もしあの年のプロ野球シーズンで○○だったら
ナビゲーションに移動
検索に移動
ここでは、優勝争いやプレーオフ・CS進出争いを除いた「もし」を扱います。新規投稿は年代順にお願いします。
- 優勝争いはもし日本プロ野球であの球団が優勝していたらへ
- プレーオフ・CS進出争いはもしあの年のプロ野球プレーオフ・クライマックスシリーズで○○だったらへ
セ・リーグ[編集 | ソースを編集]
阪神が1989年に最下位に転落していたら[編集 | ソースを編集]
- 1989年、阪神は6月を境に順位が下降し8月には一時最下位転落の危機に見舞われたがなんとか3年連続の最下位は免れました。もしこの年最下位でシーズンを終えていたら?
- 村山監督は史実以上に無能扱いにされていた。
- 成績によっては1996年の藤田監督と同様にシーズン終盤に解任されていた。監督代行はチーフコーチの河野旭輝が務めていたか。
- 史実通り2018年も最下位だった場合、平成のセ・リーグは阪神最下位で始まって阪神最下位で終わったことになっていた。
- 横浜大洋の古葉監督は辞任しなかった。それにともない須藤監督の就任が遅れていた。
横浜大洋ホエールズが1991年にあと1勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 1991年、横浜大洋ホエールズは64勝66敗の5位でした。つまりあと1勝でもしていれば5割だった事になりますが、もしそうなったら?
- 阪神タイガースは歴代初の借金丸抱え最下位となり、中村勝広監督はその時点で辞任していたかも。
- おそらく92年の成績は史実より悪くなる。優勝争いはできずせいぜいAクラス止まりであり、史実より早く暗黒時代が到来していたかも。
- 1998年のパ・リーグがまた別の意味で盛り上がっていた(5位の近鉄が66勝67敗2分けだった)。
- もしその1勝がジャイアンツからだった場合、ジャイアンツはホエールズと並んでちょうど5割となり4位タイ(当該カードの勝敗が14勝12敗となった関係で5位扱いされた可能性も)となる。その場合、藤田監督は史実より一年早く辞任していたかも。
- 後任は史実通り長嶋茂雄か。
阪神が1993年・1994年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 1992年、阪神は亀新フィーバーもあり久々に優勝争いに加わり惜しくも2位タイで優勝を逃してしまいました。翌1993年、1994年はその優勝争いの反動もあってか4位に転落しましたが、もしAクラスで終えていたら?
両年共通[編集 | ソースを編集]
- 1995年以降も少しはまともな成績を残していた。
- 中村勝広も現実より長く監督を続けていた。
- 藤田平(当時2軍監督)の昇格がなかったか遅れていた。
- 藤田が監督就任しなければ新庄剛志の「野球のセンスがないと見切った」発言もなかった。
- 藤田平(当時2軍監督)の昇格がなかったか遅れていた。
- 阪神大震災発生後も「がんばろうKOBE」のオリックスとともに被災者を元気付けていたかも。
- その分ヤクルトが低迷していた。
- 野村監督の退任も早かったかもしれない。
- 新庄・亀山・山田・関川・久慈などは史実よりも長く阪神に在籍していたかもしれない。
- 場合によっては2003・2005年のリーグ優勝時にも在籍していた。
- 関川・久慈は中日にトレードされていなかった。
- 久慈は実際に2003・2005年のリーグ優勝時に在籍していたが、途中で移籍しなかった。
- その場合矢野が阪神に移籍しなかった可能性もある。
- 正捕手は関川か山田が務めていた。
- あるいはその反動で、1995年以降の成績が歴史実際より悪かった可能性もある。
- 下手すれば、1995年~2001年は7年連続最下位に終わっていた可能性も…
- 中村勝広も現実より長く監督を続けていた。
- 2003年までに1度か2度リーグ優勝を経験していたかもしれない。
- 90年代の阪神が「暗黒時代」や「ダメ虎」と呼ばれることもなかったかも。
