「高校野球/大会別」の版間の差分
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#「山びこ打線」の池田が初優勝。 | #「山びこ打線」の池田が初優勝。 | ||
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#* | #*決勝ではそれまでの高校野球らしい緻密な野球で知られた広島商相手に1回から6点をたたき込んで勝負を決め、12-2と圧勝。 | ||
===1984年夏=== | ===1984年夏=== |
2020年10月2日 (金) 21:49時点における版
分割済み
1970年代
1978年夏
- この回から現在に至る49代表制となった。
- PL学園が初めて優勝した。
1979年夏
- 3回戦の星稜vs箕島は延長18回に及ぶ名勝負として知られる。
- 優勝したのはその箕島。
- 準決勝では牛島-香川のバッテリーの浪商を、決勝では池田を破った。
1980年代
1982年夏
- 「山びこ打線」の池田が初優勝。
- 準々決勝では最後の夏だった早稲田実・荒木相手に14点と粉砕。
- 決勝ではそれまでの高校野球らしい緻密な野球で知られた広島商相手に1回から6点をたたき込んで勝負を決め、12-2と圧勝。
1984年夏
- 全体的に打高気味の大会で、大会14日間の全ての試合でホームランが記録された。
- 決勝戦は大会2連覇を狙うPL学園を名称・木内率いる取手二が下して茨城県勢初優勝。
- 1回戦の法政一vs境戦では境の安部選手が10回2死まで法政一打線をノーヒットに封じたが、法政一の末野選手に投じた124球目をラッキーゾーンに運ばれまさかのサヨナラ負け。
1985年夏
- 前年は決勝で苦杯を舐めたPL学園が見事にリベンジ。桑田・清原は最後の夏の甲子園を有終の美で飾った。
- 1回戦東海大山形戦では29点を挙げた。あまりの大差に最後の方は清原がマウンドに上がったほど。
- PLばかりに目が行きがちだが、決勝まで進んだ「ミラクル宇部商」こと宇部商業や、佐々木主浩がエースだった東北をサヨナラ勝ちで下し旋風を巻き起こした甲西も忘れ難いチーム。