北海道・東北の城
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北海道[編集 | ソースを編集]
根室半島チャシ跡群[編集 | ソースを編集]
- 所在地:根室市
- この名称で100名城に登録されている。根室市内にあるチャシの総称。
- 地理院地図など、地図上でも海っぺりに「根室半島チャシ跡群」と書いて史跡マークがついた物があっちこっちに描かれていたりする。案内によると根室市内に24箇所だそう。
- が、実際に見学できるのは「ヲンネモトチャシ跡」「ノツカマフ1・2号」の2箇所。
- ヲンネモトチャシ跡・ノツカマフ1・2号ともに海岸の崖の上にちょっとした台地がある感じ。
- 一般的に連想される江戸期の城の櫓台程度の大きさ。堀もあるけど、城跡であることを意識しないと気づかないかも知れない程度のもの。
- ヲンネモトチャシ跡は温根元漁港から眺める方がまだ城跡っぽく見えるかも。
- ノツカマフ1・2号は名の通り(?)二つの城跡が並んでいる。といっても上記のように城跡自体が小さいものなので、2つで一つ、2つ郭がある感じ。
- 100名城のスタンプは根室駅前の観光センターと、花咲漁港近くの市立資料館にて。見学できる城跡とは結構離れているのでご注意を。
五稜郭[編集 | ソースを編集]
- 所在地:函館市
- ★
- 五稜郭は戊辰戦争で有名な北海道函館ものもが有名というか、これ1つの固有名詞みたいなものだが、実は長野県にもあるらしい。
- 長野県佐久市の龍岡城という城らしい。
- 幕末に西洋の軍学を取り入れたためこんな形。どっから攻められても応射できるよう死角をなくしてる、らしい。
- でも、これが完成したときには、このタイプの城はすでに時代後れだったとか。
- 近所にある四稜郭。でも、たぶん誰も知らない。
- 近くといっても4キロ程あり、道も分かり辛く、他に観光する所も無い、そもそも地味すぎなど、一般の観光客が行くには敷居が高すぎる。
- 案内板は途中途中にちゃんとある。ただやはり歩くには距離があり少し登るので、少々高くてもレンタサイクルを使うの推奨。ただ、2016年11月からバス停が出来るので、多少行きやすくなるはず。
- 保存状態は良いが、これじゃあすぐ落とされるわ・・・という規模なので、濃い歴史ファン以外にはお勧めできない。
- 近くといっても4キロ程あり、道も分かり辛く、他に観光する所も無い、そもそも地味すぎなど、一般の観光客が行くには敷居が高すぎる。
- 予算があまり無かったらしく、ケチってたり未完成な部分もある。
- 土塁を固めるため石垣をわざわざ積んだのはまあいいとして、あまりいい石使ってない。
- そもそも案外小さい。
- 現在、敷地内の施設は復元された函館奉行所のほか数棟しかなく基本的に公園、他の城のようにわざと道を複雑にしたりはしてなくルートが単純という理由もあるが、割とあっさり回れてしまう。
- なお、奉行所内解説ビデオのナレーターは、「アド街」などでお馴染みの武田広氏。妙な所で金かけてる。
- 現在、敷地内の施設は復元された函館奉行所のほか数棟しかなく基本的に公園、他の城のようにわざと道を複雑にしたりはしてなくルートが単純という理由もあるが、割とあっさり回れてしまう。
- 近世以降の城郭には多かれ少なかれ、我が藩の中心地なのだから立派なものを作ろう、という矜持が感じられるが、幕府の出先機関に過ぎない五稜郭にはあまりそういう意識が感じられない。
- 無論、西洋に学んだ先進的な城を作ろうという意欲はあるのだが、予算や時間不足で中途半端な感があるのが世知辛い。
- 堀には、他ではありそうでない貸しボート屋がある。
- 井の頭公園のように、カップルで乗ると別れたりはしないようだ。チッ
松前城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:松前町
