プロレス団体/現存しない団体

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男子系団体[編集 | ソースを編集]

IWAジャパン[編集 | ソースを編集]

  1. 社長はプロモーター出身。
    • 創始者はプエルトリコ出身の悪徳マネージャーだった。
  2. その社長が織り成す「新宿2丁目劇場」で有名。
    • 旗揚げ当初はFMWに対抗したデスマッチが中心だった。
  3. TAJIRIがデビューした団体でもある。
    • IWA→EMLL→大日本→CMLL→ECW→WWE→RAW→ハッスル→SMASH→WNC→WRESTLE-1→WWE→フリー(全日本中心)
  4. 事実上ノアの子会社。
  5. 社長がプロレス活動から身を引いたため団体としては解散。会社は飲食店の経営が中心。
  6. 若手レスラーの山田圭介(現・バッファロー)が社長をやっていたことがあった。

イノキ・ゲノム・フェデレーション[編集 | ソースを編集]

  1. 略称IGF。アントニオ猪木が新日と袂を分かって旗揚げ。
  2. ×××××で角界を追われた元力士をスカウトした。
  3. 蝶野正洋がプロデューサー就任。
    • 現在は退任。宮戸GMもほぼ同時期。
  4. 2億円のチャンピオンベルトを作った。
  5. 大晦日の猪木祭を復活させた。
  6. ALL TOGHTERに興行戦争を仕掛けた。
  7. 2016年若手育成のための新ブランド「NEW」を立ち上げたが、翌年にお家騒動が起きてしまった。
    • それと並行して上海に道場を再開設。その道場は後に「東方英雄伝」というプロレス団体になったが、いつの間にか活動休止…。

W★ING[編集 | ソースを編集]

  1. 邪道と金村のファイヤー・デスマッチで金村が大火傷をしてしまった。
    • その影響もあり、1994年に崩壊。所属選手はIWAジャパン・WARへと移籍した。
  2. 1991年8月に「世界格闘技連合W★ING」として旗揚げ。
    • 直後に格闘技中心の世界格闘技連合と、プロレス中心のW★INGプロモーションの2つに分裂したが、世界格闘技連合は旗揚げ戦すら開催せずに解散。
  3. その後FMWを超える過激なデスマッチ路線へと進み、マニア層の支持を受けるようになる。
  4. 日本で初めて、ファイヤー・デスマッチを成功させた団体(1992年8月2日・船橋オートレース場駐車場大会)。
  5. 有名外国人選手の参戦、プロレス界初の大晦日興行も実現させたが…。
  6. 1993年になると、主力選手であったミスター・ポーゴと松永光弘がFMWの引き抜き工作によって離脱、さらに中堅選手も多くが離脱。

SWS[編集 | ソースを編集]

  1. メガネスーパーが立ち上げた。
  2. 天龍源一郎を始め全日本・新日本から選手多く引き抜き、波紋を呼んだ。
    • その影響から週刊プロレスからは「金権プロレス」とバッシングされた。
  3. 加えて天龍派と反天龍派の対立が激化してしまった。
  4. 解散後、WAR、NOW、さらにPWCに分裂。
  5. 「一本花道」を日本で初めて採用したプロレス団体。

NOW[編集 | ソースを編集]

  1. SWS崩壊後、反天龍派の選手(ケンドー・ナガサキ、ジョージ高野・高野俊二など)を中心に発足。
    • しかし旗揚げ戦の前に高野兄弟は退団。
  2. その後は維新力をエースとして興行を開催していたが、順調な経営とは行かず活動を停止。
  3. 1994年1月に登坂栄児が代表に就任、1994年1月に第2次NOWとして活動再開するも長続きせず、10月に解散。

FMW[編集 | ソースを編集]

