もしあの鉄道車両が○○だったら/関西私鉄
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京阪電気鉄道
500形 (初代)
車体更新時に大型化されていたら
- 1700系と同様の車体となっていたが、当初から片開き3ドア仕様だった。
- 主電動機の絶縁強化は図られた。
- 全電動車構成となっていた。
- 廃車については史実通りだった。
600系 (2代)
53両全車が昇圧後も残留することになったら
- 1800系化から外れた39両も昇圧後に残留する場合について考える。
- 京阪1000系と同じ部品で高性能化されたが、非冷房のままだった。
- 形式上は1000系10・20番台となっていた。
- 690と691は例外として1000系の0番台を名乗った。
- 1983年まで残ったのは1800系改造用の14両だった。
- この14両は史実通りの道を辿った。
- 4連6本、3連5本にまとめられた。
- 1985年に8両運転が開始された際、旧690と691は冷房化され1000系に組み込まれていた。
- 以降、4連4本、3連7本の体制となったが、これを7連1本、6連3本、4連3本として運用した。
- 史実より6000系の投入数は少なくなったが、代わりに1987年から本系列が界磁添加励磁制御化されるとともに6000系と同一の車体に載せ替えられ、6000系の20番台あたりに形式変更されていた。
- 一部新造を含め、1988年までに全車の更新が完了し1800系組より先に全滅していた。
700系 (2代)・1000系 (3代)
一部4両固定編成で落成していたら
史実上では7連6本、中間車2両の44両体制でした。
- 更新後の1000系は7連6本の42両体制になっています。
- 5M2Tの7連、3M1Tの4連各4本の陣容となった。
- 4連は2600系0番台と同じく前面に幌が付いていた。
- 史実上では1000系への改造後に7連の前面幌は撤去されている。
- 4連は2600系0番台と同じく前面に幌が付いていた。
- 44両全車が1000系に改造され、600系への編入・昇圧時の廃車は皆無だった。
- ブレーキ方式がHRDのため4連は5000系とのみ併結が可能だった。
- 1980年に置石事故で5554Fが被災した時には本系列との併結運転も見られた。逆に5000系の宇治線運用は現在に至るまでなかった。
- 昇圧後に8両運転が開始された際にようやく1000系のみの4連+4連の運用を見るようになった。
- ブレーキ方式がHRDのため4連は5000系とのみ併結が可能だった。
- 車体更新時にも4連は4連のまま更新された。
- この際に4連の貫通幌が撤去された。
- 10000系、13000系の製造数が少なかった。
- 代わりに本系列がワンマン化された。
- その場合、2600系30番台もワンマン化されていたかもしれない。
- 代わりに本系列がワンマン化された。
- 逆に新造時から7両編成の10000系が出ていた。
1800系 (2代)
別の車両が改造対象だったら
史実上では631 - 636, 656 - 661, 684, 685が改造されましたが、他の車両が改造されていたら?
