ざんねんな競走馬事典
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- アイルトンシンボリ
- 皇帝シンボリルドルフの産駒の1頭にして、90年代前半のシンボリ牧場を支えた馬。
- 名前の由来は、F1レーサー音速の貴公子でおなじみのアイルトン・セナから。
- 勝った重賞は92年、93年のステイヤーズステークス (当時はG3) で長距離馬と思われがちだが、宝塚記念2着など別に中距離がだめなわけでもない。
- 生涯25戦走っているが、掲示板外 (6着以降) は4回と当時の実力馬であり、稼いだ賞金は3.9億円超。皇帝や漆黒の帝王ほどではないが、シンボリNo.3の賞金額。
- おそらくこの馬より50音順で前な馬は、アイアムハヤスギルやアアモンドアイ (九冠牝馬ではない) のようなレベルの名前でないとww
- アップトゥデイト
- クロフネ産駒の牡馬の中で最も稼いだ障害馬 (4.7億円超)。
- クロフネ産駒はどっちかというと牝馬の方が有名 (ソダシ、カレンチャン、ホエールキャプチャなど)
- 2015年中山グランドジャンプと中山大障害を制し、障害競走界の頂点に君臨したが・・・
- まさかそれを霞ませる同時期にオジュウチョウサンとかいう絶対王者が出てくるなんて思わなかったな。
- 多分勝ったレースよりもっともアップトゥデイトが挙がることが多いのは、2017年中山大障害での乾坤一擲の大逃げ。作戦も結果も文句のつけようがなかった。
- 前王者か!? 現王者か!? 青い帽子2頭の追い比べに代わる直線!!
- 2022年秋天のパンサラッサvsイクイノックスに並ぶ、逃げvs差しの名勝負。
- 前王者か!? 現王者か!? 青い帽子2頭の追い比べに代わる直線!!
- 同時期にオジュウチョウサンとか言う100年に1頭の障害超名馬がいたせいで霞みがちだが、アップトゥデイト自身も10年に1頭出るかでないかレベルの障害名馬である!!
- 引退後馬事公苑で乗馬をしていたらしいが、2025年現在では消息は不明である。
- アブクマポーロ
- 90年代後半ホクトベガがドバイの地で眠った後、G1級4勝含む交流重賞を席巻した南関東の哲学者。
- 98~99年のダイオライト記念後ケガして引退するまでが全盛期であり、その間11戦10勝、3着1回と最早ゲームのような成績を残した。
- 馬なのに何の哲学を行ったのか・・・
- 98~99年のダイオライト記念後ケガして引退するまでが全盛期であり、その間11戦10勝、3着1回と最早ゲームのような成績を残した。
- こと2000m前後の距離では中央馬を置き去りにして当時のダート馬日本最強と言っても過言ではなく、稼いだ賞金は地方馬初の8億円越えたる8億2009万円。
- フリオーソに抜かれるまで地方競走馬1位の獲得賞金額だった (24年5月時点では2位)。
- 同じデビューの95世代 (芝の代表馬はG1級4勝のマヤノトップガン) のなかで地味に最高獲得賞金額でもある。なおマヤノトップガンは獲得賞金8億1039万円である。
- 東京大賞典がそれまでの2800mから2000mに短縮されたのは大きかっただろう。
- 地方馬で獲得賞金8億円越えとかもう出てくるのだろうか。海外G1競争勝ったコスモバルクですら6.5億円だし。
- 東京大賞典がそれまでの2800mから2000mに短縮されたのは大きかっただろう。
- 同じデビューの95世代 (芝の代表馬はG1級4勝のマヤノトップガン) のなかで地味に最高獲得賞金額でもある。なおマヤノトップガンは獲得賞金8億1039万円である。
- フリオーソに抜かれるまで地方競走馬1位の獲得賞金額だった (24年5月時点では2位)。
- 残念な点一つ目は、同時期に活躍した水沢の英雄ことメイセイオペラが中央G1のフェブラリーステークスを地方競走馬として初勝利し、話題とインパクトを持っていかれたこと。
- 直接対決ではアブクマポーロが3回先着、メイセイオペラが1回先着と勝ち越している。
- 川崎記念で対決するはずだったが、メイセイオペラ陣営がマイルの方が適性があるということで同時期に行われるフェブラリーステークスを選択したため。
- 一部では「川崎記念を選ばないとはメイセイはアブクマから逃げ出した」とも、あるいは「アブクマは中央から逃げた」という噂が流れた。
- その後99年帝王賞で相まみえるはずだったが・・・アブクマが引退してしまった。
- 一部では「川崎記念を選ばないとはメイセイはアブクマから逃げ出した」とも、あるいは「アブクマは中央から逃げた」という噂が流れた。
- 残念な点2つ目は産駒がほぼ走らなかったこと。なおメイセイオペラ産駒は韓国で活躍した。
- 種牡馬引退後の乗馬クラブで同じダートで活躍したライブリマウントにいじめられていたらしい。
- 父親がマチカネフクキタルと一緒。
- ウインクリューガー
- マイル王タイキシャトルの産駒であり、産駒初の重賞馬でありGI馬でもある。人気薄ながらNHKマイルカップを勝利するも・・・。
- タイキシャトルは安田、マイルCS連覇、果てはフランスの直線マイルG1ジャック・ル・マロワ賞を勝ったため日本最強のマイラーと称されることもある。
- この年の秋から大スランプに陥る。中1週の連戦を行ったりダート重賞に挑むなどするも全く結果が出ず迷走状態に。
- しまいには腸ねん転を発症して長期休養を余儀なくされる。その後は復帰し障害競走で4年ぶりの勝利を得るもその後故障を生じて引退することに。
- 近親にディープインパクトがいる良血のためか種牡馬にはなれた。
- なお2015年に種牡馬引退し、現在は相馬市の個人に引き取られ、野馬追に参加するために特訓を受けているとのこと。
- 近親にディープインパクトがいる良血のためか種牡馬にはなれた。
- しまいには腸ねん転を発症して長期休養を余儀なくされる。その後は復帰し障害競走で4年ぶりの勝利を得るもその後故障を生じて引退することに。
- GI馬だというのにその後の負け続きから当時の2chでウインガーという愛称でネタ馬として親しまれていた。
- JRAのNHKマイルCメモリアルレースの投票企画で95000票を集め、1位にはなれなかったもののクロフネやエルコンドルパサー以上の票数を集めたことも。
- しかしその翌週から「同一人物からの多重投票は無効にします」という表記が追記されるなどネットからの多重投票が問題になってしまった。
- JRAのNHKマイルCメモリアルレースの投票企画で95000票を集め、1位にはなれなかったもののクロフネやエルコンドルパサー以上の票数を集めたことも。
- エアシャカール
- 皐月賞と菊花賞を制した二冠馬。
- 日本ダービーではアグネスフライトに僅か7cmで敗れているため準三冠馬と扱われる。
- ちなみに日本ダービー後はキングジョージに遠征するもモンジューの5着。
- フォローするとキングジョージ出走日本馬の当時の日本馬最高順位である。06年にハーツクライが3着に入った。
- 二冠達成後はジャパンカップに出走。古馬王道戦線で大暴れしていたテイエムオペラオーを打ち負かす候補として期待されていたが14着と惨敗。
- 古馬に入ってからはG2で2着が3回ほどあったが、勝ち星を挙げることはできずに5歳の有馬記念9着を最後に引退。
- 引退後はブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りする。しかし、放牧中の事故により左後脚を骨折して安楽死となった。
- 武豊が頭の中を見て見たいと言ったことがあるらしい。
- エイシンプレストン
- 香港のレース3年連続で勝利し (01年香港マイル、02年、03年クイーンエリザベス2世カップ)、ついたあだ名は沙田の申し子、あるいは香港魔王。
- 朝日杯3歳S (今の朝日杯フューチュリティステークス) で日本でもG1級競走を勝利しているが、その後は毎日王冠や重賞を勝利するものの、G1級競走ではマイルCS2着がいいとこだった。
- エイシンプレストンの強さに敬意を表し、香港のレースに「エイシンプレストンハンディキャップ競走」なるものがある。
- 沙田競馬場で好成績を残したことから、香港の馬主から産駒に対する期待もあったようだが、その出来はイマイチだった。
- これは父が古臭いニジンスキー系の種牡馬だったことや牝系に協調できる材料がなかったことも大きい。
- エルコンドルパサー
- コンドルは飛んでいく。
- 血統的にダビスタなら「危険な血統です」と注意される血統らしい。
- しかしそれが功を奏した形になった。
- 最も惜しかった凱旋門賞は何時か? の問いには、2010年アタマ差2着のナカヤマフェスタではなく、99年エルコンドルパサーの凱旋門賞の2着 (半馬身差) と言う人もいる。
- 生涯11戦8勝2着3回と、11戦生涯完全連対である。これを超えるのはシンザンとかダイワスカーレットくらいである。
- 日本でエルコンドルパサーに勝ったことがある馬は98年毎日王冠で対戦した、当時全盛のサイレンススズカのみである。
- JCでそのサイレンススズカに雪辱を果たせるか見ものだったが・・・
- 日本でエルコンドルパサーに勝ったことがある馬は98年毎日王冠で対戦した、当時全盛のサイレンススズカのみである。
- 98年JCで当時最強牝馬エアグルーヴや同世代のダービー馬スペシャルウィークらを完封し、「もう日本に敵はいない」とばかりに1年間による長期渡欧を敢行した。
- 凱旋門賞前の前哨戦としてサンクルー大賞 (G1) を勝ち、日本馬として初めて欧州中距離G1競走の栄冠を手にした。
- 前年には海外初G1競走を勝ったシーキングザパール、タイキシャトルがいるが、単距離~マイルの距離の馬。
- そして本番の99年凱旋門賞。記録的な重馬場の中1番手でレースを引っ張り、最後の直線での3位以下を置き去りにしたモンジューとのデッドヒート・・・
- 当時の馬場状態は10段階中1番下のとんでもない不良馬場であった。
- そのため馬場が良ければ…という声もある。が、馬場が良けれ欧州古馬最強馬デイラミも実力を発揮できるので、どのみち厳しい戦いを強いられただろう。
- 当時3歳馬だったモンジューは斤量が4歳馬のエルコンより3kg軽かったしな。斤量1kg違えばおよそ1馬身の差と言われているし。
- エルコンドルパサーはダートの共同通信杯 (通常芝でのレースだが、このときだけはダート) でも勝っているし、道悪は苦にしないタイプである。
- 当時3歳馬だったモンジューは斤量が4歳馬のエルコンより3kg軽かったしな。斤量1kg違えばおよそ1馬身の差と言われているし。
- そのため馬場が良ければ…という声もある。が、馬場が良けれ欧州古馬最強馬デイラミも実力を発揮できるので、どのみち厳しい戦いを強いられただろう。
- 当時の馬場状態は10段階中1番下のとんでもない不良馬場であった。
- JRAからは99年JCや有馬記念に出てから引退してはと打診されたが、欧州と日本の芝の違いなどを陣営は考慮し当初の予定通り99年凱旋門終了後に引退した。
- 渡欧時のレースが評価されレート134と当時日本最高の評価を受けた。イクイノックスが2023年に135と更新されるまで日本最高位を保った。
- 99年最優秀4歳馬に選ばれたが、この選考は物議をかもした・・・
- 種牡馬としてもダートG1級競走9勝のヴァーミリアン、JCダート馬アロンダイト、菊花賞馬ソングオブウインド、ステイヤーレース常連のまた10年と長く走ったトウカイトリックなど生み出した。
- 血統にSSの系統を血が混じっていないため種牡馬として大きな期待が寄せられていたが、2002年に9歳で旅立ってしまった。
- 逆に同年代で現役時代満身創痍だったグラスワンダーは2025年8月に30歳の往生を遂げた。
- 強めのインブリードが早世の原因と言われがちだが、死因となった腸捻転はサラブレッドにはよくある病気のため、因果関係は微妙なところ。
- 例としてアウトブリードだったナリタブライアンも腸捻転で早世している。
- 血統にSSの系統を血が混じっていないため種牡馬として大きな期待が寄せられていたが、2002年に9歳で旅立ってしまった。
- 2014年に顕彰馬に選ばれた。
- しかし選定されるまで13年間落選が続いてた。
- オーシャンエイプス
- 新馬戦の勝ちっぷりで大きな話題に。一時はオーシャンエイプスの新馬戦の単勝馬券が高額でオークションに出されたほどだった
- ・・・が、次戦のきさらぎ賞で平凡な馬だと分かり価値が暴落。入札者が出品者を脅迫して入札を削除させる事件までもが起きてしまう。
- オグリキャップ
- 80年代後半から90年にかけて活躍。当時のバブル景気との相乗効果で第二次競馬ブームを巻き起こした。
- 一時期は「競馬を知らない主婦でもオグリキャップの名前は知っている」と言われたほどだった。
- しかし種牡馬として中央の重賞勝利馬を輩出することは出来なかった。
- 同年(1991年)に種牡馬デビューしたサンデーサイレンスの陰に隠れてしまった感が強い。
- 一応2020年現在も母系でギリギリ残っているが…。
- 2020年に父系の曾孫が産まれたのもお忘れなく。
- 1989年時のローテーションがとにかく批判を浴びた。それでもしっかり成績は残しているけど。
- 前年の有馬記念から故障の影響で9か月間隔を開けてオールカマーがこの年の初戦(当初は毎日王冠からの始動だった)。そこを勝利したあと毎日王冠に出走し勝利。
