ざんねんな日本の政治家事典

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あ行[編集 | ソースを編集]

安倍晋太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 安倍晋三元首相のお父さん。
    • 竹下登、宮澤喜一と共にニューリーダーと呼ばれたが…。
  2. 1986年に清和会のボスになるが、1991年に膵臓癌で亡くなってしまい、首相の座を逃してしまった。
    • 安竹宮で唯一首相になれなかった人物。
    • 享年67歳。皮肉にも息子の安倍晋三元首相が2022年に亡くなったのも同じく67歳である。
  3. 「バランス感覚に優れた人物」という評価がある一方で、お人好しな面はしばしば批判されていた。
  4. 1980年のハプニング解散当時は自民党三役の一角の政調会長で、内閣不信任決議の討論では本会議場にいたが、所属する福田派が「不信任決議の採決に欠席する」との方針を取ったことにより、派閥の議員二人(うち1人は森喜朗)に拉致された。それで本会議場から出されたため、政調会長でありながら決議を欠席することになった。

石破茂[編集 | ソースを編集]

  1. 国民からの人気が高く「次期総裁候補」として名前が挙げられることが多いが、一度も総裁選で勝ったことが無い。
  2. プロテスタント信徒であることを公表しているが同時に「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の正会員である。はっきりしてくれ。
  3. 平成初期・中期の頃は朝鮮半島の武力制圧さえ辞さないほどの超タカ派だった。
    • それゆえか、令和時代になってもなお高齢者層の中には極右寄りと認識している人もいる。
    • 年を取るにつれて丸くなったと言えるのだが、丸くなった後のことしか知らない(もしくは以前のことを意図的に無視している)ネット右翼からはかなり嫌われている。

市川房枝[編集 | ソースを編集]

  1. 愛知出身の女性政治家、婦人運動家。
  2. 平和主義者だったと誤解されがちだが、戦時中は「女性にも兵役義務を課すべき」と主張していた。
    • あの悪名高い東条英機ですら女性に対しては優しかったのに…。
    • そのせいで公職追放を喰らった。
    • 当時は納税だけでなく、兵役の義務が参政権と引き換えの考えだったため。
  3. かつて弟子だった菅直人氏を破門したことがある。

小沢一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 平成5年以降の日本史の政治分野を難しくした張本人。
    • 政党を新しく作っては壊し、また作っては壊しの繰り返し…。
  2. 岩手選出だったにもかかわらず、東日本大震災が発生した際には(一応盛岡市には行ったものの)被災地には全く顔を出さなかったため、地元民から見放されてしまうことに…。
    • それどころか妻や子供たちからも見放されてしまった…。
  3. 2021年(令和3年)の衆議院議員総選挙では初めて小選挙区で落選した。一応比例で復活はしたが…。
  4. 細川・羽田政権では中心的と言える人物だったが、勢力では当時最強と言われていた日本社会党からは嫌われていた。
    • 温厚な性格で知られる村山富市委員長ですら、小沢氏に対して不快感を露わにしていた。
  5. 浜田幸一著「日本をダメにした九人の政治家」で名指しされた九人のうち、最後の生き残りにして2023年現在、唯一の現役国会議員。
  6. 1991年の自民党総裁選で候補者三人(宮澤喜一、渡辺美智雄、三塚博)を呼び、三人に対し、面接を行った。
  7. 1993年6月に自民党を離党し、新生党を結成。小沢は党首に次ぐ代表幹事となったが、結党の記者会見の場に現れなかった。

小渕優子[編集 | ソースを編集]

  1. 故・小渕恵三元首相の娘。
  2. 第二次安倍改造内閣で経済産業大臣に就任するも、政治資金の問題からわずか1ヶ月で干されてしまう。
    • その後の家宅捜索では自宅のパソコンのハードディスクに穴が開けられていたことが発覚。
      • 優子氏自身が隠蔽工作を図ったという疑いからドリル優子というあだ名がついてしまった。