- 場合によっては90年代の関西経済の状況が現実よりも良かったかも。
- 縦縞の帽子やグレーに縦縞のビジターユニフォームがもう少し長く使われたかも。
1993年[編集 | ソースを編集]
- 松永浩美が前評判どおりの活躍をしていた。
- 「野田・松永のトレードもなんのその」と言われていた。
- 「甲子園は幼稚園の砂場」という迷言捏造もない。
- FA移籍第1号は松永ではなかった。
- 背番号「02」はその後も使われていた。
- 「01」というのも出てきたかもしれない。
- 「03」から「09」をつける選手が現れた可能性もありえる。
- 「01」というのも出てきたかもしれない。
- ≒松永が開幕シリーズでの肉離れによる離脱しなかったらである。
- 仲田幸司は一発屋に終わらなかったかも。
- 1992年と同様にヤクルトと優勝争いしていた。
- 最低でも巨人か中日と3位争いしていたかも。
- 上手くいけば92年のリベンジで優勝を果たせていた。
- 史実通りオマリーが首位打者になったとして、史実以上の打率を記録した。
- 「PKO問題」という言葉が阪神ファンの間で現実以上に流行語になっていた。
- 1994年も開幕戦を甲子園球場で迎えていた。
1994年[編集 | ソースを編集]
- 新外国人ディアーが現実以上に活躍していた。
- 翌年以降も在籍していて、グレンやクールボーを獲得しなかった。
- オマリーも残留していた。
- ヤクルトに移籍し、阪神戦で打ちまくることもなかった。
- FA移籍してきた石嶺和彦も本領発揮が出来ていた。
- そもそも8月の対巨人3連戦に勝ち越してそれ以降も首位争いに加わっていた。
- もしかしたら「10.8決戦」は巨人VS阪神あるいは中日VS阪神になっていたかも。
- もし阪神が優勝していたら、「2年前の雪辱を果たした」と言われるようになっていた。
- 同年は関西国際空港の開港もあり、まさに「関西の年」になっていた。
- 「10.8」の直前まで恐らく阪神・中日・巨人の3つ巴の戦いになっていた。
- もし阪神が優勝していたら、「2年前の雪辱を果たした」と言われるようになっていた。
- 1995年に開幕戦を甲子園球場で迎えていた。
- 史実通り阪神・淡路大震災が発生した場合、直前のセンバツ高校野球と共に開催が危ぶまれていた。
- オリックスの神戸での開幕戦と共に予定通り開催し、被災した地元を元気付けていた。
- 上手くいけば95年もAクラスしていたかな?
- オリックスの神戸での開幕戦と共に予定通り開催し、被災した地元を元気付けていた。
- 史実通り阪神・淡路大震災が発生した場合、直前のセンバツ高校野球と共に開催が危ぶまれていた。
ヤクルトが1994年に最下位に転落していたら[編集 | ソースを編集]
- 1994年、ヤクルトは2年連続リーグ制覇から一転して投手陣の不調・故障離脱が相次いだこともあり低迷し、「10.8決戦」の翌日に同率で並んだ横浜と最終戦で直接対戦しヤクルトの勝利で横浜の最下位とヤクルトの同率4位が決定しましたが、もしこの年最下位でシーズンを終えていたら?
- 野村克也は監督は辞任していた。
- 若松勉の監督就任が早まった。
- もしかしたら関根潤三が復帰したかも。
- のちに阪神や楽天の監督に就任することもなかった。
- 翌1995年のリーグ優勝・日本一はなかった。
- 入れ替わりに阪神がAクラス入りすることが多くなるかも。
- いずれにしても広沢克己とハウエルは巨人に移籍していた。
- この年デビューした、つば九郎が(現実以上に)疫病神扱いされていた。
巨人が1997年に最下位に転落していたら[編集 | ソースを編集]
- 1996年、巨人は広島と最大11.5ゲーム差をつけられながらも逆転優勝を収め、「メークドラマ」なる言葉まで生まれましたが、翌1997年はその反動か低迷し、一時は最下位かというところまで行きましたが、もしこの年最下位でシーズンを終えていたら?
- 球団として22年ぶりの最下位となり、長嶋監督(当時)はおそらく辞任。
- よって2000年の日本シリーズはON対決にはならなかった。
- 長嶋氏の終身名誉監督もない。
- 後任は誰に?