- 天皇賞秋ではスーパークリークの前に敗れ2着。その後マイルチャンピオンシップではバンブーメモリーをゴール寸前で差し切りハナ差勝ち。
- そしてそこから連闘でジャパンカップに出走。ハイペースとなったこのレースを当時の芝2400mレコード2:22:2で走破するもホーリックスに敗れ2着。
- そして年末の有馬記念に出走をするも今までの疲労が重なり5着に敗れてしまうことに。いくら何でも連闘で使ったのは無理があったと言えよう。
- ライバルはスーパークリークでもイナリワンでもなく、タマモクロスである!! (調教師)
- 実際は前世代最強馬のニッポーテイオーを倒し史上初天皇賞春秋連覇したタマモクロスにオグリキャップが挑む構図。
- 実はオグリキャップが最も強い距離はマイル (4戦4勝)
- オフサイドトラップ
- 3歳時(1994年)は3連勝で皐月賞と日本ダービーにも出走したが、4歳・5歳時(1995年・1996年)は脚部不安のため僅か5戦しか走れなかった。
- 6歳(1997年)前半はある程度順調に走り、中山記念とダービー卿CTで2着に入るなど堅実に走ったが、ここで脚部不安が再発。
- 引退も検討されたが、陣営はオフサイドトラップの高い素質を信じ現役続行を決断。7歳(1998年)春に復帰を果たした。
- 復帰後も勝ちきれないレース(2着→2着→3着)を続けていたが、7月の七夕賞で追い込み策がはまり遂に初の重賞勝利。
- 続く新潟記念も追い込んで勝ち重賞2連勝。そのまま秋の天皇賞に出走することになった。
- レースのオッズは重賞5連勝中のサイレンススズカが1.2倍と抜けた1番人気。
- 「生涯最高」という出来で挑んだオフサイドトラップは6番人気に過ぎなかったが…。
- レースは3コーナーで故障を発生したサイレンススズカが大きく外にコースアウトし、その影響で大きく空いた内のコースを突いたオフサイドトラップが1着でゴールしたが、素直には喜べないGI勝利となってしまった。
- その後は有馬記念10着を最後に現役を引退。
- 引退後は北海道の門別で種牡馬入りしたが、秋の天皇賞は棚ボタ的な勝利と生産者に判断されたか種付け数は伸びず、2003年を最後に種牡馬も引退。
- 中央で勝ち星を挙げたのも2頭(リュウハヤテ・コスモウェンブリー)だけだった。
- 種牡馬引退後は功労馬として余生を送っていたが、2011年8月に腸不全を発症し20歳で死亡。
- オペックホース
- ダービー勝利後、実に32連敗。2着すら二度だけと言う成績で史上最弱のダービー馬と言われた。
- ちなみにダービーで負かしたモンテプリンスはGⅠを2勝している。
- 7歳時に日本中央競馬会の種牡馬適正試験を受けるも不合格、その後地方競馬転出の話が出たが「ダービー馬を地方で走らせるのは…」との声が挙がり実現せず。
- 8歳時には障害競走の練習で卓越した飛越能力を見せたが、ファンからの批判の声にオーナーが耐え切れず結局障害転向も白紙に。結局この年を最後に現役を引退している。
- オルフェーヴル
- 2011年の牡馬三冠馬であり、凱旋門賞でも2年連続で2着になるなど世界でも通用した名馬。
- しかし完全無欠な馬ではなかった。2歳のときは牝馬に負けたり重賞で大敗するなど不安定な成績だった。
- よく牝馬に負けており、レディーファーストな馬と揶揄されることも。
- またとにかく暴れっぷりも印象に残っており、新馬戦ではゴール後に鞍上の池添騎手を振り落とした、菊花賞では三冠達成のウイニングランで池添騎手を振り落とした。
- 幸いにもレース中に騎手を振り落とすようなことはなかったが・・・。
- 振り落としたり蹴りに行ったり何のかんのしているが、厩務員さんなど曰く「オルフェーブルは池添騎手のことが好き」らしい。
- 一説には「背中の荷物を振り落とせば池添さんが会いに来てくれる」と思っているとか何とか・・・
- 振り落としたり蹴りに行ったり何のかんのしているが、厩務員さんなど曰く「オルフェーブルは池添騎手のことが好き」らしい。
- 幸いにもレース中に騎手を振り落とすようなことはなかったが・・・。
- 4歳時の阪神大賞典(GII)では中団からいきなり先頭に立ち、第3コーナーでいきなり減速。観客どころかアナウンサーすら故障したと思ってしまった。その後は再び加速するも勝ち馬におよばず2着に敗れる。
- 好き勝手走りまくった結果同馬は調教再審査を受けることに。審査はパスし天皇賞春に出走するもいつもと違いメンコを被ってたことや馬場が悪かったこともあいまって11着に大敗。
- 阪神大賞典で逸走した瞬間、他の騎手が「(単勝)1.1倍が飛んで行った」と思ったらしく「俄然みんなのやる気が出て」各馬一斉にペースが上がり、勝ち馬のギュスターヴクライに騎乗の福永祐一が「みんなの体温が1度上がった」と感じたとのこと。
- その後再び加速し4コーナーで横に並ばれたオーケンブルースリ騎乗の安藤勝己が思わず「(オルフェが)戻ってきたぁ~!!」と叫ぶほどの加速だったらしい。
- アンカツが叫んだ件は池添だけでなく、最内にいた福永にも聞こえていた。(それぞれ別のTV番組で証言)
- のちにスラングで「阪神大笑点」と言われることもある。
- アンカツが叫んだ件は池添だけでなく、最内にいた福永にも聞こえていた。(それぞれ別のTV番組で証言)
- それでも次の宝塚記念で巻き返し勝利。さらにフランスに渡り凱旋門賞へ挑む。
- 本番では折り合いもつき、最後の直線で先頭に立つとそのまま後続を突き放す。悲願の凱旋門賞制覇だと思った矢先内ラチぞいに斜行しぶつかってしまいそこを追ってきた地元のソレミアに差されてしまいあとわずかというところで負けてしまった。
- 翌年も挑むが3歳牝馬トレヴの前に敗れ2着。結局前年が一番の大チャンスだったのにそれをむざむざ逃してしまったのがざんねんであった。
- 2回目の凱旋門時主戦騎手の池添騎手は「今度こそ俺がオルフェーヴルにのって凱旋門賞走らせる!!」と渡仏を決行。実際フランスのレースにも騎乗したが、本番の騎手は前年同様スミヨン騎手だった。
- スミヨン騎手が悪いわけではない (実際同氏はオルフェーヴルの能力の高さを称賛している。凱旋門賞2年連続2着までこれたのは同レースをよく知っているスミヨン騎手だからという声はある)。ただ一部には「勝ち負けはともかく池添騎手が乗ってオルフェーヴルで挑んでいたら諦めがついた」という人もいる。
- 2回目の凱旋門時主戦騎手の池添騎手は「今度こそ俺がオルフェーヴルにのって凱旋門賞走らせる!!」と渡仏を決行。実際フランスのレースにも騎乗したが、本番の騎手は前年同様スミヨン騎手だった。
- 翌年も挑むが3歳牝馬トレヴの前に敗れ2着。結局前年が一番の大チャンスだったのにそれをむざむざ逃してしまったのがざんねんであった。
- 本番では折り合いもつき、最後の直線で先頭に立つとそのまま後続を突き放す。悲願の凱旋門賞制覇だと思った矢先内ラチぞいに斜行しぶつかってしまいそこを追ってきた地元のソレミアに差されてしまいあとわずかというところで負けてしまった。
- 引退レースの有馬記念は8馬身差の圧勝。本当に勝つときのパフォーマンスは凄かったがざんねんな負け方も多かった馬であった。
- 引退してから体がさらに大きくなったらしい。
- 種牡馬としてダートでのドバイワールドカップ初制覇ウシュバテソーロ、G1級4勝牝馬ラッキーライラック、米国ブリーダーズカップ初制覇のマルシュロレーヌなど活躍馬を生産しているが、産駒は割と三振かホームランからしい。
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- カーム
- マイネルで有名な岡田総帥が3億2000万円と言う高額(サンデーサイレンス産駒中3番目の高額)で落札。やはりデビュー前は絶賛されたが中央未勝利に終わった。
- 一応種牡馬にはなれており、産駒が中央で勝てなかった父の無念を晴らしている。
- カイソウ
- 1944年の日本ダービーの勝ち馬。
- しかし太平洋戦争の戦況の悪化に伴い、1944年は競馬の開催が中止されて「能力検定競走」として東京と京都で行われた。
- 東京競馬場のスタンドには観客は一切おらず、軍人や馬主など関係者200人余りが見守るなかで行われた日本ダービーだった。
- 2020年に競馬場が無観客になった時にやや話題になった。
- 東京競馬場のスタンドには観客は一切おらず、軍人や馬主など関係者200人余りが見守るなかで行われた日本ダービーだった。
- 鞍上の橋本輝雄は当時を振り返り「スタンドは無人同然で、いかにも寂しかった」と後に語っている。
- 残念ながらレース映像は残っていない。
- しかし太平洋戦争の戦況の悪化に伴い、1944年は競馬の開催が中止されて「能力検定競走」として東京と京都で行われた。
- その後半年ほど休養し、1レース挟んで菊花賞(長距離特殊競走)に出走。
- この競走で1位に入線、一旦は結果が確定されたが、年が明けた翌1945年になって競走不成立の裁定が下された。
- 理由は、これまで菊花賞は外周り2周で行われていたのに対し、この年から外回り2周→内回り2周に変更されていた。
- しかし、この変更が騎手に伝えられておらず、全頭が前年と同じく外回り2周をしてしまった。
- 理由は、これまで菊花賞は外周り2周で行われていたのに対し、この年から外回り2周→内回り2周に変更されていた。
- この競走で1位に入線、一旦は結果が確定されたが、年が明けた翌1945年になって競走不成立の裁定が下された。
- その後2レース走るも6着→12着に終わり、更に母方の血統が嫌われ種牡馬入りも出来ず。
- 陸軍の名古屋師団が落札し乗馬となったが、1945年5月14日の名古屋大空襲に巻き込まれ、その後行方不明に…。
- カブトシロー
- 1967年の天皇賞・秋、有馬記念を制した名馬だが…
- 人気を集めると凡走し、人気が下がると激走する「競馬新聞を読める馬」のはしりにもなった。
- テンプラ疑惑のあったアングロアラブの競走馬・スマノダイドウの実の父ではないかと噂された。
- 噂の元はスマノダイドウの母馬がスマノダイドウを生む前年カブトシローと交配したものの不受胎だった事、毛色がカブトシローと同じ鹿毛だったことから。
- カミノクレッセ
- G1勝利はないが、3階級制覇 (長距離、中距離、マイル) に挑んだ。
- 秋天でメジロマックイーンの進路妨害の影響を受け脚をケガしてしまったのが、返す返すも残念だと調教助手談。
- そんな中でも脚に注射打ちながら阪神大賞典、春天、安田、宝塚と2着に入りその実力を証明した。
- 最初の重賞勝利はダートであり、最初の方は結構ダートと芝を反復横跳びしていた。ただどちらかというとダートの方が成績は良かった。
- ゴールドシップ
- GIを6勝し、ドリームジャーニー、オルフェーヴルと共に父ステイゴールド・母の父メジロマックイーン時代を築いた。
- 宝塚記念初の2勝、及び連覇を達成するなど芦毛馬の英雄となった。
- しかし、ともかく気性が荒く調教や本馬場入場とかで急に立ち上がるなどロデオぶりを披露することが多かった。
- ほかにも、他の馬を蹴ろうとしたり、須貝調教師に噛み付くといった行為も多かった。
- 2015年春の天皇賞ではゲート入りを嫌がりまくり目隠しされたが勝利した。
- 発走調教の再審査を受けることになってしまった。
- そして史上初の中央同一平地GI3連覇を賭けて同年の宝塚記念に出走、圧倒的1番人気だったが…。
- スタート直前で立ち上がってしまい大きく出遅れてしまいブービーの15着に終わってしまった。
- またしても発走調教の再審査を受けることになってしまった。
- 俗にいう120億円事件。
- またしても発走調教の再審査を受けることになってしまった。
- スタート直前で立ち上がってしまい大きく出遅れてしまいブービーの15着に終わってしまった。
- その後JC、有馬記念でも1番人気に推されたが惨敗し引退。
- 1番人気で大敗することが多く、とくに1倍台の支持を受けながら4回も着外に敗れたことがあった。(上述の宝塚記念のほかに、4歳の天皇賞春・京都大賞典・6歳のアメリカジョッキーズクラブカップ)
- 2013年出走は、1位→5位→1位→5位ときて次は1位かと思いきや、15位とやらかしたことがある。
- その15位が上に書かれた三連覇のかかった宝塚。
- コンゴウダイオー
- 2歳のときですでに500キロを超える馬格を持ち調教のタイムも優秀だった。
- が、それで調子に乗ってしまったのか、調教師は「同じ重量で走らせるのは他の馬がかわいそう」「このまま函館スプリントSに出しても勝てる」「日本どころか世界のGIでも勝てる」と吹きまくった。
- 結果、新馬戦は単勝1.1倍に支持されたが3着に敗退。3戦目でどうにか勝ち上がれたがその後は1勝しかあげられず、当然国内のGIにすら出ることもできず2008年レース中に故障を生じて予後不良に。
- が、それで調子に乗ってしまったのか、調教師は「同じ重量で走らせるのは他の馬がかわいそう」「このまま函館スプリントSに出しても勝てる」「日本どころか世界のGIでも勝てる」と吹きまくった。
- 今では調教師が吹きまくった語録だけが語り継がれている。
- コントレイル
- 当初はマイラー視されていたが、東スポ杯2歳Sを圧勝したことによりクラシックを目標に切り替える。
- ちなみに東スポ杯は新馬戦の鞍上だった福永がラインベックの先約があったため、代わりにライアン・ムーアが騎乗するもレース前に振り落とされる。
