冬季オリンピック

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第1回~第4回[編集 | ソースを編集]

シャモニー(1924年)[編集 | ソースを編集]

  1. 正式名称が「第8回オリンピアードの一部として、IOCが最高後援者となり、フランス・オリンピック委員会がフランス冬季競技連盟とフランス・アルペンクラブ共同でシャモニー・モンブラン地方で開催する冬季スポーツ大会」とめちゃくちゃ長い
    • 正式に冬季五輪と認められたのは次回大会開催時。
    • カーリング競技のメダル授与に至っては開催から80年以上後の2006年にまでずれ込んでいる。
  2. ドイツは第1次大戦で敗れたこともあり参加させてもらえなかった。
    • だがオーストリアとハンガリーは参加している。

サンモリッツ(1928年)[編集 | ソースを編集]

  1. 日本が初出場した冬季五輪
    • 本当は前回大会にも参加予定だったが関東大震災の影響で選手派遣を断念している。
  2. アルゼンチンが南半球の国として初めて冬季五輪に参加。

レークプラシッド(1932年)[編集 | ソースを編集]

  1. とにかく暖冬に振り回された。
    • 当初はカリフォルニア州のライトウッドとビッグパインズという場所で行う予定だったが雪不足のため急遽開催地を変更。
    • ボブスレーは閉会式後まで開催できなかった。
  2. 世界恐慌のせいか参加国が前回大会より減ってしまった。

ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(1936年)[編集 | ソースを編集]

  1. 五輪開催のために街を合併させるという荒業をやってのけた
    • もともと「ガルミッシュ」と「パルテンキルヒェン」の2つの街だったのを「ガルミッシュ=パルテンキルヒェン」にした
  2. これまでの大会で最もメダルが大きかったのはこの大会らしい。

第5回~第18回[編集 | ソースを編集]

サンモリッツ(1948年)[編集 | ソースを編集]

  1. 開催地決定から開催まで準備期間が1年半もなかった。
  2. スイスの都市が選ばれたのはスイスが第2次大戦で中立国だったからだとか。
  3. 終戦から3年後の大会ということで第2次大戦の影響が大きく及んだ。
    • 敗戦国のドイツと日本は締め出された。
    • ノルウェーのスキー選手は試合用の板をアメリカ選手団に借りる羽目になった。
  4. アイスホッケーアメリカ代表が2チーム派遣され問題に。
    • 結局全米体育協会が派遣した方は公式記録に含めない扱いで決着。

オスロ(1952年)[編集 | ソースを編集]

  1. 第2次大戦で痛めつけられたノルウェーの復興を印象付ける意味で開催地に選ばれた。
  2. 日本はこの大会で冬季五輪に復帰。
  3. ドイツを参加させるかどうかでかなりもめた。
    • 参加反対運動も起きたが結局西ドイツの参加が認められた。
    • なお東西合同での参加を誘われた東ドイツは拒否。

コルティーナ・ダンペッツォ(1956年)[編集 | ソースを編集]

  1. イタリア初の五輪
    • 1944年の中止から時を経て実現した
  2. 猪谷千春が日本人として初めて冬季五輪でメダル獲得。
  3. 冬季五輪初参加のソ連がいきなりメダル獲得数でトップに躍り出る。

グルノーブル(1968年)[編集 | ソースを編集]

  1. 白い恋人たち。
    • フランシス・レイ作曲のテーマ曲はあまりにも有名。
  2. いしだあゆみの姉がフィギュアスケートの選手として出場した。
  3. 非公式ながらオリンピック史上初めて大会マスコットが誕生した。

札幌(1972年)[編集 | ソースを編集]

