ざんねんなたてもの事典/アジア
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三豊百貨店[編集 | ソースを編集]
- 韓国のソウルにあった百貨店。
- 当初はオフィスビルにする予定だったのだが、急遽デパートとして建てることに変更したことで後述の事故となるきっかけを作ってしまう。
- デパートにするため当初建物を支えるために使用した鉄筋や柱を撤去したり、見栄えを重視して柱を当初より細くしてしまった。
- 4階の柱は本来、直径80cm×20本×鉄筋16本入りにする予定であったが、床面積を増やすために20本中8本の柱を直径60cmでなおかつ鉄筋を8本入りに変更したため、4階の強度が激減することに。
- 鉄筋の一部は石油缶で代用していた。
- 5階は本来、建設基準を満たすようにスケート場を作ろうとしたが、認可を受けた後にこっそり建設基準を満たさないレストラン街に変更した。
- デパートの上階がレストランなのは珍しいことではないが、同店は韓国特有の床暖房オンドルを設置するため3000トンものコンクリートを使用したことで、ただでさえ脆弱な4階で支える重量が激増することになった。
- 重量87トンもある冷房装置を地下に設置するはずであったが、地下空間を確保するため、屋上に設置した。
- この巨大な冷房装置を稼働させたことで、室外機から微細な振動が発生させていた。
- さらに、1993年8月に冷房装置を建物の西側に移動させる工事を行ったが、この際にコスト削減を理由にクレーンを使用せず、ローラーを用いて屋上を転がして移動させた。その結果、ただでさえ強度が不足していた建物全体にさらに多大な負荷がかかり、破壊が進行していった。
- デパートにするため当初建物を支えるために使用した鉄筋や柱を撤去したり、見栄えを重視して柱を当初より細くしてしまった。
- 結果、1995年に地震や爆発が起こったわけでもないのに建物がいきなり倒壊する事故が発生し、500人以上の死者が出た。
- 崩壊前に天井のひび割れに気づく従業員もいたが、問題ないとされ営業を継続していた。
- しかも、経営陣は倒壊前に客と従業員を放り出して一目散に脱走していた。
柳京ホテル[編集 | ソースを編集]
- 平壌で建設中のホテルだが1987年に着工されてからまだ開業できていない。
- 本当は88年の世界青年学生祭典に間に合わせる予定だったが巨大すぎてとても間に合わず。
- 北朝鮮の経済悪化により工事が止まっていた時には「世界最大の廃墟」とも揶揄された。
- 高さが東京タワーとほぼ同じ。
- CNN選出の「世界で最も醜い建物」第1位になったこともある。
- 2010年代後半になってやっと開業できそうとのことだが国が国なので詳細不明。
- 中国語版Wikipediaによると2017年オープンとのこと。(※要出典の記述あり)
万里の長城[編集 | ソースを編集]
- もともと北方の騎馬民族が中原に侵入するのを防ぐために作られたはずだったがほぼ無意味だった。
- 日本ではピラミッド、戦艦大和と並ぶ巨大な無用の長物呼ばわりされることもしばしば。
- 現在では観光資源として役立っているがほとんどの部分がまともに維持管理されていない。
- ほったらかしの部分(野長城)に上って転落死する人も絶えない。
- 中国の誇りなのに雑な修復をされたり煉瓦を転売されたりと苦難が絶えない。
- かつては「宇宙から見える」とも言われていたが中国人の宇宙飛行士により公式に否定されてしまった。
- 秦の時代から作られてきたがもっぱら注目されるのは最も新しく北京から行きやすい明代のものばかり。
プレアヴィヒア寺院[編集 | ソースを編集]
- クメール王朝の貴重な遺産でタイとカンボジアの対立の主な原因の一つ。
- 国際司法裁判所の裁定でカンボジア領ということになっているがタイもまだ諦めていない。
- 両国の対立のせいでアクセス容易だったタイ側から入れなくなった。
- カンボジア側から入ろうとするとかなりの高低差がある。
テント・シティ[編集 | ソースを編集]
- パーレビ王朝の夢の跡。
- もともと1971年のイラン建国2500年記念式典のためにペルセポリスに作られた施設だったが案の定革命後は廃墟化。
- 場所がペルセポリスだったのは歴史的な意味合いよりも治安維持のやりやすさの方が影響していたらしい。
- 怪しげな人物は事前に秘密警察が予防拘禁していた。
- 現在は鉄製の骨組みが残るだけでそれが何だったかの説明表示は一切ない。
- もともと1971年のイラン建国2500年記念式典のためにペルセポリスに作られた施設だったが案の定革命後は廃墟化。
- 名称に「テント」が入っているが実際は豪華なアパートを伝統建築に見せかけるためテントの布をかけただけだった。