- 翌年は皐月賞・日本ダービー・菊花賞を無敗のまま制して、史上8頭目のクラシック三冠を達成。無敗に限れば3頭目の快挙であった。
- これにより父ディープインパクトとの世界初の親子で無敗三冠を達成。また菊花賞の1週間前に無敗で牝馬三冠を達成したデアリングタクトと牡牝で同年無敗三冠を達成した。
- しかし初の古馬混合戦となったジャパンカップではここが引退レースの八冠馬アーモンドアイに完封されて初の黒星。
- この敗北が痛手となり無敗の三冠馬でありながら年度代表馬に選出されないという屈辱を味わう。
- JRA賞の前身である啓衆社賞が始まった1954年以降の三冠馬が年度代表馬を落選するのは史上初。
- この敗北が痛手となり無敗の三冠馬でありながら年度代表馬に選出されないという屈辱を味わう。
- 翌年は春の天皇賞を除く古馬王道G1・5勝を狙うも、初戦の大阪杯で道悪に苦しみ3着。
- 無敗の三冠馬が連敗するのは初めて。
- 宝塚記念には順調に向かっていると報じられていたが、使えないこともないが万全ではないとして回避。
- この選択に競馬ファンは怒り心頭。「クロノジェネシスから逃げた」「最弱の三冠馬」「三冠を取ってしまったエアシャカール」などボロクソ言われた。
- 回避が報じられた日本ダービー直後。激戦の余韻をぶち壊れたため、余計に怒りが込み上げた。
- この選択に競馬ファンは怒り心頭。「クロノジェネシスから逃げた」「最弱の三冠馬」「三冠を取ってしまったエアシャカール」などボロクソ言われた。
- 秋の天皇賞では向いている舞台であると考えられていたが同年の皐月賞馬エフフォーリアに完封されて2着。昨年のジャパンカップから3連覇ということで競馬ファンから実力に疑問を持たれた。
- ここまで3着を外しておらず成績としては十分優秀。しかし常に勝利が求められるのが三冠馬の辛いところ。
- 対抗だったとはいえ負けた相手が二冠すら達成できなかったエフフォーリアだったというのも情けないと思われた要因。
- マイルと短距離の2階級制覇しているグランアレグリアが大阪杯・秋天と中距離2戦挑戦してコントレイルの次なのも(秋天の次はマイルCSでGIを6勝して有終の美を飾った)
- ここまで3着を外しておらず成績としては十分優秀。しかし常に勝利が求められるのが三冠馬の辛いところ。
- 引退レースのジャパンカップで昨年の菊花賞以来1年1ヶ月ぶりの勝利を挙げた。
- 引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。初年度種付け料は父ディープインパクトの初年度と同じ1200万円。
- 2022年に顕彰馬選考の対象となるも1票足らずに落選。
- 三冠馬が初年度で顕彰馬に選出されないのは史上初。1票差での落選も初の出来事であった。
- 翌年にキングカメハメハと共に選出された。
さ行[編集 | ソースを編集]
- サクラスターオー
- 皐月賞、菊花賞の二冠を制し「菊の季節にサクラが満開」の名実況で知られている。
- 3戦目までは「サクラ」の主戦騎手だった小島太が騎乗していたが他の馬主と専属契約を結んだことによる馬主からの制裁で降板させられてしまう。
- 常に脚部不安に泣かされ日本ダービー出走はできなかった。
- 菊花賞勝利後休養するつもりだったが他に有力馬がいないという理由でJRAが依頼したため有馬記念に出走。
- その有馬記念で故障を発生し競走中止、治療の甲斐もなく翌年死亡。
- コースに出来てしまった穴に脚を引っ掛けてしまったのが故障の原因という説が出ている。
- その有馬記念で故障を発生し競走中止、治療の甲斐もなく翌年死亡。
- サクラバクシンオー
- 驀進という名を文字通り結果で示した短距離界の王。
- 最後のスプリンターズSもレコード出して勝ち「勝つべきレースがなくなったから引退する」と言うパワーワードを生み出した。
- 実況していた塩原アナの「これは最後の愛のムチ!」も有名。
- せめて高松宮記念があればまた違ったのかも。そういう意味でも早すぎる馬だったのかもしれない。
- バクシンオーが現役当時は1200mのG1級高松宮記念ではなく、2000mのG2高松宮杯だった。
- マイル以上の距離では勝てないが、1400m以下なら12戦11勝と才能を全てをスピードに振ったような馬。
- ロードカナロア (香港スプリント連覇など) が出てくるまでは、日本の単距離馬と言えばほぼバクシンオー一択という結論だったという。
- 他にはマイルの帝王ニホンピロウイナーが挙がるくらいか? (主戦騎手は1400mがベストのスプリンターと言う評価だが)
- なぜマイルで勝てなかったかと言えば、当時マイルの女王ノースフライトがいたため。というかこの2頭がいたから、短距離とマイルが分離されたと言っても過言ではない。
- 馬主間で「バクシンオーとノースフライトの仔を作ろう」という話があったらしいが、両者とも脚部不安があったためかついに配合されることはなかった。
- なぜマイルで勝てなかったかと言えば、当時マイルの女王ノースフライトがいたため。というかこの2頭がいたから、短距離とマイルが分離されたと言っても過言ではない。
- 他にはマイルの帝王ニホンピロウイナーが挙がるくらいか? (主戦騎手は1400mがベストのスプリンターと言う評価だが)
- 某擬人化ゲームなら簡単に短距離ローテを無双出来て種牡馬としても優秀(ブルードメアサイアーでもキタサンブラックを輩出してる)だったお陰か良い能力を受け継ぐ事も出来たりと初心者向けにはうってつけだったりする。
- ロードカナロア (香港スプリント連覇など) が出てくるまでは、日本の単距離馬と言えばほぼバクシンオー一択という結論だったという。
- 種牡馬としては自身と特性をモロに引き継いで長めの距離では活躍できる馬は少なかった。
- ただし短距離においてはサンデーサイレンスとやり合える成績を残した。
- 母父としてキタサンブラックを残したこともあるが、やはり単距離~マイルが得意な馬が多いようだ。
- サルノキング
- デビュー戦こそ3着だったが、その後はレコード勝ち1回を含む4連勝。
- 暮れの目標であった阪神3歳Sは直前の体調不良で出走取消となったが、その後も東京4歳S・弥生賞と連勝を重ねる。
- ところが続くスプリングSで1番人気に支持されたサルノキングは、出走11頭中の最後方(しかも10番手の馬から更に20馬身程離れた後方の位置)からレースを進めた。
- 当然、逃げた2番人気のハギノカムイオーにとっては理想的なスローペースとなったため、そのまま楽々と逃げ切って1着。
- 一方のサルノキングは向こう正面からロングスパートを仕掛けたが、レース中に骨折した影響もあってか、ハギノカムイオーには追いつけず2着争いから僅かに遅れた4着に敗れてしまった。
- 当然、逃げた2番人気のハギノカムイオーにとっては理想的なスローペースとなったため、そのまま楽々と逃げ切って1着。
- レース後に「このレースはサルノキングがわざと負け、本賞金の足りないハギノカムイオーに皐月賞の出走権を確保させたのでは?」という疑惑が浮上した。
- ハギノカムイオーとサルノキングの共有馬主の1人が同じだったのが疑惑の理由となっている。
- サルノキングに騎乗していた田原成貴は「これは決して八百長ではない」と八百長の疑惑を否定。
- 実は関西におけるサルノキングのレーススタイルは後方待機策であり、関東に進出した東京4歳Sと弥生賞では引っ掛かって先行する競馬をしていた。
- 「このままではクラシックではとても戦えない」と判断した田原と中村調教師が、脚質を本来の後方待機策に矯正すべくスプリングSで実行したというのが真相らしい。
- 因みにこの年の三冠レースは悉く乱ペースとなっており、田原の懸念は的中した格好となった。
- 当時、関東の競馬ファンは関西のレースを観る機会が八大競走くらいしかなかったので(その逆も然り)、関東のファンからは先行馬と誤解されていた。
- 「このままではクラシックではとても戦えない」と判断した田原と中村調教師が、脚質を本来の後方待機策に矯正すべくスプリングSで実行したというのが真相らしい。
- 実は関西におけるサルノキングのレーススタイルは後方待機策であり、関東に進出した東京4歳Sと弥生賞では引っ掛かって先行する競馬をしていた。
- このレース中に重度の骨折を発症したサルノキングは、クラシックに出ることなくこのレースを最後に引退。
- 引退後は種牡馬となったが、札幌日経オープンでホクトベガの2着のモガミサルノが目立つ程度と結果を残せなかった。
- サンエイサンキュー
- 重賞3勝、GIでも2回2着に入っており、十分賞金を稼いだはずだが…
- あんな使われ方しなければ、もっと稼げたかもしれない (史実の獲得賞金2億5800万円強)
- 当初から過酷なローテーションで、案の定疲労の蓄積で予後不良級の故障を発症した後も繁殖牝馬として金にしたいと言うオーナーによって無理矢理生かされ続けた挙句死亡。競馬史上最も胸糞悪い事件として悪名高い。
- 馬の方がどう思ったかはわからないが、少なくとも治療はしてもらえたわけだし。
- 結果的に馬主最初で最後の重賞牝馬となった。
- スーパークリーク
- GIを3勝、菊花賞で武豊騎手に初のGIをプレゼントし、オグリキャップ・イナリワンとともに「平成三強」を形成。
- 後に武本人も「スーパークリークで菊花賞を勝ってから競馬以外のメディアの取材が多くなった」と語っている。
- しかし種牡馬としては産駒が晩成傾向だったことが災いし、中央の特別戦の勝ち馬すら出せなかった。
- 代表産駒はハギノハンター(中央5勝、但し準オープンで完全に頭打ち)、ハダシノメガミ(スイートピーS2着、オークスにも出走)の2頭か。
- 一応、母の父としては阪急杯を勝ったブルーショットガンを出している。
- もっとも平成三強は三頭とも種牡馬としては不成績に終わっているのだが。
- ステートジャガー
- 南関東・笠松で活躍し1985年春に中央に移籍。中央移籍初戦の読売マイラーズカップでいきなりニホンピロウイナーの2着と好走。
- 続くサンケイ大阪杯ではミスターシービーとの競り合いをハナ差制して重賞初勝利。
- 春の天皇賞を回避して挑んだ宝塚記念、シンボリルドルフの出走取消もあり1番人気に支持されたが4着と凡走。
- このレース後に行われたドーピング検査で尿から禁止薬物のカフェインが検出され失格・賞金没収となり、管理調教師は半年の調教停止処分を受けてしまう。
- その後高松宮杯の出走予定があったが取り消し、美浦へ転厩したが約2年間一走も出来ず引退。
- 引退後は種牡馬になったが目立った活躍馬を出せないまま廃用。
- 愛知県にある乗馬クラブに預けられた直後に残された僅かな産駒たちが活躍。奇跡的に種牡馬復帰を果たしたが新たな活躍馬は出せず、1997年に再び供用停止となりその後は行方不明に…。
- ステイゴールド
- 数多くのGIで好走、引退レースで最初で最後のGI制覇を成し、種牡馬としてもオルフェーヴルをはじめとした名馬を続々輩出した。
- しかしデビュー前からとにかく気性が激しく調教中にも立ち上がったり他の馬を威嚇するなど問題児だった。
- 「肉を与えたら喰うんじゃないか」と同馬の調教師だった池江泰寿氏は語っている。
- デビューしてからもカーブを曲がらずに逸走し騎手を振り落とすなどやっぱり問題児だった。
- 京都大賞典(GII)に出走した際は思いっきり斜行してしまいナリタトップロードを妨害し騎手が落馬。1着でゴールをしたものの失格になってしまった。
- 産駒にもその激しい気性はしっかり遺伝している。オルフェーヴルがあんな気性なのはだいたいこの馬の血統のせい。
- 900万下の阿寒湖特別 (今の2勝クラス) を勝った後、次の勝利目黒記念まで約30戦勝ち星なし。そのためか、阿寒湖というあだ名が着けられたこともある。
- ただし同一年天皇賞春秋2着、50戦して掲示板に入らない (5位以降) 方が珍しいなど、実力はちゃんとあった。
- 目黒記念で勝つまで「2勝馬」。だがそれまでに稼いだ賞金は5億円以上!! 下手なG1級勝利馬よりよほど稼いでいる。
- ただし同一年天皇賞春秋2着、50戦して掲示板に入らない (5位以降) 方が珍しいなど、実力はちゃんとあった。
- 最終的に10.2億円以上稼ぎ、G1級1勝馬の中で2番目の獲得賞金額である。ちなみに1番はJC勝馬で大魔神佐々木所有馬のシュヴァルグランの11.3億円超である。
- スシトレイン
- デビュー1戦目、2戦目はいずれも圧勝。エルコンドルパサーの再来と持ち上げられ海外遠征の話まで上がる。
- しかし、その後は惨敗続き。結局3勝目はおろか掲示板にすら入れないまま引退した。
- だが、2戦目と3戦目は同条件で殆ど変わらないタイムである。つまり、今まではレベルが低すぎただけであった。
- 新馬戦と500万以下のレースを勝利しただけなのが、ウィキペディアに何故か無駄に真面目で詳細な記事がある。
- セイユウ
- サラブレットではなく、唯一サラブレットの芝重賞を勝った (57年セントライト記念) アングロアラブの怪物にして、もう出ないであろう唯一のアングロアラブの顕彰馬である。
- アラブの魔女と呼ばれたイナリトウザイですら芝重賞は勝っていない (東京盃というダート重賞は勝ったことがある)。
- アラブの血量は25%であり、ほぼサラ系ともいえるが。
- 日本の法律ではアラブ血量25%以上がアングロアラブとなり、それ未満はサラブレット系種 (サラ系) となる。 ただ外国ではまた別でフランスなどではアラブ血量12.5%でもアングロアラブである。
