幸手市

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群 馬  
 

羽生
 
鴻巣   (鷲宮)  

久 喜 幸手
 
桶川


   
上尾
杉戸
さ い た ま 春 日 部

幸手市の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 実は昔は下総国だったりする。
    • てことは千葉県民?
      • 律令時代の出土品が埼玉一般と異なり、千葉と同じだったりする。
      • 旧北葛飾郡という時点で元下総国。これは三郷吉川から栗橋に至るまで同じこと(東京隅田川以東も)。但し、江戸川の掘削後は現在の県境の線から西は武蔵国に移管されている(だから旧国名を表記した文書では「武蔵国」となっている。)
        • 最も、幸手付近は「下総国中葛飾郡」だったとも。何故か「中」が「北」よりも北にあるが、これは千葉の「東葛飾郡」、茨城の「西葛飾郡」(猿島郡に統合)に対する「中」なので間違いではない。後に先行して武蔵になっていた北葛飾郡に統合。
    • 昔は関宿は日本有数の大都市だったのよ。
      • 対岸にあたる部分に「西関宿」という大字が存在します。
    • そして今は北埼玉の中心都市
      • 北東埼玉では。でもみんな古河に流れる。
        • 確かに古河公方の時代には中心であったが今では衰退して古河駅の乗車人員も減り続けている。
        • 古河は北の小山と南の久喜に挟まれて存在価値の低下が目立っている。
          • 茨城県内でも県西の中心は筑西市に持っていかれている。
          • 映画館もなくなり、幸手や小山に行かなければ映画も見えない。
          • 優秀な高校生は埼玉県内や栃木県内に流失している。
    • 茨城南西部も昔は下総国。
      • 猿島郡」の一部は元々「西葛飾郡」だった。逆に千葉に帰属した「南相馬郡」が「東葛飾郡」に編入されている(現・我孫子市柏市東部(旧沼南町))。なお、対応する「北相馬郡」は取手守谷・藤代一帯。
      • 「猿島郡」「相馬郡」さらには結城あたりまでが下総国。
  2. なぜがやたらと茨城県のことを敵視している。
    • 茨城のことを妬んでイバと呼ぶ。
      • 呼んだことありませんが・・・妬んでもないし。
    • 幸手市は茨城県民が呆れ果てるほどのど田舎。
    • 幸手ってどこ?
    • 所詮は近親憎悪。
    • 幸手市と五霞町には地縁の関係が多く生活圏が重なっている。事情を知らない幸手の新住民の中には、越県してくる五霞町の人間を快く思わない連中もいる。しかし合併騒動後は幸手住民のほうが頭が上がらない模様。
    • 敵視してないって。合併すればお互いにメリットが大きい。
    • むしろ、合併失敗した原因は五霞の……おっと、こんな時間に誰か来たようだ。
  3. 15年前、駅前には「サッテリヤ」があった。
    • サッテリ「ア」という人もいるが、正しくはサッテリ「ヤ」。
    • 一時期駅前にロッテリアがあり、それのことをサッテリヤだと思っている人もいるようだが、まったくの別物。
      • 写真→[1]
      • 幸手復活のキーワードそれは「サッテリヤ」
      • 誰だよwWikipediaに記事を立てたのはwしかも「ア」だし。
  4. 隣の久喜市との合併の話がでた。
    • 久喜市と合併するために五霞町との合併を進めていた市長をリコールしたが新市名がきにいらないと久喜市民に合併を拒否された。
      • 久喜合併派が市内向けに、「幸手は深刻な財政危機(近い将来破綻確定)に直面しているので、久喜に面倒を見てもらおう」と、データ捏造、誹謗中傷、個人の人格攻撃まで含めた空前の規模の大宣伝をおこなった。当然、久喜市民にも大きく伝わり完全に拒絶される。
    • 現市長は合併のためだけに久喜市から派遣されてきた。
      • 久喜市と合併するまでつなぎであったため政策能力は皆無であり、ついに2008年6月19日に問責決議案が市議会で可決される。
    • 五霞との合併を拒否し、久喜に合併を拒否されたが、実は以前杉戸町長にも合併話を持ちかけて断られた経緯がある。したがって今や「幸手、栗橋、古河のいずれかと合併」という合併プランを持つ五霞町しか合併相手はいない。
    • 五霞を拒否したのは久喜をアテにしていたから。その久喜に病院を奪われて、今や五霞との合併を望む声は非常に強くなっている。
    • 町田市長は総合病院を誘致したい久喜住民によって送り込まれた。これに農村の五霞町と合併したくない幸手の新住民が結びつき前市長がリコールされた。
    • 市民の間では「五霞と合併をしなかったことは大失敗だった」と非難されている。
    • 杉戸町民は幸手と合併する気は殆どない。よって完全に孤立した幸手市。
    • そして久喜市等に合併を申し込んだが、拒否された。
    • 久喜市・幸手市合併の主導者は田中暄二久喜市長。
    • 当初、田中市長は周辺自治体(鷲宮町、菖蒲町、白岡町、宮代町、幸手市等)との合併(事実上の吸収)を目指していた.
    • 合併機運が本格的に盛り上がっておらずいずれも折り合いがつかなかった。
    • その後、鷲宮町、幸手市との合併可能性が高まり、幸手市内の政治に介入し、久喜合併運動(増田実幸手市長リコールを含む)を全面的にバックアップする。