- 翌年にも長嶋監督の辞任騒動があった際に森祇晶の名前が挙がっていたことを考えたら、森の可能性が高かったかと(ただし、ファンの猛反対で頓挫していたかもしれないが)。
- 堀内が史実より早く就任していた、あるいは原がコーチを経験せずに監督に就任していた可能性も。
- 巨人人気低迷が現実以上に進んだ。
- W杯初出場決定も重なり、サッカーに流れるファンも多数出ていた。
- プロ野球人気そのものが低迷していた。
- 日本テレビは巨人戦の中継を史実より早くやめていた可能性がある。
- 現実の5位に終わった2005年みたいになる。
- 「負けドラマ」が大流行していた可能性も。
- この年移籍した清原に対する風当たりも、現実以上に強かった。
- 最悪自由契約にされた。
- その場合阪神あたりが清原を拾っていたりして。
- 最悪自由契約にされた。
- 中日は翌1998年に優勝できていたかも。
- 横浜は1960年以来優勝できないままだった。
- ナベ○ネは大激怒。ジャイアンツどころか読売グループまで現実以上の人事再編をしていた。
- ジャイアンツだけでも、選手コーチ合わせて最大20人は解雇した可能性も。
- 1975年の最下位が引き合いに出される。
- 当時の監督も長嶋氏だった為尚更。
- ここまで長嶋氏が神格化されることも無かった。
- この年の阪神はAクラス入りしていた可能性もある。
- 暗黒時代も早く終わっていた。
- 現実よりマシな成績で、1999年あたりで(本当に)優勝争いしたかも。
- 暗黒時代も早く終わっていた。
阪神が1997年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- この年の阪神は5月に3年ぶりの貯金1を記録し、6月までのほとんどを3位で過ごしました。もし後半戦の失速がなくAクラスでシーズンを終えていたら?
- 前年オフにFAの清原和博を獲得出来ていれば可能性があった。
- あるいは新外国人マイク・グリーンウェルが怪我をせず、現実以上に活躍出来ていれば可能性があった。
- 「神のお告げ」発言と途中退団はなかった。
- あるいは新外国人マイク・グリーンウェルが怪我をせず、現実以上に活躍出来ていれば可能性があった。
- 翌年以降もまともな成績を残せていた。
- 1998年4月1日のエイプリルフールジョークの優勝会見が、前祝いとして現実以上にネタになっていた。
- 1998年の阪神が僅差の2位だった場合、のちに「Vやねん!」や「あかん優勝してまう!」の元祖だとネタにされていた。
- 吉田義男監督(当時)は前回の監督時代に日本一になっていたことから、現実以上にファンから期待されていた。
- 1998年に実際にAクラス入りし優勝争いしていたら、吉田さんはもっと長く監督を務めており現実以上に阪神のレジェンドになっていた。
- 野村克也や星野仙一が移籍して来なかった。
- 1998年に実際にAクラス入りし優勝争いしていたら、吉田さんはもっと長く監督を務めており現実以上に阪神のレジェンドになっていた。
- 1998年4月1日のエイプリルフールジョークの優勝会見が、前祝いとして現実以上にネタになっていた。
- 1998年の開幕戦は阪神がホーム開催権を持てたが、センバツ高校野球と重なり、同年は同じ関西の近鉄とオリックスもホーム開催権を持っていたので返上でビジター開催になった。
- この年の巨人が最下位に転落していたかも。
- 関川浩一・久慈照嘉↔︎大豊泰昭・矢野輝弘のトレード移籍があったか怪しい。
阪神が1999年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- この年の阪神は6月上旬まで好調で、6月9日には中日と同率ながら1992年以来2209日ぶりの首位に立つなど期待されていましたが、投手陣のコマ不足や一部の主力選手と野村監督との確執の表面化などで6月中旬以降は急失速してしまい、最終成績は2年連続の最下位となってしまいました。
もしこの年、阪神がAクラスでシーズンを終えていたら…?
- 2000年・2001年も少しはまともな成績を残していた。
- 阪神の暗黒時代も史実より早く終わっていた。
- 野村克也の監督在任中に優勝出来た。
- それでも野村監督の退任は史実通り。
- 野村監督の阪神時代が黒歴史扱いされることもなかった。
- その分横浜と広島が低迷していた。
- 権藤監督の退任が早まっていたかもしれない。
- 新庄・坪井・山田・大豊などは史実よりも長く阪神に在籍していたかもしれない。
- 場合によっては2003年および2005年のリーグ優勝時にも在籍していた。
- ダレル・メイも野村監督と対立せず、阪神に残留していた。