小泉進次郎[編集 | ソースを編集]

  1. 地方遊説では神的存在。
    • 各地の方言を勉強し、自ら原稿を作っている。物書きに書かせるあぐらをかいた政治家とは一肌も二肌も違った立派な政治家。
  2. 小泉構文
    • 「今のままではいけないと思っています。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている。」
      • これが進次郎構文の代表例であり、単に進次郎構文というとこれを指す場合が多い。元々は強調構文だったのだが、現在は自己言及やそれにより無限ループに陥ること、つまり意味の把握ができなくなるような説明文や定義を指す場合が多い。
    • 「約束は守るためにありますから、約束を守るために全力を尽くします。」
    • 「毎日でも食べたいという事は毎日でも食べているという事ではないです。」
    • 「リモートワークができてるおかげで、公務もリモートワークでできてますから、それもリモートワークのおかげですからそれも非常に良かったと思っています。」
    • 「反省しているんです。ただ、これは私の問題だと思いますが、反省しているといいながら反省している色が見えない、というご指摘は、私自身の問題だと反省している。」
    • 「プラスチックの原料って石油なんですよね。意外にこれ知られていない。」
    • 地球温暖化を止めるために温室効果ガスを2030年までに46%削減すると発表し、なぜ46%なのか聞かれた時の回答「くっきりとした姿が見えてるわけではないけど、おぼろげながら浮かんできたんです。46という数字が。」
    • 「環境問題はセクシーに」
  3. 今まで無料が当たり前だったレジ袋を全国一律有料化してしまった。

か行[編集 | ソースを編集]

加藤紘一[編集 | ソースを編集]

  1. 愛知県生まれ山形県育ちの外交官、政治家。
  2. YKKトリオの一人。
  3. 幹事長や政調会長など党の要職を務めるも「加藤の乱」により失脚。
    • 側近たちを残して一人、本会議場へ不信任案への賛成票を投じに行くと宣言した際に谷垣禎一氏から止められ涙ぐむ場面は有名。
  4. 宮澤喜一、河野洋平に並ぶ自民党内のリベラル派のため保守派からの評判は良くない。
    • このため右翼構成員に自宅を放火された。
  5. 防衛庁長官を務めた際に自衛隊幹部や防衛官僚の報告より農水官僚の報告を聞くことを優先したため「国防や安全保障よりも山形のコメの方がが大事」と批判された。

河村たかし[編集 | ソースを編集]

  1. 国会議員時代は、『(名古屋から)総理を狙う男』というキャッチフレーズで「TVタックル」を筆頭に数々の討論番組に民主党議員の代表として出演していたが、結局は総理大臣どころか民主党の代表にすらなれなかった。
    • ハッキリ言って、党内からの人気は無かったようだ。
  2. 国会議員時代より名古屋弁を使う事が多かったが、名古屋人から「あれは名古屋弁ではない」と言われてしまった事がある。
  3. 2020年の東京オリンピックで優勝した日本女子ソフトボールチームの一員で名古屋出身の後藤希友が優勝の報告のため、名古屋市役所を表敬訪問した際、市長の河村は後藤から金メダルを手渡されたが、後藤の金メダルを齧った。河村の行動は後藤が所属するトヨタから抗議が来ただけでなく、各方面から多くの批判を浴びることになった。外電でも報道され、ロイター通信は「金メダル (gold medal) を菌メダル (germ medal) に変えた」と報じた。

亀井静香[編集 | ソースを編集]