- アラブ血量を偽って登録した馬は「テンプラ」と呼ばれる。競走成績の優れたアングロアラブはほぼ必ずテンプラではないかと疑われた。
- テンプラが生まれた経緯は昔はアラブのレースの方が盛んだった事、サラブレッドの方が脚が速くサラブレッドをアラブと偽って登録すれば多くの賞金を稼ぐことが出来たから。現在は競走馬の個体識別にDNA鑑定を行うためたとえアラブのレースが盛んだったとしてもテンプラは不可能である。
- 日本の法律ではアラブ血量25%以上がアングロアラブとなり、それ未満はサラブレット系種 (サラ系) となる。 ただ外国ではまた別でフランスなどではアラブ血量12.5%でもアングロアラブである。
- アラブの血量は25%であり、ほぼサラ系ともいえるが。
- アラブの魔女と呼ばれたイナリトウザイですら芝重賞は勝っていない (東京盃というダート重賞は勝ったことがある)。
- 戦後はアングロアラブ専用の競馬場も多数あったが、アングロアラブには敵がいなくなったからサラブレットレースに殴りこんだ。
- スピード、レース最優先のサラブレットに対して、スピードはサラブレットに劣るが持久力や丈夫さに勝るアングロアラブは本来軍馬とすることが多かった。
- 引退後種牡馬となったがその名を種付けで証明した。
- 1980年代までは福山競馬場など日本の各地にアングロアラブ専用の競馬場があった。
- 種牡馬になってからはかなりの数の種付けをしたことから「性雄」との異名が付けられたが、あまりの多さから人工授精疑惑が浮上したので農林省(現在の農水省)の役人立ち会いの元種付けをしたこともあった。
- 1966年の種付け頭数238は当時の世界記録だった。
- サラブレッドは勿論、アングロアラブも自然交配しか認められないため。
- 1966年の種付け頭数238は当時の世界記録だった。
た行[編集 | ソースを編集]
- ダイタクヘリオス
- 1991、92年のマイルチャンピオンシップを連覇した名マイラーだが、この馬が出走するレースは1番人気がことごとく負けるというジンクスがあった。自らも例外ではなく、1番人気で勝利したのは一度だけ。
- 上記のカブトシローの系譜を受け継いだ馬である。
- マイラーズC、毎日王冠、マイルCSを当時の日本レコードで勝利した。はまれば間違いなく強い馬なのだが、1番人気出走は6回あったがで勝ったのは1回のみという感じ。
- 上記のカブトシローの系譜を受け継いだ馬である。
- おまけに走るときには口をだらしなく開けたままだったので「笑いながら走る馬」と渾名されることになった。
- 距離適性が全く違うメジロパーマーと同じレースに出ると何故か一緒になってハイペースで暴走し、人気馬を全て連対から外すほどレースを無茶苦茶にした。そのため、「バカコンビ」と酷い渾名までつけられるハメに…。
- ダイワメジャー
- 2004年の皐月賞馬。しかし、その後は不調だった時期がありダメジャーと言う不名誉なあだ名をつけられる羽目に。
- 皐月賞で負かしたのがホッカイドウ競馬在籍で地方の星として耳目を集めたコスモバルクだったため、かなり厳しい目で見られ続けた。
- 最終的にはG1を4勝し、種牡馬入り後も多くの産駒が活躍している。
- 有名な産駒としてはアドマイヤマーズなど。
- え? G1級5勝じゃないの? (皐月、秋天、マイルCS2連覇、安田)
- 半妹にG1級4勝のダイワスカーレットがいる。
- ダイワメジャーはSSとスカーレットブーケの仔だが、ダイワスカーレットはアグネスタキオン (SSとアグネスフローラの仔) とスカーレットブーケの仔である。父と祖父が同じ異父妹とか結構わけわからんww
- タニノムーティエ
- 1970年のクラシック三冠路線で関東のアローエクスプレスとライバル関係を築き、その対決は当時色濃かった東西対抗意識のなかで「AT対決」とも呼ばれたが、アローエクスプレスを退けて皐月賞・東京優駿(日本ダービー)の春のクラシック二冠を制した。
- ところが日本ダービーのレース後、タニノムーティエの馬主の谷水信夫は厩舎関係者全員の反対を押し切って自ら設営した大津市の放牧場への放牧を強行。
- 放牧中に谷水・調教師の島崎宏・主戦騎手の安田伊佐夫が様子を見に行った際、タニノムーティエは降雨で寒い中に屋根も何もない場所で裸足のまま立っていたという。
- この影響か、または谷水が土壌改良のために撒いた石灰を吸い込んだことが原因という説もあるが、何れにせよタニノムーティエはこの放牧中に喘鳴症(ノド鳴り)を発症してしまう。
- 秋初戦の朝日チャレンジカップは大差の最下位、菊花賞の前哨戦・京都杯(現在の京都新聞杯)は9頭立ての6着と敗れ、レース後に初めて喘鳴症を患っていることが公表された。
- 菊花賞はセントライト、シンザンに次ぐ史上3頭目のクラシック三冠達成が懸かっていたが、直前の調教では相変わらず喉を鳴らしており、3ハロンのタイムは43秒を切ることができなかった。
- 引退も検討されたが、谷水の希望もあり出走。レース当日は5番人気に支持された(1番人気はアローエクスプレス)。
- レースでは後方に控え、第3コーナーから第4コーナーにかけて先頭を窺う勢いで進出し観衆を大きく湧かせたが、そこから失速してダテテンリュウの11着に終わり(アローエクスプレスは9着)、史上3頭目の三冠は成らなかった。
- 引退も検討されたが、谷水の希望もあり出走。レース当日は5番人気に支持された(1番人気はアローエクスプレス)。
- このレースを最後に引退となり、引退後は北海道で種牡馬入りしたが、中央競馬の重賞勝ち馬を出すことはできなかった。
- ライバルだったアローエクスプレスは種牡馬として大きな成功を収め、この点では対照的な結果となった。
- 「競走馬としてタニノムーティエの圧勝、種牡馬としてはアローエクスプレスの圧勝」とも評されている。
- ライバルだったアローエクスプレスは種牡馬として大きな成功を収め、この点では対照的な結果となった。
- タニノムーティエの種牡馬としての失敗は、繁殖牝馬の交配相手として重用していたカントリー牧場の低迷を招く原因の一つともなった。
- 弟のタニノチカラが1974年に有馬記念を勝って以降、様々な改革を経て2002年にタニノギムレットが日本ダービーを制するまでの28年間、カントリー牧場から八大競走・GI競走を制する馬は現れなかった。
- ダンツシアトル
- 2度の長期休養を乗り越え、明け6歳(当時)になって本格化。
- 準オープン1着→オープン特別3着(4コーナーで致命的な不利があった)→オープン特別1着→安田記念除外で代わりに出走した京阪杯で重賞初制覇。
- 続く宝塚記念では2番人気に支持され、レースでも道中3番手から押し切って勝利。
- 走破タイムの2分10秒2は当時の芝2200mの日本レコードだった。
- しかし3コーナーで故障を発生し、競走を中止したライスシャワーの影響で素直に喜べないGI勝ちとなってしまった。
- その後脚部不安を再発し、2年後の1997年1月に引退。
- 引退後は九州で種牡馬入りしたが、これといった産駒を出せず2017年を最後に種牡馬を引退。血統は良かったのだが…。
- ダンツフレーム
- クラシックでは全て入着。その後も重賞やG1を賑わせ続け、グランプリホースにもなった。
- しかし引退後は種牡馬入りできず、屈腱炎にも関わらず地方で再び走らされ散々戦績に傷がついた挙句、肺炎で急死。あんまりな末路である。
- 元々血統が悪くサンデー産駒全盛期の時代に需要が無かったこと、勝った宝塚記念もジャングルポケットやマンハッタンカフェ・ナリタトップロードと言った有力馬のいないレースであり低レベルだった事情もある。
- ディープインパクト(2006年の凱旋門賞)
- 日本の悲願だった凱旋門制覇だ!とばかりに意気揚々とフランスに遠征。テレビで特番が組まれたりツアー旅行が組まれるなど盛り上がった。
- だが結果は3着に完敗。さらに餌に禁止薬物が入ってたことが判明し失格になるという散々なことになってしまった。
- 観光客のマナーの悪さも問題になった。
- だが結果は3着に完敗。さらに餌に禁止薬物が入ってたことが判明し失格になるという散々なことになってしまった。
- 本馬に関しては、種牡馬としても大成功の部類ではあるが、未だにこれと言った後継種牡馬が出ていないとされるまま死亡してしまったのも残念かもしれない。
- オーギュストロダン (海外) か、コントレイルかな後継種牡馬は。繁殖牝馬にもジェンティルドンナ (牝馬7冠)、ラブズオンリーユー (初の米国ブリーダーズカップ制覇)、グランアレグリア (G1級マイル6勝) など多数のG1級ウマを輩出した。
- グランアレグリアは短距離スプリンターズSの1勝。ただ中距離でもコントレイルの次着に2回も入るぐらい優秀。
- オーギュストロダン (海外) か、コントレイルかな後継種牡馬は。繁殖牝馬にもジェンティルドンナ (牝馬7冠)、ラブズオンリーユー (初の米国ブリーダーズカップ制覇)、グランアレグリア (G1級マイル6勝) など多数のG1級ウマを輩出した。
- 産駒がたびたび凱旋門賞に挑むもキズナの4着、ハープスターの6着以外は惨憺たる成績が続く、特にマカヒキ、サトノダイヤモンドがブービー、フィエールマンに至っては勝ち馬から48馬身離された最下位に沈んでしまう。
- あまりの種付けの多さに、種付けを嫌がったという話もある。
- 種牡馬時代に武豊が会いに行ったとき、「レースか!?乗るの?」とディープインパクトがクビ下げて乗りやすい体制を取ったらしい。だがそうじゃないとわかるとそっぽ向いて去っていったとか何とか。
- 競馬の対談で「武豊が乗ったディープインパクトに挑むには、武豊はどの馬に乗る?」との問いに武豊は「サイレンススズカ」と答えたらしい。
- テイエムオペラオー
- 若手騎手だった和田を乗せて、3戦目で初勝利を挙げると破竹の4連勝で皐月賞を制覇。
- しかし、その後は騎乗ミスなどにより負け続き。勝ち確の雰囲気だったステイヤーズSすら負けて、年末の有馬記念を3着で5連敗。
- 馬主からは乗り替わりを迫られたが、調教師の懸命な説得に折れて和田が継続騎乗。
- 99年菊花賞が終わった後1か月でステイヤーズS、その3週間後に有馬記念と、今の馬なら考えられないローテを行った。
- 馬主からは乗り替わりを迫られたが、調教師の懸命な説得に折れて和田が継続騎乗。
- 2000年は京都記念を皮切りに次々とレースを勝っていき、古馬王道G1・5勝を含む無敗の8連勝という圧倒的な成績で満票で年度代表馬に輝いた。
- 和田騎手ではなくベテラン騎手が乗っていたらクラシック3冠は取れていたかもしれない、と言う人はいる。ただしその場合は古馬王道全冠 (春天、宝塚、秋天、JC、有馬) は無理だったろうとも言われている。
- 本来オペラオーは差しや追い込みのトップスピードが持ち味だったようである。実際皐月ではそれを見せたが「馬の負担になるからやめろ」と和田騎手は調教師に怒られたらしい。
- 2025年現在と違い、2000年当時はG1級大阪杯はなく、前身のG2の産経大阪杯だったため。
- 本来オペラオーは差しや追い込みのトップスピードが持ち味だったようである。実際皐月ではそれを見せたが「馬の負担になるからやめろ」と和田騎手は調教師に怒られたらしい。
- ついた異名は世紀末覇王。
- 和田騎手ではなくベテラン騎手が乗っていたらクラシック3冠は取れていたかもしれない、と言う人はいる。ただしその場合は古馬王道全冠 (春天、宝塚、秋天、JC、有馬) は無理だったろうとも言われている。
- しかし、着差を付けない勝ち方が多くでファンの間では実力を疑う競馬ファンは多く、それ故に実績の割に大衆人気は低かった。
- 中にはそれほど強くなかったのに運だけで勝ちまくったラキ珍(ラッキー珍馬)と呼ぶ者もいた。
- 翌年は天皇賞(春)を制してシンボリルドルフに並ぶ日本史上最多のG1・7勝を記録。しかし、それ以降は精彩を欠き有馬記念を最後に引退。
- メイショウドトウを抜かせばレースは勝ちと認識していたという説がある。そのためか秋天で宝塚記念で差せなかったメイショウドトウを抜かしたはいいが、大外からアグネスデジタルに差されG1級8勝はならなかった。
- 競走能力の衰えもあったが、抜け出すとソラを使う悪癖もあったため01秋天やJCではそこで負けてしまった所もあった。
- なお上で語られているメイショウドトウだが、01年宝塚で勝ち、00年の宝塚から01年秋天まで1年以上オペラオー以外の全対戦馬に先着してきたとんでもない実力馬であった。
- 後だしだが当時は1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウが or (ラスカルスズカ、ナリタトップロード) が定番であり、ほぼ3着決めしかないという状況だった。
- なお上で語られているメイショウドトウだが、01年宝塚で勝ち、00年の宝塚から01年秋天まで1年以上オペラオー以外の全対戦馬に先着してきたとんでもない実力馬であった。
- 競走能力の衰えもあったが、抜け出すとソラを使う悪癖もあったため01秋天やJCではそこで負けてしまった所もあった。
- G1級8勝以上になれなかったのは精彩を欠いたというより競争能力の衰えの方が強い気がする。01天春は勝ったが、宝塚ドトウを差せず、天秋アグネスデジタルの大外一気に屈する、JCジャングルポケットとのタイマンに敗れるで全て2着だし。さすがに引退の有馬記念は疲労によるガス欠だったか?
