ざんねんな格闘技事典

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分割済み[編集 | ソースを編集]

団体[編集 | ソースを編集]

ボクシング[編集 | ソースを編集]

ボクシングジム[編集 | ソースを編集]

オザキボクシングジム
  1. 所属ボクサーが猟奇的事件を起こし、のちにここが火元となり小田急火災に至った。
協栄ボクシングジム
  1. 世界王者を多く輩出する名門だが、先代の金平正紀の時代には黒い霧や毒入りオレンジ、疑惑の判定、元ミカドの冷遇などスキャンダルが非常に多く、息子の桂一郎に変わってからもファイトマネー未払いなどが相次いだ。
    • 最後はビルのオーナーとの金銭トラブルで休業。
笹崎ボクシングジム
  1. ファイティング原田を育てたジムとして有名だが、「ボクシング版江川事件」以降は低迷が続き、日本チャンピオンすらなかなか出なかった。
不二ボクシングジム
  1. 岡本不二が弟子のピストン堀口を連れて日本拳闘倶楽部から独立して設立された由緒あるジムだった。
  2. 東洋太平洋王者と日本王者は輩出したが、世界王者は出ないまま2010年に閉鎖。
三迫ボクシングジム
  1. 日本のオリンピック金メダリスト2人(桜井孝雄、村田諒太)はともにここでプロデビューしたが、いずれもジムがアマチュア側とトラブルを起こし、プロアマ間のしこりを残してしまった。
    • その上、村田は帝拳に引き抜かれた。

ボクシング王座認定団体[編集 | ソースを編集]

IBF日本
  1. 奈良池田ジム会長の池田久がJBCを離れ、当時設立間もないIBFから承認を受けて発足。
  2. しかし、JBCの圧力でほとんど関西ローカルにとどまり、認知度が低かった。
  3. そのため参加ジムも非常に少なく選手不足なため、経験が浅い選手を世界に挑戦させて惨敗したり、空手やキックボクシングの掛け持ち、さらには網膜剥離でJBCから引退勧告を受けた選手なども参加させていて、杜撰な運営だった。
日本ボクシングコミッション
  1. 2011年の内紛と亀田三兄弟のライセンス剥奪、健康管理金問題でどうしようもない団体のレッテルが貼られる
    • 安河内剛が不正経理疑惑で事務局長の座を追われる
      • 証拠不十分で立件が見送られるが安河内と同調した職員を解雇。解雇無効を求めて裁判へ
        • 2016年に最高裁で安河内の事務局長からの降格および解雇は無効と判決が出てJBCは和解金と賠償金を支払う。
    • 健康管理金問題で刑事告発されるところまで行く
    • 亀田大毅対リボリオ・ソリス戦以降から不可解な裁定が頻発する
      • その後亀田三兄弟の国内ライセンス剥奪という処分の有効性を巡っての裁判に敗れ東京高裁から賠償金1億の支払いを命じられる。
    • さらに井岡一翔の薬物問題や拳四朗対矢吹正道の裁定など短期間で不手際を連発。
  2. コロナ禍で興行が打てないので収入が断たれたところへ亀田三兄弟への賠償金支払い命令によって事実上崩壊。

プロレス[編集 | ソースを編集]

SWS
  1. 1990年に新日本・全日本から多くの選手・スタッフを引き抜いて誕生したプロレス団体だが、週刊プロレスにバッシングされまくって1992年に崩壊。
    • 当時週刊プロレスの編集長だったターザン山本は後年、ジャイアント馬場から金銭を受け取って、その見返りとしてSWSをバッシングしていたことを暴露本で告白している。
  2. 天龍源一郎のアイデアで部屋制度を導入したが、これが内紛を引き起こすことに。
全日本女子プロレス
  1. 1968年に創立、ビューティーペアやクラッシュギャルズ、極悪同盟など数々のスター選手を輩出し、「女子プロレスブーム」の火付け役となる。
    • しかしその裏で、経営陣一族の浪費癖や経営多角化の相次ぐ失敗などで巨額の借金を抱えてしまう。
    • さらに、80年代の終わりにはスター選手だったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥・長与千種)と2人の宿命のライバル・ダンプ松本が相次いで引退して以降、ガクッと客足が遠のく。
    • 1996年頃には、倒産騒動があり、主力選手が他団体に移籍する始末。
  2. 結局、巨額の借金を抱えたまま、2005年に惜しまれつつ解散した。
WJプロレス
  1. 言わずもがな
  2. 長州力の頭の中に自分たちの団体がインディーだという自覚が全くなかった
    • 旗揚げもしていないのに著名人を集めて屋形船を借りて忘年会を開く。
    • 旗揚げ戦をノアの武道館大会とバッティングさせて失敗
    • 金を使いすぎて選手へのギャラが払えず逃げ出す
      • 更に興行も打てなくなって地方遠征も中止になる
    • 2004年10月22日後楽園ホール興行がボクシングの興行とバッティング。スケジュールが抑えられず中止
    • 事実上最後の興行で後楽園ホールのスタッフに使用料を全額きちんと払うまで外に出させてもらえなかった
  3. 練習中の事故でジャイアント落合(落合博満の甥で福嗣の叔父)が死亡
    • ↑落合博満の甥だから福嗣のいとこ
  4. プロレス界のど真ん中を行く(大嘘)
    • 史上最低の総合格闘技イベントX-1を行う。プロレスのド真ん中とは?
      • リングを囲むケージとして使用していた金網が壊れる
        • 壊れた金網を選手が抑えながら試合をする