  1. 広島出身の警察官僚、政治家。
  2. 男性なのに名前のせいで女性と思われがち。
    • そして名前は静香だが態度はジャイアン(武)と言われている。
    • のちに政治家になる亀井の兄の大学の同級生が名前を聞いて妹だと思っていたが、実際に会って、弟(男)だと知ってかなり驚いたという。
  3. 保守政治家を自称している割にはキューバのチェ・ゲバラを尊敬していたり、北朝鮮による拉致問題の解決を遅らせてしまったことなどもあって厳しい評価が下されることも多い人物。
    • 東大時代は「マルクスの亀井」と呼ばれるほど精通しており、共産党出馬でないことに驚かれていた。
  4. 小泉首相の新自由主義的な政策に反対したため自民党から追放された。
  5. 官僚時代に浦和市の居酒屋でヤクザ風の男3人を叩きのめしたことがあり、店内が大騒ぎになったことがある。
    • もっとも、そのヤクザ風の男どもが近くにいた客に絡んでいたのが悪いのだが。
  6. 石原慎太郎は親友だったが一時的に仲違いしていたことがあった。
    • しかし2013年の円卓会議では共演し仲直りしている。
    • 石原が亡くなった際には深く悲しんでおり、「馬鹿野郎…!先に死にやがって…!」と言っていた。

河野洋平[編集 | ソースを編集]

  1. 自民党総裁でありながら首相になれなかった人物第1号。
    • ちなみに第2号は谷垣禎一氏。
    • 一応総裁途中で自民党は政権に復帰したものの、首相は河野ではなく社会党の村山富市が務めている。
    • 1995年の参院選後に首相就任を打診されたが、辞退したという。
  2. ハト派政治家の重鎮として宮沢喜一氏、野中広務氏などと並んで右翼の方々から厳しく批判されている。
  3. 首相になれなかった代わりに衆議院議長に就任。議長在職期間は歴代2位の2029日。尚、自民党総裁経験者で議長になったのは2022年現在、この方のみ。
  4. 筋金入りの親中・反台湾派。外遊で帰国した際、乗っていた飛行機が台風で台湾に緊急着陸した。この時他の乗客は飛行機から降りたが、河野だけは機内に留まり一歩も出なかった。後日、訪中した際、このことを中国政府の高官に「(台風の時でも)台湾の地を踏まなかった」ことを自慢したが、相手から「台風の時ぐらい(足を踏み入れても)いいじゃないですか」とあきられた。
    • そのため、名前をもじって「紅の傭兵」と揶揄されている。

さ行[編集 | ソースを編集]

桜田義孝[編集 | ソースを編集]

  1. サイバーセキュリティー政策担当大臣だったのに、パソコンに触ったことがなかった。
    • 彼の最大のサイバーセキュリティーは、全ての情報をアナログ化することでサイバーテロを起こされても奪う情報を作らないことだったらしい。

鈴木宗男[編集 | ソースを編集]

  1. 紆余曲折ありながらも、北海道の第一次・第二次産業関係者の間では強烈な権威を維持し、60代でもフルマラソン3時間50分切りができるなど非常にパワフルな政治家である。一方で……
  2. 「中川一郎の秘書・金庫番」という立ち位置での政界デビューだったが、後継者の地位は中川昭一に、秘蔵っ子のポジションは武部勤に持って行かれた。
  3. 実は「著名人と同姓同名の人を立候補させて、誤認票を拾う」手法をNHK党より先に行っている。
    • 選挙そのものを荒らす意図でないと言う意味では同党と異なる。自身が公民権停止中であった間の中継ぎにするつもりだったらしい。
  4. 「坂田利夫に激似」なことを度々いじられている。
    • 大手マスコミの著名人画像データベースでは、ジョークのつもりで「取り違え注意」の注記を付けられていたらしい。

た行[編集 | ソースを編集]

立花孝志[編集 | ソースを編集]

  1. NHKから国民を守る党の党首。
    • 一番のウリは、NHKと契約しないこと。
  2. 参議院議員に当選後、議員会館にテレビを設置し、NHKと契約してしまった。
    • そして速攻訴えられた。
    • というか元々NHKの職員だったらしい。
      • 不正経理を内部告発したところ、自分が不正経理の濡れ衣をかぶせられ依願退職に追い込まれたのがアンチNHKのきっかけだとか。
  3. 結局NHK解体も受信料にまつわるアレコレも達成できず。今はホリエモンとかマツコ・デラックスがどうこうとか言っている。
  4. スラップ訴訟などを多数起こすも連続して敗訴している。
  5. 政治家よりYouTuberに転向した方がいいのかもしれない…。
    • 事実Youtuberとしても活動している。
  6. なんぼ党名を変えれば気が済むねん

