高校野球/2000年代

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2000年[編集 | ソースを編集]

2000年春[編集 | ソースを編集]

  1. 内海哲也がいた敦賀気比が不祥事で出場辞退。
    • 出ていたら優勝していたかもしれなかったのに…。結局夏も出れず内海は甲子園を経験することなく高校野球生活を終えた。
  2. 長野商がなんと68年ぶりにセンバツ出場。金子千尋の好リリーフもあって見事初戦を突破した。
    • ちなみに2回戦で対戦した鳥羽にはのちにチームメイトとなる平野佳寿がいた。
  3. 東海大相模が初優勝。初戦で20得点を挙げた強打の智弁和歌山を抑えての優勝だった。
    • だがこの悔しさが夏の猛打につながっていくんだよぁ。

2000年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 智弁和歌山が打力で圧倒した大会。
    • どれだけ点を取られても打って取り返す、そんな超攻撃的野球だった。
    • ジョックロックが魔曲と化した。
      • 特に柳川との準々決勝は凄かった。強打の智弁和歌山相手に血豆を潰しながら粘投した香月投手も見事だった。
        • この年の準々決勝は全試合が1点差、白熱した試合ばかりだった。
  2. 背番号1じゃない背番号一桁の選手がピッチャーで活躍するチームが多かった。
  3. 左投げのキャッチャーに左投げのサードといった個性派ぞろいの那覇高校が出場。
    • 初戦で相手チームにいた熱男のエラーが決勝点となり甲子園初勝利を挙げた。
  4. 札幌南が当時の最長ブランクとなる61年ぶりの出場。またセンバツにも出場した鳥羽も夏54年ぶりに出場した。
  5. 去年のベスト8の青森山田を上回り、光星学院がベスト4まで進出した。この辺りから青森が高校野球の強豪県になってきた感じがする。
  6. 打つ方ばかりクローズアップされがちだが、好投手も数多くいた。中でも浦和学院の坂元弥太郎は大会タイ記録の1試合19奪三振を達成した。

2001年[編集 | ソースを編集]

2001年春[編集 | ソースを編集]

  1. 21世紀最初の甲子園となったこの年から「21世紀枠」が新設された。
    • そしてその21世紀枠で出場した宜野座がベスト4。
  2. 21世紀枠新設のため記念大会でもないのに34校出場。
    • 翌年から関東と近畿の枠が1枠ずつ減らされる。
  3. 茨城から3校も選ばれた。そして常総学院が初優勝。

2001年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 日南学園の寺原隼人のスピードに注目が集まった。
    • ちなみに154㎞を出した2回戦の試合がこの大会唯一の延長戦だった。
  2. 日大三が強力打線で初優勝。
    • 前年の智弁和歌山が記録したチーム打率記録を上回る強力打線だった。
      • この年のドラフト会議で日大三高からは近藤一樹(近鉄)・内田和也(ヤクルト)・都築克幸(中日)・千葉英貴(横浜)の4人が指名された。
    • 近江が滋賀県勢初の決勝進出。三本の矢と呼ばれた継投策が上手くハマっていた。
  3. のちに甲子園の常連校となる明豊と聖光学院がともに初出場し初戦で対決。20-0という圧倒的大差で明豊が勝った。
  4. 松山商がベスト4に入ったが、これが平成最後の甲子園出場となってしまった。
    • ちなみに初戦で対戦したのが35年ぶりに出場した駒大苫小牧。この3年後同じ愛媛の学校に勝って優勝することになる。
  5. 部員17人、全校生徒も100人ほどしかおらず、廃校の危機に立たされていた塚原青雲が初出場。
    • 甲子園出場が大きく影響したのか、廃校の危機を脱し現在は校名を変えつつも存続している。
  6. この年から選手宣誓が立候補制に。
  7. 新潟県大会を制したのはノーシードの十日町。日本文理との決勝は延長10回・逆転サヨナラ勝ちで初の甲子園出場を決めた。

2002年[編集 | ソースを編集]

2002年春[編集 | ソースを編集]

  1. 大体大浪商が平成で唯一甲子園に出場した大会。
  2. 21世紀枠で鵡川が初出場。どんな時でも必ず行う全力疾走が話題に。
  3. 優勝は報徳学園。しかし準優勝した鳴門工をはじめベスト8以上に四国勢が3校も残った。