- 690と691
- 旧2代目700系の、1000系化対象外になった2両。
- 684と685が対象外となり昇圧で廃車されていた。
- それ以外は史実通りで、1989年に車齢20年弱で2両とも廃車解体となっていた。
- あるいはこの2両のみ1800系全廃時に冷房化・付随車化・台車を空気ばね化され、1000系に編入されていた。
- 旧600型
- 631 - 636より強度が弱く、史実上では改造対象から外れた旧600型の601 - 622のいずれか。
- 前面形状がそのままだった。
- 史実より早く1800系自体が全廃されていた。
- 旧1881・1882
- この2両は元1810系のため18m車でした。
- この2両だけ旧1800系では廃車にならず、新1800系に組み込まれていた。
- 代わりに684・685が廃車になっていた。
- 車番もそのまま使われていた。
- 外観は1900系の旧1810系車両と同じだった。従って片開き扉で両開き扉を有する他車とは異なっていた。
- 但し車内は他車と同じグリーン系に変更されていた。
- 他の新1800系と同じく、1989年までに廃車されていた。
2600系
30番台がワンマン化改造されていたら
- 交野線ワンマン運転化の際本系列をワンマン化する構想があったようです。
- 同時に車体改修工事も行われていた。
- ワンマン運転のため運転台部分は1000系と同様に新造されていた。
- 制御装置などの走行機器はそのまま。
- 7連×4編成が4連×7編成に組み換えられていた。
- 不足する先頭車は0番台の廃車発生品を流用して先頭車化改造が行われていた。
- あるいは、極端な車種変更を嫌って、4連、3連各4編成となっていた。
- 10000系は当初から7両固定編成で登場していた。
- 10000系増備までの間、0番台の中間に30番台の中間車を組み込んだ7両編成が見られた。
- 宇治線のワンマン化が行われた後はそちらでも運用されるようになっていた。
- 後に同様の改造を行った阪神5500系の武庫川線用車両と比較されるようになっていた。
3000系(初代)
全て7両編成で製造されていたら
史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。
- 8500形が3000系電車に編入されることはなかった。
- 1989年の鴨東線開業時点では8000系は現実以上にレアな存在だった。
- 1編成しかない8000系を待つ人は現実よりも多く、その列車は大混雑となっていた。
3000系(2代)
プレミアムカー連結がなかったら
- 2021年の緊急事態宣言に伴う休日減便ダイヤにおいて休まされることはなく特急として運用されていた。
- 同年9月のダイヤ改正では昼間に快速急行が設定されることはなく、15分サイクルに特急・準急・普通が各1本というシンプルなダイヤになっていた。
- 急行以下の格下げ運用が2021年以降も存在した。
- 13000系の6連が登場することはなかった。
- 2022年に3000系が2度目のローレル賞を受賞することもなかった。
5000系
4両編成に短縮されていたら
- 現実には京橋駅への可動式ホーム柵設置に伴い本線運用ができなくなり2021年に廃車されました。
- 5000系の引退は現実より遅れていた。
- ワンマン化が行われ、交野・宇治線で運用されていた。
- 3扉車として運用されていた。
- それでも余った中間車は廃車されていた。
- 5000系投入により余った13000系は中間車を増備して6連あるいは7連化が行われ、本線に転用されていた。
阪急電鉄
2800系
当初から3扉車だったら
2ドアから3ドアに改造した結果老朽化を早め2300系よりずっと早く全廃になりました。
- 晩年は2300系と共通化されていた。
- それでも高速走行により数年ほど早く2300系より全廃されていた。
- 6300系は3ドアとなっていた他、9300系で置き換えられたのが2800系だった。
- 117系も3ドアで、近鉄2600系は転換クロスシートだった。
- 場合によっては京阪旧3000系も3扉車になっていた。
- その場合8000系も3扉車になり、8000系登場に伴いこちらはロングシート化が行われていた。
- 近鉄5200系電車も4扉転換クロスシートになっていた。
- 場合によっては京阪旧3000系も3扉車になっていた。
5000系
宝塚線での運用が継続していたら
5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、
- 5000系は史実より多く増備されていた。
- 5100系は史実より少なかったかもしれない。
- 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
- 6000系の転属は史実より遅れた。
T車がもっと製造されていたら
5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…
- 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
- ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
- 2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
- 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
- 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。
6300系
10両編成での運行が実現したら
実際に、計画されていました。
- 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
- 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
- この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
- 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
- むしろ7300系になっていただろう。
- 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
- むしろ7300系になっていただろう。
- (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
- (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。
「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら
- 6356Fか6330Fが改造された。
- 6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
- 2011年5月頃に運行され始めた。
- 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
- 十三駅に停車していた。
- 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。
8200系
京都線でも運用されたら
- 車両番号は、8230、8280になっていた。
- 京都線用なので8340・8490かも。
- 早くても、1996年3月頃に登場していた。
- やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
- 電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
- それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
- 京阪800系と同じ、東洋3レベルIGBTが採用される。
- 嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。
宝塚線でも運用されたら
- 8000系40番台は登場しなかった。
- 恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
- やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
- 今頃は2+2で箕面線でも運用されている。
L/C車両に改造されていたら
- 神戸線特急は今でも10両運用だが、神戸寄りに設置されて座席指定列車になっていた。
- 宝塚方面でも今津線経由で運行されていた。
8300系
増結用車両が製造されたら
8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら
- 10両運転による快速急行が増発していた。
- 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
- 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
- 車両番号は、8340、8460になっていた。
- 史実通り30番台で登場しそれが増結用も兼ねた可能性も。
9300系
ロングシート車が製造されたら
- 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
- 但し寸法は異なる。
- 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
- 車番は9311F~になっていた。
- 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
- 2300系の引退が早まっていた。
- 1300系の製造はなかったか遅れていた可能性も。
近畿日本鉄道
1020系・1220系・1422系・1620系
大阪線・名古屋線⇔京都線・奈良線という形で転属車が発生したら
- 2022年現在はこのような転属例は発生していません。
- 運用上の不便さを考えた場合、真っ先に転属の対象となるのは大阪線トイレなし6連の1620系VF41編成→VH41編成と、奈良線非ワンマン4連の1026系VL35編成→VG35編成となる。
- VH41編成は阪神直通対応改造を受ける。
- VG35編成にはトイレを取り付けられて名古屋線用となる可能性がある。
- 1252系・1253系・1254系・1259系は転属しない可能性が高い。
- 奈良線1233系が名古屋線1810系を置き換え、ついに全廃に追いやることになる。
1480系
ク1580・1590→サ1550の改造両数が4両でなかったら
- ク1592 - ク1595の4両のみが運転台を撤去された結果、1480・2470系と組む車両のうち1両は2410系のク2591とされ、ク2591も2001年に2470系の置き換えの煽りで廃車になりました。
- 3両だったら
- 1200系のモ1213-サ1383ペアが落成し、FC91編成も登場していた。
- 2410系はモワ24系を含め平成末期でもすべて現役だった。
- 6両だったら
- 少なくとも1両はク1580から改造されていた。
- 1200系+2430系のカオス編成は登場しなかった。
- 1200系の製造両数も4両少なかった。
- ク2590形は3両とも平成中盤のうちに廃車されていた。
- 代わりにサ1961とサ2959が生き残っていた。
- 2800系のAX09編成は史実通り3連化されたが、サ2959は2430系3連に組み込まれていた。
- さらには2600系がオールロングシート化、1000系4連が台車交換されて一部生き残っていた可能性もある。
1810系
回生ブレーキ化されたら
- 車体更新時には発電ブレーキを取り付けられました。
- 少なくとも1000系からの編入車は台車や電動発電機の交換をされていた。
- 界磁位相制御となっていた。
- 抑速ブレーキの取り付けは史実と同様に見送られた。
- 廃車に関しては抑速ブレーキがない関係で史実通りとなっていた。
抑速ブレーキを取り付けられたら
- 抑速ブレーキは取り付けられませんでした。
- 少なくとも大阪線でも見かけ、名古屋線にも2410系がやってきていた。
- 廃車は2410系と同時進行になっていた。
- それでも1000系からの編入車は史実通り早期廃車となっていた。
2000系
完全新造だったら
- 史実上では、主電動機が10100系の廃車発生品である125kW級のMB-3020系ですが、これが新造品だったら?
- 出力145kWの直巻モーターであるMB-3064系の採用となっていた。
- 台車はKD-86系を採用。
- それ以外は史実通りだが、奈良線8000系が名古屋線に転属する未来も夢ではないことになる。
2050系
ワンマン化されたら
- 2022年現在は、名古屋線3連の最新形式でありながら2本ともワンマン化されていません。
- 湯の山線、鈴鹿線で見かける機会の方が多くなる。
- B更新も8810系に先立って行われた可能性がある。
当初からトイレがついていたら
- 2本ともトイレはついていません。
- 2800系3連全車も改造でトイレが取り付けられた。
- 名古屋線急行の一部がコロナ禍のダイヤ改正で5連に減車されていた。
- つどいへの改造対象が本系列だった。
- あるいはサ1970形が本系列に組み込まれ4連化されていた。
2410系・2430系
回生ブレーキ化されたら
- 8400系が回生ブレーキ化されたように本系列も回生ブレーキを取り付けられたら?