滑降ポスター
  1. 日の丸飛行隊。
    • 70m級ジャンプにて日本人初の冬季五輪金メダル&メダル独占(藤沢選手が順位を落とさなければ4位まで日本人独占だった)
    • 笠谷幸生は昭和時代唯一の冬季オリンピック金メダル、戦前生まれ唯一の冬季オリンピック金メダリスト、冬季五輪が夏季五輪と同年に行われていた時代の唯一の個人競技金メダリスト。
      • 笠谷の次に冬季オリンピック個人競技金メダルは1998年長野大会の清水宏保。
  2. 虹と雪のバラード。
    • 今考えると、あんな露骨に「オリンピックと」なんて歌詞でよかったんだろうか。
  3. 地下鉄開通、高速道路完成、札幌が大変身。
    • uhbのサービス放送も始まった。
    • 地下街が出来たのもこのころ。
  4. 女子フィギュアは、金メダルのシューバ選手よりも、銅のジャネット・リンが人気。
  5. シュランツはクナイスルで勝つ!←アウト。
    • このころのアルペン種目の商業化は、当時のIOCブランデージ会長が最も敵視していた。
  6. 1940年にやる予定だった。
  7. この大会を記念して出されたはずの中東某国の切手が単なる北海道の名所と名物の紹介と化していた。
  8. 中国で国民党が共産党に勝っていたら北京での開催だったが、札幌での開催は12年遅れていた。
    • なお史実でも1984年の冬季オリンピックに札幌は立候補していました。

インスブルック(1976年)[編集 | ソースを編集]

  1. 当初はデンバーの予定だったが、住民反対返上により1964年以来2度目の五輪。
    • 前回の台を存置し、聖火台がダブルで据え付けられることに。
    • 開会式で前回開催地の札幌市長から改めて大会旗が引き継がれた。
    • 大会マークもほぼ前回開催時の使い回し。

レークプラシッド(1980年)[編集 | ソースを編集]

  1. 既存施設の活用や、終了後の転用でかなり節約した五輪
  2. ソ連はボイコットも噂されたが無事参加。
    • その一方デンマークは「メダルが取れそうにない」という理由で不参加だった。
  3. アイスホッケーでは大学生主体のアメリカ代表がステートアマのソ連代表(当時4連覇中)を破る奇跡を起こした。
    • 彼らは22年後、聖火に点灯した。

サラエボ(1984年)[編集 | ソースを編集]

  1. 冬季としては社会主義国で唯一の開催。
  2. メインスタジアムは後の紛争で破壊された。
    • しまいには戦没者墓地に回されるという悲しい末路…。
  3. この大会は札幌も誘致を目指していた。
    • 中国で国民党が共産党に勝っていたら12年遅れで実現できていただろうに。
  4. 歴史的な恨みつらみが原因でオーストリア選手団が大変な目に遭った。
  5. この大会のフィギュアスケートのアイスダンスと女子シングルの金メダリストたちは、そろってリレハンメル冬季五輪にも出場を果たしている。
  6. 開会前は暖冬だったが、開会式は恵みの猛吹雪に。

カルガリー(1988年)[編集 | ソースを編集]

  1. テーマ曲は今もテレビ番組などで時々使われる。
    • 「Winter Games」(デビッド・フォスター)
  2. クールランニング。
    • ただし実際のジャマイカチームはあのような大転倒は記録していない。
  3. ジャンプではニッカネンの三冠やエディ・"The Eagle"・エドワーズが有名になったが、チェコスロバキアのイジー・マレツが史上初めてV字ジャンプでの五輪メダリストになったことはあまり知られていない。

アルベールビル(1992年)[編集 | ソースを編集]

  1. ここから長野まで、日本のメダル数が急増。
  2. 開会式のプラカード嬢(?)が奇抜なデザインだった。
  3. フィギュアスケートファンには伊藤みどりがトリプルアクセルを決めた大会として知られる。

リレハンメル(1994年)[編集 | ソースを編集]