- メイショウドトウを抜かせばレースは勝ちと認識していたという説がある。そのためか秋天で宝塚記念で差せなかったメイショウドトウを抜かしたはいいが、大外からアグネスデジタルに差されG1級8勝はならなかった。
- 引退後はシンジケートを組まずに種牡馬入りするも、高速化が進む日本の競馬とは裏腹にスタミナ型の産駒が多く勝ち上がり率は低迷。障害重賞を制した産駒を2頭出すに止まった。
- 2003年に顕彰馬の選考対象となるも、古参記者が推すタケシバオーと中堅記者が推すエルコンドルパサーやスペシャルウィークらと票の食い合いにより、得票率が75%に足りずに不選出。
- この結果に競馬ファンは激怒。JRAのホームページに抗議が殺到した。
- 翌年に投票制度を変更したことにより、無事に顕彰馬に選出された。
- 余談だが、スペシャルウィークは顕彰馬にはなれなかった。
- 激怒の理由が「テイエムオペラオーで顕彰馬になれないなら、どんな馬がなれるんだ!!」とアンチすらJRAに抗議した模様。
- 後年G1・9勝したアーモンドアイや上記にあるコントレイルが選定されずで更に物議になった。
- 激怒の理由が「テイエムオペラオーで顕彰馬になれないなら、どんな馬がなれるんだ!!」とアンチすらJRAに抗議した模様。
- 余談だが、スペシャルウィークは顕彰馬にはなれなかった。
- 翌年に投票制度を変更したことにより、無事に顕彰馬に選出された。
- この結果に競馬ファンは激怒。JRAのホームページに抗議が殺到した。
- キタサンブラックに抜かれるまで日本国内一の獲得賞金王だった。何なら一時期世界最高の獲得賞金王でもあった。(25年2月時点では獲得賞金ランキング第7位)
- 主戦の和田竜二騎手はその後中央GIがオペラオーが亡くなるまでの間17年勝てなかった。
- 香港ヴァーズやドバイシーマクラシックを勝ったステイゴールドの戦績を見て「このずっと1位にいるテイエムオペラオーって馬何者!?」と海外の馬主さんが驚いたそうだ。
- 00年JCでファンタスティックライト (当時の欧州最強級の馬) に乗ったデットーリにテイエムオペラオーの印象を聞かれたとき「あいつ、めっちゃ強い。ワールドクラスの馬だ」と言ったらしい。
- デルタブルース
- 04年菊花賞馬、06年に渡豪しオーストラリア競馬レースで最も有名な競走と言われているメルボルンカップを勝つ。
- そのメルボルンカップは1着デルタブルース、2着ポップロックの日本馬ワンツーだった。
- 他にオーストラリアG1競走を勝った日本馬に、コックスプレートを勝ったリスグラシューや、コーフィールドカップを勝ったアドマイヤラクティがいるが、オーストラリアでの評判はデルタブルースの方が高いようだ。
- そのメルボルンカップは1着デルタブルース、2着ポップロックの日本馬ワンツーだった。
- 長距離馬だったことが災いしたか、芝G1級競走を2勝したにもかかわらずその血は残せなかった。
- 07年有馬記念に出走後、なぜか1週間後の東京大賞典に出走するという珍事をやらかした。(両方とも12着)
なは行[編集 | ソースを編集]
- ナリタブライアン
- クラシック三冠を果たしたが古馬以降怪我に泣かされるなどでG1を勝てなかった。
- 94年までなら日本最強馬に推す人もいる。
- ともかく調教師へのバッシングがすごかった。
- あまりのバッシングの酷さに調教師が反発し、3歳時の皐月賞・菊花賞・有馬記念の直前には競馬マスコミに対してJRAを通じて取材拒否の通達を出していた程だった。
- 有馬記念では兄ビワハヤヒデ、弟ナリタブライアンの兄弟対決で大いに話題が盛り上がったが・・・ケガで、ビワハヤヒデが引退してしまった。
- あまりのバッシングの酷さに調教師が反発し、3歳時の皐月賞・菊花賞・有馬記念の直前には競馬マスコミに対してJRAを通じて取材拒否の通達を出していた程だった。
- 1996年の阪神大賞典は名勝負と呼び声もあったが土曜開催だったことへの批判や名勝負を否定する声もあった。
- 対戦相手はマヤノトップガンだったが、実はブライアンもトップガンも父親自体は一緒である (父ブライアンズタイム)。
- その年の天皇賞春に敗れた後出走した1,200mの高松宮杯はファンファーレも残念だったとされる。
- 引退後種牡馬入りするも翌年に死亡し一頭も後継種牡馬を残すことができなかった。
- 生産し種牡馬として繁養していた牧場が倒産する一因になった。
- ハードバージ
- 1977年の皐月賞馬。引退後は種牡馬となるが、成績が芳しくなかったため使役馬に転用。重い馬車の牽引や甲冑を来た役者を乗せるなどの重労働が続いた挙句、日射病で死んでしまった。
- ハードバージの辿った末路は今まで人々の関心が薄かった名馬の余生を考えるきっかけとなり、功労馬繋養展示事業の実施にも繋がった。
- 全弟のマチカネイワシミズの方がダビスタの影響で有名になってしまった。
- ハシルショウグン
- 南関競馬で活躍。だが芝G1ではいずれもドベでアルクショウグンと揶揄される。
- 最後も旧表記9歳で凡走が続いていたにも関わらず障害を走らされ・・・
- ハマノパレード
- グランプリホースとなったが、高松宮杯競走中止後はそのまま屠畜場行きに。後にこの事実が新聞で取り上げられ批判が殺到。これを切欠に予後不良と診断された競走馬の屠殺は行われなくなった。
- なお、ハマノパレード事件以前は取り沙汰されていなかっただけで、予後不良となった馬を馬肉に転用することはしばしばあったとか。
- バランスオブゲーム
- ダビスタ開発者の薗部氏の馬。
- 2025年現在G2級6勝とG2級競走を最も勝った馬である。
- G2大将とあだなする声もある。それまではG1級1勝、G2級5勝のナリタトップロードがG2最多勝利数だった。
- G1級競走は宝塚、安田の3位が最高順位だが、一説には「中山芝1800mのG1級競走があれば・・・」と思う人もいたらしい。
- 引退後は種牡馬になったが、2025年時点では乗馬である。
- ハルウララ
- 連戦連敗続きにより一躍大スターとなったが、引退後の扱いは・・・
- 父は昭和のマイルの帝王ことニッポーテイオーである。獲得賞金や実績は父の方がはるかに上だが、知名度はハルウララの方がはるかに上であり、オグリキャップ級である。
- 正直上のテイエムオペラオーなどより良血である。
- ビワハヤヒデ
- 上記にあるナリタブライアンの兄。2歳時・3歳時とGI(朝日杯3歳S・皐月賞・日本ダービー)では3連続2着だったが、夏場の猛調教で一気に力をつけ三冠最後の菊花賞は5馬身差の圧勝。
- 続く有馬記念でもファン投票1位で出走し、最後にトウカイテイオーに交わされて2着。
- 翌年のJRA賞の表彰では菊花賞の圧勝とGIでの3度の2着という成績を評価され、GIを2勝したヤマニンゼファーを抑えて年度代表馬のタイトルを獲得したが、一部にはこの結果に対して批判的な意見もあった。
- 続く有馬記念でもファン投票1位で出走し、最後にトウカイテイオーに交わされて2着。
- 4歳春は京都記念→天皇賞・春→宝塚記念を重賞を3連勝。宝塚記念の2週間前に行われた日本ダービーではナリタブライアンも圧勝しており、新聞は「秋には夢の兄弟対決実現か?」と報じられた。
- そんな中、ビワハヤヒデの4歳秋のローテーション(オールカマー→天皇賞・秋→有馬記念の3戦、ジャパンカップには出走せず)にも批判が集まった。
- ある作家は「JC回避は『退散』」「JCを回避するような及び腰ではそのうち良くないことが起こる」とビワハヤヒデの陣営を痛烈に批判。
- 浜田調教師は後に「JCの回避は馬主の意向だった」「昔の人間にとってやっぱり天皇賞は大きい」と語っている。
- そんな中、ビワハヤヒデの4歳秋のローテーション(オールカマー→天皇賞・秋→有馬記念の3戦、ジャパンカップには出走せず)にも批判が集まった。
- 4歳秋、ビワハヤヒデは初戦のオールカマーこそなんとか勝ったが、続く天皇賞・秋ではいいところなくネーハイシーザーの5着に終わった。
- 更にレース後に左前脚に屈腱炎を発症していることが判明し、レース3日後の11月2日に引退を発表。ナリタブライアンとの兄弟対決は夢と消えた。
- なおこの秋天5着までは、15戦全レース1着か2着である。
- この「連続15連対」は日本競馬史上でも上はシンザンのように1960年代とか50年代の馬しかいない。ディープインパクトでも13連対である。
- なおこの秋天5着までは、15戦全レース1着か2着である。
- 更にレース後に左前脚に屈腱炎を発症していることが判明し、レース3日後の11月2日に引退を発表。ナリタブライアンとの兄弟対決は夢と消えた。
- 引退後は北海道で種牡馬入りしたが、目立った活躍馬を出すことは出来ず2005年に種牡馬も引退。
- それでも功労馬としては早世した弟の分まで生き、2020年7月に30歳で大往生を遂げた。
- ファインモーション
- デビューから5連勝でGI秋華賞を制覇、続くエリザベス女王杯で古馬牝馬にも勝って史上初めて無敗で古馬GIを制覇した。年末の有馬記念では1番人気に支持されたが5着に敗れた。
- 古馬になってからはGIには手が届かなかったが重賞2勝をあげ、5歳の年末に引退。繁殖牝馬としてキングカメハメハと交配されたが・・・。
- 結果は不受胎。その後も何回か交配されたが、一度も受胎できなかった。その後調査によって染色体異常により受胎ができない体と分かり、繁殖牝馬として終ぞ産駒を出すことはできなかった。
- 現在は功労馬として余生を過ごしている。
- ファストフレンド
- 90年ダービーで逃げ勝ち競馬場を感動と興奮の渦に包んだアイネスフウジンの代表産駒。
- ファストフレンドは英語で「親友」という意味。
- オグリキャップ記念の「ファストフレンドは届かにゃい!!」という名 or 迷アナウンスで世に知られている。
- なぜこのセリフが出たかと言えば、当時全盛期を過ぎたファストフレンドだったが一番人気だったため。
- それに加えて前を走っていた2頭が地元笠松の馬で、最後の直線では実況が突然興奮した感じの喋りに変わっていた(それまでは淡々とした感じの実況だった)。
- なぜこのセリフが出たかと言えば、当時全盛期を過ぎたファストフレンドだったが一番人気だったため。
- しかし実際は牝馬ながら帝王賞、東京大賞典と言うダート交流重賞G1級競走を2勝した、紛れもないダートの名牝である。
- このダートG1級の東京大賞典で牝馬勝利は24年5月時点ではファストフレンドしか成し遂げていない (ホクトベガの時代は交流重賞の格付けがまだされていなかった)。
- ほかにダートG1級を複数回勝利した牝馬はサンビスタがいる (チャンピオンズカップ、JBCレディスクラシック)。
- すまない、ホクトベガは東京大賞典に出走していなかった。なおグレード制定前ならロジータも東京大賞典を勝っている。
- ほかにダートG1級を複数回勝利した牝馬はサンビスタがいる (チャンピオンズカップ、JBCレディスクラシック)。
- このダートG1級の東京大賞典で牝馬勝利は24年5月時点ではファストフレンドしか成し遂げていない (ホクトベガの時代は交流重賞の格付けがまだされていなかった)。
- 帝王賞、東京大賞典と交流重賞g1級競走を同一年度で勝利した馬は、上のアブクマポーロ、砂のサイレンススズカことスマートファルコン、ダートG1級競走10勝のホッコータルマエ、東京大賞典を4連覇したミスター東京大賞典ことオメガパフュームにこのファストフレンドと、実はとんでもない記録である。先の4頭はもちろん全て牡馬である。
- 25年1月に31歳の長寿を全うし世を去った。
- 人によっては砂の女王 (2代目) という人もいる。
- プレクラスニー
- 1991年の天皇賞(秋)馬。
- しかし1着入線ではなく1着のメジロマックイーンに6馬身差をつけられての2着で、メジロマックイーンの降着による繰り上がりでの勝ち馬だった。
- プレクラスニーの生産者の嶋田克昭は後に雑誌で「正直言って表彰台に立っているのが辛かった」と語っている。
- 競馬評論家の大川慶次郎は「プレクラスニーも共犯であり両方降着が妥当だった」と評している(マックイーンが斜行した際にすぐ内にいたプレクラスニーが一緒になって内に入っていくように見えたため)。
- しかし1着入線ではなく1着のメジロマックイーンに6馬身差をつけられての2着で、メジロマックイーンの降着による繰り上がりでの勝ち馬だった。
