もしあのアナウンサーが局アナを継続していたら

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  • 追加する際は50音順でお願いします。その際は放送局も明記して下さい。
  • 放送局に残っていてもすでに他部署に異動してしまってアナウンサーではなくなった方や、定年退職でやめた方もOKです。
  • 新規追加の際は、当該人物の放送局退社日から3か月が経過するまで追加しないでください。

あ行[編集 | ソースを編集]

赤江珠緒(朝日放送)[編集 | ソースを編集]

  1. もし徳永有美が不倫をしていなかったらである。
  2. 「たまむすび」はない。
    • ABCラジオで「ぴたっと」を担当していた。

荒川強啓(山形放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ズームイン!」の山形担当になっていたかもしれない。
  2. 「おはよう!ナイスデイ」や「ニュースの森」のキャスターは変わっていた。番組自体なかった可能性も。
    • 「荒川強啓デイ・キャッチ!」が存在しない為、若山弦蔵が21世紀を迎えてもTBSラジオ夕方の顔として君臨していた。

有馬隼人(TBS)[編集 | ソースを編集]

  1. 大学時代にライスボウルでアメフト日本一を達成してたらあり得たかも。
  2. よりスポーツ実況やスポーツ番組に軸足を移していた。
  3. 史実より早くTBSでラジオの冠番組を持っていた。
  4. 「アイシールド21」への出演はなかった。
  5. 日大のタックル事件のときの加害選手の記者会見での質問が評価されなかったかも。

生島ヒロシ(TBS)[編集 | ソースを編集]

  1. 今でもTBSの番組で司会を務めていた。
    • 今だったらラジオを中心に活躍か?
  2. クイズタイムショックの3代目司会者は、別の人になっていた。
    • おはよう!ナイスデイの5代目総合司会も。
    • ミュージックステーションのアシスタントも。
  3. 生島企画室も存在しないため、特に2010年代以降の芸能界も様変わりしていた。

逸見政孝(フジテレビ)[編集 | ソースを編集]

  • ここでは、史実で死亡するまでフジテレビにアナウンサーとして残り続けていたらとします。史実での死亡後もフジテレビにアナウンサーとして残り続けていた場合は「もし逸見政孝が健在だったら」へお願いします。
  1. 史実通りに管理職への打診を断っていた場合、局で冷遇されていたかもしれない。
  2. 「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」や「いつみても波瀾万丈」などはなかったか、あってもヒットしなかった可能性がある。
  3. 史実で癌になった際に会見を行ったり、死亡した際に史実ほど騒がれていたりしたか疑問。
  4. 2000年代以降も健在だった場合、2005年度末に定年退職するだろう。

笛吹雅子(日本テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. ニュース番組には史実ほど出演しなかった。

梅田淳(カンテレ)[編集 | ソースを編集]

  1. 特にプロ野球中継の実況やバラエティ番組の司会を担当。
    • 阪神の応援番組の司会を務めていて、2003年の優勝決定試合の実況を務めていたことを未だにネタにしている。
  2. カンテレは今でもバラエティ色の強い局となっていた。
  3. もしかしたら、今時分はフジテレビに出向していたかも。
    • カンテレの先輩・桑原征平がそうだった。
  4. 「走れ!ガリバーくん」の復活特番が1回くらいは放送されていた。

大神いずみ(日本テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. =もし熱湯コマーシャル入湯拒否事件がなかったらである。
  2. 元木大介と結婚することはなかったかも。

大塚範一(NHK)[編集 | ソースを編集]

  1. (退職直前に内定していた)「NHK歌謡コンサート」の司会に就任していた。
  2. 「めざましテレビ」はなかった。
    • 或いはメインMCに堺正幸か福井謙二を起用し、三宅正治への交代も史実よりも早い時期になっていた。
  3. 白血病を発症することもなかったかも。

大村正樹(鹿児島放送)[編集 | ソースを編集]

  1. あの不適切発言はなかった。
    • もちろん北海道に飛ばされることもなかった。

落合恵子(文化放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 作家に転身することはなかった。
    • 週刊金曜日の編集委員になることもなかった。
  2. 「クレヨンハウス」やオーガニックレストランを経営することはなかった。
    • そもそも、オーガニックライフにはまることすらなかったかもしれない。
      • 史実通りにはまっていたとしても、世間的には単なるオーガニックライフ実践者の認識で終わっていた。

