バカ人物志

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歴史上の人物の噂・バカな逸話を集める。ここでは「歴史上の人物」は大正時代以前に活躍した人物とします。

バカ人物志/日本[編集 | ソースを編集]

バカ人物志/中国[編集 | ソースを編集]

バカ人物志/世界[編集 | ソースを編集]

第一次世界大戦以前の人物といたします。

独立項目

武将伝[編集 | ソースを編集]

ハンニバル[編集 | ソースを編集]

  1. カルタゴの将軍。第二次ポエニ戦争の立役者。
  2. 象の軍団を率いてアルプス越え。ローマ攻略を目指す。
    • この壮大な大戦略により、敗将なのに栄光と共に名を残す。
    • 第一次ポエニ戦争でシチリア島をローマに分捕られ、地中海の制海権を失っていたので、やむをえず陸路で攻めようとした。
    • せっかくの象軍だったが、アルプスの寒さでほとんど全滅。
  3. 羊たちの沈黙の続編。
  4. この人がカンネーの戦いでやってのけた「少数による多数の包囲殲滅」は、後世の軍人が誰でも一度はやってみたいと考える憧れになった。
    • そして、大失敗する例が多い。アカンねぇ。
    • 奉天会戦では日本軍がロシア軍に対してこれを企図したが、最後は息切れして流星光底長蛇を逸した。

ロバート・ランバート・ベインズ[編集 | ソースを編集]

  1. 豚が一匹撃ち殺されただけで始まった戦争をあやうく指揮するところだったイギリスの軍人。

ジャンヌ・ダルク[編集 | ソースを編集]

  1. 世界初の魔法少女。フランス征服をもくろむ謎の秘密結社イングランドとの戦いに敗れて処刑された。
    • ちなみにそのシーンがあまりに残虐だったため、後に出てくる魔法少女のアニメは全て最終的に勝利することになっている。
      • ところでその「おジャ魔女ダルク」が再放送されるのはいったいいつだろう???
  2. だから、ダルクは武将じゃないって!旗持ちもとい魔法少女だって!本当だってば!
    • 神風怪盗ですね、わかります。
  3. だから魔女として処刑されてしまったわけだ。
  4. 牧野つくし
  5. ドラクロアの絵画「民衆を率いる自由の女神」に描かれている人物はこの人ではないらしい。
    • 「自由の女神」だからマリアンヌに決ってる。

ジョージ・ワシントン[編集 | ソースを編集]

  1. 本人は戦争が終わった後はマウントバーノンでゆっくりと暮らしたかったらしい。が、英雄として祭り上げられ憲法会議の議長や初代大統領に就任。
    • 大陸軍の司令官としてのポジションも最初は自分はふさわしくないと主張するも結局対抗馬が居なかったため就任。
  2. フレンチ・インディアン戦争の発端は彼自身。
    • 但しろくな戦果も上げられぬまましばらく隠居し歴史の表舞台から消える。
  3. アメリカの大統領の慣習の多くは彼の行動から来ている。
    • 大統領が二期までしか務められないのも彼が三期目の出馬を辞退したから。
    • 大統領就任式で聖書に手を置いて宣誓する儀式もフリーメイソンのメンバーだったワシントンがフリーメイソンの入会の儀式の一つの自分の信じる本に宣誓する儀式をまねしたから。
  4. フランクリン共々フリーメイソンのメンバー。彼の肖像が使われている1ドル札にはメイソンのシンボルが多数散りばめられてるとか。
    • なのでアメリカ建国にはフリーメイソンが絡んでいるというが散々唱えられている。
  5. 歯はかなり酷い状態だったらしい。
    • 大統領就任時には1本を除き全て入れ歯という有様。
    • $1札の肖像は彼が入れ歯を噛んでる場面だったりする。
    • コンプレックスとなって演説を避けるようになり、大統領をやめたのも歯が原因だそうな。
  6. 今は横須賀にいる。
  7. 子どものときに桜の木を切ったことを正直に打ち明け怒られなかった逸話は有名。
    • しかし当時のアメリカ大陸にはまだ桜はなかったらしい。
  8. 1789年に図書館から"The Law of Nations"という本を借りたが、返却するのを忘れていた。2010年にバージニア州のジョージ・ワシントン博物館の関係者が同じ版の本を弁償した。

ヘルムート・カール・ベンハルト・フォン・モルトケ[編集 | ソースを編集]

  1. ドイツ統一に貢献、近代ドイツ陸軍の祖を作り、プロイセンを世界有数の強国にし、電信と鉄道の有用性にいち早く気づきしかも7か国語を操れる天才。
    • だが嫁さんが姪っ子でしかも結婚した時の年齢差が26歳というロリコン。
      • 正確には義理の姪。妹の旦那の連れ子で血縁関係はない。妹(つまり義母)宛にやってくるダンディな手紙にすっかりメロメロだったため、早いうちからおじさまカッコいいという感じだったようだ。
      • ちなみにこの嫁さん、モルトケが69歳の時に亡くなり以後肖像画をずっと大事にしてたらしい。90で死ぬ時も肖像画を見ながら亡くなったそうな。
        • 分かりづらい文章になってるが死んだ嫁さんの肖像をモルトケが大事にしてたという話ね。

学者伝[編集 | ソースを編集]

アリストテレス[編集 | ソースを編集]

  1. 「自然科学」の基礎を築いた。
    • 師匠のプラトンや、そのまた師匠のソクラテスが「人文科学」の域にとどまっていた点からすれば、この一歩は大きい。
    • 今から見ればごく大雑把ながら、分類学と論理学を創始。またいろんな学問を体系的に秩序立てた。
    • アリストテレスの体系が当時としてはあまりに完成されていたため、千数百年にわたってヨーロッパの学問を縛り続けた。
      • 地球球体説も地動説もギリシャ時代に存在したのに、「アリストテレス大先生が地球が中心だって言ってるから」って理由で封印されてしまった。アリストテレスが生きていたら嘆いたに違いない。
        • 地球が丸いのを発見したのは彼。だがこれも宗教界に潰される。
      • 「重いものは早く落下する」というスットコドッコイな内容を書いてしまい、ガリレオが反証するまで定説で生き残ったりもしている。
  2. アレクサンドロス大王の家庭教師。
    • どんな関係だったか興味のあるところだが、案外後世の人々が想像するような濃い関係ではなく、お互い淡々と授業をしていたような気もする。
  3. アリスとテレス
    • 谷村新司が居たフォークグループとそのパチモン
    • 昔「脱線問答」という大喜利を発展させたようなTV番組があったが、そこの出題プロジェクトチームが「アリスとテレス」だった記憶が。
    • 「たのしい算数」の番組内アニメ。
  4. ドン・チャックのパパ。

ユークリッド[編集 | ソースを編集]

  1. 数学を習い始めた人々の怨嗟の的。
    • とはいえ、「当たり前のことから順々に複雑な理論を構築してゆく」という方法論を確立してくれたのは、その後の科学の発展に大きく役立った。
    • その怨みはリーマンが晴らしてくれたが、かえって苦しむ羽目になった。

アルキメデス[編集 | ソースを編集]

  1. エウレカ!
    • 浮力の原理を発見した時の叫び。意味は「われ発見せり!」
    • 「ユリイカ」とも言う。後世、日本の雑誌のタイトルになった。
      • 「ヘウレーカ」という名前で『寄生獣』の岩明均が漫画化。主人公の作中最後の台詞が。いかにも21世紀の日本らしい。
    • 「エウレカ! エウレカ!」と言いながら街路をマッパで走ったらしい。
      • 全裸で
      • まあ古代ギリシャでは全裸が割と普通なのだが。オリンピックも服は着ちゃダメというルールだし。
  2. 物理学の基礎を築いた。
    • 「われに支点を与えよ。地球すら動かしてみせん」と豪語。
  3. 故郷シチリアに攻め寄せるローマ艦隊を、ソーラ・システムで焼き払った。
    • 伝説ではあるが、シチリアの強烈な陽光を見ると、できそうな気がしてしまう。
  4. ポエニ戦争のさなかに、ローマ兵により殺された。
    • 最後の言葉は「私の図形を壊すな」。地面に図形を描いて何か計算していたらしい。
      • 図形を壊すと壊したやつに呪いがかかる計算だったんじゃない???
        • ……確かに、アルキメデスを殺した兵士は、上官から「アルキメデスを殺しちゃダメだって言ったろ!」と叱られ、処刑されてしまったんだよなあ。
        • いや、図形と思わせて実はえっちな絵だったんだろ。
  5. 歩きながらでも食べれるラーメン
  6. 円周率の大体の値を算出した。
  7. スクリューや投石機の開発など応用技術に通じていた点が、純粋な論理の展開を好んだ古代ギリシャ人としては異端の部類。