田中直紀[編集 | ソースを編集]

  1. 田中眞紀子の夫。
  2. 眞紀子が自民党を離党してから眞紀子と自民党との板挟みに苦しんだあげく夫婦一緒に民主党に入党。
  3. 自民党時代、青少年有害社会環境対策基本法案を起草したが民放テレビが特番を組むほどの猛反対を受けて提出を断念。
  4. 民主党政権時防衛大臣に就任し自民時代では叶わなかった入閣を果たしたが…。
    • 答弁で「もしもし」と言ったため、「電話じゃないんだから」と突っ込まれた。
    • 委員会の答弁では、同席する秘書官に模範解答を耳打ちさせた答弁を行い、野党議員からは「腹話術をやめろ!」と批判された。その後、委員会室からいつの間にかいなくなり、国会内を探したら、田中は委員会室を抜け出して議員食堂でコーヒーを飲んでいたところを発見された。
  5. 後任の防衛相を民間から招聘せざるを得なくなってしまった。
  6. 2016年、民進党公認候補として出馬した参院選で落選したばかりでなく法定外文書を頒布した容疑で書類送検されてしまう。
    • 公民権停止となり民進党を離党。
  7. 今や「たなかなおき」と言うとココリコの田中直樹の方を思い出す人が多い始末。

田中眞紀子[編集 | ソースを編集]

  1. ご存じ、田中角栄の娘。
  2. 父・角栄同様、演説の名人であったが…
    • その発言で問題になったことも数知れず。
      • 有名なのは、急死した小渕恵三元首相に「お陀仏さん」と言ったことで、大騒動になり眞紀子が一時謹慎するまでになった「お陀仏さん事件」。
  3. 父・角栄が脳梗塞で倒れた際に、強制退院させたことがある。
    • それで秘書だった早坂茂三をクビにした。
  4. 小泉内閣で外務大臣に就任したが、外務官僚と衝突することが度々あり、外務大臣を事実上の更迭となった。
  5. その後、秘書給与問題で議員辞職した。
  6. 2004年3月に「週刊文春」が娘の離婚を報道したが、眞紀子はプライバシー侵害を理由に裁判所に出版差し止めの訴訟を起こし、一時、その訴えが認められた。

谷垣禎一[編集 | ソースを編集]

  1. 麻生太郎氏の後継として自民党総裁に就任したが、民主党政権が誕生した直後だったため首相になることができなかった。
    • この人と同じ。ちなみに宏池会所属だったのも河野氏と同じ。
    • 麻垣康三の中で唯一首相の座を逃してしまった人物。
    • 総裁就任から退任まで野党党首であった唯一の人物。
  2. サイクリングが趣味だったが2016年に自転車事故で転倒して仕事を続けるのが難しくなったため、政界引退を余儀なくされた。
  3. 衆議院議長に就任した河野洋平氏も含めた総裁経験者で唯一、三権の長に就いていない。
  4. 「加藤の乱」の時の「大将なんだから!一人で突撃なんてダメですよ!!」と加藤紘一氏を説得する場面は「40日抗争」でハマコーがバリケードを破壊する場面ほどではないがよく放映される。

土井たか子[編集 | ソースを編集]

  1. 「おたかさん」の愛称で知られる。
    • 日本初の主要政党(日本社会党)における女性党首や女性初の衆議院議長などを歴任。
    • 1989年参院選には、「マドンナ旋風」で社会党を勝利に導くが…。
  2. 旧・民主党の結党時には、鳩山兄弟のいわゆる「排除の論理」で参加を断られる。その後、社会党から改名した社会民主党の党首に。
  3. 2000年代の北朝鮮による日本人拉致問題が明らかになると、社民党は北朝鮮寄りの政策を取っていたことが批判され、社民党はここから一気に没落の道へと転げ落ちる。
    • 彼女自身も、「拉致事件はねつ造」等、北朝鮮寄りの発言をしていたことがある。
  4. 2003年の総選挙で比例復活も惨敗の責任を取って党首を辞任、2005年の総選挙で比例区で出馬も落選。
    • その後の選挙にも出馬することなく、ひっそり政界を引退した。

