政治家。第76・77代首相を務めた人物。
  2. 竹下登率いる経世会の傀儡政権だったと言われており、首相個人のリーダーシップは殆ど発揮されなかったと言われている。
    • ちなみに裏で操っていたのは主に小沢一郎(と金丸信)。その意味では細川護熙氏や羽田孜氏、鳩山由紀夫氏と共通する。
    • そもそも海部氏が首相になれたのはリクルート事件からまだ時間が経っていなかったのもあり、(前任の宇野宗佑もそうだが)金銭的に汚いイメージが無かったからという消去法的な理由に過ぎなかった。
      • 三木武夫の弟子だったというのもあり、本来は経世会とは対立する立場だったのだが…。
        • 海部は早稲田大学雄弁会出身だったため雄弁会の先輩・竹下と親しかった。だから海部と同じ河本派(三木派の後身)の所属ながら三木直系で経世会と対立していた鯨岡兵輔と坂本三十次は経世会が海部を自民党総裁候補として担ぎ出そうとした際海部擁立に反対して派閥領袖の河本敏夫を後継総裁とすべきだと主張した。
  3. 2009年の選挙では首相経験者であったにも関わらず落選し、高齢のため比例復活も叶わず政界を引退した。
    • まあ首相辞任から直後の選挙で落選した片山哲や菅直人氏よりはまだマシな扱いか。
  4. 首相としての評価はあまり高いとは言えない海部氏だが、文部大臣としては有能だったらしい。
  5. 国民人気は比較的高く、支持率は平均すると小泉内閣にも匹敵するほどだったが、歴史的評価はお世辞にも高いとは言い難い。
    • バブル崩壊に対処できなかったことと、湾岸戦争の時の優柔不断な態度が海部内閣の評価が低い理由。もっとも、バブルに関しては中曽根や竹下の責任も大きいと思うが。
    • 日本人に好かれるような性格だったため県知事には向いていそうな人物だったが、首相の座は海部氏には荷が重すぎた。

宮澤喜一

  • 「宮沢喜一」と書くことも。
  1. 自民党が下野(1度目)した時の首相。
  2. 政治家の中でも壊滅的に人望に乏しい人物と言われている。
    • 特に酒を飲むと暴言を吐きやすくなる。
    • 師匠で同郷(宮沢は広島出身)の池田勇人からはそれなりにかわいがられていたものの、先輩の大平正芳からは嫌われていた。
    • 田中角栄も宮沢のことを毛嫌いしており、「(宮沢は)官僚としては一流だが、政治家の器ではない」と酷評している。
      • 経歴的には決して凡庸と言えるような人物では無かったのだが、角栄や大平から嫌われまくっていたために首相になるのが遅くなってしまった。(首相就任時72歳。ちなみに同い年の角栄は54歳、中曽根は64歳)
    • 一応、小渕恵三が首相だった時には大蔵大臣として積極的財政政策を実行し「平成の高橋是清」と呼ばれるなど、有能な一面もあったんだけどね…。
  3. 東大法学部を卒業しており英語が堪能など秀才として有名だったが、同時に学歴厨としても非常に有名な人物であり、料亭で竹下登(早大卒)を侮辱して激怒させている。
    • 初対面の人に対していきなり学歴を聞くなど失礼な言動が多かった。
  4. 河野洋平(当時の内閣官房長官)が談話を発表した時の首相であったため、右寄りの方々からの評価は低い。
    • ろくな証拠も無いまま慰安婦強制連行を認めてしまったのが非常に不味かった。
      • この結果、韓国を図に乗らせてしまったと言われている。
    • ちなみに河野は宮沢と同じ宏池会所属。
  5. 通常1年以上首相を務めた人物は亡くなった後に大勲位菊花大綬章(勲章)を受勲するのだが、宮沢本人と遺族の意向で辞退した数少ない人物である。
    • ちなみに晩年は以前より人柄が温和になっていたという。
  6. 今の若い人は宮澤エマ(孫娘)のことは知っていても宮澤首相のことは知らないという人が多いと思う。
  7. 内閣総理大臣就任が宮沢りえのヘアヌード発売と重なったため、宮沢りえの親戚と勘違いされる事もあった。

