もし日豊本線が○○を通っていたら
(もし日豊本線が○○経由だったらから転送)
ナビゲーションに移動
検索に移動
大分県宇佐市で市街地の中心を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 宇佐は人口が10万を超えていた。
- この場合、宇佐駅は四日市地区にあったと考えられる。
- となると、現実の宇佐駅の駅名は?
- 東宇佐駅。
- もしくは宇佐神宮駅になっていたかも。
- 宇佐神宮の門前に宇佐神宮駅ができ、その先トンネルとなるため現宇佐駅の位置は通らなかったのでは。
- となると、現実の宇佐駅の駅名は?
- 宇佐駅はすべての特急が停車するようになっていた。
- この付近にあった大分交通の路線は「高田線」を名乗っていた。
- 中津あたりまでルートが丸々変わっていた。
豊後高田を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 柳ヶ浦から直進して豊後高田を通り、そこから旧大田村を通って杵築に至るルート。
- 豊後高田の中心街は現実より発展していた。
- なので、昭和レトロの対象になりうるものは何も残っていない。当然まちおこしも行われず。
- 大田村ではなく大田町となっていた。
- 山香は鉄道のない町になる。
- 杵築市で市街地の中心を通っていたためさらに発展し人口は5万を超えていた。
- 京成立石駅が立石駅を名乗っていた。
- 史実では柳ヶ浦から直進して豊後高田を通り、そこから山香に向かうルートが検討されていた。そこを通れば立石峠の急勾配は回避できていたはず。
佐賀関を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 幸崎から直進して佐賀関を通り佐志生に至るルート。
- 佐賀関が発展し市制を施行していた。
- 人口は少なくとも津久見市並みにあった。
- 現実の国道217号が国道10号となり全線でバイパス工事・改良が昭和のうちに行われていた。
- 現実のルートに近い短絡線の構想が噂されるが実現の可能性は皆無。
- 日本鉱業佐賀関線は存在しなかった。
- 佐賀関駅は四国への玄関口となるため全ての特急が停車していた。
大分~延岡間が三国峠経由だったら[編集 | ソースを編集]
日豊本線の大分~延岡間は当初、宗太郎峠(臼杵・佐伯)経由ではなく、三国峠(犬飼・三重町)経由が有力案でした。もし大分~延岡間が三国峠経由で開業していたら・・・。
- 三重町駅が熊本・宮崎方面への分岐点となるため、現実よりも発展していた。
- 三重町が市制施行して「三重市」になっていた場合、三重県の県庁所在地と勘違いされまくっていた。
- 結局、現実世界と同様に豊後大野市が誕生。
- 三重町が市制施行して「三重市」になっていた場合、三重県の県庁所在地と勘違いされまくっていた。
- 大分~佐伯間は「佐伯線」となり、佐伯~直川~北川は建設すらされなかった。
- 重要な幹線ではなくなるので、逆に佐賀関を経由していたかも。その場合、日本鉱業の佐賀関線は存在しなかった。
- 昭和の中期に佐伯と延岡を結ぶ鉄道が計画されるも建設されずに終わる。
- 現実の国道326号線が国道10号線になっていた。
- この場合、国道217号は大分~佐伯~延岡間となり、犬飼~佐伯間は国道326号となっていた。
- 小野市村と重岡村が南海部郡に移動せず、そのまま大野郡にとどまっていた。
- 最終的に三重町と合併して豊後大野市になっていたかも。
- 映画「デトロイト・メタル・シティ」で、根岸が故郷の犬飼を出るシーンでは普通列車ではなく「にちりん」に乗っていた。
- 宮崎は現実よりも鉄道交通が便利になっていた。
- 「ソニック」は宮崎発着となっていた。
- 久大本線は電化・複線化や線形改良が行われ、福岡と大分・宮崎を結ぶメインルートとなっていた。
- 博多から由布院・大分経由で宮崎に向かう特急も運転されていた。
- 「ゆふいんの森」は電車を使用していた。
- 1世号が783系で2世号が787系だった。
- 佐伯は寂れていた。
- 平成の大合併まで市制を施行しなかった。
- 三国峠に長大トンネルができていた。
- この長大トンネルが引き金となり、昭和時代の早い頃に全線電化されていた。
蒲江・北浦を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 佐伯から直進し、東九州自動車道と同等のルートで蒲江、北浦を通り、延岡に至るルート。
- まかり間違っても1日の普通列車の運行本数が5往復未満と言う事はなかった。
- 最低でも西都城~国分並の9~10往復位あった。
- 使用車両には815系、415系となっていた。
- 蒲江駅や北浦駅で折り返す列車も設定されていた。
- マンボウや海水浴のシーズンには賑わっていた。
- 蒲江駅と北浦駅に「にちりん」が停車していた。
宮崎県児湯郡で市街地の中心を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 高鍋は市制を施行していた。
- 高鍋~南宮崎間は複線化していた。
- 川南駅にも一部特急が停車するようになっていた。
- あんなに大量の津波標識が線路沿いに立てられてることは無かった。
大淀川に沿っていたら[編集 | ソースを編集]
- 吉都線の小林までは史実どおり。小林から南下せず、そのまま進んで岩瀬川を渡る。
- r26・錦通りが線路になる。
- 宮崎駅は頭端式で建設された。
- 駅の位置が変わるだけでそれはない。
- 国富・綾町へ柳瀬橋駅から分離する私鉄も建設された。
- 実際の日豊本線のルート南宮崎-清武-田野にも私鉄が計画されるも頓挫。
西都城~国分間で牧之原を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- ルート
西都城~五十市(史実より南)~柳迫~大隅牧之原~南国分~大隅山下~第一工大前~国分
- 第一工大前駅は開業後の設置。
- 大隅線は南国分から分岐していた。
- 鹿児島中央発着の列車は大半が南国分まで。
- 大隅牧之原~南国分間は急勾配区間。
鹿児島市内で内陸部を通っていたら[編集 | ソースを編集]
- 竜ヶ水駅の土砂災害はなかった。
- 国道10号線があそこまで狭くなくて済んだ。
- 帖佐駅から九州道の姶良IC付近を通って旧吉田町、旧郡山町を通り、3号線に沿って南下して鹿児島駅(→鹿児島中央駅)に至る路線になっていたかもしれない。
- 薩摩吉田駅、本名駅、川田駅、小山田駅、河頭駅、伊敷駅、草牟田駅が設置されていた。
- 河頭駅は難読駅名。
- 鹿児島市電伊敷線は予想以上に早く廃止されていた。
- その後に作られた海線(現在の鹿児島本線など)は小山田駅から分岐して下伊集院駅を通り東市来駅に通るルートになっていたかもしれない。
- そして鹿児島交通が鹿児島駅(現実の鹿児島中央駅)から伊集院駅を経由して枕崎駅までを運営していたか下伊集院駅で分岐して枕崎方面に建設していたかもしれない。
- 現在の鹿児島中央駅が鹿児島駅になっていた。
- 薩摩吉田駅、本名駅、川田駅、小山田駅、河頭駅、伊敷駅、草牟田駅が設置されていた。
- 重富から吉野台地を通るルート
- 吉野町付近の需要は結構あるので今以上に乗客が多かったかもしれない。
- 駅名は薩摩吉野駅?
- 稲荷町の10号線と県道16号線が接続する付近の渋滞は発生しない。
- 複線化されていたかもしれない。
- 吉野台地に登ることは碓氷峠以上の難所になってしまうので、おそらく地下路線になるだろう。
- 200メートル近い地下駅への移動手段が課題。
- 吉野町付近の需要は結構あるので今以上に乗客が多かったかもしれない。