- 松前藩の城。
- 桜の名所。
- 戦後に天守を失った今のところ唯一の城。
- 修理のため部材を天守閣の中にしまっていた塀も一緒に焼失してしまったらしい。
- まあ、文化財に対する造詣が少なそうな北海道らしい事件の例とも言えるかも……
ユクエピラチャシ[編集 | ソースを編集]
- 所在地:陸別町
- 最大級のチャシ。
- 火山灰を盛り上げて、白く見えるのも面白い。
- ユクは鹿のこと、人間が食べた鹿の骨がたくさん埋まっている。
青森[編集 | ソースを編集]
弘前城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:弘前市
- 桜の名所。
- 天守閣は表面は破風などがあり派手だが、本丸の中から見ると装飾の減らした地味な形。財政的理由による。
- 城下町に武家屋敷も4つ見学出来る。うち1つは有料。
- 有料なのは現役の酒屋さんなので。見学の最中にも仕事してはったりご飯食べてはったりするので邪魔にならないように見せてもらいましょう。
- 二の丸だか子の櫓は火事で焼けた。だからか知らないが、場内はバーベキューとか火気厳禁。
- 石垣修理のため現在移動中。
- 展示もその移動関係が中心。
- 日本で12個しかない、関東以東では唯一の現存天守。
- 関東人は松本城が一番近いが、北海道・東北からは一番近い。
浪岡城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:青森市
- 南北朝時代からの名族、北畠氏の居城。
- 戦国時代末期に津軽為信に滅ぼされる。さすがに戦国末期にこの平城(というか館?)ではつらかった気がする。
- 建物こそないが、建物あとがわかっているところには杭とかを打ってある。
- 広々とした草原に、堀でいくつかの郭が分けられている。その間には小さい橋を架けてある。
- 晴れた日には結構気持ちの良い空間。
根城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:八戸市
- 南北朝時代の城。
- 日本百名城なのは八戸城じゃなくてこっち。
- 時代が違うので天守閣なんかはないが、館なんかが復元されている。
- 建物がなくても、建物跡の区画がわかるようにしてある。
- 南部藩の南部氏が、根城を根城にしていた。
八戸城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:八戸市
- 現在は割と普通の公園。市役所、公民館の横。多分城跡の敷地を利用して建てたんだろうなぁ。
- 一応は崖の上に建つが、反対側は平坦な市街地。
三戸城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:三戸町
- 平山城。標高差は70m程度。車道もあるけど、結構急勾配。
- 山のてっぺんはなだらかになっており、ちょっとした催し物ができるくらいの広場。なるほど、城を築きたくなる地形。いや、城を造ったからてっぺんを平地にしたのかな?
- 天守っぽいものはあるが、ありがちな模擬天守で中が博物館。
岩手[編集 | ソースを編集]
九戸城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:二戸市
- 二戸にあるけど九戸城。城の名前は地名じゃなく、城主にちなむ。地名じゃなくて城主の名前を城の名前にするのって珍しい気が。
- 九戸氏は南部氏の一族。
- ここでの九戸の乱を最後に、豊臣秀吉の全国統一は完成するので、戦国最後の合戦場とする見方もある。とくに地元では。ま、関ヶ原と大坂の陣はあるけれど。
- 建物はないけど、平城の郭とか堀はわかる。結構広々。
盛岡城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:盛岡市