細川護熙

  1. 肥後細川家の出で母方の祖父は近衛文麿。
    • 余談だが護熙氏の弟の護煇氏は母方の家系を継ぐために近衛家の養子となり、近衛忠輝に改名している。(日本赤十字社の社長を務めた人物でもある)
  2. 京都大学を受験したが、不合格となり、上智大学に進学。卒業後は朝日新聞の記者になった。
  3. 32歳の時に初めて選挙に立候補したが落選した。
  4. 2年後に参議院議員選挙に立候補し、当選し、2期務めた後、熊本県知事2期務める。
  5. 熊本県知事退任後、日本新党を結成し代表となり、結成後の参院選に当選し、13年ぶりに国政復帰。政界再編の立役者となる。
  6. 翌年、衆議院に鞍替えし、衆議院議員に初当選。選挙後の特別国会で首相に指名され、非自民政権の首班となった。
  7. 在職中、政治改革四法案やコメ輸入自由化を受け入れるなど困難な政局を乗り切ったが、佐川急便からの関係を取り上げられ、苦境に陥り、首相を辞任するに至った。
    • 「国民福祉税」構想を打ち出しで国民から総スカンを食らったのも痛かった。
    • そもそも所詮小規模政党が集まっただけの烏合の衆だったために各政党の足並みが揃わず、僅か8か月で政権を投げ出してしまう…。
      • その後羽田孜氏に引き継ぐも、こちらも2ヶ月しか続かず、結局、自民党に政権を戻すことに…。
        • もっとも、その自民党政権も首相は社会党だったが…。
      • ちなみに後の民主党政権にも、細川・羽田政権で幹部だった人が多い。
    • 唯一功績と言えるのは選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制)くらいだが、これも自分達が有利になるように導入したものだと言われている。
      • しかしそれが自らの首を締める結果になることに(自民党に有利になった)。
  8. その後、新進党に加わるが、離党。自身も60歳になったのを理由に議員を辞職した。
  9. 政界引退後に東京都知事選挙に立候補したが落選した。
    • ちなみに細川氏を応援していたのは同じく首相経験者だった小泉純一郎氏。だったにもかかわらず…。
      • 余談だが細川小泉コンビは腐女子に(ある意味)人気らしい…。
  10. 都合が悪いとすぐ地位をに投げ出すところは「祖父(近衛文麿)に似ている」と言われることが多い。
    • お父さんの細川護貞氏も息子の政界入りに反対しており、「あの性格ではいつか投げ出す」と言っていた。本当にその通りになったが。
  11. 鳩山由紀夫との共通点が結構ある。
    • どちらも祖父が首相経験者、自民党を下野させた直後の初の首相、在職日数が1年未満だったこと、反原発、安倍政権に対して批判的だったこと等。
      • しかし細川氏は首相辞任後まもなく(一旦は)政界を引退し陶芸家になったため、首相辞任後も元首相の肩書きを利用して暴れまくった鳩山氏よりはだいぶマシと評価されることも多い。
  12. 文化人としての人気は高いが、政治家としてはお世辞にも有能とは言い難かったため、バカ殿という不名誉なあだ名が付いてしまった。

羽田孜

  1. 細川内閣退陣後、連立政権で内閣総理大臣に就任するも、統一会派「改新」の結成をめぐって社会党と対立、社会党が連立から離脱することになった。
    • 結果羽田内閣は少数与党として出発せざるを得なくなってしまう。
    • おまけに永野茂門法務大臣が就任早々「南京大虐殺はでっち上げ」発言で辞任。大臣の座にあったのはわずか11日のことであった。
  2. こうした混乱から平成六年度の予算案が可決された直後に自民党が内閣不信任決議案を提出、衆議院を解散しても勝ち目がないことから総辞職を選択。
    • 結局羽田内閣は在任64日という日本国憲法下最短の内閣となってしまった。(大日本帝国憲法下を含めると3番目)
      • あの宇野宗佑よりも短い。
  3. 晩年は脳梗塞の後遺症のため政治家生活が難しくなり、2017年に82歳で亡くなった。
    • 息子の羽田雄一郎も2020年に53歳で亡くなった。