  1. 夏季大会の中間年開催になったのはここから。
    • ノルディック複合で、日本が連覇できたのも、この開催年移動のおかげかも。
  2. ニホンノミナサンコンニチワー
  3. 開会式の会場がスキージャンプ台。
    • 聖火がスキージャンプでやって来た。
  4. 大会直前、フィギュアスケート女子シングルアメリカ代表で騒動がおきた。
    • 結果は邪魔された方の勝ち。
  5. 開会式では当時包囲真っただ中だった10年前の開催地サラエボに黙祷が捧げられた。
  6. これまでで最も北にある都市で開催された大会になった。
  7. ナイトスクープでアイスホッケーの試合中に「アホの坂田のテーマ」に似ているBGMが流れたと言う空耳ネタが当時のファンで話題に。

長野(1998年)[編集 | ソースを編集]

  1. 善光寺が活躍(?)した。
  2. 環境五輪を標榜していたが、一番得したのは結局土建屋だった。その痕跡は今も長野県内の各所に残る。
    • 信州をホームゲレンデとするスキーヤー・ボーダーには、アクセス道路がよくなったのでありがたい大会。
      • この年に限って言えば、交通規制やら何やらで迷惑極まりなかったが。
        • ついでに、会場になったスキー場も収入が減った。
        • 逆に交通・滑走規制の絡まない妙高・菅平あたりはウハウハだったらしい。
  3. 八方尾根での男子滑降スタート地点論争で、多くのスキーヤーは思った。「環境破壊になるって…何を今更?」
  4. 欽ちゃんが閉会式で「The earth is our House」と叫んでいたが、ネイティブの人には「The ass is our House」としか聞こえなくて失笑物だったらしい。
  5. メダルは木曽漆器。
    • 多色のメダルが採用されたのは実は長野が初めて。
  6. 長野にとって「川中島の合戦以来の人出」だったとか。
  7. 長野にとってはあまりプラスにならなかったみたい。
    • 新幹線が開通して首都圏からの日帰り客が増え、旅館業界が打撃を受けた。
    • 道路が整備されすぎた結果、長野電鉄が苦戦している。
  8. 開催地が冬季五輪史上最も南にあるという事はあまり知られていない。
    • それこそ南半球で開催されない限り更新は困難かと。
  9. 「ふなきぃ、ふなきぃ」
  10. 「WAになっておどろう」で盛り上がった。
    • その一方NHKの中継テーマ曲は本大会に限り異様に影が薄い。
      • 本当に影が薄いのは杏里が歌った公式テーマソング。というか角松敏生らAGHARTAの歌った「WAになっておどろう」が好評で五輪テーマソングにしたかったけど既に決まってたからそのまま杏里が使われたという流れで結局「WAになっておどろう」をスノーレッツのテーマとしてねじ込まれるなど公式レベルでの不遇っぷり。
    • 演奏したのはオリジナルバージョンを歌っていたAGHARTA(角松敏生が長万部太郎名義で馴染みのスタジオミュージシャンを率いたバンド。有名なV6のバージョンはカバー)で、閉会式ではタイムスケジュール上事前収録の当て振りが通例なのを角松氏の要望でわざわざ最後の余興という形式にしてまで生演奏を実現させたらしい。
  11. 「大衆割烹 清太郎」。
    • 表彰式会場の横に看板が映るということで話題になった。
  12. この大会の開会式では、長野県の伝統的な祭である「御柱祭」が出張開催されたらしい。

第19回以降[編集 | ソースを編集]

ソルトレイクシティ(2002年)[編集 | ソースを編集]

  1. 同時多発テロ直後と言うこともあり、アメリカマンセーな雰囲気の大会に。
  2. ショートトラックスピードスケートにて、アメリカの某選手が韓国中を敵に回す。
    • その後、6月のサッカーワールドカップで両国が対戦した時に韓国選手がそれにちなんだパフォーマンスを。
  3. ショートトラックといえば、オーストラリア・S.ブラッドバリーの「前全員こけて金メダル」も忘れられん。
  4. 長野で調子こいてたら銀1銅1に終わった日本…。
  5. フィギュアスケートで根回しが発覚して大問題に。
  6. 開会宣言時にブッシュ大統領(当時)が政治的色彩のある言葉を付け加えるという問題行為をしでかす。
  7. 開催地が禁酒を旨とするモルモン教の聖地ということで酒が飲めずストレスをためる関係者も少なくなかったとか。