- 打倒メジロマックイーンを誓って挑んだ暮れの有馬記念では4着(マックイーンは2着)。
- 引退後種牡馬入りするもほとんど種付けが無く、中央での産駒の総勝ち数は3勝だけ。
- 後継どころか繁殖牝馬すら残せずに1998年に種牡馬を引退、その年の内に事故で安楽死となってしまった。
- ブロードアピール
- 何と言っても2000年根岸ステークスの直線一気だろう。最後方から一気に刺した。
- 強いダート牝馬の一頭である。
- 芝でもG3も勝利したが、どちらかというとダートの方が合っていたようだ。
- 勝利はG3級までだが、G1級やG2級でも掲示板に入ってコツコツ賞金を持ち帰り最終的に5億円稼いだ。
- 直仔の成績はあまり振るわなかったが、孫にダービー馬ワグネリアンがいる。
- ホクトベガ
- 競馬ファンなら言わずと知れた「砂の女王」。
- エンプレス杯をぶっちぎり大差勝利、ダートでは15戦12勝であり、特にダートに再転向した95年以降の成績は11戦10勝 (最期のドバイWC含む) と日本国内では完璧な成績を残した。
- 実はもともとダートでデビューした。
- 当時の牝馬最高獲得賞金額も更新した (8億8800万円超)。
- 後に顕彰馬&ダービー牝馬ウオッカに更新されるまでその地位を保った。25年7月時点ではアーモンドアイが牝馬最高賞金額。
- たまに勘違いされることがあるが、この馬が取ったG1級競走は当時の牝馬三冠最終のエリザベス女王杯のみである。
- 交流重賞の格付けがまだ済んでおらず、今は中央G1級のフェブラリーステークスも当時はG2だった。
- フェブラリーステークスは1984年から存在するが2025年現在でも、牝馬で勝利したのはホクトベガのみである。
- 交流重賞の格付けがまだ済んでおらず、今は中央G1級のフェブラリーステークスも当時はG2だった。
- エリザベス女王杯以降芝レースで勝てなくなったため、一時期障害競走へ転向しようと調教していたようである。
- あくまでG1取った馬としては見劣りがする成績なだけで、G3札幌記念勝利やAJCC2着、エリザベス女王杯4着などそれなりには芝でも成績を残している。
- この時の障害飛越トレーニングが後のダート無双の原動力になったという人もいる。
- あくまでG1取った馬としては見劣りがする成績なだけで、G3札幌記念勝利やAJCC2着、エリザベス女王杯4着などそれなりには芝でも成績を残している。
- 同じ厩舎の後輩にヒシアマゾンがいたらしく、その厩舎の人はヒシアマゾンとホクトベガを比べて「2頭を競争させたら芝ならヒシアマゾンが100戦100勝し、ダートならホクトベガが100戦100勝する」と言った。
- 俺が無茶な騎乗しなければホクトベガはあんなことにならなかった・・・
- ただダノンデサイルの皐月賞直前回避からのダービー・ドバイシーマ勝利に繋がったり等活きてる面もある。
- ホットシークレット
- 98世代の馬だが活躍したのは2000年以降というどちらかと言えば晩成馬。
- 何が残念かと言えば雄で発情してしまうゲイ馬だったため、デビュー後すぐにアレを切り取られ騙馬となった。
- 切り取られたことで気性が改善されたかステイヤーズステークス2勝、2001年目黒記念勝利などし、最終的に3.9億円稼いだ。
- 騙馬最強と謳われたJC勝馬レガシーワールドの賞金が4.2億円だから、十分強い騙馬と言える。
- ポルトフィーノ
- 父にクロフネ、母に名牝エアグルーヴという良血であり2007年6月にデビュー。新馬戦を5馬身差で勝利し、注目を浴びるもその後は体調不良で予定していたレースが使えず年内休養。
- 年明けになりOP特別を勝利し、桜花賞へ登録するも出走前日に左寛跛行が発覚し出走取消。母エアグルーヴも直前に桜花賞を断念しており母娘で桜花賞を回避することになってしまった。
- 幸い軽度だったため母エアグルーヴ、祖母ダイナカールの制した優駿牝馬へ出走を予定していたが、またも直前に指の骨を剥離骨折し出走断念。結局春の二冠に出ずに終わった。
- その後骨折も治り秋華賞に登録するも、賞金順が19番目になり除外。18番目の馬は当時ダートレースを使っていたプロヴィナージュであり、ダート馬に枠を取られる結果となってしまった。
- 除外された同馬は同日の準OPに出走し勝利した。一方賞金順18番目で出走したプロヴィナージュは秋華賞では3着に激走し、枠潰しと陣営を批判した人たちは唖然とした。
- 賞金を貯めた同馬はGIのエリザベス女王杯に登録。今回は故障も除外もされずに3番人気の支持を受けレース本番を迎えた・・・が、スタート直後に鞍上の武豊騎手を振り落とし、競走中止。
- しかし同馬はそのまま走り続け、先頭でゴールイン。GIでカラ馬が先頭でゴールするのは史上初のことであった。
- 同馬は古馬になって4戦したが一度も3着以内に入ることはできず、引退し繁殖牝馬となった。
ま行[編集 | ソースを編集]
- マイネルエクソン
- キーンランドのセリで55万ドルで競り落とされ、総帥が「朝日杯を楽勝したら欧州へ」「国内で稼げれば良いと考えるなら出資を見送るように」などと吹きまくったが、デビュー後は中央未勝利のまま地方へ・・・
- マイネルダビテ
- 重賞勝利馬 (1987年共同通信杯) として最長寿記録を樹立した (36歳8か月)。
- 岡田牧場の危機を救った馬であり、代表の岡田牧雄曰く「無敗三冠牝馬のデアリングタクトとマイネルダビテのどちらが印象深いと聞かれたら、圧倒的にマイネルダビテ」といった。
- マティリアル
- 父パーソロン・母の父スピードシンボリというシンボリルドルフと同じ血統構成、将来的にはフランスで走らせることを念頭に、冠名を付けず「素材」を意味する「マティリアル」と命名。
- 新馬戦1着、府中3歳Sは3着、寒梅賞1着を経て挑んだスプリングステークス。道中は後方に控え、3コーナーから進出を開始するも残り200㍍でまだ7番手。
- しかし先行勢の競り合いからバナレットが抜け出した直後、外からマティリアルがこれを一気に差しきり、アタマ差先着して勝利。
- 迎えた皐月賞では1番人気に支持されたが、直線で2番人気のサクラスターオーがいち早く抜け出し、マティリアルはゴールドシチーと併走するように上がっていったが、ゴールドシチーにアタマ差及ばずの3着。
- 皐月賞後、中山競馬場から直接シンボリ牧場へ短期放牧に出されていたが、これが裏目に出て美浦に戻ったときには疲弊した状態になってしまった。
- 日本ダービーは混戦の中、1番人気に支持されたが見せ場無しの18着。
- その後は秋になっても、翌1988年になってもスランプが続き、年末の有馬記念で9着に敗れたあたりからオーナーも熱意を失い、ここでようやく田中調教師が「マティリアルの調教は自分に任せてください」と発言。
- 1989年6月に復帰すると4着→4着→2着ときて、京王杯オータムハンデキャップを迎えた。
- このレースで約2年ぶりに岡部騎手が鞍上に戻ったマティリアルは先行策を取り、最後の直線で先頭に立ちそのままゴールまで押し切り、スプリングS以来約2年半ぶりの勝利を挙げた。だが…。
- レース後、スタンドの前でマティリアルは突然歩様を乱して止まり、岡部騎手が下馬。競馬場内の診療所に運ばれ、検査の結果「右前第一指節種子骨複骨折」と診断。
- 診療所に駆けつけた田中調教師に獣医師は「普通なら安楽死」と伝えたが、素質と血統を惜しんだ関係者が治療を決断。
- 3時間以上掛った手術は一応成功したがその日の夜に容態が急変。術後の痛みからくるストレスから出血性大腸炎を発症してしまい、治療も及ばずその日の夕方に死亡。
- ミスターシービー
- 母親は本馬以外子供を生むことが出来なかった。
- 翌年の三冠馬であるシンボリルドルフに歯が立たなかった。
- 種牡馬としてもクラシックを期待された大器を出したが重賞勝利直後予後不良級の骨折をしてしまい復帰できたもののG1勝利はならなかった。
- 一方のシンボリルドルフはトウカイテイオーを出した。奇しくもトウカイテイオーが勝った皐月賞の2着馬は本馬の産駒だった。
- 母父として00年にダートで大暴れしたウイングアローを生み出した。
- 一方のシンボリルドルフはトウカイテイオーを出した。奇しくもトウカイテイオーが勝った皐月賞の2着馬は本馬の産駒だった。
- ただしシンボリルドルフが達成できなかった「一番人気での天皇賞(秋)制覇」を成し遂げている。三冠馬でこれを達成したのはシンザンと本馬のみ。
- メジロパーマー
- 1992年宝塚記念、有馬記念の双方を制したグランプリホースだが、同年の天皇賞秋においてダイタクヘリオスとハイペースで逃げた結果、ブービーの17着と惨敗した。
- おかげで「宝塚記念の勝利はフロック」と言われ、春のグランプリを制しながら有馬記念では16頭立ての15番人気だった。
- ただしメジロ牧場における1987年生まれの同期(メジロマックイーン、メジロライアン)が果たせなかった有馬記念制覇を成し遂げている。
- メジロマックイーン
- 天皇賞春を連覇するなど堂々の名馬だが、1991年の天皇賞秋で斜行してしまい、1着でゴールしたものの最下位に降着させられた。
- 降着制度はこの年から始まったため、G1、しかも1番人気馬の降着は当時論議の的となった。
- G1級4勝 (菊花賞、春天連覇、宝塚)、初の獲得賞金10億円越えを達成し、最強のステイヤーはどの馬か? の問いにはおそらく最右翼で名前が上がる。
- ステイヤー対抗としてはライスシャワー (菊花、マックイーンの3連覇を阻んだ春天+春天) か、大穴でデルタブルースか? (菊花+豪州で最も有名な競馬競走のメルボルンカップ)
- 種牡馬としては数頭重賞馬を出す程度だったが、母父としてドリームジャーニー、オルフェーブル、ゴールドシップなど名馬 (迷馬?) を産出した。
- 上記3頭は俗にいうステマ配合である。(父ステイゴールド、母父メジロマックイーン)
- 気性がものすごく荒かったサンデーサイレンスの恋人。
- 種牡馬時代武豊が会いに行ったらが、「また走らされる」とマックイーンが思った為か、武豊から逃げ回っていたそうな。
- メジロライアン
- メジロ牧場の期待を背負っていたが、なかなか勝ちきれないレースが続き、G1勝利数では同期であるマックイーンどころかパーマーより少ない(マックイーン4勝、パーマー2勝、ライアン1勝)
- 本馬に勝たせたいとメジロマックイーンを回避させた1990年の有馬記念はオグリキャップに敗れた。
- ただし種牡馬としてはメジロドーベルやメジロブライトを輩出するなど成功した。
- 「ライアンが一番強い!! 勝てなかったのは俺のせい!!」「ライアンに何かあったら、俺が一生面倒を見ます!!」
- 競馬場での功労馬お披露目イベントで本人以外にも息子も騎乗したり、没後は墓を建てたりした。それくらい想いがあると思う。またそういう苦労があった分名ジョッキーになれたり息子達も活躍してるのも評価はしたい。
- 横山典さんとメジロライアンが一緒に写った写真があるが、ライアンのうっとり顔ww
やらわ行[編集 | ソースを編集]
- ライスシャワー
- 菊花賞・天皇賞春2勝のGI3勝。そのうち菊花賞とその翌年の天皇賞春では当時のレースレコードを更新する生粋の長距離馬であり京都競馬場の馬場を得意とする馬だった。
- しかし菊花賞ではクラシック三冠の掛かったミホノブルボンを降し、翌年の天皇賞春では天皇賞春3連覇の掛かったメジロマックイーンを降したことでファンからは「偉業を台無しにするヒール」「淀の刺客」と呼ばれるようになってしまう。
- あのJRAのフレーズはかっこいい。「93年天皇賞春、極限まで削ぎ落した体に鬼が宿る」。
- その後2年間成績は低迷するものの1995年の天皇賞春で復活を果たす。しかし種牡馬としての箔をつけるために宝塚記念(当時は京都での開催)に出走する。
- しかし宝塚記念のレース途中に故障を発し転倒。予後不良と診断されてしまった。皮肉にもGI3勝をあげた得意の京都の地が最期の地になった。
- 20世紀の名馬100選の11位であるが、顕彰馬メジロマックイーン (12位)、有馬連覇を含むG1級4勝グラスワンダー (13位)、顕彰馬タイキシャトル (16位) などより上であり、「競走中の〇が美化されすぎている」という批判もある。
- ラスカルスズカ
- 稀代の逃げ馬、サイレンススズカの半弟 (人間でいう異父兄弟)。
- 兄はマイル~中距離を得意としていたが、ラスカルの方は3000m以上が得意のステイヤーだった。