    • しかし、幸手市の久喜合併派の暴走により、久喜市民の幸手嫌いが激増し、久喜・幸手・鷲宮の枠組みは破談。
    • 以後、田中市長は幸手市を完全無視するようになる(自らの手先として送り込んだ町田幸手市長も完全に見捨てた)。
    • 幸手市だけに、「一難去ってまた一難」ってところか。
      • 杉戸と宮代が春日部と合併しなかったので孤立化はまぬかれた。
    • 久喜に嫌われ、五霞に見捨てられ、杉戸に無視された幸手に合併の道はない。
      • 財政が悪すぎるため相手にされない。
      • 金はないのに、プライドだけが高く、たかり体質の幸手は隔離状態である。
    • 合併どころか、今後の幸手に未来はあるのだろうか?
  5. ジョイフル本田」は、幸手市の最大商業施設。イトーヨーカドー久喜店より遥かに大きい。
    • 茨城資本ですが?
    • 栃木じゃないの?
      • 茨城です。本社は土浦。
    • ジョイフル本田は幸手市民が唯一自慢できる店
    • イトーヨーカドーの幸手出店を断っため久喜に行ったことをまだ悔やんでいる。
      • JR線とイトーヨーカドーの判断ミスは幸手衰退の源として語り継がれている。
    • 衰退するイメージの「幸手」にかわり「ジョイフル市」に市名変更する要望が一部にある。
    • さらにレストランの「ジョイフル」もあり、西のジョイフルが両方見られる。
    • 昔は平屋建てのローカル色剥き出しのホームセンターだったけどリッパになったねえ。
  6. お花見の季節はそれなりに盛り上がる。
    • 春の桜と菜の花、梅雨時の紫陽花、秋の彼岸の曼珠沙華、冬の水仙が見事である。
      • ボランティアの努力の賜物である。
  7. やたら美容院とパチンコ屋があるのは気のせいだろうか
    • それは気のせいだと思う。
    • パチンコ屋は知らないが、アーケードに美容院が多いのは気のせいじゃないと思う。
    • 歯医者も多い気がします。
      • 歯科業界の者ですが、歯医者はどこでも多いです。コンビニより多い。
  8. 昔、町だったとき、冬の出稼ぎ労働者数を人口に上乗せし幸手市に昇格したが、バレて町に降格した珍事件があった。
    • 人口ごまかして市になろうとしたのは事実だが、実際に昇格・降格はしていない。
    • 市町村区分制度は一度昇格したら降格する事はないんだが・・・
    • 実際に同じ事をやらかしたのは北海道羽幌町
    • 愛知県の東浦町も。
  9. 市民以外は誰も一発で「さって」と読めない。
  10. 昔、新幹線が通る予定があったが、老人たちの反対によって頓挫し、新幹線は春日部に行ってしまった。
    • 幸手も春日部も、新幹線など通っていませんが。
      • 幸手に東北新幹線通ってます。千塚のあたりをかすってるだけですが。
        • 通ってても駅がないからあってもなくても同じじゃなくて?
    • 通る予定があったが反対によって通らなくなったのは、当時の国鉄
      • 東北本線が通る話があったが、地元民の「振動で鶏が卵を産まなくなる」「蒸気機関車の火の粉で、洗濯物が燃えて火事になる」などといった反対によって、代わりに久喜を通ることになった。
      • 当時は日光街道・国道4号線が通っていた幸手の方が久喜よりも開けていたが、国鉄が通ったことによって久喜は長足の発展を遂げ、幸手を抜いていった。
      • それを幸手民は指をくわえてみているしかなかったが、しばらく後に東武日光線が通る話が上がったとき、今度は幸手中で駅の誘致合戦が起こった。
        • 日光線の分岐は伊勢崎線の今の花崎駅付近から栃木県藤岡に至るルートが検討されていた。
      • 正しく言うと、明治時代に国鉄が開通する予定だったが、権現堂の河川交易が盛んだったため反対運動が起き、久喜、栗橋に行ってしまった。後でマズイと思ったのか、東武の誘致は大々的に行った。
      • 典型的な全国にある鉄道忌避伝説で真実の可能性は低い。
        • 元々、東北本線は[もし東北本線が熊谷経由となっていたら|熊谷分岐]]と川口分岐、それに大宮分岐の三案があったが、最終的に建設距離が短い大宮分岐かつ久喜・栗橋経由を井上勝が選択したのが真相。確かに川口分岐なら杉戸・幸手経由だったが。
  11. 市の境に住宅街を造ったお陰で、地元にお金が落ちてこない。
    • 栄団地、香日向、見立団地のことです。幸手の人口の25%は占めているのでは。
      • 幸手市公式ページの地区別人口によれば、栄・香日向・戸島でおよそ全体の20%です。それでも十分多いですが。
        • 「香日向」は難読地名。読み方は下のらき☆すた関連の項目にある。
          • 「日向」を「ひなた」と読むのは、「ひゅうが」と読むのと同じくまだポピュラーだと思いますが。それ以外に何て読むんですか?
        • 香日向は人口が減少している。少子高齢化により香日向小は行幸小に統合される。
  12. アスカルという地元限定のポイントカードがあった。じゃがいも等に交換できる。
  13. 東武線なのに東武ストアが潰れるすごい所。
    • 羽生も栗橋もです。
    • 久喜では駅前にもっともっと大きな廃墟がある。→高層マンションになるらしい
    • スーパー及びドラッグストアの数はかなり多い。むしろ住民のライフスタイルが鉄道から車にシフトしたことが原因。