  1. 大仁田厚が旗揚げした、インディプロレスのパイオニアとも言える団体。
  2. 正式には「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」と言うように、当初は異種格闘技やストリートファイトが中心だった。
  3. 全盛期は何といっても電流爆破。大仁田が特許を取得していた。
  4. また、女子部も設けてミックスファイトも展開。女子プロレス対抗戦ブームはFMWが全女に申し込んだことが発端だった。
  5. 晩年は主力選手の欠場、それに伴う経営の悪化が響き、2002年に倒産。

健介office[編集 | ソースを編集]

  1. 元々はWJ退団後の佐々木健介のマネジメントだった。
  2. 社長は鬼嫁。
    • その鬼嫁の地元に自社ビルを建てた。
    • その鬼嫁の古巣であった全日本女子プロレスの手法を取り入れてる。
  3. 「ダイヤモンドリング」として団体化したが、健介引退により解散。健介オフィスとしては健介夫妻のマネジメント。

国際プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. 日本プロレスを出た吉原功が旗揚げした。
  2. 団体名が示す通り外国人を様々な国から呼び寄せた。
  3. やはり金網デスマッチ。
  4. 一時TBSが放映権を持ち「TBSプロレス」に改称していたが、後に打ち切られ、東京12チャンネルに移った。
  5. 12chに移ってからは女子部も設けていたが、すぐ消滅。
  6. 選手入場時のテーマ曲を初めて導入した団体でもある。
  7. 東京12チャンネルのレギュラー放送打ち切りが致命傷となり、1981年8月9日の北海道・羅臼大会を最後に活動停止。
    • 実はその後も留萌と函館での大会が予定されていたが、いずれも中止となってしまった。

新根室プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. なんと言っても、アンドレ・ザ・ジャイアントパンダ!
    • 奥様と息子もいる。
    • 奥様は、2019年にレスラーとなった。
  2. 2019年10月の東京大会を最後に活動休止。

WJプロレス[編集 | ソースを編集]

  1. 新日本を退団した長州力が2003年に旗揚げ、「プロレス界のど真ん中を行く」と発言するも…。
  2. 7回、長州対天龍をやるつもりだったのに途中でやめちゃった。
  3. 長州が丸くなった。
  4. 練習生の死亡事故・総合格闘技イベントの失敗・選手の退団が相次ぎ、2004年活動停止。
    • WJの崩壊以降、長州と健介は事実上の絶縁状態に…。

東京プロレス(豊登)[編集 | ソースを編集]

  1. 力道山亡き後、豊登がアントニオ猪木を引き連れて旗揚げ。
  2. これを日本初のインディ団体とする意見もある。
  3. 1967年に崩壊。猪木は日本プロレスに戻り、豊登は国際プロレスに合流。

東京プロレス(石川敬士)[編集 | ソースを編集]

  1. WARを退団した石川敬士が1994年12月に旗揚げ。
    • ↑の東京プロレスとは無関係。
  2. 末期は団体名がコロコロ変わった。
    • 東京プロレス→新東京プロレス→新東京プロレス石川一家
  3. 元ダイエーの山之内が練習生として所属していたが…。
    • 退団の際に「プロレスの練習はプロ野球のキャンプより楽」と言い残し、退団。
      • 但し本人はこの発言を否定している。

日本プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. 力道山が中心となって立ち上げ、日本にプロレスを根付かせた団体。
  2. ジャイアント馬場・アントニオ猪木もここデビューした。
  3. テレビは日テレに加えNHK、TBSでも放映されていたが、やがて日テレに一本化。力道山の死後に馬場の日テレと猪木のNETに分かれた。

SMASH[編集 | ソースを編集]

  1. TAJIRIらがハッスルから独立して旗揚げ。
  2. プロレスだけでなくアマチュアDEEPも請け負う。
  3. TAJIRIの人脈で元WWEスーパースターも多数参戦。
  4. 女子の試合も必ず組まれる。
    • そこで華名が「マニフェスト」を発表して物議を醸す。
  5. 日本では無名だったフィンランドの団体「FCF」の名を広めた。
    • 国際プロレス以来ではないかと思われる欧州トップレスラー同士の試合も組まれる。
  6. 2012年にTAJIRIと社長の対立が原因で解散。TAJIRIは当時の所属全員を引き連れ新団体を旗揚げする一方、社長はパンクラスの運営権を得た。