フワーリズミー[編集 | ソースを編集]

  1. 全盛期のバグダートで活躍したイスラム版アルキメデス
  2. 最古の代数学書などを記し、これが後にラテン語訳された際に、代数学を意味する「アルジェブラ」や、「アルゴリズム」の語源となる。
  3. この頃ヨーロッパはローマ帝国の衰退で絶賛暗黒時代であり、ギリシャ以来の学問はイスラム世界が受け継いでいた。フワーリズミーはそれを代表する人物の一人。

ニコラウス・コペルニクス[編集 | ソースを編集]

  1. 地動説を提唱。
  2. 物の考え方の革命的な変化を「コペルニクス的転回」と呼ばれるまでになったほど。
  3. さぞ迫害されただろうと思いきや、意外と賛同者も多く、穏やかに生涯を送っている。
    • そもそもコペルニクスは「地球は動いてるんだ!」と主張したわけではない。
      「地球が動いていると仮定したほうが、天体の動きがシンプルに解釈できるよ」と指摘しただけ。
      • ケプラーの方がそう考えると功績は大きい。惑星軌道を楕円と看做して観測と理論の矛盾を減らしたので。
    • 彼の著書が刊行されたのは死後で、そもそもドイツやポーランドでは教皇の権力など及ばなかった。
    • 更に地動説を提唱する者はそもそも古代ギリシア時代からいた。
      • なんと春秋時代の中国でも地動説が唱えられていたらしい。「晏子春秋」にそれらしき記述が出てくる。

ガリレオ・ガリレイ[編集 | ソースを編集]

  1. それでも地球は動いている!
    • 実に不思議だ
  2. けっこう偏屈で頑固な人だったらしい。
    • 実にうっとうしい
  3. 裁判にかけられたのは、地動説のせいというより、著書の中で当時の有力者を誹謗中傷したせいらしい。
    • 実に忌ま忌ましい
  4. 手作り望遠鏡を空に向け、数々の発見をする。
    • のクレーターを発見した。
    • 木星の衛星を発見した。いわゆるガリレオ衛星。
    • 金星の満ち欠けを観測した。
      • それが金星の見かけの大きさ変化と連動していることも見つけ、天動説ではできないこの原理の説明は地動説ならば可能となることから地動説を支持するに至り、金星は地球の内惑星であると確信。
    • ここまで見れば、地動説が学問上の仮説ではなく本当のことなんじゃないかと思うのも無理はないかも。
      • 実は×××××をしていたり……
  5. 物理学上でもいろいろ発見している。
    • 振り子の等時性を発見。
      • この法則はピサの聖堂のランプを見て発見したという説があるが、ランプができたのはガリレオの時代の後のこと。
    • 落体の法則を発見。
      • ピサの斜塔が有名になったきっかけ。実はイタリアにはピサ以外にも傾いた塔はいっぱいある。
        • 塔の窓から大小二つの鉄球を落としたという実験は、本当はやってないという説もある。
      • 落下速度は落下物の大きさや重さによらず一定というのが落体の法則だが、この法則は「キン肉マン」によってもろくも覆されたらしい。
      • 落体の法則に関しては、空気抵抗に関する説明がなかったため、ネット上で論争の種になることもしばしば。
  6. この人たちは「♪ガリレオ~(ガリレオ~)ガリレオフィガロ~」を思い出す。
  7. この節……実におもしろい
    • 現象には必ず理由がある
  8. ガリレイじゃなかったっけ?
    • フルネームがガリレオ・ガリレイ。
      • 出生地であるトスカーナでは長男に姓を単数形にした名前を付ける風習があったらしい。(ガリレオは単数形、ガリレイは複数形)
    • ほかの人は「姓」で呼ばれるのに、この人だけは「名」のほうで呼ばれるのが面白い。
  9. そうやって今は僕の方へ♪
  10. イギリスとアイルランドでダービーを制した。

アイザック・ニュートン[編集 | ソースを編集]

  1. 万有引力を発見。その他にも多くの科学上の業績がある。
    • 林檎が落ちるのを見て引力を発見したというのは嘘。林檎が彼の家の庭にあったというだけ。
      • ただ、この話の出処はどうもニュートン本人らしい。「りんごって地面に落ちるじゃん。あれってさー」みたいなことを後年あっちこっちで言ってたようだ。
    • 地球上の物の落下運動と、天体の運動を関連付けて考えたところに功績がある。
    • アインシュタインにより相対性理論が発見されるまでの力学の基礎体系を築いた。
      • 微積分を編み出した。後年受験生の恨みを買うことに・・・
  2. そのくせ錬金術師でもあった。中世人と近代人の狭間に居た人。
    • またの名を「りんごの錬金術師」
  3. 論敵の排除には容赦なかった。
  4. 変なエピソードが数々ある。後世の「変な科学者」像のモデルとも言える。
    • ズボンをはくのを忘れて街を歩いた。
    • 猫を2匹飼っていたが、家に自由に出入りさせるため、猫用のドアを作った。それだけなら良いのだが、大きい猫用と小さい猫用にわざわざふたつ作ったらしい。
    • 馬車に乗って進まないなと思ったら馬が付いてなかったなんて話も。
  5. でも就職先は税務署だったとか。
  6. オリビア・(略)・ジョン
  7. 空き巣の今村は、ニュートンから数百年の遅れをとって万有引力を発見した。

レオナルド・ダ・ヴィンチ[編集 | ソースを編集]

  1. 学者節に入ってるけど、芸術家じゃないの?
    • モナ・リザは、眉ゾリした人を描いた。
      • 俗説。実際は眉を描いた痕跡があり、何らかの外部的要因によって見えない状態になっていることが科学調査で判明した。
      • 女装した愛弟子(意味深)説とか、はては女装した自画像説とかとにかく俗説が異様に多い。
    • かなり手広くいろいろやった人なので、総合的に一言で評するならやはり「学者」が妥当だろう。
  2. ヘリコプターのデザイン画が、全日空の飛行機の尾翼に描かれていた。
    • 全日空に依頼されて描いたらしい。
  3. 「ルネッサ~ンス」
  4. 翼を授けるドリンクことレッドブルを開発し、市民に提供した。
  5. 世界初のロボット工学者でもある。
  6. 眼球の解剖をする時は、形が崩れないように、茹でてから行うといいらしい。
  7. 現在のように高く評価されるようになったのは、意外と最近。
    • それまではルネサンス期の画家では、ラファエロの方が貴族たちの趣味に合って好まれていた。
    • 評価されるきっかけは彼の手稿の内容が、科学技術の発展でようやく分かるようになったことや、印刷技術の発展で数が極めて少ないダ・ヴィンチの作品が、広く人々の目に触れるようになったことが大きい。
      • 解剖学の見地から芸術作品を制作すべく、馬や犬の死体を買い取っては自ら解剖して詳細なスケッチをとっていた。
    • ↓にあるように超がつく遅筆であり、お前偉そうなこといってるけど何も完成させてないじゃんと思われていたのも一因。同時代では沢山の作品を実際に完成させたミケランジェロの方が断然上だったらしい。
  8. 師匠のヴェロッキオもイタリア芸術史に名を残す高名な画家なのだが、20歳そこそこの小僧だったダ・ヴィンチの画才にショックを受けて隠居した人物として知られる羽目になってしまった。
  9. 信じられないほどの遅筆だったらしく、1枚の絵を完成させるまで5~6年費やしたなんてのはザラ。未完成のまま放置された絵や、山のようなスケッチだけを残して構想のみに終わった作品も多い。
    • もう完成して人手に渡った作品でも、思い出したようにちょこちょこ手直ししてグダグダにする癖があった。有名どころではモナ・リザの腕の部分が作業の途中で中断したままだったりする。
    • ダ・ヴィンチの構想を引き継いで他人が完成させた作品もある。
      • LHOOQのこと? あれは詳しく知らないけどおふざけの一種だと思うw
  10. “ウィトルウィウス的人体図”が某映画の影響で有名。
  11. 和訳すると「ヴィンチ村のレオナルド」になるのだが、意外に知られていない気がする。
  12. IQが半端なかったとのうわさ。

アンリ・ポアンカレ[編集 | ソースを編集]