  14. 財政赤字が県内ワースト3である。(2006年9月)
    • 実質公債費(借金)比率の1位は八潮市21.1%、2位は長瀞町20.1%、3位は幸手市19.1%。
    • アスカル幸手とウェルス幸手が元凶。さらに駅前開発や圏央道整備で将来の赤字も決定。
    • 議員定数を25から15に減らす議案が可決されたが、すでに焼け石に水。
  15. ローソンが2件つぶれてる。
    • マツモトキヨシがつぶれたときは、さすがにびっくりした。
      • 潰れたマツモトキヨシは今の古本市場の所にあったが、今は4号線をはさんだ向かいの幸手北モール内に復活した。
  16. 圏央道の建設が始まり幸手インターも設置される。再生の起爆剤となるか?
    • 残念ながら答えは「NO」新4号線と交わる隣の五霞インターの方が栄えそう。
  17. 幸手久喜線の不思議:久喜市内の道路は広く店舗も多いが、幸手市内に入った途端道幅が狭くなり街が汚くなる。極端な落差はタイムマシンに乗ったような不思議な感覚。何故この様なことに?
    • 幸手の方が栄えていたため、小規模な住宅や細い道路が多い。これに比べて何も無かった久喜は広い道路を造る事ができた。
    • 幸手久喜線(県道153号線)は、現在の東北本線久喜駅が開業した際に、幸手中心部と久喜駅西口を結ぶために建設された久喜新道が原型である。
    • しかし、跨線橋が建設され踏切が廃止されたため久喜駅とつながらなくなった。
    • 153号線はさいたま栗橋線まで延長され、久喜市の東西をつなぐメイン道路になった。
    • さらに、鷲宮の商業施設の新設に伴い川越栗橋線までの延長が決定し、新久喜市のメイン道路になる。
    • 幸手市内は大型車通行止めである。
    • 加須幸手線(県道152号線)は大正新道と呼ばれる
      • 鷲宮神社の参道である。
      • 片側2車線のバイパスが宇都宮線の手前まで完成している。
      • 現在跨線橋が建設中でさいたま栗橋線(県道3号線)までつながる予定である。
      • 大正新道の名がしめす通り幸手と鷲宮の関係は薄い。
      • 利根川が間を流れていたためである。
      • 鷲宮は武蔵国。幸手は下総国である。
  18. 権現堂堤の北、4号沿いに新しい公園ができた、が、どうにもロケーションが悪い気がするんだが・・・。
  19. 桜の陰に隠れがちだが、菜の花の季節もなかなかいいところ。
    • 権現堂は桜と菜の花が同じ頃に見ごろに。ピンクと黄色のコントラストは圧巻。
      • 菜の花によるアブラナ属花粉症の被害が出るというデメリットも。(ウィーンやロンドンのような欧州のセイヨウアブラナの花粉症と同様。)
  20. 人口の減少及び財政悪化に伴い学校の統廃合を進めている。
    • 八代中学校+吉田中学校→東中学校
    • 吉田第一小学校+吉田第二小学校→吉田小学校
    • 栄第一小学校+栄第二小学校→さかえ小学校
    • 幸手東小学校+緑台小学校→さくら小学校
    • 栄中学校閉校
    • 幸手商業高等学校に幸手高等学校を統合
  21. 幸手駅舎は開設当時のままである。
    • 古きよき時代の建造物として残しておくべきである。
      • なお、現在は橋上駅舎化のため現存していない。
  22. 幸手総合病院を久喜に奪い取られた。
    • 財政が悪く補助金が出せなかった。
  23. 東埼玉病院を杉戸から奪い取れそう?
    • 東埼玉病院は旧栄中跡地に建設される。
  24. 日本保健医療大学画2010年4月1日開校する。
    • 幸手市より補助金として1億x5年が支出される予定である。
      • 議会で揉めているのでどうなるかわからない。
      • 「原案執行権」を行使し、2010度の大学への補助金一億円の支出を決定した。
    • 日本保健医療大学附属病院が栄中学校の跡地に設置される予定がある。
      • 場所は東埼玉病院にとられたがどうするのだろう?
  25. 田舎だが、この地域にここしかない店がある。
    • スシローがある。
    • GUがある。
  26. 幸手駅には西口がない。
    • 西口土地開発事業の計画はある。
      • 金がかかるが、効果は全く期待できない。
      • 財政状況の悪い幸手市では夕張行きの片道切符と呼ばれている。
      • 20年計画&102億円(幸手市負担65億)・・・
  27. 幸手には「中」いう地名があります
  28. カレコレ10年以上位前まで、マツヤ電器店が旧:国道4号線の中に在ったが、店舗の移転の為、古河のサティに行ったらしい。
    • 店舗の解体後の跡地は、セブンイレブンの平屋建てのテナントになり、生まれ変わっている。
      • 古本屋→閉店後解体→セブンイレブンのテナント。
    • 実際にはマツヤデンキのFC店舗。元はサン家電のFCからの乗り換え。たしか閉店は建物賃借の契約更新の問題が要因だったと思う。
    • 古河店はアフターサポートの引き受けだけだったが、その古河店ももはや無い。
  29. 1986年9月30日まで北葛飾郡幸手町だったが、翌10月1日に市制施行した。(この時に北葛飾郡は飛び地が出来始めた。)
  30. 栗橋町との合併を画策するも破談した。
  31. 隣県の茨城県猿島郡五霞町との合併も画策したが破談した。
  32. 市内の西と東に国道4号が縦断している。(前者は現4号、後者は新4号。)