トリノ(2006年)[編集 | ソースを編集]

  1. イナバウアーは流行語大賞にノミネートされた。
    • そしてその後荒川静香はめでたくプロ昇格
      • 昇格ではなく、単なる転向。
    • 「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました」(刈屋富士雄アナ)
  2. ソルトレークがアレだったのに必死こいたけど結局金1個…。
    • スピードスケートの岡崎朋美やアルペン回転の皆川健太郎が僅差で4位だった。皆川は1本目3位だったのが2本目は途中でバックルが外れて失速、ここでメダルを獲っていたらこの時プレゼンターを務めた猪谷千春以来史上2度目の日本アルペンのメダル獲得だったため惜しまれる4位であった。
  3. 穴の開いたメダルが妙に印象に残っている。
  4. 男子カーリング3位決定戦と閉会式で各1名ずつ全裸の人が乱入。

バンクーバー(2010年)[編集 | ソースを編集]

  1. キムヨナVS浅田真央が色々と話題。
    • 果ては日韓サイバー戦争へ
  2. にわかファンはカーリングへと走った...
    • それ、前回じゃない?
  3. フィギュアスケートでまたしても談合&根回し疑惑が…。
  4. ひとりバンクーバー
    • 京阪電車の駅にひらパー兄さん登場
  5. 女子モーグルより男子ハーフパイプのほうが視聴率高かったらしい。服装問題の影響なのかショーン・ホワイトの滑りが見たかったのか・・・
    • 国母和宏選手の服装に同情した人も多い。
      • あれは「服装問題」じゃなく「会見での態度問題」。
        • その2つが切り離せるとは思えない。服装の乱れは心の乱れ。
    • その頃モーグルは、会場ウィスラーコースでの雪不足が問題に。女子決勝は雨にも降られ・・
  6. まさかの大泉洋世界デビュー(笑)。
  7. あの人のせいで学校の道徳または学活の授業があの話題に……
  8. 結果的にメダルは銀3銅3、金がないのがアレと見るかメダル数6倍と見るか。
    • ソルトレークの3倍と思えばOK。
      • 比較している所悪いが、正しくは銀3銅2・・。ということはメダル数5倍、ソルトレイクの2.5倍。
  9. カナダのオリンピック開催は夏冬合わせて3度目だが、金メダルを取ったのは今回が初めて。
  10. メダルは廃棄された家電やパソコンに含まれていた金属を原料にした。
    • 東京でも同じことをやる予定。

ソチ(2014年)[編集 | ソースを編集]