小倉智昭(東京12チャンネル→テレビ東京)[編集 | ソースを編集]

  1. テレビ東京の幹部とアナウンサーの2足のわらじで活躍。
  2. 全国的な知名度は、現実より低かった。
  3. 持ち前の「7色の声」を駆使して、多数のテレ東系のアニメ作品で声優を務めていたかも。
  4. 太田光が「ヅラ」呼ばわりすることはなかった。
  5. 「世界まるごとHOWマッチ」は史実ほどヒットせず、大橋巨泉は当初の予定通り50歳でセミリタイアした。
  6. もちろん「とくダネ!」はない。

か行[編集 | ソースを編集]

柏村武昭(中国放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 「お笑いマンガ道場」の2代目司会者は別の人物がやっていた。
    • 「テレビ宣言」もなかった。
  2. 選挙出馬もなかった。
  3. 『ザ・ベストテン』の初代のRCCの追っかけマンを担当していた。 

楠田枝里子(日本テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「なるほどザワールド」は、存在しなかった。
    • おそらくフジテレビの女子アナがアシスタントになったと思うが、コケていた可能性大。
  2. 徳光・福留両アナとともに、日テレの黄金時代を築いていた。
  3. 定年まで日テレに務めていた。
  4. 史実通り「世界まる見え!テレビ特捜部」の司会を務めていただろうか?
  5. 「笑点」のアナウンサー大喜利にも毎回のように出演していた。

久米宏(TBS)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ニュースステーション」は存在しなかった。
    • 「ベストテン」終了後に大型ニュース番組「久米宏NEWS23」がスタートし、対抗策としてテレ朝が「ANNニュースファイナル」を大型化しアンカーマンとして筑紫哲也を起用。
    • ニュース番組のワイドショー化もなかったか遅れていた。場合によっては21世紀になってもストレートニュースが主流だったかも。
  2. TBSの黄金時代がもう少し長く続いていたかも。
    • 一方、テレビ朝日は今一つ調子が悪く「振り返ればテレ東」状態はザラだったかもしれない。
  3. 「ザベストテン」の司会は最終回まで久米・黒柳徹子コンビだった。
    • もちろん、後の復刻版の司会も担当。安住伸一郎(実際の復刻版の司会を担当)の出る幕なしと言ったところか。
  4. 「おしゃれ」の4代目司会者も別の人物になっていた。

小林悠(TBS)[編集 | ソースを編集]

  1. 金曜「たまむすび」は、本人が降板した後もTBSアナウンサーの冠番組のままだった。

小島慶子(TBS)[編集 | ソースを編集]

  1. 「オールナイトニッポンGOLD」のパーソナリティにはならなかった。
  2. 水着写真集を出すこともなかった。
  3. オーストラリア移住(厳密には生まれ故郷へのUターン)もなかった。
  4. 朝日新聞ではなく毎日新聞のパブリックエディターになっていた。

さた行[編集 | ソースを編集]

清水健(讀賣テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 妻がガンで早世していなかったらありえた。
  2. 政界進出のうわさが出ることはなかった。

辛坊治郎(読売テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 読売テレビの重役兼任アナウンサーになっていただろう。
  2. 太平洋横断への挑戦はなかった。
  3. 「朝生ワイド す・またん!」のニュース解説を野村明大に譲ることはなかった。
    • 現在でも森たけしとのコンビが続いていた。
      • 森もフリーになることはなかった。

荘口彰久(ニッポン放送)[編集 | ソースを編集]

  1. おそらくは2006年の会社再編でフジテレビに転籍。フジテレビアナウンサーの肩書で「とくダネ!」に出演していた。
  2. 「福山雅治のオールナイトニッポン 魂のラジオ」のアシスタントも別の人だったかもしれない。

田中みな実(TBS)[編集 | ソースを編集]

  1. MXの『ひるキュン!』の司会は別の人物だった。
    • 堀内健が同番組にゲスト出演した際のトラブルもなかった。
  2. もちろん「グータンヌーボヌーボ」にも出演していない。
  3. 写真集のリリースもなかった。

辻義就(テレビ朝日)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実通りに「ワールドプロレスリング」を卒業後もプロ野球やサッカー日本代表戦などで実況を務め、テレ朝のスポーツアナの代表的な存在になっていた。
  2. スポーツ中継やスポーツニュースを担当する場合は「辻義就」、バラエティ出演の時は「辻よしなり」とマイクネームを使い分けていたかも。