- 不来方(こずかた)城。
- 石川啄木さんが十五の心を空に吸われたところ。
- 一応平城なんだが、ちょっと小高いところに建っている。
- 一応南部氏の居城。
- 盛岡藩20万国の城だけあって、石垣はなかなか立派。
- その石垣は全国的にみても評価が高く、「東北三名城」のひとつに数えられるほど。
- 盛岡藩20万国の城だけあって、石垣はなかなか立派。
- 建物とかはないけれど、市民の憩いの場にはなっているっぽい。
- 天守がないだけならともかく、天守跡にあるのが戦中の金属供出で台座だけ残った銅像跡というのが、城全体の印象を悪くしている。
- 敷地内に最近できたもりおか歴史文化館は、箱は綺麗だが展示は中の上程度。
- 2030年代前半に天守(正確には三層櫓)やその周辺の櫓なんかが再建される予定らしい。盛岡駅の土産物屋ストリート「おでんせ館」には盛岡城再興祈念サブレが売ってある。
花巻城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:花巻市
- 平山城で、建物は塀とか櫓くらい。
- 敷地には体育館とかが建つ。
- 円城寺門(1614年に南部氏が二子城大手門を移築した、唯一の現存建物)と西御門(1994年に復元)がある。
- 「花巻城の夜討ち」が有名。
胆沢城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:奥州市
- おじゃる丸作。
- 一度、廃城になったはずが復活した。
- 因みに、このエリアでの次の大規模開発が平泉造営。その次が小沢一郎の各種開発事業。
- 実は、おじゃる丸よりも、はるか昔に、土建業で名を馳せた高僧が来ていたという。
宮城[編集 | ソースを編集]
仙台城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:仙台市/青葉区
- 青葉城。
- 恋唄。
- 伊達政宗公の城。銅像もある。
- 流石県庁所在地、伊達70万石の城跡、土産物屋もたくさん。ずんだでも食べてくか。
- この城の別名を四股名にした幕内力士が複数名いる。
- 新しくできた東西線国際センター前から歩くと坂がきつすぎて泣きを見るハメになるので疲れたくないのなら素直にるーぷるで行きましょう。
多賀城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:多賀城市
- 平安期の対蝦夷の前線。
- しかし、胆沢城の方が規模が大きい。そして、跡形もない。
- 広々とした城跡、というか館跡と言った方が良いか。一般的な山城や天守閣がある城とは異なるので。
- どこにどういう建物があった、という展示はちゃんとあるよ。
- ボランティアの人がいると結構親切に説明してくれる。
白石城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:白石市
- 伊達政宗の片腕、片倉小十郎の城。
- 仙台藩の中だが、一国一城令のあとも残った。表向きは天守ではなく「大櫓」扱いだったそうだが。
- 再建した当時、近年造られた木造の天守の中では一番規模が大きかったそうだ。
- 城下町の武家屋敷一つと、3Dハイビジョン・シアターとの共通券がある。
- このハイビジョンシアター、城内の歴史ミュージアムの3階にあるんだが、その2階の資料館は無料で入れる。てっきり2階資料館の入場料が居ると思って共通券買ってしまったよ。
秋田[編集 | ソースを編集]
秋田城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:秋田市
- 駅に近い江戸時代に佐竹氏がいた方の城ではない。
- 平安時代の城。
- 発掘調査の結果や復元した建物を展示してる。
- この前にあったはずの、有耶無耶関とかって、コレができた後どうなったんだろう?