- 史実上では勾配区間を超えることから省エネ効果が低いとみなされ改造前から全く考慮されていません。
- 制御装置が三菱のABFMのため、近鉄初の界磁添加励磁制御になっていた。
- 奈良線の界磁位相制御より省エネ効果が高かったため、2610系や2800系も追随して全車が回生ブレーキ化された。
2600系
座席を変更されたら
- 史実上ではオール固定クロスのまま残され、結果2004年までにすべて廃車となりました。
- 代替車は5820系だったようです。
- オールロングシート化
- 少なくとも21世紀に入っても第一線で使用されていた。
- トイレを確保すべく、2430系と中間車を振り替えられたり、同系の中間車を編入して3または4連化されたりしていた。
- あるいは2410系・2430系・2800系の2連にトイレが取り付けられた。
- 2680系廃車までは2610系の代わりに鮮魚列車の代走に使用されていた。
- 1本でも2連が4連化されずに残った場合は2410系の代わりに伊勢志摩お魚図鑑への改造対象になっていた。
- 団体貸切が不可能になった。
- 5820系投入で廃車になったのは2610系だった。
- あるいは2410系、2430系だった可能性もある。
- セミクロスシート化
- 団体貸切が不可能になった。
- 使い勝手の悪さから史実より早く形式消滅していた。
- 5800系の増備が少し多く、5820系は登場しなかった。
- L/Cカー化
- 上記のオールロングシート化と同様の道を辿った可能性が高い。
- 団体貸切は引き続き可能になっていた。
- 2430系の一部もL/Cカーとなっていた。
- 5820系投入で廃車されたのは2430系だった。
- 転換クロスシート化
- 4ドア転換クロスシート自体はセミクロス仕様ながら名鉄300系で事実上実現しているので触れてみる。
- 5200系と共通運用が組まれていた。
- 2000系の代わりに2連が「つどい」への改造対象となっていた。
- 2610系なんかにも転換クロスシート化される車両が出てきた。
- 2800系の2連もトイレ取り付けの上で転換クロス化されていた。
- 1620系のオール転換クロス版も登場した。
- 5820系自体が大阪線向けに投入されなかった。
2800系
一部ワンマン化されたら
- 2022年現在はワンマン編成が皆無です。
- 少なくとも4連はワンマン化されなかった。
- 3連を湯の山線、鈴鹿線でも見かけるようになっていた。
- 2連は志摩線向けのワンマン車となっていた。
3連にもトイレが設置されたら
- 名古屋線のうち4連4本のみにトイレがついています。
- 2430系や2050系が追随してトイレ設置改造を受けた。
- 結果、名古屋線急行がコロナ禍のダイヤ改正で一部5連化されていた可能性が高い。
3200・3220系
阪神乗り入れ対応だったら
- 近鉄・京都市営に加えて阪神にも乗り入れができるオールマイティーな車両になっていた。
- その分各社分の保安装置が必要となり、重装備となっていた。
- 他系列と比べて全長(連結面間の距離)が短いため、阪神御影駅のカーブを通れるか…。
- イベント列車で地下鉄国際会館から大和西大寺(あるいは近鉄奈良)を経由して阪神尼崎・神戸三宮に向かう列車が運行されていた。
ソフト変更されたら
- 2022年現在、ソフト変更も機器更新もなされていません。
- 音は小田急1000形の純電気ブレーキ付き車両と同じになっていた。
- 1420系も同じ仕様にソフトを再変更された。
5200系
4扉車として登場していたら
- 1460系以来の3扉車となりましたが、これが4扉車だったら?