  1. トポロジーの発明で有名。19世紀後半では最高の数学者、科学者。
  2. 天才数学者なのに証明などは結構いい加減。発想こそが大事で細部はこだわらないタイプ。
  3. ニュートンと肩を並べるレベルの奇人。
    • 「今日人と会わなきゃいけないんですよ。めんどくさいねえ」と会う約束をしていた当人に言った。
  4. ある問題をひとしきり考えても結論が出ず、そのまま10年ぐらい忘れていたら、ある時馬車に足をかけた瞬間にすべての答えがパッと見えた、というような話がいっぱいある。
    • 本人によれば、人間は何かを忘れたように見えても大事なことは無意識で考え続けていて、何かの拍子でそれが意識に浮かぶんだそうだ。
    • こんな風に物の考え方それ自体もいろいろ考察していた。

ジョン・メイナード・ケインズ[編集 | ソースを編集]

  1. 「経済学者が金持ちにならないのはなぜか」とか言われたら、この人の名をあげてみるのもいいだろう。
    • 投資で荒稼ぎ。
  2. ちょっとした有名人の多い一族。
    • 父親もひとかどの経済学者なのだが、息子のせいで学者仲間から「君の経済学に対する最高の貢献は、息子を生んだことだ」と言われてしまう。
  3. 男爵。
  4. マルクスが死んだ年に生まれた。
  5. 世界恐慌に乗じて今までの経済学を「古典派」とdisった。
  6. 大恐慌を起こす純粋な資本主義から転換する方法を考案した。
  7. バレリーナの奥さんがいたが、男性の愛人もいた。

ベンジャミン・フランクリン[編集 | ソースを編集]

  1. 何を間違えてか印刷屋が雷が電気だと証明しいつの間にかアメリカの建国の父の一人になってしまった。
    • それを応用したのが避雷針。
  2. 凧揚げ実験は実際は本人がやったかが怪しい。
    • その凧揚げ実験を真似ようとしたバカが当時出て案の定(ry
    • 本人はコツをつかんでいたものと思われる。
  3. 息子の一人が王党派(独立反対派)だったため大いに揉め、絶縁している。
  4. 100ドル札。
    • 日本人からみた福沢諭吉
  5. 二十歳のときに13徳というのを提唱して自らに課しているのだが、他人に害をなさないことを正義とし、いかなる時も落ち着いて中庸を旨とせよというどこか東洋的な思想。本当にアメリカ建国の関係者なのか疑わしいレベル。

チャールズ・ダーウィン[編集 | ソースを編集]

  1. 進化論の提唱者。
    • 生物学者と思いきや地質学者だったりする。今の生物学は彼の発見が根底にあるから強ち間違いではないが。
  2. ダーウィン賞を創設したわけではない。
    • 社会ダーウィニズムも彼が唱えたわけではない。
  3. 毎週日曜夜になるとNHKにやってくる。
  4. 実は同時期に同じような研究をしていた人がいたとか。

哲学者・思想家伝[編集 | ソースを編集]

ルネ・デカルト[編集 | ソースを編集]

  1. われ思う。ゆえにわれ有り。
    • ……などというものものしい訳になってるから有難味があるが、これが「考えているボクが居る」みたいな訳しかただったらあんまり広まらなかったかも。
      • シェイクスピアのハムレットの“To be,or not to be”もしかり。日本の翻訳者にはそういうセンスがあるのかもしれない。
  2. スウェーデン王女のおもちゃにされ、こき使われて過労死。高名な哲学者、数学者にしては死に際が悲惨すぎる…。
  3. 超お寝坊野郎だった。
    • ↑にあるような死に方をしたのは、早起きの王女に付き合って生活リズムを崩したのが原因。無理せずフレックスタイムにしておけばよかったのに・・・

ブレーズ・パスカル[編集 | ソースを編集]

  1. 「人間は、葦なんだあ!」と喝破した哲人。
    • 岡本太郎の「芸術は、爆発だあ!」に匹敵する魂の叫びである。
  2. ふくらました頬の一方を指で突き、反対側の頬に圧力を感じて「おお!これがパスカルの法則か!」と感動した人は多いはず。
  3. いつの間にか気圧の単位にされていた。
    • ちなみに1気圧は約1013.25ヘクトパスカル。ヘクトは百倍のこと。つまり1パスカルは10万1325分の1気圧。
      • パスカル「そんな軽そうな俺って……orz」
        • 実際パスカルは病弱だった。高地と低地で気圧差を調べる時も自分は山に登らず妹の旦那にやってもらったらしい。
    • 哲学でも科学でも数学でも教科書に出てくる。しかし、真っ先に思い浮かぶのはヘクトパスカル。
  4. 子孫がアルゼンチンに渡り、ファン・ディアスの相方になった。

カール・マルクス[編集 | ソースを編集]

  1. 毛深い。特にヒゲの濃さは顕著。
    • 多分、貧乏だったので床屋にも行けず、髭剃りも買えなかったと思われる。
      • 若年期、そういう辛い逼迫した生活を送った彼は、全ての人がひげをそれる髭剃りを買える世界を造るため共産主義を唱えだした。
  2. 30年ぐらい前までは偉人とされていたんだが、今では…(以下自粛)
    • 歴史や社会を、出来るだけ普遍的でシンプルなモデルを使って説明しようとした姿勢は素晴らしいが、それをそのまま社会に適用しても上手くいくわけ無いだろ・・・常考。
    • 『ユダヤ人問題によせて』の頃はまだ良かったんだが、『経哲草稿』を出した辺りからおかしくなり始めた。そして『共産党宣言』では…(以下略
    • まあこの辺の評価の変遷はマルクス本人がどうと言うより、都合よく曲解した共産主義者のせいだが。
      • 「マルクスはマルクス主義者ではなかった」ということを言う人がいるほど。
  3. 大英博物館を自分の勉強部屋にしてしまった人。
  4. ユダヤ系で弁護士の息子。そう見ればこの人もブルジョアである。
    • 後半生は、むしろルンペン・プロレタリアート。
  5. 資本論は難読。
    • あんなぐちゃぐちゃの原稿、まともに読めるのはエンゲルスくらい。
    • マルクス本人にも読めたかどうか。
      • 難読書は大体後世の学者が解説書を書いているものだが、資本論は解説書も難読でもっとわからなくなる。もしかしたら後世の学者も理解できてないのか?

フリードリヒ・エンゲルス[編集 | ソースを編集]

  1. 自活能力がまるでなかったマルクスにご飯を作ったり、オムツを替えてやったりしたマルクスの「嫁さん」
    • 「エンゲルスは俺の」byカール・マルクス
  2. マルクスの死後、その思想をまとめて出版したりと、公私にわたり彼の「尻拭い」をやった。
  3. 大食漢だったので、家計のエンゲル係数が異常に高かった。
  4. ブルジョアだった。

フリードリヒ・ニーチェ[編集 | ソースを編集]

  1. 神は死んだ。
  2. 彼は正義超人派だったのだろうか?それとも悪魔超人もしくは完璧超人派だったのだろうか?
  3. ♪ニ、ニ、ニーチェかサルトルか♪(by野坂昭如)
  4. 最近になって名言集的な本が出版されて話題である。
  5. 江上敬子と近藤くみこのコントユニットではないらしい。
    • 愛好していることを公言する人は多いが、彼が言いたかったことの本質を理解している人は極めて少ない。

セーレン・キルケゴール[編集 | ソースを編集]

  1. 絶望はペストや結核よりも恐ろしい「死に至る病」であると提唱した。
    • この表現は新約聖書にちなんでおり、イエス・キリストが病死した知人を蘇生させた奇蹟に語源を持つ。それもあってか、全体的にキリスト教推しが強い理論でもある。
  2. ロリコンである。

アダム・スミス[編集 | ソースを編集]

  1. 「経済学の祖」と言われる。しかしグラスゴー大学で講義をしていたのは法学や哲学。
  2. 中世英国にありながらオックスフォードになじめなかった珍しい学者。
  3. 独り言が多かったとか、すぐ放心状態になったとか言われていて結構な奇人だったらしい。
  4. 分業の重要性とか国際貿易における比較優位とか、現在の経済学でも重要視されることを初めて提唱した。
  5. アダムスさんが間違えた!