久保田城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:秋田市
- 江戸時代に秋田藩・佐竹氏の居城だったところ。千秋公園。
- 佐竹氏入府以前は土崎湊にあった湊城が本城だったが久保田城築城で破壊された。湊城は安東氏(のち秋田氏に改姓)の居城。
- そこそこ広く、道も整備されているのでご近所の方のウォーキングに最適。一応平山城なのでコースによって少し上り下りもあるけどね。
- 天守閣はない。が、天守閣っぽい櫓がある。
- あと、門が残っている。
- 石垣がほとんど無く、土塁が大半なのが特徴。転封時の佐竹氏家臣には、石垣普請に精通した者がいなかったためらしい。
横手城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:横手市
- 佐竹氏3つあった居城の1つで、一国一城令の例外の1つ。
- 一応山城なので少し登るが、平山城より少しきついかなという程度。
- ただ、熊注意の看板があって少しビビる。
- 模擬天守はよくある昭和の再建。
- 眺めはかなり良い。特に鳥海山がよく見える。
山形[編集 | ソースを編集]
鶴岡城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:鶴岡市
- 鶴岡市民が酒田市に対して優越感を持つ根拠の1つが江戸時代に藩であったこと。
- 平城で堀などは残る。
- 中心に神社があって公園になっていて周囲に資料館と高校がある。
- 藤沢周平作品の舞台。
- 海坂藩の城。
- 藤沢周平の記念館もこの城跡に建つ。
新庄城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:新庄市
- 平城。堀があるくらい。
- 神社があって近所に資料館。
天童城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:天童市
- 山城。そこそこ登るよ。
- 山の上には9×9のマスを引いた広場がある。用途はもちろん天童のビッグイベント、人間将棋。
- 藩主は織田氏だった。
- その前の城主は天童氏。最上氏の庶家という扱い
山形城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:山形市
- 平城。
- 堀は流石57万石の城らしく、大きくて美しい。
- 最上義光の銅像がある。時代考証にとらわれず自由に創ったものらしい。おい、いいのかよ、それで。
- 格好良さ重視で、時代考証無視なあたりが実に昭和。
- 兜の鍬型を、源平合戦期のように大きくしている。まあ見栄えが良くて古式ゆかしい源平期の装束を真似るのは、江戸時代から既にやられていることではあるが。
- 野球場や弓道場があるが、取っ払って整備する予定、らしい。平成45年くらいまでかかるけど。
- 近くというか、殆ど同じ敷地内に最上義光歴史館がある。
- 無料の割には充実しているので、城観光のついでにどうぞ。
- こちらに予算を注ぎ込んでいるせいなのか、公園内にある県立博物館は昭和臭がひどい。
- 歴史館の横には、山形美術館もある。こちらも吉野石膏が集めた、地方にあるとは思えないほど充実した西洋画コレクションや、日本近世絵画の佳作が揃っている。
長谷堂城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:山形市
- 東北版関ヶ原の戦い、長谷堂城の戦いがあったところ。
- 直江兼継率いる上杉勢が最上領へ侵攻、山形城まであと少しのここまで攻め入ったものの、肝心な関ヶ原で味方の西軍・石田方が敗北したため壮絶な撤退戦を行う羽目になる。
- 直江の陣地跡もすぐそこ。
- 傾者(かぶきもの)として有名な前田慶次が一番活躍した戦ではなかろうか。
- 小高い丘に廓とかの形は残る。
- 地元の中学生が総合学習で作った資料を無料で置いてある。結構しっかり調べてあるので嬉しい。
上山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:上山市
- 山城に天守閣がある。山形県では天守閣があるのはここだけで、観光パンフにも結構写真が載っている。が、残念ながら模擬天守だ。
- 足湯もあるよ。
米沢城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:米沢市
- 上杉藩の城。
- 堀と石垣があって神社がある公園で、特に天守閣とかそういう建物はない。
- 城跡には上杉謙信、上杉景勝&直江兼継、上杉鷹山の銅像が建つ。
- 上杉謙信は潘祖のような扱いだが、ずっと越後の領地で米沢なんか来たことない。実際の初代藩主は養子の景勝。