  1. 2013年夏時点で工事が全体的に遅れ気味らしい。
  2. 女子日の丸飛行隊オリンピック初出撃の予定。
  3. ロンドンに続きこちらの聖火リレーも国内周遊なのだが如何せんロシアゆえ、距離は史上最長となる予定。
    • 出発早々聖火が消え、警備員がライターで着火という失態が全世界に広まる。
    • ロシアは宇宙開発大国ということでついに聖火の地球外進出が実現してしまった。
  4. 新種目のスノーボードスロープスタイルではコース内の障害物として巨大マトリョーシカが置かれている。
  5. 開会式の入場行進では、日本は最後から2番目だった。
    • 最後は開催国ロシア。日本はロシア語順では世界中で最後になるため。
    • ロシアはアイウエオ順では最後になるので、東京'20五輪ではロシアが最後から2番目という逆転現象が起きる。
      • もっとも、次の東京で50音順になる保証はまだないんだよなぁ……(長野でもアルファベット順だったし)
  6. その頃、東京では大雪が続いた。どう考えてもソチのほうが暖かいと思われる。
  7. 金・銀・銅フルコンプが長野以来という事に時代の流れと今までの結果を痛感する。
  8. 閉幕後はそのままF1コースに改造するのだとか。
    • 開閉会式場フィシュトスタジアムは2018年サッカーワールドカップにも使用予定。
  9. グルジアの選手は出ていたのだろうか。
    • 4人出ていたが最高成績は19位止まり。
  10. この大会でようやく平成生まれ初の金メダリストが誕生。達成したのはなんと平成6年(1994年)生まれ。
    • 1989年~1993年度生まれの長い金メダリスト空白世代ができてしまった。
    • 平成生まれ初代表は2006年のトリノ、初メダルは2008年の北京、まさかここまでかかるとはな。
  11. 4年前、服装と会見で世間を騒がせた彼はきちんと反省し(?)、コーチとしてメダリストを送り出した。
  12. 男子スキークロス伝説の一戦はこの大会の一幕。衝撃の結末は今大会最大の名場面と呼び名が高い。
    • この時解説を務めていた三浦豪太氏が大ブレイクするきっかけにもなったという。次の平昌では選手そっちのけで三浦氏の解説目当てで競技を視聴した人も少なくなかったとか。
    • またこの時のビデオ判定映像を見たときの三浦氏のコメント「なかなか見ないですよこの光景!」はソチ五輪一番の名台詞として語り継がれているという。
    • しかしこの伝説の一戦を大逆転で制した「忍者」ことニーデラーは続く準決勝で敗退してしまった。
  13. ジャンプで当時既に40歳を超えていた葛西紀明がメダルを2つ獲得、クラシカル時代からW杯の上位にいたことから「レジェンド」と呼ばれるようになっていたことがこのことで日本中に知られることとなり、国内メディアがありとあらゆるシーンで「レジェンド」という言葉を大安売りするようになった。

平昌(2018年)[編集 | ソースを編集]

  1. オリンピック史上初めて「郡」での開催。
  2. 隣国の時とは違い開催地までの高速鉄道は作らない予定。
    • 結局江陵まで開通させた。
  3. 「本当にできるのか?」という韓国国民の心配の種。
    • 一部で共催の提案があることにつけこみ北朝鮮は初のスキー場を完成させた。
    • まさか南北合同チームまで実現するとは思っていなかった。
      • ただし実力は伴わなかった模様。
  4. マスコットはソウル五輪同様虎がモチーフ。
  5. 今回は開会式の途中で最終聖火ランナーが分かった人も結構いると思う。
    • その開会式は人面鳥、ドローンの大群、半裸のトンガ選手などかなりネタが豊富だった。
  6. NHKの現地キャスターが桑子アナだと聞き「平昌の天候は大丈夫なのか」と思ってしまった人がいそうな気がする。
    • 特にブラタモリファン。
    • なお本大会のNHK中継テーマ曲は開幕直前までテレビで流れることがほぼ皆無だった。
  7. ドーピング問題のせいでロシアは「OAR」(ロシアからのオリンピック選手)という個人資格選手の集まりで出る羽目になってしまった。
    • 金メダルも女子フィギュアのザギトワと男子アイスホッケーだけだった。
  8. 今回の日本選手団は自国開催の長野すら上回るメダルラッシュだった。
    • 羽生の連覇や小平のライバルと肩を組んでのウイニングラン?など歴史に残る名場面もあった。
      • 羽生が獲得した金メダルが冬季五輪通算1000個目の金メダルだったらしい。
      • 小平のライバルは韓国人銀メダリスト。今後の日韓関係のあるべき姿が凝縮されている1シーンかと思う。
    • カーリング女子の銅メダルあたりは想定していなかった人も多い気がする。
      • 「そだねー」の流行も。
        • 選手団帰国報告会では一人ずつ「そだねー」を披露したが、旧常呂町出身じゃない藤澤五月だけが「そうだね」になってしまった
        • あと、もぐもぐタイムも男性マニアにはウケた模様。
          • 当の本人たちは「動物扱いされているのかな?」
        • 因みに、同じ道内でも函館市では「んだねー」になる模様。北海道って広い…。
      • 最終的に銀メダル獲った韓国チームのメガネ先輩&メガネ後輩コンビも密かに話題に(笑)
        • ただ、メガネ先輩に関してはカーリングのために自ら会社を立ち上げる程気合入っていたようであった。
        • ちなみにリードのキム・ヨンミの友達がキム・ウンジョン、キム・ヨンミの妹がサードのキム・ギョンエ、そのキム・ギョンエの友達がセカンドのキム・ソニョンというチーム構成。
          • ほぼ、キム・ヨンミ&ギョンエ姉妹の気心知れたチームとも言えよう(笑)
        • キム・ウンジョンが叫ぶ「ヨンミ〜!」は今年の韓国の流行語大賞確定。
      • カーリングに関して言えば男子も長野以来の出場で頑張った方だと思う。ただメダルを取ったかが明暗を分けた。
  9. 羽生結弦が金メダルを獲得した日、羽生善治が藤井聡太に負けたために大混乱が発生した。
  10. 高木菜那が金メダルを獲得したマススタートは競馬ファンが大いに盛り上がった。
    • 決勝レースで大逃げを打ったエストニアのアルサルは「ツインターボ」と呼ばれる。
  11. 大会プレスセンター前に置かれた、弾丸をかぶった3体の男の裸体像が「モルゲッソヨ」と呼ばれ、日本のネットで大盛り上がり。
    • 「モルゲッソヨ」は韓国語で「分かりません」の意。地元民でさえ正体が分からなかった模様。
    • 実際は韓国語で「弾丸男」を指す。
      • 弾丸男(Bullet Men)は正式な作品名で「モルゲッソヨ」は東スポの取材に対して地元民が「モルゲッソヨ(分からない)」と答えたのがそれってだけ。実際東スポの記事にもそう書かれていた。ちなみに五輪開催よりだいぶ前からあったらしい。
  12. アイスホッケー決勝戦が男女ともに延長戦までもつれ込み歴史的名勝負として語り継がれる激戦となった。
    • 男子3位決定戦カナダ-チェコ戦も第3ピリオドで1分間で両チーム合わせて3得点を取り合う乱打戦が繰り広げられた。
  13. この大会が夏冬通じて平成最後のオリンピックになったが、夏冬通じて昭和最後のオリンピックもソウルであり、偶然にも韓国での開催だった。
    • さらにいうと2010年代最後のオリンピックが平昌で、1980年代最後のオリンピックがソウルになったという。