村山富市

  1. 社会党政権下で首相に就任するも、事もあろうに自民党との連立を打ち出し、社会党衰退の原因を作った。
    • 自民党との連立のために自衛隊合憲・安保条約堅持など、これまでの社会党の方針を180度転換してしまったのがまずかった。
    • そもそも議席数自体は自民党の方が多かったため、村山首相には実権がほぼ無かったとすら言われている。
  2. 不運にも在任中に阪神・淡路大震災が発生、その対応のまずさを露呈することに…。
    • もっとも、「信頼できる他人に任せただけ東日本大震災における菅直人よりはマシ」とも言われているが。
    • そもそも自衛隊の出動要請が遅れたのは兵庫県側の事情もあるし、当時はまだ法律もマトモに整備されていなかった時代だから全てを村山首相のせいにすることはできない。
  3. 村山談話は河野談話と並んで右寄りな方々からの評判が悪いらしい…。
  4. 1994年にサミットのためイタリアに行ったのだが、そこで出された飲み物を一気に飲んでしまい体調を崩してしまった。
  5. 村山内閣は誕生した経緯で言えば戦後最も闇が深い内閣と言われている。
    • あの評判がお世辞にも良いとは言えない民主党政権ですら一応は国民から期待されて誕生した(一応選挙には勝っているからね)わけだが、村山内閣は国民の希望が一切考慮されず、単に自民党が政権に復帰したいからという理由で社会党と馴れ合い誕生した政権である。
      • とはいえ村山氏は社会党の中ではまだ良心的(考え方が比較的現実的)な人物ではあったから、他の人物(土井たか子など)が首相にならなかったのだけは不幸中の幸いか。
  6. 政治家としての評価はともかく、人柄だけで言えば歴代宰相の中でもトップクラスに素晴らしかったらしい。
    • 他人の意見に耳を傾ける性格であり、連立を組んだ自民党のメンバーだけで無く、アメリカのビル・クリントン大統領とも親しかった。
      • ただし小沢一郎氏との関係だけはあまり良いとは言えなかった。(村山内閣が誕生した際に社会党・新党さきがけ以外の細川・羽田内閣の与党が下野してしまったため)
    • 少なくとも学歴厨の宮沢喜一氏や、イラ菅と呼ばれた菅直人氏よりは人望はあったと言われている。

橋本龍太郎

  1. 昭和2桁生まれで初入閣、その後も党や政権の重要なポストを歴任し1996年に内閣総理大臣に就任。
  2. 就任後は行政・財政構造・経済構造・金融システム・社会保障構造・教育の六大改革に取り組んだが…。
    • 在任中に消費税の引き上げ(3%→5%)を実施したのが痛かった。
      • 増税の影響で北海道拓殖銀行や山一證券が破綻、慌てて財政再建路線を転換したが参院選の惨敗の責任を取って総辞職。
        • もっとも増税自体は村山内閣で決まっていたことだが…。
      • この人と小泉純一郎が失われた30年を引き起こし、日本がアジアのトップから引きずり降ろされた。
  3. 政界随一の政策通として知られていたが、一方で記者が分からないことを聞くと必ず嫌味っぽく返答したと言われている。
    • 竹下登は「怒る、威張る、拗ねるが橋本になければ、アイツはとっくの昔に総理になっていた」と評した。
    • 政界で唯一の友人といえるのは同期同学年の小渕恵三ぐらいだった。
  4. 一方で沖縄の普天間飛行場の返還に一定の道筋を付けたり、日本の総理大臣として初めて北朝鮮の拉致事件について答弁で発言したりするなど、ある程度評価できる点もある。
  5. 辞職後2001年の自民党総裁選に再出馬したが小泉純一郎に敗れ総理復帰は叶わず。
    • 晩年には闇献金事件も判明し政界を引退。その翌年の2005年に68歳で亡くなってしまった。
      • 亡くなる直前まで自身の経済政策の失敗を反省し後悔していたという…。
    • 小渕と橋本が亡くなったことによって経世会は著しく弱体化してしまった。
  6. 経済政策は弱肉強食的、外交面は中国寄りだったため亡くなった今でも嫌っている人が多い。