その他[編集 | ソースを編集]

戦極
  1. PRIDE消滅後に立ち上がった新団体のひとつだが、地上波放送がなかなか獲れず、テレビ東京がレギュラーのダイジェスト番組を放送するにとどまった。
  2. その後、吉田道場勢が離脱してから迷走が続き、メインスポンサーだったドン.キホーテの撤退でとどめを刺された。
BREAKING DOWN
  1. オーディション参加者はすぐ煽って乱闘騒ぎになる、やらせ臭い演出が目に付くので令和のガチンコファイトクラブと呼ばれる
  2. 本戦は生配信なので1分で完結するがオーディションのスパーリングは決着が付くまでやらせていたことがばれる
    • 第10回オーディションで喧嘩自慢対抗戦足立代表の一人が参加することになったが、1分1Rのスパーリングを3回以上やっていた。その部分は編集でカットされた。
  3. RIZINの元ラウンドガールから出場者がプロ格闘家を名乗るのはやめてほしいと言われる

試合・シーズン展開[編集 | ソースを編集]

ボクシング[編集 | ソースを編集]

全日本新人王決定戦
  1. 全日本新人王には次回発表の日本ランキングで最下位にランクされる特典が与えられるが、その次の更新で消える選手も多く、「意味がない」と言われる始末。
  2. 近年、世界を獲るのはほとんどアマエリートばかりなので新人王獲ってもタイトル挑戦の機会に恵まれなくなった。
  3. また、全日本まで進むと4回戦でも実力者とみなされ、以降のマッチメイクが困難になってしまう。
    • これらが原因でエントリーが年々減少している。
1919年7月4日 世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)ジェス・ウィラード対ジャック・デンプシー(挑戦者)
  1. 黒人初の世界ヘビー級王者ジャック・ジョンソンからタイトルを奪い「国民的英雄」と呼ばれたウィラードと「拳聖」と呼ばれたデンプシーの一戦。
  2. 初代からデンプシーは猛攻を仕掛け、7度のダウンを奪う「トレドの惨劇」と呼ばれた凄惨な戦いになった。
    • 当時のルールではダウンを奪った側はニュートラルコーナーには下がらず、相手の両膝がキャンバスを離れてから攻撃できることになっていた。
    • また、レフェリーはラウンド終了のゴングまで試合を止めることはなかった。
  3. 試合は3回終了後にウィラードが棄権し、デンプシーのTKO勝利となったが、国民的英雄を破ったことと上記の凄惨さからヒール呼ばわりされてしまう。
  4. 一方のウィラードは顎を砕かれ、肋骨や歯も折られ、片耳の聴力も失ってしまった。
WBC世界フェザー級タイトルマッチ (王者)ジョニー・ファメション対ファイティング原田(挑戦者)の2戦
  1. 原田にとって、日本人初の世界王座3階級制覇がかかった対戦だった。
  2. 最初の対戦は王者の地元シドニーでの対戦。圧倒的不利な状況で原田は3度ダウンを奪ったが、王者に逃げ切られまさかの引き分け。
    • あまりにも露骨な地元判定に王者にブーイング、原田にはスタンディングオベーション。
    • しかも、この試合の判定はレフェリー1人が行っており(当時の世界戦はルールは開催地に委ねられ、当時のイギリス連邦のルールに則ていたため)、スコアシートは「判定負け」だったことが判明。
    • 当時日本ではWBCは公認されていなかったため、海外で王座挑戦を余儀なくされた。
  3. その後、WBCが公認され、日本で再戦するが、今度はKO負け。3階級制覇は幻に終わった。
WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 渡嘉敷勝男対ルペ・マデラの4戦
  1. 最初の対戦は渡嘉敷にとっての初防衛戦で渡嘉敷が勝利したが、微妙な判定だった。
  2. 2度目は5度目の防衛戦として対戦したが、引き分け。
  3. 3度目はダイレクトリマッチとなり、今度はマデラが勝ったが、負傷判定に納得がいかないファンが多かったことや当初引き分けと発表するなど不手際が重なった。
  4. これに協栄ジムが抗議し、3連続で組む羽目になった。4度目はマデラがしっかりと勝利し完全決着。
  5. これに割を食ったのがマデラに対戦を要求していた新垣諭。対戦が消滅した新垣の所属する奈良池田ジムはIBF日本設立へ。
WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 井岡弘樹対ナパ・キャットワンチャイの3戦
  1. 最初の対戦は井岡にとって2度目の防衛戦、最終12ラウンドでダウン寸前まで追い込まれるも終了ゴングが30秒早く鳴らされ辛くも引き分けた「疑惑のゴング」。