- 上杉家歴代の廟所とか、直江兼継の墓とかも近くにある。家臣団の墓は穴が空いていて、有事の際は並べて防御壁にし、穴を狭間(弓鉄砲を打つための穴)にするつもりだったとか。
- 室町時代初期から安土桃山時代の天正19年(1591年)までは伊達領でもあったことを忘れないでください…。
- 南奥羽を制覇した独眼竜はここで生まれた。
福島[編集 | ソースを編集]
若松城(鶴ヶ城)[編集 | ソースを編集]
- 所在地:会津若松市
- 本当の所、鶴ヶ城天守閣は築40年だ。地元の人間からしてみれば、あんな物を有難がって見に来る観光客の気持ちが理解できない。
- でも再建される前はボロボロの無残な姿を晒していたし、アレを放置しておくよりはずっとマシ。
- もうちょいで築50年、その時天守閣は赤くなるらしい。
- 1枚2千円で赤瓦への出資を募集。銀色のペンでその瓦に名前やメッセージを書けるのだが、あれだけ書いていたら本当に紅く見えるのだろうかと思った。
- しゃちほこは金ではなく銀。鯱は銀。
- 鯱は史実に基づくものではなく、復元工事を担当した間組のプレゼント。目には特大ダイヤモンドが埋め込まれている。
- 2011年3月から赤瓦でリニューアルオープンしたそうです。
- すぐ近く、というか殆ど敷地内にあるラブホテルが場違いすぎる。調べたら闇が深そうな背景がありそうだが。
- 鶴ヶ城でデートをすると別れるという噂は地元中高生では有名。
- 2、3年に一度は鶴ヶ城のお堀に落ちて死ぬ人がいる。(特に冬)
- 歴史ヲタだけだろうなぁ、旧名の黒川城と呼ぶのは…
神指城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:会津若松市
- 会津に来た上杉景勝が若松城の拡張性に限界を感じて直江兼続に作らせた城。
- が、南から徳川が攻めてくるので白河城の改良が優先され放置プレイを食らう。
- その後施工主が米沢転勤になったので用済みとなり未完成のまま破却。
- その後加藤家により石垣が若松城の修復にリサイクルされた。
- ここのせいで国道401号バイパスが作れない。
猪苗代城(亀ヶ城)[編集 | ソースを編集]
- 所在地:猪苗代町
- 一国一城令が出たあとも会津藩第2の城として存続を許された城。
- 戦国時代は摺上原(すりあげはら)の戦いで伊達軍の足がかりとなった城。芦名氏滅亡の要因を作った。
- 保科正之死去後は墓守の役目も持っていた。
- 野口英世の遊び場だった。
- 今でも体育館の名前などに使われている。(カメリーナ)
二本松城(霞ヶ城)[編集 | ソースを編集]
- 所在地:二本松市
- 二本松丹羽氏の城。
- 戦国時代辺は二本松氏(奥州畠山氏とも)の城。
- ああだこうだ言われているが秋の菊人形は未だに大人気である。
- JR二本松駅からこの城を目指すと急坂を上って下って平坦路をちょっと歩いて着く。
- 丸岡城と山形城も別名・霞ヶ城だったりする。
- 20世紀後半には新興宗教団体が怪しい天守閣風建造物を建てていたらしい。
- 市が撤去したので、現在の天守台は石垣だけになっている。
白河小峰城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:白河市
- 白河松平氏の城として有名。
- 震災で自慢の石垣が崩れてしまった。
- 復活天守だが地味に木造である。
- 建築基準法があるので木造のモニュメントとして作成。
- 完成してから内部を客に開放。
- 脱法行為としてお上はもちろんオカンムリ。
- 完成してから内部を客に開放。
- 建築基準法があるので木造のモニュメントとして作成。
- 城名をもとにしたご当地萌えキャラが登場。
- ご当地キャラのはずが県の献血キャンペーンやラノベ展開など多方面に活躍。
- 戊辰戦争の大激戦地。
福島城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:福島市
- =福島県庁。
- 県庁正門ロータリーの福島城跡碑で確認することしかできない。
- 県庁脇の紅葉山公園が庭園跡。
- 県庁正門ロータリーの福島城跡碑で確認することしかできない。
- 西側を寺社で固めていた。今でも有数のお寺密集地帯。
- 阿武隈川、荒川のおかげで堀を掘る必要がなかった。
磐城平城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:いわき市
- 別名は龍ヶ城。
- 城跡があるのはいわき駅のすぐ裏手。
- 所在地の地名が平旧城跡。何のひねりもない。
- なまじまちなかにあったばかりに、宅地開発され、城跡はほとんど私有の宅地。
- 残りは高校と裁判所。