2002年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 日韓ワールドカップのため予選の注目度が低かった年。
  2. あの松井五打席連続敬遠からちょうど10年後に明徳義塾が初優勝した。
    • しかし明徳義塾が決勝に進出できたのはこの大会だけ。
  3. 四国勢が全てベスト8に残った。
    • 尽誠学園(香川)と鳴門工(徳島)は準々決勝でそれぞれ帝京と智辯和歌山に敗退し、準決勝で明徳義塾(高知)が川之江(愛媛)に勝利。
  4. 1,2年生だけのチームがベスト8に残った。
    • そしてその学校の選手が夏の大会1000号ホームランを放った。
  5. 智弁学園と智弁和歌山の智弁対決があったのもこの大会。
  6. なんと22安打を放ったチームが9安打しか放っていないチームに敗れるというまさかの試合があった。
    • 他にも相手に2安打しか打たれてないのに負けるチームも。
  7. 地方大会には歴代最多の4163校が参加。
  8. ホームランが出まくってラッキーゾーンが撤去されてから最多の43本も出た。

2003年[編集 | ソースを編集]

2003年春[編集 | ソースを編集]

  1. この年から「希望枠」と「神宮枠」が新設された。
    • 希望枠は2008年で廃止になる。
  2. 東洋大姫路-花咲徳栄が1969年夏の決勝戦以来34年ぶり、15回制になって初の引き分け再試合になった。
    • そして史上初の引き分け再試合も延長戦。
      • 延長10回ワイルドピッチで東洋大姫路がサヨナラ勝ちした瞬間の写真がウケてAA化された。
  3. 隠岐の島から甲子園出場校が誕生。初戦で大敗してしまったが。
  4. 全試合危なげなく勝ち上がった広陵が涌井や成瀬など多くのスター選手がいた横浜を倒して3度目の優勝。
    • とは言っても広陵も上本博紀や西村健太朗などのちにプロで活躍する選手ばかりだったけどね。

2003年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 大会前に勇退を表明していた常総学院の木内監督が有終の美の優勝。
    • しかし2008年に一度まさかの復帰。
  2. 番狂わせと雨による順延が多かった年。
    • ベスト8の顔ぶれが常総学院と東北以外前評判の低かったとこばかり。
      • その一つが岩国。2回戦では選抜王者広陵を撃破する番狂わせを見せベスト8入りした。なんとそれまで1度も甲子園で勝てていなかったのだから尚更。
    • この年から準々決勝が2日に分けて開催されるはずだったが相次ぐ順延により1日で実施。
  3. 倉敷工-駒大苫小牧で駒大苫小牧が8-0とリードしていながら降雨ノーゲームで得点が無効となり、再試合は駒大苫小牧が2-5で負けてしまう悲劇が発生。
    • しかしその翌年から…
  4. 2020年時点で都立高が夏の甲子園に出た最後の大会。
  5. この大会からベンチ入りの選手が18人に。
  6. 鳥栖商のチアが色んな意味で話題に。
  7. 江の川が島根勢としてなんと80年ぶりにベスト4入りした。
  8. 平安対東北の投手戦は凄かった。平安の服部大輔と東北のダルビッシュ有の奪三振ショーは最後まで目が離せなかった。
    • 両投手の奪三振数は合わせて32個。延長11回まで及んだ激戦を制した東北はその後決勝戦まで進出した。

2004年[編集 | ソースを編集]

2004年春[編集 | ソースを編集]

  1. 済美が創部2年で初出場初優勝。”やればできるは魔法の合言葉”というフレーズが一番似合う大会だった。
    • 初戦以外は全て1点差を制しての勝利。特に準々決勝では、優勝候補の東北相手に9回2アウトから逆転サヨナラ3ランで勝利。これで勢いに乗った。
  2. 雨の影響で決勝戦が史上初のナイターに。
  3. 山形県勢が甲子園で初めてベスト8に進出。
    • それも含めて東北の学校が3校ベスト8に残った。みんな準々決勝で負けたが。
      • 東北は勝てたよな…。まさか9回に4点差をひっくり返されるとは。
  4. 愛工大名電が執拗にバントで攻めた。おかげでバント成功という意味の”ナイスメイデン”という語句まで誕生した。
  5. ダルビッシュ有がノーヒットノーランを達成。これが甲子園での平成最後のノーヒットノーランとなった。
  6. 公立校の社が快進撃を見せてベスト4入り。