  2. これを受けて組まれたダイレクトリマッチでナパが判定勝ちで王座奪取。
  3. 3度目の対戦はナパの2度目の防衛戦。11回TKOで井岡を沈めるが、レフェリーストップに納得がいかない井岡の兄・一法(現井岡ジム会長。井岡一翔の父)がリングに乱入しナパに対して暴行するという事件が起きた。
1990年2月11日 統一世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)マイク・タイソン対ジェームズ・ダグラス(挑戦者)
  1. タイソンにとって2度目となる日本(東京ドーム)での試合だったが、10回KOでプロ初黒星を喫した一戦。
  2. 一番のざんねんポイントは8回。タイソンがダウンを奪うもレフェリーがカウントに入るのが遅く、ダグラスがカウント9で立ち上がったときには既に13秒ほど経過していた。
    • 試合後にタイソン陣営の抗議も空しく覆らなかった。
  3. また、前回のタイソン来日試合は2回KOであっさり終わらせたため、その試合で高額チケットを買った客やスポンサーに敬遠され、思わぬ赤字を出してしまった。
    • 有料入場者では8割しか埋まらず、ボクシング部の学生を招待して穴埋めする有様。
1992年6月23日ミッキー・ローク対ダリル・ミラー
  1. ハリウッドスターとして著名なロークの来日初試合として注目を集めた試合だったが…。
  2. 1回2分14秒、ロークがミラーをワンパンチでKOしたが、手首だけのパンチで相手が吹っ飛ぶという普通じゃありえない現象だったため八百長疑惑が噴出。
    • 実況アナが「私の実況人生の最大の汚点である」と表現するほど酷い試合だった。
    • 解説の渡嘉敷勝男氏も「ボクシングを舐めてる」と激怒。
    • 30年以上たっても「日本ボクシング史上最低の試合」と某雑誌に記されている。
  3. さらに残念だったのはこれをメインしたためセミに回されたのが勇利アルバチャコフ(当時ユーリ海老原)の世界初戴冠を果たした試合だった。
    • しかも年間最高試合にも選ばれるほどの好試合だっため、ロークのメインで一気に台無しにされてしまった。
日本バンタム級タイトルマッチ グレート金山対川益設男の2戦
  1. 最初の対戦は金山が持つ王座に川益が挑戦する一戦。2-1の際どい判定で川益が王座奪取するが、金山が奪ったダウンをスリップと判断されるなど「疑惑の判定」と呼ばれた。
  2. その後、ボクシングファンの署名活動もあり再戦が行われることになった。この試合では3-0の判定で川益が文句なしで勝利したが…。
    • 敗れた金山は意識を失い、4日後に還らぬ人になってしまった。
1997年6月28日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)イベンダー・ホリフィールド対マイク・タイソン(挑戦者)
  1. 3回にタイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎり反則負け。
2000年9月9日 WBA世界フェザー級タイトルマッチ (前王者)フレディ・ノーウッド対デリック・ゲイナー(挑戦者)
  1. まず、ノーウッドが計量で失敗しベルトを失ったため、ゲイナーが勝った場合のみベルトが得られるルールだった。
  2. ノーウッドは2回にダウンを喫すると、荒っぽい試合運びに転じてしまう。
  3. 4回以降、ノーウッドはレスリング行為やローブローを繰り返すなど反則三昧。
    • 一方でゲイナーもローブローにはローブローで仕返しをするなど荒れた展開に。
  4. 9回にノーウッドは有効打による2度目のダウンを喫する。
  5. 11回、ノーウッドはまたローブローを繰り出すと、またローブローで返され倒れるが…。
    • レフェリーはなんとダウンをコールし、カウントを開始、しかも18までカウントしてTKOを宣告してしまった。
  6. 試合後に観客は大ブーイング、ノーウッド陣営は猛抗議、WOWOWで解説をしていたジョー小泉氏は「そんなルールどこにあるんですか?」と呆れていた。
2001年7月16日 日本フライ級タイトルマッチ (王者)坂田健史対内藤大助(挑戦者)
  1. 坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
2002年4月19日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助(挑戦者)
  1. 内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