ゴットフリート・ライプニッツ[編集 | ソースを編集]

  1. ニュートンに遅れを取った人。
    • 微分積分の記法などではニュートンよりすっと世の中に貢献している。ニュートンは頭はいいんだけど、脳内で完結してるのか表記方法がアレ。
  2. 思想家、数学者、外交官など、様々な分野で実績を残したが、反面器用貧乏と評されがち。奇抜なエピソードもないので、人々の人気はいまひとつ。

ソクラテス[編集 | ソースを編集]

  1. 無知の知。鞭の痴ではない。
  2. 悪法も法なり。
  3. ♪ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか♪(by野坂昭如)
  4. の人事
  5. 80年代に「黄金の中盤」の一角をなす。
  6. 妻がとんでもない悪女だったことで有名。
  7. 意外やサッカーも上手くブラジル代表にもなった。

プラトン[編集 | ソースを編集]

  1. ソクラテスの愛弟子。
    • ソクラテスが汚らしいジジイ(失礼)のイメージで描かれる事が多い為か、プラトンは精悍なイメージという扱いらしい。
  2. 世界初の政治学者でもある。
    • 哲人王と呼ばれる存在がいてこそ国家は理想のものになると考えていたが、後にアリストテレスに「そんなのいねぇよ」と否定されることになる。
  3. 彼の著作は基本的には対話形式であり、ソクラテスが勝つようになっている。
    • 少年ジャンプの作品みたいに、別の主義主張を持つ学者をソクラテスが次々と論破していくスタイルである。
    • ホントにソクラテスが言ったかどうか怪しいものもあるので、何となく幸福の科学の書籍に似たようなものを感じる。
  4. もとはレスラーであり、そもそもプラトンという名前もそこから来たあだ名。「幅広い」とかそんなような意味で、要は体格が良かったということらしい。

マックス・ヴェーバー[編集 | ソースを編集]

  1. 「ウェーバー」なのか「ヴェーバー」なのかはっきりしない。
    • 原語のスペルはWeberだから前者が正しいはずなのだが、Wikipediaを含めて日本では後者が正しい事になっている。
    • ドイツ語読みだとwは「ヴ」に近い発音だから「ヴェーバー」の方が近い。
  2. 社会学者からも政治学者からも重要な人物として崇められる存在。彼がいなければ現代政治学と社会学の概論が大分変わってしまっていたはず。
    • 本人は政治学と社会学が得意だが、弟も経済学が得意だったという。
  3. 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』というクソ長いタイトルの本で、プロテスタントと資本主義の密接性を説いた。
    • 「カトリックは稼いだら寄付しちまうから豊かにならないが、プロテスタントは稼ぎと天職は神の賜物だと考えている。だから神の為に自分の職を発展させるためにどんどん稼げ!」…と言った感じらしい。
  4. 善悪二元論を否定し、多元主義を提唱した大きな意義もある。価値判断そのものは神の闘争に委ねればいいらしい。
    • どうもマルクスのような暴力じみた考えが厭だったのかこうなったそうである。
      • マルクス主義のような固定的な二元論は無限の暴力を生むのだそうだが、言われてみれば確かにそうかもしれない。
  5. 彼曰く、政治家は「情熱、責任感、判断力」の三つが揃って言えば良いらしい。
    • 決して「看板、鞄、地盤」ではない。

エミール・デュルケム[編集 | ソースを編集]

  1. 「自殺」という概念を真剣に分析し、分類した男。
    • 利他的自殺、利己的自殺辺りはまだ分かりやすいが、アノミー的自殺に関してはきちんと勉強しないと「?」となる。

宗教家伝[編集 | ソースを編集]

ツァラトゥストラ[編集 | ソースを編集]

  1. ゾロアスター、ザラストロなどとも呼ばれる。ゾロアスター教の教祖。
  2. 時代が古すぎて(紀元前11世紀頃)、どんな人だったのかさっぱりわからない。
  3. ニーチェが「ツァラトゥストラかく語りき」という本を書いたが、別にツァラトゥストラの教えを祖述したわけではなく、自分の意見を述べただけだったらしい。
    • でもその本を読んでリヒアルト・シュトラウスが作曲した同名の交響詩は、のちに「2001年宇宙の旅」のテーマ曲に使われて大ブレイク。
      • 最近「ツァラトゥストラはこう語った」という表現をする人もいるが、どうも迫力に欠ける。

ゴータマ・シッタルタ[編集 | ソースを編集]

  1. つまりはお釈迦様。ただし「シャカ」というのは彼の属していた部族の名前。
  2. 6年間苦行を重ねて悟りを開く。
    • そんなに苦しんだのは王族として贅沢していた酬いだろう、その証拠にナザレの大工の子は40日しか苦しまなかったようである……と芥川龍之介が指摘していた(「侏儒の言葉」)。
  3. マイケル・釈尊ではない。
  4. ヒョウタンツギによる食中毒で命を落とした。
  5. 現在キリスト様と一緒に立川に在住。
  6. ものすごい天然パーマだったと想像される。仏像の頭みたいな感じ。
    • 仏像の頭そのものだろ。
  7. 世界で最も像が作られた人物。
    • 2位以下にはスターリンやレーニン、毛沢東など世界各国の権力者が並ぶことになる。

イエス[編集 | ソースを編集]

  1. キリスト教の教祖。
    • ただし、イエスが「キリスト教」という宗教を始めたわけではない。イエスの死後、弟子たちが「あれ?イエス様ってキリスト(救世主)だったんじゃね?」と考えて始めたのがキリスト教。
      • 救世主って飯屋じゃなかったっけ?
        • ヘブライ語でメシヤね。キリストはギリシャ語→ラテン語。
          • なおクリスマスを「Xmas」と書くのは、キリストのギリシャ語綴りの頭文字がXになるため。エックスではなくカイである。また、「X'mas」と書くのは誤り。
    • しかも「キリスト教」の骨格を作ったのは、生前のイエスに会ったこともないパウロ。この男がユダヤ人ではなくローマ人であったことで、母体のユダヤ教とはガラッと変わった宗教になってしまった。
  2. お母さんはマリア。お父さんは神様らしい。
    • 義理の(?)お父さんの大工ヨセフは、たいていどの絵を見ても陰気な顔をしている。嫁が知らない間に神様の子をはらんでたんだから、そりゃそうだ。
      • 実際に聖書の記述でも、神様から真相を教えてもらうまではこっそり離縁しようと本気で考えていた。
    • マリアが処女懐胎というのは、誤訳から生まれた大誤解という噂も。
      • ヘブライ語で単に「未婚の女」を意味していた言葉を、ラテン語に訳す時に「処女」としてしまったらしい。訂正しようにも、今さらひっこみがつかなくなっている。
      • 同腹の兄弟が存在している時点でおかしいだろうというツッコミはかなり古い時代からあった。そもそもラテン語への翻訳間違いが原因で聖書がおかしな内容になった例は他にもある。
        • 「罪の果実」が林檎になったのもそれが理由。元々、創世記の舞台と推定される地域は林檎が生育できる環境でない。
        • ラテン語では「罪」と「林檎」が、同じスペルで違う読みという非常に紛らわしい関係にある。
  3. ユダヤ教の改革者というのが、生前のイエスについてのいちばん妥当な評価かと。
    • ユダヤ教側もその意味では認めている。
    • またイスラム教では、「ムハンマド以前の最大の預言者」と規定している。
      • イスラム教でも公式に「預言者・イーザー」として認められている。そのため、イスラム教徒であっても新約聖書を『イーザーの預言書』という名目で持っている人もいる。
    • が、「神の子」とは認めていないために、キリスト教はこの2宗派と共存できないと考えている。
  4. 公式には一生童貞だったことになっている。でも妻子が居たという噂もある。
    • 妻はたぶんマグダラのマリアで、子は新約聖書がなぜか絶対名前を書いていない「13人目の弟子」と見られる。
      • 名前が書いてないだけで、「もっとも愛された弟子」とか書かれており、この人物の存在は確実。奇妙なほどに名前を避けているのには、それなりの理由があるのだろう。
        • その「最も愛された弟子」の正体はイエスの子でも何でもなく使徒の一人であるヨハネだと聞いたことがある(「最も愛された弟子」もそのヨハネが書いた福音書から来てる)。単に自分の名前書くのが恥ずかしかっただけ?
          • イエスに子供が居てはまずいのでそんな解釈になったような気がする。この弟子、あとで登場した時、「この人は最後の晩餐の時にイエスに向かって『主よ、それは誰のことですか』と訊ねた人である」なんてまだるっこしい説明付きだったりする。自分の名前を書くのが恥ずかしいだけでここまで面倒くさいことをするだろうか。
          • またイエスが十字架にかけられる時、この弟子に母のマリアを指して「見よ、あなたの母である」次いでマリアに向かってこの弟子を「見よ、あなたの子である」と言っている。自分が死ぬので急遽養子縁組をしたわけだが、実のおばあちゃんと孫だったのであれば不自然ではない。
          • さらに復活後、ペテロがこの弟子のことを「この人はどうしましょうか」とイエスに訊ねている。イエスの実子だったからこそ、教団としては扱いに困ったのではないだろうか。
    • 日本人からすると、別にイエスに妻子が居たっていいじゃん、と思うが、キリスト教の立場としては、イエスの妻子の存在を認めてしまうと、数多くの修道士や神父に童貞を要求してきた根拠が根本から崩れてしまうので、これも「今さら」認められないらしい。
  5. 誕生日は7月頃。クリスマスではない。
    • ついでに言えば誕生年は紀元前5年頃。西暦1年ではない。
  6. 戦国時代の日本にキリスト教が伝わってきた当初は、デウス様と呼ばれていたらしい。
    • デウスは神様のこと。イエスのことはイエズス様と呼んだ。
    • ザビエルが最初に考案した日本語での呼称は「ダイニチ」だった。しかし密教の大日如来と混同されてしまったために慌てて変更している。
  7. 英語ではジーザスと発音する。
    • Oh...Jesus...(/ω`)
    • アイアムジーザスクライストゥ!!
  8. 対義語はノー
    • 日本語訳ははい
  9. 黙示録にはイエスが「もうすぐ」この世界に帰ってくると書かれてる。因みに黙示録が書かれたのは西暦95年。
  10. 高○クリニック
  11. プログレッシブロックのバンドを結成している。