2004年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 駒大苫小牧が北海道勢初優勝。白河の関を飛び越え津軽海峡まで越えてしまった。
    • 東北勢初優勝なるかと注目された大会で北海道に先を越されるというまさかの結末。
      • そして未だ全国唯一東北だけ甲子園優勝は果たせていない。
        • 2022年夏、ついに悲願達成。
  2. 北海道の星駒大苫小牧と、選抜王者済美の決勝戦の打撃戦は印象に残る名勝負の1つにあげられる。
  3. アテネオリンピックと同時期の開催ながら、駒大苫小牧の活躍のおかげで高校野球も盛り上がった。
  4. ダルビッシュ、涌井、前田健太と球界を代表するピッチャーが出場した大会。
    • ダルビッシュが最後の打者で三振に倒れて笑顔を見せたシーンは高校野球の歴史に残る名シーンだと思う。
  5. モリシが盛大にやらかした大会。相手に満塁策を取られて抑えられた直後のイニングで、満塁策でお返しをしてそれで打たれて負けるってさ…。
  6. 東北の学校が春に続いて逆転サヨナラ3ランで敗れた。東北勢はこういうところでの勝負弱さがあるよな…。
  7. 千葉経大付が初出場ながら親子鷹の活躍で4強入り。
  8. 京都勢が昨年のダルビッシュに続いてこの年は涌井相手に延長11回1‐0でサヨナラ負け。後に日本を代表するピッチャー相手に2年連続でやられた。
    • しかしこの試合で敗れた京都外大西は翌年に快進撃を見せることに。

2005年[編集 | ソースを編集]

2005年春[編集 | ソースを編集]

  1. 愛工大名電が前年準優勝の悔しさを払拭し初優勝。
  2. 創部3年目の神村学園が準優勝。前年の済美のような快進撃を見せた。
    • エースは元西武・巨人の野上亮磨だった。
  3. 雨の影響で初日が開会式しか行われなかった。
  4. 関西が45年ぶり出場の慶應義塾にサヨナラ負け。ここから関西の悲劇が始まることに…。
  5. 高松が当時の史上最長ブランクとなる72年ぶりの出場。

2005年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 開幕2日前に明徳義塾が不祥事でまさかの出場辞退。
    • 当時戦後最長だった7年連続出場が途切れる。
    • 夏の甲子園の出場辞退は戦後初と話題になった。
  2. 駒大苫小牧が57年ぶりの夏の選手権連覇。しかし大会後に駒大苫小牧にまで不祥事が発覚した。
    • 準々決勝が1-6からの逆転、準決勝は大阪桐蔭との事実上の決勝戦を制しての優勝だった。
  3. 平田良介(現中日)が清原和博に並ぶ1試合3HRを放った。
    • 浜風さえなければ3打席目のライトフェンス直撃の2塁打もスタンドインしていて史上初の4打席連続HR達成となっていたかも。
  4. 初出場の清峰が快進撃を見せた。初戦で春の王者愛工大名電を撃破すると、勢いそのままに2回戦で前年夏の準優勝校済美を下し、大阪桐蔭に敗れたものの最後まで白熱した試合を展開した。
    • この活躍が4年後の優勝に繋がっていくんだよなぁ…
  5. 大阪桐蔭辻内が152㎞をマークしたが、この年を境に毎年のように150㎞を超えるピッチャーが現れるようになったと思う。
  6. 宇部商が久しぶりに4強入り。地方大会から1人で投げ抜いたエースで4番の好永投手の活躍が光った。
  7. 春のセンバツにはよく出る国士館が意外にもこの大会で夏初出場を果たす。
  8. 中田翔が衝撃のデビューを果たしたのもこの大会。

2006年[編集 | ソースを編集]

2006年春[編集 | ソースを編集]