な行[編集 | ソースを編集]

中川一郎[編集 | ソースを編集]

  1. 石原慎太郎や浜田幸一らとタカ派集団「晴嵐会」を結成した。
  2. 1982年の自民党総裁選に立候補したが最下位の4位に終わった。
  3. 自民党総裁選に出る前、田中角栄とゴルフをした際、「鯉はハネてもいいでしょうか?」と聞いたが、田中は「ハネたらそれっきりで、日干しになるぞ!」と脅された。
  4. 総裁選に敗れて程なくして滞在先の札幌市内のホテルで自殺した。
  5. 国会議事堂の前庭で立小便をしたところを写真に撮られ、写真週刊誌の「フォーカス」に掲載されてしまった。

中川昭一[編集 | ソースを編集]

  1. ANAの一人。安倍晋三氏や麻生太郎氏と並び保守派の政治家として期待されていたが…。
  2. 酒好きの中川と呼ばれ、その弱点が露呈してしまい、一気に評判が悪化してしまった。
    • 酩酊状態での会見で世界中に恥を晒してしまった…。
      • 一応財務大臣としてはまあまあ有能だったという意見もあるが…。
  3. 民主党政権に交代した直後の2009年10月に、自宅で亡くなっているのが発見された。56歳の若さだった。
    • ちなみにお父さんの中川一郎氏も57歳で自殺してしまっている。

中川秀直[編集 | ソースを編集]

  1. こちらは女好きの中川と呼ばれている。
    • 第2次森内閣で官房長官に就任するも、愛人問題が報じられて3ヶ月で干されてしまう。
  2. 中川昭一氏とは苗字が同じってこと以外の共通点は殆ど無い。血縁関係も無い。
    • また、秀直氏はリベラル派であり、保守派の昭一氏とは対照的。

二階俊博[編集 | ソースを編集]

  1. 和歌山出身の政治家。自転車事故で入院した谷垣禎一氏の後継として自民党幹事長に就任した人物。
    • 2Fと呼ばれている。
    • 安倍政権下で日本の観光立国化を推進した人物だが…。
  2. 経世会出身者の例に漏れず中国と太いパイプを持つため、右寄りな方々からの評判はあまり良いとは言えない。

野々村竜太郎[編集 | ソースを編集]

  1. 指定席券売機で領収書をもらえることを知らなかったらしい。
    • ちなみに、JRの指定席券売機で乗車券を購入すると、領収書の必要な方はボタンを押すようアナウンスがある。
    • その前に、目的地の城崎温泉へ向かう山陰本線は当日大雨で運休だったらしい。
  2. 辞職後の取材の様子や青年期の様子を聞く限り、かなり精神的に不安定なようだ。
  3. 唐澤貴洋弁護士と並びネットのおもちゃとされた人物として有名。
  4. 前職の川西市役所でもお客さんと揉めて癇癪を起こしたとか。
  5. 発達障碍の疑いが非常に強い。

は行[編集 | ソースを編集]

鳩山邦夫[編集 | ソースを編集]

  1. 鳩山一郎の孫であり、由紀夫氏の弟でもある。
  2. 2007年に「友人の友人がアルカイダ」という発言をし、物議を醸した。
  3. 地上デジタル放送のイメージキャラクターを務めていた草なぎ剛氏がある事件を起こして逮捕された際、総務大臣だった邦夫氏は「そんな者をイメージキャラクターに選んだのは恥ずかしい」と発言し、大バッシングを受けた。
  4. 法務大臣時代、死刑執行人数が多かったため「死神」というあだ名がついた。
  5. 2016年に十二指腸潰瘍で亡くなった。享年67。
    • 兄より後に生まれたが亡くなったのは兄より先。
      • 兄曰く、「弟だが人生の先輩」らしい。ちなみに政界入りしたのも兄より先。
  6. 実は邦夫氏の方が(由紀夫氏よりも)祖父の一郎の考え方に近いらしい。