幸手市と作品舞台[編集 | ソースを編集]

ファンにはお馴染みの場所
こんな物まであるんです
  1. 泉こなたが住んでいる。
    • ココから糟日部へ通学している模様。
    • あの場所で踊っていいのはこなただけ。
    • 二次元だろw
    • 泉こなたの母親は「ひなた」祖母は「かひなた」
      • 泉こなたの母親は「かなた」で、こなたが幼い頃に死去
    • 鷲宮に続いて幸手まで商工会が街興しに利用し始めた。まぁ今更感もあるが…。
    • それ以前に作者の地元であることをお忘れなく。
      • でも、その作者は交通不便を理由に2008年にさいたま市へと逃亡。逃亡したこととその理由が正月の埼玉新聞に載ってしまった。
  2. 春日部市が全く動かないおかげで、聖地とされる場所が春日部から鷲宮と幸手に移ってしまった印象がある。どっちも作中の登場回数が春日部ほど多いわけではないのに……
  3. 中川の堤である権現堂堤自体は北野映画の「Dolls」における舞台だとして、「らき☆すた」以前から観光ガイドで紹介される機会もあった。
    • 個人的には権現堂調整池と中川の合流地点にある「みゆき水門」、権現堂調整池の別名「御幸池」、そして日光道中にあった「御幸橋」ってのがどうしても気になる。
      • 明治天皇が東北に御幸した時に立ち寄られたのが由来。でも、そこから名前を拝借したのかもしれない。
  4. 鷲宮町に鷲宮神社と言うシンボル建造物がありながら、幸手市には無いのは観光資源的に不利だとして、遂に作者の旧家まで開放する構想が出てきた。
    • 鷲宮と相乗効果が見込めるという商業的理由も大きいだろうが。
    • で、いまさらながらその旧家(美水かがみギャラリー幸手)を現住所として泉家3人+ゆたかを住民登録するらしい。
  5. なぜか幸手権現堂に出来たパチンコ屋(ライブガーデン)までが加藤・福原をラジオCMで起用した。CM中にもネタとしてあったが、平野を起用できなかった経緯が気になる。
    • よりによって幸手だから……
    • 当時、平野はグラビア出したり「ピカルの定理」に出たり、こう言っちゃ失礼だが加藤・福原とは「ランク」が違っていた。そりゃギャラも出せんだろ。