  1. 駒大苫小牧が不祥事で出場辞退という波乱の幕開け。
  2. 八重山商工が石垣島の学校として初の甲子園出場。優勝した横浜相手にあと一歩のところまで追いつめた。
    • 初戦では逆転タイムリーを打たれたのに相手選手のベース踏み忘れによって幻になる珍事も。
  3. 斎藤佑樹はこの大会でも延長15回引き分け再試合を経験した。
    • 再試合で勝利した後、甲子園球場に雪が舞うというドラマチックな結末。
  4. 日本文理が新潟県勢としてセンバツ初勝利。
    • 高校野球弱小と呼ばれた新潟勢の快進撃がここから始まったと思う。現にその3年後日本文理が夏の大会で準優勝する。
  5. 長崎県勢として初の決勝進出を果たした清峰相手に21-0で勝った横浜高校…。
    • 準決勝で前田健太擁するPL学園が勝っていたら、決勝で横浜vsPLになっていた。
    • 因みに、春夏連覇した学校が春夏連覇後に優勝したのはこの大会の横浜が初めてだった。
  6. 坂本勇人が甲子園に出場した唯一の大会。最初の打席で初球を打ってヒットにした場面を巨人のスカウトが物凄く評価したらしい。
  7. 中継の教育テレビ(Eテレ)での延長放送が続いたせいで当時の「天才てれびくん」ドラマパートが2005年度通常放送最終日に放送できず、4月2日日曜日に放送という事態が発生した。

2006年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 早稲田実の斎藤佑樹が「ハンカチ王子」の愛称で大ブレイク。
  2. 1969年夏の松山商-三沢以来37年ぶりの決勝戦引き分け再試合。
    • 再試合で早稲田実が駒大苫小牧の3連覇を阻止し初優勝。
  3. 他にも準々決勝の智弁和歌山-帝京など名勝負が続出し、2000年代最大の神大会と言われている。
  4. 日大山形が延長13回逆転サヨナラ勝ちで山形県勢初のベスト8。47都道府県最後となる初のベスト8だった。
  5. 4季連続出場の関西が3季連続の終盤逆転負け(2005年春もサヨナラ負けだった)。まさに悲劇のチーム。
  6. 昭和生まれが出場した最後の大会である。
  7. 斉藤君と田中君しか興味が無い世間がうざい。
    • 2007年は中田君(大阪桐蔭)。・・・が、負けた!グッジョブ金光大阪!
      • 2017年は清宮君(早稲田実業)・・・が、負けた!グッジョブ東海大菅生!
    • 真のマニアは夏の大会に出てこなかった増渕君(鷲宮→ヤクルト)こそ一番の大物だと思っている。
  8. 「日本最南端」の八重山商工が出たとき、何故か感動した。
    • 八重山商工OBの大嶺祐太投手はロッテに入りました。
    • 沖縄本島以外の離島が出た事でも感動した。
    • 「空を見上げました。沖縄の空にも繋がっています」の実況が忘れられない。
    • 某所でネタにされる「監督が氏ねって」「お前が氏ねって言っとけ!」の元となったやり取りをしたのがこの高校である。
  9. 最後は斎藤佑樹が田中将大を三振に抑えて優勝を決めたっていうのもドラマチックだよなぁ。
  10. 誰も挙げていないけど、鹿児島工の活躍も凄かった。特に代打の神様今吉君とか。
    • 元々控え捕手だったが腰を骨折。夏は間に合わないと医者に宣告されたが、不屈の根性で代打の座を勝ち取った。
      • 斎藤佑樹曰く「彼(今吉)だけは三振を狙った」。
    • 鹿児島県大会すら準決勝の段階で「御三家不在」という大波乱。しかも決勝の相手は公立の鹿屋高校(もちろん初進出だし、学校の性質上地元民しかいない)。そこすら8-7での辛勝。雨天中断がなかったら甲子園へ行けたかすらも怪しい。
    • 地元の民放局名物だった実況風解説も、動画配信サイト草創期と重なったこともあり全国的に注目される。
  11. この年初戦で福井と富山が対戦したことなどから翌年より初戦の東西対決方式が廃止されフリー抽選方式に。

2007年[編集 | ソースを編集]

2007年春[編集 | ソースを編集]

  1. この年から出場する選手が全員平成生まれになった。
    • そのことが開会式の実況や選手宣誓でも言われた。
  2. まさかの東海勢のワンツーフィニッシュ。
    • ちなみに同時期に開催された世界フィギュアスケート選手権でも愛知県出身の日本選手、安藤美姫と浅田真央がワンツーフィニッシュ。
  3. 中田翔(現日本ハム)がゴジラ松井以来の2打席連続HRを放った。
  4. 甲子園にイタチが乱入した。
  5. 室戸高校は普通に強かった。報徳学園、宇部商といった常連校を次々と倒しての8強入り。下馬評を覆す戦いぶりだったな。
  6. 常葉菊川が今までの高校野球の常識を覆すノーバントフルスイング野球を見せ初優勝。準優勝した大垣日大も希望枠での出場ながら強豪帝京を倒すなど堂々とした戦いぶりだった。
  7. 21世紀枠で出場した東国原英夫の母校都城泉ヶ丘がのちにプロ入りする藤岡貴裕を攻略して完封勝ち。東国原氏は知事室で喜びを爆発させていた。
  8. 帝京の大田阿斗里が佐賀の小城相手に20奪三振の大会史上2位タイの記録を作った。が、帝京はその年の夏同じ佐賀の学校相手に苦杯を喫することになる。