パイオニア戦志[編集 | ソースを編集]

  1. 元国際プロレス所属の3人(剛竜馬・高杉正彦・アポロ菅原)で1989年4月に旗揚げ戦を開催するも、1990年12月に解散。

ハッスル[編集 | ソースを編集]

  1. ここ最近、勢力を伸ばす新興団体。
    • 親会社は×××××したけど・・・。
  2. 総統が大人気。
    • 最初は総統じゃなかったことは内緒。
  3. 某老舗団体ファンとは犬猿の仲。
    • というか、ショー要素が嫌いな人たちからは徹底的に嫌われている。
      • コアなファンからは完全な際物(または別物)扱い。
  4. 何気にメインキャラよりも、ご当地キャラのほうがインパクト大。
    • 「KIDATA・ロー」シリーズは掟破りの増毛。
  5. デンジャラスさんは芸の面でもデンジャラスだった。
    • まさかエガちゃんをキャラで圧倒するとは。
      • 武勇伝、ラララライ、チキショー!、何でだろう・・・。
  6. 芸能人参戦も目玉。
    • インリン様は言うに及ばず。
      • まさか、坂田の嫁が2年連続で参戦するとは。
        • RGが輝いている。
    • エガちゃんとエガちゃんのそっくりさんの夢のタッグも実現。
      • さすがにテポドンはやらなかったけど。
    • 空中○彌チョップは試合をひっくり返したが、肝心な部分はひっくり返せなかった・・・。
    • 芸能人と言えるか否かはさておき、元横浜オリックスのF木が参戦予定。現役時代同様、守備が大いに懸念される…。
  7. 良くも悪くもプロレス危機の時代に一石を投じている。
  8. まさか、高田vs武藤(の外の人対決)が見られるとは。
    • 高田将軍は?は禁句。
  9. 賃金不払いなどで訴えられている。
    • これを機に選手大量流出。そのうち一部選手でSMASHを旗揚げ。
  10. 辛うじて持ちこたえ、「ハッスルマンズワールド」として再出発。
  11. ある年の大晦日に、テレ東で特番をやったことがある。

UWF[編集 | ソースを編集]

  1. 旗揚げの発端はアントンハイゼル問題だった。
  2. アントニオ猪木の参加及びフジテレビの中継も予定されていたがいずれも頓挫。
  3. 第1次と第2次に分かれる。第1次解散後は新日本に出戻りした後、第2次旗揚げへ。
  4. 我々がイメージするUWFは主に競技色が強かった第2次。

UWFインターナショナル[編集 | ソースを編集]

  1. 第2次UWF崩壊後、高田延彦を中心に1991年旗揚げ。
  2. よくも悪くも、元双羽黒に引っ掻き回されたことでも有名。
  3. 新日本プロレスとの対抗戦後は勢いを失い、1996年に解散。
  4. 実はこの人がリングアナウンサーを務めていた。

ユニバーサル・プロレスリング[編集 | ソースを編集]

  1. ルチャリブレを日本に広めるきっかけを作った団体。
  2. 略称はUWFだったが、ここと区別するためユニバーサルと呼ばれていた。
  3. 旗揚げは全女が協力し、KAORUら女子選手も移籍。

WRESTLE-1[編集 | ソースを編集]

  1. 全日本プロレスが、また分裂してできた団体。
    • 武藤と新社長のゴタゴタが原因。
  2. ノアも合わせると、全日系団体三国志状態。
  3. 当時の全日の主力選手の大多数が離脱して所属。
    • ただ、諏訪魔、大森、バーニング等は全日本に残ったので、若手中心。
    • 後に解散したWNCからTAJIRIを含む大半の男子選手が移籍。
  4. 興業計画は強気だが、果たして・・・
  5. ここからCEOがやってきた。
    • 2017年9月に退任。
  6. 練習拠点は旧スポーツ会館。
  7. 業界初ともいえるプロレス専門学校を開校させた。
  8. 団体名は過去に武藤がK-1と合同で企画した興行から流用。
  9. 実は、女子選手もいる。
  10. 2020年4月で団体の活動休止が決定… 
  11. 「VOW12」で金本浩二がヤジった観客をつかまえたらダンスをすることを言っていたのにヤジった観客とダンスをせず、ぶっ飛ばしてしまった事件がW-1で起きた。