- 形式名自体が5200系ではなく5000系となっていた。
- 史実上の5800系が5200系、5820系が5220系を名乗り、個別形式名もモ5200-サ5300-モ5400(-サ5500-モ5600)-ク5700と異なっていた。
- 9820系も9400系辺りを名乗っていたかもしれない。
- 車体・機器ともに1422系を踏襲していたが、日本初の4ドア転換クロスシート車両として注目を集めていた。
- 増備途上で1430系や1437系タイプに設計変更もなされていた。
- 221系・223系・225系は存在せず、代わりに205系や207系、321系の転換クロス仕様車が登場していた。
- トイレは2600系と同一配置になっていた。
- 後の増備車でトイレを1箇所省略していた。
- 2600系も転換クロスシート化されていた。
- 2610系や2800系にも転換クロス車が現れていた。
- 座席数が1両あたり8席少なかった。
- ラッシュ時にはやはり不評なため、5800系は史実通り登場していた。
- 本系列の形式が5000系だった場合は5200系として登場していた。
- 2連も存在していた。
- 15200系は存在しなかった代わりに、かぎろひの形式が15000系になっていた。
- 座席配置は後の名鉄300系に影響を与えていた。
- 転クロ版のシリーズ21(5220系(仮))も登場していた。
- 5000系だった場合は5020系(仮)となっている。
- 奈良線系統への配属0は史実通りだった。
- 車体更新は史実よりずっと後になっている。
- 1422系列の設計でアルミ車体のため。
車端部がロングシートだったら
- 団体運用を考慮して固定クロスのまま残されています。
- 間違えた転換だ。
- 少なくとも大阪線への転属車がさらに増えていた。
- 団体車両としての貸し切りはできなくなっていた。
ソフト変更されたら
- 後期車は一度もソフト変更を受けたことがありません。
- 都営浅草線5300形と全く同じ音を発することになる。
- 前期車も対象になっていた。
B更新の対象外となったら
- 製造から30年を経過し、そろそろB更新の時期に迫っていますが、仮に対象外となり一転して廃車対象になったら?
- 後継の新車は近鉄初の4ドアオール転換クロスシートとされる。
- 通勤客からは賛否両論となる。
5800系
ソフト変更されたら
- 上記5200系と同様です。
- 当然、都営浅草線5300形と同様の音を発する可能性が高い。
- まず奈良線所属車から対象になっていた。
9200系
中間車が増備されなかったら
- 史実上では京都線系統の3連運用が減少した際、1991年にアルミ製の中間車を増備して4連化しましたが、これが行われなかったら?
- 名古屋線に転属するか、田原本線向けのワンマン車になるかの2つのルートが考えられる。
- その両方について触れる。
- 名古屋線転属ルート
- 奈良線に1020系を増備し、名古屋線に転属していた。
- 史実上の1026系は1030系を名乗っていた。
- 1620系が奈良線にも4編成配備されていた。
- 1480系の冷房車が4編成、史実より早く廃車されていた。
- 1010系、2000系の非ワンマン車が平成のうちに全滅していた。
- 田原本線専属ルート
- 9200系自体がワンマン化されていた。
- 8000系3連は平成のうちに全廃され、8400系の3連も異端児の8409Fと8411Fは早々と廃車されていた。
- 更に言ってしまえば、8000系の一部が車齢10年程度で廃車されていた。
9820系・9020系
大阪線・名古屋線でも運用されていたら
- 9820系は4両編成で投入されていた。
- 大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
- 大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
- 長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
- 5820系の4両バージョンも登場していた。
- 車番は「9751、9851、…」のようになっていた。
10000系
一部が温存されたら
車齢13年弱で廃車は短すぎるためもう少し有効活用できなかったか考えてみる。
- 少なくとも中間の3両は廃車されていた。
- 座席指定のオンライン化に対応できないのは中間の2階建て付き3両が原因だったと考えられるため。
- それ以外は方向転換、前面貫通化、冷房・台車・主電動機の交換を経て10400系に編入されていた。
- 4枚折戸は2枚に変更され、モ10002とモ10006の2両は座席を1列分4席撤去されていた。
- 2680系は制御装置が日立製のMMC直並列組合せ制御となった。
- 全廃は1992年だった。
10400系・11400系
一部の10000系を編入していたら
上記の#一部が温存されたらについて、10400系側の対応を考える。
- 3連4本体制となり、名伊閉じ込めという面倒なことにはならなかった。
- それ以外は11400系を含めて史実通りだった。
10000系の編入なしで10400系が3連に短縮されて更新されたら
- 11400系の一部はク10500とペアを組んで車体更新となった。
- サニーカーのMc-T-Mユニットが落成し、ク11520を編入していた。
- 編入されたク11520を含めひのとり導入で全廃されていた。
12200系
12257F~12259Fも登場していたら
当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…
- 予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
- 12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
- 12410系が12400系を名乗っていた。
- 史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
- 1974年12月に登場していた。