ペテロ[編集 | ソースを編集]

  1. イエスの一番弟子。後の初代ローマ教皇。
    • 一番目の弟子入りにあたる人だが惣領弟子とは異なる(十二弟子に「序列」は無い)。しかし、「俺たちの中で最も偉いのは誰か」という内輪での議論を煽ることも多かった。
  2. もともとは漁師として生計を立てていた。
    • 不漁で困っていたところにイエスが現れて「あなたは魚でなく人間を集めるべき者」と言われ、弟と共に弟子入りする。
  3. 出生名はシモン。ペテロとは弟子入りの際にイエスから与えられた名である。
    • 直訳では岩のこと。日本人ふうの名にするなら「岩男」または「巌」。
  4. 性格を簡潔に言い表すなら、お調子者・天然・ドジっ子。以下の話は全て新約聖書に載っている内容である。
    • 水上歩行するイエスの後を追おうとし、一瞬成功するが、高波に気を取られた途端にドボン。
      • 直後に「君の信仰心はどっちを向いているんだ」とイエスに怒られている。
    • お互いの足を洗うことで互助的な愛を教えようとしているシーンにおいて、「頭もお願いします」
    • 「私が祈っている間は寝ないように」とイエスに言われたそばから堂々と居眠り。
    • イエスがローマ兵に捕らえられるシーンでは、イの一番に剣を振り回して応戦するも、結局はイの一番に逃走。
      • 逃走中も、「お前、イエスの関係者だな?」→「そんな人、知りませぇぇん!」と3回ウソをついて逃げ回る。
      • そこまでして逃げ回ることはイエスも織り込み済みで、夜明けの鶏の声をきっかけにペテロ本人もそれを悟り、自分の醜態を思い知って大泣きした。

パウロ[編集 | ソースを編集]

  1. イエスの死後の弟子。キリスト教の骨格を作り上げたのは、実はイエスではなくこの男。
    • 新約聖書の半分はパウロが書いた。
  2. 最初はイエスの弟子たちを迫害していたが、途中で転向。転向者ならではのヒートアップぶりで、本来ユダヤ人だけのための宗教だったものを、当時知られていたありとあらゆる民族に布教しまくる。
    • 本人もユダヤ人ではなく、ローマ市民だった。
      • ローマ市民権があったため、ユダヤ国内で宗教裁判にかけられることを忌避できた。
    • 転向に至るエピソードは「目からうろこ」の語源になっている。
  3. 異民族に布教するために、戒律などを大胆に省略もしくは改変してしまった。ほとんど換骨奪胎と言ってよいほど。
    • 当然、イエスの直弟子だったペテロたちにすれば面白くなかったろうが、パウロの異様なエネルギーと布教実績を前に、改変を認めざるを得なかった。
      • つーかここで認めたからキリスト教は世界宗教となることができたと言える。誰でも簡単に入信できるようになったので。
      • ペテロたち直弟子はいわば植民地住民だったので、本国市民であるパウロに逆らえなかったのかもしれない。
        • ペ「あの~パウロさん、これちょっと違うみたいなんすけど~」
          パ「いいのいいの。こうしないとガラテアやテサロニケの連中にはよくわかんないんだからさ。ペテロさんは教皇なんだから、細かいこと気にしないで、俺に任せてど~んと構えててくださいよ。それに字ィ書くのとか苦手でしょ?」
          ペ「え~、そ、そう?それじゃまあ、任せるけど……(いいのかなあ)」
  4. テント職人として別に仕事を持っており、宗教活動そのものによる報酬は受けていなかった。
    • そのため布教活動の初期には「どうせお前プロじゃねーし」と逆に軽蔑されていたようだ。
  5. かなり理屈っぽい性格で、布教活動に出かける相方とのケンカ別れも度々経験している。
  6. 新約聖書中にある「頭にかぶり物をして祈る」ことに関する記述は、自身の頭髪の薄さをもとにした自虐ネタのジョークとする説がある。
    • ちなみに絵画ではてっぺんハゲに描かれていることがよくあり、子供向け絵本の聖書でも後ろか横しか残っていないことが多い。

マニ[編集 | ソースを編集]

  1. マニ教の教祖。
    • 現存していないのでわかりづらい宗旨だが、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教などを統合した内容を持っていたらしい。仏教や道教の影響も見られるとか。
    • 徹底した善悪二元論(もしくは光と闇の二元論)で、それらは永遠に交わることがないとする。
      • この点で、光明神アフラ・マズダが最終的には暗黒神アンリ・マンユに勝利すると考えるゾロアスター教とは峻別されるし、ユダヤ教やキリスト教などの一神論とも異なっている。道教の陰陽二元論からの発想かもしれない。
        • この頃は道教自体がまだそこまで出来上がってない。マニの出自を考えたら、まず確実にグノーシス主義からだろう。
    • 反面、基本的にマニという卓越した個人が一から十まで頭の中で創り上げた宗教なので、マニ教独自の宗旨や特色がやや乏しい。
      • そのためどこの地域でも、カウンターカルチャーにはなれてもメインカルチャーにはなれず、一時的に流行はしても、結局既存の宗教勢力から異端と看做され撲滅させられてしまった。
        • マニが作った神話の構造はそのままに、その登場人物をアフラ・マズダやキリストなど他の宗教の神や人物に置き換えて布教した。やられた側からすれば、腹が立って当然。
        • マニは生前に自分で宗教書を書き、どれが聖典かまでキッチリ決めてから死んだため、発展する余地が乏しかった。
          • 普通、何が聖典かは数十年・数百年の激しい内ゲバの後に決まる事を考えると、いかにマニが用意周到だったかわかる。
          • かわりに教義の議論や深化が進まず、他の宗教との争論に弱いという弱点も産んでしまった。
    • 「最終預言者」を名乗り自分の後に同じ事を言い出す者が出ないよう教義に練りこんだが、結局その称号は後世のムハンマドに取られてしまった。
  2. ゾロアスター教を国教としていたササン朝に迫害され、最後は虐殺される。
    • 生きたまま全身の皮膚をはぎ取られて殺されたそうな。ガクガクブルブル……
    • ただ史料によってまちまちで(マニ教にはよくあること)、どれが正しいか決めがたい。
      • 牢屋に囚われたマニを高弟が見舞っていることから、そこまで酷い扱いではなかった気もする。死因は獄中の辛い生活に老齢のマニが耐えられなかったからだろう。
  3. の長安にマニ教の寺院があったことは確実。だが武宗の廃仏令の時に迫害されて地下に潜り、その後どうなったのかわからない。
    • 「マニの教え」という名前を捨て、「まことの教え」と称して既成宗教に浸透し、それぞれの中で改革を試みたという説もある。陳舜臣の小説「桃源郷」を参照。
    • 北宋末に叛乱を起こした方臘(「水滸伝」後半の敵役)は「喫菜事魔」と呼ばれた。これが実はマニ教だったという説が有力。
      • というのは一昔前の説。単に徽宗の重税に対する反乱だったのが、中国の反体制運動は宗教がつきものというパターンからの逆算して、明教(中国のマニ教)と結び付けられてしまった。
    • 現在でも福建省にだいぶ変質したとはいえ、マニ教の中国分派・明教を信仰する村があり、ぱっと見仏像にしか見えないマニの像がある。
      • 20世紀、マニ教研究が進んだせいでこれを信仰しようとする人も表れた。ただ、マニ教研究はまだまだわからないことが多く、一つの遺物発見や文献の解釈次第で通説が一変しかねない。そんな教えをよく信仰する気になるよなあ。
  4. 国鉄の荷物車。
    • 現金輸送車としてのそれは、その存在を秘匿されていた。マニ車とも。
    • 42.5t以上47.5t未満の荷物客車。
  5. かつて某アイドルグループの1ユニットとして存在していたことがある。マニモニだけに。
  6. マニが頭の中で一人で組み上げた教えなため、時々意味不明な教義がある。
    • 聖職者が食べていいのは、水をいっぱい含んだメロンきゅうりぶどう
      • 乾燥地帯に住む人らしい発想とも言えるが、それ単にお前が好きな食べ物なだけじゃないの!?、とツッコミを入れざるを得ない。
  7. マニの個性が強すぎるため、弟子たちは基本影が薄いが、父親のパティークはマジフリーダム。
    • 身重の妻(inマニ)を捨てて、女人禁制のユダヤ・キリスト教系の新興宗派エルカサイ教団に入る。仏陀にも苦悩して妻子を捨てる話があるけど、この人の場合その場の思いつきでやってるようにしか見えない。
    • 成長したマニが、エルカサイ教団を抜けてマニ教を広めようとすると、その教団を捨ててマニに付いてくる。我が子が可愛かったんだろうが、妻を捨ててまで入った教団をまたあっさり捨てるのはどうなんだ・・・。
    • マニ教を各地に布教するが、わずか5年間でメソポタミア、イラン、インド、イランに戻って直ぐまたインド、メソポタミアに戻ってシリアで伝道、他の弟子に任せてメソポタミアに帰ると、落ち着きが無さ過ぎる。
    • 教団内での功績はともかく、マニの父ということで「長老」という特殊な地位を与えられて、マニより長生きした。この人生きてて楽しそうだよね・・・。
  8. 写本と賛美歌を好み、布教に大いに利用した。
    • 19世紀頃までのイスラム圏でマニと言えば。宗教家ではなく、画家として有名だったほど。田中芳樹の小説『アルスラーン戦記』で軍師ナルサスが「画聖マニの再来(笑)」と自称する元ネタは、多分これ。