2007年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 特待生問題で予選の開幕前は大荒れ。
  2. 佐賀北のがばい旋風で佐賀県が大盛り上がり。
    • そして決勝戦で8回裏の奇跡の逆転満塁ホームランで佐賀北が優勝した。
      • NHK(ラジオ)の実況アナウンサーが「あり得る最も可能性の小さい、そんなシーンが現実でーす!」って叫んでたほどだったからなぁ。どれだけ奇跡だったことか。
    • 佐賀代表が開幕戦に登場、決勝戦で満塁ホームランと1994年夏のデジャヴができすぎている。
      • 準々決勝で優勝候補の帝京を倒した辺りから佐賀だけでなく日本中が騒ぎ出したと思う。現に決勝戦ではあの盛り上がりだったからな。
    • この年は九州勢が本当に強かった。長崎はベスト4、大分は初出場校がベスト8、福岡は初戦で劇的サヨナラ勝ち、宮崎は選抜王者相手に大熱戦を演じ、鹿児島は中田翔擁する大阪桐蔭を倒した金光大阪に勝利した。なお熊本は…。
      • 熊本は春にベスト4に入ったから…。
    • 2023年現在、公立校の甲子園優勝はこれが最後。
    • 決勝戦の応援席に佐賀北OBの中越典子が来ていたらしい。
  3. 鳥取の境のトリプル悪送球が2ちゃんねるで大受けとなった。
  4. 興南vs文星芸大付の試合は前の試合が延長戦続きになった影響で20時42分に試合終了。これは記録が残っている中で大会史上最も遅い時間に試合が終了した。
  5. この年より抽選方式がフリーになり、結果関東勢同士が初戦で対決する試合が2試合も発生。
  6. 駒大苫小牧と駒大岩見沢がアベック出場。これが最初で最後のアベック出場となってしまった。
    • 駒大苫小牧に関しては歴代最強のチームだったらしい。初戦でエラーさえなかったらいいところまで勝ち上がっていたのにな…。
  7. 広陵が準優勝。野村祐輔、小林誠司の後に日本を代表するバッテリーが活躍したが、決勝戦で疑惑の判定に泣いた。
    • 小林がミットを叩きつけていたのが印象的。だが、これで野村がこの悔しさを糧にして成長しプロで活躍できたのは紛れもない事実である。
  8. この年はホームランが少なかった。しかし去年以上に印象に残るホームランが多かったような気がする。

2008年[編集 | ソースを編集]

2008年春[編集 | ソースを編集]

  1. この年から内野席がリニューアルし、ファールエリアが狭くなった。
  2. 21世紀枠がこの大会より3校に。そしていずれも初戦突破する。
    • その中にはライアン小川やX JAPANのYOSHIKIとToshiの母校も。
  3. 沖縄尚学が2度目の優勝。初優勝した時のエースが監督として母校を指揮してそして優勝するドラマみたいな優勝だった。
  4. 投手戦がめちゃくちゃ多かった印象。
  5. 希望枠はこの年限りで廃止。なお、この年の希望枠は2年前にも希望枠で選ばれていた一関学院だった。
  6. 平安が校名変更前最後の出場。2回戦では延長15回再試合の末に勝利。原田監督がインタビューで涙を流していたのが印象的だった。