- 赤星憲広と藤本敦士以外の「F1セブン」のメンバーも現実以上に阪神で活躍できていたかも。
- ジョンソンは…後半戦の大豊の活躍が史実通りなら退団していたか。
- 史実通り阪神2軍がウエスタン優勝・ファーム日本一になったとしても、「いっそのこと1軍と2軍を入れ替えよう」と言われることはなかった。
- 同年のオールスターゲームに阪神の選手がもっと選ばれていた。
- 甲子園球場での第2戦がもっと盛り上がっていた。
- 阪神の大阪ドームでの開幕戦開催が5年早まった。
- 但し近鉄もAクラス入りしていれば、返上でビジター開催になっていた。
阪神が2003年に100勝以上していたら[編集 | ソースを編集]
- この年の阪神は最終的には87勝51敗でしたが、8月頭まで3連敗無し、オールスター前には勝率7割台も記録と、一時は100勝を超えるのではないかと言われていました。
- 大独走を許した他球団(特にこの年阪神戦6勝22敗に終わった横浜)の嘆きは、史実以上となっていた。
- 阪神日本一なら、「パリーグ弱体化の象徴」にまでなっていたかもしれない。
- 1993年から2002年までの10年間、パリーグチームの日本一が2回しかなかったため、既にパリーグの弱体化が噂されていたため。
- 史実通りホークスが出場しても、5戦目までに阪神日本一が決まっていたかもしれない。
- 阪神日本一なら、「パリーグ弱体化の象徴」にまでなっていたかもしれない。
- 史実では唯一負け越した中日にも、勝ち越せていた可能性がある。
- 翌年以降ももっといい成績を残せていたかもしれない。
- 逆に巨人は2005年最下位に転落していたかも。
- それでも星野仙一監督の退任は現実通りだろう。
- 星野監督の後任がどんでんだったのも史実通り。
- その後、阪神が日本シリーズでの適地連敗に陥ることもなかった。
- 2005年・2014年両年とも、最悪でも敵地で1勝はできていた。
- 2005年の「33-4」もなかった。
- 2005年・2014年両年とも、最悪でも敵地で1勝はできていた。
- 「≒もし8月の長期ロードで負け越さなかったら」とも言える。
- リーグ優勝決定も早くて8月末のロード明けすぐか、遅くとも9月初めにセ・リーグ最速を更新していた。
- 上記とは逆に優勝決定から日本シリーズ開始までの間隔が空きすぎて日本シリーズでは史実以上にダイエーに苦戦していた可能性も否定できない。
- 史実の2005年の対ロッテと同様ダイエーにストレート負けしていた可能性もある(史実では3勝4敗でダイエー日本一)。
- 優勝決定後の消化試合も長く、そこでも負けが込んでいた。
巨人が2005年に最下位に転落していたら[編集 | ソースを編集]
- 2005年、巨人は開幕から4連敗し6月2日まで最下位でその後もチームは不調でしたがなんとか5位でシーズンを終えました。もしこの年最下位でシーズンを終えていたら?
- 巨人が30年ぶりに最下位を経験し、大きなニュースになっていた。
- 平成以降のセ・リーグ全球団が最下位を経験したことになる。
- さらに史実通り2016年に中日が最下位に転落していた場合、21世紀に入って12球団で最下位を経験してない球団は2018年現在西武のみとなったいた。
- 『モリモリッ!ばんちょー!!キヨハラくん』内でネタで描かれていたカイアンツ(巨人)対楽ちん(楽天)の逆日本シリーズがシャレにならなくなっていた。
- さらにこの年優勝したのは阪神なので阪神ファンから「ざまあ」と罵られていた。
- というかアンチ巨人全てからも同じことを言われていた。
- 平成以降のセ・リーグ全球団が最下位を経験したことになる。
- 堀内は史実以上に無能監督扱いされていた。
- 参議院議員になれなかったかもしれない。
- 清原だけでなく桑田もこの年限りで退団していた可能性も。
- メジャーに行けず、引退していたかもしれない。
- 史実で最下位だった広島は5位でシーズンを終えるも、山本浩二監督は結局この年限りで退任。
- ただ、2012年以前にAクラス入りできていた可能性も。
- 翌年以降の巨人の成績が現実よりも低迷していた可能性もある。
- 「巨人のビッグボールが原因。四番を並べても勝てない。スモールボールが正しい」という、当時流行っていた誤った分析が史実以上に流布されていた。
- 日本でフライボール革命は起きなかった。
- 日本人の長距離打者は誕生しなかったかもしれない。
- 日本でフライボール革命は起きなかった。
阪神が2012年Aクラス入りをしていたら[編集 | ソースを編集]
- 金本はあと1・2年現役を続行できていたかもしれない。
- 城島や桧山の引退も遅れていた。
- ブラゼルは帰国しなかったし、平野もオリックスに復帰しなかった。
- どっちみち藤川球児は渡米したかも?