浜田幸一[編集 | ソースを編集]

  1. 「政界の暴れん坊」として、乱闘には付き物に。
    • ヤジ将軍としても有名で、「東の浜幸、西の(立川)談志」と呼ばれた。
  2. 例のラスベガス賭博事件では、すられたカジノが当時「浜幸先生のカジノ」として有名に。
    • ちなみにラスベガス賭博事件で、ハマコーは自民党を離党し議員辞職。
      • 「議員の品位を汚した」と会見で発言したが「ハマコーにも品位があったのか」とネタにされた。
  3. 「40日抗争」の時の、反対派議員に激怒しバリケードを破壊して大太刀回りを繰り広げた姿は、何度も繰り返しテレビで放映される。
  4. よせばいいのに、予算委員長に就任するも…
    • 共産党議員にとんでもない暴言を吐いてしまい、結局辞任。
      • ついでに宮沢賢治まで巻き込んでしまった。
  5. 政界引退後に出版した著書「日本をダメにした九人の政治家」はミリオンセラーとなった。
    • 「日本をダメにした」とされる9人の内、8人は事前に公表していたが1人だけ公表していなかった。それはハマコー自身であった。
    • この本に便乗して「〇〇をダメにした〇人の…」というタイトルの暴露本が多く出版された。
    • 名指しされた8名から名誉毀損で提訴されたらその時は受けて立つと息巻いていたが誰からも提訴されなかった。

東谷義和(ガーシー)[編集 | ソースを編集]

  1. 本名より、「ガーシー」の通称がよく知られる参議院議員。
    • 当のNHKですら「東谷議員」ではなく「ガーシー議員」と呼ぶありさま。本名での届け出が義務付けられているのに、通称で呼んでいいのか?
    • 一応印鑑も議場の氏名標も「ガーシー」と表記。ちなみに、印鑑は2行で上半分に「ガー」、下半分に「シー」と表記。
  2. 2022年(令和4年)7月の参議院議員選挙の比例代表で、当時のNHK党から初当選。
    • だが、当選したら当選したで、1度も国会に出席しない体たらく。
    • 公約は「寝てるおっさん議員を叩き起こす」だったとか。しかし、1度も出席しなかったので実現しなかった。
  3. そして、2023年3月になって正式に最も重い除名が決定した。
    • 「最後に言いたいことはあるか」と聞かれると、無関係な芸能人のゴシップネタを披露しようとしたらしい。この場面は速記録から除外されたとか。
  4. クビになったあとはドバイのビザで逮捕から逃れようとするが、国際指名手配された上に自宅のガサ入れを受けた。
  5. 結局ドバイ当局により日本に送還され、到着と同時に脅迫容疑で逮捕となった。
    • これ以外の容疑でも再逮捕・起訴を受けている。
  6. 暴露といっても、日本の闇を洗いざらいしてくれると思いきや、やったのはゴシップネタだけだった。
  7. 「ガーミー」と呼ばれることがある。
    • 彼の支持者だった某ネットに強い弁護士が彼の名前を書いた投票用紙を撮影しtwitterに投稿したとき、乱筆で「シー」が「ミー」に見えてしまったため。
    • この弁護士は他にも怪しい人物を支持していた。投票の契機は彼が心酔するヤクザ絡みの人物が彼に投票したことのようである。
    • なお、この弁護士は1ヶ月ほど彼を応援する投稿を連発したが飽きてしまったようである。その後はある投資会社に興味が移り、その代表者を誹謗中傷したり本社に凸したり、NHK党関係では党首変更取り消しが法務局に却下されたことで国家賠償訴訟を起こそうとしているとか。