ムハンマド[編集 | ソースを編集]

  1. イスラム教の教祖。モハメッドとも呼ばれる。
    • マホメットとも。
  2. 宗教家というより、教育者という雰囲気がある。
    • 日常のことこまかなことまで懇切丁寧に教えている。当時のアラビアに、そういう日常規範みたいなものがほとんど無かったのだろう。
    • 一方、ムハンマドの発言がことこまかすぎて、後世の教徒が身動きとれなくなっているというデメリットもあるようで。
  3. イエスはすべてを捨てて神に祈ったが、ムハンマドは女房の愚痴を聞きながら神に近づこうとした。どちらがより困難で尊いかは……考えるまでもありませんね。
  4. 武将としても一流。彼は信徒たちを上手く組織して、後のイスラム帝国の基礎を作り上げた。ハンパねぇ統率力。
    • そのため、イスラム教にはユダヤ教やキリスト教のような迫害の歴史はない。
      • ユダヤ教におけるエジプトやバビロニア、キリスト教におけるローマなどの強大な勢力と隣接していなかったせいかも。アラビア半島を席巻したムハンマドの力量は確かだが、その時点で、すでに迫害するほどの力を持った敵対勢力は存在しなかった。
      • だが他の宗教同様、内ゲバ(内部抗争と分派の発生)をなくすことはできなかった。
        • 暗殺専門の分派が発生したり、内ゲバは他の宗教より先鋭化して……ゲフンゲフン。
  5. その教えは、漢字圏では『回教』と呼ばれている。なぜ『回』なんだろう?
    • 「回族」という中央アジア系の民族が信仰していたため。日本でもイスラムのことを「フイフイ教」と呼ぶ人が居た(「回」の現地語発音が「フェ」で、それがなまって「フイ」)。
  6. 絵では顔を描いてもらえない。
    • と言うか描いたら描いた人の命が危ない。
    • 偶像崇拝禁止なので、宗派によってはイスラム教徒には人物風刺画という概念がない。だから預言者や宗教中心人物の顔を描いてはいけないのである。中国にあった「太平天国」もキリスト教原理主義のプロテスタント系結社だったから人物風刺画がない。イスラエルもユダヤ教の教えが有り、数十年前までは漫画家はいなかったらしい(モーゼ、ヨシュアなどの中心人物でなければ問題はないらしい)。
  7. 一夫多妻が流行していた当時のアラブで、妻を持つのは4人までにしておけと戒告。
    • しかし自分は同時に10人も妻を娶った。
  8. 嫁の一人は結婚時に9歳。
    • その影響で、イスラームでは女子の結婚の最低年齢は9歳とみなされるようになった。
    • なお、アラブでは性交しなければ結婚は成立しない。つまり結婚年齢=処女喪失の年齢。
      • いくら何でも「9歳の幼女を犯した預言者は間違っていた」と公言するのは憚られるので、後世のアラブのフェミニストは、「実はムハンマドの幼な妻は9歳じゃなかった。(だから9歳の娘と結婚するのは違法)」という苦しい説を唱えている。
      • アラブのロリコンの中には、「愛さえあれば年齢は関係ないということを預言者は実証してみせた」と唱える人もいる。
      • シーア派では、父親のこともあってアーイシャは嫌われている。
    • ロリコンというよりマザコンなのでは・・・
    • 9歳で嫁に行ったアーイシャは幸せだったかというと、死んだ15歳年上の前妻(ハディージャ)の昔話を側室の前でするムハンマドの傍で、大変嫉妬深く攻撃的な女性に成長しましたとさ。
  9. 今でこそ世界中で人気のある人物だが、当時は怪しげなカルトの教祖としかみなされていなかった。
    • そしてその先例ともいえるキリストはカルトとかそんなレベルじゃない程の超危険人物だった
      • イエスって危険人物かな?ローマ帝国への武装蜂起・テロも辞さないような団体がある中で、かなり穏健なほうだったと思うけど
        • 今ではキリスト教の勢力が強いので、日本の一般人にもイエス=穏健な善人のイメージがあるが、新約聖書を読むと、神殿で商売人している人々相手に暴力を振るったり、「家族は敵である。私を家族よりも愛さないものは私の弟子では無い。」と発言したり、豚を集団自殺させたりと、過激な面もある。
  10. 大の好きだった。
    • 弟子にアブー・フライラという人がいた。アラビア語で「子猫大好きオヤジ」という意味である。
    • でも犬はちょっと。
  11. 洞窟にこもって瞑想していたら神の啓示を受けたらしい。

ジョン・ウィクリフ[編集 | ソースを編集]

  1. 宗教改革と言えばルターを想起されることも多いが、実質的には、生まれ年がルターより約150年早いこの人から始まっている。
  2. もともとはカトリックの教職者兼オックスフォード大学の先生。
    • 大学教授の立場で聖書を研究するにつれ、カトリック教会の実情が聖書に沿わなくなっていることを主張するようになる。
      • 「教会の頭はキリストである」と聖書にあるのに教皇がアタマにいるのはおかしいとする「教皇無用説」の提唱や、現在のカトリックでも絶対視される「化体説」の否定など。
      • これらの主張はほんの一部だが、ほぼ全てに共通し「聖書にはそんなこと一言たりとも書いてねーだろ!」を論拠としている。
    • 彼の取り組みはチェコのヤン・フスに強い影響を与え、プロテスタント運動の原型であるフス派につながって行く。
  3. 世界初の英語翻訳版聖書を作った人でもある。
    • これにちなみ、聖書を様々な言語に翻訳するプロジェクトを全世界的に行っている「ウィクリフ聖書翻訳協会」に名を残している。

グリゴリー・ラスプーチン[編集 | ソースを編集]