2013年12月3日 WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦 (IBF王者)亀田大毅対リボリオ・ソリス(前WBA王者)
  1. まず、前日計量でソリスが規定体重を超過し、WBA王座を剥奪された。
    • 再計量でも超過した後に水やコーラをがぶ飲みして悪態をついた。
  2. これを受けて、当初以下の特別ルールが設定されていた。
    1. 大毅勝利→IBF防衛・WBA獲得
    2. 引き分け→IBF防衛・WBA空位
    3. ソリス勝利→IBF・WBAとも空位
  3. 試合は2-1の判定でソリスの勝利。そのため2-3.の裁定が採られるはずだった。
  4. ところがIBFの試合後の会見で「IBF王者としては残る」としたため、混乱が生じた。
  5. この変更について、亀田陣営は前日計量後に把握していたが、JBCはまったく知らされておらず不信感を募らせた。
  6. 結局、大きな混乱を招いたとして亀田ジムの会長及びマネージャーのライセンス更新を認めず、亀田三兄弟もボクサーライセンスが消えた。
    • 三兄弟は新会長・マネージャーを迎えるにしても移籍するにしても非常に厳しい条件を突き付けられたため、国内での活動を諦めざるを得なかった。
      • 亀田側は後にこれが不可解だとJBC相手に訴訟を起こし、経済的損失を認められ勝訴したが、資金繰りが悪化していたJBCは破産し、日本プロボクシング最大の危機に陥った。
        • 日本のボクシング興行でトラブルがあった場合JBCが責任を負うことと、JBCもルールミーティングに参加して合意文書にサインしているので無責任といえば無責任。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ 山中慎介対ルイス・ネリの2戦
  1. 最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
  2. その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。
2017年12月9日 IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦 尾川堅一対テビン・ファーマー
  1. 試合は尾川の判定勝ちとなっていたが、試合前のドーピング検査で陽性反応が出たため無効試合となり王座獲得も無効とされた。
2018年4月15日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)比嘉大吾対クリストファー・ロサレス(挑戦者)
  1. 前日計量で比嘉が計量オーバーを犯し、王座を剥奪された。
  2. 試合も減量失敗の影響で本来の実力を出せず9回TKO負け。
2020年12月31日 WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ(王者)井岡一翔対田中恒成(挑戦者)
  1. 激闘の末、8回TKOで井岡が防衛に成功。年間最高試合にも選ばれる好試合だったが、試合後が残念だった。
  2. まず、井岡のタトゥー露出がJBCルールに違反するとして厳重注意処分を受けた。
  3. さらに4ヶ月後、今度は井岡のドーピング検査で大麻成分が検出された。
    • しかし、JBCが検査の過程で不手際を犯し、2度謝罪文を掲載する羽目に。
2021年9月22日 WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ(王者)寺地拳四朗対矢吹正道(挑戦者)
  1. 試合は10回TKOで矢吹が王座を奪取したが…。
  2. 9回に拳四朗が右目上をカットして流血したが、寺地陣営は故意のバッティングではないかと疑いJBCに抗議した。
    • 試合映像を観たWBCもバッティングの疑いがあると確認。ダイレクトリマッチを命じた。
2023年1月6日 IBF世界ミニマム級タイトルマッチ(王者)ダニエル・バジャダレス対重岡銀次朗(挑戦者)
  1. 3回終盤にバジャダレス頭部の痛みを訴え、試合は打ち切られた。
  2. 偶然のバッティングと判断され、引き分けとコールされるもIBFルールで無判定試合(防衛回数にカウントされない)が下され混乱を引き起こす。
  3. 試合後、重岡は故意ではないかと疑念を持ち、「疑惑のバッティング」と呼ばれるようになった。
  4. 納得がいかない重岡陣営はダイレクトリマッチを訴え、認められる方向に傾いていたが、バジャダレスが怪我のため流れてしまった。
  5. 亀田興毅が初めてプロモートした世界戦であったが、もう1試合の谷口将隆の2回TKO負けと合わせ最悪の結果に終わった。