平沼赳夫[編集 | ソースを編集]

  1. 岡山を地盤とする政治家。戦前に首相を務めた平沼騏一郎の養子である。
    • 大協石油の役員だった中川恭四郎の息子として生まれ、赳夫の曽祖父の弟であった騏一郎に引き取られた。
      • なお平沼家は赳夫の母方の家系である。
  2. 日東紡績で働いた後、佐藤栄作や中川一郎の秘書を経て、自主憲法の制定を主張して選挙に挑んだが2回とも落選。
    • その後、1980年に初当選し、それ以降は石原慎太郎や亀井静香といった保守派の政治家と行動を共にするように。
  3. 保守派なのに自身が村山富市内閣に入閣していたのもあって村山談話に署名してしまっている。
  4. 年金が未納だったことがバレてしまった。
  5. 第1次小泉内閣で経済産業大臣を務めていた頃、日本国債の格付けがボツワナの国債より下だったことに触れ、ボツワナの国民やエイズ患者に対する差別的な発言を行い、物議を醸した。
  6. 郵政民営化へ反対していたこともあり小泉純一郎首相と対立。一時期、自民党から離党していた。
    • 他にも小泉氏の政治手法や拉致問題に関する考え方の違いから対立していた。
    • 後に安倍晋三氏や麻生太郎氏らから復党を要請されたが、断っている。
  7. 2010年に新党たちあがれ日本(後に太陽の党に名称変更)を結成するが、僅か2年半後に日本維新の会と合併することに。
    • その後、維新から独立した次世代の党を立ち上げるが、最終的には自民党に吸収されてしまった。
      • 赳夫自身も自民党に戻っている。

ま行[編集 | ソースを編集]

松岡利勝[編集 | ソースを編集]

  1. 農水官僚から政界入り。
  2. 自民党内では農水族として行動する。
  3. 地元の市長選挙で支援した候補が落選、その候補者が敗戦の弁を述べている後ろで、敗戦責任を巡って他の政治家と殴り合いの喧嘩をした。
  4. テレビ出演した際、同席者を誹謗したり、差別語を発言したりした。
  5. 農水大臣に就任後、事務所の支出が異常に高いと問題となった。
    • 特に光熱水費が問題が集中し、松岡は「なんとか還元水(を使用)」と答弁した。
  6. 進退窮まった松岡は議員宿舎で自殺した。

三塚博[編集 | ソースを編集]

  1. 宮城県出身の政治家。
  2. 運輸族の有力議員として活躍し第二次中曽根改造内閣で運輸大臣として国鉄分割民営化を推し進めた。
    • 国鉄分割民営化に際して本州は東日本・西日本の2社に分割し西日本会社が東海道線を受け持つとの方向で進んでいたが「大阪の会社に東海道新幹線をやるわけにいかん!!!」とゴネた。
      • その結果、東日本・西日本・東海の3社になり東海が東海道新幹線を受け持つ現在の形態になった。
  3. その後、自民党幹事長・政調会長、通産大臣、外務大臣、大蔵大臣のポストを務め総理総裁候補として申し分ないキャリアを積むが大蔵大臣在任時に北海道拓殖銀行と山一証券の経営破綻という未曽有の金融危機に見舞われた上に大蔵官僚が銀行幹部からノーパンしゃぶしゃぶで接待を受けるといういわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」が発覚しその責任を取る形で大蔵大臣を辞任。総理大臣への就任は叶わなかった。
  4. 獣医師免許を持っていた。
  5. 浜田幸一著「日本をダメにした九人の政治家」で名指しされた「日本をダメにした」とされる9人の内、最も厳しく批判され「この男の人間性を許すわけにはいかない」「この男が総理大臣になろうものなら日本は滅ぶ」と人格まで攻撃された。
  6. その反面、宗教団体の「幸福の科学」からは「哲人政治家」と非常に高く評価され「三塚総理大臣待望論」という本が出版されたり「三塚総理実現のための集い」なる集会が行われたりした。