女子系団体[編集 | ソースを編集]

Actwres girl'Z(アクトレス・ガールズ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「アクトレス」とは「Actress(俳優)」と「Wrestling」をかけ合わせた造語。
    • その名の通り「女優によるプロレス団体」をコンセプトとしており、アクション女優を兼務している選手が多い。
  2. 堀田祐美子が団体のアドバイザーだったことがある。
    • しかし、就任から3年後に、運営会社と揉めて辞任した。
  3. 2021年を以てプロレス活動終了。
    • 翌年より劇団「アクトレスリング」を旗揚げ。一方でプロレス継続を希望する者はフリーまたは他団体移籍へ。
    • 末期は「Beginning」「Color's」の2ブランド制だったが、後者はユニットとして活動継続。
  4. 解散後、「Color's」はユニットとしていろいろな団体に参戦。
    • 特に、スターダムに参戦した際には、アクトレス出身の中野たむが率いるユニット「コズミック・エンジェルズ」と抗争を展開。
      • その後、「敗者相手ユニット入門マッチ」を経て、「コズミック・エンジェルズ」と同盟を結ぶ。

アルシオン[編集 | ソースを編集]

  1. 全女の倒産騒動が機となって分裂して旗揚げされた団体のひとつ。
  2. ライセンスナンバー制度やみちのくプロレスとの提携なども打ち出した。
  3. ここが生んだ最大のスターと言えば浜田文子。
  4. 新人が死亡するリング禍以降、アジャコングとの裁判や金銭問題など負の連鎖が続き、最後は堀田祐美子に乗っ取られてAtoZへ。

GAEA JAPAN[編集 | ソースを編集]

  1. 長与千種が中心となって立ち上げた。
  2. 里村明衣子を始めとする1期生を「脅威の新人」と称されるまでに育てた。
  3. コミカルレスラー広田さくらもここでデビューした。
  4. しかし、1期生があまりにも脅威だったため、以降は広田以外の新人をうまく育てられず、ベテランに頼り崩壊の一因になった。
  5. クラッシュギャルズを復活させたことでも知られる。
    • 当時、フリーでヒールとして活躍していたライオネス飛鳥を長与が誘う形で「クラッシュ2000」として復活を遂げた。

JWP[編集 | ソースを編集]

  1. ジャパン女子プロレスからLLPWが分かれ、その残党によって旗揚げされた団体。
  2. 全日本女子プロレスなき今、女子プロ団体の老舗となった。
  3. 米山革命はうまくいくか!?
    • 王座陥落後、引退撤回騒動を起こし非難を浴び、退団。
  4. 日本初のリング禍による死亡事故はここで起こった。
  5. 一時活動停止や所属選手が5人しかいなかったどん底の時期もあったが、なんとか持ち直した。少なくともここよりは機能している。
  6. WOWOWで中継していた時期もあった。
  7. 月1の道場マッチは普段考えられないエンタメマッチが売り。
  8. 道場でプロレス教室も開き、最近では多くの出身者がデビューしている。
  9. 2017年、25周年の節目で活動停止。選手たちは新団体「PURE-J」を旗揚げへ。

JDスター[編集 | ソースを編集]