プロレス[編集 | ソースを編集]

1990年6月8日 全日本プロレス ジャンボ鶴田vs三沢光晴
  1. ジャンボ鶴田が何度も「オー!」をやったら、客に「『オー!』はいいよ。」と野次られてしまった。
  2. ジャンボ鶴田がロープに寄りかかっている三沢光晴にドロップキックをかまそうとしたが避けられ、ロープに股間をぶつけてしまった。
    • その後、ジャンボ鶴田が三沢光晴のバックドロップを返して、フォールしたが、三沢に返され、3カウントを取られてしまった。
1999年1月4日 新日本プロレス 橋本真也vs小川直也
  1. 小川が橋本を一方的に痛めつける試合となり無効試合に。
    • 試合後に小川がマイクで「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」と発言。
      • リング下ではセコンド同士の言い争いに端を発した乱闘が発生しており、当時引退していた長州力がカメラマンを押し退け、小川に対して「これがお前のやり方か?」と詰め寄った。
        • この乱闘で小川側のセコンドだった村上和成が、飯塚高史らに集団で顔面を踏みつけられ一時昏睡状態に陥るほどの重傷を負うなど、かなり後味の悪い試合となってしまった…。
  2. 一説では大仁田厚の新日本初参戦を警戒した猪木の当て付けという説もある。
2004年10月9日 新日本プロレス・IWGPヘビー級選手権試合 (王者)藤田和之vs佐々木健介(挑戦者)
  1. 藤田和之が佐々木健介にグラウンドでの胴絞めスリーパーをやったが、藤田の両肩がマットについていたのでレフェリーが3カウントを入れてしまった。
    • 佐々木健介の妻である北斗晶は大激怒。
    • 勝利した佐々木健介はうっかり、喜んでしまい、北斗晶に怒られた。
2005年2月20日 新日本プロレス・IWGPヘビー級/3冠ヘビー級W選手権試合 (IWGP王者)天山広吉vs小島聡(3冠ヘビー級王者)
  1. 試合終了直前、天山が脱水症状でKO負け。思わぬ形での決着にリング上も混乱した。
    • 某選手はそれにキレて小島にガチで蹴りを入れたとか。
2010年3月20日 プロレスリング・ノア 力皇猛&モハメド ヨネ組vsビッグ村上&臼田勝美組
  1. 力皇&ヨネ組が入場するや否や、村上&臼田組がリングを降りて襲撃。
    • 一度は4人ともリングに上がりすぐゴングが鳴らされるも、ヨネに至ってはTシャツのまま再び場外乱闘へ。
      • それからは客席になだれ込んだり入場ゲートが破壊されるなど荒れた展開に。おまけに西永レフェリーも村上の襲撃で失神し収拾がつかなくなった。
        • 意識を取り戻した西永は試合を打ち切りノーコンテストになった。
          • 試合後、客席からは「帰れ!」「金返せ!」などの怒号が飛び暴動寸前となるも、当時のGHCヘビー級王者杉浦貴が謝罪してどうにか収めた。
  2. 本来、この試合はセミファイナルになる予定だったが、どういう訳か試合順変更がされてメインになってしまった。

総合格闘技[編集 | ソースを編集]

2004年6月20日 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND セルゲイ・ハリトーノフ対セーム・シュルト
  1. ハリトーノフがシュルトをマウントからのパンチや鉄槌打ちの連打でTKO勝ちした試合だったが、敗者のシュルトの顔面が腫れ上がり血まみれになるという凄惨な状態になり地上波ではダイジェストでしか流されなかった。
  2. この試合を控室で見ていた選手たちもこれには唖然としており、ヒョードルやノゲイラですらハリトーノフの冷酷なファイトに言葉を失うほどであった。

競技場[編集 | ソースを編集]

両国メモリアルホール
  1. 戦前は初代両国国技館だったが、敗戦後はGHQの接収され、「土俵を広げる」条件で1場所だけ行われた。
  2. 接収解除後は蔵前国技館が既に建設に入っていたなどから売却された。
大阪大国技館
  1. 旧両国国技館より大きな施設だったが、戦局悪化のため4年で7回の準本場所を開催したのみで倉庫に転用→戦後に接収で解体されてしまった。
東京ドーム
  1. プロレス団体が、東京ドームを興業に使うと「崩壊または分裂。最悪の場合、消滅する」というジンクスがある。

関連項目[編集 | ソースを編集]