小渕恵三

  1. 中選挙区時代は福田赳夫や中曽根康弘と同じ旧群馬3区から出馬していたが、この2人が大物だったために小渕氏の得票数は常に少なく、いつもギリギリで当選する形だった。
    • また、福田と中曽根は有権者に対してご馳走を振る舞い、(福田は懐石料理を、中曽根はお洒落な西洋料理を振る舞ったため)それぞれ福田料亭、中曽根レストランと呼ばれたが、小渕氏はどうしても資金力が弱く、おにぎり程度しか出せなかった。
      • ちなみに小渕飯場と呼ばれた。
    • ちなみに群馬であまり人気が無かったのは、小渕氏が自民党総裁選で同郷の福田ではなく、小渕氏の派閥の師匠だった田中角栄に投票したためとも言われている。
  2. 中学生の頃に生まれ育った群馬から東京に引っ越したが、編入した学習院中等科では周りが名家の子息ばかりだったことから学校に馴染めず、孤立していたらしい。
    • ちなみにあだ名は「群馬」。
  3. 1998年に同じ派閥の橋本龍太郎氏の後継として首相に就任するが、ライバルの小沢一郎氏が率いる自由党との足並みが揃わずストレスが溜まり、さらに元々心臓に持病があったのもあって脳梗塞を引き起こし、辞任後に亡くなってしまった。
    • ちなみに同じ派閥の青木幹雄氏が首相臨時代理を務めている。
    • 戦後の首相の中では最も若い62歳で亡くなった。
  4. 周辺事態法や通信傍受法、国歌・国旗法、男女共同参画社会基本法、沖縄サミットなどの功績があり平成ではかなりマシな首相だったという評価がある一方で、赤字国債を増やしたことや労働者派遣法の改悪など批判されている面も多い。
    • また、創価学会を母体とした公明党と連立を組んだのも小渕内閣からであり、保守派の方々からの批判は少なくない。
    • 今でこそ名宰相と言われているが、もし今もご存命だった場合、史実ほど持ち上げられていたかどうかは正直微妙。
  5. 首相というより、竹下登内閣で官房長官(平成おじさん)を務めていた印象の方が強いかもしれない。
  6. この人が亡くなってから経世会が著しく弱体化してしまった印象がある。
    • 小渕氏の後継の首相として清和会の森喜朗氏が選ばれ、さらにその後継の小泉純一郎氏によって経世会は壊滅させられてしまった。
      • ちなみに小渕氏は「凡人」というあだ名が付いていたが、小泉氏自身は「小渕氏は凡人では無い」と言っており良きライバルとして見ていたようだ。
  7. 濃い味が大好きで、どんな料理にも醤油やソースなどをかけまくっていた。
    • 脳卒中になってしまったのもこれが原因と言われている。

森喜朗

  1. 小渕氏の後継として就任した首相だが、失言が多かったためにイマイチ人気が無い。
    • 後継が小泉氏だったのも森氏の人気・評価を下げる要因となっている。
  2. 一応、失言が多いことを除けば人望自体はあり、調整役としてはそこそこ有能らしい。
  3. 失言が多いという点は麻生氏と似ているが、ユーモアのあった麻生氏と異なり他人を見下すような発言が多かったことから好感度はさらに低い。