徳光和夫(日本テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「NNNニュースプラス1」のキャスターをもう少し長く務めていた。
  2. 「クイズダービー」は巨泉セミリタイアの時点で終了したか、別の人物が2代目に就任した。
    • 「テレビあッとランダム」ももっと長く続いていた。
  3. もしかすると日テレの重役に就いていたかもしれない。
    • 場合によっては、読売グループのお偉いさんとなり、大好きなジャイアンツの球団幹部となっていたかも。
  4. ギャンブルで損をした金額が史実より少なかった。

なは行[編集 | ソースを編集]

長野智子(フジテレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 史実とは逆に阿部知代の方がフジテレビを去っていたか別部署に左遷されていた。
    • 彼女がニューヨークに赴任することもなかった。
  2. アメリカの大学院に留学することはなかった。
  3. ハフィントンポスト日本版の編集主幹をすることはなかった。

野際陽子(NHK)[編集 | ソースを編集]

  1. パリ留学することはなかった。
    • 日本で初めてミニスカートをはいた女性は別の人になっていた。
  2. 「非情のライセンス」はなかったか別の人が歌っていた。
  3. 千葉真一とは結婚しなかった。
  4. 女優業への進出はなかった。
  5. 「紅白歌合戦」で1960~70年代に数度紅組司会を、その後に女性アナとして初の総合司会を務めていた。
  6. 『3時にあいましょう』の司会も変わっていた。

羽川英樹(読売テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 関西初のフリーアナウンサーは別の人物になっていた。
  2. 言うまでもなくラジオ番組には出演しなかった。

羽鳥慎一(日本テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 「モーニングバード」はなかった。
    • ズームインが今でもやっている。ZOOM IN!! PEOPLE?なにそれ
      • 2011年4月に司会交替することはなかった。交替するとしても数年先だった。
  2. 「24時間テレビ」の総合司会は史実通り(担当初年の2011年は徳光和夫がマラソンランナーだったので)。

福澤朗(日本テレビ)[編集 | ソースを編集]

  1. 上記の羽鳥と共に日テレのツートップとして活躍し、ジャストミート&バードが徳さん&トメさんと並び称されるようになっていた。
  2. 史実でフリー転身後にメインを勤めた「ピンポン!」(TBS)は存在せず、2017年現在も「ひるおび!」の時間帯に「きょう発プラス!」が放送されている。
  3. AKB48じゃんけん大会のMCは別の人になっていた。
    • その縁でパピコのCMに出演することもなかった。
  4. 「開運!なんでも鑑定団」も(石坂浩二が史実通りなら)別の人物が引き継いでいた。
  5. ラジオ日本への出向もありえたかも。
    • テコ入れ策として午前のワイド番組に起用され、裏の大沢悠里らとし烈な聴取率競争を繰り広げていた。
  6. NHKの朝ドラへの出演ももちろん別のアナウンサーだった。

古舘伊知郎(テレビ朝日)[編集 | ソースを編集]

  1. みのもんた程ではないが、90年代以降のテレビ界は大きく変わっていた。
    • 「クイズ日本人の質問」(NHK)や「筋肉番付」(TBS)などまず出ようがない。
  2. プロレスファン以外の知名度は低いままだった。
  3. 芳村真理が結婚式の仲人をすることもなかった。
  4. 「トーキングブルース」もなかった。
  5. 「報道ステーション」のキャスターを局アナとして務めたかどうか微妙。
  6. 同期の渡辺宜嗣と同時期に定年退職するだろう。

ま行[編集 | ソースを編集]

松本ともこ(TOKYO FM)[編集 | ソースを編集]

  1. 『ストリーム』はなかった。
    • そのためTBSラジオの聴取率上昇も遅れていた。
    • 『吉田照美のやる気MANMAN!』も史実より長続きしていた。

丸川珠代(テレビ朝日)[編集 | ソースを編集]

  1. 同期の大下容子は史実ほど知名度を上げられなかったかもしれない。
  2. 大塚拓と結婚することはなかった。
  3. 発言や行動を問題視されることもなかった。
  4. 政界進出もなかった。

