大和 (百貨店)

ナビゲーションに移動 検索に移動
  1. やまとではない。だいわである。
    よく見たらなぜ『a』だけ小文字?
    • なので大和国には店舗は無い。
    • 宇宙戦艦も売っていない。
    • 軍艦プラモデル専門店でもない。
    • 同じくダイワと読むが証券会社とも無関係。
      • 無論出版社とも無関係。
        • でも下の方にもあるが子会社に堅い本で有名な出版社がある。
    • もちろん建築会社ともなんの関係も無いので役所広司とも縁が無い。
  2. 北陸ではお馴染みと言っていい程の百貨店。
    • ここで言う北陸は新潟を含む。
      • 昨今の不況の影響で新潟からは撤退することになったそうな。
    • しかし福井には無い。
      • 正確に言えば地震で無くなった。
        • ここ十数年の話ではなくて、戦後数年の話である。
      • 杭がかなり浅く打ってあったので、簡単に潰れた模様。皮肉にも福井地震の象徴になってしまった。
  3. 伊勢丹三越が手を組んでしまった。さあ耐えられるか新潟店。
    • その新潟店は毎年クリスマス時期になると、アーケード側にウサギのラインダンスする人形がディスプレイされる。
      クリスマスソングと共に踊るウサギ5人組
      • 画像があれば…
        • 既に11ヶ月たちましたが、写真貼っておきます。
      • これも2009年限り・・・か?
        • 古町七商店街振興組合が2010年冬以降も設置を継続するとのこと。実は国内に2セットしかない希少品らしい。
    • 新潟市では最も影が薄いデパート。しかしこれでも歴史は古い。
      • 今では新潟市三大デパートの中で売り上げ最下位に・・・。
    • かつては放送局が入居していた。
      • 新潟大火の時にはギリギリまで実況を続けたとか。
    • 地階食料品売り場が他の二つより若干小さく感じる。でもそれも昔ながらという感じ。
    • 1950年代に小林デパート(現新潟三越)と同時期に出来た。当時は屋上遊園地もあったらしい。
    • 土地買収の時に四角形のまとまった土地をとれず、本館と東館に分けた。それによりエレベータやらなにやらを各棟に1つずつ作る破目になり、経営圧迫の要因に。
  4. 地方百貨店にも関わらず、終戦まで北朝鮮に店舗を持っていた。
    • 敗戦と同時に閉鎖されたそうだが、今どうなってんだろ。
      • まだ国営清津百貨店として建物そのままで営業しているらしい。ただし店は小さく、確か売り場面積500坪ぐらいと聞いた。
  5. 何気に大丸松坂屋の商品券も使える。
    • 元々、大丸と同盟を結んでた為。イメージカラーも一緒・・・というか大丸は知ってるけど大和を知らない人間は「パクリだ」と思うかも?
      • 同盟では無く、旧小杉町にあった大丸家具が双方の創業家らしく、縁戚関係にあったためイメージカラーなどが同じと、富山県内では認知されている。
        • 簡単に言うと、それぞれが分家の関係にあったと言われている。
        • 現在でも、大丸家具を営んでいた本家は、旧小杉町にある。
        • また、マルイデパートの創業家であるマルイ家具も旧小杉町に在った。
        • 大丸家具とマルイ家具は平成に入ってからも同じ通り沿いの、反対車線側にそれぞれ店舗構えていたが、現在は双方とも閉店している。
  6. 富山にとっては西武が無い今、唯一の百貨店。
    • 移転したけど・・・便利になったの?
    • 旧富山大和は市街地の99.5%が焼け野原になったという富山大空襲を(当時の)県庁などとともに生き残ってきた。が、移転した今はただの廃墟。
  7. 学術系出版社の勁草書房がここの系列と知ってビックリした。
    • 北陸中日新聞の前身となる新聞社を傘下においていたこともある。
  8. 転勤で北陸へ来た人(特に若い男性)は、「大和へ行ってベッチョを買って来い」と上司から言われる。
    • 金沢出身&在住ですが、上記「ベッチョ」の意味が判りません。
  9. イオンに押されて高岡店が閉店に追いやられ、香林坊の本店と総曲輪の2店のみに…
    • 閉店する代わりに近隣にサテライトショップができるとか。

店舗一覧