北京(2022年)[編集 | ソースを編集]

  1. 初の夏季冬季両方開催都市がここになるとは。
    • 但しスキー等は隣の張家口市で行われる。東京に置き換えるとちょうど大月くらいの距離の模様。
      • そんなに近くはないと思う。北京から張家口市都市部までは320kmくらい。張家口市崇礼県までの距離はわからないが、多分同じ程度。
    • 開会式・閉会式は08年夏季大会のメインスタジアムだった「鳥の巣」をそのまま使用。
  2. そして夏季の東京をはさんで3大会続けてアジア開催とは…ヨーロッパ勢全撤退の結果だが。
    • 撤退した都市のうちリヴィウ(ウクライナ)は内戦が原因というのが悲しい。
      • そして大会終了後にそのウクライナにロシアが侵攻…
  3. 夏季ほどではないが開催地の変更論や中止論まで出てる。
  4. 国民党が共産党に勝っていたら、50年早く1972年に実現していただろうに。
  5. 2020年開催予定の東京が1年延期されたので、2021年度は2回もオリンピックが見られることになった。
    • しかも東京に続いて日本勢は冬季では史上最多のメダル獲得。
  6. フィギュアスケートでは女子のワリエワのドーピングが話題になった。
    • 案の定、後にドーピング検査はクロと見なされ失格。日本が繰り上げになることが決まった。
  7. 羽生結弦の4回転アクセルの名言も話題に。 
  8. マスコットキャラクターの「ビンドゥンドゥン」が大会中、ブレイク。
    • そのきっかけは、日本の某テレビ局の男性アナウンサーが、ビンドゥンドゥンをニュース番組で紹介した事だった。