- 前面の行き先表示・特急標識のデザインや冷房装置は従来のものを踏襲していた。
- 近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
- 後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。
新塗装化されたら
平成末期、本系列のみ新塗装化の対象外になり、一転して廃車対象となりました。
- 少なくとも後期車はコロナ禍でも現存していた。
- ひのとり導入時には21000系アーバンライナーが代替廃車の対象になっていた。
16000系
中間車が史実よりも多く製造していたら
- 4両編成での運行が史実よりも増えていた。
- 朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
- 16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
- 16400系や16600系の4両固定編成が登場していた。
- 廃車後は大井川鉄道の他に富山地方鉄道にも譲渡されていた可能性がある。
18000系
高性能化されていたら
- 10100系などの発生品で高性能化される予定もありましたが、台車交換が必要なことなどからボツになりました。
- 部品が不足することから2000系の製造両数が2本分減っていた。
- 代わりに2800系が史実より2本分多く製造されていた。
- しかも8800系と同様の界磁位相制御になっていた可能性が高い。
- あるいは10000系の機器を流用していた場合、2680系が登場せず、逆に2610系の3連が登場していた。
21000系
増結車が史実よりも多く製造していたら
史実では、増結用2編成3本が製造されました。
- 名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
- 無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
- 22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
- 22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
- 21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
- その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
- 後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)
- 後に余剰になった際、一部が汎用運用に回されていた可能性もある。
全て8両編成で製造されていたら
- 名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
- 21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
- アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。
機器更新されたら
- 製造から30年を経過しており、そろそろB更新の時期が迫っていますが、その際に機器更新がなされたら?
- 待ったなしにVVVF化の餌食になっていた。
- 外された主電動機を流用して界磁添加励磁制御の新車ができる可能性がある。
南海電気鉄道
1000系
9000系との併結運転が行われていたら
- 1000系は9000系との連結も考慮して設計されましたが、クーラーが異なるためか実際に連結は行われませんでした。
- リニューアル後も9000系との併結は行われていません。
- 9000系と連結されたのは2両編成と4両の1051Fだけだっただろう。
- 9000系4両及び6両+1000系2両という編成が見られた。
- 9000系の4連を持て余すこともなかった。
- 間違いなく編成美を乱していただろう。
- 9000系がリニューアル前でも8000系、8300系とも併結が行われていた。
1051Fが本線系統に再転属したら
- 2018年以降1051Fは高野線で活躍しています。
- 8300系4連1本と車両ごと交換される。
- 特急サザンプレミアムへの充当が常態化することになる。
- 車端部のボックスシートが賛否両論になる。
- あるいは8000系との共通運用が組まれることになる。
2000系
一部車両の制御装置が異なっていたら
- 制御装置に1C8M方式の日立GTOインバータを採用しているため、2連単独運用ができないなどの制約が残っており、2300系の製造に繋がりました。
- 1995年製の5次車以降が東洋3レベルIGBT、1C2M×4になっていた。
- 2031 - 34Fのいずれかは東洋3レベルIGBTの試験に供され、最終的に2045・46Fの製造時に日立GTOをすべて転用し、東洋IGBT化された。
- 2300系は存在せず、代わりに本系列が早々とワンマン化された。
- もとい2連全部がワンマン化され、2200系列は早期に全滅している。
- 天空は当初より本系列4連からの改造になっている。
2200系
高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら
- 当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
- 2000系の製造両数が減っていた。
- 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
- その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
- 熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
- 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