平成13年〜令和元年

小泉純一郎

  1. 神奈川出身の政治家。第87・88・89代内閣総理大臣を務めた人物。
  2. 当時としては平成最長の政権を築いたが、その功績は疑問視されており、郵政民営化などの新自由主義的な経済政策は批判的な意見も多い。
    • 北朝鮮の拉致被害者を取り戻したことを評価する意見もあるが、今ではむしろ官房長官だった安倍晋三氏の功績と言われている。
    • 様々な規制緩和はバス事故の増加などに繋がり、非正規雇用を拡大するなどして国民の貧困化を招いた。「小泉不況」という言葉もあるくらい。
      • 結局は「口ばかりで功績がない」とさえ言われてしまった。
      • それまでは先進国の中でダントツで格差が小さい国だった日本だが、小泉改革によってアメリカイギリスより少しマシ程度の格差社会になってしまった。
        • 結局は日本の国力を落とすことになってしまった。
    • 中曽根氏とともに日本に新自由主義を広めた首相と言われている。よりによって2人とも関東出身…。
      • 関西が年々衰退しているのと関係あるのかも。
        • あまり関係ない。群馬でも中曽根氏が嫌いな人はいるし、神奈川でも小泉氏が嫌いな人はいる。
    • 唯一の成果と言えば省庁再編によるスリム化か?あと在任中に消費税を上げなかったこともある程度評価できる。
  3. 郵政民営化に関しては保守派の方々から猛烈に批判されてはいたものの、「靖国神社に毎年参拝することで保守派を黙らせた」と言われている。
    • 靖国を政治利用した人物として批判の声も多い。
    • 郵政民営化はサービス低下や非正規雇用の拡大による労働環境の悪化にも繋がっている。
  4. 自慢だった平成最長政権の記録も2017年に安倍氏に抜かれた。
    • 小泉氏が唯一勝っているのは支持率の高さくらいか。
  5. 実は逮捕歴がある。
    • 大学生の頃、婦女暴行事件を起こして逮捕されている。
  6. 離婚歴がある。そしてそれ以降、結婚していない。
    • ちなみに元妻は宮本佳代子氏。エスエス製薬の会長の孫娘である。
    • 子供は俳優の小泉孝太郎氏と政治家の小泉進次郎氏の他、そして宮本佳長氏がいる。
      • 宮本佳長氏は離婚した元妻に引き取られたが、皮肉にも孝太郎・進次郎よりも小泉元総理に近い顔をしている。
  7. この人が天下を獲ってから日本が徐々に右傾化していったと言われている。
    • 個人情報保護法の施行など秘密主義化も進んでいった。
    • 社会党をはじめ野党の弱体化も進んだように思う。
  8. 実は2008年大阪五輪招致の時の首相だったが、それに関してはビデオメッセージを送っただけだった。そして案の定最下位で落選…。
  9. この人の滅茶苦茶な改革が、後に自民党が下野する遠因になったとも言われている。
    • 安倍、福田、麻生の各氏が苦戦したのも小泉改革のせいと言われている。
    • だが自民党が下野した2009年の総選挙では息子の進次郎氏に地盤を譲り、本人は引退している。

安倍晋三

  1. 歴代最長政権を築いた人物だが、熱狂的な支持者とその真逆の猛烈なアンチがおり、評価が二分されている。
  2. 出身地が山口説と東京説があり、安定しない。
    • 岩手の豪族の子孫」を自称したこともあった。
  3. 子供がいない。
    • 誰かさんに「種無しスイカ」と言われてしまった。
  4. 2022年7月に奈良市の近鉄大和西大寺駅前で何者かに銃撃され、殺害されてしまった。首相経験者の殺害は戦後初めて。
    • 同年9月には国葬が行われることになったが、それには賛否が分かれた。
    • それが引き金になって政界と統一教会の癒着が芋づる式に出てきた。
  5. 時々、安倍氏の持病を茶化してくる本当にざんねんな人がいる。
    • だがそういう人は他の潰瘍性大腸炎の患者さん達のことも差別しているということに気付いていない。
  6. 第一次政権の頃はバリバリの保守政治家だったが、再登板後は二階俊博氏や菅義偉氏などの影響を受けて左傾化していったと言われている。
    • とはいえ日本共産党のようなガチ左翼では無いが。
    • 逆に言えば好意的に捉えるならばバランス感覚を持つようになった、とも言える。
  7. 「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎた」と発言し、保守派の方々を失望させてしまった。
  8. 一部の人から戦犯の孫と言われてしまっている。
  9. 外交面では歴代でもトップクラスの実績を持つが、反面、国内政策(主に経済)においては外交ほどは実績を残せなかったと言われている。
    • 目玉だったアベノミクスも成功したかと聞かれると正直微妙。
    • とはいえ国民があまり協力的では無かったから成功しなかった、とも言えるので多少は同情もできるわけだが…。