- というのも井川が渡米した頃から密かに目指していた。
- 西岡や福留の獲得もなかったかも。
- あるいはどちらかだけ入団していたかも。
- 西岡が入団した場合、城島や平野恵一も「グラティ」をしていたかも。
- 金本は一緒にやらないと思われる。(実際テレビ出演時に語っていたので)
- ブラゼルは「ブラダンス」があるのでそれを続けるかも。(史実のロッテ時代も続けていた)
- 西岡が入団した場合、城島や平野恵一も「グラティ」をしていたかも。
- 西岡の獲得がなければ「2014年の日本シリーズにおける西岡の守備妨害で阪神が敗退」という思わぬ事態は起きなかった。
- あるいはどちらかだけ入団していたかも。
- 和田豊の監督在任中に優勝出来た。
- もしかしたら史実でCS優勝だった2014年にリーグ優勝出来ていたかも。
広島が2012年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- この年の広島は前半戦を3位で折り返し8月に勝率5割をキープしましたが、9月に8連敗で大きく負け越し4位に終わってしまいました。
- 史実より1年早い15年ぶりのAクラスで盛り上がった。
- カープ女子の増加・ブレイクや91年以来の優勝が早まった。
- 野村謙二郎の監督在任中に優勝出来た。
- CSで中日には勝ち越せても巨人には勝てなかったかも。
中日が2013年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 高木守道監督(当時)が2度目の辞任をすることはなかった。
- ということで、谷繁元信捕手がプレイングマネージャーになることもなかった。
- 高木監督は2013年のシーズン当初から「今年限り」と宣言していたから基本的にそれはない。ただしフロントまで責任を追及されず、後任監督は旧フロントの意向から山崎武司あたりになっていた可能性もある。
- 高木監督の辞任が現実味を帯びてきたあたりでの動きを考えると、おそらく立浪和義が監督に就任していた。
- 当然旧幹部(ガッツポ坂井など)は粛清されなかったので、落合博満がGMとして中日に復帰するのは言わずもがな。
- (史実でAクラス入りした)広島は、16年連続Bクラスということになっていた。
- おそらく野村監督はこの年限りで解任されていた。
- そして、カープファンからは高橋慶彦の監督就任を熱望する声が史実以上に高まっていた。まあ、フロントは絶対に呼ばないだろうが。
- CSは第1ステージで阪神に勝てたかもしれないが第2ステージの突破はまず無かっただろう。
2014年の横浜DeNAの3月・4月の勝率が良かったら[編集 | ソースを編集]
- 2014年の横浜DeNAの5月以降の勝率を見れば、セ・リーグ首位だったのに5位で終わってしまったのは、中畑監督が休養を考えるほど3月・4月の勝率が酷かったことが原因でした(勝率.280)。もし、3月・4月の勝率が良かったら?
- 間違いなく、勝率は5割を超えるが3位で終わりそう。
- 1位:巨人、2位:阪神、3位:横浜DeNAになっていた。
- 当然ながらCS初出場も2年早まっていた。
- そして1998年以来の日本シリーズ出場も早まった。
- ユリエスキ・グリエルを獲得しなかったかもしれない。
2015年の交流戦で大敗しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 交流戦での負けが込んで、「セ界恐慌」なる単語まで生まれたこの年のセですが、この時の黒星が史実よりもある程度少なかったら?
- 全球団が勝率5割を切ることはなかったが、一方でAクラスとBクラスの差が史実以上に広がっていた可能性も否定できない。
- DeNAは最後までAクラスに留まることができたかもしれない。
- 後半戦で負けが込んだとしても、ギリギリ3位に踏みとどまれていた。
- どのチームが優勝しようとも、日本シリーズではソフトバンクにもう少し善戦できていた。
- 関西ダービーことオリックス対阪神での「二・二六事件」もなかった。
- 史実ではこの年交流戦勝ち越しを決めたセリーグの球団は阪神だけだったが、この場合勝率5割で終えた広島も勝ち越せていた。
- 最終的なセ・リーグの成績も、あそこまで団子レースにならなかったかもしれない。
- それでもヤクルト・巨人・阪神or広島の三つ巴の優勝争いには変わらないかもしれない。
中日が2015年を最下位で終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 史実でも8月まで最下位、9月以降のDeNAの自滅により5位で終わる事ができましたが……。
- 谷繁元信兼任監督はこの年限りで引退・退任していた?
- 退任していた場合、後任が森繫和監督でなかった可能性がある。史実より早く与田監督になっていた?