- 菊花賞3着、阪大2着、春天2着と食い込み、一時はテイエムオペラオー、ナリタトップロードと競い、3強のNo.2の位置にいたが・・・
- 世代屈指の実力を有しており、春天を取る実力も有していた (ラスカルのタイムだけなら春天勝ち馬メジロブライトやマンハッタンカフェなどより速いタイムでゴールしている) が、結局重賞未勝利のまま終わってしまった。一部では「最強の重賞未勝利馬」とも言われている。
- よくメイショウドトウがテイエムオペラオー被害者の会と言われることがあるが、テイエムオペラオー真の被害者はこのラスカルスズカである。
- なぜならメイショウドトウもナリタトップロードも重賞勝利、G1の舞台で1度はオペラオーに勝ったことがあるため。逆にラスカルはついに勝てなかった・・・
- よくメイショウドトウがテイエムオペラオー被害者の会と言われることがあるが、テイエムオペラオー真の被害者はこのラスカルスズカである。
- 世代屈指の実力を有しており、春天を取る実力も有していた (ラスカルのタイムだけなら春天勝ち馬メジロブライトやマンハッタンカフェなどより速いタイムでゴールしている) が、結局重賞未勝利のまま終わってしまった。一部では「最強の重賞未勝利馬」とも言われている。
- 武豊は「スペシャルウィーク級の実力がある」と高い評価を下していた。
- ルーラーシップ
- 父キングカメハメハ、母エアグルーヴという超良血にして、12年香港のクイーンエリザベス2世カップを制した。
- 12年は秋古馬三冠に挑んだが、全て2番人気で全て3着という珍記録を作り出した。
- 「ある能力」以外超一級と言っていいのだが、それがあるため某ゲームの影響で「たわけの息子」呼びされる。
- その能力とはスタート、とにかく出遅れる。最終戦の12年有馬では徹底的にスタート調教行ったらしいがスタート時に実馬での「フェラーリのエンブレム」を作り出した。
- スタート直後に調教師が「ああ、今回もダメだったか」と頭をかく姿が映し出されたこともある。
- 最大の敵はゲートww
- 逆に出遅れずにまずまずのスタートをきれた (陣営にとってほぼ最高) のが上記の12年クイーンエリザベス2世カップ。道中先行策で最後の直線で一気に他の馬を圧倒した。
- 一説には2012年有馬記念は「コント 有馬記念」と言われている。ルラシの立ち上がり、ゴルシの後方スタート、エイシンフラッシュの最終直線の一瞬のキレ。
- 逆に出遅れずにまずまずのスタートをきれた (陣営にとってほぼ最高) のが上記の12年クイーンエリザベス2世カップ。道中先行策で最後の直線で一気に他の馬を圧倒した。
- 最大の敵はゲートww
- スタート直後に調教師が「ああ、今回もダメだったか」と頭をかく姿が映し出されたこともある。
- その能力とはスタート、とにかく出遅れる。最終戦の12年有馬では徹底的にスタート調教行ったらしいがスタート時に実馬での「フェラーリのエンブレム」を作り出した。
- 自身の能力の高さは子供たちにも遺伝した様で、マイルCSやドバイターフを勝ったソウルラッシュ、菊花賞馬キセキ、春天馬へデントールなどが産駒にいる。
- レイデオロ
- 2歳時はホープフルステークスまで無傷の3連勝。輝かしい将来が渇望された。しかし、ソエを発症するなどの疲労が目立ちトライアル競走を使えず、ぶっつけ本番で皐月賞に挑む羽目となり5着初黒星を味わった。
- 日本ダービーではドスローペースを向こう正面で捲って2番手まで押し上げ、そのまま押し切って優勝。鞍上ルメール・管理する藤沢・馬主のキャロットファームにダービー初勝利をプレゼントした。
- しかしながらこのレースで捲ったことによって掛かり癖が付いてしまった。
- 実際、ダービー明け初戦のセントライト記念では、引っ掛かって鞍上が何とか壁を作っての辛勝だった。
- しかしながらこのレースで捲ったことによって掛かり癖が付いてしまった。
- 明け4歳の京都記念では圧倒的な1番人気に支持されるも、引っ掛かるなど終始チグハグな競馬で3着に敗北。続いて出走したドバイシーマクラシックでもスローペースで引っ掛かって直線で伸び切れず4着に敗れた。
- この2戦の影響で競馬ファンの間で「またダービーで燃え尽きる馬か」と言われてしまった。
- オールカマーを叩いて出走した天皇賞(秋)では12頭中5番手という好位の追走から押し切って優勝。燃え尽きたという風説を払拭する走りを見せた。
- ただ、1番人気のスワーヴリチャードが序盤で不利を受けたことから、「スワーヴリチャードが妨害されていたから勝てたのでは?」と一部のファンの間で実力が怪しまれてしまった。
- アーモンドアイとの使い分けでジャパンカップには出走せずに迎えた有馬記念では1番人気の支持を受けるも、小回りの重馬場を得意とするハービンジャー産駒のブラストワンピースをクビ差で捕えれず2着に敗れた。
- この敗北でファンからの評価は低下。3歳秋は2戦しかしておらず、4歳でも出走数が少なかったことから、ゆとりローテ扱いされた。
- 「鬼ローテでドバイ3着のワンアンドオンリーのほうが強い」「あんなローテなら天皇賞秋ぐらい誰でも勝てる」とか酷い言われようだった。
- この敗北でファンからの評価は低下。3歳秋は2戦しかしておらず、4歳でも出走数が少なかったことから、ゆとりローテ扱いされた。
- 5歳春はドバイシーマクラシック6着、宝塚記念5着といいところなし。秋初戦のオールカマーでは1番人気に支持されるも4着とGⅡ戦ですら複勝圏に入れず、嫌でも衰えを感じさせる内容であった。
- ジャパンカップでは仕上がりが良く見えたことから1番人気に推されるも、不良馬場のせいか11着と生涯最悪の大敗を喫してしまった。
- ちなみにこの時の勝ち馬は自身が勝ったダービーで2着だったスワーヴリチャード。ダービーと同じ舞台で雪辱を果たされてしまった。
- 引退レースとなった有馬記念では特にいいところもなく7着に敗退。5歳時は勝つどころか複勝圏にすら入ることができずに引退を迎えた。
- 種牡馬としてはウインドインハーヘアの牝系ということもあり初年度種付け料は600万円と破格の評価。2022年には700万円に増額された。ところがどっこいデビューを迎えた産駒は期待とは裏腹にあんまり走らなかった。
- 同じ初年度種付け料のオルフェーヴルも勝ち上がり率が悪く失敗種牡馬扱いされたが、初年度からGⅠ馬を輩出しているのに対して、こっちは重賞馬すら出せなかったので余計に酷い。
- 牡馬はそれなりに走るのだが牝馬はロクに走らないため、牝馬が出たら終わり扱いされる。
- 2025年に産駒のサンライズアースが阪神大賞典を優勝。ようやく重賞馬が誕生した。
- ロジユニヴァース
- デビュー4連勝で圧倒的人気を背負い皐月賞に出走するも14着に大敗。しかし次走のダービーでは巻き返しを見せて勝利。鞍上の横山典弘騎手に初のダービーをもたらした。
- しかし前脚が外向してる影響で脚元に負担がかかりやすい状態にも関わらずこの年のダービーは歴史的な不良馬場。疲労や筋肉痛もあってダービー以降は年内休養してしまう。
- 2010年、9か月ぶりにレースに復帰するが日経賞6着、宝塚記念13着と精彩を欠くレースが続いた、しかし札幌記念では2着に入りようやく復調の気配を見せた。
- しかしトモ(お尻から後肢までの部分)の不安のため2年近くの長期休養を余儀なくされる。
- 2012年、2年ぶりの復帰した同馬は札幌記念に出走。しかし最後方からスタートするも全く伸びることなく最下位14着。勝ち馬から5秒以上離される惨敗であった。
- 鞍上の横山典弘騎手は「ある程度は覚悟していたが、別の馬みたいだった」とレース後に語った。
- その後なんとか復帰のために調整はしていたがついにレースに出ることなく引退した。
- ワンアンドオンリー
- こちらはダービーの次の神戸新聞杯を勝つもそれ以降23連敗。しかも菊花賞以降3着以内に入ったのはドバイシーマクラシックの3着だけで、実質日本では神戸新聞杯以降ゼロ。
海外[編集 | ソースを編集]
- 日本に輸入されて種牡馬となった馬も含みます。
- アヌスミラビリス
- 現役時代は世界9ヶ国を走り回り30戦9勝。GIこそ勝てなかったが重賞4勝・二桁着順はラストランの一回だけと堅実な成績を残した。
- 1996年と1998年に来日、1996年は毎日王冠に出走し見事に勝利を挙げた。
- 引退後は北海道・静内で種牡馬入りする予定だったが、検疫所での杜撰な対応が影響し体調を悪化。来日から約1ヶ月後の11月4日に僅か7歳の若さで急死してしまった。
- イージーゴア
- 現役時代はサンデーサイレンスのライバルとして活躍。同馬の三冠を阻止したベルモントSなどGI9勝を挙げた。
- 引退後は巨額のシンジケートを組まれて種牡馬入りしたが、1994年の種付けシーズン中に心臓麻痺を起こし12歳の若さで急死。
- 血統が嫌われ日本に輸入されたサンデーサイレンスとは対照的な結果となってしまった。
- 遺された136頭の産駒のうちGIを勝った馬も数頭出たが、現在父系としては滅亡している。
- ウォーエンブレム
- アメリカで二冠を達成。引退後は日本で種牡馬となる。
- しかし、小柄な栗毛の牝馬(つまり人間で言う金髪幼女)でしか反応しないと言う性癖によりほとんど産駒を残せなかった。
- 数少ない産駒から重賞馬やG1馬を多数排出しており、産駒の質だけなら優秀な種牡馬であった。ロリコンでさえなければ・・・
- 日本にも秋華賞勝ったブラックエンブレム、阪神JFかったローブティサージュなどが産駒にいる。
- 種牡馬引退後はアメリカに帰国。その際に馬伝染性子宮炎の検査のために、2頭の牝馬との種付けが必要だったのだが、これ見事に拒否。漢を見せた結果、無事に去勢された。
- エクセレブレーション
- フランケル被害者の会代表。
- 全てはグリーナムSからの出会いから始まった……(2着)。
- セントジェームズパレスSではフランケルが大暴走をして早め先頭。失速するフランケルを捕らえようとするも届かず3着。
- クイーンエリザベス2世Sでは後続に3馬身半差をつけるも、フランケルには4馬身差つけられた。
- 古馬に入ってからもフランケルに挑み続けるも、ロッキンジSでは5馬身差、クイーンアンSでは何と11馬身差という大差で敗れてしまう。
- さすがに陣営も心が折れたのか、クイーンアンS以降フランケルと一緒のレースに出走しなかった。
- 上記の通りフランケルにはフルボッコにされたが、エクセレブレーションもG1を3勝している強豪である。
- ジャックルマロワ賞では、約90年間の歴史を誇る同競走史上最高クラスといわれたメンバー構成の中で優勝。
- ただし、ここまでメンバーが揃ったのはフランケルから逃げたからである。
- ジャックルマロワ賞では、約90年間の歴史を誇る同競走史上最高クラスといわれたメンバー構成の中で優勝。
- 引退レースにBCマイルを選択するが、地元の芝マイル王ワイズダンから2馬身半差の4着に敗戦。
- 引退後はクールモアスタッドで種牡馬入り。産駒のバーニーロイがセントジェームズパレスSを制し、目の上のたんこぶだったフランケルよりも先に後継種牡馬を出した。
- だが、その後継種牡馬であったバーニーロイには生殖能力に問題があることが判明。去勢されて現役復帰となってしまう。
- キンチェム
- ハンガリーのもはや馬の形をした別のものの内の一頭である。
- 他にはリボー、セクレタリアト、フランケルなどがその別のもののうちに入る。
- 1800年代の馬なのだが生涯54戦54勝。人類の歴史上最強競走牝馬筆頭である。
- なお、騎手が飲酒騎乗して負けかけたことがある。結果としては同着だったが、両陣営とも納得しなかったためマッチレースに縺れ込んだ。
- マッチレースは野良犬に絡まれるアクシデントで出遅れるも、追いついて5馬身差の圧勝を決めた。
- なお、騎手が飲酒騎乗して負けかけたことがある。結果としては同着だったが、両陣営とも納得しなかったためマッチレースに縺れ込んだ。
- 故郷ハンガリーは勿論、フランス、イギリス、オーストリアなど汽車による遠征に次ぐ遠征、2日に1走は当たり前、しかも距離は950m~4200mを完走している。
- 厩務員はフランキー・キンチェム。この牝馬の名から自分の名を取った。
- 雌猫と仲良しであり、猫がいなければ汽車に乗らなかったほど。
- 故郷のハンガリーでは国民的英雄であり「キンチェム競馬場」と自身の名を冠した競馬場がある。
- 某ソシャゲでブケファラス同様英霊扱いされるかも?