福田康夫

  1. 前の人や次の人に比べて親中派だと思われているため、右寄りな方々からの評判はあまり良くない。流石に民主党政権よりはナンボかマシだったとは思うけど。
    • ただこれに関しては福田氏が首相を務めていた頃がちょうど北京オリンピックと重なっていたため、中国に対して強気の態度をとれなかったという同情論もある。
  2. 渾名は「チンパンジー」「のび太くん」など。
    • あと「亜内(武文)検事」とか。
  3. 元々政治家になる気はなく石油会社で働いていたが、給料の安さを理由に政界に転職し、父親・福田赳夫の秘書として働いた。
    • ちなみに赳夫曰く「康夫は政治家に向かない」とのこと。
  4. 総理大臣としてはパッとしない評価の福田氏だが、小泉内閣の官房長官としては優秀だったという評価も多い。
  5. 2012年に自民党が与党に復帰した際には安倍晋三氏や麻生太郎氏などと異なり、表舞台に立たず息子の福田達夫氏に譲った。
    • もっともこれは安倍氏や麻生氏に比べて高齢だったってのもあるが。
  6. 前後の人たちがマスコミに叩かれまくったのは有名な話だが、実は福田氏もマスコミの餌食になっていた。
    • 首相を辞任する時の会見では福田氏に対して失礼な質問をした記者に対して「あなたと違うんです!」という名言を残している。

麻生太郎

  1. 九州の炭鉱王の麻生家をルーツに持ち、祖父は戦後首相となった吉田茂。
  2. 1976年のモントリオール五輪でクレー射撃の日本代表にも選ばれた。
  3. 育ちのせいか「庶民生活を知らない」「浮世離れしている」と言われる。
    • 首相在任中、国会でカップラーメン1個の値段を聞かれ、「400円」と答えてしまった。
    • 政財界の要人との会合は高級ホテルのレストランやバーなどが多く、「庶民感覚からかけ離れている」と非難された。
  4. 「漢字が読めない」と批判を浴びる。
    • 「踏襲」を「ふしゅう」、「未曾有」を「みぞうゆう」と読んだ。
  5. 失言が多い。
    • 米価に関する問題で「アルツハイマーの人でも分かる」と発言した。
    • 全国知事会議で「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言。日本医師会が発言に抗議した。
    • 憲法議論では「ナチスに学んだらどうか」と発言し、物議を醸した。
    • 「北海道のコメが美味しくなったのは温暖化のおかげ」と言ってしまい、野党などから批判を浴びた。
  6. この人との共通点が多いと言われている。
    • 自民党が下野した時の首相、宏池会に所属している、経済政策がハト派、英語が得意、など。
      • もっとも、人望は麻生氏の方がありそうだが…。
      • ただ外交政策は結構違う。(宮澤氏はハト派だが麻生氏はタカ派)