- 退任していない場合、結局翌年史実通りになりそう。
- 史実最下位のDeNAは3年連続5位となるが、結局中畑監督の退任・ラミレス監督の就任は史実通りだろう。
中日が2016年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 谷繁元信がこの年に休養をすることはなかった。
- それでも翌年は史実通り低迷して休養に追い込まれた可能性が高い。
- DeNAのCS進出が1年遅れたか、それとも巨人が落ちていたかは不明。
ヤクルトが2016年・2017年にケガ人が続出しなかったら[編集 | ソースを編集]
- 2016年・2017年はAクラスに入っていた。
- 真中監督が辞任することはなかった。
- 2017年、石川雅規が11連敗をすることはなかった。
- ヤクルトの1軍のスタメンを見た人が「これ2軍じゃないの?」と思われることはなかった。
巨人が2017年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 2017年の巨人は5月に13連敗しなければ、Aクラスに入っていました。
- 広島にやられまくっていたので、2位で終わっていた。
- 史実通り、30億円かけ補強したのに優勝できなかったことで批判されていた。
- 横浜DeNAは4位で終わっていた。
横浜DeNAが2018年に最下位に転落していたら[編集 | ソースを編集]
- 2018年の横浜DeNAは4月に8連勝して首位になりましたが、7月・8月の大失速で最下位に転落した後、9月に巻き返し、4位で終わりました。もし、9月に巻き返すことができず、最下位で終わっていたら?
- ラミレス監督が辞任していた。
- もしかしたら、新監督は佐々木主浩になっていたかもしれない。
- 「FOR REAL」の内容が史実より暗い内容になっていた。
- 史実通り、「東克樹以外の先発投手が酷い。」と批判されていた。
- 中日と阪神はそれぞれ森繁和と金本知憲が監督続投していた。
- 阪神は2001年以来20年以上最下位なしということになっていた。
- 平成のセ・リーグは横浜大洋の最下位で始まって横浜DeNAの最下位で終わったことになっていた。
巨人が2018年にBクラスになっていたら[編集 | ソースを編集]
- 2018年の巨人は最後の最後までAクラスを争い、最終戦でAクラス入りを決めました。ではBクラスになっていたら?
- 巨人は12年ぶりの連続Bクラスとなり、史実以上に高橋監督は批判されていた。
- 翌年の成績が史実通りだった場合、原監督はますます名を上げていた。
- CSで史実4位のDeNAがヤクルトに勝った場合、3年連続でファイナルステージが同じカード・同じ場所となった。
パ・リーグ[編集 | ソースを編集]
近鉄が1953年に勝率3割5分を切り強制的に解散していたら[編集 | ソースを編集]
- 1953年に近鉄パールスは最下位でした。ただその年のパリーグでは勝率3割5分を切った球団は強制的に解散という罰則があり、それは回避する事が出来ました。もし罰則にふれていたら・・・?
近鉄パールス[編集 | ソースを編集]
- 江夏の21球や川崎球場88.10.19、西武球場89.10.12(ブライアント3連発)などがなくなる
- 兎にも角にもバファローズを象徴する選手や出来事は全て吹っ飛んでしまう
- 北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打もなくなる
- 1979年は阪急、1980年はロッテか日本ハム、1989年はオリックスか西武、2001年はダイエーが優勝していた。
- 兎にも角にもバファローズを象徴する選手や出来事は全て吹っ飛んでしまう
- 藤井寺球場は住宅地として売り出したいため直ちに解体
- ナイター設備の設置工事差し止め裁判も行われず
- 藤井寺の全国的な知名度としては昔、野球場があったんだよ位に留まる
- 今もその程度かな?
- 日生球場もパールズ解散とともに解体されていたかも?