  1. ロマノフ朝というと歴代皇帝よりこの人物の方が有名だったりする。
  2. 妖術でアレクセイ皇太子の血友病を治したとされている。
  3. ラスプーチンがデカ○ンであったことは有名。
    • 後年ラスプーチンのムスコとされるものがホルマリン漬けで発見されたが、ナマコを糸で縛ったものだったらしい。
    • そのため、周辺の女性には人気があったらしい。
  4. 青酸カリ入りのケーキを食べても死なず、銃で4発撃っても死なず、タコ殴りにしても死なず、凍った川に投げ込んでやっと溺死したという。
  5. この人の本名はラスプーチン。イメージが悪いので改名したらしい。
    • 改名したのはその人のお爺さんね。ちなみにスターリンの専属のコックだった人です。
  6. フィクションでは大人気。不思議な力や卓越した才能で時の権力者の信頼を勝ち取り裏で操る、所謂「影の支配者」的な悪役はこの人物をモデルにしてるパターンが多い。
  7. アニメ「アナスタシア」では、亡命王族のアナスタシアを執拗に追いかける悪い亡霊として描かれるが、彼が悪人扱いされたのは、革命で君主制を倒したボルシェビキ政権が「旧政府の誰かを悪者にするしかない」とロマノフ朝を惑わせた悪人に仕立てたものと思われる(革命後の新政府は革命を正当化するために、旧政府を悪者にしなければならかった、それが歴史の常である)。
  8. 根っからの悪い奴かというと微妙なところで、権力には興味がなく、もらったお金は気前よく使って貧乏人に寄付するなど個人としては実はいい人じゃね?感はある。が、そんな浮世離れした人間が皇帝一家と仲良くなってあまつさえ政治的助言までしていいのかというのは全くの別問題で、公的な場にいてはいけないタイプの人間というのは動かないところ。

芸術家伝[編集 | ソースを編集]

ヨハン・セバスチャン・バッハ[編集 | ソースを編集]

  1. 音楽の父。乳ではない。
    • ドイツ3大B」の一人。残りはベートーヴェンとブラームスだが、彼らとの面識はない。
  2. 小川さん。
    • Bachは「小川」の意。ちなみにドイツ語読みで「バッハ」と発音する。
  3. 兄弟や親子みんなが著名な音楽家なので、J.S.を付けると特定できる。
    • 家系図絡みの場合「大バッハ」と表現するのが一般的。ちなみに「小バッハ」は多数ある分家の俗称。
    • 子孫が異常にデカい態度をとっていた時期があり、たまに笑い話のネタにされている。
  4. 「トッカータとフーガ」とか「G線上のアリア」とか、名曲多数。
    • しかし曲は知っていてもタイトルやバッハと結びつけることができないというのが大多数の人間。
    • 著作権についてアバウトな時代、いろいろなジャンルで曲をパクられまくった。
    • と言うか生前はさほど有名ではなかった。有名になったのは死後しばらくしてメンデルスゾーンが彼の曲をベタ褒めして知れ渡っただけのこと。
  5. チャラリ~♪ 鼻から牛乳ー♪
    • きーたーねーえー♪
  6. テレビ埼玉の公営競技番組に名前を使われてしまった(BACHプラザ。Boat(競艇)、Auto(オート)、Cycle(競輪)、Horse(競馬)の頭文字をつなげて…)。
  7. 小川ジョン。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル[編集 | ソースを編集]

  1. 何はともあれハレルヤ、Hallelujah、晴れるや。
    • あと、表彰式の曲(見よ勇者はかえる)。
    • 欧州サッカーファンならなじみ深いUEFAチャンピオンズリーグ・アンセムもこの人の原曲(司祭ザドク)。
  2. バッハとは同年生まれの完全な同時代人。
    • 死因も同じ(同じニセ医者にインチキ白内障手術を施され健康を害したのがきっかけ)
    • ある高名なオルガニストの後釜に入ろうとして娘を押し付けられそうになり逃げたのも同じ。
  3. ドイツ人でありながらイギリスで当時の最新様式のイタリアオペラを発表する事で大成功した人。
    • 『リナルド』の『私を泣かせてください(涙の流れるままに)』や『セルセ』の『オンブラ・マイ・フ』のように今でも歌い継がれる名アリアも多い。
      • オペラの全曲上演も20世紀後期位から少しづつリバイバルが盛んになってきている。
    • しかしこの流れはベガース・オペラの大流行により終わりを告げ、以後イギリスでは本格的なオペラの世界初演による成果は20世紀半ばまで途絶える。
      • ベガース・オペラの流れはギルバート&サリヴァンのオペレッタ等を経てミュージカルへと辿り着く。
      • ヘンデルも同様にオペラに見切りをつけオラトリオの作曲に移行し、上記の『ハレルヤ』を含む『メサイア』や『見よ勇者は帰る』を含む『マカベウスのユダ』等を世に残す。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン[編集 | ソースを編集]

  1. 世界で最も有名な音楽家の一人で、ドイツ3大Bの一人。
    • 「ドイツ3大バカ」ではないので注意。
  2. 交響曲からピアノ曲、歌曲、オペラと、ありとあらゆるジャンルの作曲をした。
    • 第九とエリーゼのためには、知らない人はいないんじゃないかな。
    • ただしオペラは苦手だった。唯一のオペラ「フィデリオ」はけっこう駄作。
    • 当時「この発想は無かった!」と驚かれたものに、協奏曲のソリストにピアノトリオ(Pf. Vn. Vc.)をそっくりそのまま持ってきた「三重協奏曲」がある。
      • これを演奏するには独奏者を3名用意する必要があることなどから、公演される機会は少ない。
      • また3種の楽器の難易度格差がかなり大きく、チェロに至っては序盤でいきなりト音記号にブッ飛ばされF5を要求されるなど、目が回る内容。
  3. ジャジャジャジャーン!
    • 交響曲というジャンルをやたら重たいものにした。師匠のハイドンは少なくとも104曲、先輩のモーツァルトは41曲も作っているが、このためベートーヴェンは9曲書くのがやっとになってしまった。
      • タモリ曰く「ベートーヴェンが音楽に深刻さを持ち込んだんですよ!」
  4. 難聴と闘いながらも数多くの作曲をした苦労人としても有名。
  5. ドイツ語では「ベートホーフェン」と発音するのが正しいらしい。あと、真ん中は「ヴァン」ではなく「ファン」になる。
    • 貴族の名前につく「フォン」ではなく、ただのオランダ系のミドルネーム。画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホや、「ピーナッツ」に出てくるルーシー&ライナスのヴァン・ペルト姉弟などと同じである。
      • 「フォン」と間違われて貴族の出と思われ、ベートーヴェン自身も否定しなかった。あとでバレた時に大変気まずかったらしい。
  6. 同名の犬の映画があったなあ。
  7. 髪の毛を振り乱した肖像画が有名だが、残された手帳には「○月×日、かつら屋」などと記されていた。人前に出る時はちゃんと身なりを整えたようだ。
  8. 最後の言葉として伝えられるのは「友よ喝采せよ、喜劇は終わった」
    • えらくカッコいい気がするが、実は遺言状に署名した時のセリフ。この頃もうベートーヴェンはよれよれで、ペンを握るのも覚束なく、署名するのにやたら時間がかかった。ようやく署名し終えて、まわりの友人たちに照れ隠しに言った言葉だったそうな。
  9. 日本の地で現代によみがえったかに見えたが、どうやら幻に・・・
  10. よく学校の怪談を招いている。
  11. よく使われる肖像画がとてもむっつりした感じである理由は、描かれる日の朝食がとてもまずくて不機嫌だったからという件を多くの歴史トリビア本で取り上げられている。
  12. 手塚治虫の絶筆となった漫画『ルードウィヒ・B』は美化しすぎ。個人的には水木しげる版の『劇画ベートーベンの生涯』の方がそれっぽい。

ジョアキーノ・ロッシーニ[編集 | ソースを編集]

  1. 美食大好き、女大好き、人生楽しけりゃいいじゃん・・・という絵に描いたようなイタリア人の作曲家。
    • 「ロッシーニ風」と名前のつく料理はすべからくこの人が考案したもの。
      • すべからく→(正)当然のように (誤)全て
  2. とっとと引退して後半生は悠々自適の年金生活。だがガチの天才。ウィリアム・テル序曲は誰もが一度は聞く。
    • 一つのオペラを1週間で完成させるが、序曲は以前作った作品の使いまわし。
      • 「ベートーヴェンは1つのオペラのために4つの序曲を作ったが、ロッシーニは4つのオペラのために1つの序曲を作った」と言われた。
      • しかしウィリアム・テルは創作に8カ月を要し、そこで自分の才能が枯渇したことを悟り、引退した。
        • マトモに全曲通しで演奏したら5時間半もかかる代物をたった8か月で作っただけでも凄いと思うのは現代人の感覚なんだろうなあ…
  3. あのワーグナーも「ロッシーニみたいになりてぇ」と憧れていた。でも念願かなってロッシーニを訪問しオペラ論をぶったら、話の途中で何度も席を外して料理の火加減を気にしてたという。ワーグナーには美食もまた芸術というロッシーニの感覚が理解できなかっただろう。