みのもんた(文化放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 90年代以降のテレビ界は、大きく変わっていた。
    • 80年代以前も含めると「プロ野球珍プレー好プレー大賞」のナレーションも別の人だった。
  2. みのもんたは今頃、文化放送の重役兼任アナウンサーあたりになっていた。
    • あるいは60歳で定年退職と同時に、家業の水道メーター製造業を受け継ぎ経営に専念。
  3. 息子は日本テレビではなくフジテレビorテレビ朝日に入っていた。
    • 逮捕されたことがその局を叩く材料としてネット上で持ち出されている。
      • 息子がマスコミ業界ではなく、家業に携わっていた場合、史実ほどのバッシングはなかったかも。(在京ラジオ局のアナウンサーの息子ということで一時的にネタにはされたかもしれないが)

宮島咲良(九州朝日放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 名前が漢字一文字違いの宮脇咲良(HKT48)とKBCの番組で共演機会があったかもしれない。
  2. 松井咲子(元AKB48)と親しくなることはなかった。

宮根誠司(朝日放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 少なくとも関西圏以外で知名度が上がることはなかった。
  2. 丸岡いずみの知名度も低いままだった。
    • 「news every.」のキャスターになることはなかった。
    • 有村昆との結婚の際にもそこまで騒がれることはなかった。
    • もしかしたらうつ病にもならなかったかもしれない。
  3. ABCのままだったら、浦川アナの代わりに「アタック25」の2代目司会を務めていたかも。
    • もちろん「おはよう朝日です」の司会ももう少し長く続けていた。
      • 史実の浦川アナのように宮根アナが「キャスト」のメインになった場合、谷原章介が「アタック25」3代目司会者に起用、「おは朝」の後任には浦川アナが抜擢され、岩本アナは2017年現在もスポーツアナとしての活動をメインにしている。
  4. そもそも「情報ライブ ミヤネ屋」も存在しなかった。
  5. ABCラジオ「スラスラ水曜日」に放送終了まで出演していた。

森本毅郎(NHK)[編集 | ソースを編集]

  1. 不倫に走ることはなかったかあっても扱いが小さかった。
  2. 『ピリッとタケロー』自体なかったので笑福亭鶴瓶に「どこがピリッとしてんねん。あんなんデレッとタケローや」と揶揄されることはなかった。
  3. 『噂の!東京マガジン』もなかった。
    • 料理下手ぶりをTVで晒すこともなく、ゆとりギャルの象徴が減っていた。
    • 京都市営バス運転手の悪態を晒すこともなかった。
  4. 『モーニングジャンボ奥さま8時半です』の後継番組は『山本文郎さわやかワイド』→『山本ワイド・モーニングEye』となっていた。

やらわ行[編集 | ソースを編集]

山本浩之(カンテレ)[編集 | ソースを編集]

  1. 今でも夕方のニュースのキャスターを担当。
  2. 場合によっては、フジテレビに出向しニュースキャスターを担当していたかも。
    • そうなれば、持ち前のハゲネタも生かしてバラエティにも進出。
      • 同局のニュースキャスターとしては、逸見政孝ぐらいの人気を博することも?
  3. もちろん「ちちんぷいぷい(MBS)」には出るわけがない。
    • 辛坊治郎の代役として「たかじんのそこまで言って委員会」に出演することもなかった。
  4. 長男の日テレ入社は史実通り?
    • 次男がカンテレに入社することはなかった?
      • 次男(毎日新聞)じゃなく三男。

山本モナ(朝日放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 「ムーブ!」のキャスターをもっと長く続けていた。
  2. 不倫には走らなかった?

吉田照美(文化放送)[編集 | ソースを編集]

  1. 「吉田照美のやる気MANMAN」は、もう少し長続きしていたかも。
  2. 「夕やけニャンニャン」をはじめ、テレビに出ることもなかった。
  3. 関東圏以外の知名度は低かったかもしれない。

頼近美津子(NHK)[編集 | ソースを編集]

フジテレビに移籍しなかったらとします。

  1. 鹿内春雄と結婚することはなかった。
    • 春雄の死去後の遺産相続のトラブルに巻き込まれることもなかった。
  2. フジテレビの女性リポーターの正社員化が少なくとも男女雇用機会均等法制定あたりまでは遅れていた。
    • 益田由美や城ケ崎祐子、田丸美寿々あたりは史実ほど注目されていなかった。
      • 益田由美が定年までフジテレビに残ることもなかった。