- 出来てからたった3年で解体ということはないかと…(そもそも準本拠地化は史実では1958年)
- おそらく南海か阪神の準本拠地球場として使用されているだろうが、史実(1997年)よりは解体されるのが早くなっていたと思われる。
- 出来てからたった3年で解体ということはないかと…(そもそも準本拠地化は史実では1958年)
- 「オリックスバファローズ」も存在しない。
- よって、「東北楽天ゴールデンイーグルス」も生まれていない。
高橋ユニオンズ[編集 | ソースを編集]
- 誕生しない
- 佐々木信也がプロ野球ニュースの司会をやれなかったかもしれない
- スタルヒンの引退が早くなっていた(1953年)。よって300勝は達成できなかった。
- トンボ鉛筆は未だにNPBにかかわらず、現業を続けている
- いや、それでも現在は現業を辞めていた。
大映スターズおよび毎日オリオンズ[編集 | ソースを編集]
- 合併しない
- 毎日と大映のどちらがロッテになり、もう一方がどこに買われるかだな
- 高橋の代わりにオリオンズが川崎を本拠地にした。
- オリオンズが後楽園→川崎→横浜で、スターズは後楽園→東京球場→(流浪)→川崎→千葉かな
大洋ホエールズ(当時:大洋松竹ロビンス)[編集 | ソースを編集]
- 1954年の川崎移転はない
- 日生球場が本拠地、大阪球場が準本拠地
- 1960年日本シリーズの主催試合は大阪球場で実施
- 西本幸雄の歴史は近鉄ではなく大洋の監督就任かも
- 1960年のシリーズで戦った因縁の相手だけど
- 「大阪」大洋ホエールズへの球団名変更は無い
- 南海ホークス売却・移転後、大阪球場が1998年まで解体されないので本拠地
- 「大阪」ベイスターズへの球団名変更も無い
- 1997年より大阪ドーム移転
- 売却先は京セラやサントリーあたりか
- やっぱり楽天で大阪楽天ホエールズ
クラウンライター(現・埼玉西武)ライオンズが1978年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- とりあえず、国土開発(現・コクド)への球団身売りは回避できていた。
近鉄が1996年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 翌97年の開幕カードを新本拠地大阪ドームで迎えることが出来た。
- 現実では神戸でのオリックス戦が開幕カードだったが2戦とも雨天中止で大阪ドームでの初公式戦が開幕となった。
- 佐々木恭介がもう少し長く監督を続けられていた。
- 大阪ドーム初優勝が早まっていたかも。
- 2001年も現実通り優勝出来ていれば、合併を免れていたかも。
- 遅かれ早かれ身売りは避けられなかったかもしれないが。
- 2001年も現実通り優勝出来ていれば、合併を免れていたかも。
- 逆に西武が4位で終わるため、東尾修はBクラス転落の責任を取って史実より早く西武の監督を辞任していた。
- 当然ながら西武の連続Aクラスの日本プロ野球記録が11年早く途絶えていた。
近鉄が1998年にあと1勝していたら[編集 | ソースを編集]
- 1998年、近鉄バファローズは66勝67敗2分けの5位でした。つまりあと1勝でもしていれば5割だった事になりますが、もしそうなったら?
- その1勝がオリックスからの場合、3位近鉄・4位ダイエー・5位オリックスになっていた。
- その1勝がダイエーからの場合、3位近鉄・4位オリックス・5位ダイエーになっていた。
- 最終成績が64勝66敗の5位だった1991年の横浜大洋と現実以上に比較されていた。
- 先述のように僅差でAクラス入りできたので、1999年の大阪近鉄は大阪ドームで開幕戦を迎えていた。
オリックス・ブルーウェーブが2000年にBクラスに転落していなかったら[編集 | ソースを編集]
- 1989年以来Aクラスを維持してきたオリックスも、2000年にBクラスに転落して以降、2000年代は2008年を除いてBクラスという有様でした。もし2000年もAクラスを維持していたら?
- 低迷期に入ることはなかった。
- 実際よりもまともな成績を残していた。
- 大阪近鉄と優勝争いしたかも。
- もしかしたら大阪近鉄の胴上げを見届けることもなさそう。
- 大阪近鉄と優勝争いしたかも。
- 低迷期に入ったとしても、実際より遅れていた。
- 仰木さんの監督退任も遅れていた。
- 上手くいけば史実の第2次政権の2005年まで監督を続けていそう。
- 仰木さんの監督退任も遅れていた。
- 実際よりもまともな成績を残していた。
- イチローはメジャーリーガーにならなかった。
- どっちみち見限って行ってたんじゃないか?