  1. JDはジャンヌ・ダルクの略。旗揚げ当初は吉本興業の傘下で「吉本女子プロレスJd'」だった。
  2. しかし、後に吉本から離れJDスター女子プロレスに改称。末期は団体の看板を外しJDスターに。
  3. ジャガー横田がコーチに就いていた。
  4. BSジャパンとタイアップを打ち、プロレスを通じてアクション女優を目指すアストレスプロジェクトを立ち上げた。しかし女優として成功できたのは朝ドラ出演を果たした川崎亜沙美くらいだった。
  5. 現在では女子やインディを中心に多くの団体が使用する新木場1stRINGは元々ここの道場だった。

ジャパン女子プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. 女子プロレス界の全女独占を終わらせた団体。
  2. 旗揚げ当初は秋元康が関わっていた。
  3. 全女との差別化からかコーチに山本小鉄を迎えるなど男子プロレスのエッセンスが入っていた。
  4. 旗揚げ戦で新人の神取忍がレジェンドのジャッキー佐藤にシュートを仕掛け騒動になった。
  5. 興行不振が続き起死回生として男女混合を狙い団体職員だった大仁田厚とグラン浜田を現役復帰させたが、反発に遭い頓挫した。

全日本女子プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. 女子プロレスが市民権を得るまで成長させた団体。
  2. 松永家による同族経営だった。
  3. フジテレビで中継をしていた。
    • 実況を担当していた志生野アナウンサーも、当時全女の本社で電話番をしたことがあるらしい。
  4. 厳しい上下関係、三禁、25歳定年などを導入し、巡業もハードだった。
  5. 人気レスラーを歌手デビューさせ、ファンを拡大していった。マッハ文朱、ビューティーペア、ミミ萩原、クラッシュギャルズ、JBエンジェルス…。
  6. 「女人禁制」と言われた両国国技館、つづいてプロレス界初となる横浜アリーナにも進出。
    • 対抗戦ブームに乗って女子プロレス界として唯一東京ドーム進出も果たしたが、高すぎる価格設定が響き予想外空席が目立ちさらに興行終了が日付をまたいだため、これがきっかけでブームが終焉。
  7. 副業として飲食店も経営。元々はセカンドキャリア対策だったが、後に興行不振の穴埋めに使われた。
  8. 90年代半ばに倒産。直後に分裂が起こり大幅縮小し、立ち直ることないまま2005年崩壊。
  9. 中西百重が全女にあるベルトを全部、巻くことができた。

NEO女子プロレス[編集 | ソースを編集]

  1. アルシオンともに全女が分裂してできた。
    • 選手代表だった井上京子はアルシオンに参加を希望していたが、門前払いされたため旗揚げに至った。
  2. 当初はネオ・レディースだったが、興行不振やトラブル続きで短期間で崩壊し、改めてNEO女子プロレスを立ち上げた。
  3. ネオ・レディースの反省から堅実路線、エンタメ路線を打ち出した。
  4. 横浜が拠点だった。
  5. 新日本女子プロレスと名乗る予定だったが、流石に新日本からクレームがついたので「ネオ・レディース」と名乗った。
  6. 2010年大晦日に解散。代表取締役だった甲田さんはその後東京女子の事業部長に。

海外団体[編集 | ソースを編集]

ECW[編集 | ソースを編集]

  1. フィラデルフィアを拠点に活動していた。
  2. ここをきっかけにスターとしての地位を築いた選手も多い。
  3. 2001年に活動停止。その後WWEの番組として復活するも2010年に終了。

WCW[編集 | ソースを編集]

  1. 団体名の由来は衛星放送の番組のタイトルから。
  2. 90年代後半から2000年代前半にかけて、WWF(WWE)と激しい視聴率戦争を繰り広げた。
    • nWoやゴールドバーグのブレイクもあり、一時期83週連続でWWFの視聴率を上回り、WWFを廃業寸前まで追い込んだ。
  3. その後はWWFの巻き返し・主力選手のWWFへの移籍が相次き、2001年に活動終了。

GFW[編集 | ソースを編集]

  1. 旧TNAから離脱したジャレット親子が設立。
  2. 2017年、TNAから改称したばかりのインパクト・レスリングと統合。
    • 結局は離反。