ざんねんなたてもの事典/ヨーロッパ

ナビゲーションに移動 検索に移動

ベルリンの壁[編集 | ソースを編集]

  1. 言わずと知れた戦後ドイツの分断のシンボル。
    • この壁を突破しようとして命を落とした人々は優に100人を超える。
  2. 東独当局の公式名称は「反ファシスト防壁」だったが西から東への侵入者は実際には大歓迎していた。
  3. 崩壊後にはこの壁の破片が商品として売り出されたが偽物も多い。
    • 本物であっても大量のアスベストが含まれるので取り扱い注意。
  4. 統一後の現状に不満を持つ一部ドイツ人がこの壁の復活を望んでいるという話もある。

エッフェル塔[編集 | ソースを編集]

  1. 今ではパリどころかフランスのシンボルと化しているが建設当時は凄まじい景観論争を引き起こした。
    • 完成後も「忌々しいエッフェル塔が見えないのはここしかない」として塔のレストランに通い詰めた人がいたとかいなかったとか…。
  2. 本来の目的だった1889年のパリ万博後は赤字経営で解体されそうになったこともある。
  3. 第1次大戦後にはシトロエンのダサい広告ネオンが取り付けられていた。

パルテノン神殿[編集 | ソースを編集]

  1. 古代ギリシャからオスマン帝国の時代まで生き延びてきたが1687年にベネチア軍の攻撃で大爆発し深刻な被害を受けてしまった。
    • ただしそれまでもキリスト教の教会やモスクに魔改造されるという目には遭っている。
    • 1687年時点では火薬庫として使われていた。
  2. これまでに何度も彫刻が持ち去られている。
    • 特に19世紀初めにエルギンというイギリス人が行った犯行が最悪。
    • 上記のベネチア軍攻撃でも一部が盗まれている。
    • 現地にある彫刻も大気汚染や地震でかなり傷んでいる。
  3. 古代ギリシャの神殿ではここに限ったことではないが本来のカラフルな色彩が失われている。
    • おかげで「白亜の神殿」などという嘘八百のイメージが流布してしまった。

国民の館[編集 | ソースを編集]

  1. ルーマニアの独裁者チャウシェスクが国民の血税や労働力を浪費して作った超巨大宮殿。
    • 床面積ではペンタゴンに次ぎ世界2位でもちろん旧共産圏でも最大だった。
    • 建設時には4万人もの住民が立ち退かされた。
  2. あまりに巨大すぎて民主化された現在でも管理できず公開されているのは一部だけ。

救世主ハリストス大聖堂[編集 | ソースを編集]

  1. モスクワを代表する巨大な教会(高さ103m)だったがスターリンにより物理的に粛清された。
  2. 跡地にはソビエト宮殿という超巨大な建築ができるはずだったが大祖国戦争やスターリンの死により完成しなかった。
    • できたのは基礎部分を転用したプールだけ。
  3. ソ連崩壊後の2000年に聖堂自体は無事再建されたが初代の取り壊しは完全に無駄だった。