- 大阪近鉄との合併が回避されていた。
- 近鉄は身売り先を自分で探す羽目に・・・。
- 結局、身売り先は楽天に。
- 近鉄は身売り先を自分で探す羽目に・・・。
- もしかしたら翌2001年にユニフォームが変更されなかったかも。
2004年のストが行われず、ロッテが再逆転で3位に滑り込んでいたら[編集 | ソースを編集]
- 2005年はレギュラーシーズンで低迷し、日本シリーズの「33-4」も起こらなかった。
ロッテが2010年を負け越しで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 勝率4割台での日本一が実現した。
- CSに対する風当たりが強まり、ルール変更も検討される。
東北楽天が2011年をAクラスで終えていたら[編集 | ソースを編集]
- 2009年以来のクライマックスシリーズ進出となっていた。
- その分2013年の盛り上がりが小さくなる。
- 日本シリーズ出場が早まれば尚更。
- その分2013年の盛り上がりが小さくなる。
- 東日本大震災の被災者に勇気を与えていただろう。
- 「がんばろう東北」が流行語になっていた。
- 1995年の神戸のオリックスファンみたいになる。
- 星野仙一監督の本拠地最終戦でのコメントも変わっていた。
- この年のセリーグ優勝チーム(史実では中日)は完全なるヒール扱い。
西武が2014年に最下位に転落していたら[編集 | ソースを編集]
- 史実では西武が全日程を終えた時点でまだ5試合を残していた楽天が残り試合を全敗したことで辛うじて最下位を免れましたが、もしも楽天が残り試合で1つでも勝っていたら…。
- 楽天はこの時点でソフトバンク戦を一つも残していないので、結局この年の優勝チームは史実通りソフトバンク。
- AクラスとBクラスが前年と総入れ替えという珍事も史実通り。
- 田辺徳雄は正式に監督に就任せず代行のまま退任していた可能性が高い。
- 辻発彦の監督就任が早まった。
- 西武は2015年以降も史実以上に低迷していた。
- 2017年も良くて4位止まりだっただろう。
- 2018年・2019年のリーグ優勝はなかった。
- オリックスが優勝してた場合は1985年と1995年のセリーグと比較されてた。
- 西武の最下位は1979年以来35年ぶりという事にななっていた。
ソフトバンクが2015年に100勝以上していたら[編集 | ソースを編集]
- 圧倒的な強さを誇り、一時は100勝を超えるのではないかと言われていましたが、最終的には90勝で優勝という結果になりました。
- ちなみに歴代最多勝利は1955年の南海ホークスが達成した99勝。
- CS・日本シリーズ共に「よほどの奇跡が起こらない限りソフトバンクには勝てない」と諦めムードが漂っていた。
- それはない。少なくとも「それでもロッテだけは何をひっくり返すかわからない」という空気になっていたはず。
- セ・パ全チームから勝ち越し、ホーム・ビジターの全てで勝ち越しなどの記録を余裕で達成できていた。
- ちなみに史実だと広島戦だけ負け越している。
- スポーツ紙は「ここから数年はソフトバンクの黄金時代になる」「ソフトバンク以外が不甲斐なさすぎる」といった主張一辺倒になっていた。
- 柳田が一時的に故障していなければ十分有り得たかもしれない。
- トリプルスリーどころか三冠王もありえたかもしれない。
- パリーグの人気がどん底になっていた。
- TBSテレビ「サンデーモーニング」で、大独走を許した他球団に大喝が入ったかも。
- これで他球団(特にロ○テ)が日本一になろうものなら、ホークスファンの嘆き節は果てしないものとなっていた。
- 99勝を挙げた1955年は日本一を逃しているため、史実通り日本一になっていれば「球団及びNPB最多勝利記録&日本一」を達成していた。
- 上手くいけば2016、18、19年も優勝出来ており、連覇を続けている。
- そして現役時代の工藤監督も在籍した黄金時代の西武と現実以上に良い意味で比較されている。
- そしてパ・リーグ全体、下手すりゃプロ野球全体で現実以上にしらけムードが漂っていた。
オリックス・バファローズが2015年にAクラス入りしていたら[編集 | ソースを編集]
- オリックスは2014年にソフトバンクと最後の最後まで優勝を争い2位に終わり、同年オフに大型補強をして挑んだ2015年シーズンは前評判を大きく裏切り5位に終わりました。
- 中島宏之や小谷野栄一以外にも、バリントンやブランコが現実以上に活躍できていた。
- 出戻りしてきたカラバイヨも。
- ブランコがあそこまで激太りしていなかった。
- あるいはペーニャを残留させることができ、ブランコの加入がなかったかも。
- 中島も巨人へ行かずオリックスのまま現実を終える。
- もちろん開幕ダッシュ失敗の低迷もなく、森脇浩司の監督途中退任もなかった。
- ゆえに福良淳一の昇格が遅れる。
- 森脇監督が現実以上に有能扱いされている。
- 2016年以降もまともな成績を残せていた。
- もちろん2016年に”完全最下位”となることもない。
- 史実で4位に終わった2017年・2018年あたりに再び優勝争いに加われていた。
- 2016年以降も「オリ姫」が増加していた。
- 「バファローズポンタ」ブームも現実以上のものとなっている。
- 仮にリーグ優勝していたらかなり盛り上がっていただろう。
- その場合、最後の最後で逃して翌年に優勝ということで、「10.19」の翌年に優勝を果たした1989年の近鉄バファローズと比較されていそう。
- 1996年以来19年ぶりのリーグ優勝となっていた。
- CSでソフトバンクに下克上を許さなければ、ヤクルトVS合併後のオリックスの日本シリーズが史実より6年早く実現していた。
- 日本一にはなれなくても、トリプルスリーの山田哲人や首位打者の川端慎吾らを擁するヤクルト相手に2勝か3勝はできていたかも。