2008年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 北京オリンピックの影響で印象が薄い大会だった。
    • オリンピック開催期間と重なったため、史上最も早い8月2日の開幕となった。
  2. ビッグイニングが多い大会だったな。特に常葉菊川と智弁和歌山。
    • 智弁和歌山は1イニング3HRという離れ業をやってのけた。
  3. 満塁ホームランばかり出る大会に。なんと9番打者にも満塁ホームランが出るとは…。
  4. 近年の決勝戦では異例のワンサイドゲームだった。
    • 大阪桐蔭が強かったのもあるし常葉菊川はエースが故障してたってのはあるけど、17-0って…。
      • ちなみに準優勝した常葉菊川の監督は元プロ野球選手。元プロの選手が指揮を執るのは夏の甲子園では初めてのことだった。
  5. 選抜優勝の沖縄尚学を倒した浦添商は本当に強かったな。
  6. 46年ぶり出場の慶應義塾がベスト8進出。高校野球では珍しい長髪の選手が多いことでも話題に。
  7. どれだけ守備の上手い選手が現れても、この年の常葉菊川のセカンド町田と大阪桐蔭のショート浅村の華麗な守備には叶わないと思う。
    • セカンド町田の守備には実況アナも「セカンドに打ってしまえば望みはありません」と言わしめるほど。
  8. 筒香嘉智が大活躍。1試合最多打点タイ記録も作った。
    • そんな彼が初戦では絶不調で7番を打っていたのだから驚き。

2009年[編集 | ソースを編集]

2009年春[編集 | ソースを編集]

  1. 今村猛、菊池雄星と好投手ばかりが目立った大会。
    • 開幕戦はド派手な試合だったなぁ…。延長戦で11-10って。どうなるかと思ったけど結果的に投手が目立ったな。
      • その開幕戦では誤審も発生。誤審のせいで負けなかったのはよかったが…。
    • 今村猛と菊池雄星が決勝戦で投げ合い、今村猛が投げ勝ち長崎に初の紫紺の大旗をもたらした。
  2. 19個も三振を奪ったのに敗れたり、9回までノーヒットに抑えながらも打線の援護がなく延長10回に初ヒットを打たれ敗れたりと、悲劇的負け方が多かったような気が。
  3. 21世紀枠の利府がベスト4進出。しかしベンチ入り選手がブログで対戦校を侮辱し炎上してしまう。
  4. 箕島が久しぶりに選抜出場。ベスト8に進出した。
  5. 早稲田実と慶應義塾がアベック出場し、大会前には甲子園で早慶戦が行われるのではないかと話題に。しかし、慶應が初戦で負けてしまったため実現せず。
  6. 彦根東が56年ぶりに出場した。ちなみにひこにゃんは甲子園に入れなかったらしい…。
    • エースが脱水症状で降板しなければ勝てたな…。ちなみに相手は美爆音応援でおなじみの習志野。ただ、この出場後何度も甲子園に出場するようになった。

2009年夏[編集 | ソースを編集]

  1. 決勝戦、6点差の9回2アウトランナーなしから1点差まで追い上げる粘り。
    • 「日本文理の夏はまだ終わらない」は高校野球史上最大級の名実況となった。
      • ただしABC。NHKがこんなフレーズ言うわけない(アテネ五輪の体操除く)。
      • この実況が生まれる前の伊藤コールも含めて球史に残る名シーンだと思う。
    • とはいえ10年くらい経った現在でもこの試合が名勝負ランキングの上位に来るのは違和感を覚える人もいる。
  2. 史上初の2試合連続降雨ノーゲームがあった。
  3. 関西学院が70年ぶりの出場。これは2020年時点で史上最長ブランクらしい。
  4. 新型インフルエンザが流行り、その影響を受けるチームも。
  5. この大会は東海勢が揃って活躍した大会だった。中京大中京は優勝、県岐阜商は45年ぶりのベスト8、三重は三重県勢11年ぶりの夏1勝、常葉橘は初出場でベスト16。2000年代で一番東海勢が輝いてた大会だったと思う。
  6. 選手宣誓がまさかのカンペ読み。
    • その学校が初戦で対戦したのが阪神のユニフォームにそっくりの学校だった。まさにネタ満載。
  7. 作新学院が久々に夏の甲子園出場。この翌々年から栃木は作新一強に。
  8. 都城商がベスト8入り。初戦には母校が出場した際に応援に駆けつけることが出来なかった当時の宮崎県知事が甲子園に駆けつけた。
  9. 決勝戦ばかり取り上げられるが、明豊vs花巻東も好ゲームだったと思う。
    • 菊池雄星負傷により途中降板からの逆転劇に今宮健太の覚醒など、濃い試合だったな。
      • 明豊に関してはその前の常葉橘戦も好ゲームだった。試合後に常葉橘のエース庄司隼人が今宮にバッティンググローブを渡して、そのバッティンググローブをつけてこの試合に臨んでいた。
  10. 某けいおん!声優の母校が初出場した。
    • この学校も含めて初出場は13校。全体の4分の1を占めた。

関連項目[編集 | ソースを編集]