- 橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
- その代わり1521系が21世紀に入ってもしぶとく残っていた。
- 2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
- 貴志川線には21000系が転用されていた。
- 和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。
6000系
廃車ではなくリニューアルしていたら
- 置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
- 一体何年使い続けるのか…。
- なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
- 下手をしたら100年は持つ。
- 8300系は存在せず。
- リニューアル工事は9000系に準じる。
- 1編成がオレンジ系のマイトレイン塗装になっていた。
- さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。
- まさかの車齢60年でVVVF化されるという珍事も起きていた可能性がある。
- ブレーキ方式は電磁直通ブレーキのまま残されていたと思われる。
南海本線にも投入していたら
- 7000系はない。
- 8000系(2代)投入が遅れていた。
- 6100系も本線に投入されていた。
- 南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。
- 南海における緑色の電車のイメージは現実よりも薄くなっていた。
- 銀色の電車のイメージが強くなっていた。
- 下手をすると本系列や6100系辺りにも早々と緑帯が巻かれていた可能性もある。
- 22000系もステンレス車体になっていたかもしれない。
6100系・6300系
台車交換後も6100系のままで形式変更されなかったら
- 史実上の6521Fや6200系50番台あたりが6300系を名乗っていた。
- 逆に運用上かなり不便だった。
7100系
1次車の更新が行われていたら
- 7100系の更新は当初非冷房で登場した1次車には行われませんでした。
- 1000系の製造両数が少なくなっていた。
- あるいは7000系が史実より早く廃車になっていた。
- 31000系の主電動機は新造で、初代8000系の6200系編入はGTO-VVVF化された上で行われた。
- 末期は6両固定編成で運用されていたことから、6300系と同じく一部車両の運転台が撤去されていた。
- それでも8300系の導入に伴い2010年代に入ると廃車が始まっていた。
- 6300系の台車交換は新品で行われていた車両が多かった(泉北100系発生分は流用されるが)。
- 高野線特急車31000系のモーターは泉北100系から流用されていた。
8300系
6両編成が登場していたら
- サザンと併結した10両固定編成が現れていた。
- 6両編成は本線系統に配属されていた。
10000系
最初から4両固定編成で製造されていたら
- 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
- 急行も8両編成で運行されていた。
- 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
- トイレも最初から完備していた。
全ての2両編成に中間車が製造されていたら
- 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
- リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
- ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
- リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
- 場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
- その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
- 9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
- 1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
- 全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
- 12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
- リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
- もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
- 最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
- 全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。
中間車が史実よりも製造されていたら
- 中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
- 2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。
21201系
新性能化されたら
- 最後まで旧性能車のままだったため、昇圧時に一旦休車となり、1986年までにすべて廃車されています。
- 22000系の製造数が史実より4両少なかった。
- 21000系に形式変更された。
- 先頭車は地方私鉄行になっていた可能性がある。
モハ21202も貴志川線に転用されたら
- 史実上では一度も本線に戻らず散々放置された挙げ句クレーン試験に供され、1983年に廃車となっています。