鳩山由紀夫

  1. 後継の菅直人氏と共に、理系政治家のイメージを著しく損ねてしまった人物と言われている。
  2. 「Trust Me!!」
  3. お母さん (ブリジストン創業家の娘) から毎月1億円のお小遣いをもらっていると言われている。
  4. 中韓から「こいつだけは日本の総理でまとも」と思われている。
  5. こんな彼であるが、東大出のエリートである。
    • 強いて言うならば、人間性や能力は必ずしも学歴とは比例しないということだろうか。それでも高学歴になるに越したことは無いけどね。
  6. 2015年、韓国・ソウルにある日本統治時代の刑務所跡地を訪ね土下座。期待を裏切らない友愛っぷりを見せた。
    • 「鳩山由紀夫クソコラグランプリ」で散々ネタにされてしまった…。
  7. 子供が選ぶ「こんな大人になりたくない」という有名人ランキングで1位になったことがある。
  8. あまり知られていないが、徴兵制推進派である。
    • さらに言えば近衛内閣の大東亜共栄圏構想を彷彿させる、東アジア共同体構想を提案していた人物でもある。ある意味、自民党より右翼的な人物。
  9. 小渕元首相が亡くなった際は、本来は野党第一党の党首が追悼演説を行うのだが、当時民主党代表だった鳩山氏は小渕氏の遺族から嫌われていたため、代わりに社民党の村山元首相が行うことに…。
  10. 「日本列島は日本人だけのものじゃない」と発言し、物議を醸したことがある。

菅直人

  1. 年金未納問題で中川昭一・麻生太郎・石破茂の3人を「未納三兄弟」と揶揄するなど自民党を激しく追及していたが、後になって自分にも、それも年金の所管である厚生大臣時代に年金未払い期間が存在したことが発覚した。
  2. 民主党政権で首相に就任するも、在任中に東日本大震災が発生し、その後自民党政権への復帰を促すことに…。
    • もっとも、東日本大震災自体は数世紀に一度とも言われるほどの大災害だったのは事実であり、もし仮に他の人が首相だったとしてもマトモな対応ができたかと聞かれると疑問符が付く。だからといっても菅直人がマトモな政治家だったとは全く思わないが…。
  3. 実は「美作の菅家」の系譜に連なる(菅原道真まで家系図をさかのぼれる)人なのだが、さすがに東日本大震災での対応はご先祖に申し訳が立つものと言えない。
  4. 山口県宇部市出身だが「戦後の総理は出身選挙区でカウントする」ので山口県ではなく東京都の総理扱いされる。
    • 同字異音の苗字の方は出身は神奈川か秋田でちょっとした論争になっているのに。
    • ちなみに本籍地は山口でも東京でもなく岡山
  5. 息子の菅源太郎氏が岡山1区から出馬しているが、落選している。
    • 源太郎氏がここから出馬したのは菅氏の本籍地だから。
    • ちなみに源太郎氏は中学校では生徒会長を務めていたが、その中で政治的主張を行ったために全校生徒から嫌われ生徒会長を罷免されたらしい。
  6. 従姉と結婚したことが一部の人たちからネタにされている。
    • 昔はそういうのが結構あったらしい。
  7. 叩き上げ政治家の代表格と言われることが多い(世襲議員ではないのは事実だが…)が、菅直人氏のお父さんは有名企業の役員であり、直人氏もなかなかのボンボンである。
    • 直人氏のお爺ちゃんも医師であり郡会議員を務めていた。
    • 菅家は岡山に広い土地を持っているらしい。
    • 叩き上げと言えば異音同字の苗字の元首相の方も言われていた。
  8. 菅直人氏が応援に駆けつけた候補者は高確率で選挙で落選しており、党内でも煙たがられているのだとか…。
  9. しばしば鳩山由紀夫と並んで「戦後最低の総理大臣」の一人に名前を挙げられることが多い。それでも流石に「日本を焼け野原にした東条英機(東條英機)や近衛文麿よりはマシ」だとは思うが…。
  10. 自身のTwitterにて、維新の会の橋下徹氏のことを「ヒトラー」と揶揄し、大炎上。
    • 「スターリン」と呼ばれたいのだろうか、菅氏は…。
  11. 見た目だけは仏様のような優しそうな雰囲気を醸し出しているが、実はかなり短気な性格であり些細なことでも癇癪を起こすことから「イラ菅」と呼ばれ恐れられていた…。
  12. 一応「麻雀点数を計算できる電子計算機」という特許を持っており、政治家になどならなければもしかしたら優秀だったかもしれない、ざんねんな人物でもある。
    • あと弁理士の資格も持っている。
    • そういう意味では鳩山由紀夫氏と共通する。
  13. 2012年の選挙では首相経験者であったにも関わらず選挙区では落選、比例で復活した。
    • しかも海部俊樹氏と違って直近だったにも関わらず、だ。
    • 2017年、2021年は共産党の選挙協力もあり小選挙区で当選。
  14. 2022年の安倍晋三銃撃事件の後、衆議院での追悼演説を誰が行うか話題になる。慣例では野党第一党の党首や首相経験者が行うとして、立憲民主党の野田佳彦元首相の名前が挙がるも、野党第一党所属・現職議員・首相経験者と条件は全く同じなのに、菅氏の名前は挙がらず。
  15. 橋本内閣の厚生大臣だった頃に堺市の小学校でO157による集団食中毒事件が発生。
    • その際、証拠も無いのにカイワレ大根が原因だと決めつけたため、風評被害によって多くのカイワレ農家が倒産した。
      • その責任をとってカイワレを食べまくるパフォーマンスを行った。
    • 一応、薬害エイズ事件を解決したことが数少ない功績と言われているが…。