宮本顕治[編集 | ソースを編集]

  1. 日本共産党中央常任委員時代の1933年、袴田里見らとともに党中央委員の大泉兼蔵と小畑達夫にスパイ容疑があるとして査問処分という名のリンチを加え、小畑を死亡させた。(日本共産党スパイ査問事件)
    • この事件が再燃した1974年の第34回衆議院総選挙では、その影響もあってか共産党は38議席から半分未満の17議席と大きく議席数を減らすことになった。
      • 真相は兎も角として「法的には」無罪。これは小畑へのリンチ(傷害致死)が治安維持法というくくりの中に取り入れられて(観念的競合)、結果的に治安維持法が廃止されたので出獄出来た。
  2. 東京都多摩市の自宅の敷地は近くの小学校よりも広かった。と池上彰のテレビ番組で言われた。
    • 宮本の死後、すぐに宮本の妻も亡くなり、相続が始まったが、敷地は相続税の納付のため、物納となり、大部分が取られ、息子の自宅部分のわずかしか残らなかった。
  3. 議長退任後、名誉議長となったが、間もなく名誉役員に変更された。党外から「名誉職の降格」と見られた。
  4. 日本共産党の委員長(事実上の党首)だったが、政党の党首でありながら暫くの間国会議員でなかったため、「なぜ、国政選挙に立候補しないのか?」という声が上がった。68歳で参議院選挙の全国区に立候補し、上位当選を目指したが、当選したものの順位は下から数えた方が早い順位だった。
    • 参議院選挙に出馬する前に、鳩山一郎や浅沼稲次郎と同じ東京1区(当時)から立候補したことがあったが、落選した。
  5. 20代に「敗北の文学」を著したが、文学作品はこの1本だけ。にもかかわらず、教科書の文学史の年表に作品名とともに宮本の名前が載っている。
    • 政治の道に入らず、このまま文学を続けていたら日本共産党の歴史は変わっていたかもしれない。

や〜わ行[編集 | ソースを編集]

横路孝弘[編集 | ソースを編集]

  1. 「社会党のプリンス」として衆議院議員を務めたのち、北海道知事を3期務める。民主党に入党後、衆議院議員に復帰。民主党政権下では衆議院議長を担当した。
  2. 北海道知事時代の1988年、悪名高き「世界・食の祭典」で約90億円にものぼる多額の赤字を計上し、関係者が自殺する事態に発展。
    • 道議会から、知事の横路に対して問責決議が出される始末。

若林正俊[編集 | ソースを編集]

  1. 長野出身の農水官僚、政治家。
  2. ミスターリリーフ
    • 第1次安倍内閣の農林水産大臣だった松岡利勝の自殺により環境大臣だった若林が一時的に兼任(臨時代理)。
    • しかし、松岡利勝の正式な後任として就任した赤城徳彦がスキャンダルで辞任したため正式に農林水産大臣を兼任した。
    • その後、内閣改造により退任するも自身の後任だった遠藤武彦もスキャンダルで8日で辞任してしまったためその後任として再び農林水産大臣に就任。福田内閣まで務めた。臨時代理を含め短期間に3度も自民党の鬼門ポストである農林水産大臣を務めた。
    • そして自民党が野党に転落した2009年の総選挙後の特別国会で当時の総裁の麻生太郎に代わって総理大臣指名選挙の自民党候補になる。
      • これは麻生太郎が総裁を辞任することになっていたことやこの時点で後任の総裁が決まっていなかったための処置。
      • ちなみにこの時、衆議院で119票の票を得た。衆議院における参議院議員への票としては過去2番目に多い。
    • 最後は採決で氏名票を立てたまま議場を離れていた隣の席の議員の押しボタンを代わりに押した事がバレてしまいその責任を取って議員辞職する羽目に…。


関連項目[編集 | ソースを編集]