- コタシャーン
- フランス時代はパッとせず、1992年にアメリカに移籍したが成績は一般戦を1つ勝っただけだった。
- しかし1993年に入ると一転して芝のG1を5連勝し、アメリカ芝最強馬の称号を引っ提げてジャパンカップに出走。
- ホワイトマズル(凱旋門賞2着)・スターオブコジーン(アーリントンミリオン)などの豪華メンバーを抑えて1番人気に支持され、レースでも最後の直線で鋭い末脚で追い込んできたが…。
- なんと残り100mのハロン棒を騎乗していたケント・デザーモ騎手がゴール板と誤認し、一瞬だけ追うのを辞めてしまった。
- 勘違いに気付いたデザーモ騎手は再び追い出したが、伏兵・レガシーワールド(日本)の1馬身と1/4差の2着に入るのが精一杯だった。
- なんと残り100mのハロン棒を騎乗していたケント・デザーモ騎手がゴール板と誤認し、一瞬だけ追うのを辞めてしまった。
- ホワイトマズル(凱旋門賞2着)・スターオブコジーン(アーリントンミリオン)などの豪華メンバーを抑えて1番人気に支持され、レースでも最後の直線で鋭い末脚で追い込んできたが…。
- 結局このレースを最後に現役を引退。引退後は日本で種牡馬入りしたが受精率が悪く、更に活躍馬もほとんど出なかったこともあり、2000年にはアイルランドに輸出されてしまった。
- サンデーサイレンス
- 地味な血統で、母系の評価は良くなかった。
- 仔馬の頃から気性がクッソ悪かった。
- 姿は見栄えせず後ろ脚も曲がっていたので醜い馬体と酷評された。
- 当歳馬の頃、ウイルス性の腸疾患に罹って酷い下痢で生死を彷徨う。
- 1歳時にキーンランドのジュライセールに出品するも、血統は悪く馬体も酷い、おまけに気性も狂暴だったため、上級のセレクトセールで弾かれた。
- 一般セールでも1万ドル程度しか付かなかったので主取りとなった。
- 母の馬主に買い取りを打診するも拒否される。
- 仕方ないので所有者のアーサー3世は旧友と所有権を折半した。
- 2歳時にカリフォルニア州のトレーニングセールに出品するも希望価格に届かず再び主取りとなった。
- おまけに帰り道に馬運車の運転手が心臓発作を起こして横転事故。奇跡的に命は助かったが、全身に無数の切り傷と打撲を負った。
- 所有権を折半した旧友も見限り、知り合いの調教師に所有する競走馬の調教費と相殺する形で売却された。
- 運命が呪われているレベルでロクなことがなかったが、所有者のアーサー3世は自分自身の境遇と重ねて成功を願っていた。
- 競走馬としてデビューさせるために調教しようとするも激しい気性故に上手くいかなかった。
- デビューするとコーナリングの上手さを発揮して活躍を見せた。
- ケンタッキーダービーでは後にライバルとなるイージーゴアと初対戦。泥んこ馬場でのレースであったが、好位から抜群のコーナリング性能を発揮してイージーゴアに2馬身半差つけてダービー馬となった。
- プリークネスSでもイージーゴアとの2強対決となり、向こう正面から馬体を併せてバチバチにやりあい、直線ではお互いにメンチを切り合う壮絶な叩き合いの末にハナ差で競り勝って二冠馬となった。
- 三冠が懸かっていたベルモントSでは初めてイージーゴアよりも人気が上回って1番人気。ところが直線でおいて行かれて8馬身差の2着に完敗してしまった。
- スワップSでは大逃げをかまして2着。この敗戦を受けて休養に入った。
- 復帰戦となったスーパーダービーでは上手く立て直して余裕の走りで6馬身差で圧勝した。
- さてBCクラシックに乗り込む…といったところで主戦のパット騎手がコカイン使用で60日間の騎乗停止。BCクラシックで騎乗できなくなってしまった。
- BCクラシックではイージーゴアが1番人気でサンデーサイレンスは2番人気。好位からの競馬で追い込むイージーゴアをクビを差で抑えてコースレコードを叩き出した。
- 古馬初戦のカリフォルニアンSでは圧倒的な人気の応えて快勝する。
- しかし古馬2戦目のハリウッドゴールドCではいつもの勝負根性を見せずアタマ差の2着に敗れた。
- アーリントンパーク競馬場でサンデーサイレンスとイージーゴアを対決させるために企画されたアーリントンチャレンジカップへの出走を目指していたが、靭帯に損傷が見られたため引退することになった。
- アーサー3世はアメリカでのサンデーサイレンスの種牡馬としての成功を信じて1株25万ドル×40口で1000万ドルのシンジケートを組んだ。しかし、株の買い付け希望数は僅か3株、種付け希望の牝馬はたった2頭という需要な無さが露呈した。
- こういった事情もあり、前々から熱烈にオファーしていた社台ファームの創始者である吉田善哉に1100万ドル(約16億5000万円)という巨額で売り渡された。
- こうして日本にやって来たサンデーサイレンスは1株4150万円×60口の25億円という当時の史上最高額のシンジケートが組まれた。
- サンデーサイレンスは人気ではあったが、種付け料が1100万円だったとや他にも有力な種牡馬がいたため外部からの優秀な繁殖牝馬は集まらなかった。そのため善哉はこぞって社台の名繁殖をこぞって付けた。
- 生まれた産駒の評価はそれほど高くはなく、早々に失敗種牡馬として噂された。だが、いざデビューすると大活躍を見せた。
- 日本競馬界にサンデーサイレンス旋風が吹き、13年連続でリーディングサイアーに君臨した。
- 競走馬・種牡馬の双方で大活躍を見せたが、2000年に体調を崩して蹄葉炎を発症。最終的に心不全で16歳で亡くなった。
- 種牡馬の父としても優秀であり、ディープインパクトを始めステイゴールド・ハーツクライ・ダイワメジャー・ゴールドアリュールなどが種牡馬としての活躍を見せた。
- シャーガー
- 1981年のエプソムダービーを10馬身差という大差をつけて勝利。その後アイリッシュダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを勝利し、この年のイギリス年度代表馬に。
- 1999年から行われるようになった騎手選抜戦の名称にシャーガーの名前が使われている。
- 1982年に種牡馬入り、引退前にすでに1000万アイルランド・ポンド(約43億円)という種牡馬シンジケートが組まれており、初年度は28頭の産駒が誕生、その中ではアウザールがGIを3勝し、シャーガーの代表産駒となった。
- ところが、翌1983年の2月、繋養されていた牧場に覆面を付けた男6人が侵入、シャーガーは誘拐されてしまう。
- 犯人グループから200万ポンド(約7億円)の身代金が要求されるも、シンジケート側がそれを拒否したことで連絡が途絶え、同時にシャーガーの行方も消えてしまう。
- 誘拐を行ったのはIRA(アイルランド共和国軍)のメンバーで資金確保のために誘拐したが暴れ出したため射殺されたと言われている。
- 犯人グループから200万ポンド(約7億円)の身代金が要求されるも、シンジケート側がそれを拒否したことで連絡が途絶え、同時にシャーガーの行方も消えてしまう。
- 結局、わずか1代しか産駒を残すことが出来ず、代表産駒だったアウザールも引退後に日本へ輸出するも、重賞勝ちを収めたのはイブキラジョウモン(中日スポーツ賞4歳S)のみであり、直系は途絶えている。
- なお、毎年エイプリルフールになるとシャーガーが発見されたという嘘ニュースがイギリス内で報じられている。
- ジャッジアンジェルーチ
- アメリカでGIを3勝し、1989年から社台スタリオンステーションにて種牡馬として供用された。
- ところが代表産駒が軒並み成績不振に苦しみ、種牡馬としては大失敗に終わってしまう。
- 代表産駒のゴーカイも平地のレースで伸び悩んだ末、障害のレースでやっと活躍した。
- 母の父(ブルードメアサイアー)としてはオレハマッテルゼ・グレープブランデーなどの産駒を残した。
- 因みにキタサンブラックの母の母の父でもある。
- セントクレスピン
- アイルランドの凱旋門賞馬。種牡馬としても愛、日でGI馬を複数排出し大成功するが、種牡馬引退後は屠殺されてしまう。
- 1981年では功労馬繋養展示事業はなく、動物愛護意識も薄かったと言う時代背景も大きいかもしれない。
- チチカステナンゴ
- 現役時代はフランスでGIを2勝。フランスダービーでも2着に入り、引退後はフランスのヴィクトー牧場で種牡馬入り。
- 2008年の12月に日本の社台スタリオンステーションが種牡馬として7億円で購入したことを発表。
- 当時、社台グループにはサンデーサイレンスの血を持つ繫殖牝馬が溢れかえっており、血統面でヘイルトゥリーズン(サンデーサイレンスの祖父)の血が入っていないこの馬が購入された。
- 翌2009年から日本で種牡馬生活を開始。1年目からダイワスカーレットやキストゥヘブンといった2009年に引退した活躍馬の初年度の交配相手として人気を博し、2009年は152頭・2010年は153頭・2011年は147頭に種付けを行ったが…。
- 2011年の年末に便秘から疝痛を発症し開腹手術を受け療養していたが、年が明けた2012年の1月13日に容態が急変し14歳の若さで急死。
- 2012年にデビューした産駒も中央・地方含めて重賞勝ち無しという大失敗に終わってしまった。
- ピルサドスキー
- アイルランド生まれの競走馬。1997年のカルティエ賞(ヨーロッパにおける競馬の年度代表表彰)で最優秀古馬を受賞した。
- 名義貸しの問題や馬名の問題などもざんねんだが、一番のざんねんエピソードは1997年のジャパンカップだろう。
- このレースのパドックでピルサドスキーは激しく「馬っ気」を出していたため、3番人気まで人気を落としてしまう。
- ところがレースでは、直線粘るエアグルーヴをあっと言う間に差し切って勝ってしまった。
- エアグルーヴに騎乗していた武豊は、レース後のインタビューで「あれだけ完璧なレースをしたエアグルーヴを差す馬が世界にいるとは…」と愕然としていた。
- ところがレースでは、直線粘るエアグルーヴをあっと言う間に差し切って勝ってしまった。
- このレースのパドックでピルサドスキーは激しく「馬っ気」を出していたため、3番人気まで人気を落としてしまう。
- 翌1998年に静内町で種牡馬として供用され、当初は「ポスト・サンデーサイレンスの有力候補」と評されたが…。
- 初年度に勝ち上がった馬が0頭という惨憺たる結果に終わり、2003年にアイルランドへ戻った。
- しかも現在(2020年)時点でジャッジアンジェルーチと違い母系でも成功していない。
- 初年度に勝ち上がった馬が0頭という惨憺たる結果に終わり、2003年にアイルランドへ戻った。
- ブラックキャビア
- 26戦全勝にしてG1勝利数15勝、生涯連続勝利数No.2の記録を持つ。
- No.1は上の書いてあるキンチェムである。もちろんこの馬も「馬の形をした別の何か」に含まれる一頭である。
- 現役時は2010年代前半、亡くなったのが2018年と割と最近の馬である (執筆当初は2025年8月)。
- ラムタラ
- 欧州で活躍した競走馬。引退後は種牡馬として英で1年供用された後、3000万ドルで日本に導入されるが結果は大失敗。再輸出の価格は購買時の100分の1以下であった。
- 代表産駒はGⅢ馬のメイショウラムセス。一応母の父として天皇賞馬ヒルノダムールを送り出し最低限の意地は見せたが……。
- 欧州に残した産駒ではメリカーが愛オークス2着・英オークス3着と活躍。ただし、母がアーバンシー。
- 代表産駒はGⅢ馬のメイショウラムセス。一応母の父として天皇賞馬ヒルノダムールを送り出し最低限の意地は見せたが……。
- 何故かヨーロッパでの評価は総じて低く、1995年のカルティエ賞(ヨーロッパにおける競馬の年度代表表彰)の年度代表馬のタイトルは獲得できなかった。
- 4カ国マイルG1制覇のリッジウッドパールでは相手が悪い。
- 勝ったレースが何れも僅差の勝利だったためレーティングが伸びなかったのも要因の1つ(着差を広げて勝つほどレーティングは高くなりやすい)。