野田佳彦

  1. 日本の黒歴史である、ミンス党政権の最後の総理大臣。
    • ルーピー鳩山や、未納兄弟の4人目の菅直人、枝野など、ホントの意味でざんねんなヒトたち揃いのミンス党の中での数少ない良識人である。
      • 民主党の中でも非主流派で保守寄りに位置する。
    • 最大の功績は、内閣総辞職をしてミンス党政治を終わらせたこと。
  2. (本人ではなく野田内閣の方だが)淫夢ネタにされてしまった。ゲイ向けAV男優が並んでいるところがニコニコ動画に投稿されたところ、誰かが「野田内閣」と書いたためそれが定着してしまった。
    • なお、安倍内閣や菅内閣になっても、コメントは「野 田 内 閣」に変わりない。また、そこで流れた「銀の龍の背に乗って(中島みゆき)」も風評被害を受けてしまった。
      • それ以外にもドジョウを使ったプレイを行ったゲイ向けAVで「総理大臣の誕生か?」という語録が出て来るが、出典の発売時期からして語録の誕生の元凶になってしまった。
  3. 首相時代、自民党総裁(当時)・安倍晋三との党首討論で、衆議院解散を約束した事(いわゆる「近いうち解散」)はもはや伝説。
    • ただ、当時政権与党内からは「自爆テロ」「皆殺し」などと批判殺到だった。
  4. 首相時代、ダチョウ倶楽部の上島竜兵に似てるとよくネタにされた。

令和2年以降

菅義偉

  1. 生まれも育ちも秋田なのに神奈川出身の首相扱いされている。
  2. 安倍晋三が持病悪化を理由に退陣したので、次の首相が決まるまでの「ワンポイントリリーフ」と揶揄された。
    • 大平の次の善幸、小渕の次の森みたいなものか。
  3. 東京オリンピックで天皇陛下が開会宣言をされていた際に起立しなかったので、保守派の方々から厳しく批判された。
  4. 貧農の倅を自称しているが、実は義偉のお父さんはイチゴのブランド化に成功して富を築き上げた人物。そして町会議員も務めていた。
    • なお義偉のお母さんは学校教師を務めていた。(ちなみに義偉には2人のお姉さんもいたが、どちらも教師になっている)
    • ちなみに生まれ育った秋田を去ったのは農家を継ぐのも教師になるのも嫌だったから。集団就職ではなく、家出である。

岸田文雄

  1. 歴代初の開成高校出身の首相。
    • でも東大卒じゃない。
  2. 元々はハト派の人間だったのに首相になってからは安倍氏以上の強硬派になっている。
    • その安倍氏の国葬を国民の反対多数だったにも関わらず強行してしまった。
  3. 公設秘書に自分の息子を起用し炎上してしまった。

関連項目