ヨハネス・ブラームス[編集 | ソースを編集]

  1. ドイツ3大Bの一人。但し先述の二人(バッハとベートーヴェン)とは面識はない。
    • ベートーヴェンの没年は1827年で、ブラームスの生年は1833年。
  2. 日本では非常に人気が高い作曲家らしい。
  3. 名曲多数で、交響曲第1番は交響曲史上最高の作品の一つ。
    • まあ俺は好きではないんだが。「非の打ち所のない作品です(ドヤァ)」というような作風が鼻につくので。名曲ではあるけどね。
  4. ハンガリー舞曲第5番は知らない人はいないだろう。また第1番は一時期2chで話題になった。
    • ハンガリー舞曲集を出版するとハンガリーの音楽を紹介した当地の音楽家達から訴えられてしまった。が、作曲ではなく編曲としたのが幸いして裁判には勝った。
  5. その作風とは裏腹に、本人はかなりの変わり者だったようだ。特に酒に関するエピソードが多い。
    • 床にこぼれたブランデーを「もったいない」と言って舐めたとか。
  6. シューマンの弟子であったが、その妻クララに横恋慕していたらしい。
  7. 受験生の味方。
    • 今日もラジオから大学祝典序曲が…。

ピョートル・チャイコフスキー[編集 | ソースを編集]

  1. ロシアの作曲家で、ブラームスとほぼ同時期に活躍した。
    • 同時代のロシアの作曲家同様、最初から音楽の道に進んだわけではなく、法律学校を卒業して役人になった後作曲家に転身している。
  2. 美しいメロディが特徴で、それゆえに名曲も多数。
    • クラシックファン以外にもよく知られている曲も非常に多い。
  3. 上のブラームスに比べると、遊び心が満載な作風でもある。
    • 「序曲1812年」の冒頭部分なんて、初めて聴いたら4拍子だと思うんじゃなかろうか。まさか3拍子だったとは!
  4. ホモだったらしい。
  5. 死因にも色々と謎の多い人。
    • 一応公式には「生水を飲んだことによるコレラ」ということになってはいるが、自殺説や他殺説も根強い。
      • その関係で、最後の完成作となった交響曲第6番「悲愴」の意味付けが大きく異なってきたりもする。

フィンセント・ファン・ゴッホ[編集 | ソースを編集]

  1. キチガイと天才は紙一重を地で行く画家。
  2. 最終的には芸術家として高く評価されているが、そこに至るまでの過程はなんというか色々ヒドイ。絵の才能がなければただの勘違い野郎で終わっていた。
    • 「下層の労働者は尊い!」と寄り添うまではいいのだが、寄ってくだけで何もできないというかむしろ邪魔なため、当事者からは鬱陶しがられる。
    • 理想を抱いて修道士を目指すが、自分の勝手な理想で行動するため教会からは「お前ダメ」と免許もらえず。
    • そんなこんなで芸術家を目指すのだが、生活能力皆無なため資金は弟にたかる。
    • 晩年のゴッホを実際に見た人の回想では「いつも汚い格好で酒癖悪い」と酷い言われよう。
  3. ただこうした間違った情熱が絵に昇華されたからこそゴッホは天才足り得たとも言える。

政治家伝[編集 | ソースを編集]

ジェームズ・モンロー[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカにおいて「モンロー主義」と呼ばれる他国の外交政策に無干渉かつ無協調な立場を打ち出した。
    • 後に似たような態度を取った大阪市の市営交通に関する政策がモンロー主義と言われるようになった。
  2. 同じ姓の有名なモンローの先祖のうわさがある。

エイブラハム・リンカーン[編集 | ソースを編集]

  1. 奴隷解放で知られている。
    • でも当の本人はあくまでも奴隷州の拡大を支持していないだけ。奴隷制自体は地域経済の影響を懸念してあんまり手を付けたくはなかった。なのに南部の州は「奴隷制が廃止される!」とパニクって離脱し、南北戦争が勃発。
    • 奴隷解放宣言は単に南部の奴隷を発起させて内乱を起こさせようとする軍事的戦略にすぎない。
      • また、南部から安価に綿花を輸入でき、自由貿易のほうが有利なイギリスやフランスを牽制し、人道を盾にとって南部への援助を踏みとどませる方策でもある。
    • 個人としては奴隷反対。倫理感がどうというよりそもそも悪政の元だと考えていたため。でも南部の事情も分かるし、時間かけてなくしていくしかないな、というのが本来の政治信条。あくまで現実の政治的対象として扱っている辺りがやはり切れ者だなと思わせる。
  2. アメリカ史上最初に暗殺された大統領。
    • 約1世紀後に同じく暗殺された大統領とは共通点が何故か多い。
    • リンカーンを暗殺したのは政権にたいそう不満な南部の人であるが、その人はすぐに警察隊に射殺された。
  3. ダーウィンとは同い年どころか同じ日生まれ。
  4. トム・ハンクスの遠縁。
  5. 「人民の、人民による、人民のための政治」というゲティスバーグ演説をした。やけに長い演説っぽく見えるが、このフレーズ含めた演説全体は約3分と短かった。

セオドア・ルーズベルト[編集 | ソースを編集]

  1. アメリカ版暴れん坊将軍。
    • 42歳の若さで大統領に就任。この記録は今でも破られてない。
  2. ニューヨーク知事から副大統領になったのは裏でNYの利権屋が手に負えなくなって副大統領になりゃ何もしてこないって事で副大統領にぶちあげた。が、時の大統領暗殺で(ry
  3. テディベア。
  4. 米西戦争時は騎馬隊長であったが当の騎馬隊は馬の輸送が遅れてたせいでほとんど徒歩で移動していた。
  5. 日本人がポーツマスの名前を知ってるのは彼が日露講和条約をそこで取り持ったから。
    • それでノーベル平和賞を貰っている。
  6. 日本に戦争を吹っかけた方のルーズベルトは従兄。
    • セオドアの方が年上であり、フランクリンは従弟。
  7. ルーズベルトなのかローズヴェルトなのかはっきりしない。
  8. 現代でも歴代BEST5入りするほど評価の高い大統領だが、「いいインディアンは死んだインディアンだけだ」的な部分だけはいかにもなアメリカ野郎。日本文化にハマるなど柔軟性も持ち合わせていたはずなのだが。
    • 支那利権に入れあげた挙句日本人を根絶やしにしようとした隠れアカのフランクリンの方とはえらい違いですなあ。

ウッドロウ・ウィルソン[編集 | ソースを編集]

  1. 上院の反対を食らったせいで自分の国であるアメリカを国際連盟に参加させることが出来なかった。
    • 第一次世界大戦を終わらせて国際連盟設立のきっかけを作ったまでは良かったのだが…。
  2. フロイト曰く「無意識で自分をキリストと同一視している」とかものすごい分析をされている。

オットー・フォン・ビスマルク[編集 | ソースを編集]

  1. 賢さとずる賢さを備えたジャイアンである。
  2. 身長190㎝なのに歯医者が嫌いで暴飲暴食なのに83歳まで生きている。
  3. 皇帝がドイツ産シャンパンを愛国心のために飲んでいるの時にシャンパンをまずいと言ったことも。
  4. アメリカのドイツ人入植地の名残として彼の名前を冠した町がある。
  5. 自分がつかえるプロイセン王をスペイン王にしようとして、フランス皇帝ナポレオン3世を挑発。
    • ナポレオン「わが国が挟み撃ちになるので、スペイン王即位はやめろ。」
    • ビスマルク「じゃあ、戦争で肩をつけようではないか。」
    • ナポレオン「望むところだ。」
    • ナポレオンはオーストリア、イタリアに助けを求めるも、外交政策の失敗で両国に嫌われて断念。ロシアに頼むも「一昨日きやがれ」と門前払い、英国にお願いするが「それうちにメリット有るの?」と断られて、自力で参戦するも惨敗。