- クハ21201と2両固定編成を組んでいた。
- むしろ電装解除されなかった。
- 貴志川線の3両運用は早期になくなっていた。
- 1986年時点では廃車されず、1995年の2270系転入で引退していた。
阪神電気鉄道
1000系
4両編成が登場していたら
- 阪神電車に8両編成と10両編成の運用が増えいた。
- 少なくても山陽区間を含めて輸送力では阪急神戸線と同水準になる。
- なんば線内は10両編成の車両が増えていた他、4+4両の8両運用や4+2の6両運用など運用の柔軟さが増えていた。
- 近鉄側にも4両編成の阪神乗り入れ対応車両が存在していた。
- 9820系に4両編成が登場し、1020系4連も阪神乗り入れ対応になっていた。
- 8810系や1026系VL35編成も改造対象となった。
近鉄車両規格に合わせて20m化されたら
- 4扉車化は避けられない。
- 場合によっては山陽電車と直通できなくなる恐れも。
- 山陽電車が20m化6両しなければ阪急に直通先変えていたかも。
- 場合によっては山陽電車と直通できなくなる恐れも。
- 9000系が近鉄乗り入れ仕様に改造されることはなかった。
- その分1000系が多く製造され、2000系の廃車が早まっていた。
2両編成がワンマン対応になっていたら
- 武庫川線の赤胴車はこれで置き換えられていた。
- 5500系の2両ワンマン仕様車は存在せず、リニューアル後も全て本線の普通で運用されていた。
- 武庫川線の他なんば線の増結用とも共通運用になっていた。
- 既存の2両編成にもワンマン対応の改造が行われていた。
- 現実の5500系2連と同様タイガースラッピングが行われていた場合、近鉄線でもその姿を見ることができるようになっていた。
- 1000系は阪神全線で走行できる車両となっていた。
9300系
ステンレス鋼で投入されたら
- 忠実より多くなる一方、この形式も難波線送りされそう。
- その場合、近鉄乗り入れ改造と同時にロングシート化されていた。
- 巨人色電車に対する批判はなかった。
- 製造は武庫川車両ではなかった。
- 恐らく川重か近車が担当していた。
- 武庫川車両の廃業が早まっていた。
- 車体はE231系ベースだった。(9000系が209系ベースなので)
オールロングシートだったら
- 阪神にクロスシート車は登場しなかった。
- 8000系のリニューアルもオールロングシートで行われていた。
- 2009年になんば線が開業すると、これも近鉄乗り入れ対応に改造されていた。
- なんば線・近鉄対応では唯一の武庫川車両製の鋼製車となっていた。
- 山陽5000系の一部ロングシート化が現実よりも早まり、該当車両も増えていた。
- 場合によっては5030系もロングシート化される車両が出ていた。
大阪市高速電気軌道
10系
10連化にあたり新造車を組み込んでいたら
- 当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
- 1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
- 増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
- 1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
- 2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
- 21系の新造両数が減っていた。
30系
近鉄東大阪線(現けいはんな線)開業に伴い谷町線所属車を中央線の50系とトレードしていたら
- 1986年10月に近鉄東大阪線がの長田~生駒が開業し、50系も生駒まで乗り入れましたが、パワー不足が問題になりました。
- 中央線の50系初期車は6両化の上全て谷町線に転用されていた。
- 中央線で50系6両編成は見られなかった。
- 代わりに谷町線の30系が抑速ブレーキ取付などの改造を行い、中央線に転属していた。
- それでも20系や24系の増備に伴い谷町線に出戻りしていた。
- 中央線に30系冷房改造車が登場することはなかった。
- 後の谷町線20系⇔中央線24系のトレードと比較されていた。
100形(2代)
50系のT車に改造されていたら
- 恐らく近鉄東大阪線開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
- 車番は50系に編入され、5100形か5600形になっていた。
- 中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
- 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
- 本系列は奈良県への乗り入れを果たしていた。
1000形(初代)
50系への組み込みが実現していたら
- 1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
- 製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
- 四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
- 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
- その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
- 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
- 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
紀州鉄道
キテツ1形
形式名に「キハ」を踏襲していたら
- 「キハ」以外の称号は本形式が初めてとなりました。
- キハ700となっていた。
- 史実上のKR200とKR300もキハ710やキハ720あたりとなっていた。